(続き)
まあここまでのは答えないらしいが。本題にはいろうか。
「まとめると、甲越同盟とはそれまでの氏政個人の上杉に対する不信感と、条件が逐次推敲されるまで行動を起こさなかった
謙信の行動に問題があり、ここになんら武田が介入する余地はない
そしてそもそも甲越同盟に至った経過については武田側が起こした今川敵対政策によるものである
この甲駿相三国同盟破綻から甲相再同盟までの経過でなんら武田信玄の外交手腕について特記できる事項はない」と

上とも被るが、氏政に不信感が醸成されたのは甲越和与と信玄の積極的な行動に
よって謙信がろくに動かなかった事が示された事。謙信にしてみても 領土は
結局もらえていないし、なんで信玄と戦って被害をださにゃならないという
気だろう。それよりはこの機に乗じて自分の権益を拡大したほうがましという考えだろう。
それでも鮎川氏に当てた書状からわかるように甲越和与がなければ謙信が侵攻してくる
可能性はあった。それを甲越和与によって防止してみせたのは悪くないだろう。
そしてちゃんと駿河も奪取して北条との同盟も復活させたのに特記はできないとし、
結果的に上杉に振り回され、武田に駿河を奪われただけに
終わった北条の外交努力は評価すると?無理があるだろう。