1582年(本能寺の変のあった年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟、
有馬晴信、大村純忠の名代としてローマへ派遣された4人の少年を中心
にした使節団。
1587年、豊臣秀吉が伴天連追放令を発布。
1590年、20代の若者に成長した少年達が帰国する。

少年達のその後
 伊東マンショ(正使) 大友宗麟の名代。日向国主、伊東義祐の甥。帰
           国後、布教活動に尽力。4人の中では最も充実し
           た人生を送れたのではないだろうか。

 千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代。純忠の名代。後に棄教。率先し
           てキリスト教徒弾圧に参加。死ぬまでキリスト教
           の悪口を言い続けたという。
 
 中浦ジュリアン(副使) 帰国後、布教活動に力を尽くすが幕府の役人に
            捕縛される。残虐な拷問の末、死亡。遺体は焼
            かれその灰は海に捨てられたという。
 
 原マルティノ(副使) 4人の中では最も頭脳明晰。印刷物出版など文化活
           動にも貢献。禁教令下の日本での布教を諦め、マカ
           オに渡り布教活動を続ける。マカオで死去。