勝頼と武田重臣連中の考えについて第4次川中島の上杉をまねしたという解釈もある

実際設楽原で対峙する両軍の主力は織田徳川2万余で武田1万余だから、
わざと鷲ノ巣砦を織田徳川別動隊に占拠させてその間本隊に突撃するという戦法なら
第4次川中島を経験した馬場などの重臣がとりそうな戦術

結果は一門衆の敵前逃亡で敗退したけど、もし中央支え切れたら成功の可能性は高かったと思う

あと、当時鉄砲の威力はそれほど高くなく、別動隊への割り振りもあるから両軍の鉄砲の数は2.5〜
3対1程度
設楽原の地形と当時の天候を考えれば鉄砲が勝敗を決するような要素ではなかったと思う