【悲劇の清朝王女】川島芳子2【男装の麗人】
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0001世界@名無史さん
2006/06/02(金) 01:43:120前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1042167850
0865世界@名無史さん
2009/06/21(日) 19:39:2800866世界@名無史さん
2009/06/21(日) 23:09:090いずれにせよ、まじめに調べたら同じ結論に至るだろう。
しかし、本当のことをいえば、「方ばあさん」の遺品なる
ものに意味なんかないのだ。大半は関係のないガラクタを
どっかからもってきただけだし、その中に2・3点それっぽい
ものをまぜておけばこと足りる。あとは世間の芳子マニアが勝手
な創造をふくらませてくれるというわけだ。
0867世界@名無史さん
2009/06/21(日) 23:53:170http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/266129/
この記事の中に芳子をかくまったとされる人物で
「周保中将軍」というのが出てくる。
この人に関する記述もいい加減で、この人は正確には
東北抗日聯軍 の指導者だが、吉林省の書記になったという
記録はない。なったのは臨時の吉林省政府の主席だが、
それは1946年とかの、新中国が成立する前の話だ。
以後30年は誰の保護を受けたのか?
それに東北とえば、かって「東北王」といわれた高崗の
支配地域だが、彼も芳子の保護にかかわっていたというのか。
無理矢理こじつけすぎると思う。
副書記という役職も恐らく存在しない。
モルヒネの件に関しても、それを林彪と結びつけるのは
トンチンカンすぎるし、だいいち方ばあさんはモルヒネ
なんかうっていたという証言はないだろう?
匿名でかかってきた電話の「タレコミ」をウラもとらずに
そのまま既成事実化してるのにいたっては馬鹿かと思うね。
それから、新華社や人民日報や中央電視台が報道したからって
関係ないですよ。今やネッシーも雪男も野人もUFOも平気
で報道してますが・・それも中国政府が「暗黙裡に認めた証拠」
んですかね?パ○ダみたいなこと言う人だな。
逆にそれは、「たいして重要視されてない与太話」だから
メディアで報道していると見るほうが正解。
天安門事件の時の「戦車の前に立って止める男」の映像を
間違って流した珠海のテレビ局の責任者は、みごとに
失脚されられましたから。
0868世界@名無史さん
2009/06/22(月) 00:26:080その某ブログ、さっき見てきたらやっぱりそうだな。
最初放送の時は「海軍関係」とか、さももっともらしく
いっていたのに、そのブログの指摘があったら
いけしゃあしゃあといってることを変えるのも
素晴らしいね。 本当に専門家に見せたのかよw
蓄音器の話の後に杜月笙のことをくっつけるのなんか
丸うつしだといわれてもしょうがない。
ちなみに自分が書いた「蘇州夜曲の戦後改編歌詞」の話も
そのブログから引用したもの。
それと、自分の勘だが、関係者かその野崎某先生本人かが
ここを見ているような気もする。微妙にいってることに
修正くわえてきてるしね。
もしそうなら、いつでもお相手いたしますよ。
0869世界@名無史さん
2009/06/24(水) 22:41:440なんで首を突っ込んでいるんだろうか。売名目的?
遺品とされる品の多くは贋作だし、その他の物にも芳子しか持ち得ないもの、
芳子を直接示すものなんて1つもないのに、無理やりこじつけているだけ。
どっかから怪しい情報が入ればろくに裏も取らずに鵜呑みにして、
話をどんどん広げているけど、破綻しまくっている。
日本の専門家が認めただなんていうのもでたらめだろう。
学術報告会に参加したってだけで日本の専門家が支持したことにされていたら、
専門家も迷惑だろう。
専門家が認めたっていうなら、記事に名前の出ていた劉傑教授や山本武利教授に
直接インタビューして認めるかどうか聞いてみればいい。
本物の研究者は認めるなんて言わないだろう。
0870世界@名無史さん
2009/06/24(水) 22:52:190いってることにほぼ賛同します。
もともとあの野崎って人は、長春大学で日本語教師として赴任
していて、浮世絵のことで調査団に電話したのがはじまりだと
いってますね。(本職は筑波大学の研究員かなんかです。ぐぐると)
それが「調べれば調べるほど信憑性が増してきて
ミイラとりがミイラになった」なんていってますが、
はっきりと「洗脳された」といったほうが正解でしょう。
中国で日本語教師なんかやってる人間は、ほとんどが、中国、中国人に
好意をもっている人間です。でないと日本語教師なんかできません。
まあ、いわば「民間版チャイナスクール」みたいなもんです。
0871世界@名無史さん
2009/06/24(水) 23:04:580ウラもとらずに全部信じ込んで、さも本当らしく喋ってますが、
都合の悪い話、はっきりと否定された話に関しては完全無視を
決め込んでいることです。なんか矢追純一の転落の軌道にソックリです。
私は主に毛沢東時代が専門(というか、このあたりの時代が一番日本人
は疎い方面)で、戦前とか関東軍の話なんかは予備知識として知ってる
だけですが、その私の知識に照らし合わせても、全くいってることが
おかしい。矛盾だらけです。
専門的になるので長くは書きませんが、中国では、50年代頃から、
農村では急速に人民公社化が進んで、さらに各生産大体に配属それました。
農民であっても定期的に政治学習
に駆り出されたし、人民はみななにがしかの「単位」に所属しないと、
食糧の配給も受けられませんでした。また、「大躍進」の直前には
毛の共産主義化思想の影響で、農村でも各自の家で自炊すること
などは禁じら、共同食堂で食事をするように指導されたんです。
文革に入る前だってそうです。
「方ばあさん」の話を聞いていると、そういう新中国の歴史は
全く無視です。本来ならまともに食事すらとめことはできなかった
はずです。毎日李香蘭のレコードを聞いて遊び呆けてたなんて
とんでもないです。できっこない。
0872世界@名無史さん
2009/06/24(水) 23:05:380なんでそれをしに行かないんだ。
ちゃんとした専門家ならまっとうな指摘をしてくれるだろう。
それをしに行かないメディアも視聴率や部数を伸ばすために芳子を利用しているんだろう。
0873世界@名無史さん
2009/06/24(水) 23:21:320私自身は、処刑されたのが別人だった、というのまでは
否定しませんが、今回の件に関しては、実妹の顕gや、
この道の専門家の上坂冬子がハッキリと否定しているのに
それも全く無視です。
東京で開いた専門家を集めての集会、とやらも「なかなか面白い話だね」
程度はいったかもしれませんが、御墨つきなんか与えてないでしょう。
そんなことをしたら、自分自身の経歴が傷つくだけです。
まあ、矢吹晋あたりに聞きに行ったら、「バカもんがぁ!」とか
いって一喝されるでしょう。私なんかより遥かに正確に歴史的
事実を示して否定されると思いますよ。
「遺品」に関してもその通りで、私の考えは上に示したとおり、
かっての日本人居住者が、長春から敗走した際においていった
日常生活品でしょう。それをすぐにかっぱらったか、紅衛兵が
略奪して、しばらくどこかの倉庫にでもしまってあったか知りませんが、
あそこなら他都市に比べても、入手は困難ではないです。
現に「偽皇宮」に展示してあるものの多くは当時のものですから。
もう、あの野崎って人をはじめ、調査団のメンバーは「芳子マジック」
にでもひっかかってるみたいなもんです。
なんの根拠もないタレこみ電話が、すぐに事実認定されてしまうん
ですからね。俺も電話かけてみようかな。「林彪暗殺は実は芳子の
差し金だった」とか。なんでもホイホイ信じてくれそうですから。
0874世界@名無史さん
2009/06/24(水) 23:51:490http://www.tv-asahi.co.jp/d-sengen/sp/sp3.html
この中になんだのかんだのいっぱい出ているが、はっきりいって
敗走日本人の遺物であって、何の意味もない。
私がそう考えるに至ったのにはあるヒントがある。
まあ、他人に「妄想はやめろ」といっておいて何だが、ひとつの仮説だ。
私は、HPにある、方ばあさんの遺品を見て、「あるもの」ではなく
「ないもの」に注目した。「あるべきもの」として遺品に含まれていないのは、
宝石などの装飾品と「腕時計」である。置時計はあるのに「腕時計」が無い。
それは一体何をさし示しているのか。
ご存知のように、長春市というのは、かっての満州国の首都・新京市である。
最盛期には10万を超える日本人が住んでいた。
1945年8月、日本が敗戦し、関東軍は南へ敗走。残された日本人も各個に
新京を脱出した。当然大半の家財道具なんかはそのまま放置である。
やがて、ソ連兵が新京にも侵入し、手当たり次第に略奪をはじめた。
はなはだしくは工場プラントまで解体して持ち去ったそうである。
その時、ソ連兵の略奪行為の対象になったのは、残された日本人に
限らず、中国人家庭もだ。その時、ソ連兵が一番に欲しがったのが
「腕時計」だ。なぜだか知らないが、壊れて動かないものまで
喜んでもっいったそうである。(これは「ワイルド・スワン」はじめ
多くの当事者の著書にも載っている事柄である)
0875世界@名無史さん
2009/06/24(水) 23:53:500それがすなわち、かっての新京陥落時に日本人が残していった遺物だと
いうことをさし示しているのではないか。宝石の類は後に売ってしまったと
しても、すでに動かなくなった腕時計など、売り物になるとは思えない。
改めて、「遺品」なるものを検証してみる。これがもしも私の予想
通り「ソ連略奪後の遺物」だとしたら、大半の物には意味がないことになる。
曰く「なんでもいい」ということだ。双眼鏡が望遠鏡だろうと、簪が櫛だろう
と、「戦前の外国製品」でありさえすれば。その中に川島芳子を匂わすものを
一つ二つまぜておけば、もっともらしくみえるだろう。
つまり、この中で重要なのは、李香蘭のレコードと芳子の元夫、カンジュル
ジャップが作ったといわれるモンゴルの物語、この2点だけだ。
李香蘭のブロマイドなぞいくらでも入手可能だ。
カンジュルジャップの書いた物語は、中国においてどれほど著名なのかは
私にはちょっとわからない。しかし、長春は内蒙古自治区の通遼などに
近いので、モンゴル関係のものも入手可能だろう。
(私には通遼出身の元医者の友人がいるが、彼もモンゴル族である)
0876世界@名無史さん
2009/06/24(水) 23:55:220よく捕まらなかった」といろんな人か゛書いている。私もそう思う。
あきらかに変だ。しかし、逆に「文革期にはもっていなかった」と考えれば、
その謎も解ける。
入手次期は特定できない。例えば、新京陥落時に、どこかの中国人の
好事家(日本人と交流があったとか)が密かに隠匿していて、後に紅衛兵などに
略奪されてどこかの倉庫に長期間放置されていたものかもしれない。
紅衛兵や造反派というのは、略奪品をすぐに火をつけて燃やすのではなく
(そういうケースもあるが)どこかに保管していた場合も多いのだ。
そういう場合、名誉回復してから、本人に所持品が帰ってくる場合も
多々ある。
ひとついえるのは、この一家の手に入ったのは、1980年代以降だろう
ということだ。しかも、張ト氏一代でこれだけのものを集めたとは
考えにくいので、祖父の代に集めたものだとも思われる。
0877世界@名無史さん
2009/06/24(水) 23:58:070すべてのものについて記憶があり、エピソードを紹介していることだ。
江戸川乱歩の小説「心理試験」の中で、犯人である蕗屋青年は、あらかじめ
「心理試験」について徹底的に研究し、かえって普通の人間よりも早く
反応してしまい、そこを明智小五郎に気づかれ、犯行が露呈してしまう。
張ト氏も蕗屋青年と同じなのではないか。「遺品について聞かれ、知らないと
答えたのでまずい」と考えて、すべての物についてコメントしているが
これがかえって私には疑念を招く。他人の所持物なのだから、いくつかは
「見たことがない」「記憶にない」といったほうがもっともらしいのだ。
だから私が上に書いたように、新中国になってから作られた満州国関連
の書類の偽物に「おばあちゃんがこれで教えてくれた」とか大嘘をつく羽目に
なる。恐らく本人は簡体字がいつ創作されたものなのか調べたことも
ないんだろう。
まあ、証拠はない。私の空想だ。しかし、そうやって推理していくと、
あの遺物の山もまんざら不思議ではないということだ。
0878世界@名無史さん
2009/06/25(木) 00:27:390モンゴル族の名前としては珍しくない名前なんだけど、同名者ってことはない?
芳子の元夫のカンジュルジャップは溥儀と同じ撫順戦犯管理所に収容されていたけど、
1962年に蒙古族民間故事集の執筆なんてできたの?
その本を読んでいないからなんとも言えないけど、どうも引っかかる。
ただの同名者じゃないの?
0879世界@名無史さん
2009/06/25(木) 00:40:020記憶にありませんワ。
でも、童話を書いてたってのはどっかで見たような気がしますよ。
今すぐじゃ時間がないですが、週末にでもちょっと書庫を
あたってきます。
0880世界@名無史さん
2009/06/25(木) 00:42:450まじですか?詳しく教えてください。
どこに書いてありますか。
カンジュルチャップ、ジョンジュルチャップの釈放後の消息に興味があります。
0881世界@名無史さん
2009/06/25(木) 00:46:4000882世界@名無史さん
2009/06/25(木) 16:08:070戦前に中国の東北地方で活躍した斉南機関の古谷機関長が戦後暮らした
埼玉の自宅を著者の阿尾氏が訪ねた折に川島芳子がいたとあるらしい。
永六輔もラジオで1970年代に自衛隊幹部や特務機関の人間と
川島芳子が一緒にいるのを見たことがあるといっていたが、こちらの
目撃情報の真相は?
0883世界@名無史さん
2009/06/25(木) 17:33:250一般には芳子の顔ってのは、40歳くらいまでしか知られてないわけだが、
なんで見ただけで芳子ってわかったの?話したの?
捕まった時の重信房子の顔見たか?あれじゃ電車で隣にすわってても
重信とはわかんねえぞ。現に警察も指紋を手にいれるまでは確信が
もてなかったようだし。
逆に一目見て芳子だとわかるほど顔が変化してなかったら、もっと多くの
人間に目撃されてんじゃない?戦前・戦中派にはすごい有名人な
わけだし。日本なんて狭い国なんだから。
そう考えると矛盾がでるよね。
それこそ、埼玉にいたんなら、兄の憲立氏がすぐそばにいるんだから、
ひと目会いにいってもよさそうなもんだと思うけどね。
あと、恩師の本多まつ江とか。芳子の死を聞いて失神した位の人だぜ。
まあ、単なる勘違いか、話題つくりのような気がするね。
0884世界@名無史さん
2009/06/25(木) 18:46:510すまん、勘違いだったかもしれない。なんか、カンジュルジャップ
自身がなんぞの物語の主人公なんだよね?
「川島芳子伝」によると、カンジュルジャップは71年、ジュンジュル
ジャップは68年死去とあります。ま、それは知ってるか。
撫順戦犯管理所はいったことありますが、全く記憶にない。いたのか。
なにせ10ウン年前のことだし、その頃は川島芳子本人のことも
よく知らなかった位だから。興味もなかったしな。
ネットで検索しても、ここと「虹色のトロツキー」ばっかりヒット
するわ。上坂冬子もう死んじゃったから、安彦良和にでも直接
聞いてみたら・・ある程度は調べてると思うけど。
0885世界@名無史さん
2009/06/25(木) 21:59:18031 :世界@名無史さん:2006/08/20(日) 18:29:17
「・・愛新覚羅顕?は國民党により処刑された事が史実になっておりますが事実は、
逮捕後、國民政府駐英国大使と旧満州國駐スウェーデン大使との密談が成立し、
彼女は秘密裏に國民党支配地であった山東省煙台へ移され、
その後とある欧州の中立国が身元引き受けし再び新京の地へと帰った。
この話は2年前吉林省長春へ仕事で行った際、省政府高官から聞いた話でしたが、
昨年山東省煙台を訪れた時に旧國民党生き残りの老人からまったく同じ話を聞く事が出来た。・・・」
という話もある
このソースが知りたいんだけどエロイ人だれか教えて。
0886世界@名無史さん
2009/06/25(木) 23:04:480ttp://y-fuka.way-nifty.com/blog/2005/03/post_4.html
↑引用先はこの個人ブログ。下のほうのコメント欄の
投稿のコピペらしいな。たいして信用できそうな
情報とは思わんが。
0887世界@名無史さん
2009/06/27(土) 00:59:370ttp://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/04/index.html
↑
これは、作家の城島明彦とかいう人のプログ。
4/11,4/14,4/19付けでテレ朝の川島芳子番組についての感想を書いている。
「インチキ番組だ!」という結論、というか総論はいいとしても、
各論がまるでなってない。曰く、
「親中派と呼ばれる日本の政治家には、中国との国交を回復した田中角栄
と娘の田中真紀子、故橋本龍太郎、リタイアした野中広務、河野一郎の息子の
河野洋平、満州国大連生まれのエロ拓≠アと山崎拓とその盟友だった加藤紘一
らがいる。公明党、社民党、共産党も中国と親しい」
よって、彼らが知らないのに、芳子が生きてるなんておかしい、という論理
だ。あんさん、そりゃ無茶苦茶でござりまするがな。
中国共産党は、知ってる事実をすべて親中政治家に報告しないといけない
という取り決めでもあるんですか?かって胡耀邦は、中曽根首相を自宅に
招いたというだけで失脚の一因を作ったのに・・そういうことも知らない
んだろうね。
0888世界@名無史さん
2009/06/27(土) 01:09:570川島芳子が生存していたことを知らなかったというのは、
きわめて不自然である」
いや・・全然不自然じゃないと思いますけど。そもそも興味もないでしょうし。
「もし本当に生きていたのなら、特に山口淑子が知らなかったというのは、
信じがたい。 生存していたのなら、彼女の親分だった中国との国交を回復
した田中角栄が知らなかったはずはない。もし知っていたら、田中真紀子
にも話しているだろうが、あのおしゃべり女が黙っているはずもなかろう」
と城島氏の空想は羽根を広げていたのであった。
別に山口淑子さんは、芳子の親戚でもなんでもないんですが・・
生涯唯一無二の親友でもあるまいし。
李香蘭が芳子とあったのは、学生時代に数回、女優になって1,2度、
後は九州で一度会ったくらいじゃないですか?一般的にはそんなに
親しいというほどの間柄でもないと思いますが・・
城島氏よ、あなたは、自分の生死を、親兄弟よりたまに会う程度の
知り合いに真っ先に伝えたいのですか。人間の感性としておかしい
でしょ。
まあ、これも山口淑子の書いた本の悪影響ですかね。
0889世界@名無史さん
2009/06/27(土) 01:18:460議員になる前は、フジテレビの昼のワイドショー「3時のあなた」の司会者を
5年間していた。 フジ・サンケイグループの取材力をもってすれば、
川島芳子が生存しているか否かを確かめるぐらいのことは簡単にできたはず」
山口淑子が「3時のあなた」をやってた当時は全くの文化大革命の
最中ですがな。当時在中のマスコミは「赤旗」に至るまで国外追放処分
になったのを知らないんですか。そんなことできるわけないでしょうに。
それに、吉林を含む東北3省は、それからも随分長い間、未開放地区で
取材どころか日本人が立ち入ることさえ禁止されていた。
文革中に中国にいた日本人がどれだけ劣悪な環境下におかれていたか
さっぱりご存知ないようだ。
0890世界@名無史さん
2009/06/27(土) 01:26:360偉そうなことをいってる割には現代中国に関する本などほとんど
読んだことがない、というのがまるわかり。
中国でいついつにどういう出来事があって、その時日本との関係は
どうで、どういう人物がどうかかわったのか、とかを全く知らないで
思いこみの激しい推測だけで延々論旨を展開している。
字数だけ多くて内容は中学生レベル。お話にもならない。
せめて「ワイルド・スワン」か「上海の長い夜」くらいは読みなさいよ・・
この人の本は絶対買うまい、と心に決めた。
0891【^▽^】田中隆吉 ◆4FfyOtW0fiF5
2009/06/27(土) 04:02:56O0892【^▽^】田中隆吉 ◆4FfyOtW0fiF5
2009/06/27(土) 04:08:40Oトリップが変になってんの笹川の倅のサイバーテロかお?
0893川島芳子
2009/06/28(日) 11:09:09O0894豚松 ◆4FfyOtW0fiF5
2009/06/28(日) 14:10:1300895世界@名無史さん
2009/06/29(月) 18:46:060>カンジュルジャップ自身がなんぞの物語の主人公なんだよね?
そうなの?それは聞いたことがないです。
パプチャップ一家の消息は、長女の娘(芳子の兄と結婚)と次女がわりと長生きしていたらしいけど
カンジュルチャップ、ジョンジュルチャップの釈放後や子供の話は聞かないですね。
カンジュルチャップが再婚相手と子供が生まれてからは芳子が出産祝いを持っていたとあるので
子供がいたことは確実だけど、何をしているんだろう。
カンジュルジャップとジョンジュルジャップと芳子の兄憲均は溥儀と同じ撫順戦犯管理所に収容されています。
労働なんかしたことない溥儀は紙箱張り作業で憲均に馬鹿にされ、雑草と間違えて苗を抜いてしまいジョンジュルジャップに馬鹿にされ、
昔はこいつら自分にぺこぺこしていたのに!と相当頭にきていたようです。
カンジュルは大蔵経という意味で、モンゴル人の名前としてはカンジュル〜さんも、〜ジャップさんもありふれた名前だし、
中国語のサイトでカンジュルジャップで検索したら同名者がたくさんひっかかる。
ひょっとして調査団はカンジュルジャップという名前だけ見て芳子の元夫に間違いないと飛びついているんじゃないか。
だとしたらお粗末すぎるけどな。
0896世界@名無史さん
2009/06/29(月) 19:38:240カンジュルジャップと芳子がのちに実際結婚したと。
http://nob.internet.ne.jp/note/note_23.html
>>895
そこに書いてあるだいたいのことは知ってますが、なにゆえ
それほど興味がある、というわけでもありませんので、
カンジュルジャップに特化して記憶してるということはないですねえ。
2人の死亡が68年と71年ということは、恐らく文革の余波で
批闘集会にひっぱりだされたあげくに憤死とか自殺とかでは
ないですかね。いずれにしてもまともな死に方とは思えません。
>撫順戦犯管理所
カンジュルジャップなんて満州国の役職の中では下っ端ですから
実際いてもわさわざパネル展示するほどのこともないのでは。
先日長春の偽皇宮にいったときも、大物は写真入りで展示して
ありましたが、カンジュルジャップなんていなかったと思いますよ。
>名前だけ見てとびついている。
もしも非があるとすれば、それはあんなニセモノを用意した
張ト氏のほうでしょう。こっちはデータがないんだから、テレビ局に
「これは芳子の元夫が作った物語である」といわれれば「そうか」と
思うしかないです。つーか、もしウソだったら、野崎てめえ切腹モノ
だからな。マジで許さんぞ!
0897世界@名無史さん
2009/06/29(月) 19:55:080偽名にしてあるけど、見る人が見たら誰のことかすぐわかります。
わざわざ自伝に書いている溥儀も相当ねちっこい性格ですがw
896さんは専門家かとお見受けします。どこかの大学の先生でしょうか。
0898世界@名無史さん
2009/06/29(月) 20:16:050いえることだけ公開すると、留学含め中国にはトータルで4年くらい
住んでいます。ですから、まあ喋るほうはほぼペラペラです。
留学は北京でしたが、遼寧、広東にも仕事で駐在したことは
あります。学生時代はスカウトされて通ってた大学で日本語の講師も
してましたし、遼寧時代は日本人会の幹事もやってましたので
瀋陽総領事館のメンバーとも懇意にさせてもらってました。
大物の知り合いはほぼ北京時代ですかね。日本にいるよりも
おもしろい人とよく知りあうもんですから。
北朝鮮方面もそこそこ詳しいですよ・・実際いったこともありますし、
拉致問題からみでは横田夫妻ともお食事したこともあります。
ただ、朝鮮語に関しては、ハングルが多少読める程度なので
知識はあっても朝鮮関係は「専門」とは思ってないですけどね。
0899世界@名無史さん
2009/07/01(水) 18:14:520そのうち「川島芳子が隠れ住んでいた村」を観光地にして金儲けしようという算段なのでしょう。
芳子さんを人寄せパンダみたいにして利用しようとするのはやめてほしい。
芳子さんは生きている間もいろいろな連中に利用されていたのに、死んでからも変な連中が群がって利用しようとして
本当にかわいそうだ。
0900王道楽土
2009/07/01(水) 18:19:56O[●]≦☆ ̄>
G\(OmO)<もう一度、満洲国を建国してやるか?!
\゙※:@゙\
0901伊達順之助 ◆4FfyOtW0fiF5
2009/07/01(水) 18:53:42O漢かんとして処刑されて川島芳子が処刑されないんじゃ筋が通らん!
0902世界@名無史さん
2009/07/01(水) 20:29:380>芳子さんを長春の町おこしに使おうとしている意図がみえみえ。
そういえば、先日言った長春の「偽皇宮」でも芳子関連の書物を
売店に売っていて、「買わないか」と誘われたけど、日本円で
5000円くらいで高すぎるのでやめました。半値くらいなら考えた
んですが、手持ちもなかったし。
芳子を利用した町興しというのは、まあ、実現しないと思いますね。
中国というのは、一度「売国奴」のレッテル貼られたら何百年たっても
とれませんし。芳子の銅像ができて、それにツバを吐きかけるのが
訪れた人の作法とかになっても困るでしょ。
それと、私は上にも出てる遼寧の撫順に昔住んでたんですが、そこは
かの有名な李香蘭の故郷です(生まれは奉天だが)が、そこでも彼女の
存在はほぼ無視ですから。さすがに年配者は知ってますけど、
公式な刊行物とかにも出てないですし、若者は「李香蘭?誰それ?」
てな感じです。ひどいのになると「夜来香?そりゃテレサテンの歌だろう?」
とかいう始末です。
純然たる民間人で、戦争にかかわってない彼女ですらその程度の扱い
ですから、「奸漢認定」されてる芳子は、なおのこと日のあたる存在には
ならないと思いますね。
0903世界@名無史さん
2009/07/01(水) 20:54:480芳子関連の書物ってどんなのですか?
5000円って300元以上?法外ですね。
どんな豪華表装でしょう。
中国の芳子本って日本の本の焼き直しか、根拠不明のトンでも本のどっちかですよね。
0904世界@名無史さん
2009/07/01(水) 20:59:060服務員がウルサいので知らん顔して通り過ぎたので
何の内容かは知らないですね。
0905世界@名無史さん
2009/07/01(水) 23:16:260実兄憲立氏にインタビューした時のエピソードを書いてるけど、
2日間のインタビューで200万円も取材料がかかったと愚痴ってるな。
もちろん、聞いたことにはちゃんと答えてくれたし、資料も提供して
くれたらしいが、どうも一筋縄ではいかない厄介な人物だったらしく
「二度と会いたいという気にならない」と書いている。
さすがに本人が生きてる間は書けなかったようだが、20年以上たって
憲立も死んで、どうにもいいたくなったらしい。
そういう話を聞くと、愛新覚羅一族に対するイメージもかえなきゃ
いかんと思うな。
0906世界@名無史さん
2009/07/01(水) 23:31:570ダンサーと結婚したり、ブローカーに転身したりしたんで
粛親王家からは異端視されている。
芳子と憲立はよく似た兄妹だよ。
0907世界@名無史さん
2009/07/02(木) 01:15:2700908世界@名無史さん
2009/07/02(木) 01:54:240芳子に対してえらそうなことは言える立場じゃない。
だけど生活費に困ると妹の私生活を切り売りして儲けていたからどうかと思う。
彼も芳子を利用して金儲けしたうちの一人だ。
憲立は素行に問題があったが、機を見るのに敏感で、共産政権ができるや、
これはやばいと踏んで、子供は妹に押し付けて出国規制が緩いうちにさっさと香港経由で日本に脱出。
一族が共産政権で地獄を見ている間も、妹のスキャンダルを売って日本でのうのうと暮らしていたから
一族から非難されても当然だろうね。
0909世界@名無史さん
2009/07/02(木) 17:33:570別に悪人とはいいませんが。唯一皇弟溥傑くらいですかね。
悪い噂がないのは。
溥傑はベルトリッチの「ラストエンペラー」を2回みたそうですが、
「映画だから事実とは多少違いますが、面白い。面白すぎます」
と喜んで見ていたそうです。懐の深い人ですね。
0910世界@名無史さん
2009/07/02(木) 23:50:040詳しくは日本近代史板の浩慧生スレで
0911溥儀
2009/07/03(金) 00:45:3500912世界@名無史さん
2009/07/03(金) 01:01:580消息が知りたいといっていた人へ
ジュンジュルジャップのその後の情報が少しわかりました。
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2653591914727658580
Elshtain 在2009年2月27日 22:36说 ,
「他最后一次出现在历史资料里是1967年11月中旬为他在海拉尔国营林场
附近自缢的弟弟正珠尔扎布(就是中间那位)收拾遗物,并与林场职工
一起将其遗体埋葬在海拉尔东郊满是积雪的坟坑之中」
↑パソによっちゃあ表記されないかもしれません。また上のHPは見て
いいけど、リンクとかを押さない事。ウィルスが入ってくる危険性があります。
これによると、(カンジュルジャップで検索かけたのですが)
弟のジュンジュルジャップは67年11月に内蒙古ハイラル近くの林場
で首吊り自殺して、兄のカンジュルジャップが遺体を引き取りに行き、
現地作業員と一緒に発見現場近くの雪の坑道の中に埋葬したそうです。
やっぱり私の思った通り自殺してましたね。その時期の死亡なら
たいていそんなもんです。
今忙しいんですが、またヒマを見て他に中国のサイトあたって
彼らの消息を探してみます。
(中国のサイトはロシアンルーレットみたいであぶないんですが・汗)
0913世界@名無史さん
2009/07/03(金) 01:05:1400914世界@名無史さん
2009/07/03(金) 02:56:520ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2653591914727658580
あわててたら、下のほうにもう少し詳しい情報があったので見落としてた。
簡単にいうと、ジュンジュルジャップは釈放されて後、公民の身分で
ハイラルの国営林場に勤めた。妻も子も無い。(妻はソ連の爆撃で死亡した)
ttp://blog.wenxuecity.com/blogview.php?date=200803&postID=12211&c_lang=gb2312&&c_lang=big5
(↑よく知らないが奥さんてこの米山蓮江って人?)
10年あまり林場の宿舎にて思想改造しながら過ごした後、文化大革命期に
「牛鬼蛇神」「走資派」として江衛兵に隔離審査され、そのことを理解
できず、絶望し、67年11月中旬に、何も遺言を残さず、一人雪の上に青い羊
の帽子を置き、3枚の毛沢東像章(バッジか?)をきれいに並べて、首を吊った
そうです。
0915世界@名無史さん
2009/07/03(金) 03:03:040少なくともジュンジュルジャップについては。
ちなみに、その文章の途中で、上に書いた弟の遺体を引き取った、
というのがカンジュルジャップの最後の消息だと書いてあるんだよね。
ウソかホントか知らないけど。
本文中のカンジュルジャップについては、主に満州国時代のついての
ことで、釈放されてからのことはのってないから、どっか別のサイトに
記載されてる可能性はあるな。
つけ加えておくと、コメント欄に書いてあるジュンジュルジャップの
評価は、悪意のあるもんじゃなく、コメント者は事実は事実として正当に
評価してますよ。中国人にしては珍しい位。
ということでひとまず。
0916世界@名無史さん
2009/07/03(金) 09:25:290ジョンジュルジャップ、自殺していたのか…。なんかショックだ。
カンジュルジャップもかなあ。
芳子にしろジョンジュルジャップにしろ、
日本に協力したために非業な死を遂げた人の話を聞くと憂鬱になっていたたまれなくなる。
0917※悪魔の陰謀※
2009/07/03(金) 14:50:21O共同代表は、になっているのは、戦争責任資料センター事務局長 上杉 聡、NPO法人アジア太平洋資料センター理事 内海 愛子などです。
彼らは、朝鮮半島と繋がっております。
●この中で、超党派での「恒久平和議連」の話が出てきます。
これは、「恒久平和調査局設置法案(正式名:国立国会図書館法の一部を改正する法律案)」を成立させようとする勢力であり、筆頭には鳩山由紀夫がいます。
民主党政権になれば、反日法案が次々に成立すると思われますが、この法案もその一つであり、しかも日本に重大な悪影響を与える法案です。
●今回、彼らは、日本政府に対して、以下の要望書を出しました。
@ 日本の植民地支配、侵略戦争などに関わる過去清算について(要望)
A 市町村が保有する朝鮮人強制動員被害者の認定資料の調査と提供の促進について(要請)
B 朝鮮人強制動員犠牲者の遺骨奉還について(要請)
C 朝鮮人等の未払金の実態調査について (要請)この中で、超党派の恒久平和議連・・プ
0918世界@名無史さん
2009/07/05(日) 14:04:120気の毒といえば気の毒かもしれませんが、そんなに予想外の不当な扱いや
不運な末路であるとは私は思いませんね。
なぜなら彼ら兄弟は満州国が存在した当時は
幹部としてそれなりにいい暮らしをして贅沢をしていたわけです。
古来武士だの軍人だのというものは、戦いに勝ったら戦利品を分捕り、
負けたら捕まって首をはねられるのが当然です。
かっては満州国の幹部として権勢を誇り、負けて何も罪を問われなかったら
そっちのほうがよほどおかしいですよ。ただ、この場合、彼らは
収容所に長期間入れられていたわけで、釈放された時点でその罪は
チャラになったとも考えられますが。
溥儀の一族の中でも、日本とかかわるのが嫌で、ついていかなかった人達
もいます。彼らは新中国ができても何ら罪には問われていません。
そういう選択肢もあったわけで、それは本人の判断ですからしょうがない
ですね。
それと、文革で吊るしあげられたのは、何も日本に関係した人物ばかり
じゃないし、文化大革命運動というのは、基本的に反日に主眼を
置いた政治運動じゃないですから。迫害されても歯を喰いしばって耐えて
生き抜いた人のほうが多いですよ。劉少奇夫人も北京郊外の秦城監獄に
15年も放りこまれてましたけど、彼女なんか一貫して反中行動なんか
一切してなかったんですからね。刑務所に入れられる理由すら本来は
なかったのですから。
「自殺」というけど、刑務所に収容されている人間は、自殺をさせないために、
ヒモや刃物の類は一切もたせてもらえません。郊外で首を吊ったということは、
逆にいうとそれができるだけの比較的自由な環境下にあったということを意味
しています。ハイラルは国境の町ですから、もう少しがんばって、
モンゴルへ逃げよう、なんて考えなかったのですかね。
そう思うと、ジュンジュルジャップなんかは、なまじ育ちがよすぎた
だけに、羽振りのよい時はいいけど、落ち目になったら一気に本来の
ひ弱さが出てしまったのかもしれませんね。
0919世界@名無史さん
2009/07/05(日) 14:22:080であり、中国と同じ東側共産国家の一員でした。
中国から逃亡者がモンゴルに入ってきたら、基本的に捕まえて送り
かえしますが、ジュンジュルジャップなら匿ってもらえた可能性は
あります。なぜなら、本来中国人とモンゴル人というのは、大変に
仲が悪いんです。外蒙古と内蒙古を分離したことにも不快を感じてます。
社会主義モンゴルの頃はそれでも一応同じコミンテルンの一員、ということで
関係を保ってましたが、社会主義政権が崩壊してから、露骨にモンゴルの
中国離れが進んでます。
中国人なら知ったことではないが、蒙古の英雄、パプチャップ将軍の
忘れ形見であるジュンジュルジャップなら、みすみす中国に引き渡すなんて
考えられない。たぶんモンゴル政府の中でも、命をかけて守ろう、という
勢力があったはずです。
自殺するくらいなら、命をかけてモンゴルまで逃げたらなんとかなった
のではないかと私は考えます。
0920世界@名無史さん
2009/07/05(日) 22:27:440今だから、耐え抜けばいずれ終わるとわかるけれど
当時生きていた人にとってはいつ終わるともわからない地獄の日々。
これが永遠に続くと思ったら絶望して自殺してもおかしくはない。
亡命すればなんて簡単に言うけど、67年っていったらジョンジュルジャップも
もう60歳くらいなはず。若い頃ならともかく、そんな年になって体力的にもきついでしょうに。
0921世界@名無史さん
2009/07/06(月) 01:24:360「外国に逃げる、という選択肢もあったのに、そこで命を絶って
しまったのは、自分の意思・選択なんだからしかたないよ」って話をして
るんです。
あ、参考までにいっておきますと、今、中国東北部には20-30万人
と言われる北朝鮮の亡命者がいます。(正確には経済難民ですが)
その中には60以上の老人も多いですよ。
もっとも当時そういう発想は思いいたらなかったかもしれませんが。
文革で迫害された人は、中国全体でみれば、日本に関係した人よりも
国民党に関係した人のほうが多いし、もっいといえば何も罪がないのに
迫害され、死んでいった者のほうが圧倒的に多いです。
いわば、紅衛兵や造反派からみれば、理由なんてなんでもいいんです。
彼らを追い落とし、とって替わる理由づけがありさえすれば。
>>920さんがジュンジュルジャップの最期に思いを馳せる感性は、
それはそれで大事にされればよいと思いますが、
「日本に関わったことで死ぬ羽目になった」というのはちょっと
違うと私個人は思ってますので。
満州国に参加したのも自分の意志。
自殺という選択をしたのも自分の意思。
それを後からどうこういっても仕方ない、と思ってるだけです。
0922世界@名無史さん
2009/07/06(月) 23:11:43O0923世界@名無史さん
2009/07/07(火) 01:30:500松本駅からバスかタクシーで行ってください。
0924世界@名無史さん
2009/07/07(火) 05:02:57O0925世界@名無史さん
2009/07/07(火) 17:40:370川島芳子と笹川良一は愛人関係にあった。
しかし笹川は川島と寝るときも「川島はアヘン中毒だから
眠ると殺されかねない」と眠らなかったそうだ。
爺さん、川島芳子に惚れてたんだよね。
戦後隠し撮りされた川島の入浴姿がゴシップ誌に出そうになった時
金と恫喝で公表させなかったのは知られた話。
笹川先生直々に風呂場で立てひざしてアソコを隠した
川島芳子の写真を見せてもらったことがある。
そのときすでに笹川先生は「ボクちゃんはどこかで生きているはず」
といっていたな。
A級戦犯容疑者だった故・笹川良一氏は巣鴨拘置所での尋問に
「中国では何でも金で片がつく。あの遺体は別人だと思う」と話したという。
笹川良一は、1985年、中国の最高権力者であったケ小平と
北京の人民大会堂で面談した。
和やかな雰囲気のなかで笹川が
「昔の恋人だった川島芳子の墓を探してくれ」と
と言うと、さすがにケは返事に窮してしまった。
0926世界@名無史さん
2009/07/07(火) 18:40:100http://www.djbkw.com/dswz/2009/0421/article_225_1.html
この記事中によると、カンジュルジャップが書いた(とテレ朝のHPにある)
「蒙古民間故事」は、カンジュルジャップが書いたものじゃなく
「翻訳したもの」らしい。(恐らくモンゴル語→中国語)
ややこしい書き方すんな! しかし、彼は60年釈放で62年出版なので
時間的にそういうことをしているヒマがあったかどうか。
が、詳細は確認できなかったが、カンジュルジャップは、死ぬまでに
いくつかの文物(恐らく独白記とか歴史資料)を残してる、という書き込み
もあったので、その位はまんざらウソではないかもしれない。
しかし、この記事にも大問題があって、ことここに至ってもまだ
方ばあさんが残したという「満州国関連図」6枚について
「これは疑いもなく日本関東軍の機密であり、誰にでも見ることが
できないものだ」などと大仰に書いてある。
だから、それは戦後作られた模造品だっての!
中国人というのは、自国の文字の歴史もロクに知らないのか!
「週刊プレイボーイ」だってもちっとましなルポするぞ。
レベル低すぎ。
0927世界@名無史さん
2009/07/07(火) 23:10:500直接的な繋がりはなかったのですが祖母から話を聞いた事がありますよ。
もう確かめようがないのですが、恐らく祖母も人から聞いた話だったのではないかと。
いつも馬で登校していて、相手に呼びかける時は「きみ」だった。
歴史の授業になるとそっと席を外すので理由を聞くと
「私の国が滅んだ話を聞きたくありません」と答えた。
男装したのは軍人さんと恋愛をしたからで、当時はおおぴっらに男女交際なんて出来なかったし
成就出来なかったので、男の人のように振る舞っていた。
しかし、本当に美しい、気高い人だったと。
あまり詳しく覚えていない上に、面白くない話ですみません。
同じ松本市内に住む中国人一家が日本国籍を取得した際に
「川島」と名乗っていました。
そこの娘さんが言うには「自分は川島芳子の子孫だから川島と名乗るんだ」と言う事でしたが、
本当かどうか分かりません。
個人的には嘘じゃないかと思っていますが。
実は、松本市では川島芳子と言う人物は知る人ぞ知ると言った扱いです。
少なくとも若い世代は彼女について知りません。
特にこの人について学校で習ったり、ゆかりの地が観光地として扱われる事は少ないんです。
それでも地元の新聞に目を通すと彼女について触れている年配の方の記事が稀にあったりします。
長文失礼しました。
0928世界@名無史さん
2009/07/08(水) 02:32:330芳子はアヘン中毒じゃないです。
芳子は兄にアヘン中毒になった人がいて、アヘンを嫌っていたからアヘンはやっていない。
ただ、戦場で負傷して痛み止めの注射が手放せなくなり、人前でも太ももをあらわにして注射を打っていたので誤解されているのでしょう。
(ソース、李香蘭自伝と上坂冬子「男装の麗人川島芳子伝」)
そのお話では、芳子が笹川に惚れていたというよりも笹川が芳子に惚れていたようですね。
笹川氏本人から聞かれたんですか?
笹川を主人公にした小説だと芳子が笹川に惚れて追っかけていたように書かれていますが、誇張でしょう。
同小説では、笹川が粛親王家の財産整理のために無報酬で一肌脱いだように書かれていましたが、
上坂本によると、笹川は川島浪速の代理人としてかなりの金額の報酬を得ていますし。
>>926
回想録などをいろいろ執筆しているのはジョンジュルジャップの方です。
おそらく書き込みはカンジュルジャップとジョンジュルジャップを混同しています。
ジョンジュルジャップは文史資料にいくつも文章を書いているので、物を書くのがわりと好きなタイプだったのでしょう。
一方、カンジュルジャップはの書いたものは、撫順戦犯管理所の供述書以外では確認していません。
(もしありましたらご教示ください)
だからカンジュルジャップはあまり物を書くのが好きなタイプではなかったのだろうと思います。
ですから、本当に芳子の元夫のカンジュルジャップの作品なのかなと疑問に思っているしだいです。
0929世界@名無史さん
2009/07/08(水) 02:37:070貴重なお話ありがとうございます。
地元の新聞に芳子の記事が載るというのはうらやましいですね。
もしよろしければ記事を見つけたらここで紹介いただけないでしょうか。
地元民以外でも芳子記事を見たがっているファンがここには多いでしょうから。
>「私の国が滅んだ話を聞きたくありません」と答えた。
自分が読んだ松本高女の関係者の回想では芳子は、中国は遅れていると優越感を丸出しにしている
歴史の教師の授業が嫌でボイコットしていたそうです。この話は有名なんですね。
>男装したのは軍人さんと恋愛をしたからで、
山家亨少尉のことでしょう。
山家との交際は目撃談がいろいろあるので相思相愛だったのでしょう。
なぜ成就しなかったのか?川島浪速が別れさせた?自分の女にしようとしたからだろうか?
>同じ松本市内に住む中国人一家が日本国籍を取得した際に 「川島」と名乗っていました。
そこの娘さんが言うには「自分は川島芳子の子孫だから川島と名乗るんだ」と言う事でしたが、
おそらく川島廉子、尚子母娘のことでしょう。芳子の子孫ではなく姪ですね。
川島浪速の養女として入籍して日本国籍を持っているので川島姓を名乗る根拠はありますが、
川島家を継いだ浪速の甥良継と財産問題で裁判沙汰になり、川島本家とは絶縁しています。
0930世界@名無史さん
2009/07/08(水) 08:13:560ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2653591914727658580
この中にもそのことは書いてあります。
ただ、彼に関しては、おおよその釈放後の生活と、自殺までの
経緯がわかってしまったから、そっちのほうを紹介したので、
文章を残したこととかは重要でないだろうと思ってかかなかったんです。
まあ、「みたけりゃどうぞ」といってソース示してるわけで。
カンジュルジャップについては私もそんなに興味自体があるほうでは
ないので、なんともいえませんが、他のサイトの書き込みで文章を
残している、とあったのでそのまま書いたものです。
中国のニュースに関しては「川島芳子自身の定説」「妹顕gの回想」
「先日の長春のでの生存説」の3つに集約されるみたいです。
日本の記事にのってないこともありますが、逆に信用性に乏しいので
単なる思い込みやデマが多いと思ってます。
0931世界@名無史さん
2009/07/08(水) 08:30:020感じます。中国にもいくつかあるんですよ、「都市伝説」というか、広く
広まってるウワサが。
>>885>>886に出てる芳子生存→逃亡の経緯も、中国で比較的広く
出回ってる「都市伝説」のパターンであれば、別々の場所で全く同じ
話を聞いても別に不思議ではありません。
例えば「金日成に往復ビンタ」という「都市伝説」があります。
これは、朝鮮戦争当時、作戦に遅れて自軍に大損害を出した金日成を、
怒った彭徳懐が往復ビンタした、というものですが、これは
1980年頃の本だと「そういう面白い小話が出回ってる」とあるのに、
最近の本だと「事実」として書かれていて、いやはや
「ウソも百回つけば本当のことになる」を地でいく話だと思ってます。
中国では、人民の知りたいことにメディアが答えてくれないし、
共産党のリーダーの過去もほとんど伏せられてますから、
噂でそういう「都市伝説」とかが出回るんですよ。困ったものです。
「芳子生存説」もそういう「都市伝説」の一種です。中国にはもっと
他にもパターン化したやつがあるんですが、日本の人が知らないだけ
です。日本に関係あるものでないと、聞いてもピンとこないと思い
ますしね。
0932世界@名無史さん
2009/07/08(水) 11:09:460アンカーを間違えました。927さんへのコメントです。
0933世界@名無史さん
2009/07/10(金) 01:35:240ttp://blog.sina.com.cn/s/blog_4d015e2b0100dla6.html
「1950年送回中国,在抚顺战犯管理所改造。
1966年被特赦后回内蒙古科尔沁左翼中旗巴彦塔拉居住。1970年病故」
ということで、このサイトでは1966年に釈放された後、内蒙古の某村
(某村としかいいようがない、さすがにこんなとこ知らない)に
居住した後、1970年に病気で死亡、とある。
カンジュルジャップの死因について書いてあるのは、見つけられた
範囲ではここだけ。しかし、ここでは1966年に釈放とあるのが
気にかかる。またまた例の「蒙古民間故事集」がカンジュルジャップ
の手によるもの、というのが怪しくなってきた。
0934世界@名無史さん
2009/07/16(木) 12:37:080にある『自衛隊秘密諜報部隊』、今日書店で見つけて、芳子に関連する
部分のみ立ち読みしてきました。
で、結論からいうと、このような本はお金を出して買う価値もないと
思います。時間のムダです。
ここで簡単に内容を説明すると(部分的に記憶が不正確かもしれませんが)
-------------------------------------------------------------------
著者の阿尾氏はかって、所要でかっての済南機関の古谷機関長
の埼玉の自宅を初めて訪ねた。阿尾氏の奥さんが出てきてお茶を出して
くれた。さらにもう一人、老夫人がいたので「あの人は誰ですか?」と
聞くと、古谷氏は「芳子さんだよ、芳子さん」といったのだという。
阿尾氏はかって古谷氏が川島芳子に関わっていたと噂で聞いたことが
あるので「そうか、あの人が川島芳子か」と全てを悟って納得したという。
そして、阿尾氏は「芳子を日本に連れてきたのは田中隆吉に違いない。
田中はかって、45年3月に(北朝鮮の)羅津の司令官に指名された
ことがあったが、阿南惟幾(元陸相・阿南元中国大使の父)に泣きついて
はずしてもらったことがあった。この期間、時間があいたので
45年3-8月の間に芳子を中国から連れ出す時間は十分あったはず。
田中が愛する芳子をみすみす処刑などさせるわけがない。
よって処刑されたのは芳子でない」と考えた。
0935世界@名無史さん
2009/07/16(木) 12:41:160とりあえず2点問題点を指摘しておく。
@まず、阿尾氏は、芳子と思われる老夫人とは一言も口を聞いていない。
また老夫人も阿尾氏の前では何も喋っていない。かつ、阿尾氏は
古谷氏に「あの人が、あの川島芳子なんですね?」と確認もしていない。
ただ、古谷氏が「芳子さんだよ、芳子さん」というのを聞いて
賢くもすべてを悟って納得し、古谷氏になにも聞かなかったのだという。
まあ、恐らく、同じ「ヨシコさん」でも、古谷氏は当時の林家三平のギャグで
もかましたつもりなのだろう。「ドーモすんません」とかいってるのも
聞き逃したのではないか。単なるハバアに向かって「あれはヨシコさん」
といってるのを聞いただけで即、川島芳子認定なら、そんなもの、
ウチの近所にもウジャウジャいるぞ。
0936世界@名無史さん
2009/07/16(木) 12:43:540よって日本に逃れてきた、と推理するが、全くの荒唐無稽であるといわざる
をえない。なぜなら、
公式の記録によると、芳子逮捕が報道されたのは45年11月だが、
実妹の顕gは芳子逮捕の直前に大喧嘩しているし、逮捕されて
からも兄の憲立は差し入れなどをしている。(面会は不明)
獄中からも川島浪速や秘書の小方宛に自筆の手紙を書いているし、
なにより何度も公判で聴衆の前で自身の正当性を大演説して
ぶっているではないか。新聞には写真つきで。
では、その時の芳子はもうすでに「影武者」であったという
のか。こんなトンチンカンな説が真に受けられたら、論争も何
もあったものではない。「処刑されたのは芳子ではない」とか
「芳子は獄中で死亡した」とかいう説は聞いたことがあるが、
「逮捕されたのは別人だった」というのははじめて聞いた。
いったいどこをどう叩いたら、こういう珍説が出てくるのか
いっぺん阿尾氏の頭の中を覗いてみたいものだ。
0937世界@名無史さん
2009/07/16(木) 12:51:550せめて芳子のことを本に書いて出すなら、彼女がいつどこで
何をやって誰と会っていたかということ位ちゃん調べてこい。
以後 名前を阿呆博政にでも改名したらよかろう。
この程度では、他章に書いてることもレベルが知れるというものだ。
こんなクソ文をそのまま載せた編集者も罪は重いぞ。
阿尾氏よ、今まで何をやってきたか知らないが、もう十分だろう。
聞くと御歳79歳とか。一刻も早く永遠の旅に出てください。
これ以上こっちの世界にいて、根拠のないデタラメをふりまかれると
困るのです。その時は是非A6スケ氏も一緒に連れていってあげてください。
まともに議論する価値も無し!以上!
0938世界@名無史さん
2009/07/19(日) 00:50:350と行ったという「学術報告会」内でどういうやりとりがされたかという
内容の一部を中国のサイトで発見したので一部紹介する。
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2661030621990671444
-2009年3月2日テレビ朝日社屋内において-
この中で早稲田大学の劉傑教授がなかなかするどい質問をしている。
劉教授:「川島芳子(方ばあさんのこと)は新中国でどんな生活をしていたんだ?
文革のときになぜ捕まらなかった?どうやって中国の南北を自由に往来
していたんだ?」
回答:「私たちはただ彼女が30年生活していたという証拠を見ただけです。
まだ、政治的な立場の新証拠は得ていません。これは(満州事変等と同じく)
政治的立場はかえられないからです」「彼女は般若寺の住職と交流が
あり、その「帰依証」も南北往来の助けになりました」
劉教授「方ばあさんは毎年国清寺にいっていたようだが、誰が費用負担を
したのだ?生活費はどこから来ていたのか?」
回答:「彼女はいくらかお金をもっていましたが、50年代に私(張ト母)が
敗血症をわずらった時に少なくないお金を使い、なくなってしまいました。
1958年から1965年まで于景泰(親戚)が養いました。
1965年から1978年までの13年は,我々が養いました」
0939世界@名無史さん
2009/07/19(日) 01:01:060いわんとしていることは私と全く同じで、ようするに
「方ばあさんとやらが、新中国(共産党政権)になってから、
あんたらがいってるような生活・行動が本当にできたのか」といっているわけだ。
これに対して回答は、ほとんど答えにすらなってない。つまり、方ばあさん
とやらが本当に実在した政治的(公式)な証拠は何もみつかっていない。
ということである。「帰依証」?それがどうした。そんなもの日本に
例えていえばどっかのファンクラブの会員証のようなものだ。
そんな私的なものが、政府の発行する身分証のかわりになんかなるわけ
ないだろう。中国人として、そんなこといってて恥ずかしくないのか?
劉教授は中国の知識人として、私以上に中国の諸制度のことを念頭に
おいて質問しているはずだ。お金等のことに関しても、かって配給制度
や公共食堂制度がひかれていた中国で、住民登録されていない人間が
食っていけるわけがないということを十分承知の上で聞いている。
0940世界@名無史さん
2009/07/19(日) 01:21:270文章だけでは、肯定・否定ははっきりしない。が、
少なくとも、川島芳子が処刑されていない、ということは
可能性として認めつつも、今回の一件に関しては、とても御墨付きを与えた
などとはいえないようだ。もっとも、劉教授だけは、この話は
全く信用していないということが、質問内容からも読み取れる。
尚、この会はテレ朝の後藤はなが司会をしていたようだが、日本で
の専門家のこれらの疑義を聞いてもなお「信じている」とは馬鹿としか
いいようがない。一生中国にいってついでに帰化でもしたらよかろう。
それから、私は前にもこの張トオバンがたびたび言うことを変えている、
と書いたが、最近中国のネットを見ていると、かなり多くの記事で、
方ばあさんが死んだのは、長春ではなく四平(スーピン)だと書いてあった。
四平というのは、長春から南へ100キロほどいった遼寧省に近い町で、
私もかなり昔に一度通ったことがあるが、長春とは全く別の町である。
これでは、いままでテレビ等でいっていたことと全く違うのではないか?
張トの話だと、郊外の新立春の家で立ったまま死んだのではないのか。
馬脚を現してきたということだ。最初はいかにも方ばあさんは、ずっと
自分の近くにいたようなことを言っていたが、その後調査が進み、公式な
証明が無いことや、証言者があまりに少ない、という疑いの目に焦って、
「実は冬場は市内の般若寺へ、夏は南の国清寺へいっていた。死んだ
のもここではなく四平だった」とか適当に言い出したんだろう。
(↑実際に多くの記事にはそう書いてある)
こんなコロコロ証言をかえる奴など信用できるわけがない。
歴史のねつ造は許されない。いつか正体が暴かれる時がくるはずだ。
0941世界@名無史さん
2009/07/21(火) 20:29:320もう待ちくたびれたんだけど
方おばあちゃんが芳子だというなら確固たるモノを提示してくれよ!
0942世界@名無史さん
2009/07/23(木) 08:58:15Oうんち
0943世界@名無史さん
2009/07/24(金) 01:00:280ttp://www.56-china.com.cn/china04-12/08q/zgmz04-8m2.htm
中国のネットでいろいろ調べてきました。(上記以外のサイトの情報も含む)
まあ、簡潔にいいますと、河北省で生まれ、幼少時に一家で瀋陽に
引っ越してきた。もともとは文筆家かなにかで、文革の頃は結構苦労
したという。しかし、改革開放以後、広東省で七面鳥の養殖などの
商売で成功し、今、瀋陽では「愛新覚羅徳崇商店」なる名前の会社まで
つくっているという。愛新覚羅としての系図をさかのぼると、太祖ヌルハチ
までいくとか。でも、愛新覚羅としては分家の分家らしく、なんでも先祖
の言い伝えで「北京にはいってはならない」とか言われていたらしい。
八大親王家などに比べると、愛新覚羅といっても全く低い家柄のようだ。
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で、ここからが自分の見解なのだが、これって所謂「熊沢天皇」とかと
同じでねえの?という感じだ。昔は愛新覚羅姓は名乗っていなかった
らしい。(記事では、中共になってからは、本姓を隠すのが普通だった
とあるが)商売などで成功し、急に「ウチはヌルハチから別れた由緒
ある愛新覚羅一族」とかいいだしたらしい。
(また記事には「最近、セレブな響きに憧れ、愛新覚羅を名乗る人間が
増えている」ともある)記事によると、94年の溥傑の葬儀に押しかけ、
末弟溥任と「おお、兄弟よ!」とか抱き合って泣いたとかいうが本当
かどうか怪しいものだ。
しかし、自称か他称か知らないが「ウチは今や愛新覚羅の宗長、いや族長」
などといっているというのは、全くけしからん事である。
仮に本当にヌルハチの子孫だとしても、(記事によると、今中国に愛新覚羅
一族は推定で30-40万人はいるそうですから)
関東軍から全く相手にされなかった貧乏たれ風情が何が族長だ!
これでは、他のまっとうな愛新覚羅一族が相手にしないのもわかる。
自分の会社に「愛新覚羅徳崇商店」などという破廉恥な名前をつけている
のを見ても、この人は単に愛新覚羅姓を商売に利用したいだけでは
ないかと思ってしまう。(ちなみに、中国で会社の名前に人名を入れる
という習慣は基本的にありません)
0944世界@名無史さん
2009/07/24(金) 01:02:410〇矛盾だらけの証言で、存在したかどうかもわからない「方ばあさん」を
「川島芳子である」といいはる張ト。
〇領事館に相手にされてないのに「自分は中国残留日本人孤児」と
主張する張ト母。
〇派振りがよくなってから急に「愛新覚羅」を名乗りだして、
「族長」を称し、商売に利用している徳崇。
はっきりいって、「詐欺師集団」でねえのこれ?
おい筑波大の野崎さんよ、アンタこういうこと全部知っててなお連中の
いうこと信じてるのけ?単に詐欺の片棒、いや歴史捏造に手を貸してる
だけなんでねえの?
調べたところによると、6月14日にも早稲田大学で「研究会」とか
開いたらしいなあ。で、他の出席者は「間違いない」と太鼓判押して
くれたか?いいかげん目を覚まして、常識もって物事見ろよ。
0945世界@名無史さん
2009/07/24(金) 01:13:230あるわけないだろそんなもの。
後藤はなの編集後記読んだら「関東軍や仏教グループが芳子を助けた」
とかあるけど、錆びた薬さじとなんかの「帰依証」
あとは、正体不明のタレコミ電話の怪情報だけだろ。そんなんで
どうやって科学的に立証するんだよ。番組続かねえよ。
まあ、続編やるのは勝手だけど、社長のクビが飛ばないように
注意するんだね。「あるある」とか「バンキシャ」とかの例も
あるからさ。
日本人が中国の社会制度知らないと思ってナメた番組つくってると
後でたっぷり後悔することになるとだけいっておくよ。
0946世界@名無史さん
2009/07/25(土) 03:35:43O生ゴミ
0947世界@名無史さん
2009/07/27(月) 14:02:270まったくその通りですね。
東京裁判でキーナン検事の証人になった田中隆吉が、芳子を助けるためにキーナンに泣きついたという説は聞いたことがありますが、
敗戦以前の逮捕もされていない段階で助ける必要なんてないし、芳子本人が法廷に出席しているのに、めちゃくちゃですね。
おそらくこの人の頭の中ではいろいろな説がごっちゃごちゃになっているのでしょう、、、
0948世界@名無史さん
2009/07/27(月) 17:30:060だからこんな糞な本、お金を出して買う必要ないといってるんです。
発行されたことで、もう既にひどい害悪を生んでます。
なぜなら、このアホ、いや阿尾氏は台湾でそこそこ知名度があるらしく、
すでに台湾のサイトでは、ろくに検証されることも無しに、
「ミスター阿尾は生きてる川島芳子に会ったらしい」
とか既成事実化されていっぱい紹介記事が出てるんですよ。
日本人は芳子に詳しいので、こんなヨタ文、まともに受けとってる人は
ほとんどいないようですけどね。
だからこっちの世界にいられると迷惑だからさっさと逝ってくれと
いってるんです。
0949世界@名無史さん
2009/07/27(月) 20:14:41O0950世界@名無史さん
2009/07/30(木) 01:26:11O0951世界@名無史さん
2009/07/31(金) 14:28:13O0952世界@名無史さん
2009/08/01(土) 03:43:360というよりも、そういう物証がないから、「李香蘭・私の半生」が出版されるまでは、
世間一般には、川島芳子と山口淑子が、面識があったかどうかも知られていなかったのでは
ないですか。その頃生きていたわけではないので推測ですが。
逆に出版されてからは、世間の誇大妄想が暴走している感じです。
意外にも山口淑子と浩は一度も会ったことがないらしいですし、
そのあたりは本人に語ってもらわないことには、推測だけでは
事実はわからないものですよ。
0953世界@名無史さん
2009/08/01(土) 14:12:060『李香蘭・私の半生』新潮社文庫版の173p
・・・溥潔さん、浩夫人には会ったことがある。・・・満州皇室の一族もほとんど存じ上げている。
みなさんの前で何度かうたったこともある。けれど、宮廷で、溥儀皇帝の前でうたった記憶は全くない。
とあります。
親しい関係だったかはともかく、面識はあったんじゃないですか?
まあ、芳子とは全然関係ない話ですけどねw
0954世界@名無史さん
2009/08/01(土) 18:27:130確か記憶では淑子と浩のどっちかが「見かけたことがある」
というのを後でどっちかが否定したと記憶していたんですが。
調べるのも面倒なのでそういうことにしといてください。
0955世界@名無史さん
2009/08/03(月) 22:00:490本当かな。溥傑夫妻と交流するようになったのも戦後のことじゃないかな。
戦前だったら女優なんて、知名度はあっても役者風情と低く見られていたんだから、
おつきあいできたかどうか怪しい。
山口の本人の証言だけだからどうとでも言えそうだけど
0956世界@名無史さん
2009/08/03(月) 23:41:340とてもおもえませんね。
つーか、あんまり深入りしすぎるとスレチになるので
おもいっきりやりたい場合は当該スレへ
0957豚松 ◆4FfyOtW0fiF5
2009/08/04(火) 07:36:22O皇族・王族・貴族と無縁で下層階級出身の俺でさえ交流せん。
俺は一介の大統領or国家主席に過ぎないし(しかも仮想)、
ましてやそんな古い偏見を少なくとも公に口にしたら非難される
時代の者だけれども、俺の芸能人嫌いもあってか、
少なくとも親密な交際など絶対にしない。
権勢を利用しようとされるとの俺の思い上がりもあるしw
戯れ言はともかく、俺も山口の言うことには嘘というか
自分の存在を大きく高く見せたいそれもあると思うよ。
山口に限らず、それこそ芸人に限らず、人にはそういうところがあるから。
以上は川島芳子の生死の問題とは無関係な話でした。
0958世界@名無史さん
2009/08/10(月) 23:51:350こここんとの酒井法子の件を見ていて、やっぱ中国に関わる
女って激動の人生を逃れられないのかあ、と思った。
山口淑子、川島芳子、テレサ・テン、酒井法子・・
中国にいた95年頃、中国の高校生とかと話をしていて、
「日本人で誰知ってるか」という話になったとき、まっさきに
あがったのがジウジン・ファーズ、酒井法子だった。
当時、日本人としては唯一松下電器のCMに出ていたので
日本人の代表みたくみられていたのは当然だろう。
山口百恵や中野良子も古い世代には有名だけど、引退・半引退
状態だったこともあり、若年者には圧倒的に酒井法子だったね。
私は「もう日本ではそんなに人気があるタレントじゃないですよ」
といって笑ったのが懐かしい。
ということで。
0959世界@名無史さん
2009/09/02(水) 21:29:480鎮痛剤のフスカミンだといってるけど、
フスカミンていう鎮痛剤が本当にあるの?
俺の知っているフスカミンて毛の染料に使う
工業用の薬品の名前なんだけど。
白髪染めの薬と間違えたんじゃないの?
もし芳子の打っていたのが鎮痛剤だったとしても
中身の成分にアヘンから作るモルヒネが入ってんじゃない?
鎮痛剤の成分ってモルヒネ入ってること多いよ。
それならアヘンはやってなくてもアヘンから作った
モルヒネ中毒だった可能性はあるわけで。
誰か医学薬学系に詳しい人教えてよ
0960世界@名無史さん
2009/09/03(木) 18:07:410厚生省の担当部署に理由を説明して
聞けば、ちゃんと教えてくれると思うよ。
0961世界@名無史さん
2009/09/03(木) 20:01:090別人の写真を貼って最悪だな。あれ、どうみても芳子じゃないだろ。
さんざんえらそうなことを言ってたくせに、芳子の顔もわからないとは(笑)
なんか弁解してみろよ。
0962世界@名無史さん
2009/09/03(木) 22:23:120はて、なんのことかわからんので今見にいったが、元に何を書いていたか
をよく知らないのでどこをどういじったのかわからないのだが?
そもそも俺はパソコンの知識にうとくて、ウィキの編集のしかた
なんか知らんのだよ。
なんか以前見たときに比べると、写真が増えてるなという印象だが
それか?
あるいは、カンジュルジャップ・ジュンジュルジャップの消息については
みつけてきたのは俺だから、その部分かい?
君ねえ、世界中の誰でも閲覧可能なネットの書き込みみて、なんで俺
がやったときめつけられんだよ。ハッキリいうが20000%違うよ。
が、事実として正しい部分に関しては誰がかきこもうがかまわんと
思ってるがね。もとよりここには著作権などないし。
もっとも、カンジュルジャップがハイラルに住んだというのは
違うんじゃないか。>>933の俺の引用文ではそうなってないしな。
ハイラルの近くにいたのは弟のほうだろ。
ホレ、なんかいってやったぞ。おまえも誰のこといってるのか
過去ログさしていってみろや。
つまんねえこというんなら、二度と出てくんなボケ!
0963世界@名無史さん
2009/09/03(木) 22:41:330おい、ウィキペディアの書き込みした奴。誰か知らんが
ここみてろんだろ。
>>933にちゃんと書いてあるやろ。ハイラルじゃねーぞ。
訂正しとけ。中国語読めんのかもしらんが。
どうせ書くんなら、正しい情報を書け。
写真の件は俺は関知しないので知らん。
もっとも、中国人のいってることだから、どこまで
正確かは知らんがな。 以上。
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。