>>45
逆に言うと、当時の畿内において、親信長派と明確に言えそうなのってその二人くらいじゃ。
後は筒井とかかな。
三好一党、石山本願寺、足利、が連動すれば、畿内で織田主力が動かない限り、防げる勢力はいないんじゃないかな。

>>43
>>64にも似たような事書いたけど、その理屈で言えば、信長の場合は、本能寺で家臣に倒されてるから、完全に人災じゃ、って話になると思う。
しかも、その理屈で言うと、毛利元就とか、尼子経久とか、52歳の時にはとても大勢力とは言えないと思う。

>>42
そんな事はないと思う。あの当時の状況で、信玄が生きていて、西上をしていた場合、
東は武田が3万近くの軍勢で、北は朝倉浅井で2万数千、南は伊勢長島と北伊勢豪族衆(2万数千くらいかな?)
西は足利、三好一党、石山本願寺、が連動したら2万くらいの軍勢は集められそう、
これらに同時に対処するには、織田の軍勢が当時はとても足りないと思うから、
少なくとも織田は畿内の政権の維持が厳しいと思う。

>>40
信繁が生きていたって、当時の状況で、徳川が上杉と同盟して反武田の行動をして、武田が織田に抗議をしても、
織田がその動きを抑えない(少なくとも武田にはそう見える)という状況では、
そのままだと織田の都合のいい時に織田徳川上杉に包囲されそう、という可能性は変わらないので、
信繁も信玄に賛同してたんじゃ。
義信事件の時も、義信が信玄に謀反しようとしてる状況なのに、信繁がどうやって未然に防ぐの、と思うけど。