紀元・暦法を集めるスレ
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0001世界@名無史さん
NGNG幅広く語りましょう。
現役のもの、マイナーなもの、非公式なものまでいろいろどうぞ。
0120転載くん
NGNGBC660年=179万2474年
AD2003年=179万5136年
0122世界@名無史さん
NGNG西暦…全欧、多くのアジア、ほとんどのアフリカ、北中南米、全オセアニア
元号…日本
民国暦…台湾
主体暦…北朝鮮
イスラム太陰暦…イラン・アフガニスタン以外の中東
イスラム太陽暦…イラン・アフガン
ヴィクラマサンヴァト暦…ネパール
仏暦…タイ、カンボジア
エチオピア暦…エチオピア
ユダヤ暦…イスラエル
その他、檀君暦は李承晩政権時代、モンゴル建国暦がWWUまで、
チュラサカラト暦が1960年代までビルマで、蘭印で皇紀(発行されず)
パフレヴィー朝末期にペルシア建国暦が硬貨に出てます。
ファッショ暦もファシスト政権のイタリアの硬貨にしっかり刻まれてます。
またヴァチカンでは法王の即位年が元号のように今でも。
越南の保大元号の通貨も、形式上1945年まで鋳造されてました。
0123世界@名無史さん
NGNG>元年は戊寅歳(らしい)ので、 正確には今年1795146年
元年は戊寅なんていう話はなかったと思いますよ。
>AD2003年=179万5136年
で合っているかと。
0124Peak
NGNG実は昨日は「3づくし」だったのですよ。
第三千年期第三年三月三日です。
結構珍しい(千年に一度)
0125世界@名無史さん
NGNG明日香ということは、「大化」より前(つまり、元号が無かった)だったのでは無いの?
欽明天皇五年とか言う表現はあったかもしれないが。
0126世界@名無史さん
NGNG0127あやめ
NGNGこれは「三元甲子」と呼ばれているサイクルのことで全くの術数家言です。
「皇極經世書」と関係があるような説明も見かけますが、サイクル単位が
前者は60年で後者は30年なので上位サイクルで不一致が生じてきます。
「甲子」は干支1運の最初なので干支そのものを意味することもあります。
そこで干支3運180年の周期を「三元甲子」と称し、このサイクルで歴史が
変化するものと理解します。そして第1運を上元と称し2を中元3を下元と
呼んでいます。
「皇極經世書」の場合は1世の初年は甲子または甲午に当り、1運の初年は
必ず甲子に当っています。ところが1運の初年は「三元甲子」の初年とは
60年ずれて設定されています。
即ち「皇極」の方は第7會、第1運、第1世、第1年は帝舜の39年で甲子歳2217B.C.
しかし「三元」の方では第1年は上元の初年である帝堯の81年2277B.C.で、
帝舜の39年は中元の初年に過ぎません。
0128あやめ
NGNG黄帝61年2637B.C.(以下B.C.省略)/顓頊57年2457/帝堯81年2277/寒浞23年
2097/夏扃5年1917/商太甲17年1737/商仲丁6年1557/殷盤庚25年1377/殷武乙
2年1197/周昭王36年1017/周共和5年837/周恵王20年657/周敬王43年477/周
赧王18年297/漢武帝元狩6年117/漢明帝永平7年64A.D.(以下A.D.省略)/蜀
後主延煕7年244/宋文帝元嘉1年424/隋文帝仁壽4年604/唐徳宗興元1年784/
宋太祖乾徳2年964/宋高宗紹興14年1144/元泰定帝泰定1年1324/明孝宗弘治
17年1504/清聖祖康煕23年1684/清穆宗同治3年1864
次は41年後のことになります。
「三元甲子」は「九宮」つまり九星と組合わせて推命など未来を占う数理として
機能しています。上元は一白から中元は四緑から下元は七赤から始まります。
但し星回りの順序は1>9>8>7>……と逆退してゆきます。月・日の順序も
同様です。「三元甲子」が180年をサイクルの単位としたのは、60年で1週する
干支と9年で1週する星宮をシンクロさせるため、両者の公倍数を周期として
設定したということなのです。
0129あやめ
NGNG語は「十六國春秋」の「前秦録」に苻堅の建元十八年に新平で発見された寶器の
銘が「玉牒版辭に依るに帝王の數に違はず、上元人皇より起こり、中元に至り
下元に窮はまる、天地一變し、三元を盡し而して止む」とあったというのが
初出のようです。しかしその詳細は不明で今日の「三元甲子」と関連するものか
疑わしいように思います。
「三元甲子」という4字は唐の釋法琳が撰した「辯正論」の「三教治道篇」に道教の
教説を批判している個所で、「五千文解節中經」という道教典の内容を紹介し、
「凡そ八十一章にして、總べて三元甲子を以て第と爲す、明す所の旨趣は大都
黄庭と契を合す、皆な服氣養身及び行房縮精の祕に在り」とあるのが恐らくは
最も早いかと思われます。たぶん今日の三元甲子の術と関連するものと見て
誤りないでしょう。
このように養生法や房中術と結びつく一方で、歴史や個人の運命の消長を占い
将来を予測するものとして、庶民はもとより士人にも信者が多く甲骨学の鼻祖
劉鶚なども頭からかぶれていたようです。
0131世界@名無史さん
NGNGどの文化圏でしょう?
南アジア(五劫の擦り切れ、とかね)
中国
中央アメリカ
などでしょうか。
一神教に多い一方向直進的時間観よりも循環的時間観の文化のほうが
発達するようです・・・かね?
0132世界@名無史さん
NGNG暦だったんですか?
0134山崎渉
NGNG0136世界@名無史さん
NGNG精度ではグレゴリオ暦をしのぐそうな。1年で17秒の誤差しか生じないとのこと。
0137世界@名無史さん
NGNGもう話題に上ることもないのかな〜。
あれだと曜日と日付が固定するので「きょうは何曜日だっけ?」と
迷うこともなくなり、かつ現行暦との隔たりも一番少ないので
悪くないけどな〜とも思うのですが。
0138山崎渉
NGNG0139世界@名無史さん
NGNG少数ながら今も支持者はいますな。HPからカレンダーも印刷できるよ。
0140世界@名無史さん
NGNGあれは無理がありすぎて誰も支持しなかったが…
0141山崎渉
NGNG( ^^ )< ぬるぽ(^^)
0142世界@名無史さん
NGNGEZLF(エミリアーノ・サパタ解法前線)の軍事行動のスケジュールが
なんとマヤ暦の時間単位で行動していたのにはたまげますた。
ちょうどこの日が、西暦とマヤ長期暦、双方の紀元で大きな周期の替わる節目だった
ため決行日に選ばれたそうな(と拘束された幹部の弁)
0143あやめ
NGNG神武天皇即位の年を179万2474年とする「天孫紀元」なるものが話題になっています。
何だか素性の知れないトンデモな感じの紀元ですが、戊寅歳からスタートするとか
言ってる向きもあるようなので、どこからこういう説が出てきたものか考えてみる
ことにします。
先ず思いつくのは「日本書紀」の「神武天皇即位前紀」の次の記事です。即ち磐余彦尊
(神武天皇)が一族に向かって東征を宣言する語の中に、「天祖の跡を降せしより今に
逮(およ)ぶまで一百七十九萬二千四百七十餘歳なり」とあります。江戸時代の国学者
伴信友は「比古婆衣」という研究ノートに収録した「日本紀年暦考」で、契冲の校本に
この部分を細字と注記していて元来は傍書であったと思われるが、後に本文の中に
竄入してしまったものだろうと論じています。これに対し岩波文庫の書紀の補注は
「弘仁暦運記」や「舊事紀」にも同文が見えるので、強がち排除する必要はないとして
本文の一部と認知しています。
「日本紀年暦考」は更にこの数字の根拠を尋ねて諸書を渉猟した結果、平安末期から
室町初期に亘る多くの文献に瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・鸕鶿草葺不合尊の三代の治世
年数の記載が見え、それらを合算したものが正に1792476年となると説いています。
詳細は次回のレスで
0144ネットdeDVD
NGNGhttp://ime.nu/ime.nu/ime.nu/ime.nu/www.net-de-dvd.com/
0145世界@名無史さん
NGNG0146bloom
NGNG0147世界@名無史さん
NGNGあやめさん〜詳細続けてたも〜
0148山崎渉
NGNG0149山崎渉
NGNGピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
0150あやめ
NGNGごめんなさい、はげしくさぼりまくってしまいました。
こんなにさがっちゃってたのね。
でも今日明日はメチャ忙しいの。明後日は必ず書きます。カンベンしてちょm(__)m
0151あやめ
NGNG括弧内は略称、数字は凡その成書年次です。
「倭姫世記」(倭)1296「帝王編年記」(編)1301「元亨釋書」(元)1322「簾中抄」(簾)1330
「神皇正統記」(正)1340「佛法和漢年代暦」(佛)1350「神代巻口訣」(口)1367
「應安本年代記」(應)1370「皇代記」(皇)1380「東寺年代記」(東)1436「壒嚢抄」(壒)1445
「寛正本天神祇王代記」(寛)1465「文正本年代記」(文)1466「文明本王代記」(王)1486
「日本運上録」(運)1591「文禄本年代記」(禄)1595「倭漢合運圖」(合)1611
偽妄三神世暦年説
○瓊瓊杵尊
31萬8542年 倭・編・元・簾・佛・皇・東・壒・寛・文・王
30萬8533年 正・口
31萬8541年 應
31萬8543年 運
なお伴信友はこの最後の年数の最下桁の3は実は2の誤写であろうと言っています。
理由は「運上録」は次の2代については「倭姫世記」以下の諸書と全く同年数を採って
いるからだという点を挙げています。
0152あやめ
NGNG○彦火火出見尊
63萬7892年 倭・編・元・簾・佛・口・應・皇・東・壒・寛・文・王・運・禄・合
63萬7893年 正
63萬7890年 文
○鸕鶿草葺不合尊
83萬6042年 倭・編・元・簾・佛・皇・東・壒・文・王・運・禄・合
83萬6043年 正・口
82萬6040年 應
83萬5676年 寛
信友は各代とも最上段挙示の多数説が原文であって、他は写誤と断定しています。
そしてその合算値 318542+637892+836042=1792476 が「書紀」の記載と合致し、
偽妄説の淵源であるとしています。
0153あやめ
NGNG諾冊二尊に至るまでは極めて大雑把な数字しか見えません。天照大神については
「應安本年代記」と「文禄本年代記」が5028萬7607年と細かい数字を掲げ、
忍穗耳尊については「寛正本天神祇王代記」は88萬3929年「文禄本年代記」は
5028萬7607年と天照大神と同じ年数を記載しているそうです。
0154世界@名無史さん
NGNG教育現場での皇紀復活の目はないのかね?
0155世界@名無史さん
NGNG天地創造の年月日+日時を旧約聖書「創世記」の記述から割り出したといわれる
アイルランドの修道士も仰天級でつが。
0156世界@名無史さん
NGNGギリシア古矮克西城(?)5年ごとのイベント(?)開催紀元=BC31
スペイン建国紀元=BC38
ユリウス暦紀元=BC45
セレウコス朝紀元=BC311
アレキサンダー崩御紀元=BC323
ローマ共和制紀元=BC509
日本紀元=BC660
古バビロン王拿暴拿徹爾(?)即位紀元=BC747
ローマ建国紀元=BC753
オリンピック紀元=BC776
ギリシア首君鰓克労伯(クノッソス王?)即位紀元=BC1582
アブラハム(元年)紀元=BC2015
インド建国紀元=BC3101
喇賓Rabbins(?)建国紀元=BC3761
迂師利迂斯(?)の時に俗に通用せる紀元=BC4004
天地開闢紀元1(本篤会(?)修士某の推算)=BC4963
天地開闢紀元2(AD680年のコンスタンチノープル公会議での推算)=BC5508
0157世界@名無史さん
NGNGすごい!よくぞ集りましたね。
下のほうのは初めて見かけるものが多いですが・・・詳細を
ご存知でしたらご紹介キボンヌー
0158世界@名無史さん
NGNG0159世界@名無史さん
NGNGちなみにこの年はUNIX元年でもある(w
0160世界@名無史さん
NGNGインターネット暦ならもうあるよ、確か。
1日を1000等分して、"@xxx"であらわすヤツ。
もちろん、まったく普及しなかったけど。
0161158
NGNGそれは「インターネットタイム」。その暦版はないのか、と思ってな。
インターネットタイムはまったく普及しなかったというのは言い過ぎ。
少なくともネット上ではエスペラント並みには普及してると思う(w
まぁこれで従来の暦を置き換えようというものではないから、
そこそこ成功してるといえるのでは。
インターネットタイムについてはこのページに概要が書いてある。ローカルタイムからの換算ができるよ。
http://www.apple.co.jp/hotnews/swatch/
0162世界@名無史さん
NGNGつまり、全然普及していないということだわな。
0163世界@名無史さん
NGNG今日は第2452823日だそうです。
0164世界@名無史さん
NGNG起算日は何から由来したのでしょう?
まさか超古代文明・・・ガクブル
0165世界@名無史さん
NGNG1. 太陽章(28年):ある日の七曜(曜日)が同じとなる周期
2. 太陰章(メトン周期)(19年):ある日の月の位相(月の欠け方)が同じとなる周期
3. インディクション(15年):ローマ帝国での徴税額の査定更正周期
の三つの周期それぞれの第一年目が重なる年です。
0166164
NGNG0167山崎 渉
NGNG__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
0168なまえをいれてください
NGNG貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
0169世界@名無史さん
NGNG「大宝」まで半世紀近くのブランクがあるが、これはなぜ?
0170世界@名無史さん
NGNG「昭和」:【書経】から「百姓昭明、万邦協和」
「大正」:【易経】から「大享以正天之道也」
「明治」:【易経」から「聖人南面而聴天下、嚮明而治」
「慶應」:【文選】から「慶雲應輝」
「安政」:【群書治要】から「庶民安政、然後君子安位矣」
「天保」:【尚書】から「欽崇天道永保天命」
「享保」:【後周書】から「享茲大命、保有万国」
「元禄」:【文選】から「建立元勲、以歴顕禄、福之上也」
「応仁」:【維城典訓】から「仁之感物、物之応仁、若影随形」
0171世界@名無史さん
NGNG古田説によると、それは自前の年号ではなく九州年号で、
使わなければならない義務はなかったから。
「大化」「白雉」のあとに「朱鳥」があるとされる。
「大化」 どう見ても意味不明
「白雉」 「はくち」なのか「しろきぎす」なのか2説、いつからいつまでか曖昧
「朱鳥」 「しゅちょう」なのか「あかみとり」なのか2説、ちゃんと使ったのか不明
自前の年号ならこんな疑問はないはず。
0172世界@名無史さん
NGNG蘇我氏を滅ぼして藤原氏が「大化け」した記念に、とか。
0173世界@名無史さん
NGNG西漢 建元
新 始建国
東漢 建武
曹魏 黄初
蜀漢 章武
呉 黄龍
晋 泰始
宋 永初
斉 建元
梁 天監
陳 永定
北魏 永興
隋 開皇
唐 武徳
0174世界@名無史さん
NGNG後唐 同光
後晋 天福
後漢 乾祐
後周 広順
遼 大同
宋 建隆
金 収国
蒙古(元)拖雷
明 洪武
後金(清)天命
これらに比べると「大化」はどうしてこんな年号にしたのか不思議になります。
もし「大宝」を全くの最初の年号だとするとこれはめでたい意味であって
最初とするに相応しい年号だと思う。
0175世界@名無史さん
NGNG化は変化するということ。人偏(ヒト)がヒ(ひっくり返る)で
会意文字。 昔の人は漢字の原義をよく知ってたので、この使い方は
よく実情を表している。
0176世界@名無史さん
NGNG0177世界@名無史さん
NGNG0178世界@名無史さん
NGNG大同(満州国)
0179世界@名無史さん
NGNG永始(楚・桓玄)
金統(斉・黄巣)
永昌(大順・李自成)
0180世界@名無史さん
NGNG独自の元号hどれほど使われてたのでしょうか。
もしなければ中国と違う元号を持ったのは日本だけ?なことはないですよね。
0181世界@名無史さん
NGNGベトナムの年号は独自の制定です。
私も昭和→平成のときにあるミニコミ誌に年号の蘊蓄を書いたのですが、
ベトナムの年号については、三省堂のコンサイス世界年表より詳しい資料が入手できず、
「ベトナムでも6世紀から年号が制定され使われた」としか書けなかったことがあります。
0182世界@名無史さん
NGNGだからわからんのです。
「化」には他にも「おしえる」「変える」「化かす」などの意味がありますが、
総じてあまり良い意味ではありません。
普通は173〜179を見渡してもわかるとおり、めでたく、未来志向の字が並びます。
しかし「大化」はどちらかというと後ろ向きの字です。
他の元号からの改元ならば、ある程度は納得できるのですが。
0183世界@名無史さん
NGNG閏月ってどの年に挿れるかは計算できると思うんですが、
どの月の後に挿れるのか計算ってできるものなんですか?
0184パシッチ ◆mWYugocC.c
NGNG置閏法は時代とともに違うそうなんですが、私が知ってるやつを。
多分日本の江戸時代のやつだと思いますけど、あんまり変わらないと思うので。
まず、24節気の日付を決めます。24節気というのは夏至とか大寒とか雨水とか啓蟄とか、ああいうのです。
24節気は、黄道上の太陽の位置で決まります。例えば、黄道と天の赤道が交わる位置に太陽がある日を「春分」「秋分」と言いまして、
春にあるほう(つまり日の長さが長くなりつつある方)を春分と決めます。
春分と秋分の間をそれぞれ12等分すると、24の節気の日付が決まってきます。
次に、24節気のどの節気があるかによって、月の名前を決めます。
立春がある月は、正月です。 啓蟄がある月は、2月です。 清明がある月は3月です。
以下、立夏4月、芒種5月、小暑6月、立秋7月、白露8月、寒露9月、立冬10月、大雪11月、小寒12月、と。
そして、これらの「月を決める節気」が存在しない月を閏月にします。
というわけです。
0185あやめ
NGNG基本はお分りになってるようですが、肝腎のとこで誤解があります。
「古今集」冒頭の在原元方の有名な和歌に
年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん
というのがあります。これは陰暦正月がまだ始まってないのに立春になってしまった
ことを詠んだものです。このように極月のうちに立春になってしまうことはしばしば
発生しました。
パシッチさんが挙示された12気は「節気」と言って、季節の繋ぎ目を示すもので、
従って暦月の最初の日(朔)より前に来てしまうことが珍しくありません。
暦月の指標となるのは節気の一つ後の「中気」です。これは各暦月から外れないのを
本来としています。そして中気を含まない月が「閏月」です。
但し例外的に対応する暦月からずれてしまう場合も発生します。
昔あやめが叔父の仕様に基づいて現行暦と旧暦との変換用のBASICプログラムを
作成し、某PC誌に掲載が予定されたことがあります。その際に編集部の要請により
叔父が旧暦システムの基本構造を、あやめがアルゴリズムの概要を解説したしたものを
ドキュメントしたのですが、この雑誌は間もなく廃刊となってしまい日の目を見るに
至りませんでした。
御参考までに以下に何回かに分けて載せることにします。
0186山崎 渉
NGNG│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
0187あやめ
NGNG暦というものは日常生活の中での基本的な約束事なので、誰でも一通りの知識と関心
を持っているようです。しかし余りに日常的な当然の存在であるためか、少し立ち入っ
た疑問については確実な情報が与えられているとも言い難いものがあります。
例えば1月1日はどういう理由から一年の気節の流れの中で(安っぽいフォークソン
グの文句みたいになってしまいましたが)現在の位置に設定されることになったのか?
、2月だけがどうして他の月より日数が少ないのか?、ふと疑問を感じたが解らなかっ
たということはありませんか。
また年末になって今年のカレンダーは何年か先にはまた使えるのか?、春分の日が3
月の21日になってる手帳と20日になってるカレンダーとあるがどっちが本当なのか
?、西紀1年1月1日の曜日は富士通のワープロのカレンダー機能だと日曜なのにNE
Cのは月曜、天文台に問い合わせると土曜、どうなってるの?、といったような記事が
新聞や週刊誌に載っていたのを目にしたこともあります。
0188あやめ
NGNG問題で、万年カレンダーの作成に取り組んだ経験があるでしょう。配列や条件分岐とい
った言語仕様の習得作業の中で、現行暦法の基本も確実に理解されていくことになりま
す。これは現行グレゴリオ暦の仕組みが比較的単純なことが、例題として適当な程度に
あるためでしょう。従って多くの言語入門書にいろいろの方式の万年カレンダー作成プ
ログラムが載っています。
しかしこれが旧暦の万年カレンダーとなるとどうでしょうか。旧暦は現代の社会生活
上必須のものではなくなっていますが、冠婚葬祭や民俗行事など伝統的な生活シーンで
はまだ無視できない情報です。そこで旧暦の編制をパソコンで実現したいという需要も
かなりあるようで、実際パソコン誌でたまにそうしたプログラムを見かけたことがあり
ます。ただそういうものは適用範囲が現時点の前後1世紀間くらいと短かく、また正確
度も1、2日の誤差を免れないものであったりして、それはそれなりに有用ではあるの
でしょうが物足りない気もします。
0189あやめ
NGNG入力するとその年の旧暦の月名と各月の第1日の西暦の日付を一覧表にして出力するも
のです。時間的適用限度も数千年の範囲で有効であり誤差の程度も数十分を超えないと
確信しています。
------------------------------------------------------------------------------
ここまでが雑誌掲載予定原稿の冒頭部分で、ここまではあやめの書いた文章です。
次からは叔父の書いた旧暦システムの解説部分になります。
0190あやめ
NGNG太陰太陽暦の基本構造
世間でふつうに旧暦と呼ばれている暦法は、わが国では明治6年まで公式暦として実施さ
れていたもので、太陰太陽暦の一種です。よく陰暦とも呼ばれることがありますが、太陰
(お月様のことですが「月」と表記すると暦法上の時間単位の月と混乱しますので、「太陽」
とパラレルな表現として本稿では天体としての月のことを専ら「太陰」と書くことにします)
と太陽と二つの天体の運動を基準として編暦する天体暦である点で、正しく太陰太陽暦と呼
称することが旧暦が非科学的な不合理な体系であるといった誤解を避ける所以であると思いま
す。天体運動に観測と計算の上で暦法として厳格に対応しようとする点が、旧暦の編制を非常
に厄介なものにしている原因です。科学的整合性をあくまで追求することが常に便利なシステ
ムを生むとは限りません。その点現行のグレゴリオ暦などの太陽暦は天体暦的側面は地球の公
転周期と自転周期を程々に折り合わせるに止め、運用の簡便な日常暦として成功を収めたと言
えます。
0191あやめ
NGNG基準として年を設定しているわけですが、暦体系全体の構造を形成するものとしては年の方を
主体とし、これに月をどのように組み込むかというのが編暦上の最重要主題となっています。
従って性格から言えば寧ろ太陽暦の面が強く存在し、問題から見ると太陰暦の面が濃く意識さ
れるということになるかと思います。
暦法上の1年の長さは太陽が春分点を通過してから次に春分点を通過するまでの時間とされ
ています。天の赤道(地球上の赤道が天球上に投射されたものと思ってよい)と黄道(太陽の
視運動の軌道)との交点のうち、太陽が南から北へ通過するのが春分点で北から南へ通過する
のが秋分点、そしてそれぞれの通過の瞬間が春分と秋分です。この単位を回帰年と称し現在そ
の観測上の平均値はおよそ365.24219879…日となっています。端数を時制で表現
すると大体5時間48分45秒ということになります。
暦法上の1年の長さは太陽が春分点を通過してから次に春分点を通過するまでの時間とされ
ています。天の赤道(地球上の赤道が天球上に投射されたものと思ってよい)と黄道(太陽の
視運動の軌道)との交点のうち、太陽が南から北へ通過するのが春分点で北から南へ通過する
のが秋分点、そしてそれぞれの通過の瞬間が春分と秋分です。この単位を回帰年と称し現在そ
の観測上の平均値はおよそ365.24219879…日となっています。端数を時制で表現
すると大体5時間48分45秒ということになります。
0192あやめ
NGNG0193あやめ
NGNG2個の天体が黄道上の同一経度に位置した瞬間のことです。この単位を会合月または朔望月と
称し現在その観測上の平均値は29.5305882…日となっています。端数を時制で表現
すると12時間44分02秒ということになります。
即ち1回帰年と1会合月の比はおよそ12.36827…:1となり、1暦年を12暦月で
構成することは自然に思いつくことですが、この2個の数字は整除関係にないためこの端数を
何らかの方法で処理しなければなりません。まず端数は端数として処理するという行き方もあ
ります。古代エジプトのように1年は365日とし1月は30日として、12個の月と月に属
しない年末の5個の日で構成するという暦です。1月の日数も1年の日数も会合月や回帰年に
由来していることはまちがいないと思われますが、太陰の盈虚にきっちり合わせることはせず
季節の変遷とずれてくるのも気にせず、割りきった判りよいポリシーが5日の余日という解決
にも顕われています。古代エジプト人は1回帰年とほぼ同等の1恒星年が365.25日とい
う認識はあったのですが、この暦年を1461回反復する時点で1460恒星年と整合するか
ら支障ないと考えたようです。
0194あやめ
NGNG東アジアの太陰太陽暦では暦年の中で暦月に属しない余日というものは発生させず、しかも
回帰年の枠の中に会合月をそのまま組み込むという技法を思いつきました。暦年の日数を固定
せず会合月の方に整合し、月数は12個を基本とするが適宜閏月を置いて、長期のスパンでは
回帰年の枠組みは維持されるように配慮するというやり方です。
365.24219879…日となっています。端数を時制で表現すると大体5時間48分4
5秒ということになります。
0195あやめ
NGNG0196あやめ
NGNG太陰太陽暦は暦法上の基本単位として太陰の運動周期を基準として月を、太陽の運
動周期を基準として年を設定しているわけですが、暦体系全体の構造を形成するもの
としては年の方を主体とし、これに月をどのように組み込むかというのが編暦上の最
重要主題となっています。従って性格から言えば寧ろ太陽暦の面が強く存在し、問題
から見ると太陰暦の面が濃く意識されるということになるかと思います。
暦法上の1年の長さは太陽が春分点を通過してから次に春分点を通過するまでの時
間とされています。天の赤道(地球上の赤道が天球上に投射されたものと思ってよい)
と黄道(太陽の視運動の軌道)との交点のうち、太陽が南から北へ通過するのが春
分点で北から南へ通過するのが秋分点、そしてそれぞれの通過の瞬間が春分と秋分で
す。この単位を回帰年と称し現在その観測上の平均値はおよそ365.242198
79…日となっています。端数を時制で表現すると大体5時間48分45秒というこ
とになります。
0197あやめ
NGNG会合とは2個の天体が黄道上の同一経度に位置した瞬間のことです。この単位を会合
月または朔望月と称し現在その観測上の平均値は29.5305882…日となって
います。端数を時制で表現すると12時間44分02秒ということになります。
即ち1回帰年と1会合月の比はおよそ12.36827…:1となり、1暦年を1
2暦月で構成することは自然に思いつくことですが、この2個の数字は整除関係にな
いためこの端数を何らかの方法で処理しなければなりません。まず端数は端数として
処理するという行き方もあります。古代エジプトのように1年は365日とし1月は
30日として、12個の月と月に属しない年末の5個の日で構成するという暦です。
1月の日数も1年の日数も会合月や回帰年に由来していることはまちがいないと思わ
れますが、太陰の盈虚にきっちり合わせることはせず季節の変遷とずれてくるのも気
にせず、割りきった判りよいポリシーが5日の余日という解決にも顕われています。
古代エジプト人は1回帰年とほぼ同等の1恒星年が365.25日という認識はあっ
たのですが、この暦年を1461回反復する時点で1460恒星年と整合するから支
障ないと考えたようです。
0198あやめ
NGNG一応会合月からの因縁を引いてはいるものの全くでたらめで、専ら1回帰年の日の端
数を解消するための閏日の置き方が編暦術の主題となっています。このような純太陽
暦法の対極に純太陰暦法のイスラムの宗教暦があります。この暦法では暦年の月数が
12個である点は回帰年と関係がありそうでいて実は切り捨ててしまい、暦月の日数
は30日と29日を交互に取り閏日を置くのも1会合月の日の端数を解消するためで
す。
東アジアの太陰太陽暦では暦年の中で暦月に属しない余日というものは発生させず、
しかも回帰年の枠の中に会合月をそのまま組み込むという技法を思いつきました。
暦年の日数を固定せず会合月の方に整合し、月数は12個を基本とするが適宜閏月を
置いて、長期のスパンでは回帰年の枠組みは維持されるように配慮するというやり方
です。
0199あやめ
NGNG決しました。即ち1回帰年を整除する12個の区分点が存在すると仮定すれば、これ
に12会合月を対応させることで暦月を太陽の運行に結合させることができるわけで
す。ただしこの1区分の日数は1会合月の日数よりいくらか長いので、当然この区分
点から外れてしまう月が生じます。そこでこのような月を閏月として設定します。こ
のようにすれば暦月は常に太陽の運行によってチェックされていることになり、回帰
年秩序は表面には顕われないものの隠然として暦年を管理していることになるのです。
この区分点は太陰月である会合月に対する太陽月上の指標として実際には24個設
定されており、その奇数番目のものは各太陽月間の区切りとして、偶数番目のものは
上述のように暦月との対応の目安として機能しています。これが謂わゆる24気で春
分秋分夏至冬至大寒立春など季節ごとに馴染まれているものです。太陽月間の区切り
を節気と言い暦月との対応の目安を中気と言っています。
以上の説明で太陰太陽暦の構造の基本となっている観念は理解されたものと思いま
す。そこで次に太陰太陽暦の諸要素の規定について順に説明することとします。
0200あやめ
NGNG半と呼びます。この時刻は旧時代では首都における地方真太陽時、清朝であれば北京、
江戸時代であれば京都における南中(子午線上を真太陽が通過した瞬間、即ち正午)
から次の南中までの時間の中分の時点が夜半です。現代では地方標準時に拠ってい
るものと思います。日本の場合は東経135度の子午線が時法の基準となります。昔
の天文記録の中には午前3時で日付が代わるように書き留められたものもありますが、
その場合でも編暦上は午前0時を採用していたはずです。
暦月は合朔を含む暦日から始まりこれを朔日と呼びます。合朔とは既に述べたよう
に太陽と太陰が同一黄経上に位置した瞬間です。太陽も太陰もその運動量を決定する
諸元は多項に亙るため、運行現象は平均的なものでなく朔の発生は一見不安定なうえ、
朔の時刻を予知するためには複雑高度の計算を必要とします。冒頭に掲げた会合月の
値は観測データを平均したものであって、実際の朔の間隔は若干の伸縮があります。
0201あやめ
NGNGわず、平均会合月の値を用いて朔の時刻を計算するものもありました。このような朔
の決定法を平朔法と言います。これに対し真の合朔を個別に求めるのを定朔法と言い
ます。ここで注意しておかなければならないのは日としての朔は、合朔の時刻からで
はなく合朔を含む暦日の夜半から進行するものである点です。つまり当然のことなが
ら暦月は常に暦日の整数倍として形成されているわけです。従って平朔法の場合は平
均値を用いるからと言って毎月の日数が一定するということにはなりません。平均値
の日の端数がどの月に組み込まれるかにより29日の月と30日の月が成立すること
になりますが、平朔法では大体において月の大小が交互に発生し、十数ヶ月ごとに大
月の連続を見るというように比較的安定した形になっています。平朔法にはこのよう
な常用暦としての長所はあるのですが、新月の出現や日食などの天文現象が本来ある
べからざる時点で発生することがあって、天体暦としての本来の目的を果たさないこ
とになります。この辺は実際の天象の反映を指向する定朔法の利点です。その代わり
小月ばかり大月ばかりが数回連続するといった体裁の好くないことが起こります。し
かし現行の旧暦は定朔法を採用しています。
0202あやめ
NGNG初日を朔、末日を晦と特称します。また太陰が衝(太陽との黄経差が180度となる
こと)の位置に在る日を望と言います。
暦年は雨水を含む暦月に始まりこれを正月と呼びます。雨水は24気の第3で太陽
が黄経330度を通過する瞬間です。24気は前述のように1回帰年を区分する点で
すが、本来は1回帰年という時間周期を直接に等分したものではありません。天の赤
道または黄道上を15度づつ24等分したもので、現在は黄道上を春分点から順次分
割しています。これは謂わゆる黄道12宮それぞれの原点と中点に相当しています。
視太陽がこの各宮の原点を通過する瞬間を中気とし、この中気を含む暦月を雨水から
数えて順次正月、二月、三月、・・・・、中気を含まない月を閏月と称えます。
0203あやめ
NGNG太陽はかなり偏差のあるケプラー視運動をしているので、年間各時点における軌道上の
速度には相当の消長があります。概して言えば冬は短く早く夏は長く遅いのです。そこ
でまたしても合朔の間隔に平均値を導入したように、中気の間隔も時間上で平均化する
暦法が行われていました。これを恒気法と言い実際の中気を求めるのを実気法と言いま
す。
恒気法は視太陽が等速運動をしているかのように擬制するもので、季節といくらかの
差違が生ずるものの平朔ほどの不都合は感じられないし、間隔が一定しているので閏
月の挿入などは判り易いと言えます。これに対し実気法の場合には中気の間隔が最も
長い期間と最も短い期間の差が2日以上になり、しかも短期の方は定朔法による合朔
の間隔よりも更に短くなってしまいます。そこで1暦月の中に2中気を容れるような
月次の配置上困った事態が発生することがあります。
0204あやめ
NGNGての真実性や整合性を追求したいということか実気法を採用しています。それから恒
気実気いずれを問わず注意しなければならないのは、暦日の夜半から合朔の間に中気
の発生を見た場合です。中気は本来はたとえどんなに離れていてもその前に在る合朔
と結合すべきものです。しかし暦日は夜半から始まり、朔日は合朔を含む暦日であり、
暦月は朔日から始まり、暦月の月名を決定するのはその暦月内に存在する中気である
という太陰太陽暦の編暦規則の解釈からは、このような事例に限っては中気はその直
後に発生した合朔と結合する外ないようです。
0205あやめ
NGNGと思います。要するに各月が含む中気に対応して雨水から始まる中気の順序で月名を
称し、中気を含まない暦月を閏月と称するということです。恒気法の場合はこれで何
等の問題を生じないのですが、実気法では既に触れたように中気の間隔が合朔の間隔
より短くなっていると、1暦月の間に2中気が存在することになりどちらの中気に従
って月名を決すべきかという問題が起きます。インドの太陰太陽暦法などでは先に発
生した中気で月名を定め、後で発生した中気に対応すべき月名は飛ばしてしまいこれ
を欠月と呼んでいます。しかし清朝や徳川末期の暦法では次のような方法で解決しま
した。
0206あやめ
NGNGでいます。これらは視太陽運動にとって昇交点や降交点の通過、最高緯や最下緯の到
達といった、地球との関係で意味のある天文現象の生起時点であって、他の中気のよ
うに技術的に設定されたものとは異なるからです。従って2至2分については春分は
二月、夏至は五月、秋分は八月、冬至は十一月に固定することとし、他の中気につい
ては直後の月に繰り下げることとしました。これは1月2気現象の2、3ヶ月後には
たいてい中気を含まない暦月が続いており、本来は閏月となるべきところですが、順
次繰り下げた月は最終的にはこの空き家へ送り込んでしまえば始末できるという考え
方です。ところがごく稀に当てにしていた空き家が2、3ヶ月先では見つからない、
そうこうするうち次の2至2分が来てしまうという事態の発生することがあります。
この場合は已むを得ませんので冬至と十一月の関係だけを固定し2分や夏至の移動を
許します。冬至は太陽運動が消極から積極に転じる折り返し点ということで、歳時の
原点として絶対化され中気と月名の配当上でも固定されているわけです。
0207しゃが
NGNG0208あやめ
NGNG説明に進みたいと思いますが、その前に暦法の解説が抽象的で判りにくかった向きも
おられると思われますので、明日は具体例について説明することにします。
0209世界@名無史さん
NGNG「世界・ふしぎ発見!」で見ますた。
1ウク=約4秒=ひと呼吸の長さ
が最少の単位だそうです。
欧州以外でここまで細かく定めたのって珍しいものなのでしょうかね?
0210世界@名無史さん
NGNG「小半時(こはんとき)」はすると・・・30分間?
0211世界@名無史さん
NGNG0212世界@名無史さん
NGNG刹那は1/75秒って聞いた事がある。
ttp://www.sutv.zaq.ne.jp/yuba/kusa/014p.htm
0213世界@名無史さん
NGNG1怛刹那=1.6秒、 1刹那=0.0133秒=1/75秒=約1/100秒
昔の人にとっては実用の世界ではもちろんなく、もはや観念の領域だったのでしょうな・・・
漢字で書いてあるけれど起源はインドの宇宙観かな?
0214世界@名無史さん
NGNG0215世界@名無史さん
NGNG0216世界@名無史さん
NGNG0217世界@名無史さん
NGNG0218世界@名無史さん
NGNG一時はグレゴリオ暦をしのぐ精度などと喧伝されていましたが、
それほどでもないことが最近の研究で明らかになっていまつ。
少なくとも、閏日がないという一点を取ってみてもたいした精度ではない、と。
0219世界@名無史さん
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