モンゴルはいかに世界を変えたのか
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0001世界@名無史さん
2012/02/03(金) 11:49:51.0100215世界@名無史さん
2012/04/29(日) 13:40:15.37O0216世界@名無史さん
2012/04/29(日) 19:59:04.7600217世界@名無史さん
2012/04/30(月) 01:07:58.310第一次元寇の時も元軍2万5000人に高麗軍1万9000人くらいだし
元が他国を制圧する場合に用意する戦力はだいたい2〜4万程度だったんだろう
第二次元寇が14万とやたら多いのは南宋の兵の処理の為だったんだし
0218世界@名無史さん
2012/04/30(月) 01:48:03.7300219世界@名無史さん
2012/04/30(月) 02:58:33.540元軍も居たよ
0220世界@名無史さん
2012/05/08(火) 23:09:47.830凄まじい戦力差の説は誇張?
0221世界@名無史さん
2012/05/09(水) 18:44:10.880歴史学者の肩書を持つ小説家の言い分だけどねw
0222世界@名無史さん
2012/05/09(水) 23:50:34.790その付近での戦闘はあったんじゃないの?
クラコフだって焼かれたんでしょ?
オーストリアにも侵入したって説もあるし
0223名無し募集中。。。
2012/05/12(土) 17:49:20.1000224世界@名無史さん
2012/05/14(月) 00:06:36.31O相撲界を制圧しつつある。
0225世界@名無史さん
2012/05/14(月) 09:54:44.520あぁあれか
中華史観が嫌いだけど欧米史観も嫌いで日本史観も大嫌いって言う人で
塩野や陳を小説家などと言う腐った卑怯な物書き共が歴史を捏造してるって非難してて
室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
って真顔で言ってる自称モンゴル歴史家の大家とかぬかしてるオッサンだろ
0226世界@名無史さん
2012/05/14(月) 12:58:19.490>って真顔で言ってる
それ出典は? 気になる
0227世界@名無史さん
2012/05/14(月) 21:46:12.1700228世界@名無史さん
2012/05/14(月) 23:10:34.660当初こそモンゴルの歴史に革新的な史観がと注目されたけど
その後の”ぼくのとなえてるさいこうのもんごるていこく”な理屈ばかり
ぶっ壊れたテープレコーダーみたいにしつこく繰り返して
俺は正しいお前ら全員間違いwwwwwとか言い続けてばかりで
みんなにあきれられてるって言うヤツじゃん
本人は俺がモンゴル帝国を正しく教えてやってるってつもりなんだろうけど
逆にかえってモンゴルの印象や心象を悪くしてるばっかりって感じだな
0229世界@名無史さん
2012/05/14(月) 23:17:10.330他の奴らもエキセントリックな気違いだらけw
0230世界@名無史さん
2012/05/14(月) 23:41:50.160今時お杉なんかの本根拠にしたらそんなもの根拠にしてるのって失笑レベルだぜ
0231世界@名無史さん
2012/05/14(月) 23:57:09.670ちょっと気になる部分を検索とかするだけでもネットにも大分資料や文章が載ってる
その中には色んな文典やらも載ってたりする訳で
杉山のやってるのはせいぜいネットが流通する前の90年代頃までしか通用しないやり方
今の時代何も杉山の本なんか一切買わなくても別な文典やら資料やら
本でもネットでも大分増えてきてそっから知識を読み取る事も出来るようになったし
0232世界@名無史さん
2012/05/15(火) 13:56:15.820もっとケ小平みたいな指導者がビシッとまとめていたらモンゴルを押し返していたんじゃないの?
モンゴルに滅ぼされた南宋も、清に滅ぼされた明も、阿片戦争で蹂躙された清も内部から腐乱し崩壊した感がある。
0233世界@名無史さん
2012/05/15(火) 15:10:49.3100234世界@名無史さん
2012/05/15(火) 18:55:24.760でも室町時代が本格的に始まる頃には元が滅亡してるんだけど
室町文化のどういう面を指してモンゴルの影響といってる訳?
0235世界@名無史さん
2012/05/15(火) 19:48:17.800能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い
また日元貿易は日宋貿易など比較にならない程の利益と文化を日本にもたらしたと主張してる
勿論そんな事真顔で言ってるのは杉山のオッちゃんだけだけどな
0237世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:04:11.540交易してたとして、南宋遺民の漢人が私的におこなっていたものだからモンゴルの恩恵じゃないんでない?
0238世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:10:59.930南宋の制度を丸々継承しただけだけど、明と違って海禁はしてないから
一応モンゴルの恩恵とはいえるか?
0239世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:12:22.700鎌倉幕府滅亡後に至っては各地の地方武士達が各々勝手にやってたレベル程度だから
どう考えても日本に多大な影響を与えたとかありえないレベルだろ
0240世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:16:04.350元寇の報復かの様に激しい勢いでやっていたとか言っている
その個人的見解はともかくとしても
その前期倭寇を鎮圧する力がモンゴルには無かったとか言ってたな
お杉はこの文章にカチンと来たのか
陳とかの小説家を毛嫌いする原因の一つになったみたいだけど
0241世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:18:42.760明が海禁するようになったのって1500年代以降の話だろ
それまでは義満や義教は明との貿易に積極的だったし
義持は大のオヤジ嫌いだから一時期滞ったけど
0242世界@名無史さん
2012/05/16(水) 00:52:19.220>能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い
詳しく検証したいのでソース元教えて
少なくとも雅楽の基になるものが入ってきたのは古代だ
元代に文化的影響があるとしたら禅宗だろ
0243世界@名無史さん
2012/05/16(水) 01:06:04.43Oそれは「中国」の影響じゃないの?
0244世界@名無史さん
2012/05/16(水) 02:25:54.890元の時代に出た文化もみーんなモンゴル発祥って理屈
アホかって思うわ
0245聖徳太子
2012/05/16(水) 05:24:44.740朝青龍は生れた時から横綱になることが
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/02/4/43.html
横綱になることが決まっていたのだろうか。
誕生日には、レーガン大統領とプロ野球の王選手が花を添えている。
0246世界@名無史さん
2012/05/19(土) 13:46:51.900中華列強という形で中国の地方が独立国としてまとまった方が伸びそうだ。
しかし、中国で地方が独立する時代は戦乱期で安定すると統一してしまう。そして腐敗してまた戦乱になる。
春秋・戦国時代には少し欧州的な方向に行きそうにも見えたが。
0247世界@名無史さん
2012/05/19(土) 14:02:20.910縁故主義と賄賂の横行、奴隷制の跋扈が大きいよ
0248世界@名無史さん
2012/05/21(月) 19:31:17.950ブラック企業・整理屋のノリが強い中国では自分がいかに権力を乗っ取るかに関心が高い。
それで内ゲバやってる内にモンゴルやら女真やらイギリスやらに攻め込まれて王朝が滅亡するパターン。
権謀術数を外敵ではなく漢族同士でやって、外敵に攻められる。
0249世界@名無史さん
2012/05/21(月) 20:27:34.35O禅宗は宋代でしょ。
北条時頼が帰依していた=13世紀前半〜半ばには既に日本に定着してただから。
0250世界@名無史さん
2012/05/25(金) 23:03:07.880民族という概念が発明されたのも日本。
日本に留学してた中国人を革命家として送り込んで漢民族ができた。
漢民族に似たものはあっただろうけど民族という概念が理論家されたのが最近なんだから
あやふやなもの。
1950年前まであそこはモンゴルを基礎とした満州人とチベット人の国だった。
それも欧米の植民地国家だったから支配者は大変で民衆は国とはつながってなかった。
日本の反植民地運動によって国家意識が目覚めたけど。
中国の革命家や社会主義者がほとんど日本留学生組なのはその為。
共産主義革命と文化大革命によって中国の歴史と文化を全部破壊してやっと漢民族が
支配者になれた。
ウイグル系とかもあれは元はトルコ人だよ。
香港やシンガポールの漢民族もキリスト教徒が支配者のイギリスのコントロール下にある国として
作られた。中国の本土もキリスト教徒は凄く多い。
愛国教会とかそんあ感じの名前なんだけど伝統的な仏教やイスラムは普通に弾圧されてる。
儒教と道教は宗教なのか分からない。道教は日本の神道みたいなもので信仰や神学ではない
民族文化だろうし儒教は日本の儒学みたいに政治学だと思うからどうかとして、
漢民族の宗教といったらほとんどキリスト教徒なんだよ。
信じられないだろ?漢民族の支配者や知識人はマルクス主義かキリスト教徒なんだよ。
欧米の思想で動くんだよ漢民族って。漢民族って中国とは本来何も関係ないんだと思うよ。
あっても断絶されてる。
0251世界@名無史さん
2012/05/25(金) 23:16:54.1300252世界@名無史さん
2012/05/26(土) 00:29:12.290満洲族の首長がモンゴルのハーンと中華皇帝とチベット仏教のパトロンを兼任してる国の間違いでは?
0253世界@名無史さん
2012/05/27(日) 10:54:58.97O0254世界@名無史さん
2012/05/31(木) 02:36:51.00i第一次ベトナム侵攻 3000名
チャンパ侵攻 2万5000名
第二次ベトナム侵攻 2万名 + チャンパ侵攻軍
第三次ベトナム侵攻 9万3700余名
0255世界@名無史さん
2012/06/13(水) 01:35:49.140双方、数万くらいの戦闘で、欧州軍が大敗したんでしょ。
当時の欧州は闇黒時代で、ワールシュタットの戦いでも
ヘンリク率いる欧州軍は、実際は寄せ集めの軍隊だったみたいですね。
例えば、日本の鎌倉武士団と、当時の欧州軍が戦ったらどちらに
軍配があがるでしょうか??
0256世界@名無史さん
2012/06/13(水) 07:39:23.06P0257世界@名無史さん
2012/06/13(水) 13:52:37.600楠木正成みたいに要害に立てこもってゲリラ戦で後方攪乱すれば何とかなるでしょう。
0258世界@名無史さん
2012/06/13(水) 19:28:52.670ワールシュタットの戦いの、絵は、気違いじみた絵だよな。
0259世界@名無史さん
2012/06/13(水) 19:30:55.120すげー
民族という概念まで発祥捏造しちゃったよw
0260世界@名無史さん
2012/06/14(木) 00:28:00.360船の構造が奴隷を輸送する時のような人を詰め込む為の舟だったそうだし
0262世界@名無史さん
2012/06/14(木) 01:20:27.710>当時の欧州は闇黒時代で、ワールシュタットの戦いでも
>ヘンリク率いる欧州軍は、実際は寄せ集めの軍隊だったみたいですね。
それ欧州軍じゃなくてポーランド軍
ハンガリー軍はバトゥの本隊に対しては割と善戦している
0265世界@名無史さん
2012/06/16(土) 02:26:53.590バトゥの本隊はオゴダイの死までハンガリー平原に悠々と
居座って役人の任命を行い通貨の発行まで始めていたというが。
0266世界@名無史さん
2012/06/16(土) 03:05:58.340戦ったんだよきっと
0268世界@名無史さん
2012/06/17(日) 00:02:44.550到達していた可能性はありますかね。
0269世界@名無史さん
2012/06/17(日) 03:05:30.770そのドイツ人を配下にして進軍しそうだな
0270世界@名無史さん
2012/06/17(日) 10:06:58.530それだともう完全にアッティラのパターンだな。
ガリアまで侵入した頃には遊牧民よりゲルマン人の歩兵の方が多くなってたとか。
0271世界@名無史さん
2012/06/17(日) 17:42:14.4800272世界@名無史さん
2012/06/17(日) 18:49:24.8300273世界@名無史さん
2012/06/17(日) 19:03:28.080体臭きついし鮫肌だし
0274世界@名無史さん
2012/06/17(日) 19:40:06.680裏山しい癖に
0275世界@名無史さん
2012/06/17(日) 19:49:05.5500277世界@名無史さん
2012/06/18(月) 02:15:35.180フラグもバグダッドを包囲殲滅して一説によると百万人が死んだと
されてますよね。
0278世界@名無史さん
2012/06/18(月) 02:45:15.85Pバトゥのは遊牧民の多い地域と土人が住む未開の地だからな
0279世界@名無史さん
2012/06/18(月) 02:51:47.790文明科学が発達してたんでしょ。『知恵の館』とよばれる人類の英知を
集めた場所があったとか。
当時は、暗黒時代の欧州より、遥かに中近東の方が先進国だったんですね。
0280世界@名無史さん
2012/06/18(月) 09:18:17.48013世紀になるともうそっちの学問がアラブ語からの翻訳という形で欧州に入ってきている。
0281世界@名無史さん
2012/06/18(月) 15:12:16.230東欧にはビザンツ帝国があったろ
0282世界@名無史さん
2012/06/18(月) 18:33:33.060中近東は、最盛期をたもってたということですね。
0284世界@名無史さん
2012/06/19(火) 03:06:15.170発達してたんですかね?
0285世界@名無史さん
2012/06/19(火) 03:45:20.16P当時の西欧貴族の子女は乳幼児期や幼年期にバタバタ死ぬのがデフォ
第一回の時分から住み着いて多少文明化した十字軍の諸侯の逸話にも
せっかくイスラム医師に治療して貰い快方へ向かってたのを
後から来た脳筋カルトがフランク式の治療を施して
侍女共々速攻で死んだってのがある
0286世界@名無史さん
2012/06/19(火) 04:05:50.1800288世界@名無史さん
2012/06/19(火) 13:41:19.820当時の西欧医学の水準考えたら
0289世界@名無史さん
2012/06/19(火) 13:52:02.860西欧でもイブン・シーナを翻訳して医学テキストにしてたんだから似たような状況でしょ。
0290世界@名無史さん
2012/06/19(火) 17:45:49.110残虐性に限ればモンゴル軍がどれほど皆殺しの為の破壊をやろうが古代のフェニキア人もギリシャ人も驚かないが。
南京大虐殺があったかなかったか、慰安婦が商行為かどうかで問題になるのはジュネーブ協定等で
捕虜・民間人の扱いを問題にし始めたからでしょ。西洋ですら奴隷制廃止は19世紀から豪州は20世紀初頭だ。
そんなもん敵の都市なんて古代都市国家間の戦争では皆殺しにした後、都市を徹底破壊して塩を蒔くもんだ。
生き残ったら全員奴隷にするのは当たり前。日本の戦国時代でも老若男女住民皆殺しはあるでしょうが。国宝の寺が燃えたって知らんよ。
近代人はすぐ民間人ガー非戦闘員ガー女子供ガーだ。近代以前は30万殺そうが600万殺そうが関係あるかい。負ける方が悪い。
良かったね。近代以前に原爆や水爆がなくて。古代だったらギリシャ人同士でも平気で使う可能性は高いから。
0291世界@名無史さん
2012/06/19(火) 18:42:47.55P中近東に学べるだけの基礎があったのはシチリアくらいだね
イベリアも1世紀くらい経つと翻訳事業が進み始めるが
独仏英は完全な蛮族の棲息地、医療水準は剰りにも劣っていて比較しようがない。
衛生が酷く支配階級ですら夭折は日常行事だしね
0293世界@名無史さん
2012/06/19(火) 19:38:18.690だれかな?
兵士やら馬やらが混ざり合ったあの異様な絵。
子供の時、偶然見てトラウマになったよ・・・・・
0295世界@名無史さん
2012/06/19(火) 20:33:05.89P医者が肺の病気の女性に健康食を与えていたのに
フランク土人の聖医術師は悪魔祓いの大蒜と辛子をたっぷり食べさせ病状悪化
最後は頭皮を剥ぎ取って頭蓋骨剥き出しにさせ殺害、無知蒙昧とはまさにこの事。
同じく足に腫物の出来た騎士に塗り薬を塗って膿を出す治療をしていたところ
フランク土人の聖医術師は斧で脚を切断し殺害、無知蒙昧とはまさにこの事。
0296世界@名無史さん
2012/06/19(火) 20:44:33.570西欧の都市や城塞は石や焼き煉瓦製だから、かなりの苦戦が予想される。
ロシア東欧の都市の城壁は当時まだ木製だったので、あっけなく陥落した。
旧ローマ帝国領外ライン河以東ドナウ河以北のゲルマンやスラブは、元来
木造建築の文化圏だったが、当時ドイツはかなり西欧化して都市の城壁は
石や焼き煉瓦になっていた。
モンゴル軍は、華北やイラン・イラクなどの日干し煉瓦製城壁の都市を
次々と陥落させたが、シリアや南宋など石や焼き煉瓦の城壁の攻略には
時間を要している。
0297世界@名無史さん
2012/06/19(火) 20:52:32.630その話の続き
359 名前: >356の続き 投稿日: 2005/08/30(火) 16:13:04 0
しかしながら私は、それとはきわめて異なる彼らの治療の例を見たのだった。
フランク人の王の会計官にベルナルドという騎士がいて、その男は(彼の上に神の呪いあれ!)フランク人の中で
もっとも憎むべき、邪悪な人物の一人であった。一頭の馬が彼の脚を蹴り、そこから病気に感染して四十箇所もの
別々の場所に傷口が開いてしまった。一箇所の傷口がふさがるたび、別の箇所で別の傷口が開く有様であった。
その間ずっと私は彼の堕地獄を祈っていた。そこで彼のところへフランク人の医者がやってきて、脚に塗られて
いた膏薬をすべて落とし、きつい酢で脚を洗いはじめた。この処置によって傷はすべて治り彼は再び元気になった。
彼は再び起き上がって悪魔のようになった。彼らの面白い治療をあきらかにする別の例は次のごとくである。
シャイザールにアブー・アル・ファトフという職人がいて、彼の息子は首にできた瘰癧に苦しんでいた。それの
一部がふさがるたび、決まって別の部分が開くのであった。この男はたまたま私用があり、息子とアンティオキア
にいった。一人のフランク人が少年を見て、父親にその子のことを尋ねた。アブー・アル・ファトフは「私の息子
だ」と答えた。フランク人は彼にいった。「汝は汝の宗教にかけて誓うか。もし汝の子を治す処方を教えても、
汝はそれを教えることによって何びとからも謝礼を取らぬと? そうすれば、その子を治す処方を教えてやろう」
男は誓いをたてたのでフランク人はこういった。
つぶしていないアツケシソウの葉を燃やし、灰をオリーブ油と強い酢に漬けろ。それで瘰癧を手当てすると、そこに
できていた吹き出物が消える。そこで燃やした鉛をギー油に漬けてそれで彼を手当てしろ。そうすれば治るだろう。
父親はその通りに少年を手当てし、少年は治癒した。傷はふさがり少年は元の健康な状態に戻ったのだった。
私自身、この処方でそのような病に冒された大勢の人々を治療し、病因を取り除くのに成功したのである
0300世界@名無史さん
2012/06/19(火) 22:14:11.790モンゴル軍の脅威はヨーロッパの城壁ではなく風土病かもしれない
0301世界@名無史さん
2012/06/19(火) 22:35:24.56Pその話に続きは無いよ
回想録にはその2つの話やその他のフランク人の野蛮な習俗は書かれてるが
フランク人の医者が治療する話は出て来ない
捏造か他の記録をムンキズの名に改竄して作ったか、何にしても虚偽情報。
0302世界@名無史さん
2012/06/19(火) 22:48:59.990西欧の城壁は硬かったということですか。
今までのようには簡単にいかないという・・・
時のローマ教皇に、脅しの手紙を送ったという話が
あるらしいけど、本当でしょうか。
しかし、当時の欧州に、バトゥの本隊を退ける力は、正直なかったでしょうね。。。
0303世界@名無史さん
2012/06/20(水) 00:06:57.950回想録の英訳がここで読めるが、ちゃんと両方載っている。
Usmah Ibn Munqidh (1095-1188): Autobiography, excerpts on the Franks
ttp://www.fordham.edu/halsall/source/usamah2.html
0304世界@名無史さん
2012/06/20(水) 00:13:56.440Thabit was absent but ten days when be returned. So we said to him, "How quickly has thou healed thy patients!" He said:
They brought before me a knight in whose leg an abscess had grown; and a woman afflicted with imbecility. To the knight I applied a small poultice until the abscess opened and became well;
and the woman I put on diet and made her humor wet. Then a Frankish physician came to them and said, "This man knows nothing about treating them." He then said to the knight, "Which wouldst thou prefer,
living with one leg or dying with two?" The latter replied, "Living with one leg." The physician said, "Bring me a strong knight and a sharp ax." A knight came with the ax. And I was standing by.
Then the physician laid the leg of the patient on a block of wood and bade the knight strike his leg with the ax and chop it off at one blow. Accordingly he struck it-while I was looking on-one blow,
but the leg was not severed. He dealt another blow, upon which the marrow of the leg flowed out and the patient died on the spot. He then examined the woman and said, "This is a woman in whose head
there is a devil which has possessed her. Shave off her hair." Accordingly they shaved it off and the woman began once more to cat their ordinary diet-garlic and mustard. Her imbecility took a turn for the worse.
The physician then said, "The devil has penetrated through her head." He therefore took a razor, made a deep cruciform incision on it, peeled off the skin at the middle of the incision until the bone of the skull
was exposed and rubbed it with salt. The woman also expired instantly. Thereupon I asked them whether my services were needed any longer, and when they replied in the negative I returned home,
having learned of their medicine what I knew not before.
0305世界@名無史さん
2012/06/20(水) 00:15:55.620The king of the Franks bad for treasurer a knight named Bernard, who (may Allah's curse be upon him!) was one of the most accursed and wicked among the Franks.
A horse kicked him in the leg, which was subsequently infected and which opened in fourteen different places. Every time one of these cuts would close in one place, another would open in ancther place.
All this happened while I was praying for his perdition. Then came to him a Frankish physician and removed from the leg all the ointments which were on it and began to wasb it with very strong vinegar.
By this treatment all the cuts were healed and the man became well again. He was up again like a devil.
Another case illustrating their curious medicine is the following: In Shayzar we had an artisan named abu-al-Fath, who had a boy whose neck was afflicted with scrofula.
Every time a part of it would close, another part would open. This man happened to go to Antioch on business of his, accompanied by his son. A Frank noticed the boy and asked his father about him.
Abu-al-Fath replied, "This is my son." The Frank said to him, 'Wilt thou swear by thy religion that if I prescribe to you a medicine which will cure thy boy, thou wilt charge nobody fees for prescribing it thyself?
In that case, I shall prescribe to you a medicine which will cure the boy." The man took the oath and the Frank said:
0306世界@名無史さん
2012/06/20(水) 00:17:28.150Then take burnt lead, soak it in ghee butter and treat him with it. That will cure him.
The father treated the boy accordingly, and the boy was cured. The sores closed and the boy returned to his normal condition of health.
I have myself treated with this medicine many who were afflicted with such disease, and the treatment was successful in removing the cause of the complaint.
0307世界@名無史さん
2012/06/20(水) 02:49:57.890中国の城塞はレンガじゃなくて版築だよ
安くて簡単、強度も煉瓦作りより上
メンテに手が掛かるものの土を使ってるから破城兵器にも強い
0308世界@名無史さん
2012/06/20(水) 07:08:00.99Pモンゴル軍は現地調達に頼っていたから、戦略的重要度の低い城が激しく抵抗するとわりとあっさり諦める
モンゴル側から見れば放置しただけでも、攻め込まれた側は「モンゴル軍を撃退した」ってなるわけで
0309世界@名無史さん
2012/06/20(水) 14:41:39.660南宋に関してはあらゆる損害を度外視して落としたからな
0310世界@名無史さん
2012/06/20(水) 14:42:49.3600311世界@名無史さん
2012/06/20(水) 15:51:16.210西ヨーロッパもまさに遠いだけで旨味がないと判断されるんじゃね
バクダットはどんな損害出しても落としたけど、ダマスカスは一回撃退された
だけで諦めてたりするし
0312世界@名無史さん
2012/06/21(木) 00:41:09.390包まれていたというけど、60年ばかり金の首都だった中都燕京は
どうだったんだろ? 以前から遼の副首都・燕雲十六州の要衝
だったんだから、そっちも相当に強固な防衛施設が整えられてた
と思うけど。モンゴルの脅威が顕在化してからは特に。
0313世界@名無史さん
2012/06/21(木) 02:01:37.04P宋代絵図見た限り宮城は煉瓦だけど外城は多分版築。
開封の城壁は低いよ、同じ煉瓦造りの平江府より低いし
0314世界@名無史さん
2012/06/24(日) 04:31:51.590モンゴル史じゃまったく違うからな。
モンゴル前までの各種遊牧部族の歴史
モンゴル崩壊と、ロシアの台頭
にわかれるんだろうけど、モンゴル以降の歴史もだいぶ違うよな。
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