淀の方を再評価しよう PART2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 13:36:02ID:mH4fhvS0http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1026995363/
1 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:02/07/18(木) 21:29
淀の方を暗愚だと言う人は多いけど、そろそろ再評価すべきではないか。
そもそも家康(徳川)側にとっては秀頼の存在は極めて危険なものであった
から、大阪城から他への転封などされたら、後は適当に言いがかりをつけられて
改易→斬首の可能性が非常に高かった。それにもし生きながらえたとしても、
浪人や秀吉政権下での織田信雄、今川氏真のような生き様がよいものとも思えない。
そう考えれば徹底抗戦して、家康が死ぬのを待つというのはあながち間違った
選択肢とも思えない。
それに負けたとはいえ、大阪の陣でも家康本陣まで迫ったこともある。
桶狭間のときの信長よりは、勝算があったのではないか。幼少の頃から、
蝶よ花よと甘やかされて育った茶々姫がここまでの大勝負を家康相手に打ったの
だから、彼女の持って生まれた才能は、かなりのものがあると思う。織田家の
血筋の中では、男系よりも市の方の三人の娘の方がはるかに資質が高いと思える
のは私だけでしょうか。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:13:04ID:puIMhLfb言われんでも、もうネタがねない
しかし、結局、「花顔」が「浮気」という意味だというのは納得できなかったなぁ
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 18:33:16ID:Yzzp+/bn総大将として打診されてたの?それともただの噂?
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 19:07:05ID:JcOf7RM/何かどうでもいいことだが「西洋での意味(現在の意味)」の指す所が分からん。
この西洋は欧米じゃ意味通らんし、当時は「西洋」がどこか他地域を指したのか?
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 19:48:08ID:PlG8HmLKなんであれほど有名なのかがそもそも疑問。
政治・経済・軍事面での実績なんか皆無だと思われるし、
書道や和歌の達人だったなんて話も聞いたことが無い。
なのに、知らない人がいないほど知名度が高いんだよな・・・
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:18:33ID:cMQPZxl10072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 21:13:11ID:Yzzp+/bnお市も茶々も親子二代で小説なんかメじゃないくらい
壮絶な人生送ってるし。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 22:27:16ID:AYXj8juR0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 22:37:32ID:tYNJvoRXともあれ、信じるにソースが欲しい話だな
ID:puIMhLfbではないが
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 22:48:24ID:vg2+yltF駒姫の悲劇に比べたら・・・
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 08:57:47ID:EQ2t7mAt口実だったとしか思えん
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 16:11:38ID:8MgYyoyF駒姫って、秀次の側室になってから殆ど時間すぎないうちに殺されちゃってるから、あまり有名じゃないんだと思います。
(駒姫って秀次の側室ですよね?無学でスマソ)
0078wiki
2006/08/28(月) 16:17:13ID:xQtnz3+e天正18年(1590年)、九戸政実討伐の帰途に山形に立ち寄った秀次は、
駒姫の美しさに目を止め、側室にしたいと義光に申し出た。
こうして駒姫は山形から京へと嫁いでいった。
しかし文禄4年(1595年)の七月十五日、秀次は高野山で切腹させられてしまった。
そして駒姫も、八月二日に他の秀次の側室達と共に、三条河原に引き立てられ十一番目に処刑された。
まだ実質的な秀次の側室になる前だったとも言われている。
父の義光が、必死で助命嘆願に廻ったが間に合わなかった。
まだ十五歳の若さであった。
辞世の句「罪をきる弥陀の剣にかかる身のなにか五つの障りあるべき」
娘の死を聞いた母の大崎夫人も、悲しみのあまり間もなく亡くなった。
墓所と菩提寺は山形市の専称寺。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 20:10:18ID:sMdsYvfu必要以上に悪く言われすぎ。
悪女というより、肉親の悲惨な最期と、敗者の一族というトラウマを一生背負っていたんだと思う。
母親のお市が毛嫌いしてた秀吉にモノにされたのも屈辱だったんだろうな
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 20:33:34ID:ehAcmUDu0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 21:21:35ID:O0xcCY6k0082奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/28(月) 21:38:09ID:+dFBmptQ0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 02:39:30ID:2DTndRDx乱世のどまんなかで翻弄された人生。多少のエロネタはこの際、目をつぶるよ。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 09:34:14ID:z+gklaLu息子とカマボコ食いまくったり実際には悠々自適な人生だったそうだが
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 11:57:21ID:e+Auvb5H0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 15:14:28ID:cgqFiHR00087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 17:40:39ID:qZwXaeIYどういうこと?
詳しい解説を。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 19:43:10ID:lljfNk9Y別人だが、俺が説明してあげよう
最期の山里郭だがの中で、自殺するとき、自殺を嫌がり、
秀頼の命で、荻野道喜に後ろからぶっ殺されたとかいう逸話があるらしい
ただし、秀頼、淀殿の最期を見た人は全員一緒に死んじゃった
なぜ後世に伝わったのだろう?
おそらく例によって淀殿を貶めるための作り話なんだろうね
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:01:22ID:STqpO04g鶴松の父親も、そうなのかな?
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:09:23ID:ZHHmb5iAつかそれは「腹切る」に対する疑問じゃないのか?
女性の死に方としてあまり聞かないけど、それを指して「臆病者」と言ってるから。
できるなら女性も腹切る方が名誉な死に方だったんだろうか?
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:15:40ID:AabMrtDXの陰謀どす。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:23:53ID:lljfNk9Yなるほど、女性の切腹とは聞かないな
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:33:27ID:JP760MG6鶴松の父が大野だろ。
秀頼の父はどこかの馬の骨w。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 21:52:28ID:HTIELtmB0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 23:40:18ID:OcOpkj8jと考えると淀殿が若い男に走っても誰も文句言えまい。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 00:25:48ID:1FoUajq8市がキチガイやらかしたせいで茶々は仇敵に強姦されてしまい、
挙句の果てに大坂城もろとも灰にならざるをえなくさせられた。
北ノ庄で三姉妹も心中させたほうがよかったというもの。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 03:43:27ID:QM78Q10j女の腹は「子を宿す場所」ということから、女は切腹はしないと聞いたが。
喉を突いたり、他の家臣に殺してもらったりではないのかな。
山里丸にいた人間、みな自害したはずなのに、>>88みたいなのが残ってるのもアレだね。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 08:08:01ID:3Q8h++kU0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 11:12:03ID:LKNR4qdAそれと夫が死んで出家した人も意外に少ない。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 13:34:17ID:XgNefvBU挙句、死ぬ度胸もないんじゃウザイ存在に思われてもしょうがない。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 18:18:51ID:7YUFgnGgおまえさんの好きな甲斐姫は淀殿の友人だぞ
大坂の陣でも一緒にいて、最期は秀頼の娘とともに脱出。のちに出家。
というのが、一般的な甲斐姫伝説ではないか?
淀殿の大坂の役での判断には、少なからず甲斐姫の影響もあったと思うぞ
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 20:02:16ID:YltUZd/C0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 22:34:18ID:QQ3kCR3H強姦されたとは限らんぞ。
淀殿の方から近付いたかもしれんし。
案外互いの利害の一致かも。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 00:23:31ID:W0HnJyF/なぜか1人だけ通称で呼ばれる茶々・・・
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 10:22:18ID:UMLHvKxR立場も存在感も全く違う女性をひきあいに出してどうする。
>>102
一般の甲斐姫にかんする逸話なんて
「秀吉の愛妾の一人になった」で終了してるんじゃない?
醍醐の花見での「かい」が甲斐姫か?と推測されてる程度じゃん。
東慶寺に入ったなんて、寺ではそんなこと伝承してないしな。
秀吉妻妾となってからは目立った存在ではなかったんじゃないかね。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 19:04:22ID:zvMNBb2N史実かどうかは横においておいて
ネットで検索するとでてくる甲斐姫伝説では、そういうことになっている
ttp://www.908.st/mt/ohara/archives/002642.html
ttp://hagakurecafe.gozaru.jp/29%20kaihime.htm
あくまでも伝説として面白い
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 23:17:45ID:ohgr1hJa無論、淀殿とて例外ではないだろう
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 07:45:03ID:n0Y3UK/D姉妹だから仲が良いとは限らないぞ
淀の方にしてみれば自分は天下人の妻、妹は家来の子供の妻と思っていたのが
立場が逆になってしまって、猛烈に嫉妬とか。
>>65
でも例えが楊貴妃じゃあまり良い意味じゃないんじゃ・・・
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 19:03:44ID:4WQqAv6nいや、この場合、お江与からみた茶々だから
戒名でまで辱めねばならないほどに、憎悪していただろうか?
野郎の俺には、姉妹の関係などよくわからんが、常識的に考えてありえんと思うがなぁ
「顔の綺麗な女性でした」という意味なら、ごく無難な戒名に思える
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 19:15:20ID:0R6Hh9Ns0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 21:41:55ID:CjNDaNaF啀み合って殺し合った姉妹なんて歴史上結構見るし、
子供の頃ならまだしもお互いに結婚して離れてしまえば自然と疎遠になる。
まして、お江与は茶々の都合(だけでもないけど)で
結婚を含めて自分の人生散々に振り回されているし。
まぁ後に供養したりしているんだから、仲が悪かったわけではないだろうけど。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 15:40:20ID:RqYRwe1iマジで!
自害した人が少ないのは知ってたが、出家した人が少ないことは知らなかった…。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 15:47:54ID:3dz550fu0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 16:01:00ID:W2Dif3Cj最初に言い出した奴も用例やそういう内容が書かれた史料を提示してるわけじゃないし、
単なる2chの書き込みを前提にして江与と淀殿の仲をあれこれ勘ぐる意味ってなくないか。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 16:18:25ID:hKqkWwz7これだけで十分に淀を表せるよ。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 20:38:23ID:rdmo4Lfvこの呼び方では地名を指してしまうんじゃない?
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 21:09:25ID:mCeksd1uその後1580年代末期に、秀吉が淀に城をたてて、そこに懐妊したお茶々が、秀吉の妾としてリニューアルされて入城することで、再び歴史の表面にあらわれる訳だから。
秀吉も、お禰にあてた手紙に「淀のもの」って書いてたんじゃ?
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 11:22:05ID:Oz2b00jIその土地に住んでる、その土地の出身である等々のことからの
○○殿の称なんで、殿なしの「淀」でも通じると思うけど。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 21:41:02ID:5HpZIRT1奇しくも、両者とも通称で呼ばれることが圧倒的に多いけど・・・
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 01:21:09ID:PCt/RRu3言う役者は、淀殿に対して「殿」なんてつける必要のない秀吉や北政所。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:37:36ID:KrCLzRavチャチャチャ浅井のチャッチャッチャッ
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 16:41:34ID:xOhw/oKL0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 22:00:27ID:y1SsPd2/大河で茶々が善人になることはないのかな。
おねたんと友好な関係の茶々たんが見たいです。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:02:58ID:T45E18Jj崇伝らが解読した梵鐘銘文を見せると、家康は、「アッー!」と絶句した。
―この梵鐘が存在するのは、京都の方広寺ですね。
「うわあ・・・、これは方広寺ですね。」
―文中に、徳川家に対する呪詛が込められている?
「これ(国家安康)は家康の名を分断していて、
ああ、こっちは君臣豊楽ですね。間違いない。なんだこれは・・・。たまげたなあ。」
たとえ事実でも言いがかりだろ。
徳川方との講和に関し、大野治長が淀殿に事情を聞く。
淀殿「大筒が怖かった」
春永「なぜ、外堀なんだ」
淀殿「内堀も埋められました」
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:26:56ID:y1SsPd2/茶々「嫌だよ、和議なんて…。」
治長「断りにくいんだよ。家康目が本気だったし…。
外堀だけだって言うから…このとおりだいっしょに行こう。」
茶々「しょうがないな…。」
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:33:18ID:y1SsPd2/よかったのかな。
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:49:46ID:jCx997PR佃煮っ!佃煮っ!佃煮っ!佃煮っ!佃煮っ!マッガーレは池沼!佃煮っ!佃煮っ!ぽ!佃煮っ!
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0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 07:25:04ID:aA6vKXm40130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 07:26:18ID:aA6vKXm4たしかこれ、スキャンダル発覚時の
立教野球部長のコメントでしょ?
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 08:14:36ID:eXEpHKs0秀吉の映画(家康役が竹中直人)だったら淀と北両方善人になってた
他にも大河の家康でも淀は善人になってる
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 10:34:29ID:1tdHKesw無理だろ、第一面白くねーじゃん
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 17:52:09ID:p9V27kil0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 19:04:14ID:nr7cA+aL大御所に扮した徳川家康らが豊臣秀頼建立の方広寺の鐘に因縁
↓
「国家安康君臣豊楽?すぐに削除しろ」 「すれば落成供養させていただけるんですね?」などの
会話を経て大坂冬の陣に。
↓
家康のやり口が「汚いやり方だなぁ」などと罵られる
↓
豊臣家は諸大名に馳せ参じるように命じるも誰も来ず「アッー アッー!」と悶える
↓
真田幸村たち浪人衆が軍備を集めながら豊臣秀頼の母(淀殿)に顔を見せる。「浪人衆ばかり!」と悶えながら
兵士を鼓舞させる。このあと、家康側近の一人が大筒をつけ、大坂城に背後から
砲撃。「アッ、アッ、アッ、和議!」と豊臣家は狼狽えながら声をあげる。
↓
諸大名も加わり大坂夏の陣が始まる。ヤラれるばかりだった豊臣家が一転、攻勢に出て、
徳川軍を下にして攻めまくるも壊滅。無念の思いに震えながら、「アッー、アッー、イク!」
と叫んで、豊臣母子も大野兄弟、毛利勝永らも勢い良く自害。
あと真田幸村に追い回されて 家康は死を覚悟して「アッー!」と吠えたらしい。
ttp://web.archive.org/web/20040118203939/globalgaydiscs.com/babylon_34.htm
上左・・大御所役のデブ。
上右・・恫喝され、諸大名にソッポ向かれ、腹筋きしませながら身もだえするHDYR(秀頼)。
中左・・大坂城に大砲をブチ込ませ、士気をいじられる豊臣軍。更に徳川軍NTK(井伊直孝)に攻められ超キブンワルイHDYR。
中右・・大御所に攻められながらも、豊臣軍の兵士をしごくMRTK(長宗我部盛親)君。もちろんHDYRは恍惚。
下・・YKMR(幸村)君に突撃で脅され、敗走中の家臣に怒り、ケツに力が入る寿命寸前のIEYS。突撃に狼狽する将軍HDTD君。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 20:59:13ID:r5j1lvoTCHCHじゃなくてTTでしょ
訓令式ローマ字表記ならTyatyaだし、
なにより茶=teaと引っ掛けることも出来る
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 21:49:22ID:Rfeo76yq0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 18:29:58ID:BO+GAk3T0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 08:35:52ID:X//Rljc/こんなやつの下で働きたくねー
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 19:39:51ID:BtyuBd4f大きいなら秀吉に強姦される前に自害するに決まってるし
大砲ごときにビクつくはずもないからな
逆に小さいなら自害なんかしないで逃亡するに決まってるし・・・
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 10:37:26ID:m4Z1Lb+jつまり、ただの小心者。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 21:33:45ID:bE0VKEdm小心者が自分の懐剣で自分の体を傷つけられるかどうか・・・
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 22:20:36ID:aUR3NTBs0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 02:01:14ID:F3v5KMHmだから懐剣自殺も辞さない
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 06:57:22ID:HPCOftI50145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 14:45:17ID:lTWH2jZ7爆死
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 20:55:07ID:2o7PeRVNどうせなら敵が突入してきたときに
敵兵士どもを道連れにする形にすればよかったのに
0147名無しさん
2006/11/09(木) 00:42:25ID:Uy7N/oDz息子を猫かわいがりするバカままが秀頼と淀君だろう
家康も滅ぼそうと思ったのは怖かったと結うよりうるさかった
からじゃないかな
淀が賢ければ家康に殺されないで生き抜く方法はいくらでも
あったんだよな
スレヌシは淀を買いかぶりすぎているよ
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 17:48:53ID:94M2C2YZお咎めなしか、それとも配流か、斬首か、切腹か?
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 19:44:14ID:H0jd/HVp0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 21:12:25ID:ZtFxwnAFなんて使ってる奴数年ぶりに見た
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:09:04ID:R5iTtfUSなんか当然の前提みたいに話されてますが、私、2chに来て初めて聞きました・・・
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:44:23ID:a/whEaIy信用したい奴が信用すりゃいいんじゃないの。
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 15:10:09ID:aY1fCUDS秀吉が父なんだけどな
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 00:11:31ID:sdhcZjp5よって、秀頼は秀吉の子である。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 00:28:47ID:foNJHKEU0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 01:22:46ID:4dnl1xGm↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
慶長4年12月2日付で毛利家臣の内藤隆春が宍戸元家に上方の情勢・風説を報告した文書にあるとのこと。(毛利家編纂の古文書集「萩藩閥閲録」の中にある)
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「人物叢書 淀君」(桑田忠親 吉川弘文館)に書いてありました
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 21:24:58ID:gz7uOCOS慶長4年12月2日といったら、治長
例の家康暗殺未遂容疑で、下野だがで監禁中ではないのかな?
0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:34:12ID:KH8xWOAK始皇帝と同じようなもんだ
0159奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/11/13(月) 22:45:49ID:gVrlBz6/0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:54:46ID:sdhcZjp5情勢・風説の報告書だろ?
そういう噂は当時からあったという説の糧にはなるが。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 23:07:56ID:y9vW5lEc側室300人以上いて2人も孕んだの茶々だけって明らかにおかしいだろ
0162奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/11/13(月) 23:14:41ID:gVrlBz6/0163156
2006/11/14(火) 01:18:15ID:BG4NjttN>>160
そうなんだよね。この文書が書かれてて大野治長は下野に流されてて大坂には居ないはず。
この文書からでは、いつ頃のことなのか解らないんだな。
ただの噂なのか、それとも慶長4年に文書が書かれた時より遥かな前の事だったのか全くわからない。
ただ、よく言われてる淀殿淫乱説や、大野治長の秀頼実父説の源流になってるみたいだから。他の多くは江戸時代につくられた物らしい。
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 12:43:13ID:hIPITYQf0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 13:02:05ID:PxjTr7Br○に何が当てはまるのか分かりません><
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 13:24:53ID:hIPITYQfサ○マンね(o^ー’)b
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