トップページsengoku
982コメント260KB

福島の戦国大名について

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/26(月) 22:55:19ID:F73GKVU8
岩城、相馬をはじめに。

白河結城、二階堂、猪苗代、二本松畠山、芦名……。
こいつらについて語ってみませんか?


あと久保に萌えるのもOK。
0807人間七七四年2010/02/08(月) 22:33:08ID:4ONaAjbd
三芦城最高
0808人間七七四年2010/02/12(金) 12:02:18ID:iI2sK1nr
>>807
行ったことあんの?
アクセスどうだった?歴史館ある?
俺も見に行きたいんだよね。
0809人間七七四年2010/02/12(金) 12:42:21ID:Y//zgLct
三芦城は主郭まで車で行けるが登城口から上がったほうが雰囲気はでるよ。
石川町歴史民俗資料館には三芦城の模型もある。
0810人間七七四年2010/03/06(土) 16:33:24ID:b6sZg+BH
漫画に載っていた石川昭光が何故か公家風でしきりに政宗をヨイショしていた。
0811人間七七四年2010/03/06(土) 17:28:36ID:OcnFz7KZ
むしろ政宗が昭光をヨイショして土下座してたのになw
それで自称豪傑の成実は昭光より地位が低くされたのが不満で出奔したから、
政宗を操る昭光の逆鱗に触れて家族皆殺しにされてるわ
無能過ぎて仕官するとこ無くて、やっと仕官できたのが転封したばっかで人手が足らない家康の相模国。
家康の成実への低辺評価ぶりが笑えて、たかが百人頭の棄て扶持。
カッコ悪いから上杉から万石で仕官を誘われたが断ったとウソエピソードを作り出す。
0812人間七七四年2010/03/07(日) 10:04:21ID:6aDhwtc0
江戸時代の終わりの頃には田村も亘理も
石川から養子が入ってるけど 石川って忠宗の血筋から
嫁か養子は入ってた?
もし入ってなかったら亘理はともかく田村は愛姫が可哀想かな

政宗は田村家を大名としてとりたてる気はなかったみたいだし
愛姫の遺言で忠宗がやっと大名としてたててくれたのにね

0813人間七七四年2010/03/07(日) 15:57:52ID:uFslHbnK
愛姫に男子がいなかった、ってのが大きいな
0814人間七七四年2010/03/07(日) 17:57:27ID:JKwJDiim
えっ
0815人間七七四年2010/03/07(日) 19:43:57ID:87tKxXBv
石川家には忠宗系からは嫁来ていなかったと思う。涌谷、岩出山、亘理、片倉あたりから入っている。
それから忠宗は愛姫の子。
812の言う亘理とは涌谷のことかな?涌谷・亘理・岩出山・石川はかなり複数回縁組みしている。明治になってからも亘理(成実子孫)から石川や涌谷(亘理氏)に嫁いだ人いる。
なお亘理は岩出山の血筋になっている。
0816人間七七四年2010/03/07(日) 21:46:07ID:6aDhwtc0
>814さん
忠宗系からの血筋じゃないんだ(田村家)
それは残念
0817人間七七四年2010/03/07(日) 21:47:06ID:6aDhwtc0
815さんのまちがいです
0818人間七七四年2010/03/10(水) 23:42:31ID:AWxj+ry/
>>813
政宗と愛姫との間に、忠宗のほかに二人男の子がいたものの、二人とも若死
しちゃってるもんで、結局忠宗の子息の代まで持ち越しになっちゃったんだろうかな
0819人間七七四年2010/03/12(金) 06:03:58ID:WAGNVAHD
16歳で亡くなった男の子が元服した時
名前は宗綱で田村の名じゃなかったし
守役は茂庭綱元だったみたいだから
田村を継がせる気持ちは 政宗にはなかったような
気がする
0820人間七七四年2010/03/18(木) 16:09:55ID:GZ0emoVd
ないよ。
そもそも政宗は死ぬ寸前の時に
愛姫の面会すら拒否るくらい仲が悪かったから。
政宗は死ぬ瞬間まで男衆狂いだったからね。
0821人間七七四年2010/04/11(日) 21:37:10ID:O8KhAgTS
ひょっとして芦名、岩城、石川って大阪の陣で
西軍とやった?
0822人間七七四年2010/04/12(月) 00:01:57ID:64Lox8uQ
芦名は既に亡い。石川は伊達に吸収。
0823仙台藩百姓2010/04/12(月) 09:05:05ID:T2LZ9nSe
大坂の陣当時、大名としては三家とも消滅していたけれど
一応参戦しているお( ^ω^)
0824人間七七四年2010/04/14(水) 07:30:47ID:+6jwlPH2
大内って中国地方の大内と何がしかの縁あるの?
0825人間七七四年2010/04/16(金) 14:10:34ID:gVpulmBL
福島県最強は相馬さま!
0826人間七七四年2010/04/22(木) 23:12:43ID:tmJFCrkX
岩城はのちに復活した
0827人間七七四年2010/04/23(金) 00:23:32ID:yRp63Qd9
>>825
【陸奥】相馬氏を語る【下総】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211757850/
0828人間七七四年2010/04/24(土) 07:37:47ID:8vhGA38H
奥羽列強の中では、岩城氏が最も名門。通説によれば平清盛の先祖・貞盛の弟、繁盛の子孫。また、岩城国造の子孫という説もあり、(岩城国造家に平氏から婿入りしたのかもしれない)奥州藤原氏とも姻戚。
したがって少なくとも1300年ぐらいの伝統がある。
 次いで前九年の恩賞で領地を賜り1000年続いた石川氏がこれに次ぐ。
他の家の多くは、鎌倉時代の奥州征伐の恩賞によって来た連中(結城、芦名、伊達、伊東、葛西、留守、南部など)がほとんど。その中で、当初は葛西と留守が格式高かった。
 家の歴史では平将門の子孫の相馬氏が古く、勢力では三浦一門の芦名が強かった。
大崎は南北朝時代に下ってきたが、足利一門で格式が高かった。また正式な探題である。最上はその分家が羽州探題を名乗ったに過ぎない。
奥州探題が奥羽の管轄なので、本来は出羽も大崎氏の支配地のはず。
ところが、いつのまにか筑西の小勢力だった伊達が最大・最強になって周囲を併呑してしまった。伊達の伸張もすごいが、大崎、吉良、畠山等の足利由来諸家の没落は激しい・・・。
 
0829人間七七四年2010/04/24(土) 09:16:15ID:AaLUEbO3
安藤「………」
0830人間七七四年2010/04/24(土) 09:29:42ID:HzIVuTcp
伊達は足利義満の母の姉妹を正室に迎えたくらいの奥羽最大の実力者だったからなあ。
当時から伊達は奥羽を管轄してた鎌倉府を牽制する役割も兼ねるだけの力があった。
0831人間七七四年2010/05/11(火) 05:22:45ID:4ABm1e2P
最初は大崎の方が偉かった
0832人間七七四年2010/06/02(水) 18:47:46ID:iUAAPnWV
信夫佐藤氏ってどうなったん?
伊勢にいっちゃったの?
0833人間七七四年2010/06/02(水) 20:56:48ID:SAIE842e
そういえばもう本出たんだっけ?
0834人間七七四年2010/06/06(日) 18:18:27ID:nakqZkLw
大河ドラマで暫く奥州は取り上げられないな。
せめて佐竹あたりでやってくれないかのう〜。
0835人間七七四年2010/06/07(月) 15:16:45ID:cFXhbKlV
片倉小十郎を主役で是非やって欲しい
0836仙台藩百姓2010/06/07(月) 21:18:00ID:klztcYEn
勘弁して欲しいお( ^ω^)
大河は上杉とか武田とか厨臭い大名で回していればいいのだお( ^ω^)
0837人間七七四年2010/06/07(月) 22:50:06ID:QevZtBL2
一番厨なのが政宗な罠
0838人間七七四年2010/06/07(月) 23:55:09ID:xDksHhHH
>>832
伊勢に移る前に
留守家の家老になった系統の家もあったんじゃなかったけか
0839人間七七四年2010/06/16(水) 00:20:19ID:EBFLVlTE
>>838
留守政景の家督継承に反発して出て行ったが、のちに帰参した。
他に相馬に仕えた一族もいる。
0840人間七七四年2010/06/21(月) 00:27:48ID:sLvB1gm7
相馬の武士の20%が佐藤姓なのだとどこかで見たのだが
ソース覚えてない
0841人間七七四年2010/07/01(木) 06:11:47ID:uOKE7xeD
鬼庭実良伝説
0842名無しさん@そうだ選挙に行こう2010/07/10(土) 09:37:53ID:8qBmEhbj
伊東肥前
0843人間七七四年2010/07/12(月) 18:34:21ID:ZiHGfqpb
>>842
郡山城主で成実と小十郎が背水の佐竹の包囲にあい
殲滅を受けてるのに驚いた政宗がその救援に出たら、
待ち構えていた佐竹に政宗まで包囲されたのを見て
政宗の馬印を借りて敵を引き付けて突っ込んでいったものの
遠方で逃げる政宗が討ち死にしそうなのを見て
あわててとって返して身代わりになり討ち死にした人物だよね。
0844人間七七四年2010/07/14(水) 06:49:09ID:5tJ5x7hv
そのとおりでございます。
そしてその孫の七十郎重孝は、伊達家をのっとろうと企んだ伊達兵部を除こうとして失敗し、刑場の露と消えました。
しかし、予言どおり3年以内に兵部を滅ぼし、のちに伊東家は再興されました。
0845人間七七四年2010/07/31(土) 22:16:45ID:eQLc/bwT
奥会津?の山内氏について語ろうぜ!
0846人間七七四年2010/08/24(火) 12:50:10ID:jtNKfxEX
土佐山内よりは名門らしい
0847人間七七四年2010/08/25(水) 22:04:20ID:2EHIEOYN
ぼくも山内
0848人間七七四年2010/09/04(土) 07:19:23ID:zjC8xUs7
安積伊東氏
0849人間七七四年2010/09/16(木) 06:37:25ID:UQS9Z9e9
芦名氏方の子孫が栄えている
0850人間七七四年2010/09/16(木) 23:04:59ID:IqrDL6ck
俺尾張の山内
0851人間七七四年2010/09/28(火) 18:39:18ID:H+b6PSgV
松本弾正
0852人間七七四年2010/09/28(火) 21:51:18ID:hIAJncLU
富田将監(隆実)
片倉小十郎など簡単に撃破
真田幸村より戦上手と信じている
0853人間七七四年2010/09/28(火) 21:56:27ID:z6E4N0wL
片倉なんて毎回必ず負けてるよ
片倉が勝った戦いなんてねーし
0854人間七七四年2010/09/28(火) 22:46:35ID:u3VElepL
富田将監は蘆名氏配下だっけ?
0855人間七七四年2010/09/30(木) 02:58:58ID:RSSXSYRi
たしかあってるはず。
まだ少年だったけど伊達軍を蹴散らしてたよね。
卑怯者の伊達を支持する父と袂を分けた人だよね。
0856人間七七四年2010/10/05(火) 20:45:21ID:BsrV+TI4
主家であり名門の蘆名氏を植民地化していく
蘆名(佐竹)義広を支持する少年もどうかと思うが
0857人間七七四年2010/10/06(水) 03:46:31ID:U0Wy7j77
>>856
むしろ葦名の側から佐竹の支援が欲しいと頼みまくってますが何か?
秀吉から脅されて、佐竹が支援自重したいって言うと激怒するくらいに。
0858人間七七四年2010/10/06(水) 22:10:13ID:Yl7H5EEi
>>855

それは猪苗代盛胤
0859人間七七四年2010/10/07(木) 01:30:08ID:TcH0BkKG
隆実は父に従わず、蘆名氏に忠節を尽くした。
そして摺上原の戦いでは、五百余騎を率い、
先鋒を務め、蘆名氏から寝返った猪苗代盛国隊、
伊達軍の原田宗時隊や片倉景綱隊を破るという
恐るべき武勇を見せ付け孤軍奮闘
0860人間七七四年2010/10/08(金) 00:54:26ID:+lZLVuem
片倉ごときは弱小なので自慢にはならないが、
原田宗時は武勇において政宗も一目置く存在。
そいつも破ったんだから、「窮鼠猫を…」かもしれんが
一応強いんだろうよ。
0861人間七七四年2010/10/08(金) 01:14:37ID:uSOoVRM2
伊達軍の中では強かっただろうが
原田宗時程度なんて大した武功なんてそもそもねーよ。
0862人間七七四年2010/10/08(金) 12:51:04ID:IsEQ4wvP
まあ、軍記の話しでいけば将監は自分の手勢の五百だけで
猪苗代、片倉、原田の八千余りを破ったのだから異常な武功であるといえる
0863人間七七四年2010/10/08(金) 13:48:41ID:z+jAN782
伊達軍の弱さは定評があるから
まあ妥当な戦況だろうな。
この後に敗走した片倉がパニックのあまり山上の戦見物してた農民達を敵と誤認して銃撃して
農民達が葦名軍に助けを求めて逃げてくるのを
葦名側が自軍敗走と誤認し
葦名の裏切り者どもが橋を焼き落として退路を無くしてしまい
葦名が川で水死続出しちゃうわけだ。
0864人間七七四年2010/11/01(月) 22:16:49ID:1xBr4LwD
伊達家にこんなにひどい目に合わされたのに、江戸時代〜戊辰戦争にかけて伊達氏のために尽くした芦名は偉い。
08652712010/11/02(火) 20:11:22ID:/L6Q3WP5
>>864
伊達家中に芦名氏の末裔なんていたか?
0866人間七七四年2010/11/03(水) 07:48:03ID:oxAHjmSD
針生氏。
0867人間七七四年2010/11/03(水) 16:07:03ID:cGkXt6/k
>>863
片倉の見事な計略だな
0868人間七七四年2010/11/03(水) 16:36:11ID:aT2uW7ID
>>867えっ?あなたアホですか?
0869人間七七四年2010/11/03(水) 18:26:20ID:Z8c3Xetq
>>867
針生氏て一応最後まで盛重に従ってたんだよな
0870人間七七四年2010/11/04(木) 20:57:13ID:keqb/OUm
>>867
おお〜ありがとう
血から言ったらむしろこっちが本流か
0871人間七七四年2010/11/06(土) 15:37:18ID:ckdf1j+X
針生改め芦名家は、途中松前家から養子を迎えたものの、鎌倉以来の三浦の血は続いているよ。
さらに、娘が2代目小十郎に嫁ぎ娘を一人産み、その娘が松前安国との間に3代目小十郎と松前広国を産んだ。
さらに、その3代目小十郎の娘が伊達宗房に嫁いで産んだ子が4代藩主綱村公の養子と成り、5代藩主吉村公になった。
以来、伊達家は吉村の子孫になっている。つまり、伊達家、片倉家、松前家とも芦名の血統なのだ。
偉大なり芦名!
0872人間七七四年2010/11/06(土) 15:45:25ID:ckdf1j+X
小十郎・広国(歌舞伎の鉄之介のモデル)の従姉が、白河義実に嫁ぎ、綱村公の乳母となり、その功績で白河家は一門に昇格した。
つまり、白河氏も女系の芦名子孫。
他に、登米伊達家、亀田岩城家も伊達吉村系からの養子を迎えたたため、芦名の血を引いている。
かつて福島県領域に割拠していた諸族は、現在に至るまで綿密な血のネットワークを保って続いている。
伊達氏及びその血族は、大まかに分けて伊達吉村系(=芦名・松前系)、石川昭光系、伊達宗元(安芸)系に3分されるようになった。
嫡流の、伊達綱宗ー綱村系は絶えてしまった。
ちなみに、肝心の亘理氏は石川昭光の男系子孫になってしまった。(女系で血はつながっている)
 田村家は一時石川家の血筋になり、愛姫の血を引いていないため地が途絶えてしまったが、現在は伊達吉村系になったため(伊達忠宗の血を引くため)
田村麻呂の子孫に戻ることが出来た。
 岩城家も血のつながりのない三沢の血筋になってしまったが、現在はちゃんとつながっている。
0873人間七七四年2010/11/09(火) 20:07:07ID:nQ+eGteV
足利満直
0874人間七七四年2010/11/16(火) 06:43:23ID:jPl4qtUk
ビッグパレットがあるところに鎌倉〜南北朝時代にも政庁があり、その区画が南拠点とほぼ一致するのには驚いた。
0875人間七七四年2010/11/18(木) 02:06:19ID:VuOfgyXW
松前氏から養子を入れた葦名氏は、葦名氏の血を引いていないのでは?
確か松前氏は、景長次弟の跡を、かなり年の離れた末弟が継いでいて、末弟の出生年時、重長女は四十を過ぎている。
江戸時代も時代が下がると、三十前半で御褥御免の風習が、一般武家社会に浸透したと、聞いたことあるので、景長末弟の実母が、重長女の可能性は低いと思う。
0876人間七七四年2010/11/19(金) 23:05:28ID:uXvRh8et
松前為広の母も、片倉喜佐だった(ウィキ)
また、片倉・松前・宮床伊達・白河・芦名の5家は複雑に姻戚関係を重ねているので、芦名の血はちゃんと引いている。
さらに、伊達宗家由来の人物が養子または嫁に来た場合も芦名の血が混じる。
ちなみに涌谷伊達・岩出山伊達・亘理伊達・亘理・中島家もかなり姻戚関係が深いため、いったん断絶した血がすぐに復活した
0877人間七七四年2010/12/20(月) 23:15:17ID:QIM/orY+
白河
0878人間七七四年2010/12/27(月) 21:27:15ID:qHmEdErS
高校のとき、無理矢理たいまつあかしに参加させられて苦痛だった
0879人間七七四年2010/12/29(水) 14:11:11ID:90jVp0OA
>>878
どこの祭り?うらやましい
0880人間七七四年2010/12/29(水) 17:18:45ID:BNeBUM9g
横レスだが、須賀川の松明あかしだろう。
0881人間七七四年2011/01/02(日) 00:11:27ID:a4xqTJW8
石川昭光は伊達の叔父だよね?
そうすると近内光広、泉光専は石川の血族だよね?
何で苗字が石川ではないのかな?どっかに婿養子に行った?
昭光とは不仲だったのかな?
この二人は伊達に行かなかったのかな?
三芦城には蒲生勢が入ったと聞くけど、その後の石川一族はどうなったのだろう?
石川昭光は三芦城には戻って来なかったのかな?
0882人間七七四年2011/02/09(水) 12:51:23ID:PGxlzExv
戻ってないでしょう。
地元に残ったはず。
その地方にはそんな名字が多いから農民にでもなったのでは?
やっぱ伊達から婿を取ることは生き残りの手段だったんだよ。
0883人間七七四年2011/02/20(日) 15:41:36.05ID:q1Fu9dPH
伊達みきおは登米伊達家・岩出山伊達家の血も引いていた。
0884人間七七四年2011/03/27(日) 05:33:02.11ID:rr95PNX2
海道の覇王原子炉
0885人間七七四年2011/04/01(金) 17:25:39.84ID:r9mQTtDe
相馬氏は核武装していたから明治維新まで生き残れたんだろうな。
0886人間七七四年2011/04/01(金) 17:43:58.97ID:cff6j7Qq
核武装しなくても生き残ってるんだが…
仙台観光史学では相馬は滅亡してんのか?
0887人間七七四年2011/04/18(月) 22:21:15.34ID:/KDbrktR
石川や田村の城跡を見て回りたいと常々考えていたのだが…早く行っておくべきだった
0888人間七七四年2011/04/28(木) 13:01:37.80ID:9wdQyX8x
いまこそ大河ドラマ相馬義胤だろ!
0889人間七七四年2011/04/29(金) 08:43:03.83ID:gWumNjXj
原発の放射能被害で気分が滅入ってる住民もいるだろうから相馬大河ドラマはぜひやって欲しいね
0890人間七七四年2011/04/29(金) 08:59:20.49ID:joL9sMIJ
どうせ最後は政宗のおかげで改易免れるんだろ
0891人間七七四年2011/04/29(金) 09:57:21.88ID:o7hj7FD1
>>890
それ自体が捏造話なんだが。
0892人間七七四年2011/04/29(金) 11:59:27.14ID:joL9sMIJ
だから嫌なんだよ
0893人間七七四年2011/04/29(金) 13:38:01.39ID:yn0hB3qy
>>890
それ自体は問題ない。
問題は面白くて優れた脚本がない事だろう。
相馬にはまだ知られていない史実がたくさんある。
後で捏造大河扱いされるのは嫌だな。
0894人間七七四年2011/04/29(金) 13:51:00.70ID:gWumNjXj
本当は相馬領をもらえると思い込んで信じきっていたから
意外にも案に反して相馬安堵となりガッカリしたんだよな政宗。
しかも政宗が相馬に「このままじゃ相馬は改易だけどどうすんの?伊達指揮下に入る?」と脅して
相馬を傘下に組み込んで上杉を襲撃した挙げ句に大敗した月夜畑の敗戦を根拠に相馬が徳川方なのを証明して認可されたと言う政宗の墓穴展開。
0895人間七七四年2011/04/29(金) 17:52:02.76ID:j3BoksM0
つまらん! お前の話はつまらん!
政宗ごとき横山光輝の漫画で虎哉和尚にボコボコにされるから
べつにディスらなくていいよ。
そもそも奥相茶では月夜畑の戦いは相馬から仕掛けたことになってるので却下。
互いの同意の上で仕掛けた戦闘にもかかわらず、大将の義胤が出陣していない事を
いい事にこっそり意趣返しを謀る姑息な家臣がいればいい。
ちょうどお前みたいなのがいいな m9(^Д^)プギャーーーッ
0896人間七七四年2011/04/29(金) 18:12:14.58ID:o7hj7FD1
>>相馬から仕掛けたこと
いやいや政宗が「家康公天下掌握〜景勝も無か如く成りたまう〜今更政宗と一和したり〜後日、家康公より御咎めあらば其の時〜」
などと政宗に脅迫されたのが発端でしょ。
もっとも「伊達の者をば皆も討たせよ。相馬の者をば討たせぬ様に下知せよ」と言ってるから(事実、相馬150人に対して伊達は250人が上杉側に討たれた)
相馬側は政宗の無礼な物言いに怒って謀った挙句に
この戦を根拠に安堵を勝ち取る華麗な知略を見せているのは評価されよう。
これは相馬が上杉に内通してたようにも考えられる。
そもそも相馬側討ち取られ名簿自体がテキトーな武者名を書いたらしく
「後難を考えて討ち死にの者の名字無きには名字を付けて帳に作り」本多正信に提出してるしw
0897人間七七四年2011/04/30(土) 00:05:51.49ID:9mX63PXz
華麗な知略(笑)
0898人間七七四年2011/04/30(土) 00:19:43.43ID:9mX63PXz
おいおいところで
「家康公天下掌握〜景勝も無か如く成りたまう〜今更政宗と一和したり〜後日、家康公より御咎めあらば其の時〜」
この一文のどこが政宗に脅迫されたことになるんだ。
単に相馬に先見の明があっただけの話じゃねえか。896の読解力に乾杯。
0899人間七七四年2011/04/30(土) 00:27:16.30ID:jxxRZULE
文章が省略されまくりの文で独自解釈する>>898の中途半端な性格に乾杯
0900人間七七四年2011/04/30(土) 01:12:54.00ID:V+mYRRvK
奥相茶の文に「政宗が」いう主語を勝手につけて、
情報操作を謀る政宗にそっくりな性格の896に乾杯

0901人間七七四年2011/04/30(土) 01:54:13.20ID:jxxRZULE
「政宗白石福島を攻給て後相馬の一族家臣等盛胤義胤へ申上るは大形家康公天下を掌握し給べし其上景勝も〜」ってちゃんと書いてあるんだが…
読んだことないくせにデタラメ発言する伊達厨ってキチガイにもほどがある。
0902人間七七四年2011/04/30(土) 02:26:49.03ID:/E6c3VDN
「一族家臣等」が主語じゃん。だんだんお前が可哀そうになってきた(;;)
お前みたいなやつのためにも早く大河ドラマ化されるといいな。
中学生でもわかるようにな。
0903人間七七四年2011/04/30(土) 05:08:34.39ID:urd+OQI+
うん、確かに901は奥相茶を「読めてない」(笑)
0904人間七七四年2011/04/30(土) 07:57:37.21ID:jxxRZULE
お前さ、原文はひらがなは無いし
隙間もなくつながってんだよ。
さらに政宗が白石や福島を攻めたのはだいぶ前の話で
政宗が主語で無ければわざわざ冒頭に持ち出すのは不自然だし、
のちに唐突に伊達と一緒に攻める話が出てくる不自然さが解決できないだろ。
そもそも月夜畠夜討事の前の話が最上討伐の直江軍に参加した相馬の泉胤政が三成敗亡で加増が無しになった話を出してるんだから。
その最上陣の話の前提を兼ねて正月前に政宗が相馬家中に語った話であり、「今更、俺と一和しても攻める小城すら無いし後日、家康にお咎めあったらどうするんだよ?」と脅迫してんだよ。
なんせ相馬側は上杉佐竹側であり、関ヶ原後の政宗は家康側であり遠まわしに伊達傘下になれば家康に執り成してやると政宗が偉そうに語ってわけだ。
だから意趣返しとも言うべき「伊達の者をば皆討たせよ」と言う報復案が出されるわけだ。
さらに政宗の申し出に内通して下知を請うた事実は相馬の面目に関わると言う義胤に対して
利胤は若年ゆえ政宗へ内通したのも苦しくないとして利胤から政宗へ返答することで妥協してる。
だから政宗が主語なわけ。
0905人間七七四年2011/04/30(土) 12:34:07.35ID:VLSkhtvG
政宗厨って論理的思考ではなく、感情的思考だから
相手にしちゃだめ。スルー推奨。
0906人間七七四年2011/04/30(土) 15:21:34.73ID:YB6vt1a4
>>904
あのな、原文が隙間もなくつながってることなんて解ってるし、
政宗が白石や福島を攻めた後なら「一族家臣等」が主語でも
原文はどこも不自然じゃねえ事ぐらいわからねえのか。

>>のちに唐突に伊達と一緒に攻める話が出てくる不自然さが解決できないだろ
おいおい奥相茶が時系列に語られていない事も理解できてないらしいな。
逸話ごとに時間が重なったり戻ってるのによ。

>>その最上陣の話の前提を兼ねて正月前に政宗が相馬家中に語った話であり、
「今更、俺と一和しても攻める小城すら無いし後日、家康にお咎めあったら
どうするんだよ?」と脅迫してんだよ。

んなこと言ってねえよ。
政宗が福島城を攻めた後で、一族家臣等が「家康が天下を掌握する事がほぼ確実となり、
今更政宗と和睦したところで攻める城もないし、後で家康に咎められたら
どう申し開きをするべきか」と盛胤義胤に相談している話だ。

>>遠まわしに伊達傘下になれば家康に執り成してやると政宗が偉そうに語ってわけだ。
こんなことは奥相茶には書かれていないからな。
0907人間七七四年2011/04/30(土) 16:38:08.10ID:VLSkhtvG
やっぱり政宗厨ってキチガイだな。
よりにもよって無理矢理「等」で主語にしちゃうんだから・・・
どこまで政宗美化をすれば気が済むのかねぇ。
その歪曲解釈を押し通すなら
そもそも政宗が白石や福島を攻めた後にって書く必要性無くなるじゃんw
それにじゃあ何でいきなり「伊達の者を巻き添えに引き込む」話に繋がるんだよ。
政宗からの申し出が無ければ伊達を巻き込むなんて唐突に空から降ってくる理不尽さが解決できないよね。
なんで相馬はいきなり伊達の者を討たせようとしてんの?
その解釈じゃ意味不明すぎる。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。