当たり前のことほど書かないし書いたとしても最小限の異常状況を例示するに留まのは当
然である。不吉までを予測させない程度「摂政を置くの間」と75条のようなスマートな表
現になるのは当然である。それでいて法意としては、天皇大権の行使が円満に行えない場
合の最小事件を想定し、この最小変局乃至これ以上の変局時での憲法改変を禁止するとい
う的確な法意が現れているのである。

 また、「外国によて武力占領されている間には憲法改変を禁止する」というような当た
り前で書かないことはほかにもある。

・禁止を破って行われた改変はなんらの行為を要せずそのまま違憲無効である。
・違憲無効の憲法をまかりとおらせたままの国家運営も禁止される。
・もし、違憲無効状態を出現ならしめた場合にはその状況から一日も早く脱出する策を実
施しなければならない。

 これら、当たり前のことは書かれないのである。白い紙に黒い文字で書いてあることだ
けが法ではない。
 もし、上記3点が帝国憲法の法意にはじめから含まれていないならば、75条の禁止は全
く空文になってしまう。上記3点は憲法が憲法としての権威を維持永続するための当然の
要請である。
 つまり、当然の要請ではあるが、そこまで悲観的なマイナス価値の羅列は憲法としての
権威上明文化されないだけのことである。

 したがって憲法上や法律上、明文規定がないことをもって憲法改変についての「無効確
認」が出来ないということはいえない。又、確認行為という法律行為は行政法上も一般的
日常的なもので、とりたてて珍しい、とっぴな概念でもなく世間で一般におこなわれてい
ることである。いちいち此が「確認行為」でこれが「公証行為」でと分類をやらないだけ
である。