織田信長は日本最高の天才
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 17:58:53ID:8I39q/Um0773名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 18:30:37ID:WhfzvRa8地球が丸い認識を前提として、地動説が成り立つわけだから内包関係にはあるけど。
地球が太陽の周りを(一年かけて)回っている=地球の公転概念は、これも地動説とは別。
地動説とは、地球が自己の自転軸を中心に(一日かけて)回っている概念のことを指しますぜ。
地球の自転概念は、ピタゴラスが存命中には既にピタゴラス学派にはあったらしい。
公転概念はそれより150年ほど後、ピタゴラス学派を継承したアリスタルコスが仮説として打ち出した模様。
まあ、正確な観測ができなかったために本人も半信半疑だったし、世間的に普及もしなかったけど。
>>772の自己フォローはそういうことですね。
0774名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 18:49:16ID:Tf5Hg9Mw>地球が丸いという認識と地動説とは別ですがな。
それは思ったけど、まあ良いやと思ってスルーしちゃった。
元の信長のエピソードだとどっちなの?地球が丸いて概念?地動説の概念?
0775名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 02:10:14ID:2umQc+yr今川義元と斉藤道三に挟まれていたが故に、あの信長となったのだ。とか書いてみる。
0776名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 11:42:35ID:RyascpqY宣教師の記録だと、菓子や衣服程度なら喜んで受け取ったが金銀の類や財宝は一切受け取らなかったとか
0777中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 12:06:24ID:2YN0+spW船に鉄が使われてたという記述は大和の坊主と宣教師の手記しかない
どう使われていたか詳細な記述はない。想像の産物
>>776
宣教師から時計をもらう逸話があるな
0778名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 16:16:09ID:45XOMP+R目に見える桝とかの統一を考えた大名は他にもいたが、時間にまで思考を伸ばしたのは当時では信長のみだ
やっぱり天才。そのうえ多才
0779名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 16:29:08ID:v43wfsRU0780名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 17:52:28ID:F2XwlcFG君が言う「凄い」を満たす限定条件(尾張時代からであるのならば)が理解出来ない
それは「凄い」を「目茶苦茶凄い」に昇華させる限定条件だろ
どんだけ馬鹿なんだ?
0781名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 17:57:30ID:v43wfsRU0782名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 18:02:25ID:v43wfsRU統一者が単位の統一という「事業」をなし遂げることは「凄い」けど
単位の統一っていう「発想」に到るのは至って当然じゃないの?ということ。
単位が統一されてるほうが統治に便利なんてのは(古代でもないかぎり)周知の事実であるわけで。
「暦の統一を図ったから信長は凄い」っていうならその時期が問題になる。
弱小勢力のころから、統一をみこして統一を図っていたなら凄いけども……ってことかな。
0783名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:23:56ID:9ab3x5aD発想が当然なら、とっくの昔に日本の暦は統一されてるでしょ
自分の主観と、当時当然とされていたことをごっちゃにしてないかい?
0784名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:49:19ID:v43wfsRUそれが実行力を伴ったかどうかは発想の問題じゃなくて政権の実力の問題。
ウィキペディアレベルの話だけども、いくつか戦国以前の暦の話が出ているよ。
0785名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:53:42ID:9ab3x5aD信長以外にも複数の地域を支配した大名はいたのに、統一を考えたのは信長だけじゃん
ズレてるよ、はっきりいって……
0786名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 21:00:07ID:v43wfsRUだから、信長が暦の統一を考えたのがいつなのかが重要なの。
いつなの?既に統一に王手をかけた大勢力になってからだったら
ある意味為政者として当然の発想であってそこまで驚くに当たらない。
まだ統一も何も無い尾張の一大名のころから考えて実行していたなら凄いなあ、と思うよ。
0787名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 21:02:45ID:6xADL0nw0788中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 21:04:32ID:2YN0+spW0789名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 21:07:08ID:v43wfsRU実際暦の統一を図ったのっていつ頃の話なの?
ググっても、そういう逸話が有るってだけで時期まで分からない。
0790中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 21:47:29ID:2YN0+spW0791中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 22:14:10ID:2YN0+spW0792中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 22:17:00ID:2YN0+spW0794名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 06:59:39ID:R+8U5Pel無知でごめんね。色々調べれそうだよ。ありがとう。
0795名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 21:56:23ID:UaABqTx2俺の業績は俺の業績。
0796名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 04:58:47ID:kj7hU/FN0797名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 18:57:29ID:7pheGYat他の大名の場合関所で
通行料を取り立てる
座に矢銭を課す
市が立つ時に場所代を取る
っていったのが普通だったんでしょ?
楽市楽座(+関所の撤廃)をやったんじゃ自分で徴税手段を放棄しているようなもんジャン。
まあ寺社勢力の基盤を壊すという意味はあったかもしれないけど…
0798名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 19:00:17ID:laQea8bnそれは俺も気になってた。
0799名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 13:06:10ID:9zt27PKz0800名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 04:24:18ID:90XHXykP全ての重要局面で神レベルの活躍をしてる。
0801名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 10:02:37ID:LfCibayvだから楽座は名目だけで、座役は取ってたのさ。商人頭(伊藤某)も任命してるし。
同じく楽市の史料が残ってる上杉謙信の例でいうと、麻布(越後丈布)座を独占的に支配し
麻布の流通に便宜をはかってる(船同前・関所役の撤廃)ただし、津料(港湾税)は徴収。
つまり、地元の特産品の流通をうながすことで収益をはかった。商品に課税した。
ってのが定説になっている。信長の場合は商業関係の具体的な史料は残ってないが、
だいたい同じような構造だったと思うよ。
0802名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 19:05:54ID:fm0D0qBT同意
0804名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 01:26:34ID:GyE0tKtl戦国時代から最強なのはコミュニケーション能力なんだよ
0805名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 03:52:39ID:WhxP0g0M秀吉はニュートン、信長はアインシュタインという感じか。
0806名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 05:02:17ID:lax7K8Aqオレが小学生の頃の考えだから。
0807名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 08:44:23ID:JdrxwP72○天下平定(統一より平定。つまり治安回復と維持)
○楽市楽座(商いの奨励と自由化活性化)
○関所撤廃(通行の自由と安全の保証を確約)
○諸役免除(領民の負担軽減と勤労促進)
○宗教改革(寺社勢力の非武装化と信仰の復活)
そしてこれら信長の政策に従う者(武家・公家・寺社・地侍)の知行・寺領を安堵した。
逆らう者とは徹底的に戦った。色々あったが、うまくいった。
後は、人材、金銀、土地、贈物、食料、物資、兵馬など勝手に増えていくこと、
売れっ子アイドルの人気の如し。官位、名誉辺りはイチロー宜しく辞退した。
0808名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 09:57:12ID:AmKBCjNa○寺社寺内町・自治都市への矢銭要求(用心棒代の押し付け=恐喝)
あと
○趣味としての大量虐殺・人質の嬲り殺し
0809名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 03:45:41ID:KhErFLSG0810人間七七四年
2007/02/13(火) 18:27:07ID:6CZDkQcc治外法権地区の撤廃、つー事だろ。
小領主群立な中世からの脱却には排除せざるを得ない勢力だから無問題w
>趣味としての大量虐殺・人質の嬲り殺し
趣味ねぇ…法に厳しかったのと、お調子者、思慮に欠ける者が嫌いだったのは確かなようだが。
0811人間七七四年
2007/02/19(月) 11:07:36ID:a8sZWDgL一番画期的だったのは、とにかく自分と相争っている勢力を次々と屈服させていけば
しだいに自分に逆らう者がいなくなるのでいつか天下統一できるという
単純な論理を実践しようとしたこと。
これは信長のような人でないと本気で考えられなかっただろう。
0812人間七七四年
2007/02/19(月) 12:20:43ID:FP95N5Dv信長がいたからこそのし上がれたが、そうでなければ単なる雑民で終わった人物。
家康も信長が今川義元を討ち取ったからこそ世に出る事ができ、
忠犬のごとく信長に付き従ったからこそ家運を開く事ができた。
二人を駒のように見事に使いきった信長が図抜けて凄いに決まってる。
0813人間七七四年
2007/02/22(木) 00:06:13ID:QCbAENK3【ふつうの人間が抱く疑問】
信長厨はなんでこうも「天才、天才」と得意げに語るんだろう?
別にあんたらが天才なわけでもなく、何をした訳でもないんだろうに。
【臨床医学的な解答】
心理学的に云う「ヴァーチャル・アイデンティティ」(仮想世界に自分を仮託する)
つまり、自分がゲームの中の主人公に置き換えられてしまい、その主人公が危機に晒される
(批判される)と、自分の存立そのものが侵されたという危機感に陥る。
したがって、仮託した主人公(信長)のライバルや仮想敵を攻撃することで、
危機を回避する心理構造。歴史解説書やPCゲームで信長厨になった人間は、大抵の場合
これに該当する。現実世界では惨めな自分が、信長となって天下を統一するという
仮想世界に生きるのが、彼らの唯一の癒し。病人だから大目にみるように。
【理論的補足】
なぜ信長厨に特有の症状かというと、単純な最強英雄願望がその底辺にある。
秀吉(信長の部下)や家康(同盟者)では、その英雄願望は充たされず、
ましてや他の戦国大名は、信長に仮託した自分の攻撃対象にすぎないから。
ついでに付記すれば、信長が天下統一の途上で斃れたことも影響している。
信長が生きていれば、この閉塞感のある世界も変わっていただろう・・・・、と。
0814人間七七四年
2007/02/28(水) 17:44:35ID:m7z4crEo0815人間七七四年
2007/02/28(水) 18:52:19ID:NI7/tvLp0816人間七七四年
2007/03/15(木) 06:58:53ID:1kDgRbae徳川は日本統治の天才
豊臣は朝鮮侵略して負けた馬鹿
0817人間七七四年
2007/03/15(木) 10:05:31ID:w/WGt0/j秀吉や光秀の抜擢、宗教勢力の武装解除、及び楽一楽座などの宗教勢力からの利権の取り上げなど人事や内政面の方が優れていると思うけど…
軍事は結構運が良かったんじゃない?と俺は思う。
一人で逃げ出したり、家康が頑張ってくれたり等。
本当に天才だとしたら本能寺にあんな少人数で泊まらないと思う。
庇うわけでは無いが秀吉の唐入りは国内平定したら国外に目がいくのは普通じゃない?
アレクサンダー、チンギスハーン…皆してるよ。失敗したから悪く言われてるだけじゃない。
0818人間七七四年
2007/03/15(木) 21:25:24ID:/4SJGjfL非常に有能な軍人だったのは確かだよ。
寡兵で大軍を破った例もあれば、
大軍を率いて破綻なく統率し切った例もある。
守勢に回ってもよし、攻勢に回ってもよし。
0819人間七七四年
2007/03/16(金) 13:59:18ID:1TnEMo4H0820人間七七四年
2007/03/17(土) 00:03:40ID:88srA1VZ信長なんて勝っても勝っても最後には天下がとれなかったのだから、
それほどたいした男ではないよ。
歴史上の人物を評価する際、軍事的能力を評価する場合が多いが、
俺に言わせれば軍事的能力と評価すべき能力でもないと思う。
戦の天才である義経より足軽身分から天下をとった秀吉の方が普通に凄いと思うし。
でもさらに俺が凄いと思うのは、日本人ではないが漢高祖劉邦。
軍事力も政治力も外交力も謀略も使わずに天下をとった男だから、
信長より格が上である事は間違いない。
俺は勝っても勝っても最終的には天下をとれなかった奴より、
少ない力で天下をとった男の方が普通に凄いと思うな。
0821人間七七四年
2007/03/17(土) 00:08:25ID:88srA1VZ何十万の兵も用いず天下人になった奴の方が俺は感心する。
信長なんて親の遺産も存在してある程度の地位ではじめたのにそれでも天下をとれなかった。
対する秀吉は足軽同然の身分から初めてそれで天下をとった。
普通に凄いのはどちらか分かるはずだ。
0822人間七七四年
2007/03/17(土) 00:17:35ID:FsbU0Pb1同意
0823人間七七四年
2007/03/17(土) 01:50:36ID:830y7IDz確かに秀吉は凄いけど、秀吉や家康は信長の曳いたレールの上を歩いたに過ぎないよ。
0824人間七七四年
2007/03/17(土) 01:56:46ID:Hwl0K1oz劉邦が戦さや謀略等を使わず天下を取ったなんて無知確定、漫画や小説の読みすぎ。
だいたい軍事だけの男なら楽市楽座等の政策なんか実施しない。
>>821
その論法でいくと信長の遺産を使った秀吉も天下を取って当然って話しになるが。
0825人間七七四年
2007/03/17(土) 09:17:53ID:+iu8hYToこれは自らの戦力では信玄との戦いで勝算がないと分析しての事。
徳川救援も少数かつ遅い進軍スピードでまるで「はやく落城しろ。落城したら、それを口実に撤退するつもり」かの如く。
いざとなったら家康を見捨てる事も辞さない態度で、家康にも籠城を薦め時間稼ぎさせるだけ。
信玄存命なら尾張に侵攻してたな。
今川の西上作戦の時も籠城策を採用しなかったのは尾張南部には長期籠城に適した山城がないため。
それどころか濃尾平野は大軍を展開するに適した地形で騎馬軍団の機動力を遺憾なく発揮できる。明らかに信長が不利。
また秋山隊が美濃東部に進出し美濃郡上経由で朝倉・浅井との直接連絡網が成立しており共同歩調での軍事行動まで可能。
伊勢や伊賀も同時に混乱するので織田崩壊は確定。
また信玄が岡崎城を落城させたら三河武士の本領が失陥し遠江の浜松城内の三河武士は離散するので浜松城放置は大局眼のある信玄らしい戦術。
0826人間七七四年
2007/03/17(土) 09:27:17ID:+iu8hYToを述べて 信長>>>>信玄と決め付けたくても最近のアマチュア作家み
たいに馬鹿にされるだけだよ。
それにしても、このスレで600レス目ぐらいまで来て信玄の名前が出て
こないのは、やはり信長厨からすれば、一番恐れてるのが信玄であるから
名前を出したくなかったんだというのが伺えるよね、実に面白い。
まあ黄金通貨の開発や河川工事の現在における基礎を築き上げたのは信玄
だし、軍略の神様と言っていい(49勝3敗20分け)武田信玄こそが、
戦国時代最大の天才と見て間違いないだろうね。
それにしても信長は、姉川といい手取川といい一向宗との戦いといい、大軍
を擁しての戦があまりにも下手だね、どうあがいても信玄には勝てなかった
と思う。
0827にゃんこ
2007/03/17(土) 09:30:29ID:eAX9bxFc北条や今川は、検地に熱心だったし。(差し出しだけど)武田勝頼は鉄砲で
長篠城をボコボコにしてるし、六角は楽市をいち早く実施してるし。
信長は、独自の脳内発想を実現していったのではなくて、有能な者なら、誰でも
理解している事を一歩一歩、進めていったに過ぎない。まっ、それでもかなり
優秀な人物なのは確かだがな。でも秀吉の方が上だな。
0828人間七七四年
2007/03/17(土) 09:57:09ID:+iu8hYToしたがるから始末に終えないね、こういう行為だけを見てもいかに醜くて
必死な連中というのかが伺えるよね。
せっかく将軍の直臣に近い座を手にしながら浅井浅倉の関係を軽視して、
自らを窮地に追い込み一向宗との無用で長々とした戦いに明け暮れること
10数年、ご都合的な考えが先行してしまい戦略下手だったという事を永
遠に語り継がれる始末。
周囲の国々の情勢状況を良く見て、戦略を繰り広げてきた信玄とは大違い
0829にゃんこ
2007/03/17(土) 10:19:37ID:eAX9bxFcいや、武士階級の代表として、
決勝戦・・・朝廷に武士階級の利益を全面的に認めさせる
準決勝戦・・・武士階級の代表として、宗教勢力の利益を奪う。
準準決勝戦以下・・・武士階級代表を決定する戦い。
一向宗との戦いは逃れられぬ準決勝戦。教科書に書いてあるように、戦国大名とは
実力で支配する人物。凡人では務まらない。まして、信玄はかなり有能な方だ。が、
所詮、準々決勝以下の戦いに明け暮れた田舎大名。
0830人間七七四年
2007/03/17(土) 11:14:48ID:830y7IDzそんなに信長が羨ましいか?
信玄が仮にもうちょっと長生きしても信長と同じ事は出来ないよ。(W
だって晴信じゃなくて信玄だからね。
0831人間七七四年
2007/03/17(土) 11:26:34ID:7VpCpMgL0832人間七七四年
2007/03/17(土) 13:12:05ID:/iFqkDHz馬鹿に構うな
0833人間七七四年
2007/03/17(土) 13:16:50ID:+iu8hYTo誰でも認識してるよ、君らぐらいだね、なまじアマチュア作家や小説
家の言ってる「旧勢力の打破」なんてのを信じてるのは(笑)
もっと将軍家を旨く使って天下を盗ろうとするべきだったね信長は、
そして君達もそういう風に一度は議論してみたら?だから駄目なんだ
ねえ
0834人間七七四年
2007/03/17(土) 13:30:10ID:+iu8hYTo始末www
で、下手くそな姉川の戦い後は比叡山から敵対される始末www
信長は信玄の軍略を学んでたらしいけど、大軍を率いての戦がまとも
に出来るようになったのが長篠からっていうのを見れば納得出来るね
0835人間七七四年
2007/03/17(土) 14:20:50ID:+KIHN/2gおいおい、権力者が宗教勢力と争うのは歴史の常ですよ。
んで、どんな戦略ミスがあったんだい?
0836人間七七四年
2007/03/17(土) 14:35:22ID:830y7IDz別スレでも沈黙のままだし。(WWW
0837人間七七四年
2007/03/17(土) 14:52:14ID:p59gUQLB覚めることを全力で拒否している引きこもりみたいなもんだな。
小学生でも歴史好きってのはどんどんリアリストになっていくのに、
信長厨って自分のガキの頃の妄想を絶対に捨てきれず、トンデモ
妄想で理論武装することだけに執心しているからこういう板でも
浮き上がる。
いまどき「時代を超えた天才」「新しい世を作るために邁進した
革命児」なんてヨタ話は、ドラマとして割り切って楽しむネタと
して扱うのが限界でしょ。まして信長はちょっと調べればすぐに
「別に時代から突出していたわけでもない凡人」ということは
わかるはずなのに、都合の悪い部分には必死で目をつぶる。
他の戦国スター達の信者はもっと地に足をつけてるよ。
いつまでも夢にすがるのはいいけど他人に電波をふりまくな。
0838人間七七四年
2007/03/17(土) 15:09:26ID:830y7IDz信長、秀吉、家康以外で挙げてみろ。
0839人間七七四年
2007/03/17(土) 15:59:34ID:7VpCpMgL0840人間七七四年
2007/03/17(土) 16:17:58ID:p59gUQLB釣りか?信長信者をバカに見せかけるための釣りなのか???
0841人間七七四年
2007/03/17(土) 16:29:11ID:B6ARCI31信長は・・・過大評価 スレでも見かけたんだけど
あんた的ブームなのか?
レス文引用しては
釣りか? 釣りなのか???
っての
なんか最近覚えたての言葉を
とりあえず使いたいガキみたいだから止めた方が賢くみえるよ?
0842人間七七四年
2007/03/17(土) 16:41:49ID:Hwl0K1oz0843人間七七四年
2007/03/17(土) 17:05:05ID:+QA7/6Kd0844にゃんこ
2007/03/17(土) 20:34:59ID:eAX9bxFcその文では、どちらが新興城下町重点なのか、解りようがないぞ。ちゃんと読点を
打って、まともな日本語にしろ。
833>
ほお、どういう戦略ミスかね?
一向宗との戦いの時期を選べってのなら、一理はあるが、「戦うな」、なんて
言う者は、戦国時代とか武士の意味が解っていないぞ。
そもそも、一向宗のどこが旧勢力だ?高度成長期の共産主義みたいなものだ。
対一向宗戦は、避けられぬ、体制の違いによる戦いだ。
0845人間七七四年
2007/03/17(土) 21:18:50ID:/iFqkDHz打って、まともなレスアンカーをしろ。
0846にゃんこ
2007/03/17(土) 21:35:31ID:eAX9bxFc私のパソコンなら、831という数字がちゃんと見えているんだが。
0847人間七七四年
2007/03/17(土) 21:45:23ID:TEQl9DZ/0848人間七七四年
2007/03/18(日) 01:19:42ID:M/qkMjjh中央よりやや端っこ辺りに存在した連中だろ?
総本山である石山本願寺を刺激せずに、堺や京を抑えていた信長は将軍家
を旨く利用できなかったというのは誰しも認めるところ。
本願寺さえ刺激しなければ六角や松永など畿内の勢力が相次いで包囲網に
参加することもなかったと思うね。
0849人間七七四年
2007/03/18(日) 05:37:35ID:0Me43grN0850人間七七四年
2007/03/18(日) 11:27:39ID:365BMVTf政教分離、まさに信長は時代を超えた大天才(ソースは漫画やドラマ)」
↓
それらはみな他者が先に実施していたものと指摘される
↓
「良いものを誰よりも早く見抜いて取り入れる信長は天才」
↓
当時の他の大名もそれらを実施していて特に信長が突出していた
わけでもないと指摘される
↓
「信長の兵農分離などの数値が他の大名より下だという証拠でもあるのか」
↓
いくつかデータを突きつけられる
↓
「べつに信長だけが突出していたとは初めから言ってない。揚げ足を取るな」
0851人間七七四年
2007/03/18(日) 12:11:01ID:Xlrv+8k3本願寺が先に仕掛けてきたから刺激も糞もないと思うが。
0852人間七七四年
2007/03/18(日) 12:29:19ID:cTGGKvXq勝った者がゲームや漫画で高評価を得る訳だけど、個人的には偶然で、
そんなに大差無いと思ってる。そんな補正値の効かない中、小国から
成り上がったのは凄いんでないか?
0853にゃんこ
2007/03/18(日) 14:13:18ID:vvns7ARd長島は、濃尾平野の東端。高度成長期の企業の重要一部門が、共産主義組合に
乗っ取られたんだから、経営側は徹底対決するしかないだろ。
さらに大阪平野北端もいかれている。戦うしかないだろ?
0854人間七七四年
2007/03/18(日) 14:40:19ID:nqYlfK1dそこをミクロで見て批判しているのがアンチ。
人間の体は細胞で出来ているが、その細胞は単独では生きられない。
よって単細胞生物>人間。
ってな。
0855人間七七四年
2007/03/18(日) 16:43:57ID:CDCULXZ2鎌倉幕府(貴族から武家へ、権力者の変更)
明治政府(近世から近代へ)
日本史最大の政治能力+革命者は頼朝だろ
信長は家康より下だろう
0856人間七七四年
2007/03/18(日) 17:14:43ID:uLjAP4LX状況を考えた上での単なる引き伸ばし戦略じゃねーか
0857人間七七四年
2007/03/18(日) 19:52:08ID:7dwPpffo作戦を正当と勘違いしてしまうような、大概の信長厨ときたら
ほんとどうかしてるね、単純に信長以下織田家中の戦の仕方が
下 手 だ っ た だ け という風には考えられないか?
0858人間七七四年
2007/03/18(日) 19:58:45ID:7dwPpffoじゃあ数多くの史料にそう書いてあるのはどう説明するつもりなの?
大体互いの版図の広さだけ見てもほとんど変わらないんだから信玄
は信長にとって脅威だったのは言うまでもないだろ。
信長は軍略を行っていく上で信玄を見て間接的に学んだ部分もあった
っていうし、そんな奴に上洛されたりしたらさすがに嫌だろ(笑)
今川や本願寺と違って、本格的に兵法の卓越した巨大名だから信玄は
0859人間七七四年
2007/03/18(日) 20:15:32ID:LdaGpeDf滅亡したのでは?
0860人間七七四年
2007/03/18(日) 20:54:05ID:7dwPpffo相も変わらずの哀れぶりww
あれ?滅亡なら織田も家臣の秀吉にコテンパンにされたんじゃなかったの?
0861人間七七四年
2007/03/18(日) 21:21:09ID:LdaGpeDfあんたの嫌いな信長に滅亡させられたんだろ?しかも鉄砲と云う飛び道具によってなぶり殺し。
織田、徳川軍は楽で良かったろうねぇ〜WW
0862人間七七四年
2007/03/18(日) 21:25:30ID:7dwPpffoの戦のどこが楽勝なんだか(笑)
信玄がいなくなっても結局武田軍の脅威を感じてる証拠だね。
ちなみに楽な戦と解釈する例として、信長の馬鹿次男信雄と単
独で講和した秀吉は赤子の手を捻るような気分だったろうねえ
0863人間七七四年
2007/03/18(日) 21:27:57ID:0Me43grN0864人間七七四年
2007/03/18(日) 21:49:20ID:LdaGpeDfその案が馬防柵だろ。
それによって武田軍は壊滅したんだから、大成功じゃないか?
秀吉と信雄が講和した時に武田一族は何処にいたんだ?
0865人間七七四年
2007/03/18(日) 21:55:38ID:7dwPpffoおいおいおいおいおい、兵法を心がけての策だってのは理解してるよ
むしろお前が>>861でそういう織田徳川軍の心境が楽だったみたいに
解釈してるから少しからかってやっただけだよ(笑)
しかしまあ次から次へと家臣に殺されていく信長ジュニア3人衆は
一体何なんだろうねえ
0866人間七七四年
2007/03/18(日) 22:03:48ID:LdaGpeDfあげくのはてに当主自らの手で自分の息子や娘、正妻までも殺さざるをえなかったのはどんな気分だろうねWWW
父上ごめんなさい!ってかWWW
0867人間七七四年
2007/03/18(日) 22:11:03ID:0ekvU9OD信玄と謙信の死で油断した信長は惨めな自刃・・・ww
家来に殺された単なるバカ殿じゃん。
0868人間七七四年
2007/03/18(日) 22:15:57ID:LdaGpeDf武田なんてちゃんと家系図のある子孫がいるのか?
WWW
0869人間七七四年
2007/03/18(日) 22:25:43ID:0ekvU9ODほんとに知らんの?? やっぱり小学生だったのか・・・。
信玄の次男・竜芳(海野信親)は盲目で出家していたため難を逃れ、
竜芳の子の武田信道が大久保長安事件に巻き込まれて伊豆大島へ流される不幸もあったが、
その子信正の代で許されて1700年に幕臣となり高家として仕えた。
その後大正4年(1915年)、大正天皇御大典を期に信玄が従三位に叙せられた際、
当時の当主武田信保に信玄の位記宣命が渡された。以後この家系が信玄に最も近い正統とされ、
現当主武田昌信へ受け継がれ現在に至っている。五男の仁科盛信の長男信基と次男の信貞が徳川旗本として
江戸時代を乗り切り、2系とも現在も存続している。(信貞は武田に復姓している)
七男の安田信清は姉婿上杉景勝の下へ逃れ、のちに武田姓に復し代々上杉家に仕えた。
信玄の弟・川窪信実の子信俊は家康の旗本として仕え、これものちに武田姓に復している。
ほかに川窪系(信玄の弟の末裔)。
0870人間七七四年
2007/03/18(日) 22:29:46ID:0ekvU9ODだから何回も言わせんなよ、家来に滅ぼされたのはどこの誰だ?
織田なんてちゃんと家系図のある子孫がいるのか?
WWW
ご返答、よろしこwwww
0871人間七七四年
2007/03/18(日) 22:34:57ID:LdaGpeDf教えてくれてありがとう。
なんでそんなに知っていながら武田軍は織田に滅ぼされたって云う現実を見ないんだ?
いい加減、信玄では天下取りは無理だって諦めろよ。
0872人間七七四年
2007/03/18(日) 22:37:45ID:0ekvU9OD織田なんてちゃんと家系図のある子孫がいるのか?
WWW
ご返答、よろしこwwww
しばらく勉強してこい、バーカ(爆笑
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