織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part4
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0001人間七七四年
2007/02/17(土) 23:19:17ID:0NmDFDkjここでは「彼が存在していなかった場合、誰が天下を我が物にしたか?」を議論するスレです。
前スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part3
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169606468/
過去スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていたと思う?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154509666/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160592334/
※現在、スレとしてのルールがまだ固まってません。
史実をなぞるのか、IFで固めるのか?
出来ればこのスレが終了するまでに決めたいです。
0082人間七七四年
2007/02/19(月) 16:07:13ID:ImHDynPN政宗の勃興は本能寺以後の話だから、当面は関係なくない?
0083人間七七四年
2007/02/19(月) 16:12:26ID:D5FaxwBy武田信玄より二つ年上なだけじゃなかった?
0084人間七七四年
2007/02/19(月) 16:21:22ID:LFQpH4TU0085人間七七四年
2007/02/19(月) 16:40:45ID:nyPL9dVfそれなら九州チャンピオンの島津か中国チャンピオンの毛利の方が上
0086人間七七四年
2007/02/19(月) 17:05:04ID:lnUFBehX鉄砲の原料硝煙も入手困難。
人物としては信長に次ぐポテンシャルを秘めているわけだが、早く生まれていればなあ、もったいない。
0087人間七七四年
2007/02/19(月) 17:20:59ID:LFQpH4TU008868
2007/02/19(月) 17:49:56ID:K+iJnSlF義元だけで考えればそうなるが
今川家には松平元康がいる
松平家は当時の今川家の豪族の寄せ集め的な家臣団において
最大規模の地盤を持っており
婚姻などから義元もかなり優遇していたと言える
桶狭間がないという前提で考えると
元康が独立する理由はないから
史実の天下人である元康が重用されていれば
義元の天下取りは容易だと思う
三国同盟は婚姻関係だから
成立当時の当主の存命中は破棄は考えにくく
武田・北条とも破棄してまで今川を阻止するとは思えない
むしろ、今川が天下に近づけば親族として重要な位置を
占めていくようになると思う
0089人間七七四年
2007/02/19(月) 18:10:47ID:lnUFBehX>史実の天下人である元康が重用されていれば
>義元の天下取りは容易だと思う
気持ちは解るが元康は一言で言うと奴隷だったんだよ。
あいつだけじゃなく三河人自体が不当に駿河人に差別軽蔑され、勝手な重税を課されていた奴隷なんだ。
戦争も最前線は三河衆が送り込まれるのはその為。つまり今川は松平など使い捨て程度にしか考えていない、
それが義元のやり方なんだよ。まああいつだけじゃないが
0090人間七七四年
2007/02/19(月) 19:09:33ID:cQ6w5vDY0091人間七七四年
2007/02/19(月) 19:21:41ID:i6ljjAJWあるんじゃないだろうか。
009268
2007/02/19(月) 19:35:55ID:K+iJnSlF西三河が重税を課せられていたのは事実だけど
最前線ていうのはむしろ重要な役
尾張侵攻において大高城がどれだけ重要な位置にあるか考えて欲しい
それだけ信用して認めていたともとれる
今川が西三河を支配するのは1549年
10年かけて元康を育てた上
姪を嫁がせて支配を磐石にしたのに
松平を使い捨てに考えてたと思う?
家康も駿河で育って、晩年駿府で隠居してたり
氏真の世話してやったりしてるから
別に今川を恨んだりはしてなかったと思う
この事からも西三河の民衆はともかく
松平家は優遇されていたと考えていいと思う
0094人間七七四年
2007/02/19(月) 21:29:44ID:UnvTpE8N自分の隠居地に駿府を選んだってのは
心理学的にどうのこうのと本で読んだ記憶がある。
今川が尾張をとるのは確実だが(桶狭間自体も奇跡だし)
美濃まで侵攻できたかは疑問だな。信長も墨俣と内部分裂するまで無理だったし。
まして今川なら信長みたいに本拠を変えるのも無理だっただろうから。
009568
2007/02/19(月) 22:02:13ID:K+iJnSlF美濃攻め、は今川が尾張吸収すると
たぶん120万石くらい
美濃はだいたい50万石で
斎藤は朝倉・浅井とは争ってて、六角と組んでる
北畠はどう絡むかちょっと想像つかん
美濃へ入るのは木曽川の尾張は避けて
三河から東濃へ入り
木曾から武田の援軍を受けて西進すれば
案外すんなり行けると思うんだけど
妄想しすぎかな?
まぁ美濃攻めのタイミングで本願寺が
蜂起したら時間掛かりそうだね
0096人間七七四年
2007/02/19(月) 23:14:07ID:XYGrpN+B0097人間七七四年
2007/02/19(月) 23:49:08ID:X5/ehyhZ0100人間七七四年
2007/02/20(火) 00:23:13ID:CUTuAFKl0101人間七七四年
2007/02/20(火) 00:23:21ID:flTdjE4g0102人間七七四年
2007/02/20(火) 00:24:49ID:CoHYndnSそれは解釈にもよらないか?
確かに「今川の嫁もらう=一門衆」ならそうなんだろうが、
桶狭間当時は竹千代(信康の方ね)が人質にいるわけですよ。
一門なら人質取るか?
それに1560年、義元は三河守に任ぜられてる。
つまり、松平はあくまで三河守となった今川の家臣であり、
松平は義元がいる限り、独自に支配を任されない・・・。
と、妄想だけでもこう考えるのですが、駄目ですか?
0103人間七七四年
2007/02/20(火) 00:49:12ID:5D5RzXHIとるだろう。
一門になったとはいえ、もとをただせば敵対勢力の長。
人質とらないほうがどうかしてる。
逆に人質取られてたらすべからく奴隷なのか?
それだと戦国武将の大概が奴隷ってことになるぞ。
江戸に妻やらおいてた藩主も奴隷になるぞ。
0105人間七七四年
2007/02/20(火) 01:07:24ID:CoHYndnSとりあえず姓でも貰わん限りは一門といっても人質同然、って事は変わらないわけですね。
じゃあ、今川の火種として残る、不満が相当募ってる元康をどうやって懐柔(心服)させるか、
それも懸念事項として考えなきゃならないか。
0107人間七七四年
2007/02/20(火) 01:52:24ID:8eSP3oqC1)織田信勝(信行)が嫡男なら尾張が安定し濃姫と結婚して、義竜と対立
2)信長が無能で跡目争いが起きて信勝側に義竜が付いて勝利、斎藤と同盟
3)跡目争いが決着がつかず尾張が混乱した状況で、斎藤が尾張を狙ってる
1、3なら斎藤と結んで尾張攻略はわりと簡単にいきそう
2なら苦戦して、武田・朝倉・浅井との濃尾包囲網で時間がかかりそう
0109人間七七四年
2007/02/20(火) 06:01:44ID:IQeoiNPR清洲攻略をやりとげてるしな。
信行(勝)押しのけて
大和守家の惣領うばってたりしてな。
0110人間七七四年
2007/02/20(火) 10:01:13ID:nt3RhmoTになるぞ
0111人間七七四年
2007/02/20(火) 10:17:49ID:AB5JP6Sl戦が鉄砲によって画期的に変わったことが理由だと歴史学者が言っていたぞ。
ということは、別に信長でなくても、いずれ誰かが全国統一を果たしていたのは時代の流れだっただろう。
信長がちょっと早いだけの一番乗りだっただけの事。
もしも信長がいなかったら、他の大名が全国統一していたのは、「地球以外のどこかの星に生命があるだろう」
というくらい確実な推論だろう。
「生命は地球上にしか存在しない」と言い切ることが出きる人も
「天下統一できたのは信長しかいなかった」と言い切る事が出きる人も、どちらも熱狂的宗教人だけだろう。
0112人間七七四年
2007/02/20(火) 10:35:43ID:qo+obYZz「宇宙人がいる」っと叫ぶ人がいたらその論拠をしっかり提示しないと誰も信じない。
0113人間七七四年
2007/02/20(火) 10:46:29ID:fb9sr2Qfだいたい鉄砲の話なら、謙信は上洛時に将軍家から火薬の製法を教えられ(当然、足利将軍家には鉄砲が当の昔に献上されていた)信玄だって信濃攻略戦中に三百もの鉄砲を使っている(勝山記)
鉄砲を過大評価する(あるいは信長以前の普及の事実を認めない)人ってそれこそ天動説信じてるタイプじゃね?w
0114人間七七四年
2007/02/20(火) 11:25:18ID:CoHYndnSあとは今川侵攻の後どういう行動をとるか(今川が尾張を制圧したと仮定して)
1:今川に降伏、今川家臣に
2:尾張を放棄、濃姫のつてを頼って美濃斎藤へ逃亡
3:戦の責任をとって切腹
4:浪人
5:放浪の後死亡
0115人間七七四年
2007/02/20(火) 12:39:51ID:R5Wn9IOB元就が遺言を残した時には、織田信長という魔王が中央を抑えて、天下布武をはじめつつあった。
斎藤道三や朝倉宗滴が、信長の凄さを予見したように、元就も、信長と戦うことを恐れたんじゃない?
信長がいないという状況では、天下を狙うなとは、遺言しない可能性が大きい。
0116人間七七四年
2007/02/20(火) 12:51:09ID:qo+obYZz鉄砲っていう最新技術に対する理解度は確かに重要だが鉄砲は「戦術」に使う道具だ。
個々の戦闘には勝利してもビジョン=戦略が描けていないと天下は取れない。
そこが「戦術」と「戦略」の違いだ。
例えて言えば、日中戦争を思い出して欲しい。戦略無き日本軍と戦略を持った中国軍。
個々の戦闘では航空機から戦車まで最新技術を保有する日本軍が圧勝したが、蒋介石の戦略に
乗せられただ単に領土拡大と親日政権を場当たり的に立てるだけだった日本は、戦線を維持できなくなくなり
最終的には総崩れで敗走。そして現在も戦略無き日本の状態は続いている。
だから今、信長の考え方が求められてるし、必要なんだよ。
0117人間七七四年
2007/02/20(火) 13:03:09ID:AB5JP6Slわかってないね?
鉄砲が種子島に伝来したのが1543年
↓
鉄砲の国産化、量産化までの期間
↓
武田信玄が信濃攻略したのが1553年
織田信長が美濃攻略したのが1567年
武田信玄の信濃平定と織田信長の美濃平定は
十数年の差。
先に鉄砲を使ったと言っても、これくらいの差しかない。
織田信長の京への距離や鉄砲入手の容易さを考えると信長が特別に優秀だから天下を取ったというよりは
鉄砲が戦術を変え、その時流に一番運良く乗れたのが織田信長という武将だっただけだという方が納得しやすい。
0118人間七七四年
2007/02/20(火) 13:04:01ID:Xd7yAbIO武家による政権は信長独自のものではない。
0119人間七七四年
2007/02/20(火) 13:07:57ID:CoHYndnS成し遂げてはいないが、本能寺が無ければほぼ確実に信長が天下を取っていたであろう。
そう言う考えでのこのスレは進行してます。
これについて否定的な意見の方はこのスレには相応しくないと思われます。
お引取り下さい。
0120人間七七四年
2007/02/20(火) 13:08:14ID:OLAl20kiじゃあなんでもっと京に近くて鉄砲も早く入手できた三好氏らは天下統一できなかったどころか方向性すら定められなかったの?
優秀じゃなくてもどうにかできたんでしょ?w
0121人間七七四年
2007/02/20(火) 13:09:56ID:JRKwjq9s製法知ったからってどうなるもんじゃなかろうw鉄砲の整備において最もネックとなるのは
硝石だろう。国内では生産されないから輸入に頼るしかない。ルートを持たなければ話にならない。
戦国においてもコストとその費用対効果は重要な課題。
万を越す軍勢同士の合戦が主流になったこの時代において、その火力を持って戦局を左右する威力を
期待するならば、少なくとも千単位の数が必要(ランチェスター第2法則参照)。
鉄砲というハード自体は整備可能かも知れんが、硝石入手が困難な地域ではそれを稼動させるだけの
火薬の調達がコスト高すぎると思われる。300もの鉄砲を使っているのではなく、それしか使えなかった。
信玄も謙信もアフォではないから、千の鉄砲を稼動させれば有利なくらいは百も承知だろう。
だが、コストと効果が見合わないからしなかっただけと思う。
先に津島の重要性について疑義があったが、畿内と頻繁に往来のある港が領内にあることの意義は
硝石入手のルートとして非常に大きいと思う。
鉄砲1丁は過大評価できんが、千単位で稼動させることができる大名が戦国を制す、という図式には
かなりの信憑性があると思うが、いかが。
0122人間七七四年
2007/02/20(火) 13:11:28ID:AB5JP6Sl優秀かどうかよりも運・不運。
三好家は松永久秀という寄生虫に蝕まれていた。
0123人間七七四年
2007/02/20(火) 13:13:13ID:OLAl20ki言う事が変ってるぞ
さすが、鉄砲の国産化推進者自体がまず信長だったことも知らない(徳川幕府にも継承される国友鍛冶を組織したのは信長)無知は違いますね
信長は鉄砲の流れに乗ったんじゃなく、自分でそれを作り出したんだよ
0124人間七七四年
2007/02/20(火) 13:15:19ID:AB5JP6Sl国産化推進者と国産化を始めたのは違いますが、何か?w
0126人間七七四年
2007/02/20(火) 13:21:32ID:AB5JP6Sl何を言いたいのか意味不明すぎるw
鉄砲が戦術を変えて、その戦術をうまく取り入れられた者が天下を取れた。
その大事な時期にお家騒動でそれどころではなかった三好家を引き合いに出されても鉄砲の重要性を否定できんと思うわけだがw
0127人間七七四年
2007/02/20(火) 13:21:39ID:3Gk/xl5E潤沢に無くてはダメ。車だけあったってガソリン無きゃ話にならんだろw
んで車は国内で作れてもガソリンは作れないの。
織田家だって、鉄砲の数は揃えても大量集中稼動は長篠の戦以降だろ。堺の直轄化
から、火薬の安定供給までそれぐらいかかった、と俺は見てる。
0129人間七七四年
2007/02/20(火) 13:27:57ID:AB5JP6Sl変わってないよ。
良く読め。
>鉄砲が戦術を変え、その時流に一番運良く乗れたのが織田信長という武将だっただけだという方が納得しやすい。
その時流に一番運良く乗れた ←この部分に三好家は運良く乗れなかったという意味も含まれているだろが?w
0130人間七七四年
2007/02/20(火) 13:29:43ID:CoHYndnSス レ の 趣 旨 よ く 読 め
コ コ は 鉄 砲 の 数 を 議 論 す る ス レ じ ゃ な い。
0131人間七七四年
2007/02/20(火) 13:30:20ID:MWf0iv9S本能寺がなければほぼ確実に信長が天下を取っていただろうってw
本能寺がなくても信長には天下取れないよ。
信長治世の後半は謀叛だらけじゃん。
光秀でなくても誰かが信長を倒すから天下統一は絶対無理。
0132人間七七四年
2007/02/20(火) 13:31:09ID:AB5JP6Slいや、だからもしも信長がいなかった場合に
代わりに天下統一していたであろう大名ならいくらでもいるということ。
0133人間七七四年
2007/02/20(火) 13:32:36ID:OLAl20kiアホか!w
じゃあ京都に近いとか堺がどうのとか国産化がどうとか全く無意味じゃん
結果論から逆算というのも愚か
0134人間七七四年
2007/02/20(火) 13:35:02ID:MWf0iv9S信長はやることが当時の常識からして奇矯すぎた。
あれじゃ天下は取れん。
それに対して、秀吉の治世下では、少なくとも家臣からの謀叛はない。
それとは大違い。
0135人間七七四年
2007/02/20(火) 13:36:47ID:AB5JP6Sl意味あるだろ?
京や堺に近くて、鉄砲の国産化のタイミング時に家中の内紛が収まっていて、
外征できる条件を持った大名が天下を取れたというだけのこと。
個人の能力というよりは運の方が大きいということを言いたいだけ。
0136人間七七四年
2007/02/20(火) 13:40:24ID:swTiC0zFその理屈だと、毛利のほうがモロ当てはまるじゃん
東海道沿いという攻撃候補を捨てて中央を志向したのは信長の判断。鉄砲の産地を抑えたのも信長の判断。そこから大規模な育成を行ったのも信長の行政
長篠で鉄砲を集中配備したのも信長の判断
そして肝心な点は、鉄砲の有無量で勝負が決まったとされる合戦は長篠しかないこと
鉄砲使えるから天下窺えるのなら苦労しない
0137人間七七四年
2007/02/20(火) 14:05:39ID:qo+obYZzまったく同意。
鉄砲が何丁あろうが天下を取るという戦略が無ければ、天下は取れない。
よくビジョンは無くても天下は取れるというお方もいるがそれが出来ないことは歴史が証明している。
日中戦争で圧倒的新兵器を持った戦略無き日本軍はどうなったか?
0138人間七七四年
2007/02/20(火) 14:12:48ID:17OtT9pO0139人間七七四年
2007/02/20(火) 14:22:41ID:MWf0iv9S日本軍は天下を取るという意識(八紘一宇)があってもアメリカの最新兵器と物量に負けましたがw
0140人間七七四年
2007/02/20(火) 14:27:03ID:qo+obYZz当時の新兵器だった航空機の数、戦車、重火砲、錬度などで圧倒しています。
>>139
シナ事変と太平洋戦争を一緒に考えている。
0141人間七七四年
2007/02/20(火) 14:37:27ID:oB8qwv/p0144人間七七四年
2007/02/20(火) 14:50:35ID:5D5RzXHIそりゃビジョンがあってそういう行動をとっていたというほうが世の経営者やらのウケが良いから。
ホリエモンなんか世界一の株価の企業にライブドアを成長させるといってタイーホされちゃったぞ。
織田だって結局家臣に討たれて統一してないじゃん。
例えに出すなら秀吉か家康か、海外に飛べば元王朝?ローマ帝国?あたりだろ。
0145人間七七四年
2007/02/20(火) 14:56:38ID:OwM/b1fz敵を一方にしぼって中央に向かうのなら今川だってやってるってのw
0147人間七七四年
2007/02/20(火) 15:07:48ID:IQeoiNPR0149人間七七四年
2007/02/20(火) 15:17:20ID:qo+obYZzで、いつも今川最強を言われるが「太原死んでも影響なし」
いい加減太原に匹敵するブレーンの名前を10人程度上げてくれ。
0150人間七七四年
2007/02/20(火) 15:19:29ID:MWf0iv9S家臣以外と戦うのは謀叛とは言わない。
>>140
日華事変と太平洋戦争は一続きの戦争だからいっしょに考えていい。
0151人間七七四年
2007/02/20(火) 15:21:12ID:WUnejJ0c0152人間七七四年
2007/02/20(火) 15:29:18ID:Me7WuicM父氏親の制定した仮名目録という分国方に追加して文武ともに評価されたらしいが
いずれも雪斎存命中の事。
花蔵の乱も三国同盟の立役者も雪斎で、小豆坂の合戦で信秀を破ったのも、信秀に捕らわれていた竹千代を取り戻して三河を掌握したのも、
三河安祥城を奪回したのも、雪斎の智謀。
だから当時から太原が生きていれば桶狭間はなかったと言われてる。
0153人間七七四年
2007/02/20(火) 15:32:13ID:qo+obYZz詳しくいうとね「大東亜共栄圏」の具体的動きは大東亜会議。
大東亜会議は1943年11月5日〜11月6日に東京で当時の日本の影響下にあるアジア諸国
の国政最高責任者を招請して行われた会議で、そこで大東亜共栄圏の綱領ともいうべ
き大東亜宣言が採択された。つまり1941年の開戦時にはそのビジョンはなかった。
それと軍事力・経済力とビジョンの3つを持ち合わせたものでないと天下は取れない。
日本が開戦当初からビジョンを持っていても、軍事力・経済力が米の10分の一では勝てない。
六角にビジョンがあっても天下統一できないのと一緒
0156人間七七四年
2007/02/20(火) 15:42:04ID:oB8qwv/pその考えというか理屈のネタ元みたいなものを挙げてくれれば説得力が増すというか、議論が進むと思うよ。
いくらなんでも全部自分が史料を検討して独力でその考えに至ったってわけじゃないでしょ?
0158人間七七四年
2007/02/20(火) 15:45:36ID:zYK94GY5その間今川がやったことは
奥平だか菅沼などの奥三河の騒動を鎮圧して、統制力強化
伊勢湾の掌握
服部・一向宗を取りこむ
蟹江城を落として尾張沿岸部制圧
三河鈴木氏を討つ
尾張春日井郡に侵入、品野城防衛
大高鳴海に兵糧補給
駿河遠江の権限を氏真に譲る
斯波を内通させる?
雪斎の替わりがいたかは分からないけど
それほど影響があったようにも思えないが
0159人間七七四年
2007/02/20(火) 16:02:12ID:MWf0iv9Sセッサイいないと今川はだめって言ってる奴は、セッサイ以外はみんなぼんくらって言ってるだけ。
いくらなんでもセッサイ一人で全部できるわけないだろう。
つまり、なんでも一人でできるという英雄史観なんだよなw
信長に病的に固執するのも同じ理由からきている。
一人の英雄が歴史を変えたwていう思い込みですべてが一刀両断に解決できるって考えてる、ようは厨房なんだよ。
とりあえず銀河英雄伝説的な歴史理解から抜け出せってことだな。
0160人間七七四年
2007/02/20(火) 16:03:12ID:n1sAQVqf0161人間七七四年
2007/02/20(火) 16:20:10ID:qo+obYZz(○゜ε゜○)プププー ワロタ
0162人間七七四年
2007/02/20(火) 16:42:45ID:AB5JP6Slというか信長英雄視のお前も同じ穴のムジナじゃん。
何ワロッテるの?www
馬鹿かね?
0163人間七七四年
2007/02/20(火) 17:19:18ID:qo+obYZz0164人間七七四年
2007/02/20(火) 17:19:35ID:vDZp2l0M0165人間七七四年
2007/02/20(火) 17:22:51ID:5OdDKd+M0166人間七七四年
2007/02/20(火) 17:37:56ID:MWf0iv9S大東亜共栄圏も八紘一宇も太平洋戦争前に既に国是とされてるよ。
近衛首相について調べてみると分かりやすいとおもう。
(大東亜共栄圏については東亜新秩序で調べれ)
0168人間七七四年
2007/02/20(火) 18:34:32ID:gYDX1/8M0169人間七七四年
2007/02/20(火) 18:52:23ID:Me7WuicMなら太原の代わりになるような働きをした人物の名前を教えてくれ。
お前らは架空の大人物がいるから今川は強いよって言ってるんだぜ?あたま大丈夫かよ。
0171人間七七四年
2007/02/20(火) 19:12:10ID:Me7WuicM俺もそこまで馬鹿にしちゃいないよ。
0172人間七七四年
2007/02/20(火) 19:23:51ID:xiXx5bJi>>158
外交や調略などは義元と雪斎が共同で計画したタイムテーブルに乗って進行したとして、
織田攻略の総司令官の人材に雪斎の不在は大きな痛手だったのだろうね
元康はまだ若く新参者で今川家臣を指揮するだけの存在感は無いだろうし
0173人間七七四年
2007/02/20(火) 19:39:20ID:flTdjE4g0174人間七七四年
2007/02/20(火) 19:56:47ID:zYK94GY5>鳴海城の山口父子を寝返らせて尾張侵攻の道を確保したり(後に信長の謀略で切腹させられたが)
>父氏親の制定した仮名目録という分国方に追加して文武ともに評価されたらしいが
>いずれも雪斎存命中の事。
これは雪斎がいなくても出来たようなことだし
三国同盟も今川家から見れば元々の規定路線ともいえる
お互いの利害が一致しているから、誰にでも出来たと言うことは無いだろうけど
似たような結果になった可能性は高い
小豆坂の合戦はそもそも信秀が既に衰退した後、美濃で大敗して尾張の一族に離反された状態で
兵力は今川の方が上、順当に勝ったとも言える
三河安祥城を奪回したのも三河の制圧を考えていれば誰でも同じことをするし
人質交換は誰でも考えるとは思わないけど
実際の所はどうなんだろ
0175人間七七四年
2007/02/20(火) 20:07:07ID:xiXx5bJi松井や岡部は総司令官というより一流の部隊長という感じ
泰朝は当時23才の若輩者で元康と同じ理由で難しい
父親の泰能が生きていたら雪斎の替わりになれただろうね(雪斎の副将)
0176人間七七四年
2007/02/20(火) 20:30:21ID:+/UxQ7B1雪斎の代わり〜なんて連呼しなくてもいいな。
義元自身も自分の教育係だった雪斎の思想を受け継いでいることも考えられるし。
0177人間七七四年
2007/02/20(火) 20:42:01ID:Me7WuicM>>172の言うように太原の敷いた道を進んだだけ。
仮に三国同盟が無かったら尾張に集中できていない。花蔵の乱で負けていれば家督を継いでいない。
0178人間七七四年
2007/02/20(火) 20:54:00ID:flTdjE4g0179人間七七四年
2007/02/20(火) 21:05:21ID:zYK94GY5逆にいえば当初の甲斐侵攻路線でいけば
花蔵の乱や河東騒乱が無かった可能性もあるが
それに花蔵の乱はもともと義元派が正統であり優勢だから
雪斎がいなくても勝った可能性は高いと思う
というかこの戦いで雪斎でしか果たせなかったようなことって何かある?
というか家康が師事していたからって今川家の功績を雪斎のものとばかりしている気がする
0181人間七七四年
2007/02/20(火) 21:27:43ID:uGDXpmBC織田が大勝したとしても義元が生き残れれば相当歴史も変わってるはず。
ちなみに戦国大名が戦場で討ち死にした例はほとんどない。
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