【上杉】手取川合戦【織田】
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0830人間七七四年
2008/06/17(火) 05:48:02ID:rlXS4XLa>当時はみな精々数郡程度の所領しかもたない。
国は数郡で構成されてるから
北近江三郡、北勢五郡、越前、若狭、佐和山周辺これだけでも100万石
実高は100万石を越えてる
さらに西美濃三人衆が居る事からも、信長の決意の程が知れるだろう
この七尾城後詰めに派遣された諸将〜柴田、丹羽、滝川、羽柴、稲葉、安藤らだが
彼らを超える武功を挙げた武将は極一部だし、
重要な戦歴を経た武将も、織田家臣団では非常に限られてくる
中でも丹羽は、前年天正四年には安土城総奉行を任されている人物
それまでも織田家の重鎮として限られた出来事に、殆ど登場している(蘭奢待切り取りなど)
柴田・佐久間と共に織田家の中枢を担っていた存在
信長が彼らを主力として扱っているのは紛れも無い事実
>>827
そうかね
加賀南部〜越前が天正7〜8年まで不安定&荒れてる状態だから、兵を休ませる余裕は有っただろ
越後を発してから七尾城&その支城群>末森城>手取川と長期間戦が続いて、将兵も疲れていた筈
攻略して間も無い能登支配の確立(分国法の制定、家臣の配置)や
手取川合戦の結果、新たに得た家臣団〜所謂加賀衆らの掌握など
地元の協力が得られる加賀南部の制圧以前に
謙信が果たすべき政務は幾らでも有ったという、それだけの話
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