静岡大学教授小和田哲男氏について
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:39:15ID:+5nMQ8o3歴史雑誌やテレビ番組にも度々顔を出す戦国史の研究者ですが、
この人は実際どのような評価を受けているのでしょうか?
歴史素人、玄人、両方の方の見解を・・・
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:40:23ID:AQsJasHM中公・PHPの新書では一般受けしそうなものを多数書いてるし・・
一番よく知られてる日本史研究者でしょ。
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:43:10ID:Y8LJPJ2Shttp://mentai.2ch.net/history/kako/1001/10015/1001570994.html
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:44:53ID:Y8LJPJ2S0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:50:10ID:mF1m5rAuシリーズ 秀吉の家族@ もう一人の秀吉 〜豊臣秀長 太閤記 (たいこうき) を演出した弟〜
解説した小和田哲男の発言
「あの〜まぁ秀吉ってのは、やはりまぁ確かに目端は利くし、才能はあったと思うんですけど、
まぁどちらかと言えば当時 『あのぐらいの武将』 は何人もいたんですよね」
「で、当時の資料って言うのは大体例えば、お兄さんと弟が一緒に出て行けば、
お兄さんの事しか書かれないって言うのが普通なんですよね。
ですからそういった意味でも秀長の働きっていうのは中々資料に残りにくい。
だから、そういった意味では秀長を追う事によって、まぁもう一つの太閤記が見えてくるかなぁ」
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:51:57ID:AQsJasHM手堅く、研究史的にも重要なものと考えます。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:59:55ID:tvAFP56W>>5
この発言はさすがに秀吉を舐めすぎなんじゃないか・・・
あの回は構成全体が何でも秀長マンセーにこじつけ過ぎて
秀長好きの俺でも薄ら寒くてこっ恥ずかしくなったぞ
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 04:03:17ID:YRGSdJ/R0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 12:41:12ID:HgaoOlM7彼の最大の汚点は、あの偽書武功夜話を本物だと
お墨付きを与えた史学者であるという事。
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 14:47:58ID:cTxf2C3uところが、武功夜話偽書説を否定する史学者は意外といたりする。
現物出ないことには、真贋判断できないんだがなぁ・・・
城郭研究でも支城論で一時代を築いたと言えるんだろうか。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 14:50:08ID:R5p5rGOi意外だがこの人戦後生まれだぜ
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 15:15:54ID:Xaz8z0kD0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 17:19:27ID:HgaoOlM7否定する史学者が評価しているのは朝鮮の役の記述。
織田信長が出てくる辺りに関しては、評価している人はほとんどいない。
だが、その当の小和田氏は、信長関連の辺りしか話題に出さない。
いや、特に吉乃マンセーと言った方がいいかw
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 18:41:43ID:gIw4Vvge0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 18:44:32ID:X2TxAJLZ後はみんな市井の人って感じ。
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 19:03:01ID:JshUQkg/0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 19:06:22ID:HgaoOlM7おいおい、戦国期専門の第一人者三鬼清一郎先生を忘れてもらっちゃいけないぜ。
名古屋大学教授から、いつの間にか神奈川大学大学大学院教授になっちゃったけど。
織豊政権期の研究は小和田氏なんか足下にも及ばないぜ。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 21:42:50ID:VhrwFSOu書いていた。
「武功夜話」は明治や昭和に書かれたということはなさそうで、
おそらく江戸時代に書かれたものだろうと結論を出している。
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 21:56:00ID:HgaoOlM7暗い蔵の中で数十分見ただけでそれだけの結論出せるとも思わないがな。
一番いいのは、色鮮やかと言われている添付の絵図の絵の具の成分分析する事だよ。
それで年代もある程度特定できる。
合成塗料でも使ってた日にゃ大笑いだけどさ。
昨年武功夜話に好意的な集まりでコピーだけは披露されたらしいけど、
水に濡れて紙の塊状態になっているそれのコピーなのか
そうでないのかは不明だったらしい。
紙の塊になっていても、紙の分析だけでもいつの時代か分かるんだけどね。
ただ、紙は、江戸時代の紙は今でも手に入るし、実際に偽書を作る場合は
そういう紙を手に入れてから作るともいうからな。
まぁ、大体、当時なかった昭和以降の合成地名だの、後年変わった地形を
元にした記述だのがある時点で、普通は偽書として捨て置かれるのに、
武功夜話に限ってはこの小和田氏がお墨付きを与えた事で、そういう通常の判断を
無視した形で一人歩きしちまってるのが、何だかなぁと思う訳だ。
0020バロン曽志崎
2006/10/09(月) 01:41:58ID:PfuIOCsOそういえば、たしか三鬼博士も「武功夜話」発見当時に原本見てるよね?
短時間だったので即断出来ないが偽書とも即断出来なかったって話だった
と思うけど。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 02:49:23ID:jV9jPQdi昨年公開された時の事について書かれているサイト
ttp://shushen.hp.infoseek.co.jp/hitori/bukou-gi.htm
やはり、最初の量の少ない原本と、その後拡充された新本という事らしいから
原本は結局のところ、かろうじて信憑性を有していると考えられている
朝鮮の役あたりと考えられるのかもしれない
なんにしろ、本当だと言いたいのだったら東大にでも預けて検証してもらえとしか
言いようのない状況ではあるな
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 02:54:49ID:OYkNcujA・江戸末期以前の紙であるように見受けられた(ただし江戸中期より前ではない)
・戦後の成立ではないと思われる(が、昭和20年代に出来た合成地名も記載されていた)
この二つの()のない部分の発言を繋げて、武功信奉者は江戸時代の成立と喧伝している
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 03:13:36ID:iZwriK000024バロン曽志崎
2006/10/09(月) 03:15:13ID:PfuIOCsO小和田博士は紙質から「写し」文書ではと判断している様ですね。
>(が、昭和20年代に出来た合成地名も記載されていた)
藤田本の批判はお粗末なものが多いが、この「富加」問題が解決しない事
にはね。本当は地名(町名)ではなく「富加道」という記述なんだけど。
原本には本当に何と書いてあるのか?活字拾いミスとかは無いのだろうか?
著者の吉田氏は別に歴史研究家では無い素人なんでしょう?
どっちにしろ原本が研究されないとどうにもならんのだろうけど、ここまで
ケチがつくと真作だったとしても使いもんになりませんね。
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 09:15:00ID:aS+tCUMt「富加」問題を最初に指摘したのは、勝村公氏です。
勝村公「偽書『武功夜話』と贋系図『前野氏系図』の検証」(『歴史民俗学』15号、1999年)
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 15:07:01ID:7AihietXけっこう巨乳だった。
聖心だったけど、彼氏にもらったとか言うバイブもってたのにはびっくり。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 10:36:35ID:lho9ZU7Y0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 02:47:00ID:Kwj2QBCv著書や監修した本ではいまだに長篠合戦が武田騎馬軍団対鉄砲三段撃ちって図式
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 21:28:01ID:ziUw4cYD>私自身も「決して良質な史料とはいえない」と自分の本には書いてきた。
>ただ書かれていることが全部間違いで、否定されるかといえばそうではなく、
>『武功夜話』にしか見えない話の中には、史料として使える部分もあるのではと考え、そのように接し、使ってきた。
>ところが、1999年、勝村公氏が、「偽書『武功夜話』と贋系図『前野氏系図』の検証」(『歴史民俗学』第15号)
>という論文を発表し、『武功夜話』偽書説の烽火をあげた。
>ついで、藤本正行、鈴木真哉両氏は、2002年に書名もそのものずばり『偽書「武功夜話」の研究」(洋泉社新書)を出し、
>『武功夜話』偽書説が主流となってきた趣がある。
>それぞれの主張については、両書を読んでいただくとして、
>私が気になるのは、両書とも、『武功夜話』の成立を明治以後としている点である。
>藤本正行、鈴木真哉氏は、明治40年以降、勝村公氏に至っては、昭和29年以降とする。
>だから偽書だという主張である。
>偽書ならば歴史の研究には使えないということになる。
>偽書と家伝史料・軍記物とでは全く扱い方が違ってくるわけで、
>「いつか原本に当って確認したい」と考えていたところ、閲覧の機会を得て、
>吉田龍雲氏の土蔵に入り、刊本となった『武功夜話』の原本とされる21巻本の「武功夜話」に接することができた。
>「千代女留書」といわれる「武功夜話拾遺」を含め、すべて、江戸時代のものと見てよいと私は判断した。
>江戸中期というよりは、後期の可能性が高い。
>しかし明治40年以降、昭和29年以降ということはありえないのではなかろうか。
>実は『武功夜話』には原本になったという21巻本の他にも先行する「武功夜話」があり、
>それらと刊本との照合も必要になるし、『武功夜話』の典拠とされる「覚書」類の研究も今後は必要になってくるように思われる。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 00:27:51ID:J4o1Mqdkそもそも何を根拠に「江戸中期というより後期」といっているのか説明もない。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:57:43ID:e0Dp9W43要するに吉田家では、鑑定しやすい環境で見せる事はしたくないという事だな。
東大の教授を連れて行った人が、吉田龍雲だかにドタキャンされて
面目丸つぶれだったと証言していたりもするし。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 14:36:23ID:NwZJMenh小和田氏ばかり目の敵にするのも執拗だよな。
不審人物往来社の出版方針とかも少しは責めろよ。
ああ、ここは武功をネタに叩くスレなのかw
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