通りすがりだけど。

例えば、ubuntu に、IPAフォントは入っていない。
「Ubuntu Japanese Team」が、ローカライズして便宜を提供しているパッケージ群の中にIPAモナーフォントが入っている。

開発の当事者たちの努力尽力には、頭が下がる思いだが、所詮ローカライズは、二次的なものだろう。

現状、サーバー用途のFreeBSDの本体に、日本語フォントを入れることに意味があるのかな?
言い換えるなら、当事者の本体に対する距離感の問題だ。

Linuxが、FreeBSDと比較して流行っている理由の一つは、節操も何もなく枝分かれしつつ、
良い物は、相互にマージできる環境があるからじゃないかな?