今川氏真 (゚∀゚
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0001蹴鞠
2006/06/18(日) 18:34:02ID:Yx53GEb6(O´∀`)今川の氏真公が世界蹴球杯の日の本代表にあらせられれば
(O´∀`)必ずやお味方に勝利をもたらしてくれましたでしょうに・・
(O´∀`)ああ氏真公・・・・
(O´∀`)平成の世に生を受けておられれば満天下に日本の武威を存分に示されたことでしょう
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/30(金) 22:47:05ID:M4dBxHLD0010!omikuji今川うじねーぜ
2006/07/01(土) 04:31:35ID:BS99WCSXふぁんたじすた
は拾番?!
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 04:00:01ID:N1988ZJ60013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 20:44:55ID:9jBJ7ggh,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、 , -‐、/./.- 、
/ | | ヽ l l ( 火◇風 ノ
/o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、 ノ ◇ ◇ ( 駿河へ出撃!
/o O / l´/ ヽ lo ',ヽ ( 山◇ 林 }
\___/. ト、 ● ●ハ ∧ `⌒/7へ‐´
/ ,イ レ_ ミl~T--‐彡 /./
/ ̄ ̄l. 彡、 (__人_) ノ'l l::::::::::彡ー7⌒つ、
彡:::::::::::l ト、___ /| l::::::::::::ミ {,
今川氏真
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚) …駿河侵攻?!
氏真はこんな感じだったのか。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 21:11:02ID:WGYV2jUM公家のような生活を送ってたんだから。。
本人より周りの環境の方が悪い
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 21:23:25ID:9jBJ7gghこれで気兼ねなく蹴鞠をやれるってな感じで。
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 21:39:05ID:E0uI4wy1留まるよう言われ、断ったという話がある。
大名に生まれたのが氏真の不運。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 23:22:29ID:pUekZBQM0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 20:56:03ID:jlhx3ccf0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:02:26ID:ESAdIYMz|;:;:_:;:_:;:_:;:_;:;_:;:l:;_;:_:;:_:;:_:;:_;:_;|
|______|_____|
)))))))| ⌒ ⌒ |)))))))))
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0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 22:55:15ID:VZG5aTwAイケメンかよwww
0021魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/07/11(火) 07:48:46ID:h4iA8ZDl塚原卜伝に習ったんだっけ?
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 22:37:01ID:HOqz1wlt他にも塚原卜伝に剣術の指南を受け、和歌や蹴鞠などの公家文化にも通じるなど文武両道ぶりを発揮した今川氏真
0023魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/07/14(金) 22:42:43ID:TmC93GmF0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 00:14:26ID:0Z3Mcix7んなもん知らん
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 19:56:55ID:J+eip5ub0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 20:07:21ID:HntLad9Sそれが武田の駿河侵攻の大義名分となってしまった。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 23:33:40ID:9f7NjmDi各家で跡継ぎ争いが始まった事ですね。その為、弔い合戦ができる状況ではなかった。
2.三国同盟の瓦解。氏真は桶狭間の後に北条の依頼で関東に援軍を送っています。
状況から考えて、人の世話をするほど余裕がなかったのに、援軍を送ったのは
三国同盟を氏真が重視していたと言う事。しかし、武田が破棄してきたことで
その戦略構想が敗れてしまった。
3.氏親や義元が一門との戦の末に家督を取ったのもあり、当主以外の
一門にはあまり強い権限を与えなかった。
その為、氏真にとって義元の雪斎のような頼れる一門がいなかった。
義元や雪斎は家康を将来の氏真の片腕に…と考えていた節も見られるが、
それも裏切られる結果となった。
4.兵農分離もできていないし、今川家は連合政権的な性格をもっていたので大名家
の力の強弱だけで左右される脆弱な基盤でした。
また、足利の名門という矜持もあり伝統を重んじる家風から、家臣の能力主義などの
大きな改革や幕府権威の否定、などができなかったと思います。
ゆえに将来的には生き残るのが厳しい家だったのではないでしょうか?
0028奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/15(土) 23:37:12ID:JflY9Z2l0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/16(日) 11:53:24ID:Y+8nFqrk/::::::::::::::::::::::::::::\
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0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 10:32:21ID:QQtFGndq/;;;;;;;;;;;;;\ よく今川家の上洛への夢を見事に打ち砕いてくれました…
/\;;::::::::::::::::::ヘ 元康くんが戻ってきませんね…信長くん達が裏切らせたんですか?
/,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__ それにしても、あと一息のところで今川軍本隊が奇襲を受けてしまうとは…
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l 父上には残念でしたが、わたしはもっとでしょうか…
|l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::... ...:::::::;;;;;;|l はじめてですよ…
〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕 このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
/j/ ヾ、 まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
l::||:::: \ / |l ゆ…
|::||:::::::.. (●) (●) || ゆるさん…
|::||::::::::::::: \___/ || ぜったいゆるさんぞ虫ケラども!!!!!
ヽ\:::::::::::::::. \/ ,ノ じわじわと蹴鞠技を披露してくれる!!!!!
/\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ 一瞬たりとも見逃せないぞ覚悟しろ!!!
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 19:58:49ID:VoVm8b7i7年ほど前の正月休みに両親と駿河のもんじゃ焼き屋に行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングザネが
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わない高貴ないでたちで。
ザネが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた武士集団が「ザネさん!」「ザネさんかっけー!」などと
騒ぎ出し、ザネが戻ってきてくれて即席花押会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
花押をしてくれた。
武士達がザネの母校飛鳥井流だとわかったザネは
いい笑顔で会話を交わしていた。
そしてザネは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親はザネの気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さん(カズ妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 00:22:35ID:PQ9nmddW0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 02:54:36ID:jXaklr6z[信長] 攻撃:30 素早さ:60 防御:47 命中:25 運:95 HP:267
氏真 vs 信長 戦闘開始!!
[信長]の攻撃 MISS [氏真]は攻撃を回避した。
[氏真]の攻撃 HIT [信長]は100のダメージを受けた。
[信長]の攻撃 HIT [氏真]は1のダメージを受けた。
[氏真]の攻撃 HIT [信長]は76のダメージを受けた。
[信長]の攻撃 MISS [氏真]は攻撃を回避した。
[氏真]の攻撃 HIT [信長]は75のダメージを受けた。
[信長]の攻撃 HIT [氏真]は57のダメージを受けた。
[氏真]の攻撃 HIT [信長]は55のダメージを受けた。
[氏真]が[信長]を倒しました(ラウンド数:4)。
魔法のMD5 - MD5バトル http://www.newspace21.com/mix/btl.php
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 05:20:43ID:LkUNXHP1年からいって、そうとは考えにくいか
太原雪斎が松永久秀のようなキャラであったと仮定して
今川家の乗っ取りを企んでいたとは考えられぬか
まずはお家騒動を起こさせ、義元を傀儡化して、
しかし寿命が先に来た
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 13:41:26ID:TIcTDxuM江戸時代の高家で今川家が1000石、吉良家(初代義弥は氏真の孫にあたる)が4200石、
品川家(初代高久は氏真の次男)が1500石
おお、6700石もあるw
0037武田信玄
2006/08/03(木) 01:11:13ID:uUALvTbE義信は切腹させたし、兵力は万全。
わが武田赤備の面目躍如といこうか。
ふはは、UJIZANEよ駿府館でがたがた震えているがよいぞ・・・。
0038北条氏康
2006/08/03(木) 07:02:31ID:d1ek7Oy2援兵は送れそうに無いよ・・・。せめてかくまう事は出来るから、頑張ってね。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 16:42:34ID:trxi7wL20040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 20:29:58ID:Jygidq3N0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 03:30:04ID:mtfEPhuV吉良義弥に今川氏真の血が入っているということは、吉良義央にもその血は流れている。
そして、義央の一子は上杉綱憲・・・・。現在の上杉家には氏真の血も引いているのか!
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 21:59:18ID:0aug9Rzk0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 12:47:58ID:PJvtybqs0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 01:03:30ID:7NloAoQz武田勝頼はけっして凡庸な武将ではない、という視点で
描かれてるのに氏真さんはそうではないのが悲しい。
何か、氏真が凡庸ではないという視点の小説はないかな。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 19:15:40ID:2bbMEcO9http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103819014/ref=sr_11_1/250-8160406-2965810?ie=UTF8
このくらいかなあ?まあ、持ち上げすぎとしか言いようのない本だがw
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 17:53:41ID:CMhgCfuFうーん、「戦国武将として」持ち上げてはいないけどなw
没落して京都に移って信長に会うところからの小説だし。
ただ「とてもいいひと」には描かれているのは間違いない。早川殿萌え。
家康・信玄まわりの有名エピソードを見るうえでホントいいポジションに立っているわ、氏真公。
この小説は大好きなんだが、
本能寺の変(朝廷勢力主犯説)の陰謀を公家ラインで仕入れるだけならともかく、
わりと重要なエピソードで行動に移させるのはさすがにやりすぎw
ともかく、
氏真公の剣戟シーンが見られるのは「天下を汝に」だけ!
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 02:21:15ID:DsH+px6j主演渡辺謙で大河ドラマ化したら、
世間の氏真評価は一変するだろう。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 03:31:55ID:mDeXZwecよくもまあ、偉そうにあんなデタラメ書けるもんだと感心するわ。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 04:24:21ID:fBjNng3N今日の執筆者の感覚で「〜べき」って言われてもな('A`)。
自分の考えにウィキペディアの記述を従わせることのに興味があるのであって、
今川氏真という人物自体は別にどうでもいいんだろうな、きっと。
「人物像」のところにちょっとだけ触れてあるが、
「和歌や蹴鞠で国を滅ぼした」イメージが語られるのは江戸時代中期になってからだという。
たしかに、松平定信は足利義政の茶・大内義隆の学問と並べて氏真の和歌を斬り捨てた。
それ以前の本では、氏真のことを剛勇の大将(だったからダメ)とか書いてるのがあるというような
ことを聞きかじったことがある。『甲陽軍鑑』だったかな、それ自体も怪しさの漂う本だけど。
同時代から現代に至るまでの「評価」の変遷がわかると面白いと思う。
その時代ごとの求められるもの/否定すべきものが氏真評価には反映されていると思うんだが、
根拠にし得る史料をあまりしらない。詳しい方、ご教示願いしたい。
一般的なイメージとしては、山岡荘八と新田次郎の小説が大きいんだろうな。俺もだったけどw
山岡以前に誰か小説で言及してたりするんだろうか。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 02:26:51ID:Q+o8Q6ZG投稿した奴は相当に卑屈な人種だよ。行間読むと分かる。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 00:14:09ID:iVzU53GG0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 04:19:07ID:Z/1TfeXa0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 00:07:48ID:IVzk7i4L0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:48:52ID:umxlL1jP早川殿・・・とっても、健気で、いい人
朝比奈泰朝・・・とっても、真面目で、いい人
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 18:56:49ID:LSlbvIq90056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:33:32ID:ykaMWy2yその商品説明を見てみたら、凄く読みたくなってきた。
どこぞの電子書店でダウンロードできると一番手っ取り
早いんだが、なさそうだな…。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 07:32:09ID:Wkw13Zs8と言われるくらいに、まず「天下を汝に」を広めたい氏真スキー。
「新潮書き下ろし時代小説」というシリーズの一冊として1991年に出版。
でも、いまだに文庫化すらもしていない「天下を汝に」。
同じシリーズの古川薫「覇道の鷲 毛利元就」とか、
南原幹夫「抜け荷百万石」が新潮文庫に入ってるのに。
いろいろとオトナの事情ってやつがあるのかいな。
それとも、単に売れなかっただけなのか?('A`)
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 18:51:40ID:tNln69srその二人とは歴史小説作家としての格がまず…w
まあ、氏真に興味のある人間も少ないだろうしなあ。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 21:48:39ID:VJGHpyGoを原作にした番組をやってくれれば、まず間違いなく
再び出版されるのでは…テレ東でも難しいかな?
「家康を天下人にした男」みたいなキャッチをつければ
案外人目を引くんじゃまいか。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 19:26:23ID:dv8TKzLZ0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 19:45:52ID:7KlVhxKCそれにしても氏真公は卓越した人生だな
素晴らしい
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 11:20:16ID:AbS2RhgMやっぱり氏真には「護ってあげたい」オーラみたいなのがあったんだろうか。
それとも早川殿が「この人には私が居ないとダメだ」っていう気丈なお人だったのか。
その点で言えば、氏真は恵まれてるなw
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 11:43:43ID:2TIXcf3W0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 11:57:08ID:r0xHMzhG0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 12:02:38ID:GUoYVIyQ見向きもせず、他の女性や小姓を愛し続けていました。
ところが、駿河を信玄に奪われ、掛川城に篭城しなければなら
なくなった逆境の時になって、初めて早川殿の愛情を理解し、
翌年、範以誕生。その後、二人は寄り添って、戦国の世を
生きて行ったのでした。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 12:03:25ID:XmJdEnkS0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 22:15:24ID:CbTWqazJ家康との仲は良好だったのかな、徳川家はずっと面倒みてる。
徳川家滅亡の時は今川家が助命嘆願書だしてる。なんかいいな
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 22:36:10ID:vtlEc7Keそれだけ家康に、今川家への悪感情が無かったって事でしょうな。三河の家臣団はともかく。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 23:02:45ID:Z87bduV7そんなに悪い殿様では無かったのかもしれないな
時代が悪かったのかも知れないが・・・
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 00:46:19ID:EiHkWkTp大河で「葵 徳川三代」をやっていたときに、静岡県のページで
徳川と静岡に関する話題を連載してたけど、竹千代の師に
太原雪斎をあてた事や、隠居の地に駿府を選んだ事などをあげて、
家康にとって駿府は若い日を過ごした懐かしい地だったのではないかと
推測してたっけ(立場が立場だけに辛いこともあったんだろうけど)。
家康と氏真の間というのは67の言うように良好だった可能性も
あったのかもしれない。
そういえば、天目山で最後を遂げた武田勝頼の正室も
北条氏康の娘さんだったっけ…。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 22:43:01ID:ukfqcmsS福島の遺児を養子にしたり。不思議。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 11:35:15ID:OGD6PoRyよう判らんけど、甲斐(武田信虎)攻めの総大将で武田滅ぼす迄
あと一歩ってとこで失敗して、相模に逃げたんじゃなかったかな。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 21:55:41ID:n/PBHR2F「花倉の乱」で調べてみ。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 10:53:28ID:h0PRzRacとっても気の合うお友達なのです
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 11:40:36ID:grryLxrXそのわりに息子を殺されかけたり領土を奪ったりの結構血みどろな関係だけどなw
まあ、家康は今川家当主ととして、徳川に圧迫を与えたり争ったりする公人としての氏真と、
私人としての氏真は別だと言う考え方をしていたんだろうけど。そう言う思考方法をする人だね、
家康は。
0076名無しさん
2006/09/20(水) 20:45:48ID:U+fCcSWI0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 05:14:35ID:lui6DPB8今川家は後に幕臣となり、品川と姓を改めました。全国の品川さんの祖であります。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 21:13:44ID:C6fhk7hg別に放浪していたわけじゃないぞ。公家さんたちと交際してる。
1万石ではなく、近江野洲郡のうちに500石、らしい。
>>77
孫の直房は今川のまま高家を務めてる。ただし、明治のはじめに高家・今川家の直系は絶えた。
品川を名乗ったのは次男の高久。こちらは直系の子孫が健在らしい。
0079sage
2006/09/21(木) 23:52:13ID:qxBVwfjbゲームや小説鵜呑みにしやがって…
ここはいつきても和むよ。
008079
2006/09/21(木) 23:56:55ID:qxBVwfjbスマソ
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 11:55:14ID:YuQCnw720082氏真研究してる学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/02(月) 02:52:49ID:AFBAYfIVと言われた。
氏真の本格的な研究が進んだのは最近である。
静岡県史の編纂によって大きく発展した。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 20:01:36ID:NclRVsV6この宿敵同士のどちらかに付かなければ生き残れなかったのか。
氏真と信長を見比べて、信長を選んだのかもしれん。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 22:15:28ID:zadFUgw8桶狭間後今川の代官追い出して独立したんだから氏真につけるわけがない。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:29:59ID:Ct2f+moRおお、がんがってくれ!
氏真ヲタを名乗りたいならこれは読んどけ!っていう最近の論文ある?
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 02:41:52ID:IZ1y9ulk浮かんできてるのかな?それは楽しみだ。氏真だけでなく、
新たな義元像も出てくるかな。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 11:34:47ID:jiM63yVhその行動(独立)に至るまでの話だろ。
桶狭間の戦いから家康が実際に独立するまで数ヶ月の開きがある。
その間、氏真の人となりにソリが合わないことを感じ取り、
信長と密約を交わした上で、独立したのかもしれん。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 15:11:33ID:2KeVsdG8氏真と家康は、個人的には非常に親しかったと思われる。今川から独立したのは
ソリが合う合わないよりも、単純に信長の実力を見込んでのことでしょ。
戦国武将は冷徹ですよ。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 05:13:29ID:i07NiDFs駿府城跡に行くといろいろ資料があるんだが。
なんとも言えない家康の故郷への哀愁のようなものを感じる。
戦国の世だからこそ強い者につき、身を立てて遂には天下を取ったけど、
家康にとって駿府は故郷であって、義元も氏真も優しい家族同然だったのかもしれない。
本当の地元のはずの岡崎ではなく、あえて駿府城で余生を過ごしている辺りに、
家康の本心があると思えてならない。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 11:33:48ID:sqCEHZrj経歴もよくわからんし、氏真との交流も謎が多すぎるが。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:20:28ID:hOknh1bD「遠州錯乱」を、その地の有力者ごとに、動向を見てみると、
・氏真によって潰され、力を失ったもの
・氏真によって家人が粛清され、反感が増して決定的に背くことになったもの
・氏真が手を出すより先に、自発的に背いたもの
・武田か徳川の侵攻を受け、本格的に交戦する前に降伏したもの
・氏真に最後まで従ったもの
こんな感じに分けられるか。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:23:00ID:hOknh1bD見付を拠点とする、今川家の分家。
先代に起きた花倉の乱では義元に敵対して敗れたため、家勢を削がれていた。
当主・氏延の叛意を察知(?)した氏真の電撃の用兵の前に敗北、流亡した。
井伊氏
井伊ノ谷を拠点とする、伝統ある豪族。
昔から三河松平氏と交流がある一方、今川家に対して反抗的な傾向があり、義元も警戒していた。
先代当主・直盛は桶狭間合戦で戦死。
新当主・直親の叛意を察知(?)した氏真に釈明に向かう途上、謀殺される。実行者は朝比奈泰朝。
直親の妹(姉?)・直虎が一族を率い、家康が遠江へ侵攻して来ると、家康側へ奔った。
松井氏
二俣を拠点とする豪族。義元に重く用いられていた。
先代当主・宗信は桶狭間合戦で戦死。
宗信の甥・宗親が当主に就任するが、叛意を察知(?)した氏真により、駿府で謀殺された。
その後を従弟・宗恒(宗信の男子)が継いだが、今川家・武田家・徳川家のどこに付くかで家中は分裂した。
宗恒本人は、最終的に徳川家に付いた。
飯尾氏
曳馬を拠点とする豪族。
当主・連竜は今川離反運動を自発的に実行した人物であり、遠州錯乱の中心と言える。
数度に渡って曳馬城を氏真の軍勢によって攻められるが、その度に撃退した。
手を焼いた氏真に和睦を申し込まれ、駿府に呼ばれて謀殺された。
新野氏
新野を拠点とする豪族。
当主・親矩は井伊直親が粛清されると、直親に嫁いでいた妹の子(後の直政)を引き取って養育した。
親矩は、離反した飯尾連竜を攻める戦いで戦死した。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:25:05ID:hOknh1bD佐久を拠点とする豪族。
朝比奈氏とも飯尾氏とも結びつきが強く、難しい立場にあった。
当主・頼広は家康の誘いを断り、徳川勢に攻められて武田家に逃亡した。
天野氏
犬居を拠点とする豪族。遠江では井伊氏と並んで大きな勢力を持っていたと思われる。
当主・景貫は義元の下で多くの合戦に活躍した。
徳川家の遠江侵攻を受けて降伏するが、その後は武田家に付いて合戦に活躍した。
武田家滅亡後は北条家に奔り、そこでも合戦に活躍した。
奥山氏
北遠に勢力を持つ豪族。拠点は久頭郷か?
井伊氏を祖とする一族で、奥山が発祥地。
当主・貞益は信濃の遠山氏に攻められて戦死。一族は分裂・抗争するようになった。
武田軍が遠江へ侵攻すると、隣の天野氏が武田側に付いたことに反応し、
同じく武田家に付くことで纏まり、一族内の抗争は終息した。
孕石氏
孕石を拠点とする豪族。
当主・元泰は武田軍の侵攻を受けて降伏。
後、高天神城が武田の手に落ちると、岡部元綱らと共に高天神城守備に配された。
徳川軍の高天神城攻めに抵抗するが、ついに落城、自刃した。
駿府屋敷が少年時の家康の屋敷の隣地だったことが不運だったのかもしれない。
久野氏
久野を拠点とする豪族。
先代当主・元宗は桶狭間合戦で戦死し、弟・宗能が継いだ。
宗能は、家康の遠江侵攻時に徳川家臣・高力清長の誘いを受け、徳川家に付いた。
その後一族は今川家へ帰参しようとする派閥とに分裂・抗争するが、宗能は徳川側に残った。
匂坂氏
匂坂を拠点とする豪族。
氏真に応じて堀越氏を襲撃していることから、当初から反今川ではなかったと思われる。
当時の当主は誰であったのか不詳。
後の姉川合戦に徳川武将として名を連ねていることから、結局は徳川家に付いたようだ。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:26:14ID:hOknh1bD小笠に勢力を持った豪族。馬伏塚が拠点か?
今川氏親の代に派遣されてきた、遠江においては新興の勢力。先祖は深志小笠原氏。
堅城で名高い高天神城は、小笠氏の管轄であった。
家康の遠江侵攻を受けて徳川家に降った。当時の当主は長忠か?
長忠は、武田信玄の遠江侵攻に際しては高天神城攻めを諦めさせたが、
後の武田勝頼の攻撃には屈し、降伏した。
天方氏
天方を拠点とする豪族。
当主・通興は遠州錯乱に対して傍観を決め込んでいた様子。
家康の遠江侵攻時、徳川家の誘いに応じずに黙殺。結果、徳川勢に城を包囲されて降伏。
武田軍が遠江に侵攻すると消極的に武田家へ寝返り、徳川方を救援しなかった。
武田勢が遠江から駆逐されると、再び徳川勢に城を包囲されて降伏した。
以後は家康に従ったが、重く用いられることはなかったようである。
朝比奈氏
掛川を拠点とする豪族。駿河朝比奈氏とは同族で、今川家に重く用いられた。
当主・泰朝は、武田軍の侵攻を受けて駿府から落ち延びた氏真や、
氏真に従った駿河衆の庵原忠緑や由比正純らを迎え入れ、
掛川城を包囲した徳川勢に対して徹底抗戦した。
五ヶ月余りの篭城戦の末に講和が成立し、小田原へ退去する代わりに城を開け渡した。
それにより、主君・氏真や同僚・忠緑らと共に小田原へ去った。(正純はこの戦いで戦死)
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 19:57:44ID:gzZtOtS5乙!
遠州の諸豪族も大変だな。
したたかでないと生き残れない時代だろうけど。
氏真は「政治を顧みず蹴鞠ばっかりやってる」イメージがあるけど、
やることはやってるんだな。
部分だけ切り出せば、「謀叛の機先を制した名将の決断!」とか
言われていてもよさそうだが、結果が出なかったのがすべてか……
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 07:54:01ID:mpzAVXqOサッカーとかバスケとか敵味方の陣地が無くてごちゃごちゃになって競う
ゴール系の球技は「戦」の雰囲気とよく似てるし
0097氏真研究してる学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/08(日) 01:40:58ID:+pPEWQwp僕がモロに影響を受けたのは
酒入陽子「掛川城開城後の今川氏真について」(『戦国史研究』39号、2000年)
他にも小和田哲男氏の論文はためになるなぁ。
僕が主にやってるのは氏真と貴族文化について。公家との交流とかね。
言継卿記なんかをよく読んでる。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 16:18:05ID:GrMN0eWZ0099とりあえず降伏
2006/10/08(日) 20:12:25ID:dhj1aMwF武田の侵攻の際も、朝比奈信置の離反を事前に報せる者もいたが、大量離反でもはやどうにもならなかったということか。
末期の朝倉軍みたいに離反で自壊したのだから、やはり武田の調略工作恐るべしだな。
ただ、今川や上野国人衆を崩壊させ上杉を混乱させた程の武田の調略工作が、北条にはほとんど効果がなかったのは不思議だな。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 21:26:05ID:rlzEfgiY遠江の小笠原氏だが、家康に服従したのは1568年で、
そのときの当主は小笠原氏清だった。
氏清は翌1569年に死去、その後を継いだのが長忠。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 13:02:12ID:PwCEmz/4地力がある井伊氏は滅亡するどころか、今川に対する恨みを深めただけのような
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 15:38:08ID:guC7PYjN0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 19:21:02ID:j1Xbouv90104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 19:33:19ID:UD2+Ak6T0105氏真研究してる学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/13(金) 00:53:06ID:SwTHtZ82時にあはぬを身の科にして
悔しともうら山し共思はねど
我世にかはる世の姿かな
↑氏真辞世の句
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:05:25ID:VFJwB8IAさしもの寿桂尼少々ボケも入ってきて粛清発動、氏真は止められなかった……
という描写(ってか、回想)をしてた。
で、無力感に苛まれてやったのが風流踊りだっけ、という苦い回顧。
氏真を現代的な「無力だけどいいひと」と思おうとするとネックになるのかもね。
あの小説は小説で好きだが、無理に「いいひと」にしなくても、
血腥いことも含めて、いろいろやろうとしたけど失敗して
ああいう後半生を生き抜いた氏真ってのも、魅力的だとは思うんだ。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:21:45ID:VFJwB8IAその2首は、氏真の生き方を一番象徴しているようだし、好きだ。
でも、辞世ではない(詠んだらしいが、伝わっていない)はず。
「なかなかに〜」は小田原退去時に詠んだ歌、とする伝えもあるそうだ。
おいらは『今川氏と観泉寺』(1974)しか見ていないから、
その後の研究の進展があったら許してくれ。
誰が住みて幾度うつりかはる世にわが故郷と何したふらん
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 02:20:36ID:SYqXBanJ壮絶な空回りの後で、105のような心境になった
あたりを描くのも面白そうな試みだと思う。
誰か歴史小説の題材に取り上げてくれる作家は
いないだろうか。
しかし、そこまでやっちゃったのも、義元からの
権力移譲がまだ途中だったためかね。
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