【上杉】手取川合戦【織田】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 02:37:37ID:P6BVucuIhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149761323/l50
前々スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1141658067/
合戦の真否や規模について、引き続き検証していきましょう。
合戦を伝えるとされる謙信の書状[歴代古案89・越佐史料5-397=抜粋]
当陣之模様無心元候間、内々以飛脚可申候処、此表仕置執紛令延引候、
如啓先書ニ、当月十五、遊佐美濃守守年来以奏者之好令忠信、彼之讒輪ヘ
当手可引入由申候間、何蕨も不入愚入乗移、一日も不抱候、七尾城主ニ候
長対馬一類一族百余人討捕、実城乗取、其外温井備中・三宅備後・内藤王・
平以下身命計相扶、七尾存分之尽ニ入事ニ、同十七、号末森与地モ入手ニ、
是者 賀・能之間之地ニ候間、源五殿、斎藤龍置、当国一変ニ申付候処ニ、
是を信長一向ニ不知、十八、賀州湊川迄取越、数万騎陣取候所ニ、両越・能之諸軍勢
為先勢差遣、謙信事も直馬候処ニ、信長、謙信後詰迄聞届候哉、当月二十三夜中ニ令敗北候処ニ、
乗押付、千余人討捕、残者共悉河ヘ追籠候ケル、折節洪水張故、無瀬、人馬不残押流候、(後略)
天正五年九月二十九日
0831人間七七四年
2008/06/17(火) 06:19:50ID:ba7tlqjl0832人間七七四年
2008/06/17(火) 12:41:10ID:uyrbcNC/>柴田にとって都合が悪いって事だよ
それも都合のいい空想じゃないの?織田家関連の史料だけが世に残るわけでもないのに。
>>829
現状に残されている史料を見ると、長氏は武田家と誼を通じている。つまり長氏は、武田
および本願寺の後ろ盾をもって、能登国内で上杉およびその与党と抗争していた。
それが長篠の敗戦によって武田の勢力が北陸でも後退し、結果武田の援助がなくなった長氏の
支配力が衰えて能登国内に騒乱が始まる。ここに天正四年から上杉による能登侵攻が開始。
さらに本願寺が上杉と結んだことで、加賀能登の一向一揆も上杉よりになり、すべての後ろ
盾を失ったが長氏がようやく天正五年八月になってから、初めて信長に使者をだし、服属の
替わりの援軍を要請することになった。
>>830
信長の決意がどうこうといっているんじゃない。参加者のメンバーとその所領から推測される
軍勢の規模を考えると、当時の織田家のオールスターなんてとてもいえない、といっている。
>北近江三郡、北勢五郡、越前、若狭、佐和山周辺これだけでも100万石
ところで当時の織田家の領土が、これ以外にどれほどあったかご存知ですか?
領域でいったら精々が五分の一。それが織田家主力軍、オールスターなんですか?
ついでに、丹羽は織田家の重要人物ですが、軍事的にはほとんど中枢に関わったことのない
人物です。政権の重要人物必ずしも軍事でも重要とはなりませんよ。
0833人間七七四年
2008/06/17(火) 13:41:41ID:ssujtoUYhttp://c.2ch.net/test/-/nanminhis/1210524233/i
0834人間七七四年
2008/06/17(火) 15:49:03ID:ba7tlqjl> >北近江三郡、北勢五郡、越前、若狭、佐和山周辺これだけでも100万石
> ところで当時の織田家の領土が、これ以外にどれほどあったかご存知ですか?
すると織田の主力だけじゃなくて全軍を投入すべきだったと?
それとも四面楚歌の織田家にはあれ以上投入する余裕があったということですか?
北陸方面の柴田に、別方面長官となる羽柴や丹羽がついてて主力じゃないなら何なのかと。
丹羽は軍事的に中枢にないといっても後に四国担当となってないです?
政治的に重要ならなおのこと与力に加える意気込みが感じられません?
柴田羽柴に至っては織田が他国を切り取る頃から、織田家が崩壊してもその勢力を分け合って抗争したトップでしょう。
> さらに本願寺が上杉と結んだことで、加賀能登の一向一揆も上杉よりになり、すべての後ろ
> 盾を失ったが長氏がようやく天正五年八月になってから、初めて信長に使者をだし、服属の
> 替わりの援軍を要請することになった。
それまで上杉が近づくことを指を加えてみていたほど行き当たりばったりだったら、七尾も安土も無能揃い。
両者とも戦う前から上杉に負けている。手取川合戦が追撃戦からはじまったのも納得となりますね。
逃げ足の早い織田さんですから、金ヶ崎の時みたいに将は死ななかったようですが。
0835人間七七四年
2008/06/17(火) 15:50:11ID:ba7tlqjl訂正。
> 柴田羽柴に至っては織田が他国を切り取る頃から、
柴田羽柴に至っては織田が他国を切り取る頃から活躍し続けて、
0836人間七七四年
2008/06/17(火) 17:43:14ID:ssujtoUY初めて信長に使者をだし←こういうのって違和感あるのよ。
絶対的に無理がある。
長氏はボンクラ揃いか?w
0837人間七七四年
2008/06/17(火) 20:40:23ID:uyrbcNC/後の地位、で説明されてもまったく意味がない。その当時の地位で論じてくれ。
羽柴も丹羽も後には方面軍へと成長するが、手取川当時の所領と軍規模は一武将
レベル。たしかに数ある武将達の中ではトップクラスなものたちではあるが、それ
でも最高を独占ってわけでもない。
柴田も同じ。当時の信長家臣のトップは佐久間。その他にも短期間だが三カ国の
差配を委ねられた原田や所領面ではもっとも早く一国一識支配を信長から任された
荒木など、柴田を一時期でも抜いた武将はいる。柴田が家臣トップと看做される
ようになるのは、佐久間追放以降。
>それまで上杉が近づくことを指を加えてみていたほど行き当たりばったりだったら、七尾も安土も無能揃い
& >>836
当時織田は上杉とはなるべく敵対しないよう気を配っていた。同盟も正式にはまだ
破られていなかった。そして北陸軍の敵はあくまで加賀一向一揆だった。
まあ謙信もすでに本願寺や武田と結んでいるので、あとはいつどこで開戦するかの
秒読み状態だったが。
そして、能登の長氏はあくまで長年武田と結んできた勢力だった。言い換えれば織田
とは直接敵対しなくとも、敵対する陣営の勢力だった。
こういった背景を無視して語られても。
0838人間七七四年
2008/06/17(火) 20:56:47ID:uyrbcNC/当時の織田家の領域
三河の一部、尾張、美濃、伊勢、志摩、近江、大和、摂津の大部分、河内、和泉、
山城、越前、若狭。(丹波の国境沿い、加賀南部、播磨は扱いが不明なので除く)
太閤検地での石高、約450万1千
手取川参加武将と所領(羽柴を除く)
柴田勝家、府中三人衆(前田、佐々、不破)、武藤舜秀:越前一国
丹羽長秀:若狭一国(近江の所領は不明。柴田の前例に鑑みれば、収公済みか?)
滝川一益:伊勢五郡
西美濃三人衆:西美濃数郡
滝川や美濃三人衆がどれほどか不明だが、それぞれを四割、二割で計算すると、
合計石高94万石ほど。
0839人間七七四年
2008/06/17(火) 21:49:49ID:AH3vYHB3信長は信玄戦の援軍に出した時の失態を忘れていなかったし。
肝心なときに逃げ崩れを招きかねない二軍選手が、
惰性で家中最高位にいたとしか判断できない。
丹羽は政治担当と言うが地位だけの佐久間もさして変わらないだろ。
後の序列は参考にならないと言うが、
ではなぜ彼らは手取で失態を見せたのに、
佐久間と違って追放もされず、方面軍を担当出来るようになったのか。
普通に考えれば長年その実力を認められて来たわけだろ。
それとも信長はボンクラばかり集めて、
勇名高い謙信に更なる伝説を与えたかったとか、
三文小説や蒼天航路みたいな話になるのか?
0840人間七七四年
2008/06/17(火) 22:10:11ID:ZTcCuTBy佐久間は原田亡き後の本願寺相手の総指揮官だぞ、おい
信玄戦の援軍云々は折檻状の事だと思うが言いがかりだろ。同じ立場の滝川はどうなる
他の十八箇条もかなり難癖付けてると思われる部分が多いぞ
逃げ崩れとか言ってるが「退き佐久間」の異名をどう考える
丹羽は近江以降の軍事行動では四国攻めの副官まで方面軍は持たずに援軍で出てるだけ
馬揃えや安土築城などに手腕を発揮してる
荒木や原田が去った後、一種の方面軍とも言える本願寺攻めを担当した事実を無視しておいて
佐久間を地位だけの盆暗などとはよく言えた物だな
明智だって丹波で敗退してるし、羽柴は戦線放棄してる
普通に考えれば羽柴は手取で負けた柴田その他の連中より罪が重いが方面軍を指揮してる
これについてはどう考えるのだ?
0841人間七七四年
2008/06/17(火) 22:31:00ID:dd+P79ib史料名わすれたけど信盛追放直前の序列は一番勝家で信盛五番目くらいだったと記憶。
七副将とか八画九爪とか名称があって書かれている順番が身分順らしい
本能寺前の書だす
0842人間七七四年
2008/06/17(火) 22:58:55ID:AH3vYHB3後世から見る客観的な佐久間の評価じゃなくて、
当時の信長の評価ね。
折檻状にある通り、実力を買われていなかったと目され、
そういう人物が一人いないだけで、
手取川部隊は主力じゃないと主張するのはムリがあると言いたいんだよ。
0843人間七七四年
2008/06/17(火) 23:06:37ID:AH3vYHB3手取川で大きな被害があったとする以外に適当な理由がない。
それを、信長は本気じゃなかったとか主力じゃないなどとする理由に、
佐久間や信忠が不在と言うんじゃ話にならない。
織田がどれだけの石高を持っていたか詳細に書いてくれているが、
それで何が言いたいのかもわからない。
0844人間七七四年
2008/06/17(火) 23:20:00ID:ZTcCuTByいや、だから・・・
信玄相手で失態を犯したと本気で思ってるのなら、何でそのまま本願寺攻めを任せたのかと
五年後に塙(原田)直正が死亡した時に総指揮官にするはずがなかろうと思うがな
結局解任されるわけだけど手取川の三年後の話だしな
さすがに佐久間が居ないから主力じゃないってのは俺もどうかと思うが
それはむしろ佐久間が畿内で一向宗の本拠を相手していたからだろうに
そこから主力じゃない〜と持って行くのは違うだろ、と
>>834の言う「動員可能な主力」って表現が正しいんだろうと思う
方々に睨みの効くそれなりの人物を派遣して、その上朝廷との折衝や政治にも人員を割いてるわけだから
柴田や西美濃衆、羽柴を派遣してるってのは相当頑張って集めた兵力じゃないかな
0845人間七七四年
2008/06/17(火) 23:26:30ID:uyrbcNC/言っていませんよ。
ただ、「織田軍のオールスター」などでは決して無い、と言っているんです。
手取川の勝利で謙信は信長をこてんぱんにした、とか謙信からしたら織田なんて
たいしたことない、なんて主張に対しての反論としてあげました。
0846人間七七四年
2008/06/17(火) 23:30:04ID:AH3vYHB3少し佐久間を馬鹿にし過ぎた。
反省はしてる。
せっかく集めた兵なのに羽柴は離脱して、
それでもお咎めなく中国筋を任せられるんだから、
信長の人事方針はわからんけどw
0847人間七七四年
2008/06/17(火) 23:37:57ID:ZTcCuTBy俺もちょっと熱くなった。スマンかった
反省する
それにしても、あれだけ兵力集めて何故あっさり後退したんだろうか
小競り合い程度なら被害が大きかったとも思えないんだがな
どこかで夜襲があったとか聞いた記憶もあるんだがイマイチはっきりしない
0848人間七七四年
2008/06/18(水) 02:19:45ID:WHj9IHp0柴田勝家、佐々、前田、不破、原、金森、丹羽、滝川、西美濃衆、武藤、斎藤など
信貴山合戦従軍リスト
織田信忠、佐久間信盛、丹羽、滝川、羽柴、明智、細川、筒井など
蜂屋、河尻、池田、荒木、若江衆、三好らの従軍は不明。
0849人間七七四年
2008/06/18(水) 06:44:02ID:B7oYZA9i> それにしても、あれだけ兵力集めて何故あっさり後退したんだろうか
・七尾城が開城したこと。
・北上はしたものの加賀は相変わらず敵地。
この状況であえて戦うのはあまり得策とは思えない。
0850人間七七四年
2008/06/18(水) 09:09:16ID:kYVSipFu0851人間七七四年
2008/06/18(水) 09:56:53ID:dSxww367信貴山に羽柴は参加してたっけ?
>>850
七尾城を救うために戦うつもりだったが、救援が間に合わなかったのなら、戦う意味がない。
七尾城が健在なら上杉軍と戦って撃退すればいいだけの話だが、七尾城が陥落して敵のもの
になってしまっていては、上杉軍を撃退するだけではすまされない。まず城を攻撃して落とし、
さらに周辺地域を平定し、畠山氏だから長氏だかによる再支配が安定するまで活動を続ける
必要が生じる。
ただ戦うためだけの作戦と、平定まで考えた作戦では軍からして異なってくる。
柴田軍にそれをやれっていうほうがよほど無茶で、国費と時間と兵の無駄だ。
0852人間七七四年
2008/06/18(水) 12:38:38ID:ZXez6TPX気合い入れて買い物行ったら売り切れでした
折角来たんだしって言って欲しくもない物買いますか?
時間と交通費無駄になったけど変なの買って後悔したくないから他所行くわ
が合理的な思考だから何らおかしくない
0853人間七七四年
2008/06/18(水) 12:55:27ID:6Kw3OuE+負けてないなら戦線を維持するべきで過度に大幅な後退は有り得ない。
これは天下布武路線の他の織田戦線に前例がない後退劇で異例としか思えない。
しかも編成を考えたら決戦志向の軍だよね。これでうまくいったら信長もやってくるような編成。
信長の戦争感でも不利であっても負けてもいいから一度は戦えってかねがね発言してるし。
0854人間七七四年
2008/06/18(水) 17:02:15ID:z3mEX5vZ後にも先にもなかったね。
0855人間七七四年
2008/06/18(水) 18:14:50ID:fu8mvJ6t長氏だっていろいろな方面に外交チャンネルが昔からあっただろうし
信長との外交チャンネルは奥羽の大名だってあったんだから
河内畠山氏に連なる外交として七尾城が落城寸前になるまで
織田との外交がなかったなんて常識的におかしい。
0857人間七七四年
2008/06/18(水) 19:00:19ID:fu8mvJ6t今まで挨拶もしてなかったのに一方的に要求するのは
不躾で失礼だと思うが落城寸前になったから
謙信にやられそうだからすぐ援軍出せ→信長「はい!わかりました。柴田や丹羽や秀吉を出します」の方がおかしい。
0858人間七七四年
2008/06/18(水) 19:15:46ID:BFYLfC/3各地から集め加賀まで引っ張って来た兵力をそのまま帰すのはあまりにも無駄が大きすぎると思うが
七尾が落ちた事で後詰めの意味こそ失ったが、それと戦線の維持とはまた別問題
むしろ落ちたからこそ国境の守備を整えてから退くべきではないのか
理想は加賀北部の制圧だろうが、最低でも大聖寺周辺で軍事行動が在るべきだと思うんだが
>>852
大規模な兵力を集めそのまま後退する事と莫大な戦費や物資の無駄が生じる
合理性で言ったらそのまま帰るという選択はかなり厳しい
おまけに下手すれば「上杉と戦うのが怖く、臆病風に吹かれた」という風聞まで起きかねない
実際のとこ夜襲で輜重隊でも襲われたか何かで後退せざるを得なくなったんじゃないかと思う
いくらなんでも不自然すぎる
0859人間七七四年
2008/06/18(水) 19:25:39ID:fu8mvJ6t引かないと面目に関わるだろ。
評判とかあるし
それを一目散に逃げたように見える行軍するかねぇ?
0860人間七七四年
2008/06/18(水) 19:30:59ID:WHj9IHp0>それにしても、あれだけ兵力集めて何故あっさり後退したんだろうか
信長の指示が最初から出ていたのでは?
七尾城救援が間に合わない場合は撤収とか。
この軍事行動は七尾城の後詰が目的ですからね。
それにいつまでも加賀に丹羽、滝川、西美濃衆、武藤、斎藤を置いておくわけにもいかないし。
0861人間七七四年
2008/06/18(水) 19:51:37ID:fu8mvJ6t0863人間七七四年
2008/06/18(水) 20:59:05ID:ZXez6TPX歴史が証明しているように、どっかの龍虎みたいに泥沼で駒と時間を無駄にすることこそ非合理的
財政面でいうなら動員の無駄で済ませるか動員+維持の無駄まで支払うか
どっちが損が少ないかなんて馬鹿でも解る
先物で破産する人間の思考だな
0864人間七七四年
2008/06/18(水) 21:37:07ID:z3mEX5vZ古今東西の抗争は全て無駄だからいいんだが、
この手合いは天下取りのみ例外で有意義な戦争行為と見なしてるからね。
0865人間七七四年
2008/06/18(水) 21:48:35ID:BFYLfC/3なるほど。戦線を後退させることによって生じる不利益より維持費の方が高くつくと
何も上杉に攻めかかれば良かったなんて言ってるわけでもないのにな
加賀がどういう場所かわかって言ってるのか?
先物と違って兵士や地侍、百姓は人間なんだよ
一戦もせずに逃げ帰ると士気や支持に影響が出ることもわからんのか馬鹿者
0867人間七七四年
2008/06/18(水) 22:18:02ID:z3mEX5vZみんな厭戦気分だったのかもね。
北陸担当外の与力は一揆相手の凄惨な虐殺を伴う軍事活動に加わりたくなく、
「あーあー、終わった」と勝手に解散。
これを見た信長もさすがに一番抜けの羽柴を叱れなくなったとw
0868人間七七四年
2008/06/18(水) 23:05:11ID:ZfsPUFr3それまでの功績が立派なんで我慢してくれたけど
次に秀吉が播磨でポカしてたら追放か、殺されてるだろう
信長が怠慢を理由に家臣を誅殺してる例は結構ある
秀吉もその空気を読んで播磨で功績を挙げ、周囲から賞賛され
信長も満足して「もう休んでいいよ」と表面上許しても
秀吉は「まだ大した働きはしてません」と、さらに活動を継続してる
この一連の言動は、手取川での離脱を取り戻そうという意図が秀吉に有った
(逆を言えばそれだけ織田家内部で白眼視される行為だった)
と見られている
0869人間七七四年
2008/06/19(木) 00:11:24ID:K0Sb7lqs加賀のことなら、ほぼ現状維持は保っているんだが。
0870人間七七四年
2008/06/19(木) 01:02:23ID:OJut3c8f七尾が信長に使者を送ったのは天正五年八月の援軍要請が最初
なんて言ってる人が上に居るけど
遅くとも天正五年五月上旬に七尾は安土へ長連龍を送ってる
能登畠山氏を専門的に研究してるサイトだと
『越後上杉氏(及び長尾氏)と懇意にしていた遊佐派に
家中の主導権を握られると思った長続連は上杉に反して織田家を結ぶわけであるが、
それが結果として1576(天正4)年からの上杉謙信の能登侵攻を招いたと言える。』
という見方をしてるが
これだと天正四年十一月以前には信長と結んでる事になる
まぁ実際、この天正四年の時点で長続連は織田勢力として謙信を阻んでいる
信長は信長直属軍内では別格扱いの稲葉一鉄を派遣したり
さらに織田家が拡大する上で、抜群の軍功を挙げてきたスター武将ばかりを選出
所謂、織田オールスター軍団を差し向けてるけどね
しかし加賀南部と七尾城の間には、厄介な加賀北部(金沢御堂〜松任城〜末森城)が有る
この上杉&加賀一向宗の地域を織田領にしつつ、飛び地の七尾城という織田勢力を維持したかった
柴田勝家も松任城を2〜3日中に攻めたい、という書状を残してる、が
その松任城にまで謙信が来たので大慌て〜手痛い追撃を食らったのが手取川の戦い
七尾の後詰めは勿論、加賀北部の攻略どころじゃなかった
0871人間七七四年
2008/06/19(木) 01:59:27ID:K0Sb7lqsたぶん同じサイトのことだとおもうんだが。
>家中の主導権を握られると思った長続連は上杉に反して織田家を結ぶわけであるが
この部分ってソースのない推測じゃないか。
0872人間七七四年
2008/06/19(木) 02:26:16ID:NR3U/eS0滝川は別とすれば単純に越前とその隣接地から動員したといった印象を受けるが
あと9月23日に手取川があったとされるが、10月10日には丹羽が松永攻めを行っているし
大敗したとするなら丹羽元気だな、まあ手取川で殿じゃ無かっただけかもしれないが
>>839
>ではなぜ彼らは手取で失態を見せたのに、
>佐久間と違って追放もされず、方面軍を担当出来るようになったのか。
これって手取川が失態じゃなかっただけじゃ?って突っ込まれたらどうするんだ?
>>841
それは江戸時代の話じゃ?
>>851
羽柴も参加している
>>858
御幸塚に城築いたり大聖寺固めたりしていたと思うが
0874人間七七四年
2008/06/19(木) 03:05:34ID:NR3U/eS0それだったら佐久間も追放出来なくならないか?
また滝川はその件について攻められていないのだから
責任を負うのは大将格のみってことかもしれんし、全員を追放とはならないんじゃ、
もっとも後で柴田も追放する気だったかもしれないが
0875人間七七四年
2008/06/19(木) 07:23:46ID:UfjN+pEt0877人間七七四年
2008/06/19(木) 13:34:31ID:CJxERSEi佐久間折檻状はさ
失態を犯したら取り返せ
俺がお前に与えただけの成果を見せろ
取り返せそうにないなら相談に来い
つまらない言い訳をするな、取り繕うな
って内容だから
失態を犯した後、すぐ名誉挽回した秀吉や滝川や柴田が不問にされたのは当然かと
信長の武将は皆(特に秀吉や柴田)同僚と自分の功績を比較したり、信長からの評価を気にしてるようだけど
佐久間だけ家老としての立場が長いせいかイマイチ危機感が無いっぽい
0878人間七七四年
2008/06/23(月) 19:01:44ID:xr3cwi6l手取川は名前の由来といい、謙信の手紙にもある通り
かなり流れが激しい
そうなると渡河点も限られてくる
織田軍撤退の順序は
1 稲葉など美濃衆率いる信長&信忠直属軍(信長の直属を傷付ける訳にはいかない)
2 丹羽(原田が排除された後、重臣では一、二を争う)
3 滝川(本領の伊勢から加勢に来てくれた)
4 柴田勝家(北陸を任せられていた「殿様」)
5 柴田の与力&柴田一門
北陸方面軍が真っ先に逃げるなんて有り得ないし
殿は柴田一門が引き受けたんだろ
手取川夜襲で殿を務め、何とか越前に帰国したものの
越前一向一揆によって柴田義宣が討死
0879人間七七四年
2008/06/24(火) 07:26:22ID:jQ5KISYd0880人間七七四年
2008/06/24(火) 12:42:25ID:HnhFlg0bそもそも上杉は騎馬隊を先に走らせているのは分っている訳です
織田は上杉騎馬隊の接近も知らずに川を渡っている途中だった可能性もあります
0882人間七七四年
2008/06/24(火) 22:32:35ID:sj9a1dkT0883人間七七四年
2008/06/25(水) 09:19:24ID:6xO+29P3はっきり覚えてないけど50騎だか200騎先に走らせ手取川で足軽が追いついたとか
俺は信じてないが資料あるならとレスしてみたw
俺の中ではこの50-200が会敵したんだと
0884人間七七四年
2008/06/25(水) 21:52:19ID:RP6sv+Dg0885人間七七四年
2008/06/26(木) 17:36:28ID:S5Y9a8X30886人間七七四年
2008/07/06(日) 06:48:00ID:NaUJZWt1軍事目的は七尾城後詰め以外に加賀掌握もあって
8月10日の文書では勝家に加賀一国を与えるけど
今味方になるなら本領は永遠に安堵するよってのもがあるよ。
0887人間七七四年
2008/07/30(水) 10:45:28ID:Z4aFNOz90888人間七七四年
2008/08/08(金) 06:23:40ID:SUYzhSOr「織田信長どんな大名より凄い」
を唱える馬鹿。
例:
一つの教室で(戦国板)
一人のいじめられっこがいる(織田厨)
その子は自分より下の子達(徳川厨、豊臣厨、武田厨)をいじめて
自己満足してる。
0890人間七七四年
2008/08/24(日) 08:28:55ID:MeYrCvlXA 脳内ソースを持ち出し. ┃C 逃げる時は論破された時
根拠の無いことをわめく ┃
∧_∧..... ┃ │ | │彡
<#`Д´>O上杉は最強i ┃ │ .i|○ │彡<手ごわいニダ
Oー、 //|すごいニダ!. ┃ │ | │
ビリビリ\ (;;V;;)/ ┃ │ └― ┘
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
B ムキになって自演!! ┃D 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
((((( )))))) ┃ + ∧_∧ .. ' ,:'.
| | ┃ ,:'.< `∀´> ,:'
∧__∧ 从_从人__....┃+ , ..⊂ つ +
∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃ ' ,:'ノ つ ノ + 。 , .. . +
ヾ ノ WW⌒⌒Y ┃ レ レ 〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
0892人間七七四年
2008/08/24(日) 15:59:25ID:yrCDerfk0893人間七七四年
2008/08/25(月) 19:37:27ID:Gne/e0RY相変わらず信長公記を引き合いに出してきて金ヶ崎の戦いや伊勢長島の一向一揆
の敗北は記されてるのに手取り川の戦いは記されてないので信憑性が・・・とか
お決まりのやつ。
金ヶ崎の戦いや伊勢長島の一向一揆の敗北が記されいるのは後の信長と家臣団の
残酷な報復を正当化するためでは、いくら戦国時代とはいえ浅井、朝倉、一向衆におこなつた仕打ちは異常だ、
三方ヶ原での徳川軍ともどもの敗北も後の武田勝頼の悲惨な最期があったらばこそ記されいるのでは。
もし本能寺の変がおこらず上杉家が滅亡、景勝が長政や義影みたいな最期をとげていたら手取り川の戦いも信長公記に記されいたかも。
0894人間七七四年
2008/08/25(月) 19:48:06ID:YfkvLf2S0895人間七七四年
2008/08/26(火) 00:27:09ID:n4OPU6Rw桶狭間のあった年を間違えている、
こんなに粗ばかりな信長公記を、
信長の全てを記した完全無欠の史料と考えている奴がいるからね。
0896人間七七四年
2008/08/26(火) 21:12:22ID:GmtKbS3iしてるのは信長公記のせいでは?
0897人間七七四年
2008/08/27(水) 04:15:56ID:R340ftAh確定してない
0898人間七七四年
2008/08/27(水) 10:30:42ID:Mk5JOaAJ心の師、司馬遼太郎が信長公記とは違う田楽狭派なのは面白い。
0899人間七七四年
2008/08/27(水) 10:53:38ID:X8gBihOP今は甫庵信長記説よりは信長公記の桶狭間山の記述の方が信憑性あるけど。
0900人間七七四年
2008/08/27(水) 11:32:17ID:Rr3cPi3f太田は池田本とかで金もらって記録をねじ曲げたりしてるし。
信長ではなく丹羽の右筆だから全てを知る立場じゃないとも
0901人間七七四年
2008/08/27(水) 22:11:56ID:R340ftAh初期のほうは当事者じゃないから信用出来ないとされてるだけじゃ?
0902人間七七四年
2008/08/28(木) 04:13:23ID:O/sOkD9k0903人間七七四年
2008/08/28(木) 17:39:31ID:Ey/10SXf0904人間七七四年
2008/08/28(木) 17:47:58ID:zALySr8Z0905人間七七四年
2008/08/29(金) 09:42:37ID:jBBH8HqR頭の悪い子は鵜呑みにするだろうけど、それはそれでいいんじゃない?
0906人間七七四年
2008/08/29(金) 19:37:07ID:5l854sSQ0907人間七七四年
2008/09/21(日) 00:48:05ID:C3i4mO8Q現在の手取川なら橋を良く渡るが流れは急じゃない
ゆったりとしたものだ
0908人間七七四年
2008/09/21(日) 06:00:12ID:jThRUH7a0909人間七七四年
2008/09/21(日) 07:14:25ID:egqxY83nWWUじゃ相手側の損害記録と照らし合わせると実際の戦果と全然違うんだよな。
どうも上杉が一方的に勝ちを宣言してるだけにしか見えない。
0910人間七七四年
2008/09/21(日) 07:18:00ID:jThRUH7a0911人間七七四年
2008/09/21(日) 08:13:15ID:JLvDoWloでは源平の富士川の合戦も源氏が一方的に勝ちを宣言してるだけなんだ。
倶利伽羅の合戦も平氏が牛に驚いただけで負けじゃないわけね。
ふ〜ん、そうですか。
0912人間七七四年
2008/09/21(日) 08:44:10ID:Q7unGpxq敵に千人以上の被害を与え、河へ追い込みをかけたら、
洪水で織田の人馬が多数流れ、「織田は弱いと思った」
といっているね。
この書状は真実だろうけれど、後世に誇張されてそれがあまりに一方的な内容にされたので、
手取川合戦はなかったなどという奇説が生じたのだろう。
たぶん、数千程度の軍隊が追撃をかけただけの話だろう。
追撃を仕掛けられた織田が失態をおかしただけであって、
大軍同士が鎧袖一触で勝敗を決したというものではないと思う。
しかし逃げ足の織田に追撃をかけ、戦線を後退させた謙信の手腕は一流。
0913人間七七四年
2008/09/21(日) 12:50:50ID:29MQBNMO七尾城から手取川までの進軍スピードは凄いと思うけど。
0914人間七七四年
2008/09/21(日) 14:51:58ID:HKBTec9k魚津城や一向宗の虐殺で民の恨みを買ってそれも出来なかったのだろうけど。
0915人間七七四年
2008/09/21(日) 17:32:47ID:egqxY83nそれだけ勝った勝ったなんて言ってる側の主張なんて当てにならないということ。
日本軍だけじゃないんだよ過大戦果発表。
0916人間七七四年
2008/09/21(日) 17:47:29ID:GRrPbcCS0917人間七七四年
2008/09/21(日) 18:36:40ID:fOeC8Xfoもっと正確に言うと、首級1000溺れ死ぬもの数知れずて書いてある
当時の戦闘で1000人の戦死者と言ったら相当規模の戦闘があったと思われる、
武田、織田両軍5万人以上が戦った長篠の戦いですら
織田軍の戦死者は最大で1500人て言われてるんだから。
近代兵器登場以前の数千程度の戦闘で戦死者が1000人もでるなんてありえない。
まっ謙信の書状を100パーセント信じた場合だけど。
0918人間七七四年
2008/09/21(日) 20:14:45ID:jThRUH7a織田だろうが、武田だろうが、みんな信用0だろ。
0919人間七七四年
2008/09/21(日) 20:33:20ID:g2NEcPlp0920人間七七四年
2008/09/21(日) 20:50:49ID:kTdvUPsx逃げたら川が洪水で今度は【溺死】
?(`〜´;)?
現代の裁判でそんな書状を証拠として出したら敗訴確実だお
手取り川でっち上げ確定だお
…お?
0921人間七七四年
2008/09/21(日) 21:39:40ID:GRrPbcCS0922人間七七四年
2008/09/21(日) 21:40:07ID:egqxY83n軍事の方にも興味持ってもらえればわかるが
元軍人の書記、回想、証言なんて事実と違うのばっかだよ。日本に限らず。
0923人間七七四年
2008/09/21(日) 21:46:31ID:z8uVXCmy0924人間七七四年
2008/09/21(日) 22:14:44ID:uHrCzPnu武田は別にホラもはったりもないと思うが。
織田のはったりや過大宣言は最高だな。
奴の書状によるなら姉川で浅井朝倉は全滅してる。
0926人間七七四年
2008/09/22(月) 12:40:20ID:RMvEtJsS0927人間七七四年
2008/09/22(月) 12:42:48ID:r9C0OOf5それとも3歳の子供から死にぞこないの老人まで動員したのか。
0928人間七七四年
2008/09/22(月) 23:52:09ID:BdPD0qDd当時の駿河・遠江・三河・尾張の一部ってどれだけ人がいたんだよ。
それとも3歳の子供から死にぞこないの老人まで動員したのか。
0929人間七七四年
2008/09/23(火) 00:59:57ID:WR8+iyIJ戦いの全体や大局をみる事のできない一兵卒や将兵が、目の前で起きた事を書いたり、前線の混乱から情報が錯綜したり、
判断ミスに気付いていない、索敵などで誤情報を入手している、威力偵察から過少や過大評価をしていたりと
ワザと間違えてるわけではない場合がほとんど。
戦争末期の台湾沖航空戦で大本営が空母多数撃沈発表も、練度が低いパイロットと誤判断戦果報告を真に受けたものだ。
また東京裁判で事実と違うものに捏造されたものや、
戦国時代と違い、新聞などマスメディアや政府主導の情報戦略も確立している。
戦国時代と第二次大戦を同列に扱うのは乱暴過ぎる。
また一次資料である自筆の古文書は第一級資料であり、それを否定するには、それと同等かそれ以上の一次資料による否定が必要不可欠である。
0930人間七七四年
2008/09/23(火) 02:46:29ID:FWgkhv+iいや、正確な情報の把握がしづらい時代だからこそ、
嘘や誇張が有効となる。
ゆえに戦果を過大に伝えるのが中世・近世の慣習と化してしまった。
ただ、誇張はともかく、味方までに後からすぐわかる嘘はつかないだろう。
内部からの信頼を落とすわけだから、利より害が大きいからね。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。