【軍師】戦国最強の策士は?【謀臣】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 23:36:39ID:gQBpHvT8竹中半兵衛、黒田如水、蜂須賀正勝、石田三成、島左近、山本勘助
真田親子、直江兼続、本多正信、片倉景綱、太原道斎、立花道雪
などなど多くの策士達について語ろう
0314名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:32:31ID:9ab3x5aDぶっちゃけ主君以外でその家中で目立った武将はみんな軍師にしちゃえそうだ
0315名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 18:26:23ID:C6xFa45C成り上がりっぷりが半端無い
まあそう言う意味では百姓上がりの秀吉が凄いってことになるんだが
尋常高等小学校卒で20代で不動産屋の社長になり、
総理大臣・闇将軍・資産800億円まで成り上がった田中角栄も神
0316名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 20:25:25ID:8CW6vRoh0317名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 23:00:54ID:38OODKv9松永弾正から、只者ではないと評された。
毛利元就辺りと同格かと。
0318名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 23:16:16ID:5i73hBQG>松永弾正から、只者ではないと評された。
Kwsk
0319名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 19:12:58ID:aSB1ANb+0320名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 12:21:35ID:ZtJy18UHなんて指図できるには、重臣たちの軍議など必要ない、つまり合議でなく
全てトップダウンできる強権がトップに必要ということ。合議制の証左がたくさん
残ってる武田なんてのはまず、「軍師」など存在できる状況下に無い。
一般の企業を見ればわかる。重役がひしめき重役会での決定が社の行き道を決める
ような会社では経営コンサルタントなど入り込む余地は無い。実際、コンサルが
入れるのは中小企業だけだね。で、合議制のないトップダウン式の会社なんだけど
例えば信長みたいに強権でもって大企業を一代で起こすような社長は軍師=コンサル
なんかの意見なんざ聞かない。ここでも活躍の場は無い。
角隈石宗なんかは重臣連の意見を統一するため「神意」を用いた形だから、まあうまい
形かも知れんが軍師ではなくトップの意思の伝達に過ぎん。
竹中、黒田が一番軍師に近いのかも知れんが、それも秀吉家中で重役と呼べるほど
株式(領地)を持っている人材が居ない時期のみの活躍に限られ、実際黒田なんかは
後に遠ざけられてるしね。軍師が活躍って小説としてはおもしろいかもしれんが
実際は秀吉のような素人がフリーター集めて会社起こした初期に必要な「経営コンサルタント」
にすぎないと思う。後は全部お話でしょ・・・
0321人間七七四年
2007/03/05(月) 20:56:29ID:qn2Unwfl0322人間七七四年
2007/03/15(木) 22:50:50ID:9O7J7l68http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161774160/l50
0325人間七七四年
2007/04/03(火) 18:30:48ID:7waOciC2で、竹中半兵衛氏
黒田如水
この3人のうちのどれか
0326人間七七四年
2007/04/07(土) 15:05:30ID:xgTIQZdb角隈石宗は昔からの意味で軍師(というか軍配者)。
戦国時代初期以前の「軍師」というのは祈祷や占いを受け持つ人たちだから。山本勘助は参謀的なニュータイプの軍師で、古来からの軍師とでは意味が違う。
0327人間七七四年
2007/04/07(土) 18:32:25ID:9ZajywP1山本勘助なんて生存が確認されただけで、
何をやったのか事跡は一切不明の人物にすぎない。
0328人間七七四年
2007/05/21(月) 20:58:26ID:YkTGcslW0330人間七七四年
2007/05/21(月) 23:23:39ID:YQPG04G70331人間七七四年
2007/05/22(火) 00:03:55ID:uEe37pjA妻の父中山信正を暗殺 島村盛実を騙し討ち最所元常の男色に目を付け、岡某を送り込み小姓にして気を許させてから暗殺
0332人間七七四年
2007/05/22(火) 00:11:22ID:uEe37pjA妹の夫伊賀久隆を毒殺
金光宗高に難癖をつけ自害に追い込む
三村家親を鉄砲で暗殺
松田氏の重臣宇垣兄弟を狩りの獲物と間違ったと言い訳し暗殺
0333人間七七四年
2007/05/22(火) 00:29:41ID:uEe37pjA伊賀久隆と手を組み娘の夫松田元賢を攻め娘もろとも自害させる
書き忘れたが伊賀久隆も直家の妹をもらっている。妹は兄を恨んで自害した。
ついには主君浦上宗景の子宗次を岡山城で毒殺。
さらには宗景の兄政宗の孫久松丸を擁立し、ついに主君浦上を滅ぼす。
0334人間七七四年
2007/05/22(火) 00:39:53ID:uEe37pjA久松丸を擁立し主君浦上宗景を追放するが、もういらぬとばかりに母子共に岡山城中で暗殺。
病気と称し漁夫の利を得んとすること3回。
書き忘れたが、暗殺した浦上宗次は6女の夫。
難癖をつけ自害させた金光宗高は3女の夫。
謀略をつかい討った後藤勝基は4女の夫。
妹や娘の家を攻撃しまくっているが、皆悲しみのあまり自害している。
0335人間七七四年
2007/05/22(火) 00:44:35ID:uEe37pjA実際まだ半分ぐらいだが面倒くさい。
個人的に大河期待している。ボロクソに書いたが地元として愛着もある。
0336人間七七四年
2007/05/22(火) 01:16:08ID:Z8D7g4eWでもそれを出来るだけの実行力を有してたとなると忍者的な団体でも囲ってたんだろうか。
0337人間七七四年
2007/05/22(火) 03:02:36ID:IN+48vfx0340人間七七四年
2007/05/22(火) 13:56:21ID:y0Eyie/cしっかり見ても分からないんだが
そもそもやたら文章が下手だから何が言いたいか分かり辛いのもあるが
筋が通るよう解釈しても存在はしたが業績が分からないってのの答えになってない
0341人間七七四年
2007/05/22(火) 15:58:32ID:N+T40P9Yだがお屋形にうざがられて遠方に追いやられるとか
それに対する努力の方向性が生真面目な忠臣のそれでしかなかった
策士とは言えないね
0343人間七七四年
2007/05/22(火) 19:00:48ID:9AwvwMSV日本語になってない。
君頭悪そうだから、俺が代わりに説明しよう。
山本勘助がどのような活躍をしたか説明せよ。
山本勘助が存在した証拠があっても、それを説明できなければ
評価のしようがない。
重要なのは彼が何をしたか、ということ。
0344人間七七四年
2007/05/23(水) 02:45:18ID:T1exe+cm何をしたか?本に書いてあるじゃん。ウィキにも。
証拠ってなんだよ、古い書物が証拠か?それが捏造じゃないって誰が決めるんだ?大学の教授か?戦国時代を実際見た人がいないのに、正確な証拠なんてある訳ねーだろ。
0346人間七七四年
2007/05/23(水) 13:43:11ID:2z/mtUfkマジレスさせてもらうが史実とするなら何の資料に、どのくらい書いてあるか
つまりどれだけきちんとした根拠があるかが重要
誤った記述が多い、また資料が著された時代が下れば当然信憑性は落ち
著者の立場も鑑みる必要があり、新しい資料や解釈により覆る事も度々
というのが歴史の是非を語る上で知っておくべき大前提
実際に見たことあるのか、なんて完全にオコサマの理屈だ
で本題の山本勘助、大元の資料は甲陽軍鑑な訳だが肝心のこれも
他の資料とすり合わせて間違いが多く資料としての価値は低いとされている
他は60年代に発見された文書によってモデルらしき人物の名が見つかった程度
ここら辺の経緯はウィキペディアにもちゃんと書かれているはずだが
墓は根拠にもならないし戦国時代に描かれた絵なんて聞いたことがない
表面しか見えないのなら赤の他人が集うような場所に来るべきじゃないな
後どうでもいいが日本語云々は国語力がない人間への挑発文句だ
0347人間七七四年
2007/05/23(水) 15:07:32ID:T1exe+cm墓見てくれば実際に、絵ももねwwお前が知らねーだけだ禿げ。なにがマヂレスだ禿げwwww
0348人間七七四年
2007/05/23(水) 15:24:11ID:Mc7iLtMw0349人間七七四年
2007/05/23(水) 17:24:31ID:8aJU6Vlt>345をもっとよくよもうね。
0350人間七七四年
2007/05/23(水) 17:30:28ID:8aJU6Vlt>>347
>346をよく読もうの間違い。
0353人間七七四年
2007/05/23(水) 22:32:55ID:Z96SJT9J0354人間七七四年
2007/05/24(木) 23:03:38ID:NdyFWi6Z弟「兄とは言っても鎖帷子を着ないと不安((((;゚д゚))) 」
と、
弟「兄者ってヤベェし、会うときは鎖帷子でも着ないとなw」
兄「何を〜wこやつぅー(´∀`)」
兄&弟「アハハハwwww」
前者ですよね?
0355人間七七四年
2007/05/24(木) 23:11:14ID:LrArENYcっていうかむしろ彼にとっては>>349の方が良い、
>>346よりも先に理解しないといけないことだw
0356354
2007/05/25(金) 15:10:10ID:g+djBuxm332−335を書いたものだが、直家が病死したとき「殉死は自由」と言っていたのに
だれも殉死しなかったのを、直家の性格を表すときにつかうが、
これは子の秀家がまだ幼かったため、有能な家臣が殉死することは
宇喜多家にあって多大な損失、と考えた直家が戸川と策謀したというのが事実。
戸川「あのような極悪非道な主君のために殉死することはない」
と言ったそうだ。まあそれでも殉死する者がいてもいいんだが、
ひとりもいなかったんだから、家臣らも主君に日頃からおびえてたのかもしれん。
備前軍記参照、
0357人間七七四年
2007/05/25(金) 15:52:08ID:CjCJKbme信長の父信秀の頃から仕えていて、確か信長の教育係をやってたんじゃなかったかな?
一応軍師的なポジションだったって聞いてる。
0358人間七七四年
2007/05/25(金) 18:25:42ID:avz+fI1k0359人間七七四年
2007/05/25(金) 19:05:47ID:6rmhqpK7近年改めて再評価し始めたってのを知らないようですね、信憑性が無いのは
むしろ甲陽軍艦と比較材料にしていた資料や軍記者の方なんですよ
こんなことやっていれば後北条家なんて永遠に認められるわけ
ありませんよね、大河でも取り上げられるわけがない特に主役として
これも見得と建前の関東の文化らしさなの?
甲陽軍艦>>>>>>>北条五代記ets・・・・・
http://homepage3.nifty.com/yogokun/mimasetouge.htm
0360人間七七四年
2007/05/25(金) 19:50:58ID:avz+fI1k参考に値する引用が混じってるって話だったか
だが滅亡の件とか信に値しない記述が多いのは変わらんぞ
まるっきり全て偽書なんて誰も思ってないだろうし言ってない品
それに今回の話題には何ら関係ないだろ
山勘が他のまともな史料では確認できないのは変わらないし
北条マンセーなんて考えもしなかったがしなきゃらないのか?
0361人間七七四年
2007/05/26(土) 10:44:08ID:CMpCOf0F武田家の資料として残存する記録は少なく、ほとんどが信憑性に欠けるものばかりである。
広く用いられている書物として「甲陽軍鑑」が挙げられるが、これも相当脚色されており、
史実としてはアテにならない。
0362人間七七四年
2007/05/26(土) 11:40:14ID:5iviAdfR0363人間七七四年
2007/06/29(金) 01:14:13ID:B3tIEq2X■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています