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長篠・設楽原合戦の真実

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/17(月) 18:10:27ID:C+plg2A7
近年、多くの新説が提唱されている長篠合戦のスレッドです。
0518人間七七四年2008/08/29(金) 14:47:04ID:LZQYPXp2
実はこの戦いでの鉄砲の数は、徳川の部隊のほうが織田より多かったりする。
0519人間七七四年2008/08/29(金) 18:57:55ID:Ch1B1tQc
本当?。ざっとでいいから、どのくらいだろう?。
0520人間七七四年2008/08/29(金) 19:26:24ID:NyKvyZ/D
公記と実紀では違ってたんだったかな。
どっかに詳しいのがあったような気がするんだが。
0521人間七七四年2008/09/01(月) 19:34:20ID:ieytH+bI
武田信玄のゲームはこれで決まり。
おもしろすぎるよ。
キャンペーンの三方ヶ原から後半を猿のようにやりまくる。

http://www.4gamer.net/games/001/G000112/
0522人間七七四年2008/09/02(火) 20:13:02ID:99erH2PX
日本ミステリーでは武田騎馬部隊も織田鉄砲部隊も無かったらしいですwwwwwwwwwwww


じゃあなんで武田は滅んだんでちゅか?
0523人間七七四年2008/09/02(火) 20:22:57ID:6hL/HelI
>>522
バラエティに反応しても
0524人間七七四年2008/09/02(火) 20:33:15ID:0HeIGcsH
玉はリサイクルとして考えられるし
武田武将の死地は敗走時に追撃された場と考えられるし
徳川方の記録は勝者の言い分と考えられるし
手取り川の正否には突っ込んでないし

まぁ…バラエティだわな
0525人間七七四年2008/09/02(火) 20:47:28ID:fk3HB0Ij
>>522
何を今更…





この戦国板じゃとっくの昔に説破された通説じゃん
0526人間七七四年2008/09/02(火) 20:50:09ID:BncCW7GV
ポニー厨わんさか
0527人間七七四年2008/09/02(火) 20:51:55ID:Tb5QYDpQ
今更あの番組観て反応してレスするか?
0528人間七七四年2008/09/02(火) 20:57:01ID:fk3HB0Ij
>>527
ただの無知な“アンチ武田”
0529人間七七四年2008/09/02(火) 21:00:35ID:dYJZ3ePk
TV見て思ったんだけど、
武田軍は小規模な戦に主だった武将をたくさん連れてきて
ことごとく討ち取られたようですねwwwww
0530人間七七四年2008/09/02(火) 21:04:37ID:Ch+KJT3/
戦国時代の馬はポニーのような大きさだったというのは今では有名な話だが、一番の問題は大きさではなく馬の性格。
日本では馬の去勢という技術がなかったため非常に獰猛で、諸外国の騎馬隊のように編成できなかった。後に大陸に進出した旧日本軍の騎兵隊の馬を見たヨーロッパの兵士は、「日本人は馬の姿をした猛獣に乗っている」と言って驚いたそうな。
0531人間七七四年2008/09/02(火) 21:07:50ID:fk3HB0Ij
>>529
よし、ソースをくれ
0532人間七七四年2008/09/02(火) 21:07:59ID:dYJZ3ePk
たしか性格が荒い馬のほうが良い馬だと思われてたんだっけ
0533人間七七四年2008/09/02(火) 21:14:29ID:dYJZ3ePk
>>531
つ今日のTV放送を信じる童心
0534人間七七四年2008/09/02(火) 21:20:21ID:fk3HB0Ij
>>533
今仕事が終わって電車のなかだ、TV見られなかった。
0535人間七七四年2008/09/02(火) 21:24:09ID:gYxMzwUC
日本の馬は、農耕馬として使えない猛獣だったのかよ。

モンゴルの馬は、足の運びが側対歩だったか、上下運動が
少ないので乗りやすいらしい。
0536人間七七四年2008/09/02(火) 21:27:29ID:6hL/HelI
>>535
普通に農耕に使っておるがな>馬

つーか、たった一つの西洋人の残した記録を丸ごと信じるのもどうよ。
0537人間七七四年2008/09/02(火) 21:30:19ID:dYJZ3ePk
>>534
適当にまとめると、
戦場跡に鉄砲の弾がほとんど落ちてないから鉄砲隊ない
馬が小型で遅いから騎馬隊なかった
武将の碑はたくさんあるけど馬防柵から離れていた
総死者数は1000程度
…こんな感じだったかな
0538人間七七四年2008/09/02(火) 21:30:52ID:Ch+KJT3/
馬に慣れた坂東武者の源頼朝が落馬で死んだのはおかしいという説もあるが、当時の馬は人の指や耳を噛み千切ったり、蹴り殺したり、振り落としたりするのが当たり前なぐらいの猛獣だから、落馬は別に変なことじゃない。
0539人間七七四年2008/09/02(火) 21:30:56ID:3Nd+Yy+5
3倍の兵力差がないと城を落とせないて言うけど、大阪城、小田原城に
5〜7万人で篭城されたら、力攻めで落とすのは無理だろ?
損害が大きすぎて、兵がビビッてしまう。
0540人間七七四年2008/09/02(火) 21:36:43ID:Ch+KJT3/
>>537
武田の被害は追撃戦によるものが殆どっていうのが定説だから柵から離れてていいと思うんだけど…

まあ、誤った定説だと鉄砲で撃たれてるのにひたすら柵に向かって突撃して全滅したみたいな話になってるから、それを基に考えたら無かったといえなくもなくない。
0541人間七七四年2008/09/03(水) 00:08:59ID:vya5elbq
>>537
信長公記の記述は秀吉の捏造も追加
0542人間七七四年2008/09/03(水) 00:11:27ID:4RODxGjJ
日本馬でも最高速はボルトの1,5倍
0543人間七七四年2008/09/03(水) 00:20:52ID:4RODxGjJ
計算間違った
ただ人間よりは速い
0544人間七七四年2008/09/03(水) 00:29:36ID:UvbZ8Gkx
それは人を上に乗せた状態でということでいいんだね?
0545人間七七四年2008/09/03(水) 02:51:57ID:2YaS6ttQ
まあ、ドラマみたいな騎馬突撃は無かっただろうな。
0546人間七七四年2008/09/03(水) 02:53:25ID:ih8VIv8T
騎馬突撃がなけりゃ馬防柵の意味が解らなくなる。
0547人間七七四年2008/09/03(水) 03:35:45ID:mydHe51k
騎馬突撃はあったはず、ただ数は二千ぐらいだろうが。
何かの本で読んだが、信長は、佐久間信盛に勝頼あての内応の手紙を書かせている。
勝頼は、手紙の中に信長の陣がどこにあるか書いていた為、佐久間が信長陣をつけば勝てると思った。
ただ信長の謀略だった訳だが、親族衆が戦線を離脱せず攻めまくっていれば勝てたはず
0548人間七七四年2008/09/03(水) 08:01:20ID:EYCsXTkd
>>546
まず馬防柵って名前が後世の創作だし。それに柵がピックアップされるけど、実際は土塁とセットで陣地としていたわけで、隊騎馬隊目的ってわけではない。

あと日本人は西洋の騎兵隊のように戦場では馬に乗らなかったってのはルイス・フロイスも書き残してる。
0549人間七七四年2008/09/03(水) 08:18:22ID:qiVz7eOa
最近の戦国ファンはルイス・フロイスという外国人が好きな…





“売国人”が多いなwww
0550人間七七四年2008/09/03(水) 08:29:51ID:PLjT7mHv
最近の歴史ファンは江戸時代の小説やそれをもとにして旧陸軍が作った定説が嫌いなだけだと思うよ
0551人間七七四年2008/09/03(水) 09:11:24ID:NbMVFSrW
たまに鮎釣りで寒狭川に行く事があるが、
行ったことがある人間なら分かると思うけど、
あの辺は、見晴らしの良い野戦が出来る場所ではない。

川や渓や谷や森がくねくねと入り込んでいて、
要所要所に砦や陣地を作ってゲリラ戦をやるのが打って付けの場所だ。

その事実を大前提に考えた場合、長篠の戦いは、全く別の側面が見えてくる。
0552人間七七四年2008/09/03(水) 11:26:56ID:ih8VIv8T
>>548
フロイスは西日本の戦場しか見たこのない男だぞ?
0553人間七七四年2008/09/03(水) 11:52:10ID:PLjT7mHv
西日本の武士は馬上で戦えなくて東日本の武士は馬に乗ったまま戦ったと。



そんな馬鹿な(笑)
0554人間七七四年2008/09/03(水) 12:07:32ID:ih8VIv8T
>>553
あのさあ、それに加えてフロイスはほとんど限定された戦場しか見てないし、それに言っておくが
日本人は馬上戦闘は、源平の時代からやっている。

もうちょっと歴史勉強しろよ。
0555人間七七四年2008/09/03(水) 12:42:33ID:PLjT7mHv
>>554
馬上戦と騎馬隊は違うがな。
そもそも源平の頃なんて指揮官である武士階級しか馬に乗ってないんだから、そいつらが集まって部隊になって最前線に突っ込むわけないじゃん。だれが自軍の足軽を指揮するんだよ。

カッコいい騎馬隊なきゃ嫌だーっていう歴史漫画好きや歴史ゲームマニアに勉強しろとか言われるとか(笑)
0556人間七七四年2008/09/03(水) 12:45:00ID:ih8VIv8T
>>555
> そもそも源平の頃なんて指揮官である武士階級しか馬に乗ってないんだから、

あほか。「指揮官である武士階級」ってどんな存在だよ?
武士は基本的に戦闘員だ。
0557人間七七四年2008/09/03(水) 12:57:25ID:PLjT7mHv
頭の中が戦国無双みたいになってるんだな。ゲームから脱皮して歴史の勉強することを願う。
0558人間七七四年2008/09/03(水) 13:03:18ID:ih8VIv8T
>>557
レッテル張りはいいから、具体的な例を挙げた反論をしてくださいな。
0559人間七七四年2008/09/03(水) 13:10:45ID:u0WAgajV
長篠の戦いとは織田機械化歩兵部隊38000と武田戦車部隊14000が戦った合戦である
勝者は田中
0560人間七七四年2008/09/03(水) 13:18:57ID:nxRZD6LV
いや、ヤスだと思う
0561人間七七四年2008/09/03(水) 19:55:54ID:2YaS6ttQ
美しい
0562☆中山鹿之助☆ ◆.Ooo.qq.q. 2008/09/03(水) 23:00:38ID:8hP1YL52
あの〜
なんとかミステリーに釣られるのも良いのですがぁ〜・・・
そろそろ本題に戻しませんかぁ〜wwwwwwwwww
0563人間七七四年2008/09/03(水) 23:00:56ID:PLKSILcQ
ID:PLjT7mHvが香ばしいw
0564人間七七四年2008/09/03(水) 23:02:13ID:PLKSILcQ
なんとIDが
0565人間七七四年2008/09/04(木) 02:44:02ID:Fzs/ng3x
戦国時代に戦車があったら武田が大量生産して大戦車部隊を組織してそう。
で、織田徳川が対戦車砲、地雷、ライフルをそれぞれ用意して迎え撃つ。
敵を甘く見た武田戦車部隊が織田徳川の塹壕に突撃。
しかし、対戦車装備を揃えた敵に惨敗。多くの優秀な士官や戦車兵を失った
というのが近代版長篠の戦い。
0566人間七七四年2008/09/04(木) 14:32:42ID:/iwON+Nq
センゴクみたら砦落とされてるのに平然としてるのな
もっと慌てふためくかと思った
0567通説には疑問があるでござる2008/09/04(木) 21:34:14ID:8w9YdAf6
明智惟任光秀
通説には間違いが多いでござる。
勝頼が重臣の反対を押し切って決戦し、多くの重臣が絶望して突進し討ち死にしたとか。
酒井忠次が鳶の巣砦を落として退路を断って決戦を強いたことが勝因とか。
梅雨が明けて、鉄砲をフルに使いこなさせた武田の失敗とか信長の強運とか。
長篠城を落とすことは重要ではなく、織田との決戦を武田が求めていたことは、
行動から明らかで、ただ城を落としたいなら、地形の有利な鳶の巣砦でこもっていれば、
織田側には手を出せなかった。兵糧では敵地の武田よりも織田が有利にしても、
あの周囲に敵を抱えていた時代、織田側の方に異変の起こる可能性も高かった。
設楽原に来たということは武田が決戦する気満々でいたということ。
鳶の巣砦陥落は、主力が決戦で負ければ何の意味もない局地戦にすぎず、勝敗とは関係ない。
決戦なのだから、機動のできる梅雨明けを待って動いたのは当然。

本当のこの戦の本質は別のところにあるでござる。
武田がハンニバルのカンナエの戦いを狙ったのに対して、織田側はユリウスカエサルの
ファルサルスの戦いを再現したのでござる。

カンナエの戦いは、兵数が少ないカルタゴ軍がその代わりに両翼に騎兵を配置し、ローマ軍に中央は押し捲らせたものです。
ウィキより「ローマ軍の中央戦列は、ほとんどカルタゴ軍中央を突破しかけていたが、戦列両翼はカルタゴ歩兵が優勢であり、
その方面のローマ軍は前進することができなかった。この時点で、ローマ軍中央はV字になりつつあった。そこへ両翼のローマ
軍騎兵を壊走させたカルタゴ軍騎兵が後方を攻撃した。後方を付かれたローマ軍はパニック状態に陥って密集したために、
中央の兵は押しつぶされて圧死した。(中略)完全に包囲されたローマ軍は、逃げることができずに殲滅されることとなった
(中略)この戦から、特に包囲戦の有効性が強調されるが、ローマの敗因は、包囲されたことによりパニック状態になり、
組織的で有効な対応ができなかったことにある。もし、ローマ歩兵が包囲側の攻撃に耐え、そのまま前進し包囲網を突破し
左右に展開出来たならば、逆に寡少なカルタゴ軍を包囲できたことになり、全く違った結果となっていたと考えられる。」

これをやった名将がいたのでござる。ローマの天下統一を目指したカエサルのファルサルスにござる。
0568通説には疑問があるでござる2008/09/04(木) 21:38:24ID:8w9YdAf6
騎兵でも兵力でも優勢だったボンベイウス軍は優勢な騎兵による包囲殲滅を狙ったが、
「元老院派軍左翼のラビエヌスは騎兵を率いて突撃し、カエサル軍の騎兵を撃退して第4戦列とぶつかった。
このときカエサルは自軍の投槍兵に、騎兵に対してはピルム(槍)を投げるのではなく直接突き刺すように命じていた。
この攻撃によって元老院派軍の騎兵は押し戻された。第4戦列はそのまま前進して元老院派軍に側面攻撃をかけ、
さらにカエサルは予備の第3戦列を前線に投入した。2方向からの攻撃を受けて、ポンペイウスは敗北」した。
「勝因は歩兵の効果的運用により騎兵の動きを封じ込め、その長所である機動性と運動性を封殺したカエサルの作戦に求めることが出来る。」

武田側は長槍や多種混合ではあるが、両翼に精鋭を送り込み突破を狙うのは必定。
カエサルの槍衾での騎兵封じ込めに対して、我が方は何が代わりになるか。
鉄砲多段撃ちと馬防柵と火線の集中による敵将の射殺にござる。
鉄砲は如何に強力といえど、玉込めに時間がかかるので、それ単独では決戦兵器
とはなりませんが、簡単な柵でも手間取っているところで、ひきつけて打てば効果が大きい。
いくら武田が戦上手とはいえ、本願寺戦でただの柵と鉄砲に苦しんだわれらに一日の長があります。
集中的に火力を使用して敵指揮官を殺してしまえば封建時代の戦いは勝負が付きます。
指揮を執る目立つ武将を血祭りにあげる。戦は次のステージに進みました。
それ以外にあれほど多くの武将の死を説明できません。

通説の過ちのひとつに親類衆に裏切りがあった、勝頼が家中を掌握しておらず、戦線離脱された
というのがありますが、これも天目山の裏切りなどを前に持ってきた過ちで中央部が苦戦することは武田の計算の内で、
誤算があったのは本願寺との戦いから鉄砲の効果的使用を学んだ織田軍の両翼を抜けなかったことにあります。
鉄砲による集団的な銃撃戦・殲滅戦に対応できなかったのです。

カエサルの戦いを再現するためには、両翼の秀吉殿とわれら明智の働き次第です。
カエサルは後一歩のところで天下統一前に死にましたが、信長殿は大丈夫でしょう。
私がついておりますから。

って私は長篠にはいっておらず、島津を接待していて、だから日向守という名になっているので
ござるが。それは愛嬌にござる。
0569人間七七四年2008/09/04(木) 22:59:14ID:bKMlY1rU
>>567
ところで、日本の戦国史の通説が覆されまくっている昨今、
ハンニバルだのカエサルだのの通説って信用していいものなの?
0570人間七七四年2008/09/04(木) 23:00:53ID:0uavHQTo
>>569
もちろん通説はもう通用しませんよ。
0571人間七七四年2008/09/04(木) 23:30:20ID:3ZnXfiI5
>>569
古代ローマ時代の有名な戦いは、むちゃくちゃ「軍事関係者」が研究してるから、ちょっと日本のとは話が違うかも。

例えばカサエルのガリア戦記はナポレオンも研究論文出してるし、
カンナエなんて第一次世界大戦前から士官学校で最初に習うくらい。
0572人間七七四年2008/09/04(木) 23:35:03ID:0uavHQTo
>>571
日本の戦国史もそうだが、古代ローマの出来事も、昨今の考古学研究の進歩で、だいぶ様相が変わっているよ。
0573人間七七四年2008/09/05(金) 01:30:56ID:WrqY6Nvw
多くの武将が死んだのは柵の近くではない件について。
0574人間七七四年2008/09/05(金) 01:42:30ID:5nKgkDIO
>>572
とりあえず上のカンナエだのファルサルスだのってのは史実として信じていいんかな?
0575人間七七四年2008/09/05(金) 19:58:15ID:6ABbnWtx
まあ、なんだ。
俺は考古学ほど信用できないものはないと思ってるんだがな
あんなの科学ですらないだろ

科学が進歩する度に犯罪も進歩するみたいに
考古学も犯罪と似たようなもんじゃね?
これからどんどん旧説がぬりかえられつづけていく希ガスよ
0576人間七七四年2008/09/05(金) 20:15:19ID:pkMeJIpz
>>574
詳しくは知らんが、結構通説とは異なってるらしい。
その辺は軍板で聞いたほうがいいかもしれんが。
0577人間七七四年2008/09/05(金) 20:34:30ID:IOf/Yd29
>>571
軍事関係者って歴史は素人だから、研究の前提は通説によるわけなんだがw
0578人間七七四年2008/09/06(土) 00:39:44ID:cQRSlW7t
ナポ公はカエサルのガリア戦記に記された、
カエサル軍とガリア解放軍の決戦であるアレシア攻防戦の通説である
カエサル軍6、7万対ガリア軍34万というのを
地形や戦況の推移から見てありえない、と分析し
カエサル軍とガリア軍のアレシア城兵+救援軍をほぼ等しい、と結論してるな。
軍事の天才といわれた男だけになかなかシビアな分析だ。
0579人間七七四年2008/09/06(土) 01:49:28ID:NwU2LrUd
>>577
一概にそうとも言えない。特にイギリスの戦史科あたりとか
0580人間七七四年2008/09/06(土) 01:53:08ID:lOed7RdL
>>565
甲斐信濃みたいな山谷多い土地では戦車は使いにくくないか?
かといって低湿地帯や川の多い日本の平野部でも運用は困難
とマジレスしてみる
0581人間七七四年2008/09/06(土) 02:01:21ID:v1XjulGx
ドイツがソ連に攻め入ったはいいがきちんと舗装された道路が少なく進撃に
苦労したらしいからな。
0582人間七七四年2008/09/06(土) 02:18:44ID:y6tdixCV
ロシアは未だにきちんと整備された道路が少ない
0583人間七七四年2008/09/07(日) 03:12:54ID:hSnZ3xLz
ロシアの土壌は異常。
霜が解けただけで20pも泥に埋まる土は日本にはない。
真冬になると燃料や油も全部凍るので不凍液がないと
戦車どころか銃一発も撃てない。
だから歩兵はつねに銃を懐で暖めながら行軍した。
それでも凍ったらスコップで殴りあって戦ったとある。
0584人間七七四年2008/09/07(日) 09:00:38ID:wintIGnD
>>502
三方ヶ原の武田ってことは単純に考えて、長篠の勝頼にプラスして、
信玄が総大将、勝頼時代よりまとまった家臣団、兵力一万強多い。
確かに見ものだけど、信玄、信長の両者ともに回避して決戦には至らなそうだな。

>>516
のび太は義昭公の方がしっくりこんか?
0585人間七七四年2008/09/08(月) 01:42:58ID:zJv/ul9V
>>583蛮族だ・・・恐ろしい


のび太が義昭将軍なら
ドラえもんは信長
ジャイアン 三好党
スネ夫 三好党
0586人間七七四年2008/09/09(火) 15:11:41ID:oIgI/cTc
長篠の戦で武田家が大きなダメージを負ったのは確かだけど、武田領国の支配はさほど動揺を見せていない。
実際に滅亡の引き金になったのは高天神城の落城だよなあ。

長篠の戦を過大視するのは、徳川史観ならぬ、織田史観のような気がする。
0587人間七七四年2008/09/09(火) 15:27:46ID:7WXC6l7/
「高天神を制するものは遠江を制す」なんて言って過大評価しているのが、すでに徳川史観なんだが
0588人間七七四年2008/09/09(火) 15:27:52ID:8Tdn44Hu
徳川方が地道に地方勢力を取り込んでいった結果、最終的に高天神城落城につながったわけで、
”味方を取り込まれる”時点で武田勢力が見限られてた、と見る方がいいんじゃない?
少なくとも”豪族の取り込み”が徳川優勢になったのは長篠以降の話だから、
なんらかのturning pointではあったと思うよ。

まぁ長篠以降、遠江に興味を持っていたのが徳川だけで、織田も武田も無関心だっただけかもしれないけど…
0589人間七七四年2008/09/10(水) 07:21:33ID:oycDrvRz
高天神の城は、武田軍が立てこもった状態で、
周囲は徳川が包囲しており、年貢がとれる領地を支配したわけではない。

この高天神の城には、武田軍の全領地から歴々の士が大勢入っていたが、
兵糧攻めで苦しんだあげく(周囲から米がとれないことに関係あり)、
勝頼の後詰めがなく(兵糧の補給もない)、
結局、ほぼ全員殺害されてしまい、勝頼は「面目」を失った、とある。
0590人間七七四年2008/09/10(水) 21:17:31ID:rwAKpgZ7
武田の騎馬隊はなかった
信長の鉄砲隊なんかなかった
長篠の戦いなんか無かった
せいぜい小競り合いの武田の犠牲1.000人程度

だってお、確かに歴史を繋げればそう判断せざるえないわな。
0591人間七七四年2008/09/10(水) 21:27:46ID:PG0awQ1y
ですよね。木曽馬なんてポニーみたいなもんだし遅いし
騎馬隊なんて戦場ではハンデにこそなれ得する事はひとつもない。
0592人間七七四年2008/09/10(水) 21:29:11ID:PubdSl+u
>>590
>せいぜい小競り合いの武田の犠牲1.000人程度

だったら武田の名だたる武将の多くが戦死せんわな。
対して織田徳川連合軍の重臣での戦死者はゼロ。
結果が全てを物語っとるがな。
0593人間七七四年2008/09/10(水) 21:46:45ID:xXBBWG1a
>>592
その後は高天神まで見殺しにするほど
威勢も衰えていたわけだしな。
0594人間七七四年2008/09/10(水) 22:05:50ID:oycDrvRz
織田、徳川軍でも、馬はいたが、乗馬するのを禁じられていた。
でも、例外が3人だけいて、指揮するために許可されていたためだが、
他が乗馬を禁止されていたために、この三人はとてもよく目立った、と
信長公記にある。
この場合の馬は、指揮台代わりだな。
0595人間七七四年2008/09/11(木) 00:55:15ID:skoiz/AM
屏風とかには馬に乗って背丈より長い刀振り回してる武将とかいるよね
0596人間七七四年2008/09/11(木) 00:56:28ID:qwcl/Om8
日本人葉に本場に乗って、平将門の時代から騎馬戦してるっつーの。
0597人間七七四年2008/09/11(木) 00:58:10ID:qwcl/Om8
変な変換になってる


日本人は日本馬に乗って、平将門の時代から騎馬戦している。
戦国時代に限ってそれがなかった、などと考えるほうがおかしい。
0598人間七七四年2008/09/11(木) 02:46:17ID:mPCBcdEU
新説が出たからといって,通説がすべて嘘だった式の考え方は危険だと思う。

長篠合戦屏風図が江戸時代に描かれたものだから、鉄砲隊も騎馬武者も
全部ウソだと決め付けるのはおかしい。
江戸時代と戦国時代の馬体に大差が無かったはずで、
戦国時代に騎馬武者が存在しないのなら、屏風が描かれた江戸時代の人々が
必ず騎馬武者はウソだと指摘するはず。
ただし騎馬武者のみで編制された騎馬突撃隊の存在は疑問

織田鉄砲隊の3000挺は信長公記の記述に改ざんのあとがあるというが、
改ざんか訂正かは印刷機の無い時代で判断できないと思う。
また織田方が徳川方に500挺を貸した記述があり
仮に織田方の鉄砲が千挺程度だった場合、半分の兵器を貸すとは
到底思えず やはり2000挺以上の鉄砲が織田方にあったと思う。
3段撃ちは疑問が多いが 装填された銃を取り替えながら発射した記述は
信長公記の今川との合戦の中にある。
発見された銃弾の数がごく少ないことも、合戦後回収されたり年月が経過し
土砂に埋もれたり、流されたりと説明はつく。

まとめれば 武田方の死者数が異常に多いこと、騎馬突撃隊
鉄砲3段撃ちなど疑問は多いが
長篠の戦いで鉄砲が大量に使われたこと
騎馬武者が存在したことは事実でしょう。
0599人間七七四年2008/09/11(木) 02:48:23ID:qwcl/Om8
>>598
鉄砲の数は、徳川方のほうが多かったという説もあるな。
0600人間七七四年2008/09/11(木) 13:55:39ID:1S7l8Vk/
織田・徳川連合軍の勝因は、鉄砲隊有利な地形、騎馬隊不利な地形、武田方の統制がしっかりしてない(勝頼と家臣)。
等など色々あるけど、やっぱ倍くらいの兵力差じゃないの?
本とかによっては、あたかも3000人の銃士が15000人の騎馬武者(全軍が騎馬武者)に勝ったような言い方をしてる酷いのもあるんだよな。


0601人間七七四年2008/09/11(木) 17:38:04ID:pDzrhcic
当時の鉄砲は、発射の煙がひどくても、モウモウと出る。
長篠の戦いは谷間で行われたのだから、稲刈り後にワラを燃やすがごとく霞んで
その中で、「いくさ場をとったりとられたりした」という一進一退の戦いが
行われたみたいだよ。
武田の本陣から見れば、前方にモウモウと煙りがたって、その中でバンバンと
猛烈な銃声があって、柵の前で押し合いへしあいの戦いが行われているらしいことが
見えたわけだから、そんな状況とあらば、
我も突っ込めと、次から次へと突撃したと思われる。
0602人間七七四年2008/09/11(木) 21:10:56ID:Jv8kTHer
そもそも騎馬隊がなかったとか言ってるトンデモおやじの言う通りなら騎馬武者すら存在しないじゃん
大笑いですね
0603人間七七四年2008/09/11(木) 22:15:59ID:UvuMDrBZ
武田に騎馬隊が存在したのなら、長篠以前から騎馬隊で戦さに臨んでいたってことになるな。
そんな史料あんのか?
0604人間七七四年2008/09/11(木) 22:48:49ID:0MeBvjFG
まあ騎馬隊じゃなくて騎馬武者としての戦闘ならあるわな。
0605人間七七四年2008/09/11(木) 23:26:54ID:bguQEv45
>>591は噂のトンデモおやじか
0606人間七七四年2008/09/12(金) 09:08:42ID:YiB+CfCo
日本の騎馬隊は機動歩兵と考えるべき
0607人間七七四年2008/09/12(金) 12:10:39ID:669LI7Sw
馬に乗って戦闘無理とか、誰かあのおやじを止める人いなかったのかな。
あいつ、どうやら自分の言ってる事が騎馬武者の否定になるって程度も理解出来てなかったフシがある。
てか、伝令とかも全部人足?w
0608人間七七四年2008/09/12(金) 20:30:37ID:cP7WRVqL
日本馬の馬格は確かに小さかった。
しかしそれだけで「戦闘に耐える騎兵なんて無理w」なんて即断することこそ無理。
鎧武者乗せて疾走も出来ないようでは、四つ足として失格ですって…
獣の体力を馬鹿にしてるんじゃないでしょうか。

ソ連軍騎兵の大挙突撃シーンがNHK『映像の世紀』にあるんだけど、それこそポニーみたいな
馬にすがりつくように乗っている。でもちゃんと突撃できている。
0609人間七七四年2008/09/12(金) 23:20:16ID:xhbwZeIM
その当時の日本の男子の平均身長が150cm程度だった事を忘れてるのではないか
この前の番組は酷すぎ
そこの所を全く触れてないのだからな
0610人間七七四年2008/09/13(土) 06:03:27ID:usPbjatr
アラブも昔のサラブもポニーサイズ
0611人間七七四年2008/09/13(土) 12:23:54ID:kTYnol1X
騎馬武者の存在は史実。

騎馬武者のみで編制された騎兵隊は?
騎兵隊を裏付ける史料が無い。
当時から騎兵隊は常識であり、一々記録に残す必要が無かった?
滅亡した武田家独自のものであり、武田家滅亡と共に史料も消えた?
史料に無いのだから騎兵隊は無かった?
0612人間七七四年2008/09/13(土) 12:42:41ID:pf+yVAnA
そうそう 日本の騎馬隊は機動歩兵と考えるべき
戦いでは降りて戦っていたはず

考えてみると3段の鉄砲で撃たれているのに何回も突っ込んで
騎馬隊壊滅なんてありえんだろ?どんなけ無能なんだ。
しかもめちゃ遅い木曽馬(ポニー)。


0613人間七七四年2008/09/13(土) 12:47:25ID:I+wMAFL6
>>612
いろんな説をごっちゃにして分けがわからなくなってるな君はw
0614人間七七四年2008/09/13(土) 13:22:29ID:c5wSNBSM
織田軍は傭兵の弱兵だから、武田と白兵戦やったら話にならん
だから土木工事を施して、安全な所から鉄砲という飛び道具で戦さするしかない
武田は織田軍が厭戦気味で弱腰だという情報操作に踊らされ、突撃を繰り返したんだろう
でなければ、主だった重臣がことごとく戦死しちまう惨敗なんて喫せん
佐久間信盛が寝返るとの偽情報を流したってのも効いたか
0615人間七七四年2008/09/13(土) 13:32:45ID:8RZIX7vP
戦国時代の平均身長は120センチ程度。
馬も小さく鉄砲で狙ってもなかなか当たらなかった。
鉄砲だけで勝つのは無理だろう。
0616人間七七四年2008/09/13(土) 13:36:29ID:I+wMAFL6
当時の日本人がどんどん小さくなっていってるなw
0617人間七七四年2008/09/13(土) 13:41:35ID:c5wSNBSM
>>615
大量の鉄砲隊を動員し、間断なく射撃すれば勝てる
信長は初めから武田とガチンコの白兵戦をする気など全く無い
0618人間七七四年2008/09/13(土) 17:40:06ID:8RZIX7vP
射撃界では常識だが、立った状態の人間を正面から撃つ場合、
身長180センチの人間の的となる面積を1とすると、身長170センチで0.91、身長160で0.75。
身長120センチでは0.17と格段に命中精度が落ちる。
馬に乗り伏した体勢になると0.04と的の面積がさらに狭くなり、しかも的は動く。
五輪金メダル級の腕をもってしても、もはや命中は不可能といえる。

近代射撃理論からは織田軍が鉄砲だけで圧倒的優位に立ったという説は到底受け入れられない。
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