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削除屋いいかげんにしろや

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0001山崎13 ◆Lqo9D6ZCdI 2006/02/04(土) 12:09:21
いつまでも俺に粘着しやがって!!
0176名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/05(月) 21:17:38
やけに伸びてると思ったら、何だよこれw
0177名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 00:36:59
高校のころの水泳の授業。
男女別(毎週交代)だったんだが、2クラス合同でやるの。
で、更衣室が足らんから、男子も1クラスは女子更衣室を使うんだよ。
ある日の体育、漏れはクラスの男どもと結託してある作戦を考えたわけだ。
プールのトイレに隠れて、次の時間に着替える女子を盗撮する、という作戦。
漏れは捕まるリスクを負う代わりに生で裸を見れる。皆は生では見れないが映像をゲットできる。
この作戦にクラスのほぼ全員が賛同したよ。
実行のために皆でカンパして小型カメラを購入。さらに一回前の授業の日に更衣室の構造をチェック。
0178名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 00:37:35
そしていよいよ実行の日。
プールでは適度に手を抜く。ここで疲れたらおしまいだ。
そして授業が終わった。皆、何も言わないがその目は漏れに「がんばれよ!」と言っていた。
さて、怪しまれないように漏れはトイレに隠れて・・・
そこで気が付く。ここって女子トイレじゃん、と。
しかも女子高生しか使ってない。これはいい。
どうせ女子が来るまで20分くらいはかかる。暇つぶしもかねて物色したのさ。
汚物入れに入ったナプキンとかタンポンを発見して、ポケットにつっこんだんだ。
ついでに便器のにおいをかいでみた。思ったより臭かった。女の子ってこんなに臭いものを出すんだ、と衝撃を受けた。
さて、そうこうしているうちに女の子の声が聞こえてきた。さあ、いよいよだ。
0179名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 00:38:37
トイレの影に隠れて、そっと着替えが始まるのを待つ。
戸が開いた音がした。女の子たちの声が聞こえる。
このクラスは3・4組で、学年のアイドルのYちゃん、他にもTちゃん、Sちゃん、Nちゃんなど可愛い子がたくさんいた。
と、ここでこんな会話が聞こえた。
「ねえ、着替える前にトイレ行こうよ」
Yちゃんの声だ。
(やばい、隠れないと・・・)と、隠れる場所を探す漏れ。
近づいてくるYちゃんと友達。やばい。
とりあえず掃除用具入れに隠れた漏れ。モップくらいしかなかったから入るのは非常に簡単だった。
Yちゃんたちが入ってきた。
「ここって汚いよねー」「そうだねー」
こんな会話が聞こえた。Yちゃんと、もう1人はTちゃんのようだ。
二つドアが閉まる音が聞こえたので、静かに外に出た。
(どうせだから、トイレも盗撮してみるか)と思って、とりあえずトイレの下の隙間からのぞいてみた。
そこには、パンツを下ろしたYちゃんが・・・
0180名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 00:39:36
漏れはてっきり小だと思っていたのだが、Yちゃんは大をしていた。
綺麗なオマンコを見れただけでも興奮物だったが、彼女のお尻から太いものが出ているシーンは衝撃的だった。
急いでビデオをセットしつつ、漏れはTちゃんの入っているトイレも覗いた。
Tちゃんは小のようで、勢いよくおしっこがオマンコから出ていた。
すぐに出終わり、ペーパーをとり始めたので、見つかる前にもう一度隠れた。
「先に着替えてるねー」と言ってTちゃんが出て行った。
漏れはYちゃんを引き続き盗撮するか、他の子を盗撮するか迷ったが、他の子を盗撮することにした。
トイレを出て、死角から更衣室を覗いてみた。そこはパラダイスだった。
着替えも中盤のようで、ほとんどの子が全裸だった。タオルを巻く子もほとんどいなかった。
漏れは急いでカメラをセット、Sちゃん、Nちゃんを中心に可愛い子を撮りまくった。
と、そんなことをしていると「ねぇねぇ、O(漏れ)ってカッコいいよね」という声が聞こえた。
マジでビビった。漏れのことを好きな子がいたなんて・・・
0181名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 00:40:41
その声がした方を見てみると、ブスなRだった。ガックリ来た。
おまけに、「えーありえない」とか話し相手のI(こいつもブス)が返しやがった。お前の方がありえねー。つーか早く着替えろ。目の毒。
そのとき、トイレのほうから物音が。そろそろYちゃんが出てきたようだ。やばいので一度物陰に隠れる。
そろそろ他の子たちは着替え終わってプールに行っていた。着替えてるのはYちゃんだけ。
漏れも見つかる危険が低くなったので堂々と覗いた。
Yちゃんも着替え終わってプールに行ったので、漏れはさらに下着の物色に入った。
0182名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 00:42:00
まずはYちゃんの脱ぎたてを探した。すぐ見つかった。
上下ともに黄色。ブラのカップは・・・D!やっぱりけっこうでかいなぁ・・・
パンティには少しシミがあった。においをかいでみたらおしっこのにおいがした。
次はTちゃん。彼女は巨乳だから期待してブラを見てみた。堂々のFカップ。
他の可愛い子たちの下着も見てみた。巨乳だと思っていた子が実はパット詰めまくりだったりしてショック。
さて。ミッションは達成した。しかし、このまま逃げるのもあれなので、Yちゃんのパンティでオナニーすることにした。
まずはにおいをかぎながら。いつもの数倍きもちE。
さらにチンポに巻きつけてみた。Tちゃんのパンティも拝借してにおいをかぎながら。
さすがにそのまま出すとばれるのでまずは手に発射。
そしてYちゃん、Tちゃん、Sちゃん、Nちゃんの4人のパンティの股間部分に塗りたくった。
これを彼女たちが履いてくれれば間接セクース完了。
0183名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 00:43:02
そうこうしている間に、どうやら授業が終わったようだ。
またトイレに隠れて、着替えが始まるのを待つ。
するとRがトイレに現れた。
(早く出てけよ・・・)と思っていたら、屁をこきやがった。臭い。めちゃくちゃ臭い。
さらに、小だったのだが音を消さない。YちゃんやTちゃんとはひどい違いだ。
その地獄のような状況に耐え、漏れは再び着替えを盗撮するために出陣した。

漏れはさっき撮れなかった子や、スク水半脱ぎ状態や下着姿などを撮る事にした。
そして、Yちゃんたちが漏れの精子つきパンティを履いた!もう興奮しまくり。
この頃になるともう撮るのも忘れて、その光景を見てオナニーを始めていた。
むしろそれまで良く持った、漏れ。
結局気づかれることなく着替え終了。彼女たちが出て行ってしばらくしてからこっそり漏れも抜け出した。
0184名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 00:44:10
次の日、漏れはクラスの英雄になった。
写真は一枚100円〜1000円の値がつき、Yちゃんの排泄シーンなどは5000円で売れた。
漏れは一日にして10万もの金をゲットした。
その金で漏れはYちゃんをデートに誘った。あっさりOKしてくれた。
その日、彼女は漏れにこう言ったよ。「ずっと、好きでした・・・」
漏れ、凄い後悔した。めっちゃ後悔した。まさかこんな結果になるとは。
今すぐ、Yちゃんの写真を買っていったやつから取り返したかった。
彼女を漏れ一人のものにしたかった。だから、無理やり返してもらった。
でも、そんなことしたから怒ったやつがいたんだ。漏れの悪行を女子たちにばらしやがった。
当然その話はYちゃんの耳にも入り、漏れは1日でせっかくできた彼女を失った・・・

以上。乱文乱筆失礼。
0185名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:02:52
その後、漏れはクラスどころか学年中全ての女子から総シカトを食らった。
必死で謝ったため、なんとか教師に言われることはなかったが評判はガタ落ちだ。
それまでは結構クラスの人気者的ポジションだったのに・・・orz
男たちもだんだんと漏れと話すことは少なくなり(女子に味方したほうが得だと思ったのだろう)、漏れはいつしか孤独になっていた。
しかし、そんな漏れの生活に、次の学年に進級したときに一筋の潤いがやってきた。

漏れは新しく同じクラスになったKちゃんと親しくなることができた。
彼女も漏れのした行動は聞いていただろうが、そんなことを気にするそぶりもなく普通に接してくれた。
かといって女子の中でイジメられるとかもなく、誰にでも好かれるタイプの人間だったようだ。
この娘もYちゃんやTちゃんたちほどではないがそこそこ可愛い娘で、漏れはちょっとだけ期待していた。
でも、Yちゃんも惚れていたらしい昔の漏れならともかく、今の汚れた漏れではとても無理だ・・・と諦めていたんだ。
0186名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:04:37
Kちゃんと漏れは帰り道が途中まで同じだったので、一緒に帰るようになっていた。
仲良しの女子グループは皆逆方向だというので漏れが提案したらOKしてくれたのだ。
ある日、漏れは彼女にさりげなく彼氏がいるのか尋ねた。
そしたら、彼女はこう言ったんだ。
「彼氏は居ないけど、好きな人なら居るよ」
漏れすっげぇ凹んだ。凹みまくってその後うまく話せなかった。
帰りにファミマによって弁当二つも買ってやけ食いした。
でもあったかくなった漬物は残した。

次の日、まだ微妙に引きずりつつもまたKちゃんと仲良く一緒に帰った。
そしたら、Kちゃんが「今度、近くにできた○○(テーマパーク)に行かない?」と誘ってくれました。
どうせ暇だったので普通に一緒に遊びに行くつもりでOKしました。
しかし、分かれた後気づいたのです。これってデートじゃね・・・?
0187名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:05:49
漏れはデート前日の夜から興奮しまくりでKちゃんのことを考えて3回も抜いてしまった。
その後、「明日もしチャンスがあったらどうするんだ漏れの馬鹿!」と公開しますたが。
さて当日。漏れは当然のごとく1時間前に待ち合わせ場所に到着した。
30分後、Kちゃんが到着した。「もー。先に来ておどかそうと思ったのにぃ!」・・・萌え。
テーマパークに入ると、新しいだけあって人の波ができていた。
漏れは積極的に打って出ることにした。「はぐれないように手つなごっか?」
Kちゃんの返事を聞く前にさっと手を握る。Kちゃんもイヤではなさそうだ。まずは第一段階突破。

「どこ行く?」と聞くと、「I君(漏れ)に任せるよ」と言ってくれたので、まずは王道のメリーゴーラウンドに行った。
さて、ここでどれに乗るかが問題だ。馬に横に並んで乗るか、馬に前後で乗って追いかけるか、はたまた馬車に二人で乗るか。
とか考えているうちにKちゃんが「ほら、乗ろ?」って手を引っ張ってきたので素直に馬に横に並んで乗った。
回りだしたとたん、Kちゃんはキャッキャッとはしゃぎだした。めちゃくちゃ可愛い。なんか見てるだけで幸せ。頬が緩む。
どこからか「あのおにーちゃん変な顔してるー」とかいう子供の声がしたが気にしない。きっと幸せすぎて聞こえた幻聴だろう。
0188名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:07:45
次はお化け屋敷だ。Kちゃんは入る前からブルブルと震え、いかにも怖がっていた。
「ねえ、怖いよ〜・・・やめようよ〜・・・」と言っているが気にせず入る。
こんな急接近チャンスを逃してなるものか。Yちゃんとのデートのときも大成功したんだ。Yちゃん・・・orz
っと、凹んでる場合ではない。

Kちゃんの手を引いて中に入る。「大丈夫だよ、俺が付いてる」ってちょっとキザに決めつつ。
何歩か歩くといきなりガイコツが襲ってきた。思わず漏れに抱きつくKちゃん。
おっぱいの感触が・・・意外にデカい。Yちゃんよりも巨乳と見た。YちゃんもDあったから相当だ。
「大丈夫、大丈夫だよ」と励ますフリをしてさらにぎゅっと抱きしめ、感触を楽しむ。
シャンプーのすごくいいにおいも楽しみ、勃起寸前のところでそっと離れた。
最後の方になると「もう腰が抜けて歩けないよぉ〜・・・」って言うのでがんばってお姫様抱っこした。
どさくさにまぎれてお尻の感触も楽しんだ。ミニスカートだったからお尻押さえる必要もあり、怪しまれることはなかった。
外に出ると、Kちゃんはちょっと頬を赤らめながら「ねぇ、行きたいところがあるんだ・・・」って言ってきた。
0189名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:13:13
「うん、いいよ。どこ?」
すると彼女はこう言った。「○○(アトラクションの名前)に行きたいんだ。でも・・・」
「でも?」「その前に、ちょっとお手洗いに行きたいな・・・」
というわけで近くのトイレへ。「ちょっと待っててね〜」といいながらKちゃんがトイレに駆け込んでいく。
漏れはちょっと考えた。またトイレへ進入しようかと。
まずトイレ周辺を見渡す。幸い近くに人はいない。ちょっと奥にあるトイレだからだろう。
女子トイレの中を外からさりげなくのぞいてみた。洗面台の前に人が居る・・・これでは無理だ。
しかたないのでとりあえず男子トイレに入る。Kちゃんの排泄音を聞くためだ。(スカトロチックで申し訳ない)
シャー・・・という音が聞こえたあとカラカラとペーパーを出す音がした。
音消しはしてるのでオシッコの音は聞こえなかったが、「今Kちゃんはマンコを丸出しにしてペーパーで拭いてるんだなぁ・・・」と考えると結構興奮するもの。
怪しまれないうちにさっさと外に出てKちゃんが出るのを待った。
Kちゃんが「お待たせ〜」って出てきた。
早速アトラクションに向かう。
二人乗りのミニコースターのようだ。ん?カップル限定?
「これに乗りたかったんだけど、彼氏いないからI君に来てもらおうと思ったんだ〜」
・・・あぁそうですか。漏れとデートしたかったわけじゃなかったのねorz
まぁいいや。とりあえずこの状況を最大限楽しんでやるさ、と考え漏れたちはコースターに乗り込んだ。
0190名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:14:45
このコースター、なんでカップル限定かというとめっちゃ接近するっていうかふたりで1シートに座るの。ベルトも二人で1つ。
速度は70キロくらいで遅め、どちらかというと密着を楽しむ感じ。
どうせだから、と漏れはKちゃんと肩を組んでガンガンくっついた。Kちゃんも面白がってどんどんくっついてきた。
そして発車。一番上までくるとちと怖い。まぁ遅いらしいから・・・
って、思ったより速かった。肩を組んでた手がずり落ちた。手が暴れる。
漏れはとりあえずもういちどKちゃんの肩を掴もうとした。そしたらずれて思いっきり胸を揉んじゃったんだ。
そのとき、Kちゃんが「あっ・・・」と感じたような声を出したのでもう漏れは興奮しまくり。
我を忘れて揉みまくった。もう速度とかぜんぜん気にならなかった。
さすがに速度が緩まってからは不自然だと思い離した。しかし冷静になると頭はやばいという言葉でいっぱいになった。

実際、降りるまで彼女はなにも話してくれなかった。
降りてから、ちょっとして「・・・スケベ。」って言われた。
漏れはあせって「ゴメン」を繰り返した。彼女は何も言わない。
「ホントゴメン、何でもするから!」って言ったら「ねぇ、気持ちよかった?」って聞いてきた。
「え?」「気持ちよかった?って聞いてるの!」
漏れは混乱しながらもとりあえず「めっちゃ気持ちよかった。やわらかくて・・・」って答えた。
「ふ〜ん、そうなんだ・・・気持ちよかったんだ・・・」そういって彼女はしばらく考えた。
「よし、じゃあ夜ご飯おごって!それで許したげる。」って言ってくれた。
漏れは二つ返事でOKした。丸く収まってよかった・・・
0191名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:15:35

しかし漏れは甘く見ていた。テーマパークの物価を。
なんとなく雰囲気のよさそうなレストランへ入った。
最初、値段を見ずに「ステーキでも食うか・・・」って思ったのだがステーキセットの値段を見てビックリ。なんと5000円。
ただの高校生にこんな豪華ディナーが食えるわけが無い。今日はデートだからちょっと多めに持ってはいるが二人分はとてもむりだ。
現在所持金は1万ちょっと。帰りの電車に500円要るしまだお土産を買ってないから、実質7〜8000円くらいが使える範囲だろう。
そうなると彼女の頼むものが明暗を分ける。金さえあれば何でも食べてもらいたいが金が無い今は話が別だ。
女子連中に取り上げられた盗撮品の代金が惜しまれる。
そしてKちゃんはこう言った。「私、このチキンコースにする!」
・・・は?コース?course?
なんと彼女はフルコースを頼んだのだ。代金6000円也。ちょっとは遠慮して欲しかった・・・orz
やばい。こうなると漏れもコースを頼まないと少々不自然になってしまう。
一番安いコースは・・・お、3500円のサーモンのコースがある。
お土産を諦めれば何とかなるか・・・
とりあえずその二つを注文してしばし食事を楽しむ。
値段を抜きにすれば景色は最高、料理は激ウマ、雰囲気もよくさらに美少女とふたりのディナー。
楽しまないのは損というものだ。
さて、会計をしようとしたとき、漏れは大失敗に気づいた。
0192名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:17:40
合計金額は6000円+3500円=9500円だと思っていたのだが、レジには9975円と表示されていた。
そう、消費税をうっかりと忘れていたのだ。
やばい。これを払えば帰れなくなる。しかしKちゃんに借りるのはカッコ悪い。
とりあえず1万を払い外へ出た。
Kちゃんは「おいしかったー、ありがとー♪」と楽しげだ。
そしてこう言った。「でも、ちょっとおっぱい触っただけで6000円はちょっと高かったかな?」
うんうん、そのとおり。半額でいいから返して欲しいな・・・とか考えてた漏れに衝撃的な言葉が。
「盗撮してたくらいなんだし、女の子の体すっごく興味あるんでしょ?ディナーのお礼にちょっと見せてあげようか?でも、見るだけだよ?」

漏れは正直うれしかった。が・・・
帰れないのとKちゃんの裸とを天秤にかけたとき、漏れは不覚にも迷ってしまったのだ。
実際、盗撮の時裸は見まくったので、見るだけだったらお金のほうがうれしいとちょっと思ってしまったのだ。
よって漏れはこう言った。「えー、触るくらいだめ?だめなら半額でいいから返してよ。」
今思うとホント最低の言葉を吐いたものだ。
Kちゃんは「・・・もういい。6000円返すよ」って言って6千円をわたし、「ごめん、わたし帰らなきゃ」って言って走り去っていった。
漏れはあっという間の出来事に呆然と立ち尽くすばかりだった。
0193名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:18:33
次の日。学校でKちゃんと会った漏れはいつものように挨拶をした。
そしたらKちゃんはいきなり泣き出したのだ。
近くに居た女子のリーダー(ツヨイ女系)のUが「I!Kちゃんに何したのよ!」って言ってきた。
漏れはといえばなんでKちゃんが泣いているのかもわからずおろおろするばかりだった。
KちゃんはUにこういった。「わたしの裸、3000円の価値も無いんだって。そういわれたの」って言った。
ここでKちゃんが衝撃的な認識をしたのだと判明したわけだが、さらにショックは続いた。

Uはこういった。「・・・最低ね、あんた。盗撮のときも見損なったけど、Kちゃんと仲良くしてるの見てちょっとはマシになったかと思ってたのに。」
Kちゃんはその間もただ泣いていた。
Uはさらに続けた。「あんた、知ってるの?Kちゃんはねぇ、あんたのこと好きだったんだよ!私らはやめろって言ったんだけど、あんたのこと幼稚園のころからずっと好きだったから、って。そう言ってたのに・・・」
・・・何で漏れはこうも好きになってくれた娘に対しひどい仕打ちをしてしまうのだろうか。
Yちゃんはともかく、Kちゃんは漏れに好意を持ってくれていると気づくことも出来たはずである。
漏れはとりあえず弁明した。「違う、誤解だ!そんなこと言ってない!」
Uは「・・・どういう経緯かとかぜんぜん知らないけど、少なくともKちゃんはああやって認識したわけでしょ?本当のところはいざ知らず、あんたの言い方でショック与えたんだから謝るべきでしょ。」って言った。
漏れはそれを聞いて本当に申し訳ないと思った。周囲の目をはばからず土下座してKちゃんに謝った。
0194名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 01:20:37
Kちゃんは、「もういいよ。」って言って許してくれた。
そのときの彼女の笑顔は天使のようだった。漏れは彼女に完璧にほれてしまった。いまさら。
Uが、「・・・ふたりでどっか行って話し合ってきなさい」って行ってくれたのでとりあえず昼休みに屋上で話し合った。
昨日の発言の謝罪と弁明、盗撮事件について、そしてKちゃんが漏れのことを好きだった、ってこと・・・いろいろ話した。
Kちゃんは全ての話を聞いてくれた後、漏れにこういった。
「なんかいろいろあったけど、わたし、I君のことが好き。」
もう漏れ泣いちゃった。泣きすぎて彼女の顔が見えなかった。
「お、も、もれも、すき・・・」返事したけど、ほとんどことばになってなかった。
こうして、Kちゃんと漏れは無事付き合うことになった。
漏れたちは同じ大学に進学し、それからも付き合い続けた。
そして現在も付き合い続けてます(^^)
0195名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 13:51:39
俺の高校はマンモス校で学力・素行ともにピンキリ。盗難なんて日常茶飯事だった。
だから教室には鍵がついており、登下校や移動時には施錠が義務付けられていた。
ある日、俺のクラスが移動教室から帰ってくると、ごっそりやられてた。
進学クラスで他クラスとは別の棟にあったこと、したがって授業が把握されていないだろうということで施錠を怠っていたのだ。

そして、鍵まで盗まれた。しかし、錠の方がドアと一体であることから2重に鍵をかけることで防ぐことにした。ついでに再犯時に捕まえるために。
とりあえず、新しい鍵の購入と前の鍵の合鍵を作ることになり、買出しに俺が任命された。
俺はなんとなく鍵を一つ作っておいたら便利かも。と思い、領収書きって貰った後にあたかも忘れましたといった感じでもう一つ作ることに成功した。
コレが使えた。なんとマスターキーだったらしいのだ。

きっかけはちょっとしたことだった。
俺は持っていた合鍵を隣の教室のと間違えたのだ。開けてふと手を見るとつけているキーホルダーが違う。
「まさか・・・」俺はちょっとした期待に胸を膨らませた。上記したが俺のクラスは他のクラスと別棟にあり、一階には更衣室、保健室。二階には他のクラスが入っているのだ。
「コレは使える」合鍵の存在は俺しか知らない。しかも俺は日頃から問題なくすごすことで性癖を隠し、先生方の信頼を得ていた。 「万が一進入が発覚しても、鍵を俺のクラスから盗んだやつがいる以上疑いは向けられない。」
こいつを使わない手はない。し「かし、慎重にならなくてはならない。一階には職員室もあるのだ。使うのは今ではなく、長期の休みだ。」 俺は夏休みまで待った。そして、何気なく自主勉強のために登校しました。というスタイルを作っては進入を繰り返した。
0196名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 13:52:43
夏休みとはいえ部活などで更衣室・保健室の利用はある。しかし、職員室には先生はまばらだし、何より定時には別棟の大職員室(といわれるのがあった)に戻ってしまう。
俺はまず保健室に侵入した。以前保健室で腹痛を理由に休んでいたとき、女子生徒が生理用品や着替え(主にアンダー系)を返しに着ていたからだ。若かった俺はどうしてもそれが見たかった。
慎重に辺りを見回すと、鍵を回した。ひらいた!使える!すばやく体をもぐりこませると内側から鍵をかけ直した。身体測定や薬品の保管上、常にカーテンは閉められており、物音にさえ気をつければよかった。
色々と棚や引き出しを捜す。薬品には手をつけない。動かしたり持ち帰るのは当然危険だからだ。

スレ違いが長くなったんで省く。結果は、宝の山だった。当然使った。ベットに一度は使われているだろう下着をばら撒き、サルのようにオナった。

更衣室だ!更衣室に入ってみたい。考えるだけで股間ははちきれそうだった。
補足だが2階に入っていたのは付属の厨房クラスであり、更衣室は厨房のである。
部活が厨房にもあり、しばし登校しているのは知っていた。まずは部活後だ。安全だし、何より楽しみは取っておくものだ。
生徒が帰っていくのを何気なく窓から眺め、もういないだろうとふんだ俺はついに実行した。厨房とはいえそこは男の聖地。もう手ががくがくに震えた。中に入ると保健室同様すぐに鍵をかけ、深く深呼吸。
・・・うん、汗臭い。ちっともフローラルじゃない。むしろ制汗スプレーの交じり合った頭の痛くなるような香り。
気を取り直してロッカーをあさる。適当に突っ込んでるだけのやつが大半で、さほど慎重になる必要はなかった。

出てくるでてくる。夏なのに持ってかえらない運動着、しっとりと湿ったスポーツブラ、そしてブルマ。うちは厨房ブルマだったんかい!
0197名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 13:53:27
ブルマを見た俺は理性のタガがぶっ飛んだ。いきり立った下半身を外気にさらすと、ブルマのすべすべした感覚を楽しみ、さっき見つけたスポーツブラを鼻に持って行き新たな獲物を求めてロッカーを開けていた。万が一ここで誰か着ていたら確実につかまるであろう格好だった。
興奮していた俺はそんなことおかまいなしに、サオをこすり始めていた。頭の中は「もっと刺激的な、そうパンツを!」という思いでいっぱいだった。
しかし、半分ほどロッカーを漁ったところで一度果ててしまい、白濁した液を床にぶちまけてしまった。射精後特有のだるさが引くにつれ、恐怖感と後悔が襲ってきていたが、若さゆえの回復の早さがそれらを振り払った。
散らばったザーメンをそのままに残りのロッカーを開け始める俺。
そして、ついに見つけてしまった。パンツである、正直あるとは思っていなかった。さすがにパンツ置いてくやつはいねーだろと。しかし、あったのである。かなり興奮した。しかも何があったのか未洗濯のようで洗剤とは違うにおいが漂ってきていた。

パンツに残る黄色いライン、シワ。汗ともおしっことも違うたとえようのない匂い。もう、興奮は限界を超えていた。さっき出したばかりなのにそれ以上に大きくなっていた。
パンツを顔に持ってくると深く深く吸い込んだ。それだけでイキそうになった。
ロッカーに背中を預けるとずるずると床に座り込み、ブルマで股間を包み、スポーツブラとパンツを顔に当て一心不乱にこすった。
開けっ放しにしたロッカーから除くジャージや他のブルマ、白T。すべてが自分に犯されてる。そう考えるだけで、興奮は高まり手に勢いが付いた。
本当ならすべて床にだしてその上で果てたい!そう思った。でも後のことを考えると・・・ 
0198名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 13:57:13
そのあと2・3度は抜いた。全部床にぶちまけた。それを少しずつ全部の着替えにすり込んだ。残りは掃除用具入れの雑巾で拭いた。さりげなく見つからないところを開けて換気もした。
「そうだ、パンツ。」これどうしよう。見ているとまたムラムラしてきた。「サルだなぁ」と自分でも思った。持ち帰ろうかと帰ろうかとも思った。でも騒ぎになるのは避けたい。もう少しここに入りたい。
パンツをサオに巻きつけるともう一度シゴいた。ブルマとは違うやわらかさが興奮を高めた。「このままパンツに出しちゃうか」そう思ったとき、ペットボトルが目に付いた。しかも飲みかけ。
「夏場のロッカーにある。捨てるかもしれない。でももしかしたら飲むかも」中身は乳酸系か濁っている。パッケージも中身を見えづらくしている。「飲むかどうかわからない。けど、もし飲んだりしたら」
果てた。何度も何度も出した。パンツは別の匂いで汚された。黄色いラインにザーメンが染み込んでく。それをペットの口でこそぎ、ゆっくりと振る。股間は膨らんだままだ。
少し気持ちを落ち着かせ、できるだけ元通りにして更衣室を出た。

家にかえった俺は明日アレを飲む子がいるかも知れないという期待と、ばれてしまうのではという不安でいっぱいだった。
結局は更衣室を思い出し、誰かがザーメンを飲むかも知れないという変態的な興奮でヌイてしまうのだけれど。

あんまり長くなってもあれなんで、その後は簡単に。
部活中にも入った。2日後くらい。
制服をながめ、スポーツブラの子達を重点的に漁った。案の定ブラがあって、B〜Dって感じでした。Dの子にはびっくりして(しかもオカズにしたブラの子でした)、手帳のプリクラで顔チェック。
かなりかわいかった。パンツの子はまだあった。「多分忘れてんなー」と思ったけどザーメンすり込んでるし、どうせだったらこの前お持ち帰りすればよかったと激しく後悔。
件のジュースは減ってた。もうここで限界。さすがに更衣室はまずいと思い近くのトイレで抜いた。

まだ家帰れば鍵あるんだろうけど昨今の流れ考えると自粛。今度の帰省で捨てるつもり。
0199名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 14:15:17
† 綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件

1989年1月、少年ふたりが強姦と窃盗容疑で綾瀬署に逮捕された。
家裁審理中、少年たちは鑑別所に収監されていたが、
彼らの家を警察が家宅捜査すると女性の下着などが見つかったので、
「これは余罪があるのではないか」ということになり、ふたたび取調べがはじまった。
 ところが警察が余罪について軽くカマをかけたところ、少年のひとりがぶるぶる震えだし、
「はい。すいません殺しました」
 と頭を下げたので、刑事は仰天した。彼はずっと被害者の死に顔が忘れられず、悪夢にうなされる毎日で、
神経は限界まですり減っていたのだ。
カマをかけられ、すぐ「あのことだ、ああ、やっぱりバレた」と思い自白してしまったのは自然のなりゆきであった。
 これが3月29日のことで、逮捕された少年とは本事件の主犯、AとBである。
 少年の自白に従って江東区の埋立地を掘り返したところ、ほどなく死体の入ったドラム缶が発見される。
被害者の少女の死体はボストンバッグに詰められ、コンクリートを流しこまれて固められていた。
 死体はすでに腐敗しており顔の見分けもつかなくなっていたが、
ひどく痩せこけて皮下脂肪が半分近くにまで減っており、頭髪がほとんどなかった。
これは長期間なぶられ続けたストレスにより抜け落ちたものであろうと思われた。
膣には小瓶2本が押しこまれたままだったという。
 被害者の少女は捜索願いの出ていた高校3年生のE子さんであった。
4月からの就職先も決まっており、最後の学生生活を楽しんでいた矢先、
彼女はいわれもない不幸に襲われたのである。
0200名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 14:20:05
自白から、少年A(18歳)、B(17歳)、C(17歳)、D(16歳)が猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、殺人の容疑で逮捕された。
なお彼らは被害者の少女を監禁している間にも、表へ出ては強姦事件を繰りかえしている。4人とも何らかの形での崩壊家庭に育ち、
高校を中途退学したのちは職を転々とし、事件当時はシンナーにふけり、暴力団に出入りするなどして過ごしていた。
 彼らが本事件の被害者を監禁し、殺害に至った経緯はこうだ。

 1988年11月25日の夕方、AとCは「ひったくりか、強姦」か、どちらにしろいいカモを見つけようと思い、原付に乗ってふらふら走りまわっていた。
 プラスチック工場でのアルバイトから自転車で帰る途中だったE子さんは、そうしてまったく偶然に彼らに目をつけられることとなる。
 AはCに「あの女にしよう。おい、おまえちょっと蹴飛ばしてこい」と命令。Cが原付で近寄っていき、E子さんを力まかせに自転車ごと溝に蹴落とした。
 Cが逃げ去ったのを確認するとAは彼女のもとに駆けより、手を差しのべて溝から立ち上がるのを助けてやった。
「大丈夫? あいつさ、頭おかしいんだよ。俺もさっき蹴られたんだ。また戻ってくるかもしれないから、送ってってやるよ」
 と優しく微笑した。ナイト役登場、というわけである。陳腐な手だが、現実におびえている少女を騙すにはいい手なのだろう。
Aは彼女を原付の後ろに乗せ、彼女の家ではなく人気のない倉庫に連れこんだ。
 そこでAはやおら豹変し、
「じつは俺はさっきの奴の仲間で、前からおまえを狙ってたヤクザだ。俺は幹部だから、いうことを聞いてりゃ命だけは助けてやる」
 と言って脅した。Aはすくみあがる彼女をホテルに引きこみ、強姦した。
0201名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 14:21:49
 ホテルからAはC宅へ電話した。C宅は仲間たちの溜まり場だったので、そのとき部屋にはB、Dもいた。Aが、
「いま女をひとりやったとこ」と言うと、Bが、
「マジっすか、俺もやりたいから、帰さないで下さいよ」と言った。
 それを聞いたAは真に受け、B、C、Dを呼び出して待ち合わせると、E子さんを遠くから見せて、
「どうだ、あの女。どうする?」と訊いた。
「さらっちゃいましょうよ」
 とBが答えたことから、Aは彼女をこのまま家に帰す気をなくす。
E子さんがこれから41日間にわたる監禁生活を送った発端は、こんな簡単な会話によってであった。

「おまえはヤクザに狙われてるんだ。俺はおまえを売り飛ばせと命令されてたんだけど、可哀相だから助けてやることにした。
おまえの家のまわりはヤクザがうようよいて危ないから、かくまってやる」
 と言われ、なすすべもなくE子さんはC宅に連れていかれた。
この日からE子さんはそのまま彼らの監視下に置かれることになる。
 11月28日、不良仲間ふたりが新たにC宅に来訪。Aは彼らにもE子さんを「ごちそうしてやる」と言い、
必死に抵抗するE子さんを押さえつけて輪姦させた。
性交後、彼らはE子さんの陰毛を剃りおとし、膣に火のついたマッチを突っ込んで、彼女が熱がるさまを見て笑い転げた。
 12月2日あたりから、彼らの行為は性的暴力から肉体的暴力に移行していく。
つまり殴る蹴る、焼く、などの暴力になっていくのである。
 こんな状況をCの両親が気づかなかったはずはない。Cの父親は息子たちが外出した際、
妻に「二階がどうなってるか心配だから、見てきてくれない」と頼まれ、これを断っている。
また母親は「あの女の子は仲間の不良少女だと思っていました。帰るよう、さとしたこともあります」と証言しているが、
「まったくわからなかった」というのはどう客観的に見ても有り得ない話だ。
呻き声、悲鳴、少年たちの怒声など、階下に響かなかったわけがない。
実際のところはCの暴力がこわいのと、世間体のために押し黙っていたに過ぎないだろう。
0202名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 14:22:37
 E子さんは彼らの仲間内で、「カンキンオンナ」と呼ばれていたという。
仲間の暴走族連中が集まった際など、ナンパしにいこう、と言い出した者に、Aは
「ナンパなんかすることねえよ。いま、ひとり監禁してるんだ。よかったら来いよ」
と公言していたらしい。
 Cもまた、「俺の家に面白いのがいるんだよ。家に来たらやらしてあげる」
と、あちこちで言っていた。
 過度の輪姦により被害者は気を失うこともあったが、少年たちは彼女にバケツの冷水を浴びせ、
また犯していたというから異常というより他ない。
 そして、最終的には100人近くがこのことを知り、裁判記録に出ているだけで10人近くが強姦等に参加したことになる。
あるときなど暴走族の女が面白がって、「化粧してやる」と言ってE子さんの頬にマジックペンで髭を書いたこともあった。
「なんでもするから家に帰して」と哀願する彼女に、彼らは自慰をさせたり、全裸にして「きちがいの真似をしろ」と強制。
直径3センチほどもある鉄棒を性器に挿入し何度も出し入れしたあげく、その膣を灰皿代わりに使用した。
0203名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 14:23:26
 12月初め、彼らはE子さんに自宅へ電話させ、「大丈夫だから探さないで」と言うよう強要する。
 同月上旬、E子さんが隙を見て警察に通報しようとしたのを発見し、少年たちは激怒した。
彼女を殴る蹴るし、ライターで足をあぶって火傷させたり、無理にシンナーを吸引させたりして暴行した。
 このあたりから、彼女に加えられる暴力はタガがはずれたようになりはじめる。
 12月12日、E子さんは部屋にいた監視役のFに「私はどうなるの? 家に帰れるの?」と問うている。
しかしFはそれに対し、「自分はしたっぱだから、わからん」とそっぽを向いた。
 これ以降、被害者が受けた暴行は数限りない。全裸でステレオの曲に合わせて踊らせ、全員でいっせいにシャウトの部分で腹を殴る。
痛い、と口にするとまた殴られるので彼女が顔を歪めると、Cは「この顔が面白いんですよね」と笑った。
 また、肛門に瓶を挿入したり、酒を一気飲みさせたり、雪のちらつく寒い夜に裸でベランダに追い出したり、
煙草を一度に2本吸わせ、むせる様子を見て愉しんだりした。
 火傷のあとにライターのオイルをかけて点火し、彼女が「熱い、熱い」と言って火を消そうとするのを面白がり、
何度も繰りかえしたともいう。
E子さんは「もう殺して」と泣いて哀願した。
0204名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 14:24:37
 この頃からE子さんはろくに食事も与えられなくなった。たいてい1日に牛乳1本。
たまに気が向くと食パンを1枚食べさせる程度で、連日の暴行と栄養不良により、
E子さんはどんどん衰弱し、トイレに行くにも階段を這っておりる有様だった。
が、そのうちそれもできなくなり、牛乳パックに排尿するようになった。

連日の殴打に、あるときE子さんが失禁。座布団が汚れたといってまた殴打された。
BはE子さんの別人のように腫れあがった顔を(「頬が鼻の高さまで腫れあがり、
目の位置が判別できないほど」だったという)見て、
「なんだおまえ、でけえ顔になったな」と言って笑った。
 翌日、「面白いから、Aにもこの顔を見せてやろう」とその場にいなかったAを呼び出すと、
Aはその変わりように驚いたものの、「なぜか負けまいという気になって」自分も殴打。
火傷あとに幾度もオイルをかけては焼いた。
 また「おまえはそろそろ殺そうかな、いや、やっぱりやめた」などと彼女を一喜一憂させたり、
答えられない質問をわざとぶつけて責めたりなどして、精神的にも追いつめている。
この時点から、E子さんの表情から感情の波が消えつつある。肉体的にも精神的にも、もう限界を越えていた。
0205名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 14:26:08
 12月下旬、E子さんはもはや牛乳をわずかに飲みくだすのがやっとの状態になった。
一日中寝ているだけで身動きもできないほど衰弱し、顔面は腫れあがり、火傷あとは膿みただれた。
もちろん風呂にも入れていないしトイレにも行けないから、膿と垢と尿の悪臭で、
彼女はもう完全に少年たちの性欲をそそる存在ではなくなった。

 ここに至って彼女は完全に「邪魔」になる。そこにもう人間としての尊厳はない。
ただの「モノ」であり、「汚物」であった。

 1989年1月4日、Aは賭け麻雀に大負けして不機嫌だった。
このまま家に帰ってもつまらないので、B、C、Dと合流することにした。
なおC宅にはE子さんがいるので、このとき彼らはD宅にたむろしていた。
 D宅でちょっとファミコンをして遊んだが、麻雀で負けた鬱憤は晴れない。そこでAは、
「ひさしぶりに、カンキンオンナをいじめてスカっとするか」
 と言って、全員を誘ってC宅に向かった。
 E子さんはCの部屋で、身動きもできずに仰向けに寝ていた。
少年たちは彼女に「Bを呼びすてにした」と因縁をつけ、殴る蹴るしはじめた。
 Aは蝋燭を持ち出すと、彼女の顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、
両瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てた。E子さんは最早ほとんど反応を示さず、されるがままであった。
 さらにAはE子さんが牛乳パックに排出した尿を無理に飲ませている。
B、Cは彼女の顔面を回し蹴りし、E子さんが倒れると無理やり引き起こして、さらに蹴りつけた。
E子さんは身を守ろうとする体力もなかったので、そのまま転倒して室内のステレオにぶつかり痙攣を起こした。
 Aはそれを見て「仮病だ」と激昂。

「てめえ、俺の前で仮病使うのか」
 そう怒鳴ると、いっそう激しく殴打した。E子さんが鼻血を出し、手足のただれた火傷から血膿がにじみ出たため、
「汚い」と言って、自分たちの拳をビニール袋で覆ってからまた殴った。
0206名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 14:27:09
 部屋にはキックボクシング練習器があったので、しまいにはその1・7キロもの鉄球を使って殴った。
AはこのときになってもまだE子さんの体にオイルをかけて焼いている。
が、彼女はわずかに手を動かして火を消すような仕草をしただけで、そのうちぐったりして動かなくなった。
2時間にもわたる暴行の末、彼らは「飽きて」部屋を出、サウナに行っている。

 1月5日、彼らは見張りに残していたFから、E子さんが死んだという連絡を聞いた。
死体の始末はどうしようということになり、Aが以前タイル工として勤めていた会社からセメントを調達し、
ドラム缶に死体を入れてコンクリートを流し固めた。ドラム缶は江東区の工事現場まで運び、そこに投げ捨てた。
 そして、この死体は3月29日になるまで、発見されず放置されることとなる。

 警察が逮捕状を持ってC宅に捜査に訪れると、Cの両親は最初のうち抵抗したが、
やがて諦めて「弁護士立会いのもとでなら」と中に捜査員を入れた。Cの部屋は壁、床はもちろん、
天井にまで被害者の血が飛び散っていたという。捜査員のひとりは、
「人をただ殴っても天井に血はつかない。
だらだら血を流している人間の顎をさらに殴り上げるようなことをなんべんも繰りかえしたのだろう」と語った。
0207名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 15:03:36
 この事件が報道されるや、マスコミは争って報道し、国民は少年犯罪のレベルが「ここまで来たのか」と慄然とした。
 Cの両親は共産党党員だったので、当初「赤旗」に両親の談話と擁護記事が載ったが、やがて事件の詳細が知れるや、両親は離党し、同新聞には「この事件は日本共産党とはいっさい関係ありません」という一文が掲載された。
 写真週刊誌は被害者の水着写真などを載せ、ひどいときには被害者のことを「不良だった」、「加害者たちにナンパされ、ほいほい付いていった」、「加害者の仲間だったが、いじめがエスカレートしただけ」と報道した。
中山千夏をはじめとするフェミニストがこれに激昂し「報道のセカンドレイプだ」と抗議。『彼女の悔しさがわかりますか』という本を出版した。
 マスコミにもっとも責められたのは勿論、監禁場所を「提供した」と言われるCの両親であるが、特にCの母親が裁判で、
「あの子には家に帰るようすすめました。でもあの子が『いいです』と言ったんです」と証言し、
「脅されていたんでしょう」と検事が突っ込むと、
「認識の違いで、申し訳ありません」
 と答えたり、さしたる脈絡もなく「あの女の子は煙草を吸っていた(被害者が喫煙者であったかどうかは未確認。
本件とはどちらにしろ関係はない。ただ、「煙草を無理に2本吸わせる」ことを少年たちがいじめの手段として使っていたところからみて、
可能性は薄いと思える)」などと言ったりしたことが批判された。のちにCの両親はこの批判的な報道に怒り、弁護士を通じて抗議している。
0208名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 15:06:20
 公判でAは、
「いま思えば、人間だと思っていなかったですけど、そのころは、そういう人間とか、そういうものも考えてなかったです。
死んでいるのを見ても、ああ、やっぱりこれがあいつの運命だったんだなぁと思った」と証言。
 同じくDは、
「やってるときは、何も思ってないです。(そして、やり終わったあとも)思ってないです」と証言した。
 また弁護士の伊藤芳朗氏は、公判で少年Bを担当した一人だが、
「初めて接見した時、Bは『彼女はかわいそうだったけど、遊んでやったんだからいいじゃない』と開き直っていました」と述べている
(もちろん、その後改心し自分の罪に気づいた、という描写がつづく)。 
 E子さんの母親は少年たちの証言を聞いて激しく動揺し、精神科に頻繁に通院して投薬してもらわねばならない精神状態に陥った。
0209名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 15:07:18
1990年7月、東京地裁の判決はAが懲役17年、Bが懲役5〜10年、Cが懲役4〜6年、Dが懲役3〜4年。検察側は控訴した。
 1991年7月、高裁はAに懲役20年、Bに懲役5〜10年、Cに懲役5〜9年、Dに懲役5〜7年を宣告。
また監視役のFを含めた3人を少年院送致とした。

 蛇足を承知であえて後日談として記すが、少年法改正について語るという目的で2000年11月28日に放送されたニュースステーションに、
Fと、Dの母親が後ろ姿で出演した。
 この時点でFは結婚して娘がおり、Dは出所後、自閉的な引きこもりとなって母と姉(事件当時Aの彼女だった)に生活の面倒をみてもらっていた。
 放送後、番組掲示板に書き込まれた意見は、7割近くが番組とF、ならびにDの母親の現態度に対する批判だった。
 Fに対する批判の内容は主に、彼が淡々と「反省している」と口にしたそばから
「やれと言われて、こわくてやった。仕方なかった」
 と言ったこと、他人事のようになめらかな口調で事件の詳細を語ったことや、
また「よく平気で結婚し子供を作れたものだ」という意見も多く見受けられた。
だが総じて「常識人として極めて正常な反省の言を述べていたようだが、
あまりに正論、奇麗事に過ぎ、正直、彼の本当の気持ちなのかどうか疑わしい」という意見が大多数であったようだ。
 Dの母親は、
「息子とはほとんど顔を合わせない。事件のことも話さない。まだあの子は事件と向き合う時期に来ていない」、
「どんな形ででも親は子供に生きていてもらいたいですから、私の死後はお姉ちゃんにあの子の面倒をみさせます」、
「遺族の方には謝りに行こうと思ったんですが、拒否されると聞きましたのでやめました」
 などの意見が多く非難され、「子供を更正させようという気がまったく感じられないし、
親としての事件への反省も見られない」という書き込みが多かった。

 なお、主犯Aを除いては全員が出所している。Aの釈放は2008年前後であろうと言われているが、確かなことはわからない。
0210名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 15:28:23
[[[† サン・ベルナルディノ事件 ]]]

 1966年、カリフォルニアのサン・ベルナルディノで、5人の若者がウォッカをラッパ飲みしながら、
あてどもなくドライブしていると、バスを待っている10代のカップルを発見した。
「バスはまだなかなか来ないぜ、乗ってけよ」
 そう誘うと、若いカップルは疑う様子もなくそれを受けた。
 しかし車は彼らの家の方角ではなく、人気のない町はずれへ向かっていったのである。
5人はそこで車をとめると、カップルの女の子に襲いかかり、服をひきちぎって裸にした。
恋人の男の子は押さえつけられていたが、手をふりほどいて殴りかかってきたので5人は怒り狂い、
「ほんとのレイプってのがどんなもんか、おまえらに教えこんでやる」と言った。
 彼らは男の子に「この女をどう思ってる」と訊き、「将来結婚したいと思っている」という答えを引き出すと、
「じゃあ、女がどうなるかちゃんと見てろ」
 と言い、その「将来結婚したいと思っている」少女の体に、3人同時に押し入った。
口、肛門、膣を同時に犯され、泣きわめく彼女の姿から、少年は目を背けることを許されなかった。
 輪姦が済むと、ふたりはなぶり殺しにされた。死体が発見されたとき、
警察はそのあまりのむごたらしい有様に動揺し、検死結果を待つまでもなく捜査をはじめた。
 不眠不休の捜査は何ヶ月にも及び、ようやく5人の若者が逮捕された。
 彼らの殺害の動機は金でもなく、快楽のためですらなく、ただ「退屈」の果ての凶行である。
かつてはローマ皇帝にしか成し得なかったような無動機殺人を、
いまや中流の怠惰な若者たちが平気で犯しているというのが現状だ。
0211名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 15:31:31
[[[ † サーモンド&ホームズ制裁事件 ]]]

なまぬるい法に業を煮やした「正義の市民たち」の手によるリンチというものも紹介しよう。

トマス・サーモンドとジョン・ホームズは1933年11月、
大手デパートのオーナーの御曹司を誘拐してひとやま当てることを計画し
11月9日にそれを実行した。ただし、人質を生かしておく気は最初からさらさらなかった。
手口は、御曹司――ブルック・ハートを車でさらい、殴打して気絶させる。
さらにその体をコンクリートの塊に針金でぐるぐるに縛りつけ、海に投げ込むというものだ。
やがてハートが意識をとりもどし、悲鳴をあげはじめたので、ふたりは彼を「黙らせる」ために銃で撃ちまくった。
銃声は哀れな被害者が完全に波間に沈んでしまうまで続いた。
サーモンドはその日のうちに、ハートの父親に電話した。
「おまえの息子を誘拐した。身代金4万ドルを用意しろ。警察に連絡したら息子の命はないと思え」。
0212名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 15:33:56
しかし父親は当然、警察に連絡した。ふたたび犯人から電話があったのは6日後。
逆探知により居場所が割れ、サーモンドとホームズは拍子抜けするほど簡単に捕縛された。
逮捕から3日後、ブルック・ハートの無残な死体が海から引きあげられた。
卑劣な犯行に怒り狂ったサンノゼの市民たちは、大挙して刑務所をとりかこんだ。
約1万5千もの大群集である。警察はホースでの放水と催涙ガスで市民を追い払おうとしたが、人数と熱狂度において差は圧倒的であった。
刑務所の柵がなぎ倒され、人々が所内になだれこんだ。
 サーモンドの独房はもぬけのからだった。が、群集のひとりが上を見あげると、サーモンドが水道管にぶら下がっているのが見えた。
彼はひきずり下ろされ、引き据えられた。
ホームズは狂ったように群集と戦い、抵抗した。彼が表に蹴りだされたときには満身創痍で、眼球が眼窩から垂れ下がっていた。
ふたりは公園で市民たちのリンチにかけられ、なぶり殺された。当時の州知事はこの事件に対し、
「リンチに加わった市民は国家に最良の教訓を与えた。わたしは彼らを罰するつもりはない。
いや、起訴中の者が中にいたとしたら、ぜひ名乗りでてほしい。わたしの権限において、ただちに起訴を取り消そう」
とまで公言した。が、それに応えて名乗り出た「正義の市民」はただひとりとしてなかったという。
0213名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:13:02
[[[ † トルーバー&フィリポヴィッツ&ワルナー ]]]

10代の少年たちが無軌道なのはどの国でも同じである。これは1974年、オーストリアでの事件だ。
1974年6月28日、オーストリアはウイーンで、50代の男性が死体となって発見された。
顔は血まみれで、歯と肋骨が数本折れており、直接の死因は脾臓破裂。頭部には深い裂傷があった。
警察は「殴り倒されたのち、よってたかって蹴りまくられた」とみて、ここ2週間、
ウイーン市内で暴れまわっている少年3人組の最新の犯行であろうと目星をつけた。
前2件の犯行は、70代の老婦人を殴り、気絶するまで蹴りつづけ、金を奪ったのち衣服をめちゃめちゃに破り裂いたものと、
年配の男性を殴り倒して金と時計を奪ったというものである。そして3件目にして殺人。
あきらかに犯行がエスカレートしており、警察は警戒を強めた。

7月4日。少年3人組は20歳の女性を襲い、茂みに引きずりこんだ。
「服を脱げ」という命令を彼女が拒んだので、ひとりがナイフを出して彼女の耳をそぎ、耳殻の半分がちぎれかけた。
彼女は怯え、衣服を脱いだ。3人は彼女を輪姦したあと、「上になって動け」と命じた。
彼女はこの屈辱を受け入れざるを得なかった。
強姦ののち、彼らは裸のままの彼女をボールのように蹴りまくった。
悲鳴を聞きつけて警官が駆けつけると、少年たちはさっさと逃走した。
被害者の女性は「3人ともちゃんとした服装で、不良という感じじゃありませんでした。
どっちかというと『いい子』『優等生』タイプです。長髪で、子供っぽく見えました」と証言した。
それからも「子供っぽい、いい子」たちは年配者に対する強盗を繰り返した。必ず相手を殴り倒し、3人で蹴りつける。
しかし幸い重傷者は出なかった。
7月13日、ユーゴスラビア人の労働者がナイフで刺されて殺されているのが発見された。
全身血まみれで、鼻は顔からちぎれかけており、27箇所も刺されていた。
金が目的というより、ただの純粋ななぶり殺しであった。
0214名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:13:35
8月7日、若い女性が公園で茂みに引きずりこまれ、輪姦された。
少年たちは彼女をナイフで脅し、性交が済んだのちも約1時間にわたっていたぶった。
発見されたときの彼女のあまりの有様に、警察は「もっと人気のないところだったら、間違いなく彼女は殺されていただろう」と断言したという。
3人組の犯行は殺人2件、婦女暴行2件、強盗22件を数えた。

8月30日、68歳の女性が裏通りを歩いていると、
向こうからやってきた三人の少年のひとりが、ものも言わず彼女の頭を殴った。
怒った彼女はハンドバッグを少年の顔に叩きつけ、殴り倒すと、喉笛を蹴りあげた。
あとのふたりが殴りかかってくると、彼女はひとりの股間を膝で蹴りつけ、もうひとりの顔を爪でかきむしった。
反撃を予想していなかった少年たちは意外にもろく、喉を蹴られて動けない少年を残してふたりは逃げ去った。
倒れている少年も起きあがりそうだったので、老婦人は少年の顔面をもう一度蹴っておとなしくさせた。
駆けつけた警官が「例の3人組」の首謀者を捕らえたことに気づき、無線で応援を呼んだため、逃げたふたりもあっけなく捕まった。
首謀者は17歳の少年でマンフレッド・トルーバー。ほかふたりは17歳のピーター・フィリポヴィッツと、
19歳のワルター・ワルナーだった。しかしオーストリアの少年法に基づき、
彼らはほんの数年服役しただけですぐ野に放たれたらしい。
0215名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:21:10
† クー・クラックス・クラン(K・K・K)

この団体は、アメリカ南北戦争直後の1866年に発足した。
南部軍の敗北により黒人奴隷の解放が認められ、市民権が与えられたことを不満に思う南部連盟の旧軍人の一部が、
白人優位の社会をもう一度取り戻すべく組織した秘密結社、それがこの悪名高きクー・クラックス・クラン――
一般にはK・K・Kの俗称で知られる――である。
この奇妙な「クー・クラックス・クラン」という名の由来にはいくつか説があり、
一説には「旧式のライフルに弾をこめるときに起こる音の、擬声語」とも言うし、
また「ギリシア語の kuklos(仲間)およびケルト語の clan(氏族)の転用」という説もあるが、
はっきりしたところはわかっていない。
0216名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:22:36
初期のクランは無益な残虐行為を犯す気はさらさらなく、ただ「黒んぼどもの、
無礼な、身分をわきまえない行ない」をこらしめてやることを目的としていたようだ。
当時、奴隷身分から解放されたばかりの黒人たちはほとんどが文盲で、無邪気なほど迷信深かったので、
彼らをだまして震えあがらせるのは簡単だった。目と口にのみ穴のあいた白頭巾、
松明をかかげ異様な装束に身をつつんだ行列を見た黒人たちは、てっきり幽霊だと思い、
怯えて夜の外出をいやがった。
しかし南部の白人たちの多くが、いつか黒人たちに報復されるのではないかという怖れを拭いきれなかった。
彼らは身体能力で勝る黒人に殴り倒されることを怖れ、美しい白人女に黒人男が憧憬を抱いていると思いこみ、
妻や娘を犯される悪夢にうなされた。
疑心暗鬼が肥大するにつれ、クランの活動は、有色人種に対する残忍なリンチや放火、殺人、略奪などに発展するようになる。
彼らは白装束で街を巡察し、彼らの定めた時間以後に外出する黒人を鞭でひっぱたき、投票権を使用した黒人や、
黒人に同情的な白人を脅迫し、はなはだしいときは吊るした。
が、南北戦争後数年たつと、連邦政府は頑固な南部指導者に折れて妥協しはじめるようになった。
選挙法は改正され、ふたたび黒人の手から参政権は奪われた。
ふたたび白人は支配権をとり戻し、そうなればもうクランの活動は必要のないものとなった。
1871年、クランは解散した――いったんは。
0217名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:23:48
1901年、当時20歳のメソディスト教会の牧師、ビル・シモンズは夢で
「クー・クラックス・クランを再建せよ」という神の声を聞いた。
彼はもともと絶対的な白人優越思想の持ち主で、他人種だけでなく他教徒にも厳しい男だった。
シモンズは狂信的な夢想家だったが、幸か不幸か煽動と活動家としての資質にも恵まれていたようだ。
彼の呼びかけにより集まった34人の同志によって、クー・クラックス・クランは復活した。
ただし、新クランは以前のそれとは目的を微妙に異にしていた。旧クランの「こらしめる」
「躾しなおす」などというなまやさしいやり方は論外で、
シモンズたちの目的はより狂熱的な民族主義、全体主義的イデオロギーのための組織だったのである。
彼らは「100%・アメリカニズム」の徹底を目指し、すべての他人種の排斥を唱えたのだった。
第一次大戦後の恐慌と社会不安のさなか、アメリカ中産階級の人々はこの思想に飛びついた。
クランはたった数年のうちに、おびただしい数の支持者を獲得することになる。
0218名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:24:35
1922年、テキサスだけで500以上の暴行傷害事件があった。
1923年にはオクラホマで2300件ものリンチ事件が起こった。
クランは反抗的な黒人や、彼らの同調者の家に「立ち退け」と脅迫状を送り、
もし立ち退かなかった場合にはリンチを加えた。
有名な「タール&フェザー」というリンチ法は、全身に溶けたタールを塗り、
その上を羽毛でくるんで担ぎまわるものである。家に火をつけるなどは日常茶飯事で、
その他、主な手口は酸を用いて体に焼印を押す、手足を切断する、古タイヤを首にかけてタイヤに火をつける、
線路に生きたまま縛り付け列車の通過によって体を切断させる、首に縄をかけて木の枝に吊るす
(ビリー・ホリデイの名曲『奇妙な果実』は、吊るされて枝で揺れる黒人の死体を果実に模した唄である)などだ。
0219名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:25:32
だがやがて世論や新聞が、クランのあまりの暴虐行為を非難しはじめる。
それに加えてクラン内部での幹部間の抗争があり、1923年にはシモンズが陰謀により最高指導者の立場を追われ、
100万ドル近い資本の横領などが暴かれるにいたって、クランは国民の支持を完全に失った。
だが勿論それでクランの息の根が止まったわけではない。第二次大戦後、
世論の反対やFBIの摘発によって弱体化しつつはあるものの、クランは健在であり、
今でもアラバマやジョージア、ミシシッピなどでは定期的に黒人に対するリンチ事件が起こっている。
1964年、ミシシッピで、3人の労働者がクランによる集団リンチで殺害された。
逮捕された白人容疑者は19人だったが、ただちに「証拠不十分」として釈放になった。
3年後、18人が再審の場に引きずり出されたが、そのうち3人は民間のリンチにあって射殺されダムに埋められた
。残る15人の被告のうち7人が有罪となったが、いずれも保釈金を払って釈放され、
8人は無罪となって社会に戻された。

クー・クラックス・クランとその支持者は21世紀となった今も、絶えてはいない。
0220名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:27:22
[[[ † 名古屋アベック殺人事件 ]]]
 

 この事件は1988年、名古屋で起こった。1989年の「綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人」と双璧を成す、
少年犯罪史上もっとも残虐な事件として今も知られている。

 事件の主犯の少年A(当時19歳6ヶ月)は中学を卒業後、鉄工所の作業員や、土工などで短期間勤めたが、
その後暴力団員と懇意になり、付かず離れずの関係となる。事件当時は鳶職をしており、共犯の少女E子と同棲していた。
 彼らは名古屋市中区のTV塔付近にある噴水にたむろしていたので、「噴水族」「TV塔族」などと呼ばれていたようだ。
少年Aは昼間は鳶で働き、夜はE子を連れてふらふらと噴水に集まり、仲間と合流するという毎日を送っていた。
0221名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:28:14
事件当夜、そこに集まったのは主犯のA、B(17歳)、C(18歳)、D子(17歳)、E子(17歳)に、暴力団の使い走りをしていた高志健一(20歳)の6人である。
噴水まわりでシンナーを吸いながら何ということもなく「金が欲しいな」という話になり、ひどく短絡的に「じゃあ盗ろう」という結論が出た。車で公園や埠頭などを流し、
いちゃついているアベックを脅かして金を巻き上げよう、と誰からともなく言い出し、全員がそれに賛同する。
1度目の襲撃は失敗するものの2度目は成功し、それに味をしめた彼らは「もう1回やろう」と言ってまた車を出した。
そして襲われたのが、本事件被害者となるYさん(19歳・理容師)とZ子さん(20歳・美容師)である。
2人はお互い忙しいながらも、たまの休日や少し時間のあいたときなどにデートし、
「将来ふたりでお店をもとう」と誓ってせっせと貯金していたという。
Z子さんは敬愛の意をこめてYさんを「お兄ちゃん」と呼び、両親公認の非常に仲のいい恋人同士だったようだ。
0222名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 16:29:43
1988年2月23日、午前4時半。Aたちは2台の車に分乗し、Yさんの車に狙いをつけると、
バックして逃げられないよう前後に車をぴたりと止めた。そしてウインドウを開け、
「いちゃついてんじゃねえ」などと威嚇、挑発を繰り返した。
Yさんは身の危険を感じ、車をぶつけてスペースを確保し、逃げようとした。だがそれが火に油をそそぐ結果となった。
犯行に使われた車のうち一台はAの車だが、どうやら新車だったらしい。
加えてもう一台は暴力団員の「兄貴格」から借りた車だった。
この大事な二台を損傷され、Aたちは逆上した。
激昂した彼らは最早金を奪うことは二の次となり、Yさんの車のフロントガラスを鉄パイプで割り、YさんとZ子さんを引きずり出した。
「この車、どうしてくれるんだ。ふざけやがって」
怒鳴りながら鉄パイプや木刀でYさんを殴るうち、怒りはますます高まってきた。典型的な集団ヒステリーである。
Yさんは抵抗したがやがて完全に叩きのめされた。それでもおさまらず、
少年3人はZ子さんを押さえつけると、輪姦すると宣言した。
ラリった少女ふたりは「やっちゃえやっちゃえ」と手を叩いたという。
少年はZ子さんを輪姦し、殴打した。殴打があまりに長くつづいたので、
Z子さんの顔がみるみる変形していくのを目の当たりにしたYさんは、命の危険を感じ、
「お願いです。彼女だけは助けてやって下さい」
と泣いて懇願したという。しかし少年たちはYさんの腹を蹴りあげ、黙らせた。
Z子さんへの暴行には少女2人も荷担し、体に煙草の火を押しつけたりライターで髪を焼くなどしたようだ。
0223名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 17:40:32
輪姦が終わり、少年たちも少し落ち着きを取り戻した。金を奪い、輪姦し、車は壊れている。
発覚すればきっと逮捕されるだろうし、かといってこのまま2人を帰すわけにもいかない。
仕方なく少年たちは瀕死のYさんと放心状態のZ子さんを車に乗せ、あちこち連れまわしながら、
「これからどうしよう」と車内で相談した。
「車の修理代、どうしょう」
「俺、金ないよ。どうやって弁償すんの」
話題は主に2人のことではなく、車のことだったという。車を借りた暴力団員に連絡をとろうと事務所に電話したが、なかなか連絡がつかない。やっと電話が通じたと思ったら、「面倒はてめえらで始末しろ」と投げだされてしまった。
結局、なにひとつ具体案は浮かばない。持て余したAはついに、
「男はもうだいぶ怪我もしてるし、やっちまおう。女は売り飛ばせばいいや。その金で車を修理しよう、それでいいだろ」
と言い出した。反対する者はなかった。
彼らはYさんを車からおろし、両手をロープで縛ると、Yさんが哀願するにもかかわらず、
Aがロープを二重にその首に巻きつけて首の後ろで交差させ、一方の端をBにわたした。
そして、ロープの両端をそれぞれ2人ずつで持ち、綱引きの要領で両方から力一杯ひっぱって絞殺した。
Z子さんはその間ずっと「ここどこですか、お兄ちゃんはどこに行ったんですか」と言いつづけていたという。
Yさんの死体は車のトランクに積み込まれた。
Z子さんは目隠しされていたのでそれを見ることはできなかったが、なんとなく全てを察知したらしく、車内ではずっとすすり泣いていた。
0224名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 17:43:01
24日、少年たちはZ子さんを連れ、BとCが同居しているアパートに泊まった。
そこでまたZ子さんは輪姦されている。
6人の少年たちはふたたび「これからどうしよう」と相談した。
売り飛ばすことにしたはいいが、暴力団員に見放されてしまった今となってはもうあてがない。
かっとなって犯行に及んだものの、ふと気がついたときには取り返しがつかない状況で、
知恵も出てこなければ頼れる先もない。
また、抑制する者もないからずるずると悪い方へ流れていくばかりである。
「女も殺そう」
その結論にたどりつくまでに時間はかからなかった。

25日深夜、少年たちはZ子さんを連れて三重県の森に車を走らせた。
そこで少年らは交代で死体を埋めるための穴を掘り、Z子さんに「最後になにかして欲しいことはあるか」と訊いた。
「せめて、お兄ちゃんと一緒の穴に埋めて下さい。……最後にお兄ちゃんの顔をみせて」
Yさんの死体から目隠しをはずし、顔を見せてやると、
Z子さんは泣きながらいまだに死体の手首を縛ったままのロープを解いた。
少年たちはZ子さんを穴の近くまで連れていくと、Yさんの殺害方法と同じく、
ロープを首に巻きつけて両側から力まかせに引っぱりあった。
「綱引きだ」「この煙草、吸い終わるまでにやっちゃえよ」
などと笑いながら殺した、というのは事件発覚当時、かなり有名になった話である。
0225名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 17:44:13
27日、目撃情報などから主犯が逮捕され、そのまま芋づる式に6人全員が捕まった。
死体は自供どおり三重県山中から発見された。

一審でAは「未成年だから死刑になるはずない」とうそぶいていたが、
裁判長は「一片の情状酌量の余地もない」として求刑どおりの死刑を言い渡した。
Bは無期懲役となり、高志被告は懲役17年。
C以下3人はそれぞれ5年から10年の判決となり、AとBのみが控訴。
その後、名古屋高裁は一審判決を破棄し、Aを無期懲役、Bを懲役13年とした。
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