【上杉】手取川合戦【織田】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 02:37:37ID:P6BVucuIhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149761323/l50
前々スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1141658067/
合戦の真否や規模について、引き続き検証していきましょう。
合戦を伝えるとされる謙信の書状[歴代古案89・越佐史料5-397=抜粋]
当陣之模様無心元候間、内々以飛脚可申候処、此表仕置執紛令延引候、
如啓先書ニ、当月十五、遊佐美濃守守年来以奏者之好令忠信、彼之讒輪ヘ
当手可引入由申候間、何蕨も不入愚入乗移、一日も不抱候、七尾城主ニ候
長対馬一類一族百余人討捕、実城乗取、其外温井備中・三宅備後・内藤王・
平以下身命計相扶、七尾存分之尽ニ入事ニ、同十七、号末森与地モ入手ニ、
是者 賀・能之間之地ニ候間、源五殿、斎藤龍置、当国一変ニ申付候処ニ、
是を信長一向ニ不知、十八、賀州湊川迄取越、数万騎陣取候所ニ、両越・能之諸軍勢
為先勢差遣、謙信事も直馬候処ニ、信長、謙信後詰迄聞届候哉、当月二十三夜中ニ令敗北候処ニ、
乗押付、千余人討捕、残者共悉河ヘ追籠候ケル、折節洪水張故、無瀬、人馬不残押流候、(後略)
天正五年九月二十九日
0864人間七七四年
2008/06/18(水) 21:37:07ID:z3mEX5vZ古今東西の抗争は全て無駄だからいいんだが、
この手合いは天下取りのみ例外で有意義な戦争行為と見なしてるからね。
0865人間七七四年
2008/06/18(水) 21:48:35ID:BFYLfC/3なるほど。戦線を後退させることによって生じる不利益より維持費の方が高くつくと
何も上杉に攻めかかれば良かったなんて言ってるわけでもないのにな
加賀がどういう場所かわかって言ってるのか?
先物と違って兵士や地侍、百姓は人間なんだよ
一戦もせずに逃げ帰ると士気や支持に影響が出ることもわからんのか馬鹿者
0867人間七七四年
2008/06/18(水) 22:18:02ID:z3mEX5vZみんな厭戦気分だったのかもね。
北陸担当外の与力は一揆相手の凄惨な虐殺を伴う軍事活動に加わりたくなく、
「あーあー、終わった」と勝手に解散。
これを見た信長もさすがに一番抜けの羽柴を叱れなくなったとw
0868人間七七四年
2008/06/18(水) 23:05:11ID:ZfsPUFr3それまでの功績が立派なんで我慢してくれたけど
次に秀吉が播磨でポカしてたら追放か、殺されてるだろう
信長が怠慢を理由に家臣を誅殺してる例は結構ある
秀吉もその空気を読んで播磨で功績を挙げ、周囲から賞賛され
信長も満足して「もう休んでいいよ」と表面上許しても
秀吉は「まだ大した働きはしてません」と、さらに活動を継続してる
この一連の言動は、手取川での離脱を取り戻そうという意図が秀吉に有った
(逆を言えばそれだけ織田家内部で白眼視される行為だった)
と見られている
0869人間七七四年
2008/06/19(木) 00:11:24ID:K0Sb7lqs加賀のことなら、ほぼ現状維持は保っているんだが。
0870人間七七四年
2008/06/19(木) 01:02:23ID:OJut3c8f七尾が信長に使者を送ったのは天正五年八月の援軍要請が最初
なんて言ってる人が上に居るけど
遅くとも天正五年五月上旬に七尾は安土へ長連龍を送ってる
能登畠山氏を専門的に研究してるサイトだと
『越後上杉氏(及び長尾氏)と懇意にしていた遊佐派に
家中の主導権を握られると思った長続連は上杉に反して織田家を結ぶわけであるが、
それが結果として1576(天正4)年からの上杉謙信の能登侵攻を招いたと言える。』
という見方をしてるが
これだと天正四年十一月以前には信長と結んでる事になる
まぁ実際、この天正四年の時点で長続連は織田勢力として謙信を阻んでいる
信長は信長直属軍内では別格扱いの稲葉一鉄を派遣したり
さらに織田家が拡大する上で、抜群の軍功を挙げてきたスター武将ばかりを選出
所謂、織田オールスター軍団を差し向けてるけどね
しかし加賀南部と七尾城の間には、厄介な加賀北部(金沢御堂〜松任城〜末森城)が有る
この上杉&加賀一向宗の地域を織田領にしつつ、飛び地の七尾城という織田勢力を維持したかった
柴田勝家も松任城を2〜3日中に攻めたい、という書状を残してる、が
その松任城にまで謙信が来たので大慌て〜手痛い追撃を食らったのが手取川の戦い
七尾の後詰めは勿論、加賀北部の攻略どころじゃなかった
0871人間七七四年
2008/06/19(木) 01:59:27ID:K0Sb7lqsたぶん同じサイトのことだとおもうんだが。
>家中の主導権を握られると思った長続連は上杉に反して織田家を結ぶわけであるが
この部分ってソースのない推測じゃないか。
0872人間七七四年
2008/06/19(木) 02:26:16ID:NR3U/eS0滝川は別とすれば単純に越前とその隣接地から動員したといった印象を受けるが
あと9月23日に手取川があったとされるが、10月10日には丹羽が松永攻めを行っているし
大敗したとするなら丹羽元気だな、まあ手取川で殿じゃ無かっただけかもしれないが
>>839
>ではなぜ彼らは手取で失態を見せたのに、
>佐久間と違って追放もされず、方面軍を担当出来るようになったのか。
これって手取川が失態じゃなかっただけじゃ?って突っ込まれたらどうするんだ?
>>841
それは江戸時代の話じゃ?
>>851
羽柴も参加している
>>858
御幸塚に城築いたり大聖寺固めたりしていたと思うが
0874人間七七四年
2008/06/19(木) 03:05:34ID:NR3U/eS0それだったら佐久間も追放出来なくならないか?
また滝川はその件について攻められていないのだから
責任を負うのは大将格のみってことかもしれんし、全員を追放とはならないんじゃ、
もっとも後で柴田も追放する気だったかもしれないが
0875人間七七四年
2008/06/19(木) 07:23:46ID:UfjN+pEt0877人間七七四年
2008/06/19(木) 13:34:31ID:CJxERSEi佐久間折檻状はさ
失態を犯したら取り返せ
俺がお前に与えただけの成果を見せろ
取り返せそうにないなら相談に来い
つまらない言い訳をするな、取り繕うな
って内容だから
失態を犯した後、すぐ名誉挽回した秀吉や滝川や柴田が不問にされたのは当然かと
信長の武将は皆(特に秀吉や柴田)同僚と自分の功績を比較したり、信長からの評価を気にしてるようだけど
佐久間だけ家老としての立場が長いせいかイマイチ危機感が無いっぽい
0878人間七七四年
2008/06/23(月) 19:01:44ID:xr3cwi6l手取川は名前の由来といい、謙信の手紙にもある通り
かなり流れが激しい
そうなると渡河点も限られてくる
織田軍撤退の順序は
1 稲葉など美濃衆率いる信長&信忠直属軍(信長の直属を傷付ける訳にはいかない)
2 丹羽(原田が排除された後、重臣では一、二を争う)
3 滝川(本領の伊勢から加勢に来てくれた)
4 柴田勝家(北陸を任せられていた「殿様」)
5 柴田の与力&柴田一門
北陸方面軍が真っ先に逃げるなんて有り得ないし
殿は柴田一門が引き受けたんだろ
手取川夜襲で殿を務め、何とか越前に帰国したものの
越前一向一揆によって柴田義宣が討死
0879人間七七四年
2008/06/24(火) 07:26:22ID:jQ5KISYd0880人間七七四年
2008/06/24(火) 12:42:25ID:HnhFlg0bそもそも上杉は騎馬隊を先に走らせているのは分っている訳です
織田は上杉騎馬隊の接近も知らずに川を渡っている途中だった可能性もあります
0882人間七七四年
2008/06/24(火) 22:32:35ID:sj9a1dkT0883人間七七四年
2008/06/25(水) 09:19:24ID:6xO+29P3はっきり覚えてないけど50騎だか200騎先に走らせ手取川で足軽が追いついたとか
俺は信じてないが資料あるならとレスしてみたw
俺の中ではこの50-200が会敵したんだと
0884人間七七四年
2008/06/25(水) 21:52:19ID:RP6sv+Dg0885人間七七四年
2008/06/26(木) 17:36:28ID:S5Y9a8X30886人間七七四年
2008/07/06(日) 06:48:00ID:NaUJZWt1軍事目的は七尾城後詰め以外に加賀掌握もあって
8月10日の文書では勝家に加賀一国を与えるけど
今味方になるなら本領は永遠に安堵するよってのもがあるよ。
0887人間七七四年
2008/07/30(水) 10:45:28ID:Z4aFNOz90888人間七七四年
2008/08/08(金) 06:23:40ID:SUYzhSOr「織田信長どんな大名より凄い」
を唱える馬鹿。
例:
一つの教室で(戦国板)
一人のいじめられっこがいる(織田厨)
その子は自分より下の子達(徳川厨、豊臣厨、武田厨)をいじめて
自己満足してる。
0890人間七七四年
2008/08/24(日) 08:28:55ID:MeYrCvlXA 脳内ソースを持ち出し. ┃C 逃げる時は論破された時
根拠の無いことをわめく ┃
∧_∧..... ┃ │ | │彡
<#`Д´>O上杉は最強i ┃ │ .i|○ │彡<手ごわいニダ
Oー、 //|すごいニダ!. ┃ │ | │
ビリビリ\ (;;V;;)/ ┃ │ └― ┘
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
B ムキになって自演!! ┃D 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
((((( )))))) ┃ + ∧_∧ .. ' ,:'.
| | ┃ ,:'.< `∀´> ,:'
∧__∧ 从_从人__....┃+ , ..⊂ つ +
∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃ ' ,:'ノ つ ノ + 。 , .. . +
ヾ ノ WW⌒⌒Y ┃ レ レ 〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
0892人間七七四年
2008/08/24(日) 15:59:25ID:yrCDerfk0893人間七七四年
2008/08/25(月) 19:37:27ID:Gne/e0RY相変わらず信長公記を引き合いに出してきて金ヶ崎の戦いや伊勢長島の一向一揆
の敗北は記されてるのに手取り川の戦いは記されてないので信憑性が・・・とか
お決まりのやつ。
金ヶ崎の戦いや伊勢長島の一向一揆の敗北が記されいるのは後の信長と家臣団の
残酷な報復を正当化するためでは、いくら戦国時代とはいえ浅井、朝倉、一向衆におこなつた仕打ちは異常だ、
三方ヶ原での徳川軍ともどもの敗北も後の武田勝頼の悲惨な最期があったらばこそ記されいるのでは。
もし本能寺の変がおこらず上杉家が滅亡、景勝が長政や義影みたいな最期をとげていたら手取り川の戦いも信長公記に記されいたかも。
0894人間七七四年
2008/08/25(月) 19:48:06ID:YfkvLf2S0895人間七七四年
2008/08/26(火) 00:27:09ID:n4OPU6Rw桶狭間のあった年を間違えている、
こんなに粗ばかりな信長公記を、
信長の全てを記した完全無欠の史料と考えている奴がいるからね。
0896人間七七四年
2008/08/26(火) 21:12:22ID:GmtKbS3iしてるのは信長公記のせいでは?
0897人間七七四年
2008/08/27(水) 04:15:56ID:R340ftAh確定してない
0898人間七七四年
2008/08/27(水) 10:30:42ID:Mk5JOaAJ心の師、司馬遼太郎が信長公記とは違う田楽狭派なのは面白い。
0899人間七七四年
2008/08/27(水) 10:53:38ID:X8gBihOP今は甫庵信長記説よりは信長公記の桶狭間山の記述の方が信憑性あるけど。
0900人間七七四年
2008/08/27(水) 11:32:17ID:Rr3cPi3f太田は池田本とかで金もらって記録をねじ曲げたりしてるし。
信長ではなく丹羽の右筆だから全てを知る立場じゃないとも
0901人間七七四年
2008/08/27(水) 22:11:56ID:R340ftAh初期のほうは当事者じゃないから信用出来ないとされてるだけじゃ?
0902人間七七四年
2008/08/28(木) 04:13:23ID:O/sOkD9k0903人間七七四年
2008/08/28(木) 17:39:31ID:Ey/10SXf0904人間七七四年
2008/08/28(木) 17:47:58ID:zALySr8Z0905人間七七四年
2008/08/29(金) 09:42:37ID:jBBH8HqR頭の悪い子は鵜呑みにするだろうけど、それはそれでいいんじゃない?
0906人間七七四年
2008/08/29(金) 19:37:07ID:5l854sSQ0907人間七七四年
2008/09/21(日) 00:48:05ID:C3i4mO8Q現在の手取川なら橋を良く渡るが流れは急じゃない
ゆったりとしたものだ
0908人間七七四年
2008/09/21(日) 06:00:12ID:jThRUH7a0909人間七七四年
2008/09/21(日) 07:14:25ID:egqxY83nWWUじゃ相手側の損害記録と照らし合わせると実際の戦果と全然違うんだよな。
どうも上杉が一方的に勝ちを宣言してるだけにしか見えない。
0910人間七七四年
2008/09/21(日) 07:18:00ID:jThRUH7a0911人間七七四年
2008/09/21(日) 08:13:15ID:JLvDoWloでは源平の富士川の合戦も源氏が一方的に勝ちを宣言してるだけなんだ。
倶利伽羅の合戦も平氏が牛に驚いただけで負けじゃないわけね。
ふ〜ん、そうですか。
0912人間七七四年
2008/09/21(日) 08:44:10ID:Q7unGpxq敵に千人以上の被害を与え、河へ追い込みをかけたら、
洪水で織田の人馬が多数流れ、「織田は弱いと思った」
といっているね。
この書状は真実だろうけれど、後世に誇張されてそれがあまりに一方的な内容にされたので、
手取川合戦はなかったなどという奇説が生じたのだろう。
たぶん、数千程度の軍隊が追撃をかけただけの話だろう。
追撃を仕掛けられた織田が失態をおかしただけであって、
大軍同士が鎧袖一触で勝敗を決したというものではないと思う。
しかし逃げ足の織田に追撃をかけ、戦線を後退させた謙信の手腕は一流。
0913人間七七四年
2008/09/21(日) 12:50:50ID:29MQBNMO七尾城から手取川までの進軍スピードは凄いと思うけど。
0914人間七七四年
2008/09/21(日) 14:51:58ID:HKBTec9k魚津城や一向宗の虐殺で民の恨みを買ってそれも出来なかったのだろうけど。
0915人間七七四年
2008/09/21(日) 17:32:47ID:egqxY83nそれだけ勝った勝ったなんて言ってる側の主張なんて当てにならないということ。
日本軍だけじゃないんだよ過大戦果発表。
0916人間七七四年
2008/09/21(日) 17:47:29ID:GRrPbcCS0917人間七七四年
2008/09/21(日) 18:36:40ID:fOeC8Xfoもっと正確に言うと、首級1000溺れ死ぬもの数知れずて書いてある
当時の戦闘で1000人の戦死者と言ったら相当規模の戦闘があったと思われる、
武田、織田両軍5万人以上が戦った長篠の戦いですら
織田軍の戦死者は最大で1500人て言われてるんだから。
近代兵器登場以前の数千程度の戦闘で戦死者が1000人もでるなんてありえない。
まっ謙信の書状を100パーセント信じた場合だけど。
0918人間七七四年
2008/09/21(日) 20:14:45ID:jThRUH7a織田だろうが、武田だろうが、みんな信用0だろ。
0919人間七七四年
2008/09/21(日) 20:33:20ID:g2NEcPlp0920人間七七四年
2008/09/21(日) 20:50:49ID:kTdvUPsx逃げたら川が洪水で今度は【溺死】
?(`〜´;)?
現代の裁判でそんな書状を証拠として出したら敗訴確実だお
手取り川でっち上げ確定だお
…お?
0921人間七七四年
2008/09/21(日) 21:39:40ID:GRrPbcCS0922人間七七四年
2008/09/21(日) 21:40:07ID:egqxY83n軍事の方にも興味持ってもらえればわかるが
元軍人の書記、回想、証言なんて事実と違うのばっかだよ。日本に限らず。
0923人間七七四年
2008/09/21(日) 21:46:31ID:z8uVXCmy0924人間七七四年
2008/09/21(日) 22:14:44ID:uHrCzPnu武田は別にホラもはったりもないと思うが。
織田のはったりや過大宣言は最高だな。
奴の書状によるなら姉川で浅井朝倉は全滅してる。
0926人間七七四年
2008/09/22(月) 12:40:20ID:RMvEtJsS0927人間七七四年
2008/09/22(月) 12:42:48ID:r9C0OOf5それとも3歳の子供から死にぞこないの老人まで動員したのか。
0928人間七七四年
2008/09/22(月) 23:52:09ID:BdPD0qDd当時の駿河・遠江・三河・尾張の一部ってどれだけ人がいたんだよ。
それとも3歳の子供から死にぞこないの老人まで動員したのか。
0929人間七七四年
2008/09/23(火) 00:59:57ID:WR8+iyIJ戦いの全体や大局をみる事のできない一兵卒や将兵が、目の前で起きた事を書いたり、前線の混乱から情報が錯綜したり、
判断ミスに気付いていない、索敵などで誤情報を入手している、威力偵察から過少や過大評価をしていたりと
ワザと間違えてるわけではない場合がほとんど。
戦争末期の台湾沖航空戦で大本営が空母多数撃沈発表も、練度が低いパイロットと誤判断戦果報告を真に受けたものだ。
また東京裁判で事実と違うものに捏造されたものや、
戦国時代と違い、新聞などマスメディアや政府主導の情報戦略も確立している。
戦国時代と第二次大戦を同列に扱うのは乱暴過ぎる。
また一次資料である自筆の古文書は第一級資料であり、それを否定するには、それと同等かそれ以上の一次資料による否定が必要不可欠である。
0930人間七七四年
2008/09/23(火) 02:46:29ID:FWgkhv+iいや、正確な情報の把握がしづらい時代だからこそ、
嘘や誇張が有効となる。
ゆえに戦果を過大に伝えるのが中世・近世の慣習と化してしまった。
ただ、誇張はともかく、味方までに後からすぐわかる嘘はつかないだろう。
内部からの信頼を落とすわけだから、利より害が大きいからね。
0931人間七七四年
2008/09/23(火) 07:42:03ID:hUSJEdiM0932人間七七四年
2008/09/23(火) 08:19:21ID:WR8+iyIJ1人の将に世話係が数人いたとも、非戦闘員もかなりの数が軍隊の世話の為に付属していたとも言われてる。
兵力については、それを含めているのか、含めてないのか全国に残る各地の書状からは判断できないだけ。
また地元の協力者などもいたろう。
軍の大敗で置き去りにされた者も多いだろう。
0933人間七七四年
2008/09/23(火) 08:33:55ID:S+6vd7k70935人間七七四年
2008/09/24(水) 00:16:43ID:3IVsPRNj0936人間七七四年
2008/09/24(水) 00:17:16ID:95ZxPwkYかりに臨時に農民を徴発したり米以外の産業が発達して石高にくらべて財政に余裕が
あったとしても、戦国時代の兵員数にはかなりの誇張があるのは間違いない。
0937人間七七四年
2008/09/24(水) 07:16:05ID:YUQyPeW+そういうのを加算すればぜんぜん誇張してないんだが。
知らないなら書くなよ素人がw
0938人間七七四年
2008/09/24(水) 09:05:08ID:aK7zyTBW「謙信と事を構えたことは我一生の不覚」 (遺書)
北条氏康
「出来ることなら謙信に全てを譲りたい」 (死期が近づいた時)
織田信長
「猿よ これで終わりかもしれぬ」 (勝家から手取り川の敗戦報告を聞いた後)
黒田官兵衛「謙信公と事を構えるなんぞ お命いくつあっても足りませぬぞ」
(手取り川の戦で黒田が秀吉に・・・結局、秀吉は戦線離脱)
0939人間七七四年
2008/09/24(水) 11:10:56ID:B8D0whxe川に阻まれて世話係も討ち取られた。
溺死し岸にうちあげられた者も首級にされ報告された。
越前の怨念もあって草刈り場となった。
というわけか。
0940人間七七四年
2008/09/24(水) 12:09:05ID:Tlb5/99h行きは川を渡れて、帰りはなぜか同じ川に阻まれるのか〜
謙信も話作るならもっと矛盾無いように作ればいいのにね
0941人間七七四年
2008/09/24(水) 12:20:20ID:q3dRhCP50943人間七七四年
2008/09/24(水) 16:27:08ID:YUQyPeW+後ろから急いで逃げてくる兵に押されるだけでどうなると思う?
しかも撤退中は豪雨だったはず。
0944人間七七四年
2008/09/24(水) 16:32:30ID:7+p3CXUq…とかどっかで読んだり聞いたりしたが、
何が根拠なのかはよく分からん。
0945人間七七四年
2008/09/24(水) 16:50:58ID:Tlb5/99h新潟の大学ででも実験してみて下さい
必死になって実証してみて下さい
0946人間七七四年
2008/09/24(水) 17:19:42ID:/j8bFkb+行きは特に何も無かったから、普通に船を並べて橋の代わりにして渡った。
帰りは荒れてたから、本当なら静まるまで待ってから渡りたかったけど、
追撃を受けていてそうも言ってられないから、無理やり渡って多数の溺死者を出した。
っていうか、言われなきゃ分からないの?状況を想像する頭が無いの?馬鹿なの?
0947人間七七四年
2008/09/24(水) 17:35:39ID:/95WF1Vz0948人間七七四年
2008/09/24(水) 17:39:40ID:Tlb5/99h凄い川だな
いきなり荒れるのか
それとも柴田はそんな長い事背水の状態で野営してたのか
水かさは増える一方なのに何してたんだろな?
0950人間七七四年
2008/09/24(水) 18:49:27ID:gtch2lZk0951946
2008/09/24(水) 19:20:30ID:s95cHBq9すまん、アンカミスです。>>945向けのレスね。
>>948
川なんてその場で降った雨じゃなく、上流で降った雨が集まって時間差で水量が増すんだから
短時間で水量が増えることはままある。
柴田に関しては日中渡り終えて進軍→七尾城陥落の報を受け撤退→追いつかれて川に追い落とされる
って流れであって、上杉が来るまで川の前でボーっと突っ立ってたわけじゃないだろ。
まあそれ以前に柴田は直前まで七尾城陥落の報を受けておらず、
上杉軍は七尾城に張り付いてると思い込んでいるんだから
背水の状態であっても撤退や戦闘状態になることを想定していないだろうけども。
0952人間七七四年
2008/09/24(水) 19:47:14ID:kljVX6DEあとは増水した手取川に織田兵が雪崩て自壊したと解釈できるね。
もともと逃げ遅れた殿軍のうち、
更に低身の連中が殺されたということじゃなかろうか。
0953人間七七四年
2008/09/24(水) 19:57:48ID:B8D0whxe織田軍のそれまでの右往左往ぶりは、豪雨による索敵の困難によるため、とすれば帰りは当然こと増水が懸念される。
0954人間七七四年
2008/09/24(水) 20:25:44ID:YUQyPeW+情報戦ですでに敗北していた織田流兵略の限界
戦地での気象予報すらできない織田は豪雨で鉄砲も使えず、軍律を役に立たずに恐慌敗走。
この神速機動と破壊力を見た国人達…能登だけでなく、一気に加賀まで上杉に服属。
0955人間七七四年
2008/09/24(水) 20:45:09ID:kljVX6DE小競り合いでも被害を与えれば勝利は勝利。
誇大に吹聴する口実を得るのと、
言い触らされるのとでは全く違う。
0956人間七七四年
2008/09/24(水) 20:45:20ID:Tlb5/99h何かいっぱい伸びてるけどさ、何千人も死んでて大将首があがってない戦なんて他に例も無く、そんな世にも珍しい戦を語るのが謙信一人って事実は未来永劫変わらないんだから
0957人間七七四年
2008/09/24(水) 20:48:10ID:Tlb5/99hあと川中島は創作だから
0958人間七七四年
2008/09/24(水) 20:53:41ID:37EqHYbz0959人間七七四年
2008/09/24(水) 21:16:14ID:lSBkZIwq大将の信玄までが傷を負ったのはガチ史実ですが。
討ち死に面子を見たら明らかに戦闘では武田フルボッコですありがとうございます。
0960人間七七四年
2008/09/24(水) 21:32:57ID:Tlb5/99hフルボッコは分かるけどキツツキ戦法?(笑)とかは創作で実際の所は良く分かってないんだから情報戦ウンヌンとは言えないでしょどういたしまして
ごちそうさま
こんにちは
0961人間七七四年
2008/09/24(水) 21:57:39ID:kljVX6DE強さで定評のある武田がフルボッコにされたのは、
何か情報戦に類するものがあると考えるのが妥当でしょ。
0962人間七七四年
2008/09/24(水) 21:58:05ID:lSBkZIwq謙信は武田ボッコボコにしてやったから目的は達した、
くらいしか言ってなければ
武田が上杉にボコられたのは両軍の死者の面子を見れば嘘ではない。
一緒くたにしてんなよ。
0963人間七七四年
2008/09/24(水) 22:08:27ID:Tlb5/99h情報戦があったかもしれないし、ただ単に霧に隠れて撤退しようとしたら武田本隊の横っちょに当たっただけかもしれないし、詳しい資料が無いんだから何とも言えんわ
アレは情報戦だと言いたい気持ちは分かるけどね
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