寡兵で大軍を破った戦い
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0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 02:13:32ID:E8ad61KX劣勢を跳ね返し、大軍を破った戦いを語りましょう。
0193人間七七四年
2007/02/18(日) 02:33:34ID:Cg8OydVgま、そんなとこでしょう。
信長公記の記述より兵力差は小さかったと思う
ひょっとすると5000対25000より小さかったかもしれない。
だとしても、同等ということはなさそう。
というより、同等とする史料がない。
0194人間七七四年
2007/02/18(日) 07:57:33ID:whqL/6fT1つの砦に4百と仮定すると、5つの砦で2千。8つの砦という説も有るし。
信長が2千率いて清須出陣たとして、美濃・伊勢・清須等の守備もいただろうし。
0195名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/18(日) 08:48:27ID:Lhn7bzYE0196にゃんこ
2007/02/18(日) 11:58:13ID:KXivOE7A美濃・伊勢方面に対しては、警戒兵力だけで良い。なぜなら、三河方面から近いから。
小国の内線作戦は兵力が集中させやすい。(せめて、内線の意味を知ってから反論してくれ。)
理論的には、分散させるよりは集中して、各個撃破を狙った方が良い。
しかし、大国だと、各方面間の距離が遠いから、各個撃破が難しい。主力の移動時間中に
かなりの被害が出てしまう。東方面の敵を倒してから、西方面の敵と会戦する
ことすら難しい。
だから、同盟を組まねば、各方面ごとに戦力を配備する必要ができる。
0197人間七七四年
2007/02/18(日) 12:01:54ID:1Z2Kc5SP0198にゃんこ
2007/02/18(日) 12:07:58ID:KXivOE7Aその手のパフォーマンスを勝因の主にする考え自体がおかしいと思う。
勝因の主は、政治的なものや数学的なものだ。
例えば、スポーツの試合で、「監督による「気合い入れ」で勝てた」と言って
いるようなものだ。真の勝因は、普段の練習や選手の素質なんだが。
0199にゃんこ
2007/02/18(日) 12:29:54ID:KXivOE7A1,農民兵を徴兵しないから、遠征の兵数が少なくなる説と
2,限界まで搾取するためだから、遠征の兵数が多くなるという説がある。
私は2だと思うな。1が真実だとすると、
豊臣秀吉がイイ人過ぎる。
なお、「遠征の」という但し書きをつけたのは、防衛戦と遠征では惣村の協力
に大きな違いがあるから。
0200人間七七四年
2007/02/18(日) 15:06:11ID:HADoshBs説明出来ないと話にならないね。
>>198 まあ戦上手では無い武将同士が指揮した戦闘であれば、大概は兵数
や兵の強力さなどが勝敗を決したりするんだろうな
0201人間七七四年
2007/02/18(日) 15:16:10ID:TfyXBZ2hそれと、同等に近い軍は集まらないけれども、
本気で集めたら1万は超えるのは当然と言ったら当然で、すべての戦いで全軍を出す人間なんてほとんどいないからな。
0202人間七七四年
2007/02/18(日) 15:23:18ID:Cg8OydVg(知多半島や岩倉を支配してない事を思えば、
もう少し少ないかもしれない)
戦場にもっていく兵力が五千人
べつに奇異ではないね
0203人間七七四年
2007/02/18(日) 15:54:06ID:HADoshBsの備えもあったし。
それから尾張統一してたんならどうして清洲みたいな奥にまで押し込ま
れる状態におちいったの?そんな基本的なこと知らないで今まで散々喚
いてたわけ?
織田軍の兵力は結局、その半分の領土から動員したものなんだよ、尾張
を統一したのは戦後だ。
0204人間七七四年
2007/02/18(日) 16:05:08ID:vl7DLho60205人間七七四年
2007/02/18(日) 16:10:40ID:CHP0wYcr桶狭間の合戦の真実について
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149962872/
0206にゃんこ
2007/02/18(日) 16:44:09ID:KXivOE7Aにゃんこの文を誤読しているよ。
総兵力は、今川の方が大きいのは事実だろうが、桶狭間山周辺では大差がなかった
とすれば、織田方の勝因を、小説的なネタに頼らず、合理的に説明できる。
0207人間七七四年
2007/02/18(日) 16:47:03ID:w7eguL7F信長公記の記述の最後の義元守った三百騎だって攻撃を受けた後の話
本来の本陣兵力がどれくらいいたか、という記述は無い
0208にゃんこ
2007/02/18(日) 16:57:36ID:KXivOE7A1560年ごろなら、検地はまだまだユルユルで、千単位や万単位の動員数など
数えようが無い。小隊や中隊といった単位に編成してなくて、各地の親分たちが
私兵を率いて従軍するんだが、その人数の申告も、どの程度アテになるか?
そういう申告がアテにならないから、大名権力の伸長とともに検地がキツくなり、
やがて、実測による丈量検地が為されるんだから。1560年にに正確な兵数が
出せるくらいなら、太閤検地なんかいらないって。
0209にゃんこ
2007/02/18(日) 17:05:12ID:KXivOE7A前の防衛戦には参加したが、今回の遠征には参加しない半兵士や、
たまに戦う1/4兵士なんかを、兵士か農民かはっきりさせたわけだ。
207>予測というより、割り出しと言った方が正確だな。結果から割り出して
いるんだから。
0210人間七七四年
2007/02/18(日) 17:05:38ID:w7eguL7Fだからといって、史料に残ってる数字まで一概に検地前と否定したら何にもならない
その上で主観的予測一辺倒ではお話にならないよ
少なくとも説得力が無い
0211人間七七四年
2007/02/18(日) 17:08:38ID:ftYuDewrみんなで分からない分からない主張して一体なにがしたいんだよw
0212にゃんこ
2007/02/18(日) 17:13:22ID:KXivOE7A主観的予測?誰がそんなことした?16世紀末の石高からの割り出しから、
補給や農民への抑えの人数を割り引いたものが、主観的予測かい?
0213にゃんこ
2007/02/18(日) 17:15:29ID:KXivOE7A0214人間七七四年
2007/02/18(日) 17:20:26ID:FEFO8Nj/普通にウザス。
ってかそこまで拘るなら専用スレ行けよage厨。
0215にゃんこ
2007/02/18(日) 17:28:22ID:KXivOE7A公家や指揮についての理解が、三戦版向きだよ。
0216にゃんこ
2007/02/18(日) 18:10:38ID:KXivOE7A総兵力では「寡兵」側が下回っていたとしても、戦力の集中によって、決勝点では、
戦力(兵数×・・・)が上回っているものだ。それをやってのけるから名将なん
だよな。
コーエー史観のように、信長能力95、義元能力48なんてものじゃない。
0217人間七七四年
2007/02/18(日) 18:14:14ID:AXktzvJz謙信の関東出兵
厳島の陶
耳川の大友
これらは実際はどのくらいの兵力だったと思いますか
0218人間七七四年
2007/02/18(日) 18:21:00ID:IWJ93Wdy陶の25000は妥当なとこだと思うけど・・
謙信の関東出兵は関東中の大名が集まり北条家からも離反が続出したらしいから10万でも別におかしくはない とまでは言わないが5万〜8万は確実
0219人間七七四年
2007/02/18(日) 18:22:11ID:HADoshBs機動力に勝る織田軍=寡兵であったのは事実、1万数千もの兵で気
づかれずに今川本陣まで行けるわけがないんだからね。
元の総兵力が同等であろうが迅速な動きで本陣奇襲出来た織田軍が
凄かったということ。
え??実際は両軍共同等の兵力(桶狭間の時点)で真正面からぶつ
かって今川軍は負けたって?そんなのが言い訳なるかよ、それでも
信長の戦上手なことが伺えるからね。
0220人間七七四年
2007/02/18(日) 18:31:52ID:hPmbGfXP旧家には桶狭間に関する伝承が結構残っている
0221にゃんこ
2007/02/18(日) 18:38:49ID:KXivOE7Aちなみに、秀吉軍は大返しで瓦解した。だから、山崎では摂津など地元勢力を主力
として戦った。大返しの本質は機動ではなく、政治宣伝だったんだな。
機動力を上げようとしたら、ローマのように規律と訓練を普段から叩き込まねば
ならない。
0222にゃんこ
2007/02/18(日) 18:58:57ID:KXivOE7Aが弱くて、サボられたり、裏切られたりするのが戦国の習い。
また、両陣営に誼をを通じ、どちらが勝っても一族全滅は避けられるように
工夫するものだ。イデオロギーではなく、土地利権の奪い合いなんだから。
陶自身と配下の総兵力の25000は過大だな。そんな大領主だったっけ?
陶側に相当なサボタージュがあったとしか考えられんと思う。
まだ、トップに立って日が浅いのも、大きいしな。
もし、通説通りなら、毛利側による武士階級虐殺だよな。革命戦争だ。
もちろん、そんなのではなく、サボタージュやあっさり降伏が多かったと思う。
0223人間七七四年
2007/02/18(日) 19:03:36ID:yDDcgjjaID:HADoshBsは支離滅裂で有名な糞コテですので
あまり反応しないほうが・・・
0224にゃんこ
2007/02/18(日) 19:06:50ID:KXivOE7Aサンクス。厨対厨 の口喧嘩してるね。彼は。「言い訳になるかよ。」だもんな。
0225人間七七四年
2007/02/18(日) 19:10:17ID:HADoshBs高松〜姫路〜京の距離と、清洲〜桶狭間の距離を一緒にするなターーコ
お前って普段リアルで相当単細胞相手に議論みたいなことしてるわけ?
そんな相手ならお前の考えも納得させたりするよなあ。
0226人間七七四年
2007/02/18(日) 19:13:04ID:MRfeidxy9時間も2chするなよw
0227人間七七四年
2007/02/18(日) 19:13:35ID:vaIFt3UKワロタ
0228人間七七四年
2007/02/18(日) 19:19:12ID:HADoshBs25000ぐらい集まるだろ、それ以下だったとしても、毛利方も尼子
へのけん制などもあったから、結局寡兵しか集まらなかったと考えれる
わけで、寡兵毛利軍VS大軍陶は妥当だろ。
0229人間七七四年
2007/02/18(日) 19:23:42ID:HADoshBs背後から大軍を奇襲しての織田軍の勝利説」を捻じ曲げたい今川厨に対して
教えてやったんだけどね。
奇襲を無様に受けても、真正面から戦って下手な采配で負けても負けは負け。
桶狭間で負けたのは事実なんだから文句を言う資格は無しってことだ。
0230人間七七四年
2007/02/18(日) 19:25:33ID:AXktzvJz太閤検地での石高
筑前 325,695
豊前 140,000
長門 130,660
安芸 167,820
石見 111,770
豊前なんかは太閤検地と寛永期で全然違ったりするが・・・
0231にゃんこ
2007/02/18(日) 20:33:49ID:KXivOE7A実は恥ずかしながら、ドラクエ8と、ハゲタカと、おりんと、天の覇王と、どろろ
と読んだり練金したりしながら、今日一日を過ごした。
さて本論
230氏の史料からは22000人。ただし、これから、他方面への備えや
体制の違いや掌握の度合い等々を割り引くと・・・・
20000人は確実に割るな。
225>
飛び出した大将を配下が追いかけるものは機動とは言わない。
0232人間七七四年
2007/02/18(日) 20:37:55ID:AXktzvJz筑前 325,695
豊前 140,000
長門 130,660
周防 167,820
安芸 194,150
石見 111,770
数字は太閤検地
0233人間七七四年
2007/02/18(日) 20:52:21ID:AXktzvJzこの数字は比較的低い数字らしく、もっと動員できると思う。
筑前 8140
豊前 3500
長門 3260
周防 4200
安芸 4850
石見 2800
0234にゃんこ
2007/02/18(日) 21:05:41ID:KXivOE7Aしていた頃の数字を基準にしたものだろ?
それに、2.5人は遠征兵力だ。惣の協力の得やすい防衛戦の兵力がもっと
大きかったのは当然だ。
0235人間七七四年
2007/02/18(日) 21:21:00ID:zWSDP1wf「義元は武将じゃない」厨と「寡兵じゃ大軍を敗れません」厨の争いかw
それより、有名どころの戦国大名って1回くらい『寡兵で大軍を破る』戦いを
していると思うのだが、武田だけは思いつかん。なんで?
0237人間七七四年
2007/02/18(日) 21:26:19ID:XiYovMHA無敵の武田騎馬軍団も毘沙門天の化身上杉謙信には勝てるわけがなかった。
啄木鳥戦法も軍事の天才謙信には見破られ、武田軍は山本勘助や弟ら重臣を失う。
車がかりの陣で武田軍は追い詰められ、死者四千六百三十人、負傷者七千五百人を出す大被害を追った。
謙信は単騎特攻して信玄と一騎打ちするなど大活躍を見せた。
唐沢山城救援戦 ○上杉軍13 対 ●北条軍3万
上杉側の関東の豪族、佐野昌綱を救援するため、北条の大軍の中を数騎で特攻。
謙信の威勢に恐れをなした北条軍は怯えて近づく事が出来なかった。
手取川の戦い ○上杉軍2万 対 ●織田軍4万8千
最大勢力の織田も軍神上杉謙信の前では赤子同然だった。
能登畠山を軽々と滅ぼし、謙信に怯え逃げる織田軍を追撃。
織田軍は二千人近くの死傷者を出して、大敗する。
信長自身、近習ら数十騎とともに命からがら美濃へ逃げ帰ったという。
もし謙信が寿命で死んでいなかったら信長は滅んでいただろう。
0238人間七七四年
2007/02/18(日) 21:31:42ID:vaIFt3UK沢山城救援戦って北条軍の兵士は意味がわからなかったんだろうね?
でもマジで勇敢だよな。
0240人間七七四年
2007/02/18(日) 22:27:19ID:AXktzvJz立花山城から西は大友領だったみたいだが。
0241人間七七四年
2007/02/18(日) 23:17:42ID:HADoshBsはい、精一杯の屁理屈ね、お前の屁理屈が、敵に悟られずに敵陣まで
たどり着くこととどう関係があるのかな?
0242人間七七四年
2007/02/18(日) 23:21:27ID:HADoshBs信玄初陣の時から甲斐一国領有してたし。
それに情報によって敵より多量に兵集めるのも軍略の一つ
0244にゃんこ
2007/02/18(日) 23:38:46ID:KXivOE7A何じゃそりゃ?
そんな事できるはずが無いよ。昼間なんだから。まして、桶狭間山から丸見え
だよ。
経済力と各個撃破を狙う内線側の定石からいって、隠密作戦(笑)でなくても
勝てるんだよ。要は、決勝点への戦力の集中だ。
原書でなくて通読解説書でいいから、クラウゼヴィッツかジョミニでも読め。
偉そうに、戦史を語りたいなら、せめて内線や決勝点の意味ぐらい調べろよ。
0245人間七七四年
2007/02/18(日) 23:43:58ID:AXktzvJz薩摩はまずしい痩せた土地で、火山灰などの問題もあり、作物はほとんど育たなかった。
(それを解消するために後世薩摩芋というものができたわけだし)
そのため兵糧等の問題で、寡兵で出撃する必要があったらしい。
現在での鹿児島でも酪農のほうが盛ん。
0246人間七七四年
2007/02/18(日) 23:51:50ID:zWSDP1wf芋侍はつらいなー
0247人間七七四年
2007/02/18(日) 23:57:38ID:LqQHX4220248人間七七四年
2007/02/19(月) 00:04:36ID:sxlyh/y6兵法でしか物を測ることしか出来ないんだろお前 笑)
400年前のことなんだから、「織田軍と今川軍の兵力が同等」ってお前が
言ってることも有り得ないってちゃんと理解してるの?当時の地形、突発の
出来事とか頭に入れないんだね
敵に悟られる=その敵は周囲に気を配る(間者などを放って)ってことだろ?
実戦指揮に乏しい義元がそこまで気を配ったのかってこととか考えないの?
昼間(夜間という説も強い)でも大雨であれば十分に敵に気づかれない要因
にもなるよねえ、それに清洲城出発時には1000以下っていうから狭道を
移動するのに分けもないと思うが。
0249人間七七四年
2007/02/19(月) 00:10:33ID:sxlyh/y6が織田軍に動員出来たのなら、どうして桶狭間決戦まで尾張の奥にお
しとどめられるような状況になったわけ?桶狭間(田楽狭間)なんて
もろ尾張領内だろ?攻められて城砦なども落とされてる状況の織田軍
にそこから更に20000も再動員なんて出来るのかよ。
0250人間七七四年
2007/02/19(月) 00:27:38ID:qNRqMDCi雪斎が凄いのは事実だが、全部の指揮を執ってた訳じゃないぞ。
0251人間七七四年
2007/02/19(月) 01:16:20ID:sxlyh/y6家臣にまかせっきりの大名なのですよ、外交や政治は違うだろうが。
0252人間七七四年
2007/02/19(月) 01:18:39ID:qNRqMDCi0253人間七七四年
2007/02/19(月) 02:20:10ID:X5/ehyhZたろうね。
0254人間七七四年
2007/02/19(月) 02:57:10ID:k4ww2M3y【ふつうの人間が抱く疑問】
信長厨はなんでこうも「天才、天才」と得意げに語るんだろう?
別にあんたらが天才なわけでもなく、何をした訳でもないんだろうに。
【臨床医学的な解答】
心理学的に云う「ヴァーチャル・アイデンティティ」(仮想世界に自分を仮託する)
つまり、自分がゲームの中の主人公に置き換えられてしまい、その主人公が危機に晒される
(批判される)と、自分の存立そのものが侵されたという危機感に陥る。
したがって、仮託した主人公(信長)のライバルや仮想敵を攻撃することで、
危機を回避する心理構造。歴史解説書やPCゲームで信長厨になった人間は、大抵の場合
これに該当する。現実世界では惨めな自分が、信長となって天下を統一するという
仮想世界に生きるのが、彼らの唯一の癒し。病人だから大目にみるように。
【理論的補足】
なぜ信長厨に特有の症状かというと、単純な最強英雄願望がその底辺にある。
秀吉(信長の部下)や家康(同盟者)では、その英雄願望は充たされず、
ましてや他の戦国大名は、信長に仮託した自分の攻撃対象にすぎないから。
ついでに付記すれば、信長が天下統一の途上で斃れたことも影響している。
信長が生きていれば、この閉塞感のある世界も変わっていただろう・・・・、と
0255人間七七四年
2007/02/19(月) 02:59:35ID:xjtDUzj+0256人間七七四年
2007/02/19(月) 04:12:01ID:DfBoaWdj>その手のパフォーマンスを勝因の主にする考え自体がおかしいと思う。
>勝因の主は、政治的なものや数学的なものだ。
たしかに多くの場合はそうだ。
しかし数理だけでは今川があそこまで惨敗することを説明できない。
計算だけで成り立つシミュレートではあのような結果には何度やってもならない。
人間とマシンでは根本的に違うから当然だ。
監督の気合うんぬんはまったくナンセンスだ。
状況とタイミングでいつも結果は違う。
普段の練習と素質を否定してるんじゃなくて、それだけじゃないということ。
0257人間七七四年
2007/02/19(月) 13:29:41ID:JnqxRDB5これを額面通りに受け止めるのは違うだろ
全ての手を尽くす事は何をするにしても前提条件
その上での気合い入れだし、運であると
0258人間七七四年
2007/02/19(月) 17:13:52ID:3y+iDhMj0259人間七七四年
2007/02/19(月) 18:37:46ID:TENj7gbjいいこというなあ
命をやりとりする戦場なら、なおさらそうだろう
0260人間七七四年
2007/02/19(月) 19:08:49ID:SunJtUzj戦争ならなおさら重要要素でしょう。
0261人間七七四年
2007/02/19(月) 21:27:50ID:sxlyh/y6何も残っちゃいないんだよwww
0262人間七七四年
2007/02/19(月) 21:47:46ID:qNRqMDCi0263人間七七四年
2007/02/19(月) 21:57:00ID:IvKzS5Z6織田軍の動きには細心の注意を払っていて当然だ。
偵察も多数放っているはずだよな。
いかに楽勝ムードで気が緩んでるにしてもそういう体制を取っていなかったはずがない。
目の前に現れるまで二千の兵が動いている織田の動きが全く分からなかったなど有り得ない話だろ。
0265人間七七四年
2007/02/19(月) 22:34:55ID:IvKzS5Z6しかも雨が降り出したのは戦い直前だろう。
そもそも善照寺砦に織田軍が集結した時点で斥候からの情報が
入ってて当然じゃないのか?
0266人間七七四年
2007/02/19(月) 22:41:10ID:IvKzS5Z6「行伝寺過去帳」
「二十日
仏身院 上杉五郎(朝定)殿
善銀 難波田殿
蓮順 天文十五、四
上田小三郎
(欄外)
河越一戦討死弐千八百廿余人天文十五年丙午四月」
0267人間七七四年
2007/02/19(月) 23:18:23ID:gEf7UeT80268人間七七四年
2007/02/20(火) 01:25:38ID:eRV26dWw河越で北条氏康・綱成が関東連合軍を破ったって事自体に疑問の余地は無い、
じゃなかったら短期間に死んだ連中、追い出された連中の立場が無い。
0269人間七七四年
2007/02/20(火) 18:58:03ID:vfyL0ibJ0270人間七七四年
2007/02/20(火) 20:09:33ID:5ifExbdj0271人間七七四年
2007/02/20(火) 20:26:54ID:51p0Bf7p0272人間七七四年
2007/02/20(火) 22:40:28ID:EZqxkUVz0273人間七七四年
2007/02/21(水) 00:21:22ID:xYYVdUTw籠城戦は例外だな。
一定期間持ちこたえるうちに攻城側の政治的事情で解囲された例を挙げて行ったらキリがない。
0275人間七七四年
2007/02/21(水) 02:38:01ID:QKaFvJLeまてよ、上田の場合1次2次共最終的に撤退したのは外部要因だな。
これをどう扱えばいいかな?
0276人間七七四年
2007/02/21(水) 19:36:31ID:eXrUhlNB0277人間七七四年
2007/02/22(木) 01:11:54ID:cTkkX8CQゲームじゃあるまいし、篭城だからとかは所詮条件の一つに過ぎん。
0278人間七七四年
2007/02/22(木) 12:22:03ID:pjOh8o1l政治的変動、あるいは敵の経済的疲弊を待ち、目的を達成する。
戦理にのっとったまともな武将のまともな勝ち方だ。
ただ、このスレはまともじゃない方法で勝った希有な戦例を探すスレじゃないのか?
0279人間七七四年
2007/02/22(木) 16:17:28ID:s38pT0oT河越夜戦の真相を探る
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172125964/
0280人間七七四年
2007/02/24(土) 06:01:09ID:YCbnjW660281人間七七四年
2007/02/25(日) 16:36:58ID:jyNxIQzX小笠原を壊滅させた塩尻峠の戦いは寡兵だったと思う。
しかも率いたのは騎兵のみだったとか。だから兵数が
少なかったんだろうが。
0282人間七七四年
2007/03/11(日) 10:14:05ID:rDN0M3Ox新日正規軍 vs. 平成維新軍
0283人間七七四年
2007/03/13(火) 20:20:07ID:H6IFKeayそれ以前の戦いについては、秀吉期の人数からの推定、後代に書かれた編纂物からの引用というのがほとんどだと思います。
また、1万石高あたり250人を動員できたとして算定した、参謀本部の「大日本戦史」の影響も強く残ってます。
しかし、石高というのも仮の数字にとどまり、実際の生産力は誰も把握できなかったわけで、また戦場に近いところでは万石あたり500人とかの人数が動員されることもあったわけです。
また、一定の領地に軍役が免除されることも多く、結局のところ兵力なんてよくわからないんですよ。
0284にゃんこ
2007/03/13(火) 22:06:59ID:3U9LDAnaそうなんだよな。秀吉の頃からやっと、まともに数字を取り扱うようになり始めた。
でも、脱税や軍役のごまかしのためのインチキ検地が地方では横行したらしい。
まあ、個人の私有地に国家の手がズカズカ入って来るのは、近代社会だからね。
0285人間七七四年
2007/04/16(月) 22:06:17ID:79kKjJbs0286人間七七四年
2007/05/14(月) 09:14:31ID:t4NQd8je0287人間七七四年
2007/05/14(月) 09:16:15ID:ng939ZbB続きは三戦板でやりましょう。
http://ex21.2ch.net/warhis/
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167304387/554
0289人間七七四年
2007/05/17(木) 00:27:34ID:HsGKrMNX南九州の桶狭間なんて初めて聞いたぞ・・・・
http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/045/045_070505.htm
0290人間七七四年
2007/05/17(木) 08:30:33ID:C+leBE7Z0291人間七七四年
2007/05/17(木) 09:00:40ID:GbKEgptM碧蹄館の戦いの前哨戦、 般丹の戦い、 蔚山城救援戦 まさき天下無双の軍才
0292人間七七四年
2007/05/17(木) 12:36:24ID:HDgVJZQ+ただのバンザイアタック
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