天正六年、武田家は信濃戦線と駿河戦線の二つの戦線を抱えていた。だから実は、武田にとって上杉と同盟するのは大いに利点があるが北条と同盟する利点は薄いんだ。
特にこの時、織田とは和睦交渉が進んでいた。だから武田としてはまず上杉と和睦同盟して信濃方面の圧力を下げついで織田と和睦して信濃戦線を決着させる(これで懸念だった木曽の負担を減らせる)
織田と和睦すればかなりの確率で徳川とも和睦できる。仮に北条が敵対していても駿河戦線に注力すればいい。
これが滅亡までの武田の外交戦略だった。
だから御館の乱で景勝と景虎を和睦させたのは戦略的には当然のこと。

まぁ信長に武田を許すつもりが無かった事が誤算かな