>>258
??
それは分かるけど??

武田家は国人連合の盟主的立場で代々、郡内、国中、河内と各々の国人達が内訌を繰り返してきた。
信虎はそれを無くす為に強引に中央集権化を図り、甲府に本拠地を置き、そこに国人領主を住まわせ、監視下においた。
それを嫌った重臣達が、晴信と共謀。クーデターを成功させる。
こうした背景から、以後、信玄の代になっても重臣達の発言力が強くなる。
これら信玄時代の宿老が開戦を否定したのであれば、
母親が諏訪氏の娘であり、武田家の通字である「信」の字すら許されていない、ただの後見役の勝頼が開戦を独断専行で行う事など不可能。

>>260
そうなんだよね〜^^;
『信長公記』の記述

馬入るべき行にて

が謎だよね〜^^;ただ『甲陽軍鑑』自体

馬入るとあるにかざりことばかと見え候

と上の文を否定してるからね〜^^;