>・永禄九年(1566)二月 上杉、佐竹勢の攻められ、小田城落城
>・同年? 時期不明ながら、氏治小田城を奪還

このときは「落城」はしていないんじゃないかな。
氏治が小山と結城を頼って和議を申し入れたので、小田城が開城された。
そのかわり謙信は城中の人々(小田家臣の師弟とかだと思うけど)をみんなとっ捕まえて、
身代金を要求した。有名な話やね。
氏治はそのまま在城を許されたっぽい。

小田がここまで城を何度も取り返せたのは、やっぱり鎌倉時代からずっと小田領だったってことと、
太田梶原真壁というのが、小田に対して決定力をもってなかったってことによるんだろうな。
実際には小田のほうが動員力はあったわけで、太田らがなんとか戦術でしのいでいた感じ。
佐竹もこのときは奥州下野で忙しくて、小田のほうは何とかなっているのでいいやと後回しにしていたっぽい。
たまに手隙のときに来て放火する程度。

ちなみにこの永禄九年の小田攻めでこういう落居の仕方をしたことが、
のちの佐竹の戦略に大きく影響をしたようではある。