トップページsengoku
985コメント371KB

▼殺生関白▼羽柴秀次▼

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 20:07:32ID:2kl/Yh2s
彼が生きていたら、豊臣家の運命も変わっていたのでは?
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 06:34:04ID:7JYxARWw
>>41
アリバイ?なんのこっちゃ。初め断った事とは関係ないっしょ。

また>>33に関してだが、公家の娘や京付近の大名の娘も同じく混じってるので、全く関係ない。
秀次が失脚させられた事自体は秀吉の陰謀によるものだと思うし、可哀想だと思うが、
女好きだったのはまず間違いないだろう、関白を譲る際の訓戒状の件もあるし。
0043名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 06:42:11ID:9PNYuejo
>>42
あなたが他人の文意を読めないと言うことだけがよくわかりました。
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 07:27:14ID:FUMIJnIm
>>42
秀吉、秀長兄弟は子供少ないし
ヤリチン秀次でいいじゃん むしろ頼もしいよ
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 12:06:37ID:RBIansRb
>>44
ヤリチン秀次の将来・・・8男7女とかになって、諸大名と姻戚関係持ちまくり


ちょっwwヤベッwwwwww
0046名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 22:41:35ID:uYFSC65r
秀頼がぶっちゃけ邪魔だったな
ヤリチン秀次は、家康みたいに諸大名と姻戚関係持ちまくれるから
むしろ豊家にとってはGJ!
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 22:45:53ID:7JYxARWw
>>43
先に人のレスにレスしておきながら、元の俺の文章無視して
文意が読めないとか逆切れされても困るんだが。
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 22:56:47ID:KShszwE6
秀次が仮に生きていても家康の敵ではないから結局豊臣は滅びたんじゃないかな
もし家康に勝てるほどの人物なら自分の危険を早く察知していったんは身を
引いていたと思うけど
0049名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:11:46ID:V26WBOVN
滅びるにしてもあそこまできれいに片が付いたか、て辺りが問題じゃないかな。
家康にだって寿命はあるわけだし、出来は悪くないにしろ秀忠に父親までの才覚が
あるとも思えないから家康が死ぬまである程度の権威、権力を保たれるとさ。
0050名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:20:53ID:GZHy9Ncy
秀次に、家康と対抗できる力はたぶん無いだろう。

もしも秀吉が、秀次を殺すことなく、そのまま秀次を関白に据え置いたまま亡くなったとしたら、やはり家康は野心を剥き出しにするだろうし、豊家恩顧の諸将からも家康に媚びる裏切り者がでるだろうな?
0051名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:26:43ID:RO17SqQc
現役関白の権威ってそう捨てたもんじゃないのでは?
0052名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:43:07ID:YIoJaGPh
秀次が秀吉の後継者として存続した場合、家康は秀頼を担ぎ上げて対抗するんじゃないかな
正則の秀次評みたいに豊臣恩顧でも秀次に微妙な感情を抱いていた人物も居るみたいだし、
家康が彼らや淀殿を懐柔することは有り得ると思う
0053名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:52:04ID:pHEzlc4e
秀吉むかつくな
0054名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 00:01:50ID:2GpN35/O
むしろ三成むかつく
0055名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 00:02:25ID:XO3i0vAC
秀次の母ともの事を考えれば、晩年の秀吉の悪辣さが、よく見えてくるような。

まさか秀吉は、秀次の生殖能力を妬んでたんじゃないだろうな?

大政所なかは、いい時に死んだんだろうな。
息子が、孫や曾孫を殺すなんて事件に、生きていて遭遇してたら堪らなかったんじゃないの?
0056名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 02:15:59ID:mqokpps9
>>52
家康はむしろ秀次に取り入って操る方が楽なんじゃないかな。
四国征伐とかで一緒に居た時間は長いわけだし。

でも秀次が消されなかった場合、秀次切腹後にかなり不審な死に方した弟の秀保も
生きてる可能性が有るんじゃないかな?
その場合、秀吉死後も大和豊臣家は存続してる事になるから、秀次は結構な戦力を
持つ事になりそう。
0057名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 06:57:28ID:EuBJyMVK
>>41
最上義光は最初は秀次の「駒姫を側室にくれ」という要求を断ったのは史実だよ。
ただ、そのあと採算の申し出を受けるうちに
秀吉の後継の秀次に娘を差し出すのは有利と考え直し嫁に出したという。

だが、その時点すでに秀次はすでに失脚していて、
駒姫は秀次に会う事も出来ずに秀次の側室として首をはねられたというわけ。
0058名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 10:29:58ID:xzXglR7f
>>55
>まさか秀吉は、秀次の生殖能力を妬んでたんじゃないだろうな?

これはかなりあるだろう。
秀次が秀頼のことを、「あれは太閤の子ではない」と
いったのが秀吉を怒らせ、あのような事件を
引き起こしたといわれている。

0059名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 10:48:05ID:5ulxLw3u
だからといって正室・側室達までも惨殺するなどもってのほかだわな。
0060名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 12:00:50ID:dcN18Wfc
>>47
>>43のアリバイ工作というのは、最上義光が最初娘を差し出すのを嫌がったという記録は
実際は秀次に取り入るために積極的に差し出したものの、秀次が失脚する段になって
秀次に取り入ろうとしたことが自分にまで類が及ぶのが嫌で、嫌々ながら
娘を差し出したってことに捏造したかもしれないってことでは?
0061名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 12:26:05ID:9HyY2wUG
>>60
>秀次に取り入るために積極的に差し出したものの、

そりゃないな。進物なら、鷹か栗毛の奥州名馬などを贈っておけばよい。
伊達などは秀吉に愛妾を所望されても、易々と献じるのを拒否している。
まして可愛い愛娘を、義光が差し出すわけはないよ。
0062602006/09/24(日) 12:50:12ID:dcN18Wfc
>>61
俺に言われても・・・・。
41=43の言ってる事を代弁しただけだし。
0063名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 13:07:10ID:vqvB3+cm
>>61
お前は本当に文章の意味を理解できない奴だな。
つーか、秀次に側室を差し出す事を進物と言う感覚で考えていること自体がおかしい。
鷹や馬を送る事とは根本が違う事がわかってないみたいだし…。

何のために政略結婚があるのか、この時代の家、家族とはどういうものか、
そこから勉強しなおすべきだと思うよ。
0064名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 14:50:12ID:XO3i0vAC
>>58
だよね。秀次は、秀吉と違って生殖能力には恵まれてた。殺された子の中にも、男子は1〜2人いたそうだし、当時の秀吉は朝鮮出兵など妄想にとりつかれていた。
きっと、「まだ若い秀次が、これからも、どんどん男子を作って、秀頼は蔑ろにされるどころか殺される」なんて妄想にとりつかれてたのではないかな?
そんな気がしてならないんだよね。
その妄想と、秀次の生殖能力への嫉妬心が、あんな基地外じみた事件を引き起こしたんじゃないかな?
0065名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 15:19:24ID:i4eMar5E
実子の秀頼が秀吉死後に蔑ろにされるのを怖れたというのはともかく、
生殖能力への嫉妬云々は勘ぐりすぎだろ
秀吉と秀次の仲が決定的に悪化したのは秀頼誕生後のことだし、
それ以前の秀次もやりまくりだったけど秀吉との関係は良好だった
一時的にも後継者であった秀次が自身と同じく精薄だったらそっちの方が困るでしょ
0066名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 15:30:51ID:EuBJyMVK
>>60
たいした根拠もなく想像だけで「捏造」とか決め付けられてもなあ・・・・

>>61
>まして可愛い愛娘を、義光が差し出すわけはないよ。

こちらの断言っぷりもわけわからん。
0067名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 15:49:18ID:dcN18Wfc
>>66
かもしれない、って言ってるのを決め付けと読み取るそのお頭を何とかしてくれ。
可能性としてはありえない話ではないだろう。
0068名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 15:55:08ID:ayk8bZTU
>>41>>43
アリバイって言葉の使い方が間違ってるのに
文意も糞もないだろ。
意味は解釈可能だがそういう問題じゃない。
何で戦国板ってこういう馬鹿ばっかなんだ?
0069名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 16:02:47ID:9HyY2wUG
>>60
そう。>>60の「捏造」説が根拠もない、妄想の類だから指摘されたまで。
論外なのは>>63。外れなコメントも笑止。奥州一揆の情勢等もっと勉強
したほうがよいだろう。
0070名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 17:21:23ID:EuBJyMVK
別に最上義光は駒姫を慰みに秀次にくれてやったわけではない。
あくまでちゃんとした婚姻外交だろうが、
それを理解できないとは頭が痛い。
0071名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 19:19:53ID:k0Q/y44s
殺生関白って、
摂政関白をもじったもの?
0072名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 20:05:44ID:VCif4UcQ
その発想はなかったわ!>摂政関白
どうだろね
0073名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 20:17:59ID:i4eMar5E
広辞苑にも(「摂政関白」をもじった語)と書いてるじゃん
0074名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 20:43:26ID:OwuMvEm5
ここまでくると釣りなのか、ホントに馬鹿なのか分からん
0075名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 21:18:33ID:y5IXFwLi
まあ釣りだと思う
0076602006/09/25(月) 00:07:44ID:50fTeg+b
>>61
>>66
>>69
だからさ〜俺は39、40のやりとりをみてアリバイ工作の意味を
こういう意味じゃないかって解釈しただけなのに、なんで叩かれなきゃならんのさ。
史料がねつ造されてる云々は別に俺の主張ではないんだが。
0077432006/09/25(月) 01:25:34ID:wL1gGaUJ
>>41>>43なのだが。
>>60が書いたのと同じように解釈したけど面倒だったので一文ですませただけ。
>>39-42の流れがかみ合ってないよねって言いたいだけだから。
どっちにしても、それぞれの主張に沿った史料があるならそれを示せばいいんでない?
0078名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 15:53:16ID:vZeiUt6J
>>60
なんか本人の俺を素通りして随分レスが進んでるが、一応
嫌々ながらってのは史実だと思うよ、資料を見る限りでも状況からの類推でも
とりあえず駒姫に対する義光の愛情は半端ではなかった。
しかしまぁどうしてもという事で送ったわけだがこの時期は資料によって曖昧で
ハッキリしない、秀次の顔も見なかったというのもあれば、2年は暮らしたと言う説もある。
ただどっちにしても秀頼が生まれた後の事になるので、
積極的に送ったとしては非常に疑問が残る。

また最上義光が政略結婚のためだけに駒姫を送った事で、
自分に累が及ぶのを嫌がるような冷血漢なら、あんなに助命を訴えすぎず、
また処刑されたあともあんなにたてついて、結果自分まで幽閉されてしまうような事にはならんよ。
そしてこの窮地を家康に助けてもらい、この時の豊臣家への恨みを胸に
関ヶ原では上杉相手に獅子奮迅の働きを見せるわけで。

基本的に謀略家で伊達側の資料により冷血なイメージを持たれやすい義光だが、
この一件に関しては大した根拠も無く判断して欲しくは無い。

>>68
同意だ、だからアリバイ?なんのこっちゃと言ったんだが、
通じなかった、まず日本語の勉強からすべきだな。

>>76-77
お前ら本人か?
まずはアリバイと言う単語から勉強しなおせ。
日本語を喋ってもらわないと会話ができん。
0079名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 20:04:18ID:ZfjPHVYW
だったら嫁に出す前に秀吉の所に如何なものかって伺いをたてれば?
0080名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 21:05:27ID:vZeiUt6J
秀吉は朝鮮出兵の総指揮中、国内政治に関することは秀次に委任してる。
んなくだらん事でわざわざ聞いてくれるほど暇じゃない。

下手すりゃ秀吉からも秀次からも不興を買うハメになって最上家取り潰し
なんて事も普通に考えられる。
0081名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 21:51:58ID:BbGjWd30
名馬だの金だの差し出せば高感度が上がるだろうな。
娘を出すというのは親戚になるわけだから秀次の時代が来たとき最上は大きくなるからねえ。
0082名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 22:59:22ID:ZfjPHVYW
>>80
どうかな?秀吉は秀頼が産まれて直ぐに帰って来ちゃってるだろ
むしろ20万石の大名が秀吉を通さない方がおかしいよ
0083名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 00:56:44ID:RjNJABFM
別に無断で側室に送ったわけじゃないぞ、何言ってんだ?
0084名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 01:51:29ID:wp1qcL5/
どんな文書が残ってるの?
0085名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 01:56:13ID:wp1qcL5/
最上の取次ぎ奉行はだれ浅野?
0086名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 07:08:20ID:DQoL/6qu
>>78
いや勿論、義光は娘を秀次に売ったわけでも、
嫌がる娘を強引に秀次に送ったわけでもないだろう。
秀次に嫁がせることが駒姫の幸せになるとも思ったんだろうね。
そしてうまくすれば駒姫が秀次の嫡男かそこまで行かなくても豊臣家の分家の祖でも産むかもしれない。
しかし、秀吉に実子(?)が産まれたのは「まさか」の出来事だったと思われ。

どちらにしろ「駒姫を秀次に嫁がせた」という事に眉をひそめるような意見は
のちの経緯を持つ現代人だからこそ持つ印象で
当時としては秀吉の後継者で関白たる秀次に娘を嫁がせるのを躊躇する理由はなかっただろう。
0087862006/09/26(火) 07:09:58ID:DQoL/6qu
あ、厳密に言えば鶴松はすでに産まれて死んでた筈。
でも、これ自体、奇跡みたいなもんだから、
続いて秀頼までが産まれるのは義光にも予想できなかったろ。
0088名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 07:19:02ID:vFR6hfSt
>>86
語尾がすべて「だろう」「かもしれない」「思われ」。単なるあなたの
浅はかな主観で、説得力がないよ。秀次は駒姫を見初め、奥州下向の数
年後側室として所望した。(相当執着していたことがわかる)
義光は内心苦悩の上、断り切れずに差し出したのが真相だろう。
0089名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 07:32:56ID:SDJpSGlA
うまいなアンタ
0090名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 07:41:18ID:8jmraX5j
そんな殺生な…
0091862006/09/26(火) 08:10:14ID:DQoL/6qu
>>88
おいおい、そんな事、言ってたら何も居えないだろうが。
そもそも、あんただって最後に「真相だろう」とか言ってるじゃん。
0092名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 08:22:37ID:Rfbfj0OG
なんか典型的なダブルスタンダードだな。
0093名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 08:48:12ID:RjNJABFM
>>86
駒姫の嫁いだ時期が残念ながら確定的な資料が少なく曖昧なので断言は出来ないが、
秀次の顔も見ないうちに殺されたと言うのもあれば、側室に入って2年近くは経ったという
説もある、まぁ大体その前後なんだろう。と言う事を踏まえた上で考えてみて欲しい。

秀次事件が1595年、秀頼が生まれたのが1593年。しかし生まれたのが1593年なんだから、
淀君が孕んだのはその約一年弱前と言う事になるだろう。
つまりどちらにしろ、「秀吉の子が出来た事が判明してから嫁いだ」事になるのよ駒姫は、予想以前に。
この状況で義光が娘をやるのに躊躇するのはいたって自然だと思うんだが。
愛娘なだけに余計に。しかし時の関白の命に逆らえなかった。

何もおかしな点は無いと思うが、また義光はもともと豊臣家からやや冷遇されていたので、
秀吉に泣きつけるような立場ではなかったと言う点も付け加えておく。
0094名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 09:05:13ID:cRp0RLMd
最上は家親を家康の近従としているように、九戸の乱征時頃から家康派の武将だしな。
0095名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 09:15:44ID:f2LQj2KT
地理的に中央から遠い東北の諸大名は、総じて秀吉への接近が遅れた。
そのため西国大名に比較して、東北の大名家は冷遇された。
だから秀次を通じて豊臣政権との接近を図り、また地理的に近い関東の
徳川家の助けを通じて政権とのコネクションを間接的に持つしかなかった。
親徳川勢力が多いのはそのせい。
0096名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 09:36:34ID:DQoL/6qu
なんつーか、最上厨がいるんじゃないの?
「義光がわずかでも政略結婚という理由で駒姫を読めに出すわけがない」
とかいう思い込みで話してる輩。

別に最初はとりあえず断ったけど、再三、頼まれて、
「まあ秀次とよしみを通じておくのもいいし、駒姫のためにもなるだろう」と考え直して嫁に出した。
で良いと思うんだが、
あくまで頑として秀次に逆らえなかったと主張するわけ?
いやあ、別に秀次くらいなら断りとおせるだろ。
0097名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 09:55:08ID:d6c4UI39
駒姫「私が豊臣を呪い殺しました。ざまあみろです。」
0098名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 10:13:25ID:RjNJABFM
>>96
政略的な意味があるかというなら、無いわけ無いだろう。
ただ秀次の要請によるものだった、コレに余計な反論を入れるからだろう。

あと関白の要請をそう簡単に断れるわけないだろう、
菊亭晴季とかかなり悲惨だぞ。

俺が言いたいのは秀次の死自体は悲劇だろうが、
側室をあんなにも集めて遊んでいたのはあくまで秀次の悪癖であって、
>>33のようなそれすら原因を求めるようなレスに対して反論したまでの事。
0099名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 10:27:24ID:7jL2RhWD
今出川は秀吉没後に右大臣で復帰してるからこの辺の動きは難しいな、近衛信尹の失脚とか
東国だと蒲生の問題がね、後に宇都宮が改易になってそこに蒲生が入る訳だけど
0100名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 10:33:17ID:RjNJABFM
>>95
最上は色々と事情があってアレだったが、
東北の大名が冷遇されたってのはどうだろうか?
割と優遇されてる大名も多いだけに中央から遠いから冷遇と言うのは根拠として微妙な気がする。
親家康が多いのは単純に近い所からってのは当たり前だし、コレも微妙。
0101名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 10:49:12ID:7jL2RhWD
木村常陸が淀城を預けられていたとすれば伏見の秀吉のお膝元に位置するわけで
秀次と関係の位置付けも難しいな
0102名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 18:48:14ID:Rfbfj0OG
徳川は関東奥羽の諸大名の取次だったんだろ。
0103名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 23:50:15ID:+ge4eho5
>>34
遅いレスですまないが、高貴な人は殺生してはならないというけど、
左大臣頼長は人に気に食わない奴を暗殺させ、
しかも自分で自慢げに日記に書きちらしている下郎だ。

まあ、そんな奴だから悪左府と呼ばれて嫌われるのだろうが。
0104名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 00:43:27ID:dFIKeoy0
秀次の狩りに関しては、行った場所が問題なんじゃなかったっけ。
まぁそれ自体がデッチ上げかもしれんので、なんとも言えないけど。

ただ関白になる際の秀吉からの訓戒状見る限り、狩りが好きだったのは事実っぽい。
0105名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 06:59:50ID:MCmYhp0A
>>97
八幡太郎義家「見事に羽柴家は断絶したな」
0106名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 07:31:52ID:iW/28dQg
あの訓戒状って何時の時代だっけ?
秀次の漁色を戒めて「自分の真似をするでないぞ」とか逝っちゃう奴
あれを見る限り秀吉との関係は極めて良好だったはずなのにどこでボタンを掛け違えたのやら・・・
0107名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 10:29:18ID:CgewP+a9
>>106
>どこでボタンを掛け違えたのやら・・・
秀吉に子供が生まれてからだな。実際物凄く良くあるお家騒動のパターンではあるけど。
0108名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 10:37:03ID:dFIKeoy0
>>106
関白を譲る時につけくわえたものだったはず、
ただ個人的にはこの訓戒状の内容から見ても、
極めて良好な関係とは言いがたいものを感じる・・・。

コレから関白になろうという人物に対してあの幼児を諭すかのような
訓戒状を出す辺り、信頼と言う点で言えばやはりどうしても疑問があったのではないか・・・、
少なくとも秀吉にとっては。
0109名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 11:00:21ID:iW/28dQg
勿論秀頼の誕生が秀吉=秀次間の不和の原因になったことは重々承知してるけど、
当初は秀頼に秀次の娘を見合わせることで、秀頼と秀次に分散した
豊臣家の権力の一本化を果たすという構想が秀吉にあったと聞く(ソースは失念したけど)
その場合秀次こそが秀頼の最も信頼できる後見人になったはずなのに、
自らその後見人を始末してしまう晩年の秀吉はやはりどうかしてたと言うしかない
まあ自分が秀頼を大事に思う心境を踏まえて、秀次も血の繋がらない秀頼ではなく
実子に跡を継がせようと思うに違いない、と勝手に思い込んだのかもしれないけど

>>108
まあ正直秀吉は秀次のことをそんなに評価してなかったとは思うw
けどあの訓戒状から駄目な息子を諭す親心みたいなものを感じてしまう
0110名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 20:27:46ID:tqgGIXsk
秀吉やたら養子が多かったからなぁ
養子陣に比べると秀次は見劣りしただろうね
養子の結城秀康みたいなのが秀次の位置に居たら
秀吉は安心して死ねただろうな
0111名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 15:58:54ID:QSCnAmE9
>>110
秀康が養子にいたら、かえってビクビクもんだろ。
それに、秀吉の養子陣じゃ、優秀なのは実質人質の秀康と秀家だけで
血縁関係は実子も含めてボロボロだよ。豊臣家の教育はかなーり問題
あったからしょうがないが。
0112名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 21:22:37ID:V2ylrNF2
豊臣秀次って本当に謀反を起こそうとしたのか?
0113名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 21:31:59ID:SANjM4ys
太閤記
0114名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 21:48:34ID:oPR2wUTn
>>111
秀家が優秀???
奢侈癖があり、その費用で家の財政は傾いた。
内政はガタガタ。
お家騒動を起こし統率力もない。
軍事もお家騒動までは宇喜多譜代、
それ以降は明石にまかせっきり。
関が原で福島と渡り合えたのも明石が指揮取ってたから。

うーんいいところなしのような・・・
豊臣に付き切った以外は秀秋や秀次と多分、大差ない。
0115名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 22:18:06ID:7ViN0+e8
>>112
十中八九捏造。まあ、最後の最後は多少そういう動きもあったかもしれないが、それは
そこまで秀吉が追い詰めたってこと。
0116名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 22:24:42ID:SANjM4ys
まあ有能として書くわけないよな。
「有能なのになんで殺したんだ」って言われちゃ困るからな。
逆に「無能だから殺した」と言えば納得させることができる。

まだ28歳だったんだよね。
0117名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 22:59:27ID:WxuCvbat
関白秀次が出した人掃令が大学入試の参考書にでてるから歴史に名を残したじゃないか
0118名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 07:26:48ID:W8NpVFUY
秀秋ってけっこう優秀じゃないか?
早く死んだからあれだけど関が原では絶好のタイミングで裏切ったり
岡山の行政改革やったりけっこう業績残してる。
きっとそこそこ切れ者だったんじゃないかと
0119名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 09:33:15ID:ZQ+E0yX0
松尾山に布陣出来た時点で秀秋の戦略勝利だろ
間違いなく名将の器
ただ東軍圧勝に導いてしまったが失敗というか若さなんだろうな
0120名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 09:36:56ID:I6TfV9qE
>>118
>>119
家老の稲葉、平岡の力だろ
0121名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 12:27:39ID:0CYNrWbY
>>119
名将の器が戦後神経衰弱に陥った挙句憤死しないだろw
0122名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 18:13:26ID:zgJhG6/+
>>120-121
天才
0123名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 22:35:35ID:fAncnM9C
そもそも秀秋ぐらいの世代の大名で、自らの才覚で大軍を率いられる武将自体少なくない?

もしも秀秋が太平の世まで長生きしてたら、豊富な合戦経験の有る、関が原生き残りの老将として
頼りにされたかもよw
0124名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 22:37:23ID:Yy/IF2I0
豊富って…
0125名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:06:48ID:lxaINJmf
秀秋は朝鮮出兵も経験してるからなあ
あの年齢の大名としてはむしろ実戦経験豊富な方だったんじゃないかと
0126名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:10:20ID:Yy/IF2I0
>>125
加藤とか福島と大して年齢変わらないじゃん。
0127名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:20:00ID:lxaINJmf
福島正則・加藤清正は1561/1562年生まれで小早川秀秋は1582年生まれ、
それこそ親子といってもいいくらい年齢が離れてるぞ
0128名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:25:09ID:Yy/IF2I0
>>127
すまん、秀次と間違えてた…orz
0129名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:27:07ID:lxaINJmf
秀次は1567年生まれで伊達政宗や立花宗茂、真田幸村とほぼ同じ年代だね
この辺の連中とは仲が良かったんだろうか
たしか政宗は秀次事件で厳しい立場に追い込まれてたよね
0130名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:28:31ID:NeojYhHv
>>128
秀次は朝鮮出兵してないし、君には書き込みは早すぎるんじゃない?半年ROMってなよ
0131名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 01:15:35ID:Sv0EjKV9
謀反だったら連座を三条河原で見せしめにすればいいのに
妻子の根絶やしを見せしめにしたんだから凄いよ秀吉
0132名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 08:34:02ID:Ha3QPFaQ
秀秋ねえ。
奴は秀吉に多数の優秀な家臣をつけられてるからね。
奴のあげた功績がどれだけ奴自身の才覚によるものか疑問。

あと、岡山への移封は言われているほど難しくはなかったろ。
むしろベストミックスだったかもね。
宇喜多秀家は自分を微塵も疑わず豊臣家の一員だと思いこんでて、
ずっと「羽柴秀家」もしくは「豊臣秀家」と文書に署名してたような男。
しかもお家騒動のあとは領内は豊臣ゆかりの家臣が牛耳ってたし
同じく豊臣ゆかりの家臣が付けられてた小早川秀秋一行には
むしろやりやすかったかもね。
0133名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 10:08:32ID:Dn+/lgMa
>>121
まあ秀秋の死については色々いわれてるからなあ。
秀秋の死ぬ三日前に弟死んでるし。
0134名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 11:00:28ID:WYpMQsZP
>>132
>ずっと「羽柴秀家」もしくは「豊臣秀家」と文書に署名してたような男。

当時の羽柴姓を与えられてた大名はみな正式な文書には羽柴姓で署名している。
秀家の自負がどうこうというのは全く関係ない。
0135名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 11:48:56ID:x9LlVA7+
文化人秀次が政務を執り
名将秀秋に軍事を任せていたら
豊家は安泰であった
0136名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 19:25:17ID:8DO1gZmr
>>134
家康だって羽柴武蔵大納言で署名しているもんな。
逆に正式にもらえていない加藤清正が署名したら
蟄居させられるくらいだし。
0137名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 19:32:59ID:Sv9Lg50G
でも豊臣が滅亡したら、みんなその姓捨ててるw
0138名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 19:39:38ID:K5tiALvI
>>137
豊臣は滅亡してないよ。
木下家が豊臣を本姓とし続けた。
0139名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 19:50:00ID:Sv9Lg50G
>>138
壇ノ浦で平家滅亡してないって言ってるようなもんだぞ・・・
0140名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 21:05:33ID:G7Sjzwdf
>>137
その代わり毛利も島津も「松平」に。
0141名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 21:22:47ID:Sv0EjKV9
正室が秀吉の妹、継嗣の嫁が秀頼生母の妹
豊臣の縁故ならやっぱ家康が最強かな
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています