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【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 19:58:46ID:EjRn4TJ6
明智光秀総合スレ
明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。

通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------wikipedia---------

0611人間七七四年2009/11/29(日) 20:49:11ID:k7PHmPmo
ググったら見つかったけど、フィクションイメージって書いてあったから、
まじめに考える気を無くしたよ。
0612人間七七四年2009/11/29(日) 21:41:09ID:cIl5duKh
>>607
その説では信忠の説明が出来ない。よってありえない。
0613人間七七四年2009/11/30(月) 08:57:18ID:8x5RokDC
>>608 >>609 >>611 >>612 さん  ありがとうございます。
この説は、時系列的には合っているのですか?
(例えば 斉藤利三の長男の生年月日と天海の亡くなった日付や年齢)
自分は日本史上の事件や出来事は好きなのですが日付や年号が苦手でして・・・・・。

>>609 さん URLは下記です。
http://plaza.rakuten.co.jp/honmaki/
左側のカテゴリーに 本能寺や天海の事がのっています。
(ちなみに、飯島愛さんの亡くなった原因は 豊胸手術のシリコンが
破れた事による腎臓疾患だそうです。)

宜しく御願い致します。
0614人間七七四年2009/11/30(月) 09:32:17ID:xFhEpZPV
>>613
電波すぎるわ、そこは。
日本史板にもスピリチュアルで戦国時代(とくに信長)を霊視するみたいなブログがあったが、
のぞいてみたら少し古い学説(現在ではありえないと証明されている)がゆがんだ形で使われていて、
どんだけ〜と思ったよ。
こういう人たちは自分が読書で得た知識と夢の世界で得たインスピレーション(つまり妄想)がごっちゃになってて、
自分でもソースがどこから来たのかわからなくなってるケースが多いね。
0615人間七七四年2009/11/30(月) 10:29:27ID:8x5RokDC
>>614さん ありがとうございます。
ブログ主さんが冒頭で仰っていますが、
「あくまで 私の霊視によるもの。」 ということですね。
ありがとうございました。
0616人間七七四年2009/12/05(土) 02:16:24ID:96ZYAxwi
質問なんですが司馬遼太郎の国取り物語に明智頼高という武将が出てくるのですが
これは明智光秀の父なんでしょうか? 頼高=光綱なんでしょうか?
0617人間七七四年2009/12/05(土) 09:34:28ID:vWezOkVs
もともと光秀は明智氏出身かどうかすら分らない
従って創作するのなら父親は誰でも可能
0618人間七七四年2009/12/05(土) 11:55:12ID:cWji67Z9
明智は・・・なして謀反を;;
0619人間七七四年2009/12/05(土) 13:58:03ID:rlpIzfUy
質問、意見が合わなくて蹴り飛ばしてしまい謀反されるのと、
いいように食い物にされるのとどっちがいい?
0620人間七七四年2009/12/07(月) 12:03:50ID:lKvqKGMj
>>619
前者はリアルで後者は漠然としすぎている
0621人間七七四年2009/12/07(月) 21:37:55ID:gSRA+HIS
>>255
可児才蔵は?
0622人間七七四年2009/12/08(火) 00:43:48ID:L2IctP4r
>>255
東北の大大名、木村吉清を忘れるなwww
0623人間七七四年2010/01/15(金) 16:37:49ID:c5UFLdL2
木村吉清万歳!!
0624人間七七四年2010/01/15(金) 16:52:36ID:4zACAdwN
吉清の吉は秀吉からの偏諱。
0625人間七七四年2010/01/15(金) 23:00:35ID:NeCJ83sg
光秀の丹波平定の話を聞くと興奮してしまう。
地元に波多野、和久、白波瀬、樋口、大槻の後裔とされる家(ほとんどが自称)がたくさんあるからな!
0626人間七七四年2010/01/29(金) 10:24:23ID:qTnhGDDY
>>622
お粗末吉清か
何の功績があってあんなに大身出世したんだろう?
0627人間七七四年2010/01/29(金) 19:53:43ID:m5TRymwy
>>626
丹波の城を明け渡す時の態度が良かったから秀吉に取り立てられて、
その後も活躍したから国持ち大名になれたんだっけ?
0628人間七七四年2010/02/07(日) 17:01:07ID:jnfp8DPl
>>624
じゃあ俺の吉も同じか
0629人間七七四年2010/02/12(金) 01:56:06ID:blQIre9S
>>607
ありえない。毛利の説明がつかない。清水宗治の切腹の意味がない。
0630人間七七四年2010/02/19(金) 15:53:12ID:bHoSrDgS
織田信成の靴紐が切れたときに、明智光秀の怨念みたいなものを感じたよね…
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1266557387/l50
0631人間七七四年2010/02/20(土) 05:14:45ID:ZFtSzfaP
逆に光秀が先祖をころしたんじゃないか?怨まれる覚えはないぞ!
0632人間七七四年2010/02/20(土) 11:48:24ID:6EtmGD1N

ヒモごときにごたごたぬかすな!
0633人間七七四年2010/02/20(土) 12:43:42ID:coTT7D4S
光秀の前半生は不明だが、その不明の時期の足利の文書に足軽 明智十兵衛の名前があったような
0634人間七七四年2010/02/20(土) 18:21:12ID:cObx018c
ないよ。
「足軽 明智」と苗字だけ書いてある
0635月孔雀2010/02/23(火) 06:31:03ID:OpbnAqyT
明智は、天王山を抑えて、迎撃態勢。
各地の親明智の大名が、参戦するも、動かず。

秀吉軍、突撃。親明智の大名、動かず。秀吉、勝利。

ほとんど、関が原と、同じ構造だ。
0636人間七七四年2010/02/23(火) 06:58:16ID:0qdNrR56
動かなくていい奴が動いたのもあるだろ
0637月孔雀2010/02/24(水) 06:12:02ID:650utbqV
上げておきます。
0638月孔雀2010/02/25(木) 19:10:22ID:oj/IbesT
もう1回あげ。
0639人間七七四年2010/03/05(金) 19:16:14ID:FN4/gZjO
この時明智軍にいた奴が天海で、後に関ヶ原で天王山の体験を活かしたってアリ?
0640人間七七四年2010/03/05(金) 19:28:16ID:oilZdp0u
秀満なら安土にいたぞ
0641人間七七四年2010/03/06(土) 00:55:51ID:1dfGXnWc
天海自体謎
0642人間七七四年2010/03/06(土) 22:45:30ID:a0zpEgP/
天海=信康説
0643人間七七四年2010/03/21(日) 21:52:37ID:hqxdZnU9
>山崎の戦い

モリマン登場
0644人間七七四年2010/03/23(火) 09:49:26ID:0BnbCCVC

モリアガ乱登場だろうヲタばかり飛ばすから
0645人間七七四年2010/03/24(水) 12:00:34ID:IB3SoUCA
       ._________________
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0646人間七七四年2010/03/26(金) 17:19:16ID:H+6kWPsT
有能だったのと苛められてたのは事実でしょうね。そもそも織田との対立要素が多すぎです。文系と理系、草食系と肉食系、エリートな血筋と成り上がり、欧米文化系と日本文化系、理想家と現実家、一夫一婦と一夫多妻etc…
明智がいなかったら、今頃日本文化は滅んでてもおかしくないくらいですよね?

あと、生き残り説大賛成です。信長と違って寺や人民や部下から守られたっていい人間だと思います。

彼は何処ぞの武将たちと同じく、生まれる時代を間違えてしまったのかもしれません。今の政治家に彼くらい国民を大事にして、現実を見られるひとがいたらなぁ
0647人間七七四年2010/03/27(土) 12:14:44ID:pBMHbLEX
>>646
信長を過大評価しすぎ。
革命家かなにかのように思ってるのか?
小説じゃなくちゃんとした歴史書くらい読みな。
織田との対立要素が多いのならそもそも信長にあれだけ
取りたてられて出世なんかしないだろうよ。
0648人間七七四年2010/03/27(土) 19:16:05ID:uZCvXMaM
【森蘭丸】織田信長の末裔ならホモになるべき!!

1 :毘沙門天の化身:2010/03/24(水) 12:48:06 ID:CFPJijBX0
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      ,イll{',',、'、'、〈{{l,l,l,l,l,l,l}}〉リノ,.ベ、  |::| .:|
      ,'j川'、ヽヽヽ'、',l,l,l,l,l,l,ノノノノィiリハ   |::| .:|
     ハi、'、'、ヽ'、ミ'、ヾ',i,l,l,i,ツノノリ,川,l,l,'!,  |::| .:|
    ,!ミヾ丶、丶丶ヽヽ',ii,'ノノノノ,イリj,',','i,  |::| .:|
   Xiミミ三,r‐ァ- 、ヾ'、jlli,'ノツ彡≦ソノノj!  |::| .:|
   メjミミ三〈 /   ``'' ー '"´  `ヾ゙',ニl ,ィi |::| .:|
    トミミfr'" l|           li j三シノ |::| .:|
   '、ヾミ'  tキ-、、         リ_゙i彡'′ |::| .:|
    ゝ_>!   `ヾミヽ、,,_、i ir;'_,,.ィ彡',}シ    |::| .:|
    彡ト'、 `ヾでラ≧ォi' rf=tiァラ´ }リ    |::| .:|
    Tfハ    `"" 彡| lヾ`~´  ,ツ     |::| .:|
   _ノヽ'、      , 、l :, :、`'   ,'__   |::| .:|
'"´〈(丶ヽ'、     _'ー、__;. ィ   /^l::::`丶、|::| .:|   たわけども、やらないか
:::::::::ヾヽ:::丶'、 _,.ィ='-三竺三ミヽ,_/-<:::::::::::::l ̄ ̄l
\:::::::ヾヽ::::`丶,ィt, ``゙ii''ii゙ '´`,イト、::::::`(二二三三二
:;:;::\::::::\ヽ、::::ヾミ'、__,洲l,__ji}' リ:l',:::::::f`f⌒ヽ_l_
:;:;:;:;:;:;\:0oヽ::::::::`ヾミソハヾシ' /:ノ:l::/'´ヽ:.:.:.:ヽ,-―
;:;:;:;:;:;:;:;:;\:::::ヽ==`二二´=彡'イ/::::::::::::ゝ:.:.:.リ〈:;:;:
:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:`ヽ_ノ` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄´l/==ミヾ^ヘ_jl:.:.ヾ:
:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:|o:::l::::::::::::::::::::::::::::::::::::/::::::::::::::`ヽヾ<>、:.:.:

http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1269402486/
0649人間七七四年2010/03/27(土) 21:41:40ID:EogLs3uF
>>647
始めはよかったけど途中から噛み合わなくなったあたりは少なからず対立要素があったからだと思うんですが…通ずる部分もあったとは私も思います。
あと、信長を過大評価したつもりはありませんでしたのでご理解下さい。むしろきらいです。
でも他の大名達と一風変わったことをしてましたよね?
0650人間七七四年2010/04/17(土) 20:09:54ID:L+eq+E2M
>>625

へきちやま近辺の方ですか?
0651人間七七四年2010/04/23(金) 10:54:08ID:cAIEO95L
>>646のは対立要素でもなかったりどっちにも
当てはまる(若しくは当てはまらない)事のように見える
0652人間七七四年2010/04/30(金) 14:02:49ID:RgJfCY51
>>649
両者に何らかの対立があったことは、「織田信長は、三河の国主 徳川家康と甲斐の主将たちのために盛大な饗宴をもよおすこと
にしたが、その接待役に明智光秀を任じた。この催しについて、信長と光秀は密室において語っていたが、明智光秀が信長になにか
反論し、それに逆上した信長は立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴にしたという」
フロイスの「日本史」での記述が根拠になるかもね。
但し、足蹴りの件は著者のフロイス自身が「噂で聞いた」と断り書きしているので、その分は割引して評価すべきだが。

これ以外の対立要素があるとすれば、いわゆる「四国問題」が挙げられるが、両者の対立を推測させる史料がないのが弱いな。
0653人間七七四年2010/04/30(金) 14:51:17ID:OvM3jz6w
光秀自身の手紙にも信長には積年の恨みがあったと書いてあっただろ
それほどの事がないと主君を虐げる事はせんよ
0654人間七七四年2010/04/30(金) 15:09:26ID:RgJfCY51
>>653
確かに、小早川宛の書状にそういう趣旨の文言はあるけど、その書状の書式礼が不自然極まりなく
偽文書説が通説だと思うので、根拠にならん。
また、変後の書状のうち西尾光教宛書状には「(信長)親子悪逆天下の妨げ討ち果たし候」としかなく
恨みはダイレクトに読みとれないし、細川宛・土橋宛書状には恨みを看取させる文言すらないよ。
06552010/05/01(土) 00:05:20ID:XlKuvCUN
ノブは森長可みたいなDQNをお気に入りにするくらいだからな
常識派の明智とは根本的に人間の質が違うと思う
06562010/05/01(土) 00:35:11ID:XlKuvCUN
ノブを謀反で打てたのはやっぱり人間の質が対局にある明智だけだと思う
1582当時ノブを謀反で殺そうと思った人間は明智以外にいなかったろう
06572010/05/01(土) 00:40:33ID:XlKuvCUN
ノブのハチャメチャいい加減ぶりに嫌気がさして謀反起こしたんだろう

黒幕とかナンセンスだと思うよ
0658人間七七四年2010/05/01(土) 08:01:38ID:pryJ2rMZ
>信長と光秀は密室において語っていたが、明智光秀が信長になにか
>反論し、それに逆上した信長は立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、
>明智を足蹴にしたという

これが本当だったら密室の密談なのにセキュリティ低いよなw
0659人間七七四年2010/05/01(土) 17:33:57ID:2r2L4yis
そもそもフロイス日本史が結構、アバウトな記述多いからな
宣教師なりの主観も入ってるし、噂話の類も多いし。
まあ、これは日本の公家の日記とか寺社の記録なんかも同じだけど
0660人間七七四年2010/05/23(日) 10:20:03ID:DrjsR2aW
上の方にもちょろっと名前出てくるけど憲三郎さんという人はホントの子孫?
0661人間七七四年2010/05/25(火) 17:13:38ID:NBZWuVgD

ほんとの子孫かどうかはわからんです。
しかし元ビジネスマンらしく史料をデーターとしてよく読み込んでいる。
とくにYASUKEとフロイスの記述との関連。
信長の蹴飛ばしも「余は余の死を自ら招いたな」も
生き残った近習のYASUKEの情報だという。
そこは筋が通っている。

しかし信長による光秀家康暗殺指示説は無理。
なんで暗殺予定現場に茶道具一式取揃え嬉々として乗り込んだのか?
よっぽど信長が耄碌して危険意識が欠如していたなら別だが。
0662人間七七四年2010/05/26(水) 14:44:14ID:RfsLSF2W
>>655-656
光秀が常識派というのと、
人間の質が信長と対局というのはどうして?
何か一次資料から読み解いた見解なのか?
0663人間七七四年2010/05/26(水) 22:39:50ID:LYpYIyoy
例えば比叡山焼き討ちを進言して先頭きって準備したのも光秀っていわてるよな。
足利義昭について織田家に来たけど、早々に臣従してるし。
結構気があってたんじゃないか?
0664人間七七四年2010/05/27(木) 06:47:43ID:I8M9AokR
叡山に関しては光秀が一番ノリノリだった事は間違いない
0665人間七七四年2010/05/28(金) 12:22:56ID:ysbV+LTt

光秀は神・信長の信者だった。
ゆえに本能寺は信長との心中。

0666人間七七四年2010/05/29(土) 06:42:19ID:lpMRa9Ml
光秀は信長に仕えて以来、ずっと優遇されてきた。
恨みを抱く背景など皆無。
いじめとか八上城の人質の件とか全部後世の創作。
0667人間七七四年2010/05/29(土) 22:40:12ID:sxljX8c5
確かに出世速度も早かったし優遇されちゃあいたけど
その分大事に酷使されてたよな
0668人間七七四年2010/05/30(日) 16:15:15ID:uYczhSMP
まあ叡山焼き討ちも光秀が進言して獅子奮迅の活躍をした可能性が高いのに
キチガイ司馬の筆にかかると、暴君に身を挺して戒め、それを足蹴にされると
呆然自失となり、それが本能寺への伏線につながったような書き方だからね
歴史小説家ってロクなのしかいないね
0669人間七七四年2010/05/30(日) 18:54:13ID:U5/ReNtx
そもそも今の歴史小説家は司馬を元に書いてるのが多いからな
悔しかったら自分で歴史検討して公にしてみろよバーカwwwっていうことだろう
>>668みたいなのは吼えてるだけの阿呆で世の中の屑と思うだろうな歴史小説家は
ムカつく話だなぁ
0670人間七七四年2010/06/01(火) 15:14:53ID:hOhqFjwR

歴史小説家を批判できるのは結局は歴史小説家しかいない。
司馬のアンチが藤沢周平というぐあいに実作で示すしかない。

佐藤賢一の『女信長』なんて設定は無茶苦茶破天荒だが
いままでの信長がSで光秀がMみたいな歴史常識観をひっくり返した。
歴史小説家にしかできん功績だ。
0671人間七七四年2010/06/04(金) 12:57:15ID:ThJQ0SUI
明智家軍法に

自分は石ころにように討ち捨てられていたところを信長に拾われて大出世した
その恩に報いるためにこの軍法を定めるのだ

なんて書いてるくらいだからねえ
0672人間七七四年2010/06/04(金) 14:12:33ID:g+4PSJNP
皆の者、皆の者!静まれ〜
御大将に物申す。
武田ぁ攻めでの御折檻
く川様接待不首尾のお怒り
また、近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰!
いやまた、丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち!
等!
語り尽くせぬ怨み有れども!
0673人間七七四年2010/06/04(金) 14:18:04ID:Zw1PFi/Z
「父子悪逆天下の妨げ討ち果たし候」
0674人間七七四年2010/06/05(土) 12:09:22ID:Prj5urZi
でも比叡山は焼き討ちした方が良かったんじゃないの
戒律も守らない坊主なんてニートより質が悪い
光秀が進言したにせよいいことだったと思う
0675人間七七四年2010/06/05(土) 20:53:19ID:i/3v7OaI
でも堂塔伽藍を焼き払う必要はなかったんじゃ
0676人間七七四年2010/06/06(日) 00:33:48ID:j4PRuoFx
施設を敵対勢力の軍事拠点として活用し始めたら、焼き払うという選択枝もでてくるだろう
京の喉元にあるし
0677人間七七四年2010/06/06(日) 04:40:35ID:s/m3wPmn
大悪事みたいに云われる事多いけど、実際には延暦寺って独立武装勢力だからねぇ。
確か白河上皇の時代から勝手に暴れまくって手に負えなかったみたいだし。
(現代でもヤクザと結びついてるような組織だ。焼き討ちしてもまだくたばらない。)

今でこそ堂塔伽藍は文化財だけど当時は軍事要塞としても使われてたから仕方なかろう。
だいたいあの時代に日本中でどれだけの文化財が焼失したと思ってんのよ。
信玄なんて諏訪の神様(の子孫であり代理人)を殺しちゃってるんだぜ。
ま、そういう時代だったってことでしょ。
0678人間七七四年2010/06/06(日) 09:29:46ID:1M77aNAN
それをいうなら南北朝動乱&応仁の乱で文化財が大多数消滅した
0679人間七七四年2010/06/07(月) 01:42:47ID:qxi5Why5
>>677
まあでも信玄は信虎の代から諏訪社信奉を熱心に続けてるし、
その後も諏訪明神旗を押し立てて戦うほど、
強く諏訪社を信仰したのではあるけどね。

大祝家といっても血筋的にはすでに入れ替わりがあったようだし、
守矢家、金刺家とかとの内訌も激しかった時期をひきずってる時代だし
あの頃の諏訪家って、神氏というより武力であの土地を統率する
領主という感じだったんじゃないかな。
0680人間七七四年2010/06/08(火) 19:00:25ID:7ef3ewd4

戦国大名では「天下統一」は無理だったかもしれん。
本能寺直前の織田の領土もカエルが腹一杯にパンク寸前
まで水を飲んだ状態だったんだろう。
0681人間七七四年2010/06/08(火) 20:13:38ID:X1SQi70Z
もう半年もすれば天下統一が間違いなかったのだから気を抜いてしまったんだよ
0682人間七七四年2010/06/09(水) 14:19:34ID:7UI/4H/z

武力統一のみでは何年かかるかな。
どこかで妥協して連立政権にならんと。
外交僧の安国寺の「高転び」は下手すると
どこかで討ち取られるかもという予見だな。
毛利も殺されるとわかれば必死だろう。
案外西の桶狭間があったかもしれんな。
0683人間七七四年2010/06/09(水) 14:43:58ID:0k/trCEc
いや西の武田家だよボケ
0684人間七七四年2010/06/09(水) 17:56:56ID:4xQj/Ivc
信長が桶狭間を再現するほどアホには思えんが
0685人間七七四年2010/06/09(水) 20:11:01ID:imBKfDKx
いや信長こそ誰かよりルーピーだな。
あの世で桶狭間と本能寺をぐるぐる廻ってる。
0686人間七七四年2010/06/15(火) 11:22:47ID:mIEa+YIm
明智憲三郎「本能寺の変 427年目の真実」

1581年3月武田家滅亡を受けて、
@第一次構造改革(譜代→実力派家臣へ)畿内から譜代家臣、林・佐久間を追放、滝川一益を伊勢から上野へ移封。
A第二次構造改革(実力派家臣→織田一族へ)畿内から実力か家臣を追放、織田一門で固める。
B→本能寺で家康一行を暗殺し、三河に光秀を封入する一石二鳥を狙う。
  (中国へ行くと見せかけた)光秀軍に本能寺で家康一行を討たせ、その足で徳川の領地で残党狩りをさせ、
  駿河・三河・遠江に移封。北条(相模・武蔵)討ちの準備をさせる。
Cしかし、徳川領に移封されると土岐氏が滅亡の憂き目を見ると悟った光秀が、その計画を乗っ取って逆に信長を討ってしまった。

っていう主旨なんだけど、肝心の光秀の動機である、

 徳川領(駿河・三河・遠江)に移封されると土岐氏の団結が崩壊し、滅亡してしまうと光秀が思ったのはなぜか?

の根拠が弱い。
本人は解明したと盛んに吹聴してるけど、その詰めの甘さが彼の説が受け入れられていない最大の理由だと思う。
0687人間七七四年2010/06/15(火) 15:05:49ID:RWTI273S
この本読んだ人いる?
「明智光秀―正統を護った武将」井尻 千男
ttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAZ84261/

>>686
@Aは先行研究で指摘されているし妥当な見解だと思うが、BCの土岐一揆崩壊防止って論旨
は意味不明だったね。
明智家臣団の中核を土岐一揆で固めたわけではないし、光秀の所領は近江・丹波・山城であって
美濃に所領を貰ったことも一度もないからね。
評価できるのは実証史学者でも引用することがある「細川家記」のデタラメっぷりを明解に指摘した点
だけかな〜
0688人間七七四年2010/06/16(水) 14:09:56ID:FMf6KKiC

>687 686
両作者ともビジネスマン出身なんだな。
経済学でいう「合成の誤謬」というのがある。
細部の情報分析はかなり正確なのに全体像がまるでおかしな結論になる。
たとえば光秀が細川家の足軽出身とか
彌助とイエズス会との接点とかは参考になる。
しかしあの時点で信長が家康や天皇家に武力を用いたと
主張するのはかなり無理がある。
また井尻説もどうしてむしろ光秀こそ天皇排除の
信長のブレーンではないかと考えないのか?
後の徳川による「天皇封印」のブレーンの一人が
天海であるように天海光秀説もそういうところから出てきたのかもしれんけど。
たしかに信長を合理主義者と崇める近代史観批判はそのとおりだが
逆に光秀を尊王主義者とするのもこれまた同じ近代史観ではないか。

いずれにしろ「天皇vs政治権力」は今の政治にも通ずる日本史の奥深いところだな。

0689人間七七四年2010/06/16(水) 21:19:41ID:Mspaz0eB
>687

出版社のページ見たら、

>信長は天皇制を蔑ろにし、自らが『王』となろうとしていた。
>一方で光秀は教養にあふれ、和歌を詠み、茶の湯をたしなむ
>趣味人の顔を持った武将だった。
>そして「天皇親政」を懐に抱いていた光秀は、
>神仏をも恐れぬ信長のふるまいに国体の危機を感じ、決起にいたったのである。

という内容説明が書いてあったので一気に萎えた。
すでに何人もが語ってきた話じゃないのか、それは?
0690人間七七四年2010/06/20(日) 17:58:22ID:lP3jfRbe
教養云々はともかく、歌も茶の湯もノブの得意分野だろうに
歌は敦盛、茶の湯だって茶器コレクションしてたし
まるで野生人みたいな扱いだな
0691人間七七四年2010/06/21(月) 02:29:13ID:Zfo/XzzF
>歌は敦盛

残念ながら幸若舞は当時の能楽系芸能の主流派から見たら、立ち居地は下。
0692人間七七四年2010/06/22(火) 07:15:23ID:i5eoFFpD
なるほろ
敦盛好きなんです。とか言ったら笑われちゃうわけか。
0693人間七七四年2010/06/23(水) 17:28:23ID:aqUNiyqM

飯は厚盛り。
そこな調理人。
薄づくりの汁なぞ出したら即刻首が跳ぶわ。
0694人間七七四年2010/06/23(水) 20:13:34ID:EJ7pVILE
光秀
0695人間七七四年2010/06/23(水) 22:38:44ID:/S4wckAG
明智小五郎は光秀と関係あるの?
いや、子孫とかいうんじゃなくて
例えば江戸川乱歩が光秀ファンだったとか。
0696人間七七四年2010/06/23(水) 23:39:33ID:gJBk02qz
明智光秀と桂小五郎(木戸孝允)の上下を取ったものが一番有力です
だってそれ以前には明智といえば、光秀しか連想できる人がおらんでしょ
元々少ない苗字ですし
好き勝手に苗字を名乗れた時代でも、明智ってのは裏切りの代名詞みたいな感じですから
敬遠されたようです
0697人間七七四年2010/06/24(木) 17:18:27ID:oG9JXK6w
>>689にあるような光秀が勤皇家という見方だが、
それ自体に根拠がない。
また本当に勤皇家だったとしても、重臣たちはどうなんだ。
重臣たちまで勤皇家でなければ、「信長殺し」には同意すまい。
これが忠臣蔵の浅野内匠頭なら、1人でやったのだから
浅野個人の感情で吉良を斬ったといえるだろう。
だが本能寺の変は、重臣たちまで一緒になって信長殺しに
走っているのだから、光秀1人の感情などで事件が起きるはずがない。
怨恨説にせよ、「○○のために〜」という黒幕説にせよ、
この辺をクリアできないから説得力がないんだよ。
0698月孔雀2010/06/28(月) 22:34:03ID:eOA4M0pW
信長は、光秀を取り立てたことで、天下取れそうになった。

美濃攻略にも一枚かんでいるだろう。そこから、信長の飛躍は、始まった。

本能寺の変の真相が良く解らない。
毛利は、安芸、周防、長門に、領地を減らすことで、「和睦」を
秀吉が勝ち取っていたような。
だから、石見銀山のある、大事な出雲、石見に、国替えに光秀はなった。
これは、当時の世界情勢から考えると、すごい大事な職である。

中央から離れるのが、そんなに嫌だったのか・・・
それまでの腹心では、なくなる訳だから?

まあ、信長が考えたと思われる、
日本全土、直轄地みたいなことは、無理だったんかなー。

天皇もいなくなりそうだし・・・それでも良かったんかな・・・
0699人間七七四年2010/06/28(月) 22:40:35ID:/17Rz++b
実際は痴情のもつれで間違えて蘭丸が信長を殺してしまいかけつけた光秀が謀反人扱いになった

とかいうのもあり得なくもない
おっと、信忠殺す必要ないじゃん
0700人間七七四年2010/06/29(火) 06:50:39ID:HO1kw+T6
山崎の敗戦以降に明智一族って全員死亡?
0701人間七七四年2010/06/29(火) 07:27:53ID:nzXSve9k
細川ガラシャとか竜馬のご先祖様とか加納藩に嫁いだ人がいるはず
0702人間七七四年2010/06/29(火) 22:19:07ID:tX7QbRlV
>>698
だから国替えの話は近世の俗書にしかない話。
信用できない。
まず高柳光壽著「明智光秀」(吉川弘文館人物叢書)でも読め。
0703人間七七四年2010/07/08(木) 10:08:01ID:pU+gwK/j





織田信成が織田信長の子孫って本当?【3代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1277120346/






0704人間七七四年2010/07/09(金) 08:21:27ID:M57Wu8qC
読んだ人いる?

「本能寺の変の謎」 米田一雄
ttp://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-08885-3.jsp
0705腐歴七七四年2010/07/16(金) 23:57:25ID:3magSUkr
最近よく石田三成と明智光秀を間違えている人を見かける。
そこで今日は見分け方の一部を紹介します。


ツンデレなのが三成、ツンだけでデレ期が無いのが1の光秀
関ヶ原で敗れたのが三成、関ヶ原まで隠れてたのが光秀
僧侶から武士になったのが三成、武士から僧侶になったのが光秀
綺麗な顔してやるのが三成、綺麗な顔した男と寝るのが光秀
知略の人なのが三成、被虐の人なのが光秀
主家の存続に必死なのが三成、主家が滅びてもビッチなのが光秀
地面に仕掛けた爆弾を爆発させるのが三成、傷心度が高まると爆弾を爆発させるのが光秀
胸に志を抱くのが三成、信長の胸に抱かれるのが光秀
家康の台頭に頭を痛めているのが三成、家康の大砲に腰を痛めているのが光秀
意地でシリアスに決めるのが似合う三成、自慰で尻穴をいじるのが似合う光秀
不義を許すまじと蜂起するのが三成、不義と知りつつも浮気するのが光秀
佐和山に城があるのが三成、さわやかに尻を出すのが光秀
三成は無駄に喋るのを好まないが、光秀は魔羅をしゃぶるのを好む
娘を人質に取ろうとするのが三成、娘と一緒に人質に取られるのが光秀
扇子が武器なのが三成、メンズが好きなのが光秀
己の正義を掲げるのが三成、己の性技を捧げるのが光秀
0706腐歴七七四年2010/07/16(金) 23:58:14ID:3magSUkr
左近が討たれると狼狽するのが三成、主君にぶたれるとぞくぞくするのが光秀
三成は曹丕と仲良しだが、光秀は僧衣でも中出しが好き
友であっても負けられないのが三成、友のを咥えるのをやめられないのが光秀
誰にでも素っ気ないのが三成、女にだけ素っ気ないのが光秀
信じた道のため清正に戦いを挑むのが三成、信長のため濃姫に戦いを挑まれるのが光秀
囚われても柿を食わないのが三成、囚われて縄が食い込むのが光秀
秀頼の上意で戦うのが三成、元親と騎乗位でまぐわうのが光秀
毒舌で誤解されるのが三成、舌で五回するのが光秀
死の直前まで家康の命を狙うのが三成、痔の直前まで家康のデカチンをねだるのが光秀
味方を得るため諸侯の説得に走るのが三成、味方を得るため諸侯とセックスに走るのが光秀
東軍前線を背後から突く作戦を急ぐのが三成、前立腺を背後から突かれてイくのが光秀
秀吉の子飼いなのは三成、信長の子が欲しいのは光秀
残念な最期を迎えたのが三成、ザーメンを最奥で迎えたのが光秀
武士の矜持を守ったのが三成、後ろのバージンを守らなかったのが光秀
三成の衣装は軽装だが、光秀の依存は重症
大一大万大吉が三成、随一男根大好きが光秀


無双の三成×光秀ってイケメン同士で壮絶に逆年の差なのがむしろ萌えるんだけど異端…?
0707人間七七四年2010/07/17(土) 01:37:12ID:zCQd7kJQ
狂無双アンチBASARA信者の武田道場たん滅べばいい
0708人間七七四年2010/07/18(日) 10:18:32ID:7EEakSZ9
>>705
ネタっぽいが一応反論しておく。
光秀=天海はありえない。
理由は「ギネスの壁」。
史料として信憑性の高い「当代記」には光秀67歳とある。
これでは光秀は120年以上生きたことになってしまう。
0709人間七七四年2010/07/18(日) 12:58:47ID:bks0mI3x
当代記はあてにならない
実際はどこの誰かもわからないような人物なので信長より若くても全然不思議ではない
0710人間七七四年2010/07/19(月) 12:14:24ID:W0yYztNW
55歳説も明智軍記の創作だしね。
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