一次史料重視はわかるんだが、
普遍の物理法則や社会法則に則った瑕疵無き論理を積み上げて可能性や蓋然性を論じることまで排斥するのは学問の自殺行為だぞ。
考察や推定を否定したら史学は単なる文献の逐語解釈に堕する。
そういう「重箱の隅突き」が大好きな向きも戦国時代板には多いが…。

本郷和人氏のブログだったか、
史料重視が行き過ぎて構造やダイナミズムを論じるのが憚られるような近年の史学界の風潮を嘆いていた。

武田の話からは外れるが、
伊勢宗瑞の伊豆戦争は史料が殆ど無い状態から考古学/材料学/地質学/地震学等の連携で全貌が明らかになってきた。
そんな例もある。
一次史料と雖も材料の一つに過ぎないぐらいに考えといた方が良い。
長篠についても何故綜合的な数理解析が行われないのか不思議でならない。