駿府臨済寺の住持であり、今川義元の教育係。
若年の頃から稀に見る秀才として有名だった。

今川家のお家騒動「花倉の乱」では義元の庶兄・玄広恵探を破り、義元に家督を相続させる事に成功。

今川氏の分国法である今川仮名目録追加21箇条の制定に協力。
武田・北条両氏との三国同盟の締結を成功させ、今川家の基盤をより磐石なものにした。
領内の宗教政策や商業政策でも功績あり。

軍事面でも多大な功績があり、
第二次小豆坂の戦いでは総大将を務め、信長の父、織田信秀に完勝。
安祥城の戦いでは織田信広を捕縛し、織田家に奪われていた徳川家康を今川家に取り戻した。
この戦いで織田家の勢力は減退し、今川家の勢力が尾張にまで及ぶようになった。

また、家康の教育係も務めたとも言われる。

まさに文武両道の人物。
彼が生存していたら、桶狭間の敗戦が無かったと言われることもあるが、それも頷けると思う。
家康も彼を見て、あれだけ大きな人物になったのだろう。