トップページsengoku
1001コメント459KB

長篠・設楽原合戦の真実

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/17(月) 18:10:27ID:C+plg2A7
近年、多くの新説が提唱されている長篠合戦のスレッドです。
0619人間七七四年2008/09/13(土) 17:43:04ID:I+wMAFL6
>>618
馬鹿だねえ。
火縄銃とライフルを一緒にするなよ。
0620人間七七四年2008/09/13(土) 18:50:34ID:9/ll7Na4
>>614
信長公記見る限り鉄砲だけじゃなくて足軽とかも出して戻してを繰り返して
打撃を与えてたみたいだが。
>>617
>>615は戦国時代の平均身長が120とかいってるからさすがに釣りだと思うぞ。
それから鉄砲も間断なく打ってたわけじゃない。
言ってみれば兵力の多い側(織田徳川。武田の2倍)が要塞にこもって兵力の少ない側(武田)が
突撃するという変則的な状況になって、兵力の少ない武田が順当に大敗した感じだな。
それでも5〜6時間くらい戦ってるのはさすがに武田というべきなのか。
0621人間七七四年2008/09/15(月) 00:05:29ID:s7WflugK
>>620
拠点攻める兵力が拠点守る兵力より少ないってどうなのよw
少数だから正面突破に固執したってことにもなりえる?
0622人間七七四年2008/09/15(月) 21:28:38ID:d3vv9gXG
織田の大軍の過半数は、柵よりもさらに後方に待機させてたのさ。
武田軍に見えないように隠していて、柵の前で武田軍と戦ったのは
主に鉄砲隊。
後方に待機させてた大軍が出動したのは、武田軍が崩れて敗走するときに
なってから。
0623人間七七四年2008/09/15(月) 21:42:04ID:QkziKtrR
織田家火繩銃軍は命中率を数で補い、指揮官も武田軍を徹底して引き付けてから発射の号令を出した。
そしてなによりも勝敗の決定的差は、武田軍の組織的行動力の無さ+命令系統の弱さ。
0624人間七七四年2008/09/15(月) 23:42:34ID:AuW65H/4
>601
今でも火縄銃の会みたいなのがあるが、煙なんてのはすぐに上に抜けてくからあんまりたいした
ことないと思うよ。少なくとも、視界をさえぎる、なんてほどではないはず。
0625人間七七四年2008/09/15(月) 23:49:52ID:M1nJot/K
>>624
当日の風の状況にもよるが、戦国祭りとかの、10〜20丁程度の一斉射撃でも
もうもうと煙が上がるよ。
0626人間七七四年2008/09/16(火) 00:24:24ID:RTAwI9gt
上がるんだけど、一瞬でしょ。
焚き火みたいに持続して上がるわけじゃないし、煙で戦況がわからなくなる、なんてことはありえないと思うんだ。
ましてや、鉄砲なんて接近戦になる前に撃つものだし、次のを撃つ前に前の煙は吹き飛んでる。
最近良く、煙の影響、みたいな説明を聞くから気になってるんだ。
0627人間七七四年2008/09/16(火) 00:39:03ID:j8tJ8pXb
>>626
何百丁何千丁が、一斉に、しかも間断なく撃ち続けるんだよ?
タバコの煙ですら、屋外でも数十人が一斉に吸えば、もうもうとした状況になる。

火縄銃の煙もよほど強風でない限りは、相当の煙が充満するでしょ。
0628人間七七四年2008/09/16(火) 00:44:21ID:wX0FWhW0
篭城してて鉄砲撃ってると視界悪くなるから弓矢に替えたとか聞いた事無いな
0629人間七七四年2008/09/16(火) 00:56:34ID:RTAwI9gt
>>627
何百丁が撃つときはそれなりの広域になるでしょう。
1〜2m間隔で並んで撃つとして、やっぱりそんなタバコの煙的な凝縮した範囲のような
モウモウにはならないと思うよ。
それに間断なく、っても実際は1分に1発ぐらいのものでしょう、やっぱり煙は上にぬけていく。

ちなみに、地元の火縄銃は毎年のように見てるけど、煙なんて一瞬なんだよね、やっぱり。

さらに言うと、鉄砲と言うのは開戦の初期、接近戦の前に相手を崩すために撃つものだから、
戦いの間中撃つ続けるものではない。
接近戦になったら使えないのは弓同様で、そういうマニュアルは源平あたりからものすごく
優秀で洗練されてる。
少なくとも、間断なく、と、充満、というところに違和感を感じる。
悪いけどね。
0630人間七七四年2008/09/16(火) 01:20:59ID:mtJlwJVe
>>629
”発射の煙にまぎれて切り込み”は、細川家の軍法書にも書かれてるくらい当時では一般的な鉄砲への対処方法なのよ。
つかマスケット銃を使う距離はものすごく近いので有効だったんじゃないかな。

その射撃距離は10-15mくらい。
例えば、関ヶ原の島津の話(関ヶ原御合戦進退秘訣)では、
直政の軍との距離が4、5歩の距離で、久保七兵衛の名乗りを合図に鉄砲発射→切り込み、としたとあるよ。
イギリス赤服隊でも「白目が見える距離で撃て」というのがモットーだったくらいで、
これは、マスケット銃の戦術としては共通だったと思う。
0631人間七七四年2008/09/16(火) 01:49:01ID:2MkKihf1
お祭りの火縄銃を見て「〜思う」て。
0632人間七七四年2008/09/16(火) 10:59:11ID:RTAwI9gt
>>631
たぶん知らないとは思うけど、火縄銃の研究はすごいし、戦国当時とほぼ変わらない状況を
作り出してますよ。

そこまで近づければいいけど、実際はそうではなかったのではないか。
射程も3〜50mはある。
これは正確性よりも相手の出足をとめるため、隊を崩すため、なので十分に効果がある。

どうあれ、鉄砲の煙が出ても一時的なもので決して後方の丘から見て「戦況が把握できない」
というほど持続的かつ充満状態にはならないだろう、というのが主張なんだけどね。
それと、「4,5歩の距離」というのは本当かな。
たぶん、布陣とか根本的に違う種類の戦闘で用いられる戦術じゃないのかな。
0633人間七七四年2008/09/16(火) 12:34:18ID:2MkKihf1
勝手に主張してろよ
ド素人が
0634人間七七四年2008/09/16(火) 13:23:47ID:mtJlwJVe
>>632
>実際はそうではなかったのではないか。
…その新説は良いけど、そういうやり方だった、っていう根拠を示さないと”妄想”としか……
あなたの新説のような当時の戦闘でおこなった記録を見つけてくるのが早道かと。
ぜひ、それをここに報告してくださいね。

>「4,5歩の距離」
一次資料は明記してるので自分でご確認くださいな。
0635人間七七四年2008/09/16(火) 14:28:25ID:wX0FWhW0
四五歩の距離でしか使えないなら鉄砲って意味ないよな
重いし連射利かないし
面白い奴いるね
0636人間七七四年2008/09/16(火) 16:05:15ID:DqwdWUZO
火縄銃で殺傷能力があるのは4メートル以内と実証されてるからなあ。
鉄砲と柵だけで勝てるほど甘くないっしょ。
やはり織田軍団そのものの頑張りが大きかったというほかない。
0637人間七七四年2008/09/16(火) 16:06:52ID:j8tJ8pXb
>>636
どこでそんな実証されているんだよw
0638人間七七四年2008/09/16(火) 16:27:37ID:md1G/t18
信長は桶狭間の戦いで鮮やか過ぎる奇襲攻撃で勝利を治めたが
周囲が同じような奇襲を進言しても「絶対」に聞き入れなかったんだとさ。
桶狭間はもう本当にどうしようもなく、他にこれしか策が無いからこそ
断行した作戦であって、信長は戦後「あんな危険な戦法は二度と取るべきじゃない」と
言ったらしいじゃないか。
だからそれ以降の信長は敵と戦う時は必ずといっていいほど、敵より大兵でもって
つまり兵数で上回るまで準備をして、戦いに挑んだらしいからな。
0639人間七七四年2008/09/16(火) 16:33:27ID:j8tJ8pXb
>>638

1:桶狭間は奇襲ではない

2:信長は少人数突撃はしょっちゅうやってる
0640人間七七四年2008/09/16(火) 16:34:20ID:md1G/t18
>>639
スマソ・・・・
釣って来る・・・・。
0641人間七七四年2008/09/16(火) 16:39:01ID:RTAwI9gt
>634
いや、新説もなにも島津の記録では「4〜5歩」となってるだけで、その他全ての戦国の戦闘が
「4〜5歩に近づいてから発射した」わけではないでしょう。
鉄砲にさきがける弓矢の戦術でも、越矢横矢指矢その他いろいろ目的別の狙撃、威嚇の手段があって
任意の戦いの史料に「これこれこういう戦術を使いました」と明記されてなくても、当然鉄砲もそういう12世紀
ぐらいから伝わる様々な戦術を応用したことは事実だろう。

史料中心主義の方は、はっきり史料に明記してないと「認めない」というのだろうけど、戦国期の合戦の
鉄砲の使用法をすべて島津の史料で解釈するのはどうかと思う。
もちろん、その史料が間違ってるとか、そういう戦い方がなかった、というのではなくて、あくまで
戦いの開戦の初期、の話ですよ。

「まず4−5歩の距離まで近づいてから発射した、これはそういう一次資料にもある、まちがいない」
というのは、そういう戦闘もあった、戦術もあった、というだけで、ある程度大規模な戦闘、
このスレの長篠みたいな合戦においてはそういう使用法はまずされなかったろう、ということね。
ましてや、間断なく、充満、戦況がわからない、という部分的戦闘状況にもなかったろう、という。

史料を出せ、と言われてもね、まぁ、妄想でかまわないんだが。
とりあえず、持ったりしたことはあるし、兜甲冑とかも着用したことはあるぞ。
素人呼ばわりされたので、一応、現時点で普通に可能なぐらいの実地体験はした。ぞい。
0642人間七七四年2008/09/16(火) 17:32:58ID:UEamyYjG
現代の火薬は、「無煙火薬」ともいわれて、
火縄銃などで使われていた黒色火薬は、煙がすごかった。

大型の戦艦は、発射薬が黒色火薬なので、まっくろな煙がでた。
ttp://blog-imgs-11.fc2.com/h/d/p/hdphoto/20071112103645.jpg

武田軍もいきなり突撃ではなく、弓や銃の援護射撃のもとに、
一点に集中攻撃をして前線突破をはかったようで、
(長篠では、柵の南端あたりで、徳川軍がいる辺)
まず、銃撃、つづいて弓部隊とともに前進(火縄銃は歩きながらの装填が
とてもしずらい)、有効射程の100m付近まで詰めてから、
騎馬武者や従う足軽とともに一気に全力で走って敵陣へ突撃して、前線突破をはかる。
この間は援護射撃のもとで行われたはずだから、集中攻撃の際は煙りがかなり
じゃまになったと思われる。
夏の家庭用花火も、けっこう煙がでて、夜だから煙は見えづらいが、
風がなければ、白煙がもうもうと立ち、相当けむいよ。
0643人間七七四年2008/09/16(火) 19:00:47ID:mtJlwJVe
>>641
「その資料に書かれているのは、そのときだけの話だろ。他の戦いでは別」
…って言い出すされると、もう…… 否定する当時の資料も無いなら”仮想戦記”の世界ですな。

つか細川家の軍法書にも、銃は引きつけて撃て、と記述されています。
少なくとも、関ヶ原の時代には、野戦での鉄砲の使い方は”引きつけて撃つ”軍法が主流だったかと。
(コレを否定する資料根拠があるなら、ぜひお教えください)

あと現在のガンパウダー(黒色火薬)は工業的に精製した材料で作られたもので不純物はほとんどありませんが、
当時の火薬は自家製で、しかもその素材自体に多くの不純物が含まれていました。
それら不純物は煙の原因となりますので、そこらも加味した方がよいと思われます。
0644人間七七四年2008/09/16(火) 20:33:02ID:UEamyYjG
黒色火薬自体は、煙を出す火薬だよ。これはナポレオン時代でも
現代でも同じ。鉄にべったりとススもついて、これがつくとすごくサビやすい。

だから、黒色火薬に不純物を混ぜないように十分に精製した材料を使うという方法じゃなくて、
組成自体から違う火薬(ニトログリセリン系)に切り替わっているわけ。

不純物のあるなしにこだわるあたりは、まさに泡沫だな。
0645人間七七四年2008/09/18(木) 08:29:13ID:IUE82Ti6
馬防柵を引き倒そうと武田軍が曳き、織田軍が防ごうと支えて、
お互いへしあいして、相互の軍勢が4、5mの至近距離で銃をぶっぱなしまくった、
という光景を想像しているがな。(これは他人の説でもある)

超・至近距離で撃ったかどうかは、弾丸の凹みぐあいや、骨の砕け具合から判断する。
当時の塚を掘り返して、たぶん、弾丸は体の中に埋まったまま死亡しただろうから
骨と弾丸の損傷具合から、50〜100mだったのか、5mぐらいだったのか
判断すればいい。
もっとも、当時の雑兵の生活レベルからいえば、弾丸ひとつでも高価だったろうから
死体を切りきざんで、弾丸を取って売り捌いたかもしれないな。
そのときは、骨に残った傷から推測するのがやっとか。
0646人間七七四年2008/09/18(木) 08:33:25ID:IUE82Ti6
ヨロイの貫通した穴、というのも考えられないこともないが、
当時の合戦では、死んだ武者の装備品はすぐにはぎとられてしまうそうなので、
合戦場からは、刀などの武具はほとんど出土しないんだそうな。
0647人間七七四年2008/09/18(木) 08:43:29ID:BQwuqcBD
骨はバクテリアで解体されて土にならずに化石になってるわけですね?
わかります
0648人間七七四年2008/09/20(土) 17:14:13ID:iBCd76aJ
なんか昔に比べてスレのレベルが下がったな
0649人間七七四年2008/09/20(土) 17:25:13ID:cCfUfvmk
もうネタが完全に尽きたからな
0650人間七七四年2008/09/23(火) 01:00:57ID:LwwS99Ii
今、長篠は無かった!ていう番組やったんだが
先日も本で見たのと同じ「弾は?」という一番単純な謎が分からない
このスレではこの部分の解釈はどのレス?
0651人間七七四年2008/09/23(火) 01:29:13ID:vnG2hQgI
>>598
>>645
0652人間七七四年2008/09/23(火) 09:52:06ID:TzKH+94i
>>651
39

>合戦後回収されたり年月が経過し土砂に埋もれたり、流されたり
>弾丸を取って売り捌いたかもしれない
この辺はこの辺でまだ検証の余地はあるね
金属だからこんな短期間で溶けて無くなるのはありえないから
真剣にやっても無駄は無いと思う
幸い長篠古戦場は土地開発されてないからやりやすいんでは
ついでに他の戦場についても同様だなあ
0653人間七七四年2008/09/23(火) 17:05:19ID:6J49MyK6
うん、そうだね。
吉村教授のエジプト発掘でいうと、象牙を彫って作った人形が見つかったとき、
頭部が欠けていた。
で、周囲の土を片っ端からフルイにかけて、根気強く探すことを繰り返した末に、
直径1センチぐらいの頭部を発見し、見事にそれはクフ王の像であることが判明した。

という具合に、長篠の土を片っ端からフルイにかける必要があるかもな。
だが、超重労働なので、トラクター装着型のジャガイモ掘り器やサトイモ掘り器の
網目を細かく改造して、石取りを根気強くやれば見つかるかもしれない。

またはせっかく水田なのだから、泥水にして吸い込んで、網目を通して
よりわけるか。
0654人間七七四年2008/09/23(火) 17:14:00ID:6J49MyK6
長篠古戦場の遺物の写真等
ttp://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/1,6627,118,664,html
0655人間七七四年2008/09/25(木) 08:14:54ID:nak651rE
毎隊有十銃、若分両層、毎層五銃。
若分五層、毎層二銃。若不分層、十銃一列。(戚継光「紀效新書」)

ちなみに、下の記述を見る限り、「早合」っぽいものは無い。
銃歌
一洗銃、二下薬、三送薬実、四下鉛子、五送鉛子、六下紙、七送紙、八開火門、九下線薬、十吸仍閉火門、安火縄、十一聴令開火門、照准賊人挙発。(同上)
0656人間七七四年2008/09/26(金) 00:52:57ID:WhcJIHCB
>>642
なんか旧陸軍の攻撃みたいだな、武田。
0657人間七七四年2008/09/27(土) 06:18:49ID:pccsxxiu
>>639
>信長は少人数突撃はしょっちゅうやってる
桶狭間以降では、天正四年の対本願寺戦で孤立した光秀らの救援に出向いた時ぐらい
釣りか・・・
0658人間七七四年2008/09/27(土) 16:03:32ID:L9bTb+zE
姉川以降と言った方がいいかと
原田がドジった時も半数くらいで戦ってるけどね
0659人間七七四年2008/09/27(土) 21:19:30ID:eq2RQcgk
刀根山合戦も全体としては大軍だろうけど、家臣が動かないため信長の直率の部隊で突撃かけている
0660人間七七四年2008/09/28(日) 02:43:30ID:uVVQxpXY
信長は常に敵よりも圧倒的有利な兵力を意識していたし
実践していたが、局地、局面において何度も単騎駆け的行動をとっていた。

例えれば 敵方の動員力五千にたいして一万の兵力で進攻したが
織田方の一部隊に敵が攻撃を集中してきた時、信長は少数で真っ先に
救援に向かった。・・・こんな感じ?
0661人間七七四年2008/09/28(日) 04:02:47ID:3CWDC8Tj
戦場では勢いも大事、みたいなことをカエサルが言ってるな。
この人も軍の集結を黙って待つよりは、少数でもいいから素早く動く、というやり方をよくやった人だった。
0662人間七七四年2008/09/28(日) 11:53:09ID:MkljSfdL
>>660
率先垂範を身をもって示したって事だ。しかも後から味方の大軍が追いつくという前提の上での行動。
己の命第一の信長は無謀な賭けはしない。
朝倉義景のように、重大な戦さでも自分は何もせず部下を派遣する愚図とは違う。
0663人間七七四年2008/09/28(日) 18:57:47ID:xPK7fVAG
「だったら、てめーが最初にやれよ」的な雰囲気はどこにでもあるからね。
身分制の社会とはいえ下克上の世の中じゃ、そういうのもあったかも知れん。
江戸時代みたいに上下変動があまり無いと別かも知れないが。
0664人間七七四年2008/09/29(月) 01:41:21ID:PJpZcXvt
>>662
朝倉家の体制として、当主が戦争に出陣しないので、これをもって義景が無能
とする根拠としては弱いと思う。姉川で朝倉景健が大将だったのも、別段変な
ことではなく、朝倉家の軍制当然。といってよい。
逆に、利根坂合戦の段階では軍役を拒否するような連中も出始めており、
義景が出なきゃならん状態というのは結構やばかったのではないかと思う。
0665人間七七四年2008/09/29(月) 07:35:28ID:Zp/Mek4h
戦国時代の男子平均身長は160cm近かったよ。
0666人間七七四年2008/09/29(月) 09:54:30ID:ab/xe7Ck
皆はセンゴク天正記でやっている長篠はどう思う?
0667人間七七四年2008/09/29(月) 18:16:10ID:vcSzKd6D
「この物語はフィクションであり、実在の人物、団体。事件等とは一切関係ありません。
実際に研究されている 歴史、文化、文学の内容とは異なることをお断りしておきます。」

じゃないの?w
0668人間七七四年2008/09/30(火) 14:04:10ID:N/Tk6Aql
>>664
当主でいながら間抜けな体制に拘泥されてるんだから十分に無能だろw
朝倉でも宗滴みたいな人は、家格にとらわれずその個人の能力で用いるべきだ、みたいな事言ってる
あれだけの家を受け継ぎながら自分の頭で何も考えられないで時代の移り変わりに対応できず滅んだ義景は明らかに無能だよ。

0669人間七七四年2008/09/30(火) 23:47:32ID:z68FcYme
んーと
スレタイをね
0670人間七七四年2008/10/01(水) 03:29:18ID:N5xJCJCQ
千丁づつ三段に撃ち、横一列に突進してきた騎馬隊が柵で止まったのを全滅させたのです。
0671人間七七四年2008/10/01(水) 16:17:15ID:uISoFjgF
あえて 言うけど
鉄砲三段撃ちって本当に無かったのかね。
俺も「1000人の銃手が交代で一斉射撃」ってのはどうかと思うけど。
存在が証明されてないけど 無かったことも証明されてないんじゃないかな。

姉川の前哨戦で鉄砲足軽500というのが信長公記に出てくるけど
これを組織立った鉄砲隊と考えるか 単に部隊の中に鉄砲が500挺あって
足軽に撃たせたってことなのか
これは鉄砲隊と考えるのが普通じゃないか
それとも鉄砲隊を知っている現代人だから 
そう思い込んでしまうのかな。
0672人間七七四年2008/10/01(水) 16:20:10ID:3Kqw5GDY
>>671
鉄砲の集中運用はあったと思うが、それイコール三段撃ちではないからなあ。
0673人間七七四年2008/10/01(水) 16:26:27ID:J4XV2/oG
>>671
これは小瀬甫庵が大田牛一の『信長公記』を読んで
もっと面白い物語にしようと考えて
桶狭間の奇襲とか鉄砲の三段撃ちとか墨俣の一夜城などを創作しただけ
0674人間七七四年2008/10/01(水) 16:27:43ID:MA/q4NGd
姉川のは独立した鉄砲専用部隊と思われますよ
弾込めの間石を投げて時間稼ぎした話まであるので統率された射撃をしていたと想像します
0675人間七七四年2008/10/01(水) 16:32:18ID:3Kqw5GDY
墨俣一夜城にいたっては、あの時期には、織田家に秀吉はいなかったらしいからなあw
0676人間七七四年2008/10/01(水) 16:47:57ID:4ytC+atz
織田徳川軍が柵の中から散々鉄砲で武田軍を撃ちまくったんだから、
大量の鉄砲足軽の機能的運用が為されたことは間違いない。
それが巷で言う三段撃ちかどうかは知らんが、あの信長が事前準備もせずに、
ぶっつけ本番で戦さに臨むはずがないからな
0677人間七七四年2008/10/01(水) 16:55:03ID:3Kqw5GDY
>>676
つーか、集中運用の効果は、本願寺との戦いで、本願寺の連中の鉄砲の集中運用に織田軍自身が
メタメタにやられたから実証済み。

それこそ織田軍自身が長篠の武田軍よろしく、馬防柵に向かって騎馬突撃して、全滅、見たいな戦やってるw
0678人間七七四年2008/10/01(水) 16:58:27ID:cQaA1uGM
屏風図で見る限りでは、鉄砲を一斉に向けているんだよな。
各自バラバラに準備でき次第発射、というわけでなく、
鉄砲を揃えて、よーい、ドン!と撃ったのだろうか。

絵師が、弾込めの場面を省略した可能性もあるが。
0679人間七七四年2008/10/01(水) 17:04:42ID:4ytC+atz
>馬防柵に向かって騎馬突撃して、全滅、見たいな戦やってる

本願寺攻めは攻囲戦が基本戦略なんだがな
抗戦したのは一揆勢が攻めかかって来たからに過ぎない
0680人間七七四年2008/10/01(水) 17:10:12ID:3Kqw5GDY
>>679
> 本願寺攻めは攻囲戦が基本戦略

それは本願寺を攻めあぐねた挙句の、最後期の戦略だよ。
0681人間七七四年2008/10/01(水) 17:14:22ID:4ytC+atz
要害の本願寺を攻めあぐねるのは最初から想定済。だから5年も攻囲戦を続けられたわけ。
よかったね、一つ知識増えてw
0682人間七七四年2008/10/01(水) 17:15:52ID:3Kqw5GDY
>>681
…なんかきみ、本願寺との戦争に変な固定観念持ってないか?
あの戦争で織田軍の人間がどれだけ戦死しったか知ってる?
0683人間七七四年2008/10/01(水) 17:22:40ID:8ojCTC+w
>よかったね、一つ知識増えてw

知識云々以前に性根の腐ったもの言いは関心しないな
0684人間七七四年2008/10/01(水) 17:27:18ID:uISoFjgF
貴重なご意見 感謝
あと長篠って 鉄砲の数が問題に上がるよね
通説の3千は捏造で実際はもっと少なかったとか
姉川で500あれば 長篠で3000でもいいと思うけど。
0685人間七七四年2008/10/01(水) 17:27:40ID:4ytC+atz
それも包囲戦の一環だよ。周囲の砦に立て篭もる門徒勢は攻囲戦の邪魔。よって掃討したまでのこと。戦略の一部を基本戦略と取り違えるぞw
良かったね、勘違いを正してもらってw
0686人間七七四年2008/10/01(水) 17:31:08ID:3Kqw5GDY
>>684
徳川のほうが鉄砲の数は多かったって説もあるね。


>>685
自分の言ってる内容を途中から微調整して間違って無かったかのように装うのは恥ずかしい事だよ?
0687人間七七四年2008/10/01(水) 17:31:35ID:4ytC+atz
>>683
そう思えるのは、君の性根が腐っているからさw 間違いを正してあげたんだから、謙虚に受け入れるのが大人の礼節ってもんだよ。
0688人間七七四年2008/10/01(水) 17:33:20ID:cQaA1uGM
本願寺攻めは、攻め手の総大将(塙だっけ?)が
鉄砲に撃たれて戦死しているくらいだからな。

総大将が鉄砲に撃たれて死ぬくらいだから、
足軽レベルがどれだけ大勢死んだか想像がつくだろうに。

本願寺の防御陣地は、柵ぐらいの簡単なものだったらしいが、
鉄砲数千挺だったそうだな。
0689人間七七四年2008/10/01(水) 17:34:20ID:4ytC+atz
>徳川のほうが鉄砲の数は多かったって説もあるね

ないよ、どこにも。君の頭の中以外にはねw


>言ってる内容を途中から微調整

どこをどう微調整したのか説明してもらおうか。できればの話だがw
0690人間七七四年2008/10/01(水) 17:45:22ID:goulzAc5
>>688
>総大将が鉄砲に撃たれて死ぬくらいだから、
>足軽レベルがどれだけ大勢死んだか想像がつくだろうに。
鉄砲での総大将の戦死が兵卒の大量戦死につながるという想像は間違い。
せいぜい総崩れで敵前逃亡がいいところだよ。


0691人間七七四年2008/10/01(水) 17:46:02ID:q7hdaykx
で、長篠での弾の発掘はできないの?
相当数埋まってると思われるが
0692人間七七四年2008/10/01(水) 17:47:41ID:RUTvO3VH
弾ねえ。百姓が掘り起こして売ったんじゃない?
0693人間七七四年2008/10/01(水) 17:52:22ID:4ytC+atz
>>690
戦さで先に戦死するのは一軍の将ではなく、一兵卒から。将が一兵卒のような振る舞いをすれば、無能の謗りを受けるだけ。そもそも将が討たれれば総崩れになるのは当たり前すぎる常識。桶狭間の今川軍の事例を省みれば小学生でも分かる話だw
0694人間七七四年2008/10/01(水) 17:55:03ID:3Kqw5GDY
>>690
話が噛み合ってない。

大将が鉄砲でやられるほどの戦場では、当然その大将に運用されている軍勢にも、同じく鉄砲で
大きな被害があったと考えるのが当然。
0695人間七七四年2008/10/01(水) 17:57:11ID:3Kqw5GDY
>>693
キミは信長公記の鉄砲1000丁って著述と、酒井忠次の別働隊が鉄砲500丁を持っていた、ってのを
どう解釈してるの?
0696人間七七四年2008/10/01(水) 18:09:04ID:goulzAc5
>>694
織田軍の総大将が先に壊滅したから他は退却に成功しているよ。
大きな被害とまでは言えまい。


0697人間七七四年2008/10/01(水) 18:13:08ID:3Kqw5GDY
>>696
三国志の大将同士が一騎打ちしてる戦場じゃ無いんだからw
0698人間七七四年2008/10/01(水) 18:14:37ID:4ytC+atz
信長が柵の中の引きこもり戦術によって大量の鉄砲連射をし、そうなるよう武田軍を追い込んだのは酒井忠次隊なのだから、鉄砲の詳細な数などどうでもよくね。なんでそんな些末なことにこだわるかね。
0699人間七七四年2008/10/01(水) 18:15:47ID:3Kqw5GDY
>>698
詳細な数の話をしていたはずだが


つーか君、信長公記すら読んでないだろ。
0700人間七七四年2008/10/01(水) 18:16:08ID:Hpa+maAP
その戦の十年以上も前から多段撃ちが存在していたのは明の兵書を読めば理解できる事実。
(明の火縄銃テクは降倭から得たもの。)

「長篠の戦で三段撃ち」があったかどうかは知らんけど。
0701人間七七四年2008/10/01(水) 18:20:27ID:ezp3ONpa
>>692
それもあるか
0702人間七七四年2008/10/01(水) 18:20:28ID:4ytC+atz
>>696
織田軍の総大将が先に「誰を」壊滅したって?退却に成功した「他」って誰よ?まったく意味不明。文章構築能力に難ある君は、本当にこの板早いと思うよw
0703人間七七四年2008/10/01(水) 18:26:47ID:4ytC+atz
>>699
君は信長公記の実物を読んで解読した研究者か?そうではあるまい。単なる一読者にすぎない。だったら一端の専門家面はやめてもらいたいな。信長公記を読んだ専門家の著作を読んでいれば充分だよw
意味の無い問いかけをするセンスは笑止。
0704人間七七四年2008/10/01(水) 18:39:47ID:rkEdXKhh
なんか実際の合戦よりも
ここでの罵倒合戦の方がずっと面白いね(笑)
0705人間七七四年2008/10/01(水) 18:40:02ID:goulzAc5
>>702
>織田軍の総大将が先に「誰を」壊滅したって?
織田軍の総大将の原田(塙)が真っ先に壊滅したから誰も壊滅できませんよ。

>まったく意味不明。文章構築能力に難ある
こんなこと書いている暇があるなら読解力を身につけろよ。

>退却に成功した「他」って誰よ?
有名なのは三好康長です。知っている?


0706人間七七四年2008/10/01(水) 18:46:25ID:vIzr10LN
長篠城の兵500の内、鉄砲200もあったのこと
0707人間七七四年2008/10/01(水) 18:47:29ID:4ytC+atz
織田軍の総大将の原田(塙)が真っ先に壊滅したから、誰が誰を壊滅できないって?意味不明。
君にマトモな論戦は無理だw 糸の切れた凧みたいなもんだからな、君はw
0708人間七七四年2008/10/01(水) 18:55:36ID:goulzAc5
>>707
レスの流れを見たら君[ID:4ytC+atz]は内容の無いレスしかできない変な人だったんだね。
ごめんごめん、君をかまうことは止めにするよ。


0709人間七七四年2008/10/01(水) 19:07:54ID:4ytC+atz
>>708
八方塞がりになると知的障害を起こして煙に巻くのがお上手ですな〜w、大先生。
いやぁ感服つかまつりました。
刃物を振り回して暴れまわるような狂人には誰も敵いません。問答無用で強制退去していただくしかないでしょうなw
0710人間七七四年2008/10/01(水) 22:16:42ID:ZG9GXCc9
なんか最近妙にアゲてる変なやつが暴れてるな。
戦国版の過疎を解消するための釣りか?
0711人間七七四年2008/10/01(水) 22:36:40ID:TSTYquRU
無様を晒した時点で釣りとは言えないような。
0712人間七七四年2008/10/01(水) 22:42:23ID:q9Yd4p9Q
ageるほうが過疎るぞ
原田の死亡に関してはたまたま前に出ているときに流れ弾であっけなくいった可能性はないのか
もしくは陣頭指揮好きだった可能性はないのか
0713人間七七四年2008/10/01(水) 22:45:51ID:3Kqw5GDY
>>712
そんなのんきな戦じゃねえですよ
0714人間七七四年2008/10/01(水) 23:27:04ID:hX+dw49T
狙撃手が指揮官を狙ったのかもよ?
0715人間七七四年2008/10/01(水) 23:34:14ID:ZG9GXCc9
当時の鉄砲の性能では30メートル近くならないと
鎧武者を倒すのは無理。
総大将原田のそんな近くまで敵の狙撃手が来てたのなら
それこそ負け戦。普通は総大将の周囲数十メートルには味方がいる。
0716人間七七四年2008/10/01(水) 23:37:09ID:1Nr9mGrF
まあ、勝ち戦でも大将が狙撃をうけることはある。関ヶ原の井伊とか。
最上が狙撃されたのも負けてるときじゃなかったと思うがちょっと忘れた。
0717人間七七四年2008/10/01(水) 23:39:21ID:1Nr9mGrF
っと、話がちょっと違うか。ごめん
0718人間七七四年2008/10/01(水) 23:43:21ID:hX+dw49T
でもさ、あまり詳しくないが、雑賀とかには傭兵集団がいたとかいうじゃん。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています