僧という生き方
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0001名無しさん@京都板じゃないよ
2006/08/31(木) 13:37:40:僧とは?
:僧になる意味は?
0122名無しさん@京都板じゃないよ
2006/09/19(火) 05:55:53【樹下を住処とす】
樹の下に露台を設け枯れ草(茣蓙)を敷き傘を立てて蚊帳を吊る
【修行に必要な最低限の所有】
三衣、お鉢、線香、蝋燭、経典、茣蓙、蚊帳吊り傘、剃髪用剃刀、針と糸
多くても遊行時に自分ひとりで持ち運べる程度の所有が基本
【施しだけで修行生活を維持する】
食物は乞食で得る その他は廃棄された物を再利用
布施や供養に呼ばれることは特別なことと心得る
【世俗とは係わりを持たない】
托鉢以外で市街地には出ない。供養に呼ばれても長居はしない
世俗の情報は見ない聞かない 葬儀に係わらない
金銭に係わらない
掌の皺が見える位明るくなったら起床し沐浴して瞑想をする
四聖諦を見極め八正道を怠りなく実践する
自己の内なる鏡をひたすら磨き続ける
0123名無しさん@京都板じゃないよ
2006/09/19(火) 20:43:05非時(正午より翌日の日の出まで)の間水分以外の物を口にすることを禁じた戒
瞑想に適する時間は地上に良いプラーナが充ちる早朝が良い。また瞑想は飢餓
状態で行うのが最も効果的と言われる。早朝の瞑想のために前日の正午から食
事を抜きプチ飢餓状態を作っておく。そのために〔非時食戒〕は理に適った戒であ
る。早朝が良い理由に人々が活動を始める前で静かである事も挙げられる。
ゴータマ師が覚醒したのも早朝、明けの明星が輝く頃と伝う。
尚、正午とは時計による厳密なものではない。太陽が南天に射しかかったと思えた
ら非時に入ったこととすればよい。修行者は通常托鉢後の8〜10くらいの間に
食事を済ませるので陽のない日でも非時の境を厳密に意識しなくても問題はない。
0124名無しさん@京都板じゃないよ
2006/09/21(木) 05:34:02自分が今まで歩んできた人生、また築き上げた過去の一切を棄てて修行生活に身を置くこと
過去の一切とは財産、肩書、学歴、義理、義務、家族、愛情等その他世俗に属することがら。
これらは何れも執着の対象になり一旦心を奪われると欲望を満たそうとする連鎖が果てしな
くつづく。欲しいと思ったら虜えられ、失いたくないと思ったら縛られる。ひとつ欲望が充たされ
ると次の対象が現れて、取れ!抱け!奪え!と誘惑してくる。欲望の連鎖に果てはない。世俗
に生きると言うことは「欲望を追いかける」ことにほかならない。充たされればひと時の快楽が
ある。快楽はまことに心地よいものである。しかし快楽の背後には愁いがある・・・
四門出遊で語られているようにシッダールタ太子が真理への道を志す動機となったのは北の
門で出家行者を見たからである。太子は29歳で宮城を出て始めはアーラーラー・カーラーマ
と言う行者に〔無所有処〕を、次にウッタカ・ラーマプッタと言う行者に就いて〔非想非非想定〕
を修したと伝う。このように出家と言う修行形態は仏教以前からインド亜大陸で広く行われて
いた様である。
修行者は世俗から隔離された環境に身を置くことが肝要。そのために過去の一切を棄てる。
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