だから、その話がそもそもの斉藤家の基盤がもろかったかどうかとどう関係するの?
為影は反乱をどうにか押えたが道三にはそれも出来なかった、
つまり当時の斉藤家の基盤はさらに脆弱だったということを論証しているようにしか見えないが。
それとも斉藤家の基盤がもろかったということ自体には異論はないということですか?
私は大規模な外征も出来るようになった時点の上杉家より基盤が弱いからといって、
大名と言えないというほどではないと思うから、その点で意見の相違があるが、
とりあえず、斉藤家の基盤はもろかったという点に異論はないと?

だとするなら、>>265はどういう意図で書き込んだんです?