何故弩は一般化しなかったのだろうか
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2007/01/13(土) 22:40:30ID:B0PryBPg戦国期には廃れ、代わって弓が一般化したのはどうしてなのだろう。
威力が高く、使用も弓より簡単で、射程も有利な弩はかなり強力な兵器になりえるはずだけど。
0539人間七七四年
2007/09/07(金) 22:09:22ID:b89ZoYKs弓や弩では駄目だったのか?
それだけのために(だけということはないだろうけど)わざわざ投槍を携行するというのは、
はなはだ不経済のように思えるのだが・・・
0540人間七七四年
2007/09/07(金) 23:07:04ID:DxUy3oS/弓も一緒に使ってたよ。投槍は先陣を切る散兵と、主力を成す重歩兵が持っていた。
軍制改革前のローマ軍団兵だと、戦列の3列目を担当するトリアリイ槍兵以外の戦列歩兵は、
白兵戦用の短剣と盾に何本か取り付けて携行したピルムという投槍が武器だった。
これを白兵戦の前に投げ、当たると曲がって抜けなくなり、投げ返せなくなるようになっていて、
盾を貫いて人間に達するように金属部分が細長く、重い。
敵は大きなピルムが刺さった盾を保持することが困難になって捨てざるをえず、白兵戦を優位に進められるとの目論見らしい。
0543人間七七四年
2007/09/08(土) 00:17:35ID:C15y595q>投槍ってのはかなりの消耗品みたいだな
南インドや東南アジアで兵士は数本の簡易な投げ槍を携行してた。
中国の騎兵は背中に数本の投げ槍(標鎗)を背負い、
右腰やや後ろには小型クロスボウ、左腰には長剣、右手に手綱、
左手には大刀(長巻や薙刀のようなもの)や長槍を持っていた。
0544人間七七四年
2007/09/08(土) 01:15:50ID:ffAxvubFではド(携帯なので変換できない)とボウガンの違いから説明頼む
0545人間七七四年
2007/09/08(土) 01:18:43ID:ffAxvubF0546人間七七四年
2007/09/08(土) 01:21:01ID:fmqgtnKE日本ではクロスボウより一般的な語だそうだ。
0548人間七七四年
2007/09/08(土) 03:19:28ID:zOp70OaU縦に使う変態仕様のものとかなかったの?
0549人間七七四年
2007/09/08(土) 06:38:47ID:VyCH0DRN戦闘後、味方が再利用できる=戦闘中、敵も再利用できる
という図式が成り立ってしまうからな・・・。
優れた投槍は、再利用できない投槍じゃね?
0550人間七七四年
2007/09/08(土) 08:08:23ID:MYiAUegnハッティンの戦いではイスラム弓騎兵に矢を雨霰と降らされて、十字軍はあっさりと壊滅したが。
フル装備のヨハネ騎士団もテンプル騎士団も共に全滅。
0552人間七七四年
2007/09/08(土) 14:06:37ID:hr3GKGcKハッティンで射倒されたのは人より馬。
それも戦闘が進み外周の歩兵を失い孤立し、勝負がほとんどついていた段階の話だけどね。
それよりも重要な敗北の原因は、水不足と疲弊したところに待ち伏せを喰らい包囲分断されたこと。
損害の大半は包囲を突破しようとしたときに出ている。
無謀な乾燥地帯の強行軍による自滅に近い。
弓は昼夜問わず射掛け疲弊と混乱を招いたことと、騎士の乗馬を失わせ相手の突破戦力を削いだという
意味では重要なファクターとは言える。
0554人間七七四年
2007/09/09(日) 11:19:31ID:J8pfazQmもしかして日本や西洋にもいたのか?
0555人間七七四年
2007/09/10(月) 01:00:45ID:YNhTjor3かっこいいなぁ
0556人間七七四年
2007/09/10(月) 23:37:26ID:MaHy8VdG騎兵は「cavalryman」だぞ。
騎士が「knight」だ。
とすると「crossbow cavalryman」か?
何か違う気もするが。
0558人間七七四年
2007/09/10(月) 23:59:50ID:2Xt2sK1y0559人間七七四年
2007/09/11(火) 19:22:05ID:rULDuuii強弩も出土してくれ・・・
伊治城跡から出土した弩の復元品
http://www61.tok2.com/home2/adachikg/koreharu/PICT0024.jpg
中国古代の弩
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:ChineseCrossbow.JPG
http://military.china.com/zh_cn/history2/06/11027560/20050420/images/12253806_2005043016175912003900.jpg
http://elib.lib.tsinghua.edu.cn/techlibrary/image/imageware/more/military/70.jpg
0560人間七七四年
2007/09/11(火) 19:31:49ID:rULDuuiihttp://www.mahoron.fks.ed.jp/nenpou/nenpou2001_35.htm
とくらべると、
>>559の資料館の復元品は弓(翼)の部分が木じゃなくて、金属でできてる。
同じ伊治城の出土品を元にしてるのになんでパワーアップしてるんだ?w
0561人間七七四年
2007/09/11(火) 22:48:18ID:DN8O6Sym0562人間七七四年
2007/09/12(水) 00:03:32ID:aE2BxruLこの写真、何か適当なピストルクロスボウのやつを流用したようにも見えるんだが…。
まあ、弓部に何を使用したかとか、そういう細かいとこは分かってないんじゃないか?
0563人間七七四年
2007/09/12(水) 00:05:01ID:aE2BxruL>562のは
http://www61.tok2.com/home2/adachikg/koreharu/PICT0024.jpg
のやつな。
0564人間七七四年
2007/09/12(水) 20:09:19ID:Xtwi+7Pa柵に蓄えられていた律令制式の弩を安倍側が使ったとされているけど、
1062年の戦いにおいて8世紀だか9世紀に作られた、150〜300年前の兵器を使えたんだろうか?
弦や矢はもとより、木の部分は経年劣化で朽ちて使い物にならないのでは。
安倍側が部分補修して使用したと考えるのが妥当だろうが、備蓄品を元に新たに製造したという可能性はないのかな?
0565人間七七四年
2007/09/12(水) 22:14:18ID:aE2BxruL官軍の武器やら何やらが焼失したとかって記録がなかったか?
どこの何の記録だか忘れたが。
0566人間七七四年
2007/09/12(水) 23:05:17ID:w9siCeDR腰にハンドクロスボウをぶら下げたものが時々あるね
0567人間七七四年
2007/09/13(木) 16:35:32ID:wt44HsBjこれだと初速のある近距離ならともかく遠距離では弓に威力逆転されうるんじゃ?
存外そういう点も日本で流行らなかった理由にあるかも
0568人間七七四年
2007/09/13(木) 23:27:42ID:5PgRgX67つうか、弩が日本で実際に使われてた時代の弓ってどんなもんだったんだ?
丸木弓だったりしたら威力逆転もへったくれもないぞ。
0570人間七七四年
2007/09/14(金) 00:08:17ID:+NLGMKLIそうなん?
十分な存速というアドバンテージが無くなったら後は矢の重量という要素が意味を持ってくると思ったんだけど。
ちがうの?
0571人間七七四年
2007/09/14(金) 01:23:38ID:zfqS8co7あの時代の日本の弓が>569氏の通りなら、ヘタすると弓は使い物にならない。
初速を稼ぐどころか、ただ矢を射られるだけの代物の可能性もある。
それから矢より前に、物そのものの完成度とかも関係してくる。
某雑誌の弩の復元・射撃実験で、たぶん180kgくらいの張力を得られただろうなんてやったやつが
予想を大きく裏切って、矢の飛距離が全然伸びなかったなんて例もある。
もっとも、これは中国ネタのやつで、日本人が復元実験やったやつだけど。
どうでもいいけど、この分野はあまりにも情報なさすぎだ(´・ω・`)
0572人間七七四年
2007/09/14(金) 05:19:13ID:H1GBFny30574人間七七四年
2007/09/14(金) 22:23:09ID:zfqS8co7いっぺん、ヒノキででも丸木弓を自作してみな。
矢なりを発射する場所はきちんと選べよ。
0575人間七七四年
2007/09/15(土) 07:25:13ID:c057GPmc0577人間七七四年
2007/09/15(土) 10:28:12ID:0tXXKz9N0578人間七七四年
2007/09/15(土) 21:33:25ID:yvpsaxqcやっぱりそんなもんだよな。
>>576
弩の時代の弓はまさにその素人レベル。
弓の進化は10世紀以降だ。
>>577
ある程度完成したもんが日本に「入って来た」。
0579人間七七四年
2007/09/16(日) 00:12:09ID:s9tAWnrvその技術が弓に応用されなかったのは謎じゃね?
0580人間七七四年
2007/09/16(日) 01:23:14ID:j+Vpth340581人間七七四年
2007/09/16(日) 19:53:46ID:F+/EAnNX当然イングランドのロングボウも素人レベル。
ただ矢を射られるだけの代物。
いっぺん、ヒノキででもロングボウを自作してみな。
0582人間七七四年
2007/09/16(日) 20:10:43ID:KFqEpkst0583人間七七四年
2007/09/16(日) 23:07:38ID:et1JoM7v「日本書紀」とかを見る限り、高句麗が戦利品を朝貢って形で日本に持って来ただけだし、
技術者が滞在したとかって記録も特にはないから、そこから考えれば弩の製造技術が
入って来たかどうかは疑わしいところ。
もっとも弩が複数あったんだとしたら、一つくらいはバラしてどんなもんなのか見ては
いそうだけど。
>>580
時代(千年ほど)、気候、植生、技術水準が違う。
比較する要素は特にはないよ。
5世紀の日本なんて、ようやく鉄器が入って来たような時代だからね。
>>582
気にしてやるなよw
0584人間七七四年
2007/09/17(月) 01:26:12ID:Ly3T87/F0585人間七七四年
2007/09/17(月) 07:34:08ID:Ly3T87/Fローカルにレプリカは作られてたのかな?
国衙工房製の規格品の量産が本格化する8世紀よりずっと前から
国産弩は供給があったのかどうか・・・
しかし、律令日本が弩という単なる武器に専門の役職を設けてまで情熱を傾けたのが、
数百年で跡形もなく姿を消したとはなんとも不思議だな・・・
0587人間七七四年
2007/09/17(月) 07:55:12ID:Ly3T87/F歩兵部隊向きだよな弩は
武士の台頭以降、南北朝時代になるまで歩兵の地位は郎党に成り下がって影が薄くなるわけだし
0589人間七七四年
2007/09/17(月) 21:54:22ID:YLulrEAL島根のあれね。
レプリカというか、弩と同様のものは世界中に存在するからね…。
武器ではなく狩猟の道具として存在したりするし。
発射態勢の保持って考え方はそう変わらないみたいだね。
>>587
武士が台頭してくる前に弩は姿を消してるよ。
0590人間七七四年
2007/09/18(火) 04:42:55ID:3KTSH2Spイスラム世界ではどうだったんだ?
0592人間七七四年
2007/09/18(火) 08:48:38ID:nAXZPexl国衙軍制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%A1%99%E8%BB%8D%E5%88%B6
軍団制と弩の廃れる時期と、武士の原型である自衛武装集団が成立し
朝廷や国府が彼ら職能武人を反乱鎮圧の担い手にする時期は被ってないかな?
それで戦術に大きな変化があったということでは。
0593人間七七四年
2007/09/18(火) 12:41:16ID:d747ff6j0595人間七七四年
2007/09/18(火) 22:54:05ID:HNB1qGl30596人間七七四年
2007/09/18(火) 23:52:17ID:4V9Svy0fリンク先読んだよ、文読むの遅いから時間かかったけど(;´ρ`)
武士の「原型」の形成時期って事なら、確かに被ってる部分はあると思う。
ただ、律令体制の形骸化で実際に弩に関する諸々にかかわる弩師も
形骸化したみたいだし、国家体制の変化による衰亡って部分もあると思う。
そもそも「普及」と言えるほど数を作ったのかどうかも疑わしいし…。
>>595
時代が下って、「石弓」と混同されたとは言われてるね。
0597人間七七四年
2007/09/22(土) 11:46:08ID:tLEq1Dxh西洋銃伝来以前の鉄砲といえる銅手銃や焙烙火矢なんかが入ってきてた。
その中に様々な弩が入ってきていてもおかしくないはず。使い道はいくらでもあると思うんだが。
0598人間七七四年
2007/09/23(日) 21:51:41ID:eBGwSqqB日本では使えないから使わないだけで・・。
0599人間七七四年
2007/09/23(日) 22:45:43ID:4qxokfA1那須与一がクロスボウで扇射るの想像してみろよw
なんか興ざめだしすごい違和感ある。
0600人間七七四年
2007/09/24(月) 22:32:11ID:XEwOchAaそれこそ日本で使われてこなかったからだろ。
つーか、那須与一のあの後は悲惨の一言に尽きるぞ。
0604人間七七四年
2007/09/30(日) 21:50:49ID:72cdrlNs何故、靴は一般化しなかったんだろうか?
鎧兜に草鞋なんて、、ヘンだ!
0605人間七七四年
2007/09/30(日) 22:38:18ID:gALBxbSq0606人間七七四年
2007/10/01(月) 00:48:07ID:M+f7kidi見渡す限りの広大な平野、なんてものは日本には無い。
狭隘で錯綜した地形、ヤブや雑木林が自然にいくらでも生えてくる気候。
遠距離から強烈な一撃を与えられるが、一発撃つのに時間がかかる石弓は
こういう場所では、あまり有効ではないのでは。
隠れる場所がいくらでもあり避けられやすい。射程より手数が重要になるのでは。
広々〜とした大陸の平原で戦車戦とかやるなら石弓もいいだろが・・・・
狭い日本では使えないんだろね。
0607人間七七四年
2007/10/01(月) 00:54:46ID:M+f7kidi平均気温と平均湿度、降水量の違いだな。
大陸の本格的な長靴など、日本ではとてもとても履けるものではない。
0608人間七七四年
2007/10/01(月) 09:32:56ID:xrvgaDLU0609人間七七四年
2007/10/01(月) 12:15:54ID:sqRbZdUXその上、濡れに弱いし。
竹の切り株や石で、簡単に怪我をする。
0610人間七七四年
2007/10/01(月) 15:48:56ID:xLQPi4RP正直日本の気候にはあってない。
0611人間七七四年
2007/10/01(月) 19:36:23ID:1CrNHr+v蒸れるの気にしてたら、鉄の兜なんか、かぶってられないよ(笑
それに、戦争は夏ばかりとは限らない。
0612人間七七四年
2007/10/01(月) 20:16:04ID:2BZ5D8KJ0614人間七七四年
2007/10/01(月) 20:45:30ID:AUSCWEXc最初は烏帽子からはみ出た部分だけを剃ってた月代が戦国時代になると頭頂部全体にまで拡大したのも、
防御力向上の為に兜が密閉化して余計蒸れるようになったからだったね。
0615人間七七四年
2007/10/01(月) 20:56:46ID:RrqiTfYcしかし、火縄銃は瞬く間に普及するんだよね。
初期の火縄銃なんて威力も射撃するまでの時間も弩大して変わらないわけだが。
0616人間七七四年
2007/10/01(月) 22:21:14ID:AUSCWEXc武器製作のノウハウを蓄積できる職人団の形成と大量動員による需要のタイミングがドンピシャだったんだろうね。
0617人間七七四年
2007/10/02(火) 00:45:20ID:03RnLZWX何そのバリスタw
機関砲で歩兵を直接射撃しちゃいけない国際条約思い出したw
0618人間七七四年
2007/10/02(火) 02:24:56ID:9AtZ8hCw兜と篭手のついた挂甲を着用し革沓(かわぐつ)を履いていた。
市民は藁沓。源平合戦でも武士は毛沓だね。
草鞋は奈良時代に大陸から伝来し、平安中期から鎌倉初期にかけて普及し今の形になったらしい。
ローマ軍やギリシャ軍、マケドニア軍もサンダルだな。
0619人間七七四年
2007/10/02(火) 02:31:47ID:9AtZ8hCw草鞋は庶民のものと思われていたみたいで、貴族や上級武官は靴を好んでいたようだ。
0620人間七七四年
2007/10/02(火) 03:48:56ID:2XT2vbrAある時、裸足で戦っている若い侍を見て、草鞋を分けてやったという逸話が残っている。
やっぱり、草鞋は擦り切れるのだ。
それにしても、あの信長にして草鞋愛好者だったとは!
0622人間七七四年
2007/10/02(火) 20:31:20ID:w3hSgTMTその風土は弩にとっても(どころか、とってこそ)有利に働くのだが。
走破性の悪さ・障害物の多さは、チャージタイムの長さを覆い隠し、
手数よりも正確な一撃の方が価値が高くなる。
山がちで森林の多く、そしてクロスボウをよく使ったスイスなどはいい例だ。
0623人間七七四年
2007/10/03(水) 01:06:21ID:DwdPk0iPたしかに森林で長弓を使うのは入り組んだ枝葉が邪魔して場所を選ぶね。
弦を引き絞るときキリキリ音が鳴るし、いちいち周囲に障害物が無いか確認しないと。
弩はそれに比べてコンパクトで、スタンバイ状態のまま無音で待ち伏せできる。
伏兵にも向いてる?東南アジア起源だし。
0624人間七七四年
2007/10/03(水) 07:02:00ID:A8s0npmW近所にイタリアでもあるならおこぼれでおkだが
0625人間七七四年
2007/10/03(水) 16:00:24ID:iFQg+8Se0626人間七七四年
2007/10/03(水) 23:10:47ID:DwdPk0iP籠城戦か足軽で弓を使えない者くらいにしか使い道がないのでは?
弓が通用しないほど硬い、重騎兵や重歩兵がいるなら需要があっただろうけどね。
鉄砲伝来以前の鉄と革を混ぜた札鎧には弓で十分だったんだろう。
0627人間七七四年
2007/10/03(水) 23:15:50ID:DwdPk0iP日本も装甲騎兵や重歩兵が発展してた可能性がある・・・かも?
0628人間七七四年
2007/10/04(木) 00:27:29ID:M1Ls8cJj0630人間七七四年
2007/10/05(金) 00:24:05ID:K2yGQJuZ狩りの道具としては、弓や火縄銃より優れてる気がするな。
速射できないけど、弓より射程長いし、構える姿勢が自由だし。
火縄銃は匂いで動物は気づくし、発射音でその辺にいる獲物が全部逃げるし。
でも、一般化しなかった。なーぜ?
0631人間七七四年
2007/10/06(土) 16:43:12ID:PZA8Fkwk日本が戦国時代だった頃の明兵は、倭軍の甲冑より軽装甲だったぞ。
日本じゃ通用しなかった三匁玉が、朝鮮出兵だと充分通用したし。
後、日本の当世具足は、欧州だとキュイラッサーに相当する防弾仕様の重装甲。
無論、全部が全部鉄砲を防げた訳じゃないがな。
0632人間七七四年
2007/10/08(月) 12:40:42ID:bM4uV+dB>その風土は弩にとってこそ有利に働くのだが。
走破性の悪さ・障害物の多さは、チャージタイムの長さを覆い隠し、
手数よりも正確な一撃の方が価値が高くなる。
射程が長いのが弩の長所なのに、その長所が無意味になる点は無視?
多くの障害物を利用して互いに隠れながら打ち合う態勢では、姿を
現した相手をしっかり狙うって行為自体が困難だと思うが?
敵が、いそうな場所に連射しなくては話にならんと思うが?
自然の遮蔽物が多く、弩の長射程が意味を持つほどの遠距離戦が想定しにくく、
すぐに接近戦になるような環境では、連射がきかないという弩の欠点は非常に
大きいとしか思えないなあ。
0633人間七七四年
2007/10/08(月) 21:06:36ID:My4CYWQh16世紀の明の鎧は弩というより鉄砲への防御を意識したものだけど、なかなか重装甲だよ。
朝鮮の役のフロイスや日本側の記録でも、日本刀や槍が明の鎧に通用しなかったとある。
銃兵は綿袍の表面に鋲を打ち裏に札を貼ったもの、槍兵は衝撃吸収性に優れた山字甲を綴った明光鎧、
騎兵は全身を環鎖鎧で覆い、腕の部分は札で補強。
いずれの鎧も顔と手以外の全身を装甲で覆うようにできている(銃兵の戦袍は靴が非装甲の皮ブーツ)。
日本の当世具足はかなりの防御性があるだろうが、大多数が足軽具足だったことを考えると、明の方が重装甲といえる。
朝鮮軍が軽装歩兵主体なのと比べると好対照。
ただ、ラメラーアーマーや鎖鎧は防刃性能に優れる反面、防弾性能はどうだろうか。
明では1560年代に鳥銃の量産態勢に入り普及が始まっていたものの、日本の鳥銃と違い銃身が鋳青銅だったため連射に難があり
銃身が三つあるが威力の弱い三眼銃も広く用いられていた(明は火器の装備率は極めて高い)。
明の環鎖鎧は銃に対応したものだが、日本の銃に耐えられたかはわからない。
現代の防弾チョッキでは、ケプラー繊維だけでは尖った弾頭や刃物に対抗できないので
なかに衝撃吸収として鎖鎧をはさむそうだが。
0634人間七七四年
2007/10/09(火) 14:00:22ID:6SOIDltE奪われていったからな。
戦術の進歩と共に弩から弓へと移行するのは自然な流れ。
0635人間七七四年
2007/10/09(火) 23:29:26ID:OZAOFw9r弓つうか鉄砲(火薬兵器)だろ・・・
0637人間七七四年
2007/10/10(水) 14:33:32ID:5zc6Saxhいや、弩→弓→鉄砲という流れだよ
0638人間七七四年
2007/10/11(木) 00:14:45ID:Cv5y0wBPああ、そう言うことね。
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