結局、ここに書き込む人の大半は、鏡明の説を刷りこまれているわけだが、
その鏡明の説は、ディ・キャンプの説への違和感や反発から出てきたもので、
世界でもかなり特殊な説なわけだ。
それが日本では通説になったのが、不幸のはじまりかもしれん。

ちなみに、鏡明だって最初はディ・キャンプ説の受け売りをしていた。
その証拠に「ミステリ・マガジン」1969年11月号「冒険作家ハワード特集」
の解説より引用する。これはヒロイック・ファンタジーについて日本で書かれた
最初期のもののひとつだ。

十九世紀後半になって、「ユートピアだより」のウィリアム・モリスが、
これらの超自然的なものと騎士たちの剣の融合を計った。このモリスが、
ヒロイック・ファンタジーの鼻祖かもしれない。

(ダンセイニについて)
ヒロイック・ファンタジーの原型とも思えるものも、この人の作品中には幾つか
含まれていて、たとえば「サクノス以外では打ち破ることのできない城の話」
などという十数ページほどの短篇をとってみても、ヒロイック・ファンタジーの
主な要素――英雄、魔術師、怪獣、超自然的な存在といったものが、
巧みにちりばめられている。

一九五〇年代になって、英国の歴史学者J・R・R・トールキンの「指輪の王」
The Lord of Rings 三部作が世に出た。この作品は非常に高く評価されていて、
単なる娯楽小説の域を脱しているらしい。このような名作と呼ばれている作品が
出たにもかかわらず、一九五〇年代には他に見るべきものは現われなかった。

 この時点ではモリスもトールキンも読んでいなかったことがわかる。
つまり、鏡明の頭のなかには原型コナン、その裏返しのエルリックという図式が
最初からできていて、ヒロイック・ファンタジーはその両者にはさまれる形で存在する
としたわけだ。
この考えかたの妥当性が問われなければならんといかんね。