【島国】日本は世界で貧しい国だったの?【辺境】
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0001人間七七四年
2007/05/05(土) 17:42:07ID:YHGSfsuA国土は、ある地方では彼等の主食である米を産し、また麦もとれるが、他の地方は不毛の山岳地帯となっている。
一般的に言って(日本の)不毛と貧困さは東洋全域で最も甚だしい。
というのは、ポルトガル人が支那から彼等に齎し、彼等が衣類として用いる絹の他には、
殆ど商品らしいものは何もないからです。牧畜も行なわれず、土地を利用するなんらの産業もなく、
彼等の生活を保つ僅かの米があるのみである。したがって一般には庶民も貴族も極めて貧困である。
ただし彼等の間では、貧困は恥辱とは考えられてなく、ある場合には、彼等は貧しくとも清潔にして
鄭重に待遇されるので、貧苦は他人の目につかないのである。
日本諸事要録 第二十八章抜粋
全般的に全ての者の収入は乏しく、金銭に不足しているから、真実の武士であり、
自ら武士をもって任じている一般の、或いは特別の武士が、自らは、奉仕する四〜五名の
若者を抱え、妻も同数の召使を抱え、彼等と家中の身分の高い者は全て絹を着て、
しかも百石から百五十石で一家を支える事になる。
これにより、彼等が如何に質素で貧しい生活をしているかが判明する。
夫と妻が辛うじて一年の半ばだけ食べる米があり、残りの半年は大根、果実、及び草や根を
できるだけ食べて(飢えを)しのぎ、他の家人は、米のある時には少量の米を混ぜて、
これらの品を食べて生きている。
日本王国記
この王国では百姓や臣民はひどく圧迫され、ひどく貧困なので、
しばしば彼等に要求される年貢の不足を支払う為に、子供を売るほどである。
百姓は何としても記帳されただけのものは払わなくてはならないし、田畑のもので
十分でなかったら、納税の為に、質にも入れなければならない、子供たちも
売らなければならないのである。
もしそうしなかったら、彼等は殺されるか、税を払わせようと、捕えられ拷問にかけられる。
それに彼等は百姓に対して実に残忍な事をやる。現に私は薩摩の国で1594年に、
籾つまりまだ脱穀や精白しない米ニ俵、当時三マスの値段はしたろうか、それだけの為に、
一人の百姓と女房と二人の子供が殺されたのを目撃したものである。
0016人間七七四年
2007/05/05(土) 21:27:55ID:7RmWg+zq江戸時代事あるごとにやらかしてきた数万人〜数十万人単位で餓死者が出る大飢饉は、
0017人間七七四年
2007/05/05(土) 21:33:27ID:7RmWg+zq江戸時代に事あるごとにやらかしてきた
数万人〜数十万人単位で餓死者が出る大飢饉は、
明治の世になってからピタリと止んでいるが。
それどころか、明治政府は、東北を政情不安の危険地域と見做していたから、
東京に遷都した上で腫れ物のように東北を扱っている
(製鉄を基幹産業とすべき明治の世にあって国内最初の製鉄所を建設したり、
東京・近畿に次ぐ第三帝大の設置など)。
0018人間七七四年
2007/05/05(土) 21:35:08ID:4FLNQzly関が原の戦いは、東軍西軍併せて20万人
同時代でこれだけの規模の戦争は、ヨーロッパでもない
これを実現するだけの農業生産高や経済力があったのは事実
十分な生産があったと考えてよいのでは?
0019人間七七四年
2007/05/05(土) 21:39:48ID:YiPtcetg米にだけ年貢をかけてた徳川がDQN
0020人間七七四年
2007/05/05(土) 21:47:31ID:7RmWg+zq東北地方は稲作に不適な土地であったにも関わらず、
金儲けのために稲作モノカルチュアを強行した
奥州諸藩にも責任がある(特に津軽と南部)。
他地域との情報や物の流通もまったくの未整備だったから、
ちょっと天候不順なだけでたちまち地獄絵図へと変貌。
0021人間七七四年
2007/05/05(土) 22:48:51ID:zNxo3FYr0022人間七七四年
2007/05/05(土) 23:11:12ID:PKlqLf4U>明治の世になってからピタリと止んでいるが。
維新の数十年前に止んでいる。
目立たないが、全体として地方毎に官民一体の農業改革、社会改革、政治改革がかなり進展していた。
0023人間七七四年
2007/05/05(土) 23:18:10ID:HEx/7HBTもともと稗や粟の方が生産に向いてて、雪国に住むのに栄養価も適していたのを
田んぼにしたから。とくに陸奥、太平洋側はやませの影響で全く育たない
0024人間七七四年
2007/05/05(土) 23:18:11ID:YiPtcetgたまたま天候が良かったってだけじゃね?
0025人間七七四年
2007/05/05(土) 23:42:00ID:AQ8p6cUh0026人間七七四年
2007/05/05(土) 23:59:05ID:PKlqLf4Uその原因が、日本の富士山の大爆発による噴煙にあったらしい。
大飢饉が二つあったから他の原因もあったと思うが。
0027人間七七四年
2007/05/06(日) 00:21:42ID:VakB6tpO0028人間七七四年
2007/05/06(日) 12:07:12ID:C1yn5ooSちなみに有史以来の日本での最大の噴火は、平安時代の十和田湖の噴火。
世界的に見れば、10世紀の長白山の噴火や、19世紀のタンボラ山の噴火が最大級で、
噴出物量換算で、江戸時代の浅間山や富士山の噴火の100倍以上の規模。
0029人間七七四年
2007/05/06(日) 12:47:18ID:h/RZFRzB海産豊富だし超飢饉が少なかったのはそのせいかも
寿司、鯨ウマーだよな
0030人間七七四年
2007/05/06(日) 13:31:57ID:2hF8JlPI0032人間七七四年
2007/05/06(日) 14:16:24ID:uaQLHok6日常的にってこと?
あったかなかったかなら、現代でも稀にあるからあった
0033人間七七四年
2007/05/06(日) 16:29:00ID:mIy36E6W世界でもっとも食料が豊富だった日本が、いきなり世界最先端のデッドレースに引き込まれた。
http://www.geocities.jp/hiromorimizuno/007.html
0034人間七七四年
2007/05/06(日) 16:50:12ID:V1q5WOgW江戸期の東北が激貧地域であったことに由来する。
あまりの貧しさから東北の百姓は娘を身売りに出さねばならず、
その結果全国の大都市の遊郭には東北娘で溢れ返ることになった。
遊女は商売だから化粧や身なりもバッチリ、
客の機嫌をとるのに気を遣わなくてはならないから
気立ても良いというイメージが形成された。
美人の産地と言われる東北にあって仙台が日本三大ブスの産地と扱われるのは、
仙台は遊女の供給源ではなく需要先であったから。
仙台の男たちは、化粧・客あしらいがバッチリの遊女と
自分の嫁を比較して、自分とこの女はブスだな〜と思うようになった。
0035人間七七四年
2007/05/06(日) 18:12:12ID:goeu+zdC三大ブスが宮城・茨城・名古屋
地理を見れば判るが、太平洋側が問題ってだけ
日本海側は一県跨ぎで美人という言もあり、美人・ブスはそういう要素の方が強いと思われ
大体、仙台は消費地じゃないよ
江戸初期〜中期までは近くに江戸という大量消費地があったためにひたすら米を作ることで繋いでた
米以外の嗜好品の物産の流通や文化が上方から江戸に移って初めて今の大都市仙台の原型が出来た
0036人間七七四年
2007/05/06(日) 19:12:29ID:aLMtjYHJ人口は5万人くらいに達したが、これは石高20万の藩にしちゃかなりの人口。
要するに、商業が隆盛したってこと。
因みにモースは東北農村を「みんな貧しいが窮民がひとりもいない」と表現した。
0037人間七七四年
2007/05/06(日) 19:14:42ID:aLMtjYHJ0038人間七七四年
2007/05/06(日) 19:38:54ID:TzJhXJJf仙台藩は広大な平野を抱え、大規模な新田開発により実高は100万石以上になってたよ。
で、米余り現象が起きて江戸に売って大儲けした。
江戸100万の米消費の大半を担い、仙台は江戸の台所と呼ばれていた。
0039人間七七四年
2007/05/06(日) 19:58:38ID:7fin8zqXべチョべチョの湿地で人口3000万以上とはすごいな江戸日本
0040人間七七四年
2007/05/06(日) 20:12:41ID:mIy36E6Wコメは高温多雨でべチョべチョの湿地じゃないと育成できない。
だが、日本は多雨だが高温じゃなく、べチョべチョの湿地でもない。
つまり、コメは熱帯の植物だから日本での生育には適していない。
それなのに、アジア有数の農業国だった不思議。
0041人間七七四年
2007/05/06(日) 20:20:30ID:2UyzEjfr違うだろ。
秋田は林業が盛んで山林地主が美人を引っ張って来てただけ
単純に考えて美人売り払ってたらブスしか残んねーじゃん
お前馬鹿だろ?
0042人間七七四年
2007/05/06(日) 20:23:12ID:TzJhXJJfつまり、水田で養える人口は、同一面積の麦畑の数倍ということだ。
ヨーロッパは伝染病の流行もあり中世期を通して人口は激減と回復を繰り返していた。
中世のイングランド、フランス、神聖ローマ帝国は、3国を合わせてやっと日本にならぶかな?くらいの人口。
イギリスの1500年の人口は260万人、16世紀後期には350万人で、
たったこれだけの人口しか養えなかったのだ。
0043人間七七四年
2007/05/06(日) 20:39:15ID:TzJhXJJf地中海気候や西岸海洋性気候で冬季の気候は温暖とはいえ
夏の気温が上がらず、降水量が日本の半分〜4分の1では稲作はやっていけない。
かつて氷河に覆われていたヨーロッパは、土壌が侵食で削られ農耕に適さない土地も多い。
面積あたりの収穫量で大きく劣る牧畜をするしかなかったんだよ。
0044人間七七四年
2007/05/06(日) 20:57:44ID:TzJhXJJfイングランドは日本より小さいが可住地面積は日本の2倍。
それで考えると、同じ広さの土地で日本はイギリスの10倍の人間を養ってたわけだし。
0045人間七七四年
2007/05/06(日) 21:24:10ID:h/RZFRzB食えなくてアフリカ・アメリカから掠め取った欧州
0046人間七七四年
2007/05/06(日) 21:46:13ID:9aFOmF9V0047人間七七四年
2007/05/06(日) 21:58:09ID:Y1crtdku0048人間七七四年
2007/05/06(日) 22:31:24ID:UcmSIx/T0049人間七七四年
2007/05/06(日) 22:52:04ID:TzJhXJJf江戸時代の仙台の地位と比べるとずいぶん落ちたでしょ。
同じく大藩の城下町だった金沢、和歌山も同じことが言えるけど。
国単位では越後の人口が最も多かったらしい。
0051人間七七四年
2007/05/06(日) 23:38:59ID:TzJhXJJf当時は米の収穫高と人口が比例する傾向が強かった。
江戸期の人口調査は15歳以上のみとか農民は除外とか集計基準が藩によって曖昧なので
明治期、1888年のデータを示す。
新潟県が1,662,900人で全国一位。
二位が兵庫県で1,510,500人。以下愛知、東京と続く。
ttp://www.hrr.mlit.go.jp/library/hokuriku2003/s1/1-06/01jinkou/03meiji/03meiji.html
0052人間七七四年
2007/05/07(月) 01:42:58ID:3dF85BcQ0053人間七七四年
2007/05/07(月) 02:23:04ID:SB6sqpmO石高帳の越後一国の石高は正保二年(1645)年には61万1960石だが、
天保一年(1830年)には114万2555石と倍増しているよ。
0054人間七七四年
2007/05/07(月) 02:47:33ID:O7Xrs0vi維持できたのは、むしろ全体として豊かだった証ではなかろうか。
0055人間七七四年
2007/05/07(月) 03:12:53ID:xeM7WHxL0057人間七七四年
2007/05/07(月) 14:03:08ID:nlxCchv2直江津の収益や塩税を使用した理財の才能
0058人間七七四年
2007/05/07(月) 14:48:22ID:otDpJXab青そとか特産品の生産を奨励したとか。
これは内政でしょう。
0059人間七七四年
2007/05/07(月) 21:41:13ID:BLWPv8HWいや、江戸末期に来た西欧人の記述には、日本の農民は背は低いが筋肉が異様に
発達してると記述してる。確かに江戸時代の写真見るとみんな体脂肪率10%未満の
奴ばかりだな農民は。
>40
魚肥や油粕など、肥料が優秀だしたからねえ。
0060人間七七四年
2007/05/07(月) 21:55:51ID:8AcN6gW7食用と薬用はきっちり区別しような。
ちなみに仁丹を音読みにすると、、、
0061人間七七四年
2007/05/07(月) 22:05:54ID:mWzZlHG5年貢の石高のデータと宗門改帳以外に、生活に関するまともなデータがない。
0062人間七七四年
2007/05/07(月) 23:17:30ID:SB6sqpmO傷を負っても我々より早く治癒する、とも。
それに比べるとヨーロッパ人は貧弱であると。
0063人間七七四年
2007/05/07(月) 23:22:57ID:yHSEgmPm0065人間七七四年
2007/05/08(火) 00:10:10ID:3r7W7JBFマジレスすると、ブリテン島よか遙かに日本の方が
緯度低いから日照量も多い。
可住地面積といったって平地が多くても、下水道・灌漑の
すすんだ現代とは違って、昔は結局条件のよいところにしか
住まない。条件がよいというのは水が豊富にあるところ。
むしろ日本は山が平地のそばにあるおかげで、豊富で
ミネラルの豊富な水が容易に手に入る。
日本でも農業の盛んなところはすべて、平地の近くに
大きい山系が存在する。
アジアの国はどこでもそうだが、水稲が養うことができる
人口は麦の比ではない。
まして牧畜なんてのは、乾燥して痩せた土地で農業が不可能な
地域でやるもの。
日本は割とどこでも農業ができる豊かな大地だよ。アジアは
だいたいどこでもモンスーンが吹くがこれが大量の水を
大地にもたらすんだよね。
0066人間七七四年
2007/05/08(火) 00:12:43ID:3r7W7JBF0067人間七七四年
2007/05/08(火) 00:22:36ID:zzqvJXtm三圃制や囲い込みという言葉も知らないのか、さすがゆとり。
「欧米人は狩猟民族」とか言ってるバカの現代版か?
0068人間七七四年
2007/05/08(火) 00:24:24ID:Cgh7rFx6中途半端な準平野部が稲作に適しているのは灌漑がし易いから。
大規模土木技術とそれを実行できる広域行政がないと純平野部では灌漑(特に排水)が出来ない。
0070人間七七四年
2007/05/08(火) 11:52:18ID:bc39tUBs0071人間七七四年
2007/05/08(火) 22:11:23ID:kOEwlS/Kいや、農村巡察記みたいなのが結構ある。
近畿の農民が豊かなのは、勤勉・節約を基礎とし、時間管理が上手く、経営的精神で
農業を営んでいるからだとし、他の農村も見習うべきだとか書いた本があったな。
江戸の農書は大抵この類の事書いてる。勤勉・節約・時間や生活管理・農業の創意工夫が
大事というのがお決まりのパターン。
井原西鶴の日本永代蔵には、当時の理想の農民像が描かれた話がある。
初めは極貧農だったが、勤勉・節約に励み、貯蓄を増やし、色んな農書を読んで勉強し、
農業技術や新しい農具を発明し、最後には豪農豪商になるとかいう話。
当時は実際にこういう農民が結構いただろうし、逆のパターンもあっただろう。
とにかく江戸の農民を一言で表すと「個人商店の店長」みたいだな。努力や創意工夫で
大会社になったり借金を背負って倒産(小作化)したり。農書もまるで「経営の極意」
を書いているみたいだ。
0072人間七七四年
2007/05/09(水) 09:17:56ID:z1OW7BCz0073人間七七四年
2007/05/09(水) 20:49:05ID:/EgUsnZF大河のほとりって、沼地だったり氾濫が多発したりするから、
大規模な治水が出来ないと問題ありまくり。
だから室町後期まで、朝倉の本拠地の一乗谷みたいな小盆地から有力武士団が出てくる。
って>>68が既に言っているか
0074人間七七四年
2007/05/10(木) 08:58:25ID:QIvosLAX0075人間七七四年
2007/05/10(木) 18:34:46ID:yz9YiUwg照葉樹林があるところは氾濫すると土地が肥える。
それ以外のところは氾濫する度に岩ゴツゴツの土地になっていく。
前者の典型例が日本で、後者の典型例が朝鮮。
0076人間七七四年
2007/05/10(木) 18:50:24ID:EbuIDvPV白神山地は照葉樹林でないぜ
あそこは岩ゴツゴツの土地か?
0077人間七七四年
2007/05/10(木) 18:57:01ID:tCRHD7Kl0078人間七七四年
2007/05/10(木) 19:05:41ID:EbuIDvPV0079人間七七四年
2007/05/10(木) 19:25:15ID:jdQ69FEXチョンであるID:tCRHD7Klは全く見当違いな事を言ってファビョってる。
0080人間七七四年
2007/05/10(木) 20:01:47ID:T/kXP0mE落ち葉が腐って出来た肥沃な土を川が運んでくれるということだろ?
別に全てが落葉樹である必要は無いし、木である必要すらない。
エジプトの場合カバの糞がその役割りを果たしていた。
韓国を例に出すのが適切か知らんが、
韓国の上流部にはそういったものが無いということでは?
0081人間七七四年
2007/05/10(木) 20:06:52ID:baROw6kPw
ちょ、おまwww
日本の植生は基本、照葉樹と針葉樹の複合林だぞw
つまり、雑木林。
>>75は針葉樹しか基本生えないところの例で朝鮮を挙げてんだろw
どこだって、照葉樹林が発達すると日照不足や気温低下に陥るから、針葉樹との複合林に移行していくわwww
屋久島だって、中腹までは杉中心の複合林に自然と植生が移行してんだぞwww
しかも、白神山地なんかは寒冷地の高地じゃないか。
温度が低い地域は、照葉樹林は適応しにくいから、白神山地みたいな高地は針葉樹中心になる。
かつ、針葉樹は常緑タイプが多いので、定期的な落葉が少なく、針葉樹中心になると徐々にだが土地が疲弊する。
ちなみに、資材の為に日本の自然林である雑木林を伐採して針葉樹を植樹した山が急増したせいで、地滑りなんかが起こるようになった。
針葉樹は根が浅く、横に広がるため。
地滑りは周囲の土を一緒に振り落としてしまうので栄養分が無くなってしまう。
って、事だろwww
ちなみに、朝鮮は一度かなりの燃料不足に陥って伐採しまくってはげ山にしてるから、そんな植生関係なく土地が疲弊してる。
0082人間七七四年
2007/05/10(木) 21:07:14ID:1RpOmKp4白神に限らない。
東北は一部の沿岸を除き、落葉広葉樹林帯だよ。照葉樹林はほとんどない。
照葉樹林は西日本〜関東までの低地ね。
山地〜北海道南部は落葉広葉樹林で、分布の広さでは照葉樹林よりやや優勢。
道東〜道北は亜寒帯針葉樹林。
それと、朝鮮半島は南部が照葉樹林、あとは大半が落葉広葉樹林。
針葉樹林帯は高地に点在。
0083人間七七四年
2007/05/10(木) 21:15:34ID:1RpOmKp4それと白神山地は広大な原生ブナ林であり、典型的な落葉広葉樹林帯。
0084人間七七四年
2007/05/10(木) 21:15:47ID:baROw6kPん。間違ってたな。
なんかイメージとどっかで聞いた知識がごっちゃになてたようだ。
訂正ありがとうm(__)m
勉強になった。
0085人間七七四年
2007/05/10(木) 22:52:21ID:w8fhppUo間違える事もあるさ
つうか>68と>72
の話が面白そうなんだが。
実際鎌倉の東国武士は辺鄙な所から出ている
てっきり馬産地と関係すると思っていたが、辺鄙な場所の方が農耕に向いていたというほうが適切に思える
0086人間七七四年
2007/05/11(金) 00:25:10ID:Pp3bkuf5>照葉樹林があるところは氾濫すると土地が肥える。
>それ以外のところは氾濫する度に岩ゴツゴツの土地になっていく。
>
>前者の典型例が日本で、後者の典型例が朝鮮。
言えてるねー
0088人間七七四年
2007/05/11(金) 10:54:58ID:NJ7Q9WlS上代からそうだよ
地方の古墳は交易発達後の感覚だと「何でこんな田舎に?」みたいな
盆地や扇状地形にあって平野部ど真ん中にはない。
一番適した所は早々に荘園になってるだろうから、新田開発→一所懸命な東国武士で
当時でも辺鄙といえば辺鄙なんだろうけど。
0089人間七七四年
2007/05/11(金) 11:11:07ID:NJ7Q9WlS雨多すぎ(泥濘化)、流域短か過ぎ(砂地を作るだけ)でナイルや長江の理屈は成り立ちにくい。
新潟平野なんかそれこそ角栄の頃まで深田に悪戦苦闘、砂地はそこかしこに地名が残ってる。
0090人間七七四年
2007/05/11(金) 11:54:01ID:CWSXlWD30091人間七七四年
2007/05/11(金) 12:35:58ID:VjbwSKrJ氾濫原も、排水さえうまくいけば、農業にもっとも
適した土地になるわkで、人間がどう関わるかで
適にも不適にもなるということだね。
0092人間七七四年
2007/05/11(金) 13:27:10ID:NJ7Q9WlS大規模行政可能になった肥後なんか爆発的に耕地面積増やしてるしな
0093人間七七四年
2007/05/11(金) 18:56:41ID:0vqd63tC貧しいからこそ日本人は勤勉な民族になったのだと
0094人間七七四年
2007/05/11(金) 20:36:32ID:dObyCBLL豊かな土地であったから人が増えた。採取可能な食物以上に人が増える。
栽培、育成によって食物を確保する。それ以上に人が増えれば倹約備蓄を覚え貧しさに耐える。
生産力が上がれば人が増える。つまり常に倹約を強いられる。
大陸では他集落、他部族に対する襲撃略奪が恒常化する。少数支配者が富を独占し豊かさを誇示する。
島国日本では収奪の程度が著しく低かったから全体が貧しく見えた。
0095人間七七四年
2007/05/11(金) 21:30:20ID:3nCNKLJO単に枯山水のような日本の文化が理解出来なかっただけという落ちじゃあない?
0096人間七七四年
2007/05/11(金) 22:12:47ID:BfhPDpeW自然に食べ物が出来るということは、自然に畑向けの肥料もできる。
日本が何千年も狩猟・採集生活ができたってのはこういうこと。
一方、朝鮮や中国東北部の針葉樹林では山を放っておいても食べ物なんかできない。
中国や朝鮮では農業が発達しなければならない事情があった。
それでも賄いきれなかったので、日本に渡来してきた。
そのため、日本は人口が増えて狩猟・採集じゃ賄いきれなくなって、農業に移行せざるをえなくなった。
森林が破壊されても、照葉樹林ならば放っておけば自然に再生されるが、針葉樹林だとずっとハゲ山のままになる。
結果、日本人にとって山は生きる場所であり救いの場所であるが、朝鮮では山は基本的に死ぬ場所になっている。
0097人間七七四年
2007/05/11(金) 22:18:11ID:6rKk7Rti0098人間七七四年
2007/05/11(金) 22:32:17ID:p5J/GhNZ0099人間七七四年
2007/05/11(金) 22:34:32ID:BfhPDpeWほぼ同じ緯度と経度と気候帯で、両方とも長い海岸があって、両方とも中華文化という攻撃を受け続けてきた。
だから、朝鮮と日本を比較すると日本の独自性が良く分かる。
比較のの結果、朝鮮と日本とで決定的に違うのが山の自然食と海の魚。
朝鮮は山菜料理ができたのは中世に香辛料が入手できるようになってからだし、中華文化の影響でほんの10年前まで海の魚を食べる人を差別していた。
0101人間七七四年
2007/05/11(金) 22:52:49ID:p5J/GhNZ言葉は厳密に使えよ
間違いだらけじゃねーか
0103人間七七四年
2007/05/11(金) 23:42:29ID:CWSXlWD3何か問題あるのか?
照葉樹林で十分に人を養えないし
実際、縄文人の人口分布は落葉樹林が存在する東日本のほうが多いぞ
0104人間七七四年
2007/05/12(土) 00:41:27ID:YI0TWETiその通りだな。
縄文時代を通じて、関西や四国にはほとんど人が住んでいなかった。
縄文中期の東日本の人口は25万1800人。西日本は9500人しかいない。
100平方キロあたりの人口密度は関東298人、中部240人、近畿9人、四国1人。
照葉樹林帯がもっとも広かった縄文前期でさえ、西日本は人が増えていない。
照葉樹林のシイやカシの実は、落葉広葉樹林のクルミやクリと比べて実りが乏しい。
その上、西日本では鮭の遡上も少ない。
狩猟採集文明では、照葉樹林帯は非常に過酷な環境だったようだ。
稲作が本格的に伝わる弥生時代以降になると、西の人口密度が急増する。
0105人間七七四年
2007/05/12(土) 00:52:49ID:YI0TWETi植生は「南部が照葉樹林、あとは北朝鮮に至るまで東日本と同じ落葉広葉樹林」なんだが。
亜寒帯針葉樹林は少ないよ。
ただ、降水量が日本より少ない。
禿山は植樹せず乱伐したから。
0106人間七七四年
2007/05/12(土) 12:01:12ID:D5VpDHrP縄文時代前期の日本は照葉樹林(常緑照葉樹と落葉照葉樹)。
縄文中期以降の破壊・気候変動により、関東は照葉樹林の森林の中に広葉樹の群生があるという構成になった。
広葉樹林帯は中部内陸から三陸海岸の下端のラインよりも北の地域。
>>105
破壊したときに再生するかどうかが違う。
照葉樹林は破壊して「植樹しないで」放置しておいても照葉樹林として再生するか、広葉樹林に変質して再生する。
しかし、その森林の中にナラ科の割合が多いとどちらの方向にも再生しない。
朝鮮は広葉樹ナラ科の割合が多いので、畑にしたり、戦争で伐採してしまったらもう再生しないでハゲ山のままになる。
これは、ヨーロッパの西半分も同じ。
0107人間七七四年
2007/05/12(土) 17:56:51ID:4NZxI2U7ここに縄文時代の植生の変遷があります
miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n01-5.htm
縄文時代前期の日本はすべてが照葉樹林と書いてある本は何ですか?
0108人間七七四年
2007/05/12(土) 18:05:07ID:5GRcmoMw\
お そ .い ヽ
か の や |
し り ` ,. -──- 、
い .く / /⌒ i'⌒iヽ、
つ / ,.-'ゝ__,.・・_ノ-、ヽ
は i ‐'''ナ''ー-- ● =''''''リ >照葉樹林は破壊して「植樹しないで」放置しておいても
l -‐i''''~ニ-‐,....!....、ー`ナ >照葉樹林として再生するか、広葉樹林に変質して再生する。
 ̄ \ヽー' !. t´ r''"´、_,::、::::} ノ` > しかし、その森林の中にナラ科の割合が多いと
ヾ、 ゝゝ、,,ニ=====ニ/r'⌒; >どちらの方向にも再生しない。
i`''''y--- (,iテ‐,'i~´,ゝ'´
.| !、,............, i }'´ では、ナラ科の割合が多い照葉樹林は
●、_!,ヽ-r⌒i-、ノ-''‐、 照葉樹林とは呼ばないのではないか?
( `ーイ ゙i 丿
`ー--' --'` ̄
0109人間七七四年
2007/05/12(土) 19:55:18ID:PD3Hp95z0110人間七七四年
2007/05/12(土) 20:53:45ID:x30xr3Ia生命活動に支障無く、本人達が不幸を感じてなければいいじゃない
ジャングルの奥地で狩猟生活してても、大草原で放牧やってても
0111人間七七四年
2007/05/12(土) 21:13:26ID:1z0z0PD50112人間七七四年
2007/05/12(土) 21:27:09ID:YI0TWETiおかげで山は地すべりが多発するわ保水力が低下するわで、
河川も流域の生物ストック量が減り貧栄養化がはなはだしい。
0113人間七七四年
2007/05/12(土) 21:32:46ID:4mYPoCMp■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています