馬場信春の迎撃論は前提として
1.設楽が原は織田徳川が先に戦場に着き、陣城を構えているから(孫子の時代から戦場に後から到着するのは不利であるのが常識)
2.設楽が原に進出せず川を前にして戦えば武田にも地の利がある。少なくとも設楽が原に行くよりはずっと良い。
それは信長書状にも信長公記にも書いてある。
3.設楽が原は長篠城方面まで道が狭く、武田から見て負けた場合は退路が心許ない背水の陣である。故に史実で甚大な被害が出た。

馬場の話はあまりにも未来予知すぎるから真実かどうかはわからないが、設楽が原に進出するのは危険であることは常識的だよ。
情報が乏しいなら尚更。