天正遣欧少年使節について熱く語る
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 21:39:25ID:41JBFc88有馬晴信、大村純忠の名代としてローマへ派遣された4人の少年を中心
にした使節団。
1587年、豊臣秀吉が伴天連追放令を発布。
1590年、20代の若者に成長した少年達が帰国する。
少年達のその後
伊東マンショ(正使) 大友宗麟の名代。日向国主、伊東義祐の甥。帰
国後、布教活動に尽力。4人の中では最も充実し
た人生を送れたのではないだろうか。
千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代。純忠の名代。後に棄教。率先し
てキリスト教徒弾圧に参加。死ぬまでキリスト教
の悪口を言い続けたという。
中浦ジュリアン(副使) 帰国後、布教活動に力を尽くすが幕府の役人に
捕縛される。残虐な拷問の末、死亡。遺体は焼
かれその灰は海に捨てられたという。
原マルティノ(副使) 4人の中では最も頭脳明晰。印刷物出版など文化活
動にも貢献。禁教令下の日本での布教を諦め、マカ
オに渡り布教活動を続ける。マカオで死去。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 21:41:58ID:C8JxCAkO0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 21:53:10ID:7JHqWTLF0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 22:10:02ID:a1J8ScqD0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 23:45:38ID:GWLvOOnA0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 03:28:23ID:XmsMv43/0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 08:52:11ID:T922iKGCミゲルは帰国してしばらくして棄教。主君の大村喜前に南蛮は日本征服の意図があると報告している。
名前も千々石清左衛門に改名している。大村喜前は過酷なキリシタン弾圧を行う。ミゲルもその弾圧に
力を注ぐ。後に大村喜前は何者かに暗殺された。
ジュリアンは小倉で幕府の役人に捕まり長崎に護送される。護送中も激しい拷問にあう。長崎に到着する
と今度は耳に穴をあけて逆さづりにされた。耳からの出血で失血死させるもので、死まで数日を要し大変
な苦痛を伴う。棄教をすれば助けるという役人の言葉に頑として応じなかった。一緒に拷問を受けていた
南蛮の宣教師はたまらず棄教したが、ジュリアンは殉教した。
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 09:53:33ID:LAZdI/lJ両者の心の葛藤を描いたものらしい。切支丹弾圧は現在の感覚からは非難すべき行為だろう
が当時の情勢からすれば極めて妥当な判断である。切支丹追放令を非難した南蛮の提督に対し
豊臣秀吉は返書で痛いところを突いた。「あなた方の国で日本の坊主が布教活動を始めたら、
喜んで受け入れるでしょうか」と。俺は千々石の生き方に共感するな
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 10:37:04ID:T922iKGC目の当たりにしているからな。
千々石はきリスト教の説く神の下の平等という崇高な理念と現実には奴隷制度が存在す
るという矛盾に納得できなかったのだろう。
まあ、白人の論理は非白人は人間ではないから平等に扱う必要はないということらしいが・・・
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 10:41:42ID:/LYSqv5n0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 10:50:08ID:T922iKGC意志の強さはまさにサムライの鑑だ
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 16:22:54ID:Tx0cj5gO0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 14:11:21ID:kjuyS6JO千々石ミゲル・・・数年後に改宗
伊東マンショ・・・司祭になるも1612年、長崎で病死
原マルチノ・・・同じく司祭になり、通訳や出版で活躍するも1616年、マカオに追放
中浦ジュリアン・・・1633年捕まり、丸二日の拷問の末、雲仙岳で逆さ吊りの刑で氏。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 15:32:20ID:S2NqLmpGキリスト教徒への弾圧を僅かながらでも聞いて
良く責めてこなかったな。
危ない橋渡るわ
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 12:45:23ID:h+z50UUM宣教師が手紙を頻繁に本国へ送って日本の内情を知らせている(宣教師は半分スパイみたいなもの)
当時の日本は鉄砲保有量世界一と推測されるぐらいの軍事大国
おまけに兵士は戦争慣れしているのでスペイン・ポルトガルといえども手が出せなかったし。
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 18:40:54ID:EkR4ObbMアステカ・インカなどとは比べるべくもないし。
0017名無しさん
2006/09/09(土) 15:49:38ID:blSu6Vp70018名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 23:36:06ID:GE4AQAse0019名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/17(日) 15:11:04ID:ta0kT69N0020名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 22:34:48ID:7mbomrAoそんなことはありません・・・
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2007/01/06(土) 23:42:05ID:qJBt3kRr0022名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 14:47:16ID:oPj+FTLJ「中浦ジュリアン」だったような。
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2007/01/10(水) 00:25:58ID:qtnBHFpE自分たちで日本版プロテスタントみたいな宗派を勝手に興せばよかった
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2007/02/04(日) 19:12:16ID:B+Au0qKV0025名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 19:19:05ID:UqnQHIIlペドロ岐部って凄まじい人もいるね。
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2007/02/04(日) 23:04:26ID:+OMlQ6S0ttp://www.youtube.com/watch?v=97xu49ON8MQ
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2007/02/06(火) 18:47:26ID:cjpK3C3s0028名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/07(水) 06:08:03ID:Q1WzgIYk先祖に南蛮にわたった人がいると代々秘中の秘として伝えられていて調べてみたらジュリアンだったと。
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2007/02/10(土) 22:04:16ID:CGNotS+l信長が贈った安土城のびょうぶ
織田信長からローマ法王に贈られた安土城のびょうぶ絵を捜すためローマに滞在中の若桑
みどり・千葉大名誉教授らは9日、びょうぶは1592年までの7年間、バチカンに収蔵されていた
ことが分かったと発表した。
びょうぶは伊東マンショら少年4人の天正遣欧使節が1585年3月、当時の法王グレゴリオ13世に
献上したが、現在は所在が分かっていない。
今回の調査で、1592年7月13日にベルギー人の骨董収集家ウィンゲが、バチカンの「地図の
画廊」でびょうぶをスケッチしたことが、ウィンゲの書簡から分かった。
18世紀にフランスのイエズス会士が出版した本には安土城の絵が載っており、びょうぶが
法王からの贈り物としてフランスに渡った可能性もあるという。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007021000150&genre=M1&area=S20
0030人間七七四年
2007/02/28(水) 14:00:45ID:HxAMKfgkウンコにコーン粒が入ってそうな顔をしているよね。
伊東マンショ。
0031人間七七四年
2007/02/28(水) 14:41:29ID:lPQeZirn0032人間七七四年
2007/02/28(水) 20:56:10ID:eS/zrDHLフランス行ったんじゃ残っている可能性は少ないな。
オーストリアあたりだったら物持ちもよさそうだし残ってそうだが。
0033人間七七四年
2007/02/28(水) 23:54:59ID:+oHwt/ufフランス革命で皆燃えたか。
0034人間七七四年
2007/03/05(月) 23:05:22ID:obM8j+AX実際に日本から法王に書簡が頻繁に送られたのだろうか?
0035人間七七四年
2007/03/13(火) 14:06:16ID:6Fx/H1G90036人間七七四年
2007/04/23(月) 22:45:18ID:xfKuTeNF0037人間七七四年
2007/05/24(木) 22:44:30ID:ecXlbJZJ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています