伊勢の名門―北畠―
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0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 00:48:07ID:iRcYGxpm007271
2007/07/05(木) 22:28:09ID:cKpgs+qE>安濃の長野家は雲林院、細野、分部、家所、草生などの豪族を配下とし
家所 草生 なんてのも現在の安濃町の大字に残っているよ
いやまあ全国的にこういうのはどこもそうなのかもしれんけど
0073人間七七四年
2007/07/19(木) 22:58:01ID:wxvKy7Gm0075人間七七四年
2007/07/30(月) 21:35:56ID:xwsBKq05青森出身なのだが
0076人間七七四年
2007/07/30(月) 21:38:34ID:ydmduG9g0077人間七七四年
2007/07/30(月) 21:46:05ID:WxJAz5CVhttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/kitabata.html
0078人間七七四年
2007/07/30(月) 21:47:26ID:WxJAz5CV青森ならむしろこっちか
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/namio_k.html
0079人間七七四年
2007/07/31(火) 05:04:02ID:TnqJ85Zx0080人間七七四年
2007/07/31(火) 05:13:34ID:EAWl8rVS0083人間七七四年
2007/07/31(火) 17:12:48ID:WtXe0HbF北畠の子孫は今は有馬だけど。
0084人間七七四年
2007/07/31(火) 23:15:08ID:TnqJ85Zxなんでも在日と言われちゃたまらないわ
0085人間七七四年
2007/08/01(水) 00:10:43ID:LUPcgUhm家系図が無い華族の名字なんてB民か在日しか名乗らねーよw
0086人間七七四年
2007/08/01(水) 02:30:11ID:DnaeOFaW0087人間七七四年
2007/08/01(水) 02:37:54ID:DnaeOFaWこのあたりの氏族もいるんじゃないかな
0088人間七七四年
2007/08/03(金) 21:12:21ID:V40DjPMXむろん伊勢にもね
0089人間七七四年
2007/08/28(火) 11:41:06ID:VaWe3IRL0090人間七七四年
2007/08/28(火) 19:39:11ID:bwLu26N/0091人間七七四年
2007/08/28(火) 20:02:11ID:glCg7bPAすごいね。惚れた。
未読の人必読。
0092人間七七四年
2007/08/30(木) 02:38:10ID:0r4G7e3W若い人は知らないか
0093人間七七四年
2007/08/31(金) 10:13:17ID:0gKcqXkI0094人間七七四年
2007/09/06(木) 21:11:07ID:LzXeiGb+「本当は「こっち」が本家なのに錦の御旗をうばわれて「あっち」が本家になった」
と言っていた意味がわからなくてずっと考えていたのだが(祖母は故人)
河原御所の変で当主具運が殺害されて、その後弟顕範一統が本家になったことを言っているのか?
と思いついた。具運殺害時顕村以外にも子がいたのかも知れないし。
自分はその(顕村以外の子、あるいは女子の)子孫なのに傍系扱いになってしまったと。
しかしいずれにしてもさー、浪岡北畠を士族にする話があったらしいが
条件が整わずダメになったらしいじゃんか。
家系の正統性が証明できなかったということで、
顕村以後の北畠は「詐称」に近いんじゃないの?
地元の記録は地元に都合よく作られている可能性大有りだから信用ならないし。
まあ、在日の線はさすがにないとは思うがw
009594
2007/09/08(土) 11:05:48ID:Pa1e3ICf「北畠顕家の子孫」と口にするときはきりっとしたいい表情をしていた。
ばーちゃんの姉妹たちもみんな上品で凛とした人で、
「こんなド田舎にどうしてこんな皇族みたいな人たちが?」と
子供心に不思議だったものだ。
それが事実なのかどうかは別として、血の誇りを支えとして、
血に恥じないように生きようとする姿勢は悪いことではないと思うし、
親がそういう矜持をもって子を教育するのも大事なことだと思うよ。
学問的にはいろいろ言いたいことはあるが、
今現在「北畠」姓をもって生きている浪岡出身の方々を貶める意図はないので、
一言付言いたします。
「伊勢の名門北畠」スレなのにお邪魔してすみませんでした。
このスレ、シーンとしちゃってるので、反省しています。
0096人間七七四年
2007/09/08(土) 15:07:47ID:56u+gNcG元々シーンとしてたから安心汁。
>>91
南北朝あんまり知らないけど、北方謙三の『楠正成』読んだら、東北の管領かなんかになった北畠って人が
出てきたけどそれかな。
足利軍追って北畠軍が東北から一気に機内へ押し寄せる所はすごい。
これ読むまでは新田ってのは偉い奴だと思ってたけど、これ読んでからなんか間抜けなおやじって気がする。
ちょっと興味出てきたので、この辺りの何かいい本あったら誰か教えてプリーズ。
史料や小説ジャンルはこだわらないけど、史料は読み易い初心者向けおながいします。
それにしてもこの辺の争いの中で新田や楠木と比べると北畠顕家って一般に遥かに知名度低いよね。
根拠地が東北だったからなの?
あれだけの活躍して死んだ歳が21って、紛れもない傑物でしょ。
それなのに埋もれすぎ。
0097人間七七四年
2007/09/08(土) 17:21:34ID:xx7oKE4l0100人間七七四年
2007/09/12(水) 18:26:06ID:BgR+krib0101人間七七四年
2007/10/03(水) 14:21:10ID:o9wzxFyu満雅 教具 材親 晴具かな。
0103人間七七四年
2007/10/11(木) 01:21:55ID:HzmBeWdw0104人間七七四年
2007/10/11(木) 17:20:34ID:p0pLAWG4水木北畠っていったい・・・
0105人間七七四年
2007/10/19(金) 18:58:19ID:LXV5MiNi雲出川沿いで南北が街道
モロ交通の要所なんだな
当たり前っちゃあ当たり前なんだけど
ああこんな場所だったんだってあらためて思った保全age
0106人間七七四年
2007/11/05(月) 16:48:43ID:3GaUsVky0107人間七七四年
2007/11/10(土) 21:11:33ID:BqZSOeRj0108人間七七四年
2007/11/15(木) 22:57:14ID:KZyATGat足利一族でも吉良氏くらいしか呼ばれておらず、
北畠一族は支族でさえ伊勢の地元民から○○御所と呼ばれていた
たとえば田丸御所とか笠木御所など多数見られる
0109たられば君
2007/11/16(金) 09:28:31ID:lNCTreVM貴人でないなら高清水斯波氏とかも。
0110人間七七四年
2007/11/20(火) 20:11:55ID:wSP4Sk0g浪岡氏って顕家の弟顕信の子孫っていうのが正しいらしい
国司が神領に横暴をして合戦時に山田三保の兵に横撃されて討ち死にしました。
0112人間七七四年
2007/12/13(木) 10:52:44ID:qBoSC1aY0113人間七七四年
2007/12/13(木) 15:13:17ID:VyXqnBLt捏造ワロスww
0114人間七七四年
2007/12/14(金) 12:32:24ID:QzT4Crqtえ、こんな人本当にいたの?
0116人間七七四年
2007/12/29(土) 02:12:12ID:irLr3LMvだれか詳しい人、教えてくれ
0117人間七七四年
2008/01/06(日) 21:19:11ID:umSSmEgF『禁中御庭者綺譚 乱世疾走』(新潮文庫)
主人公ではないが、あんなに思い入れたっぷりに北畠を描いた戦国小説は始めてみた。
0118人間七七四年
2008/01/09(水) 14:13:30ID:GAcyGrQ3というか、北畠一族がメイン張ってる小説ってこれくらいしか思いつかん。
誰かオススメの本ありませんかね?
0119人間七七四年
2008/01/12(土) 08:16:39ID:SpgJRFtk0120人間七七四年
2008/01/19(土) 21:58:50ID:G2tEf3AJ北畠って名門だよなぁ
0121人間七七四年
2008/02/04(月) 14:30:31ID:PXC5HJwa名門といえば名門だが、太政大臣もいる久我からみるとちと落ちる
0122人間七七四年
2008/02/08(金) 20:44:23ID:UAgdpqkX0123人間七七四年
2008/02/22(金) 15:13:08ID:rhltEv02毛利元就二千貫 三好長慶百貫 朝倉義景百貫に比べるとだいぶ少ない。
でも官位はその前年に正三位 権中納言。
0124人間七七四年
2008/02/25(月) 23:18:34ID:VSSOK8iR0125人間七七四年
2008/02/25(月) 23:32:48ID:+bptbaCc信長お得意の「講和と称して自分の息子と家臣団を送っておいて、騙まし討ちで暗殺」に
引っかかっただけで。
0126伊勢国民
2008/02/29(金) 20:02:35ID:ElLbB6zz織田が攻め落とせ無かった大河内城マムシ谷、今も時々銃弾が見つかるらしい。急峻な崖は今も健在!
一度見に行かれては?
0127人間七七四年
2008/02/29(金) 22:34:48ID:UFNJhRa9金で官位を買うは田舎侍の所業よw。
0128人間七七四年
2008/02/29(金) 23:26:11ID:ElLbB6zz0129人間七七四年
2008/03/19(水) 15:22:55ID:IzFBhXNa0130人間七七四年
2008/03/19(水) 15:24:36ID:IzFBhXNa0132人間七七四年
2008/04/03(木) 15:56:48ID:CqKpUeA40133人間七七四年
2008/04/17(木) 15:34:21ID:gGd03Ms20134人間七七四年
2008/05/01(木) 15:51:12ID:6fk1FnDr満雅ー教具ー政郷ー材親ー晴具だもんな
親房や顕家はどう思うんだろう
0135人間七七四年
2008/05/02(金) 12:27:13ID:XDvb/H9F北畠の支配は大和南東の彼らにまで及んでたのに、名前が出てくるのが秋山直国ぐらいしか……
0136人間七七四年
2008/05/14(水) 01:09:52ID:nBUz4McI0137人間七七四年
2008/05/26(月) 08:40:14ID:w9ga6aHd0138人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 02:43:43ID:3qv1cdku河内じゃなくって、阿倍野区の北畠は大阪随一の高級住宅街だ
そのお高く留まったお屋敷街であの銀行立てこもりをあえて起こしたことに
犯人、梅川昭美の社会への怨恨感情としては意味があるのだろう
南北朝時代の阿倍野の戦いの舞台であり、北畠顕家の墓とかあるとこの近くだね
近くの阿倍野神社も北畠顕家を祭る神社で、ゆかりのある地なのです。
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage425.htm
http://www.city.osaka.jp/abeno/variety/spot.html
若くして死んだ非業の忠臣として人気があったのだろう
0139人間七七四年
2008/06/21(土) 15:13:55ID:alzYqbJ5そうだよね。
父顕泰は幕府から守護に任ぜられ応永の乱で活躍。
子の教具は幕府の忠誠を誓い 赤松教康を匿わなかった。
満雅は完全に南朝側だけどね。
0140人間七七四年
2008/07/08(火) 14:58:52ID:272tmznN0141人間七七四年
2008/07/13(日) 19:45:35ID:gLivFDxR0143土岐一族
2008/07/22(火) 16:50:36ID:zeremvqw伊勢長島城の伊藤氏、願證寺の一向勢、さらには北方諸家、等々。
関氏などは弱小勢力にすぎないのに、いかにも大勢に影響したかの如く
主張されておられる方がおられますが、もっと視野を拡げて議論される
ことを望みます。
だいたい、赤堀氏、濱田氏、稲生氏、星宮氏などの名前が挙がっていない
のは何故なのですか。もっと詳しく調べたのちに発言されるべきです。
0144土岐一族
2008/07/22(火) 17:25:39ID:zeremvqw0145関連スレ
2008/07/22(火) 19:36:13ID:dJ1tSS/fhttp://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216650434/
0146人間七七四年
2008/07/24(木) 20:52:11ID:/D2zFFiTもらっていたのでしょうか?
それとも,北畠氏も守護のように,実際は京に屋敷を構えて住んでいたんでし
ょうか?
0147人間七七四年
2008/07/25(金) 07:31:04ID:j6fwMsWe孫の代で起きたのが川原御所の反乱
0148人間七七四年
2008/07/25(金) 10:28:56ID:yOPJX69/浪岡みたいな辺境だと自官でも良いのにねw
0149人間七七四年
2008/07/25(金) 17:53:31ID:T75F28Tp0150人間七七四年
2008/07/25(金) 23:54:21ID:fydJSQvn0151人間七七四年
2008/07/26(土) 01:02:02ID:0JUCs59Cそれとも,江戸期が来る前に実質消滅してたからかな?
北畠は,交代寄合になれる程度の貴種性はあったと思うし,南北朝以降にはもう,征夷大将軍の権威に対抗する存在ではなかったし。
0152人間七七四年
2008/07/26(土) 01:45:04ID:4ZRmVuGL本家である久我家も残ってるし。
0154人間七七四年
2008/08/10(日) 21:36:15ID:GYX0pmlv0155人間七七四年
2008/08/11(月) 19:56:07ID:QSgGVP5k0156人間七七四年
2008/08/11(月) 22:53:21ID:Y7J1aQwN0157人間七七四年
2008/08/13(水) 07:44:43ID:9nr7E4M30159人間七七四年
2008/09/11(木) 14:30:03ID:wfiWtsMD0160人間七七四年
2008/09/20(土) 00:32:22ID:meXVq6sb【三重総合裏掲示板】
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/i.cgi/travel/8192/
0161人間七七四年
2008/09/23(火) 01:49:00ID:Enyk8xGW0162人間七七四年
2008/09/27(土) 03:52:34ID:D68452Mw血脈が残ってれば、旗本程度にはなれただろうに。
0163人間七七四年
2008/10/11(土) 14:05:20ID:NGmbrce90164人間七七四年
2008/10/16(木) 23:42:56ID:9yePsyQs0165人間七七四年
2008/11/01(土) 10:48:21ID:Lh/kK0EJ0166人間七七四年
2008/11/11(火) 22:42:23ID:KCwyBqyJそれとも村上源氏にお返ししたのか
0167人間七七四年
2008/11/22(土) 14:17:13ID:/HuUjrDj0168人間七七四年
2008/12/03(水) 05:55:17ID:vbNB7PVZ1年以上前の話に亀レスだが、浪岡から舘野越に落ち延びる途中、当然大混乱となった。
また、江戸時代に隠棲していた舘野越周辺に津軽藩が色々聞きまわったときに
素性が割れるのではとドタバタがあった。
浪岡城落城後はいつ素性が割れて手入れが入り根絶やしにされるかという恐怖が常に付きまとった。
証拠物である錦の旗を持ってる家は津軽藩に根絶やしにされる危険を蒙るため、
本家が根絶やしにならないように直接本家の手元に持たない方策を取ったとかなんとか。
家系図にしてもそうで、生存戦略のために本家を本家と絶対的に証明できる物は
消失しただけでなく意図的に残していないとか。
親は明言はしなかったが、そうした経緯で明治維新の復姓時に
たまたま旗を持っていたところがこれ幸いと宗家を称していると理解している。
いずれにせようちは明治以降に分家となってるため本家ではありえないが、
どこが本家かなんてもう分からんとさ。そのため「うちの本家筋」とかいう言い方をしてる。
北畠家は、南北朝時代まで公家として和漢の学を持って天皇に仕えた。
その公家の執務に堪える頭脳くらい受け継がれててもいいと思うんだが、
どう見ても名前負けしてる癖に虚しく家柄を誇る奴が多すぎる。
明治維新で復姓し、約270年に渡る滅亡の恐怖からやっと解放されて
世の中に出られたのだから、受け継いだ能力で社会的成功を収めるよう
精進したらいいと思うんだけどねー。
0169人間七七四年
2008/12/15(月) 16:04:35ID:vAyVkits0170人間七七四年
2008/12/26(金) 20:26:22ID:yAp4xitJhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/owabiplus/1228493994/
松阪マーム受水槽事件騒動まとめ
http://www.saira.jp/society/SOCIE20081202001.php
時系列
http://www.saira.jp/society/SOCIE20081202001.php#time
Q&Aテンプレ
http://www.saira.jp/society/SOCIE20081202001.php#temp
0172人間七七四年
2009/01/26(月) 15:58:07ID:CnouMToVあと織田家に遣えた事もあるっていう、江戸時代も武家として存続した庶流ってどこのことでしょうか?
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