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【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 19:58:46ID:EjRn4TJ6
明智光秀総合スレ
明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。

通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------wikipedia---------

0711人間七七四年2010/07/19(月) 22:16:07ID:Apjofuz5
当代記がアテにならないなんてどこの学者が言ってるのか知らんが、
もっとアテにはならないが明智軍記だって55歳、細川家の記録や
系図類でも57歳のいずれか。
信長より年下という史料は一つもないから、年上だったことは
ほぼ間違いなかろう。
以前信長は自分より年上を重用しないなんて書きこみを見たことが
あるが、柴田勝家なんかはどう見ても信長より年上だし。
0712人間七七四年2010/07/19(月) 22:55:44ID:eZYL6JxZ
事実上の歴史小説の『明智軍記』と、それを修正して書いた『綿考輯録』なんか持ち出すようでは
お前もう終わってるよ
0713人間七七四年2010/07/20(火) 00:14:45ID:F04eEAeU
思いつきだけで信長より若いと言っている奴の方がどうかしてる。
0714人間七七四年2010/07/20(火) 00:41:37ID:RE/TGWyX
歴史とは人間の行動の集積の結果作られていくことであるから、百人いれば百人それぞれの歴史が作られる。
それを何か一つに統一しようとする方が無理がある。
その無理を承知で虚構を盛り上げていくのがいわゆる勝者の歴史であり、それは改めていうまでもなく、勝者の都合の良いように出来ている。
0715人間七七四年2010/07/20(火) 01:03:16ID:puZz36hr
政治的動機が未だ不明瞭なのが引っかかる
こんな大事件なのに

むしろ日常の生活の中で起きた軋轢とか
もっと人間臭い動機があるような

例えば
中央では信長の夜伽相手の番長格だった光秀が
加齢と共にだんだん飽きられて信長と疎遠になり
若い蘭丸ばかりに目が向く信長に嫉妬

蘭丸が横に控えている信長から
「もうお前は用無し、中国でも行って来い」
「殿のお相手はこの蘭丸にお任せあれ」
くらい言われたんじゃないかな

絶望が憎しみに変わり
やがて6月2日早朝にて・・・・・
0716人間七七四年2010/07/20(火) 10:01:06ID:u9nXhvRY
>715

本能寺の時点では乱丸はもう信長公のお相手役じゃない。
坊丸や力丸に御寵愛が移っていた。
いい歳こいて乱丸がなぜ前髪だったかも謎。
光秀もいつ光慶にお呼びがかかるか気が気でなかったかもしれん。

「本能寺裏門の変」より
0717人間七七四年2010/07/20(火) 20:34:00ID:F04eEAeU
周期的に書かれる衆道説が致命的に詰まらない件に関して。
0718人間七七四年2010/07/20(火) 22:00:40ID:4YynIo7j

いずれにしろ裏門はきちんと警備せんとな。
越後の御館の乱とか高坂弾正との一件とか。
戦国の嗜みにそれなりの敬意を払うのは当然だ。
「本能寺の変」がそれらとは全く無関係と誰が言い切れるだろうか?
0719人間七七四年2010/07/20(火) 22:14:42ID:F04eEAeU
詰まらない! それだけだ!!
0720人間七七四年2010/07/21(水) 00:28:53ID:G0+cDjXG
腐女子スレきめえ
0721人間七七四年2010/07/25(日) 12:07:53ID:+1rRirXf
歴史は夜つくられる
0722人間七七四年2010/07/25(日) 14:31:53ID:2Qp3Xw+o
という妄想
0723人間七七四年2010/07/25(日) 17:44:53ID:ICn02cwS
腐女子の妄想きめえ
0724人間七七四年2010/08/20(金) 10:22:55ID:sE07/ShI
織田家臣になる前って具体的にどんな活躍したの?
0725人間七七四年2010/09/01(水) 02:33:05ID:iMP96ckm

↑それは内緒。
0726人間七七四年2010/09/03(金) 20:19:41ID:hHwgu0dr
光秀の漫画は貴重だわ
http://img.7netshopping.jp/bks/images/b7/1200088867.jpg
http://img.7netshopping.jp/bks/images/b5/07199055.JPG
0727人間七七四年2010/09/03(金) 21:39:57ID:3kxs0NIM
>>724
明智軍記に書いてない?
まあ所詮明智軍記なんだけどね
0728人間七七四年2010/09/04(土) 00:14:05ID:5IzXXR1x
信頼できる史料には、どこに仕えていたのかすら全く何も書かれていない
0729人間七七四年2010/09/04(土) 05:01:03ID:59DgmgF0
強いて挙げれば永禄六年諸役人附の後半の永禄十二年?部分に出てる「明智」というのが
光秀を指すのではないかってのくらいかな
0730人間七七四年2010/09/06(月) 22:23:36ID:TCWNm61z
>>728
でたらめいうな。
一級史料の「多聞院日記」「日本史」に細川藤孝の家臣だったとハッキリ書いてある。
0731人間七七四年2010/09/07(火) 09:27:42ID:ybjkabCN
藤孝の家臣ってのは初めて知った
0732人間七七四年2010/09/08(水) 09:39:14ID:QgD2TnaX

それも足軽であったと。
0733人間七七四年2010/09/10(金) 13:11:19ID:MfDW04hy
公家言葉を知ってる足軽も凄いもんだな。
0734人間七七四年2010/09/11(土) 20:57:56ID:FHBU9M2U

戦国じゃ公家と乞食はさほど変わらん世
0735人間七七四年2010/09/12(日) 00:02:12ID:vSHv4xHJ
あの当時は天皇でさえ困窮の極みだったらしいね
まして公家となるとなおさら
0736人間七七四年2010/09/12(日) 15:12:13ID:YnZXy6So
ポプラ社のこのシリーズで光秀が発売予定になっとる
ttp://www.poplar.co.jp/dbps_data/_material_/poplar/search/shinkan_dayori1009/978-4-591-12049-1_o.jpg
0737人間七七四年2010/09/12(日) 22:33:17ID:zxaBQ/FG
よく分からんが滅茶苦茶美化されて書かれるんだろうな
0738人間七七四年2010/09/12(日) 22:37:56ID:vSHv4xHJ
当たり前やんけ
信長に仕える前はただの足軽だったんだからな
0739人間七七四年2010/09/12(日) 23:10:15ID:zxaBQ/FG
経歴とかじゃなくて人物として、ってこと

百姓想いで愛妻家で忠義者な光秀
逆に信長が凄く悪者になってたり・・・
そういうのも嫌いじゃないんだけどね
0740人間七七四年2010/09/12(日) 23:18:33ID:9xOUmoYY
将軍義昭を助けて幕府再興に尽くす
織田家仕官後は朝廷復興に尽くす
朝廷幕府をないがしろにした魔王信長に
光秀公の尽くしんぼフォルダが火を噴くぜ

って展開かな?
0741人間七七四年2010/09/12(日) 23:32:17ID:i4ORg5Pp
惟任十兵衛は鉄砲スキルが非常に高かった
0742人間七七四年2010/09/12(日) 23:35:59ID:fSrXPlmR
歴史小説の明智軍記の読みすぎだな
0743人間七七四年2010/09/25(土) 19:45:42ID:HYeyqePB
あっ!ケチ。三つ、ひでぇ〜
0744人間七七四年2010/09/29(水) 14:43:56ID:1LSTzDs7

ケチはこの家康にまかせなさい。
0745人間七七四年2010/09/29(水) 15:58:34ID:/O+PSkda
この人って資朝卿や俊基卿売った土岐頼員の子孫でしょ
0746人間七七四年2010/10/01(金) 14:48:15ID:+5wXm8D4
丹波光秀ききょうまつり!!!!!
今年は中止だと!!!!!!
わざわざ休み入れた俺の気持ちどうしてくれる!!!!!!!!!
0747人間七七四年2010/10/03(日) 18:08:30ID:EycAvyDH
他にも光秀関係のマンガ発見
ttp://ecx.images-amazon.com/images/I/51Iu-YoxsqL.jpg
0748人間七七四年2010/10/03(日) 18:10:54ID:EycAvyDH
ポプラ社から発売予定のを含めたら四冊か?
ttp://img.7netshopping.jp/bks/images/b7/1200088867.jpg
ttp://img.7netshopping.jp/bks/images/b5/07199055.JPG
ttp://ecx.images-amazon.com/images/I/51Iu-YoxsqL.jpg
0749人間七七四年2010/10/03(日) 21:32:51ID:ensfXEPi
>>740
>朝廷幕府をないがしろに
朝廷はともかく、幕府つまり義昭が追放されてから
本能寺の変まで10年も経ってるんだが?
この間光秀は何をしていたの?
0750人間七七四年2010/10/05(火) 21:43:32ID:pwQe3UYk
幕府の怨敵のために心骨砕いて働いた。でいいでしょうか
0751人間七七四年2010/10/06(水) 04:05:01ID:6ywXiZT7
駄目です
0752人間七七四年2010/10/08(金) 19:38:42ID:26sW03UD
この本読んだ人感想聞かせて
「本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意」藤本正行
ttp://www.yosensha.co.jp/book/b69966.html
0753人間七七四年2010/10/08(金) 23:38:55ID:pj1ZBv+q
基本的に前著と同じ
あくまで光秀が主導しての謀叛として論じて、藤田氏の将軍黒幕説とか
子孫?の明智氏の家康同盟説やらに反論してる

斎藤利三の三男の利宗の遺談の筆記とかいう怪しげなのを持ち出してたのが面白かった
0754人間七七四年2010/10/09(土) 10:59:48ID:rn5B3dUN
前著の続編(蛇足?)って感じだったな。前著の出来が良かっただけにがっかりした。
是非には及ばずの解釈をあれほど展開する意味あるのか?
遺談の筆記はかなりうさん臭くてワロタ。
あんな与太史料を用いる藤本には藤田・桐野を批判する資格はないよ。
0755人間七七四年2010/10/09(土) 13:56:18ID:xN9sNYs8
「謀略で殺されたのか」を、自説に都合が悪いからとまったく
触れず、いまだに義昭黒幕説なんか言ってる藤田なんか
電波で、批判されてしかるべきと思うけどね。
谷口や桐野は「単独説」で一致するんだから、批判するにしても
もう少し言い方があるとは思うが。
谷口の光秀67歳説にしても、紹介はしてるが自らは賛成か反対か
書いてないのもどうかと思う。
0756人間七七四年2010/10/09(土) 16:52:03ID:1yrSCPzu
>754
「是非に及ばず」のところは勉強になったけどなぁ。
遺談は…原本探して欲しかった。本当に存在したのか分からないような史料は困る。
0757人間七七四年2010/10/12(火) 13:15:55ID:Rw+V5wdq
堂々日本史の本能寺の変は朝廷黒幕説が面白かった
0758人間七七四年2010/10/12(火) 16:29:21ID:MA9brHJU
笑えるよな、あれ
思わず失笑
0759人間七七四年2010/11/03(水) 09:10:02ID:iy6eiSke
ほ〜、藤本の本は子孫の本にも反論してるのか。早速読まねば。
しかし、あの子孫の家康同盟説、辻褄あわせとしては素晴らしくないか。
いろいろ感心するところは多かったな。
推測で史料がない、というよりも、論理的におかしい点なんかはどういうのが見つかってるのかな。

それと黒人奴隷が脱出南蛮寺に入った、というイエズス会の話はあまり聞かないけど本当なの?
だとしたらフロイスあたりがやたら詳しいのも理解はできるんだよな。

最後は天海とか春日の局までうまくつなげるところは笑ってしまうぐらいだった。
0760人間七七四年2010/11/03(水) 09:31:34ID:5GH12Uka
>>759
子孫の本は家康同盟説の叙述以外は論理的で結構マトモ。

>黒人奴隷が脱出南蛮寺に入った
本能寺のすぐ近所にパードレ・カリオンがいた南蛮寺があって、黒人ヤスケがここに避難した可能性は大だな。
ただヤスケ自体の記録が残ってないから真実とは断定できん。
子孫の本もそう書いていた気がする。
0761人間七七四年2010/11/03(水) 14:58:11ID:iy6eiSke
>>760
ほ〜。
家康談合説というのも、どこでいつ、とかそういう点にもふれているし、つじつまはあってるようにも感じる。
問題は、信長が家康をどう思ってたか、というところからはじまって、そんなことはありえない、のなら簡単なんだけど
それまでの戦で家康が強力なのを実感した信長が、どう考えていたか、は少し検討する必要があるかもしれないような。
実際に家康が信長に謀反なんてのはまずありえないとは思うけどね。
あくまで信長のほうから見て、という点で。
0762人間七七四年2010/11/03(水) 15:42:31ID:5GH12Uka
>>761
家康討ちってのは本城さんの覚書などが根拠だと思うが、素朴な疑問として確実に仕留めるならば家康
を京都に足止めした方が確実だし、さらに言えば数百の軍勢で家康の宿所を強襲した方がいいと思う。
また、信長はかつて丹波の波多野親子や越中の寺崎・石黒親子を召喚して謀反の罪で殺して(切腹含む)
いる前例があるが、これらのケースでは大軍率いて強襲なんてスキームは採っていない。
加えて、氏は「本城さんらにも家康討ちの噂が伝わっていたかも知れない」(131p)と書いているが、織田家
首脳ではなく本城のような末端の兵まで噂が広まっているならばそれはもはや「陰謀」ですらないし、フロイ
ス日本史を根拠にした「信長と光秀の密談」という氏の主張と矛盾している。
つまるところ氏の説は結論ありきでこじつけた妄想というしかないね。

家康と信長の関係は書札礼の文言から家来同然の同盟関係にあったといえるが、それ以上に信長が家康
をどう思っていたかはわからないな。
0763人間七七四年2010/11/04(木) 09:47:24ID:n7W2Bhkv
>>762
なるほど、ありがとう。
部分的にはそうなのだけど、それであの本を全否定できるか、というともう少し検討が必要かもしれないかな。
要は、信長からみた家康、が大事で、暗殺の手段というのはまた枝葉の話かもしれないからね。

ところで、本城さん史料は本物確定なの?
フロイスの内容と妙に似通ってるところが不思議なんだけど、あれの信憑性が確実にならないとまた話が違うかな、ってね。

光秀の兵が、今度は家康、なんて思ってたのは、信康の話とかで単に両者が不仲かも、という噂話ぐらいかもしれないし、戦の前には「次の相手は誰だろう」ぐらいは当然考えるから、せいぜいその程度で
両者の密談とはまた別個に考えたかもいいかも、とかね。

唐突に「家康が相手」とか、他の史料や関連であの時期にそういうことを匂わせるようなものはあまり無い感じだし、そのあたり本城さん史料の特異性というか
100%の同時代史料なのか、これの確認がしてみたいというかね。

信長と家康の関係も、家来同然というのが、相互の信頼は強い、のかもしれないし、特にマイナスであったとも判断しにくい。
信長が家康を討とうとする、ということ自体に疑問を感じるんだが、全体の当時の状況や細かい点、富士遊覧から12年ぶりの家康上京、信長入京、無防備の理由、とか
信長ってのは回りからみて唐突、意表、みたいなことは多いから、家康をどう思っていたか、にやはり話が戻って検討してみるのかも面白いかも、ってね。

日向守光秀、に日光と入ってるなんてのは意外と聞いたことがなかった。うまい発見だなー。
0764人間七七四年2010/11/04(木) 17:17:08ID:Y6U6W/na
>>763
藤本正行著「本能寺の変」(洋泉社)って本で言われてるけど、
光秀と家康が2人だけで密談するなんて普通ない。
それぞれ重臣や小姓を連れて会うのが通常だから。
もしそれで話せば、秘密が際限なく広がるだろう。
信康の件は、一般に言われてるような信長の命令ではなく、
家康から相談された信長が、「家康の思うとおりにせよ」と
言っただけという説もある。
これは「当代記」という相当信頼性の高い史料によったもの。
0765人間七七四年2010/11/04(木) 18:17:18ID:yBgPJcLV
>要は、信長からみた家康、が大事で、
「信長公記」によると、安土で家康を接待した際に信長自ら家康の配膳をしたと書いてある。
信長が家康をどう思ったかは明らかでしょ。

>光秀の兵が、今度は家康、なんて思ってたのは、
変当時在京中の要人は信長親子と家康しかいないが(実際は家康は堺)、まさか主君信長を討つってのは
考えられん選択肢でしょ。
単に消去法で「今度は家康」って思っただけだと思う。

まったく関係ない話だが2.26事件の反乱軍の兵隊だった柳家小さん師匠は、反乱後しばらくは自分たちが
まさか反乱軍だとは気付かなかったそうな。
侍大将クラス以下の兵の心理もそんなもんじゃね?
0766人間七七四年2010/11/04(木) 21:03:21ID:9DMwFjeL

子孫の人の書いた本で一番印象に残ったのが近習のヤスケの存在。
ヤスケこそ信長の光秀「蹴倒し」現場の目撃者。
本能寺の変の最大の目撃者じゃね?
しかし悲しいかな二人の間の諍いがまるでわからない。
(もっとも日本語を解さないから信長もヤスケを側においたんだが)
歴史家らがまるで無視していたこのときの会話こそ本能寺の変の真相だと思うよ。


0767人間七七四年2010/11/04(木) 21:24:43ID:OcNqeEaK
明智憲三郎氏

http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai
0768人間七七四年2010/11/05(金) 08:57:25ID:fsB23AnH
>>764
まだ藤本本読んでないのだけど、反論がそれだけというのはちと弱いきがする。
滅多に無いお祝いの席だから、普通でない、ことがあってもおかしくはない。
重要なのは、信長光秀、光秀家康、が直近で実際に会っていた、という事実ではないのかな。
この記録がないと「証拠をだせ」ですんでしまうけど、実際に機会があってその詳細まで伝わっている、というのは相当に重大なことだと感じる。
光秀としては命がけの問題だし、なんとか「密談の機会を作った」というのはあるかもしれない。
もちろん推測でしかないのだけどね。

>>765
そうそう、そこまでは信長ー家康の関係はものすごく良好だし暗殺なんてありえないとは思うのだけど、あの信長だから「豹変」というのはあるかもね、とそこを再検討してみたいということで。
信長ー家康不仲の可能性が合ったとしても、そこを拡大解釈して子孫説を正しいとは結び付けたくは無いけど、子孫説否定の根拠としての良好説がゆらぐ、というのはこれでまた大事じゃないかなって。
0769人間七七四年2010/11/05(金) 08:59:54ID:fsB23AnH
>>766
そそ、イエズス会のヤスケの話はあまり聞かないけど本当なの?
これはかなりの重大事件だとは思うけど。
それとヤスケは少し日本語がわかった、と記録にはあるよ。
0770人間七七四年2010/11/05(金) 17:18:37ID:RxuBwHjg

憲三郎氏の本は話を難しくしてないか?
細川家やヤスケのことなどは説得力があるんだが。
軍事的に見れば三河武士団のしぶとさと強さは
その昔一向宗門徒として家康にまで逆らったように「宗教」性にある。
織田家とはそこが違う。
あらためて信長は三河滞在中、三河武士団の結束力と忠誠力を実感したのではないか。
だからたとえ家康以下を討ち取っても第二の「石山本願寺」が出現するだけ。
つまり信頼関係以前の軍事的計算力が信長になければおかしい。
早い話が息子か孫を強引に跡取養子として送り込めばいいだけ。
そのための徳姫だったはずだが。
そこはあてがはずれたというのが信長の思いだったんじゃないのか。

憲三郎氏は話を込み入らせている。
本能寺の変の真相はもっと単純。
信長の光秀の「蹴倒し」。
そこにすべてがある。
0771人間七七四年2010/11/05(金) 18:15:16ID:J0nNMZxL
ところで、「427年目の真実」が出たのは昨年なのに、
何故今になって取り上げられてるんだ?
藤本の本で触れられたからか?
昨年はあまり取り上げられなかったと思うけど。
0772奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2010/11/05(金) 22:20:41ID:OPF7Mo74
美濃源氏でもある一派に偏りすぎていて、残念な家系自慢裏付けの会にしか見えないんだよな。
0773人間七七四年2010/11/06(土) 10:32:23ID:PjEv63eO
>>771
最初はマルチみたいなのが多くて敬遠されてたような。
ほんで、おそるおそるその内容をやっと語れるようになったかも。

12月に藤田も変わった感じの新刊出すってね。
0774人間七七四年2010/11/07(日) 20:15:09ID:WytnDLHM

大事なのはヤスケが「蹴り倒し」の目撃者だったということ。
そのことで十分。
信長と光秀の間に変直前にかなりの緊張関係があったことそれが大事。

名前は忘れたがある研究者によれば「四国問題」はもう決定済みでいまさら
光秀も蒸し返すようなことはしなかったろうという。
というより軍事的な機微に触れるようなことではない。
それはその後の信長の行動に示される。
もし光秀が何らかの軍事的作戦に異を唱えたら
信長は当然光秀の行動を監視し警戒を怠らなかったはずだ。
いくら信長が戦場から遠ざかり政治的になってきたとはいえだ。
軍人・武将感覚はそこまで落ちてはいないはず。
そこに「信長の油断」はない。
ましてや朝廷を脅すとか害するとかまたは家康暗殺とかの
密談ならいくら日本語を知らないヤスケといえども遠ざけるはず。

残るのは「斉藤利三問題」だけ。

0775人間七七四年2010/11/08(月) 00:40:32ID:J2Fd1oEh
その、ヤスケの目撃というのが事実ならすごいけど、これの確認をしないとね。
密談の時はさすがにヤスケでも遠ざけたのだろうけど、足蹴、とかドタバタしたぐらいのことがわかるぐらいのとこにはいたのかな。

四国問題、だけど、決定済み、とまではいかないんじゃないかな。ちょっと結果論のような。
光秀としては懸案事項で、信長や回りから見ると決定事項でも、光秀から見ると最後の最後まで少しでも変更にならないか、という思いがあったというのは普通でしょう。
それか細かい点で光秀にとっては不満な点があったのかもしれないし。
あの信長に口答えしただけでもすごいことだし、信長からの重大な密約の要請があったからその見返りとしてつい、四国政策の見直しを、と言ってしまったのかもしれない。
どっちも重大事件だしね、光秀からすると。

で、利光問題、ってなにか教えてくださいまし。
0776人間七七四年2010/11/08(月) 11:34:06ID:fHiNvJGm
>>775
>信長に口答えしただけでもすごいこと
佐久間信盛の折檻状を読んだことがあるか?
何年も前の朝倉攻めのとき、信盛が
「そうおっしゃっても、我らほどの家臣はなかなか持てないものです」
と口答えしたことが追放の1つの理由にあげられている。
もう少し勉強しな。
0777人間七七四年2010/11/08(月) 18:53:39ID:trjjZSiP
>>775
信長「利三は稲葉一鉄の家臣だったそうじゃないか。もうそろそろ返してやれよ」
光秀「いやしかし」
信長「イラッ」

こんな感じ。
0778人間七七四年2010/11/08(月) 22:59:48ID:6RX9usWZ

もっと深刻だったんじゃねえの?
切腹寸前までいったんだと。
それをどうにか信長側近の猪子兵助の取りなしでようやく助かったとか。
それも本能寺の三日前。(猪子兵助は本能寺で死亡)
それに斉藤利三はただの謀反人の家臣じゃない。
来年の大河ドラマお江のライバルお福(春日局)の父親。
そういえばドラマでお江は光秀に「あなたはなぜ伯父を殺したのですか?」と聞くそうだ。
やれやれ。
今から予約しておくこと。(笑)
そういえば大原麗子の『春日局』では光秀が五木ひろしで利三が江守徹の豪華メンバーだったな。
しかし磔になってる利三のシーンはあってもなぜ信長に背いたかまでは触れられなかった。
そこが肝心なのに。
偶然のなかで神(君)の意志がどこまで働いていたのかどうか?
0779人間七七四年2010/11/08(月) 23:51:35ID:OTE89rev
>>776
だから、追放される、というのはすごいことでしょう。
別に、信長に口答えする、というのがすごくない、というのならともかく、同じことを言ってるだけだと思うけど。

>>777
ふむ。変直前にはちとうまく行ってなかった、という根拠にはなってるわいな。
利三というと、謀反随一也、がよく取り上げられるけど、あれは黒幕説に結び付けられるものじゃなくて、利三の働きを褒めたもの、ぐらいでいいのかな。

そういえば藤田の「証言〜」は子孫本と似た部分がいくつか感じられるけど、影響はうけてるのかな。桐野はともかく、堀新とは仲悪そうだな〜。

お江はいつ光秀に聞くの?ノベライズにそういうシーンでもあるのかな。
0780人間七七四年2010/11/09(火) 06:01:08ID:QeTBe+tL
実は万福丸が・・・・いや、何でもない。
0781人間七七四年2010/11/11(木) 02:37:40ID:DUE0glwh

 「馬揃えの儀」=<信長は光秀軍の京での閲兵を予定していた>

この単純な仮説ひとつで本能寺の変のすべての謎が解ける!
光秀「野望説」「ノイローゼ説」「復讐説」その他すべての「黒幕説」。
答えはただひとつ。
黒幕にして即実行者「斉藤利三暴走説」あるいは「独走説」。
利三の信長への大いなる「殺意」。
長宗我部家とは光秀以上に縁が深い。
当日は四国遠征軍の渡海の日でもあった。
無論なんといっても上記の「切腹騒ぎ」がある。
信長のことだまたいつ振り返すかわからない。
だからといって光秀が利三をかばってくれるのも
あの安土での「信長の蹴り倒され」が限界。
そういうことで悶々としていたある日信長の使いがきた。
「今回の馬揃えは中止」 
今光秀は愛宕神社参詣で留守である。
「よしこれだ!」
利三は馬揃え中止の使いを握りつぶす、ただそれだけでよかった。
これが光春かその他の重臣ならすんなりと伝えられたはず。
なんのことはない。
「本能寺の変」は偶然の上に偶然が重なっただけである。
かくて利三は戻ってきた光秀に「かねての手はずどおり京にて馬揃えとのこと」
そう報告すればいい。
かくして光秀軍の先頭を行く利三の姿。
本能寺では十人程度の完全武装の部下でいい。
相手は素っ裸同然である。
十数分の戦闘ですべてが決着した。

              (以下次号)



0782人間七七四年2010/11/11(木) 03:18:03ID:Jl/+qLeH
本能寺はアヤシイ奴が多すぎる
家康もメチャクチャアヤシイ
信忠の堺同行を断って京都に残留させたがために
結局織田が潰れたわけだし、伊賀越えも事前準備説の説得力がある
0783人間七七四年2010/11/11(木) 18:59:06ID:SfrKXaQM
うおー!皆のものおー!静まれ!
おん大将に物申す!
武田ぁ攻めでのご折檻!
くがわ様接待不首尾のお怒り!
0784人間七七四年2010/11/12(金) 15:34:26ID:dXy0TlWz
781>承前

坂本竜馬の暗殺の謎とくらべると本能寺のほうが気楽だな。
竜馬暗殺は時代が近いこともあり類書を読むほど気が重くなる。
その点信長は安心だ。(笑)
竜馬と信長は「革命家」とするなら日本史はその革命家を生かさない。
その謎も興味はあるがあくまで暗殺のみに限ると全く違うことがある。
片方は死体が残り片方は死体がない。
「本能寺の変」の諸家の本を読むと通説としての「信長公記」がベースだが
異説として死体は阿弥陀寺の僧が引き取ったとある。
この辺のところは小説にもテレビ化もされてる(たとえば『信長の棺』)。
英雄の最期らしくかっこよく炎に消える。(できすぎ?)
最近の研究によれば「桶狭間の戦い」での『信長公記』の記述の正確さはが改めて見なおされた。
確かに『信長公記』は第一級の史料であることは変らない。
しかし最後の最後「本能寺の変」は太田牛一の創作。
それもかなり意図的。

そう「斉藤利三信長暗殺説」者としては思う、この頃の日和。

                  (以下次項)



0785人間七七四年2010/11/12(金) 17:28:41ID:egcPmLYH
>>768
>あの信長だから「豹変」というのはあるかもね
子孫さんの本には引用されていなかったが「老人雑話」に興味深い記述がある。
『信長は長谷川秀一に「家康を堺見物に案内せよ」と命令した。実は隙をみて家康を害する謀だった。
家康は運が強く、本能寺の変によって岡崎に逃げ帰ることができた。明智の謀反が無ければ家康の
命は危なかった。』
著者の江村専斎は下京の町衆で本能寺の変当時は18歳であった。
専斎にとって本能寺の変は強烈な体験だったようで、本能寺の変に関してはいくつかの逸話が紹介さ
れている。
同書は覚書で1次史料とはいえないが、こういった噂が流れていたであろうことは想像できるな。

もっとも、子孫さんの本は「家康と信長の関係」と「家康と光秀の密約・信長と光秀の陰謀」の両者をご
ちゃまぜにしている点で破たんしているが。
0786人間七七四年2010/11/14(日) 03:04:43ID:oivq+DGY
長いと、頑張って書いても誰も読んでくれないよ
0787人間七七四年2010/11/14(日) 08:51:23ID:A9PvCZdc
んだんだ
0788人間七七四年2010/11/15(月) 08:51:16ID:a6LwApCM
3行にまとめて
0789人間七七四年2010/11/15(月) 14:19:57ID:M4xEzsBW
784>承前

3行にまとめてということだが、早い話が「馬揃え中止命令の未達」と「斉藤利三暴発説」との連係。
それこそ御子孫氏が泣いて喜ぶ光秀完全無罪説。
もっとも問題はその後の光秀の行動。
長くなるから書かないが山崎の戦いまでの光秀が「腑抜け」状態だったことの理由にもなる。
竜馬暗殺が歴史の必然なら本能寺の変は偶然の所産と云えよう。
0790人間七七四年2010/11/16(火) 16:54:17ID:T+qm7vQ0
天下布武を唱え、民草を安寧に導くと云いながら、数限りなく人を殺し、宗門を虐げ、武田が滅びると自らを神と称し、誕生の日を聖なる日となした。
そして!
帝を自らの膝下とする所業!
赦しがたし!
天と神々に代わり!この惟任日向守光秀が………
0791人間七七四年2010/11/16(火) 17:02:31ID:7L6Susgn
後を継ぐ
0792人間七七四年2010/11/16(火) 22:17:03ID:Nv2/xRMT
>>791
笑いました
0793人間七七四年2010/11/17(水) 00:59:33ID:dYceaNm8
でええぇぇばあぁいいたす!
0794人間七七四年2010/11/19(金) 16:15:12ID:wcBG2n0b
>>785
子孫本だけど、藤本の反論で「機密漏洩をどう防いだか」というのがあるけど、大化の改新でもカキツの乱でも鎌倉でも、当事者が現場までノコノコ来て暗殺されてるでしょう。
ごく一部のものだけで共有してれば、ふいんきを察知出来なかったり極秘にしておくのは十分にありえるのじゃないかな。

細かいけど、当日の朝家康が京に向かった、というのは、まさにその時に変が起きていた、というのを知っていたのかな。
藤本がよく言うけど、信長が無防備だったのも、京に来たのもたまたまなら、実行は出来なかったことになる。
しても、警備が多くて失敗してたら家康の立場も危ないかもしれない。

もし警備が多かったり、家康と信長が合流してたりしたらどうなってたんだろう。
家康は、信長とは別のところに宿をとるだろうから、騒ぎが起きたらすぐ脱出、という感じだったのかな。
しかし、末端の兵なんかはわからないから襲っちゃいそうだし、そうなっても家康は精鋭揃いだから自信はあったのか。

子孫本を否定するには、当日ギリギリのピンポイントのをタイミングをどう解釈していくか、そういう矛盾点をつくのが明解な気がする。
後から解釈だから、いろんな点をうまく説明できてるとは思うのだよね、大返しとか家光母のの問題とか。
0795人間七七四年2010/11/19(金) 21:05:48ID:h+OKyfzA
家老級の人間にだけ事実を伝えておけば問題ないことは、
「本城惣右衛門覚書」からも分かるな。
家康を討つという嘘をつけば、本能寺を攻めることが可能な訳だから。
0796人間七七四年2010/11/19(金) 21:20:26ID:7t3WIvrm
>子孫本を否定するには、当日ギリギリのピンポイントのをタイミングをどう解釈していくか、
>そういう矛盾点をつくのが明解な気がする。
子孫さんの本で2次史料ながら証明らしきものがあったのは「信長が家康に害意を有していたこと」
たったそれだけ。
その他の論点は史料の裏付けのない氏の想像・妄想を書き散らしただけでしょ。
そもそも氏の論証に1次史料の裏付けが皆無である以上論証が成立すらしていないので、矛盾点を
つくまでもないよ。
0797人間七七四年2010/11/19(金) 21:31:07ID:igKV3jAL
光秀は信長に仕えずに徳川に仕えた方が良かったと思うんだ
0798人間七七四年2010/11/19(金) 21:38:14ID:WQxOhVYY
797言えてる
0799人間七七四年2010/11/20(土) 02:44:49ID:n4KXD2rt
>>796
もちろんそうなんだけど、学会じゃないんだから、そうやって否定しては面白くない。
推測とはいえツジツマがあってる部分が多いから、そういう点の矛盾とか不可能な点とか、そういうのをツッコんでいくのが2ちゃんらしいかと。

だもんで藤本の反論はちょっと弱いというかそれこそ「〜だったろう」でどちらとも取れるような感じ。
ま、藤本、谷口、藤田、が専門家かというとまた違う話になるけどね。

そういえば、三鬼御大が東大の山本をかなり厳しく批判してたよね。あれのその後とか知らない?
研究者としての姿勢をあれだけ厳しくつっこむというのもなかなかのもんだった。
0800人間七七四年2010/11/20(土) 11:59:52ID:PWZJostQ
山本は調子に乗りすぎたな。読んでて俺でもイラっとしたもんw
0801人間七七四年2010/11/20(土) 20:41:56ID:uq/C9GSn
>>799
谷口を挙げてるが、先月出た
「織田信長家臣人名事典」第2版を読んでみな。
7500(抜き)と高いが、あれだけの事典書けるのは相当なもんだぞ。
だからといって本能寺論も正しいとはならないが(自分はおおむね賛成)。
0802人間七七四年2010/11/20(土) 23:56:11ID:i0s4jKqW
信長には仕えたくないね例えばイチローやダルビッシュくらいの実力なら信長でもいい
だが内川や細川程度で信長に仕えると失敗できないわ、一流の実力もないわで
気が気じゃないだろうな、実際に林や丹羽みたいなのが追放されてるし
0803人間七七四年2010/11/20(土) 23:59:35ID:DCmSzMIW
丹羽は追放されてないだろ?
0804人間七七四年2010/11/21(日) 00:37:24ID:9OnBKUHD
>>799
スレチかもしれませんが、三鬼清一郎氏が山本博文氏にどういう風に厳しく批判をしたんですか?
0805人間七七四年2010/11/21(日) 07:42:37ID:djycgRLi
>>799
>推測とはいえツジツマがあってる部分が多い
子孫本のどこが辻褄合ってるのか分からんが、仮に子孫がいう通り信長が家康領侵攻を計画していたとする。
そして、子孫のいう富士遊覧も敵領の現地踏査だとするととすると、家康排除後に徳川遺臣との合戦を円滑に
すすめる準備をしていたわけだ。

しかし、これは家忠日記天正10年6月3日条の次の記述と矛盾する。
「家康と同行していた酒井忠次から松平家忠に、家康が帰国次第、西国に出陣する旨が伝えられる。」
要するに徳川軍に戦の支度をしろって命令だな。この記述は変についての記述の前に書いてあるから、「西国」と
は毛利家のことになり、西国出陣の大将は信長だから命令したのは信長になる。
もし子孫の仮説を前提にすると、家康死亡で指揮の低下した遺臣をさくっと攻略したいはずなのに、徳川軍に戦闘
命令を出してわざわざ攻略の手間がかかることをしたという矛盾がある。

子孫本のどこがツジツマ合ってるか具体的に指摘できんなら、この与太本取り上げるのはもう止めにして。

>>803
丹羽氏勝は追放されたで。
0806人間七七四年2010/11/25(木) 00:33:30ID:YqZTvPlO
>>799
> >>796
> もちろんそうなんだけど、学会じゃないんだから、そうやって否定しては面白くない。

学会じゃなきゃ何を言っても否定はされないと考えるお前の感覚は完全におかしい。
0807人間七七四年2010/11/25(木) 21:19:56ID:Z7LtvQ3N
テス
0808人間七七四年2010/11/25(木) 21:29:41ID:Z7LtvQ3N
>>805
アク禁でうまく書き込めない。せっかく日記教えてもらったのだけど。
簡単で悪いけど、もし信長が寸前まで情報漏えいを防いだ、とするなら
用意周到という意味で、自分に不利な命令を出すというのもあったんじゃないかな。

家康と重臣さえ暗殺してしまえば残りは簡単、というのもあったろうし。
0809人間七七四年2010/11/25(木) 21:34:57ID:Z7LtvQ3N
>>805
おお、成功。
で、つじつまがあう、というのは春日局重用、というのはどうだろう。
公家さんたちの日記改変、とかも謀反の存分、というのはまさにそういう光秀の裏切りのこととか。
他にも、信長の情報は取っておきながら長男のことを知らなかった、というのはいかにも「織田家殲滅
目的ではなく信長個人が最大のターゲット」というようにも思える。

まぁ、いかにも辻褄あわせだから、後から語ったものが有利なんだけどね。
生暖かく叩いておくれ。
0810人間七七四年2010/11/25(木) 21:39:58ID:Z7LtvQ3N
>>804
「読者を軽視しすぎではないか」「立場を勘違いしてないか」みたいにかなりのものだった、と思った。

>>801
いや、みなさん、独自の専門分野のある先達で尊敬しております。

>>800
つい筆がすべったというか、正体がでたというか、ね。
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