武田勝頼part39
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2021/10/24(日) 22:31:29.85ID:pwt/eXEb前→ https://itest.5ch.net/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1634325091
なお荒らしと思わしき書き込みはスルーでお願いします。
0488人間七七四年
2021/11/10(水) 10:35:52.19ID:Q7Pixv5R軍鑑の記述だと織田徳川の佐久間、滝川、徳川計1万5千に相対したのが馬場、内藤、山縣計5千2百
その他の参戦武将、例えば羽柴、丹羽、原田、柴田、信豊、小山田、信綱、小幡は除いた数字である
武田が織田徳川の1万5千とだけ戦って兵力が互角だったなんて酷い国語能力披露してんのはアンタだけだろう
だいたい軍鑑はただでさえ兵力差があるのに更に柵に引きこもられたから負けたと書いてるのに
0489人間七七四年
2021/11/10(水) 10:40:39.61ID:7axgETLG左翼馬場が700、中央内藤が1500、右翼山県が3500
左翼は全員平均して一手千人としても五番手で五千人、合わせて一万人で数字は合う。
つまり左翼は5000対6000
中央が1500対3000
右翼は3500対6000
こうなっていた事になる。
隊が少ない兵数で構成されているが、これは設楽原が大軍を展開できないという理由がある。
つまり敵陣には手薄なところがあるはずだが、それがどこだかは攻めてみないとわからなかった。
その為、隊を細分化して動きやすくしたのだろう
信長公記・三河物語でも武田軍は連携した波状攻撃を仕掛けてきてるがこれが理由だろう。
0490人間七七四年
2021/11/10(水) 10:55:36.05ID:Q7Pixv5Rどこにもそんなこと書いてないのに
その3人大活躍だねww
0491人間七七四年
2021/11/10(水) 11:10:57.85ID:7axgETLG読んでみれば当然、他にも兵はいるのだ。
例えば真田兄弟も兵を率いている(真田衆と書いてある)、土屋が兵を率いて居なかったら土屋は柵に単騎突撃した事になる。「武田家ばんざァい!」とでも叫んだのか?そんな面白い自殺行為をする様な男がいるだろうか?
品五十二でも原隼人衆、跡部衆、小山田衆、小幡衆、望月衆と多くの連中が戦っているので兵力は当然、明記されている数を上回る。
つまり正面兵力だけを見れば織田徳川一万五千と武田一万二千でそこまで差がある訳では無い。
そして柵を倒しての突入も成功、白兵戦になった筈だ。ならば織田徳川軍にもそれなりの死者は出てる筈だろう。しかし、武田軍のみが死者を出してその陣は「無人の如く」成り果てた。
野戦で鳴らした武田軍が何故ここまでの惨敗をしたのか、というところから話は始まるんだけどね
0492人間七七四年
2021/11/10(水) 11:16:51.03ID:PoUa1eg1もろ反応してるんだが!?
0493人間七七四年
2021/11/10(水) 11:20:50.03ID:7axgETLGおっかないことに、史料上はこの3隊で武田軍を殲滅してる(信長公記・三河物語・甲陽軍鑑)
徳川家史料の三河物語では徳川隊が如何にして武田を撃ち破ったかを書いているけど、
織田家は冷淡に「鉄砲で皆殺しにしました」としか書いて居ない。一応の陣としては滝川・羽柴・丹羽が布陣、先陣は先例に習い徳川家康と書いてはあるけど。
つまり信長は僅かな鉄砲隊で武田軍を皆殺しにしたと言う事になる。残りの兵は万が一の備えだったが使う機会も無かったということか。
0494人間七七四年
2021/11/10(水) 13:09:07.68ID:bmbfhU7n0495人間七七四年
2021/11/10(水) 13:09:39.05ID:Q7Pixv5R>>>490
>おっかないことに、史料上はこの3隊で武田軍を殲滅してる(信長公記・三河物語・甲陽軍鑑
そんなことどこにも書いてないよ
0496人間七七四年
2021/11/10(水) 13:29:23.62ID:bz1r+xoY0497人間七七四年
2021/11/10(水) 13:51:44.13ID:9rjicOq+0498人間七七四年
2021/11/10(水) 14:32:06.61ID:iyAxxOT2追放されたのではなく自ら去った
討死覚悟で手柄を挙げろ!
って言われてじゃあ辞めますってそれでも武士か
0499人間七七四年
2021/11/10(水) 15:01:40.12ID:7axgETLG甲陽軍鑑では佐久間・滝川・徳川
佐久間は三河方面担当だから居てもおかしくはない。
そして実は、出てくるのはこのメンバーだけで戦争によくある武勇伝も無く「多数故敵わず」「武田は無人の如くなり」で武田軍壊滅の知らせのみ残る。
一応、後世の伝記だと中々華々しいお話もでてくるんだけどね。
0500人間七七四年
2021/11/10(水) 16:05:41.39ID:8hGoe0hL0501人間七七四年
2021/11/10(水) 16:48:22.18ID:odq4suIGあと大雨の中武田本隊を険しい地形のところを渡河させた武田も凄いと思う。
0502人間七七四年
2021/11/10(水) 18:15:13.00ID:7axgETLGとはいえ、大雨だったかどうかまではわからない
信長は到着するや否や馬防柵の設置を含めた防御陣地構築を行ってるけど、雨の降る中馬防柵や堀を設置したとしたら織田の工兵隊は相当優秀だったことになる。
0503人間七七四年
2021/11/10(水) 18:44:28.69ID:HqzuDF8C0504人間七七四年
2021/11/10(水) 21:06:58.82ID:p6utm2Pu三河物語と軍鑑だと徳川勢が柵から出て武田勢と戦ってた事が書いてあると思うけど。
柵の外に出た徳川勢と武田勢がかなり戦ってた事は、軍鑑でも三河物語でも共通してると思うよ。
信長公記だと、鉄砲だけで戦ったように思えてしまうけど、徳川が柵から出て戦ってた事は信長公記には書いてないので、信長公記の描写は、あくまでも織田勢の事をクローズアップして、多少の誇張をしてるだけなんじゃないかと思うけど。
信長公記でも、織田徳川勢の先陣を徳川勢が務めたように書いてるように思うので、軍鑑や三河物語の描写では、長篠の戦においての最激戦地に思える南側を担当した徳川勢が、織田徳川勢の先陣、という認識は、織田勢だって持ってたんじゃないかと思うよ。
上記のように、武田側の軍鑑と、徳川側の三河物語で、徳川勢が柵から出て、
武田勢とかなり戦ってた事は、共通してるように思う。
なので、織田勢は徳川勢に、軍勢の動かしやすいように思える最激戦地の南側を担当させ、実際にそこに武田勢の山県勢を始めとした有力な部隊が攻めかかったようなので、それを徳川勢が柵から出て迎撃し、織田勢は柵の中に引きこもって武田勢を迎撃しつつ、鉄砲衆で狙撃をしていった、っていうだけなんじゃないかと思うけど。
0505人間七七四年
2021/11/10(水) 21:21:24.23ID:p6utm2Pu信長公記の佐久間追放の時の流れを読むと、佐久間折檻状を渡された時点で、
佐久間は領土没収されて、領土じゃない遠い国に退去させられてるように思うけど、
これでどうやってどっかの敵勢力を倒せと、って思うけど。
実質的に佐久間には高野山に行くしか選択肢がない状況に思えるけど、それでそのように書くのはどうかな。
>>497
そんな事、資料的には書いてないように思うけど。
0506人間七七四年
2021/11/10(水) 21:25:03.10ID:kutspgND0507人間七七四年
2021/11/10(水) 21:36:54.94ID:p6utm2Pu三河物語では、徳川勢が武田勢を柵の外において迎撃して戦ってた事が書いてあると思うけど。
三河物語では、織田徳川勢の総合的な軍勢数を10万ほど、みたいに書いてるように思うし、
織田勢で戦った部隊について、特に限定はされてないように思うので、
三河物語では織田勢が君の言う部隊だけ、なんて事はないと思うけど。
軍鑑でも、君が書いている部隊は、あくまでも合戦の初めに柵の外にいた部隊であって、
それらが柵の内に追い込まれた後でも、それらの部隊だけしか戦ってない、とは書いていないように思うけど。
常識的に考えたら、織田勢の陣地には、もともと織田勢の軍勢がいて、柵の外で武田勢に敗北して逃げてきた部隊を収容して
武田を迎撃したように思うけど。
>>504に書いたような感じで、最激戦地の南側を徳川が先陣として担当して、
武田軍の精鋭と激戦をして、そこを織田の鉄砲衆が援護射撃とかしてったんじゃないかと思うけど。
織田勢の担当部署も、それぞれの織田勢が守りつつ、鉄砲衆が援護射撃をしてったんじゃないかな、と思うけど。
0508人間七七四年
2021/11/10(水) 21:42:07.92ID:toyNciIW汚物注意
0509人間七七四年
2021/11/10(水) 21:42:31.29ID:p6utm2Puまた変な事書いてレッテル貼りしようとしてるように思うけどさあ、
君こと菅沼認定厨さんは、>>125に書かれてるように、勝頼スレ37で菅沼認定厨さんがIDコロコロや複数回線を使って多数を装って、
一日張り付いている可能性が高い事は指摘されてたと思うけど、そうやって、IDコロコロや複数回線で多数を装いながら、そのように書いたってしょうがなくないかな。
相手がいなくなった後で、>>481みたいな不可解な菅沼認定をするくらいなら、
>>101にあるような菅沼認定の矛盾とかに、早く答えて欲しいので、答えてね。
0510人間七七四年
2021/11/10(水) 21:48:37.30ID:p6utm2Pu菅沼認定厨さん、>>125に書かれてるように、勝頼スレ37で菅沼認定厨さんがIDコロコロや複数回線を使って多数を装って、
一日張り付いている可能性が高い事は指摘されてたと思うけど、またID変えたの。
本当に頻繁にID変わるんだね。一々ID変える必要あるのかな。
そうやってレッテル貼りに躍起になっているよりは、聞かれている事に答えて欲しいと思うので、
>>509とかをはじめとして、君が聞かれている事に早く答えて欲しいかな。
結局、そうやって>>509とかをはじめとして、君が聞かれている事に答えられない時点で、君のレッテル貼りとか菅沼認定とかは、
君が君に都合のよくない事を書く人を、誰でも彼でも認定してるように思えてしまうと思うけど、
その事について、答えて欲しいかな。
0511人間七七四年
2021/11/10(水) 21:55:02.72ID:7axgETLG勘違いしちゃいけないのは当時の銃器に「狙撃」「援護射撃」という概念は存在しないということ
まず狙撃だけど、確かに鍛えに鍛え抜けば狙った所に当てる事くらいは出来る。ただ,織田信長が自分の鉄砲隊全員をそこまで鍛えてたかは不明。
確かに信長は諸手抜き鉄砲隊、つまり知り合いから選抜させた鉄砲隊を編成してるので練度が高かったろう。しかしそれでも走りよってくる、しかも盾を背負った敵兵をヘッドショットしたとは思えない(もしそれが出来たなら信長は世界初のスナイパー部隊を編成した事になるんじゃないか)
次に援護射撃だけど、当時の鉄砲は精度が悪い上に有効射程も長くて100メートルしかない。
つまり最前線でしか撃てない。前に味方がいると言う事は味方が有効射程に入ってる事以外意味しない。
有りえるとしたら高所に射撃場を作りそこから射撃を加える…とかだろうが、その様な話は残ってない。
しかも当時の弾は文字通り弾「丸」。貫通するかは当たり処次第。つまり味方ごと敵兵を貫くという督戦隊戦法も使い難い。
現代のライフル銃のイメージを持ってると理解が難しいだろうけどね。
0513人間七七四年
2021/11/10(水) 21:59:26.38ID:p6utm2Puまた変な事書いてるように思うけどさあ、
>>125に書かれてるように、勝頼スレ37で菅沼認定厨さんがIDコロコロや複数回線を使って多数を装って、一日張り付いている可能性が高い事は指摘されてたと思うけど、
それで君が菅沼認定をしてもしょうがなくないかな。
僕は>>478をはじめとして、菅沼と言う名前じゃないと何度も言ってるし、
>>101にも似たような事が書かれてるように、君はこれまでに勝頼スレ37の前後からカウントしても、
僕以外の特徴の違う複数の人々を菅沼認定してきて、その矛盾についてまったく答えられてないだろうに。
この状況で菅沼認定をするなら、上記のような矛盾とかに答える事から始めて欲しいかな。
君がそれを出来ない時点で、君自身にも君がしている菅沼認定の矛盾は答えられなくて、
ただ君が都合がよくないと思った人を誰でも彼でもそう認定してるだけ、としか思えないと思うけど。
君はそんな事を書いてるけど、僕が君の菅沼認定に反論をしないなら、そのまま菅沼認定をしまくって、
反論しないから認めた、という扱いにしようとするだけだと思うし、
反論したならしたで、そのように書いてて、君は結局何でもいいから相手を菅沼認定したいだけにしか思えないので、
上記に書かれてるような、君の菅沼認定の矛盾について、答える事から始めて欲しいかな。
0514人間七七四年
2021/11/10(水) 22:06:32.73ID:7axgETLGその史料が無いのよ。織田・徳川・武田ともに。
特に信長は自軍の数を少なく見せるように苦心してるので丘の上に配置はしたくなかったはず。しかも味方が白兵戦になると遊兵になるしね。
でも実は、「武田軍に観測され難い場所なら布陣して居てもおかしくない」って話はある。「設楽原合戦の真実」の名和某さんとか。
信長公記には「身隠しの胸壁」から射撃を加えたって話もある。また武田軍は陣地を一つはとっはしてる。だから、信長は敢えて第一陣を突破させて殺戮場の第二陣に敵を誘導。上・左右・正面から鉄砲を雨霰と撃ちかけて皆殺しにしたって話。
史料上根拠は少ないが、それなら鉄砲だけで武田軍を皆殺しには出来る。
0516人間七七四年
2021/11/10(水) 22:34:14.96ID:p6utm2Puそんな事書いてるけど、その文章には僕が書いている援護射撃とか狙撃とかを、
思いっきり意識してるとしか思えない文面が書いてあると思うけど。
君は結局、君が答えるのが厳しそうに思う相手をレッテル貼りして、答えないようにして、
でも自身の論旨を否定されたくないから、自身の書きたい事だけ書いてるように思えてしまうけど。
そんな事をするくらいなら、普通に反論書いた方がいいんじゃないかな。
また変な事を書いているように思うけど、
別にヘッドショットする必要なんかないでしょ。
武田勢が竹束とかを抱えてやってきたって、陣地前に来た時には盾を捨てて攻撃してるだろうし、
徳川勢なんか柵の外に出て武田勢に野戦を挑んでるようだから、なおさら盾とか置いて戦ってるだろうし、
そういった武田勢を鉄砲で狙撃や援護射撃するのなんて、特に難しくもない、普通の事だと思うけど。
誰もライフル銃のイメージなんかしてないし、上記のようにただ普通に戦ってる武田の軍勢を、火縄銃で倒す、なんて、ありふれた使い方だと思うけど。
信長は長篠では、信長公記を読むなら、地形がくぼんでる所に各軍勢をいくつもの段に分けて配置してるようなので、
鉄砲衆が武田勢より高い所に配置されていた可能性もあると思うけど。
0517人間七七四年
2021/11/10(水) 22:48:49.29ID:p6utm2Pu横からだけど、>>504にも似たような事を書いたけど、
信長公記では、軍鑑や三河物語で描写されている、徳川勢が柵から出て戦ってた事は書いてないように思うので、
この時点で鉄砲だけ、って事はないでしょ。
さらには、信長公記を基にしてさえ、>>435 >>439にも書いたように、その武田勢の倒された一万って、
設楽が原の陣地での戦いで織田徳川勢に倒された数+織田徳川の追撃で倒された数+山に逃げて飢え死にした数+川に入って溺れた数、
の合計じゃないかと思うけど。
これで鉄砲だけで全て倒したかのように言うのはどうかと思うよ。
設楽原での戦いの損害でさえ、実際には上記のように軍鑑や三河物語で徳川勢が柵から出て戦ってる事、
軍鑑では鉄砲がそんなに描写されてない事、などを考慮すれば、鉄砲の損害っていうのは、
全体のどれほどの割合なのか、っていう感じに思うけど。
そもそも、君は信長公記を基にしてるようだけど、信長公記では第一の柵が破られた事なんて書いてないだろうに。
そもそも、信長公記では、3万の織田勢は>>516にも似たような事を書いたけど、
地形がくぼんでる所に、いくつもの段に分けて配置されてるようなので、見えやすい所に鉄砲衆を置いて、
他の軍勢を見えにくいように配置した事は十分に考えられるんじゃないかな。
0519人間七七四年
2021/11/10(水) 22:57:42.82ID:p6utm2Pu>>478をはじめとして、何度も書いてきたように、僕は菅沼なんて言う名前じゃないよ。
>>513にも似たような事を書いたけど、菅沼認定厨の人は、勝頼スレ37の前後からカウントしても、
僕とは特徴の違う複数の人々を菅沼認定してて、その矛盾についてまったく答えられてないんだから、
ただ単に菅沼認定厨の人が、菅沼認定厨の人にとって都合のよくない論旨や主張を書く人を、
誰でも彼でも菅沼認定してるとしか思えないと思うけど。
0520人間七七四年
2021/11/10(水) 23:08:43.49ID:7axgETLG想像があってるかわからないけど、要塞のトーチカのイメージであってるかな?
確かにそれは有りえるとは思う。ただ、史料的裏付けは全く無いけど有り得ない訳じゃない。
とはいえ、それで一筆書くなら弾道学的な計算も少し考えておいた方が良いかな(三平方の定理があるから高ければ高い程斜辺が長くなってしまうし、それと重力やらなんやらを計算して理想的な射撃位置を考えると面白い)
でも重要な事は高所に布陣しても鉄砲は鉄砲でしかない。つまり下の陣に敵が到達すると射撃は出来ない。味方を誤射してしまうからね。
味方が陣地から後退したら撃てるんだが、その時には自分達も危ない。そこを織田・徳川軍がどう乗り越えたのかは気になるが…
0521人間七七四年
2021/11/10(水) 23:23:45.50ID:p6utm2Puまた変な事を書いてるように思うけど、軍鑑の品第十四で言うなら、織田徳川勢を武田側は手堅く見積もっても7万ほどはいるように思ってたように思うけど。
しかも、軍鑑で言うなら、武田勢は織田勢や徳川勢に緒戦で勝利してるようだし、その後もよく戦ってるようだし、
軍鑑でも三河物語でも徳川勢は柵から出て武田勢とよく戦ってるようなので、それなりの損害は出てるはずだけど、
なんでここら辺スルーなのかな。
単に軍勢数でも織田徳川の方が圧倒的に上で、しかも織田徳川が陣地を作って守ってたなら、
それに攻めかかった圧倒的少数の武田勢が敗北するのなんて普通じゃ。
これで織田徳川が敗北したら、逆にどんだけ織田徳川勢は弱いの、って話になるんじゃ。
>>489 >>487
武田勢の織田徳川勢の軍勢数の認識は、上記に書いたように7万くらいはいると思ってたように思うけど。
>>507にも似たような事を書いたけど、君が書いている織田の軍勢数はあくまでも最初に柵の外にいた軍勢であって、
柵の内にいた軍勢の合計じゃないと思うよ。それらが緒戦で武田勢に敗北した事で、柵の内に撤退して、
もともと柵の内にいた軍勢と合流して迎撃した、という話だと思うけど。
0522人間七七四年
2021/11/10(水) 23:40:17.64ID:p6utm2Pu単に、下の陣まで敵が到達したなら、それまでの鉄砲衆や弓衆の攻撃で損害を受け、
疲弊した武田勢に対して、陣地で守ってる大軍の織田勢や徳川勢が迎撃して倒すだけの話じゃ。
陣地近くまで接近してくるまでは、鉄砲衆や弓衆が攻撃して、武田勢に損害を与え、疲弊させ、
陣地近くまで接近してきたなら、数の多い織田徳川勢が普通に迎撃して倒すだけの話じゃないの。
三河物語だと、徳川勢は武田勢が攻めてきたら後退して、武田勢が後退したら攻めて、というのを繰り返してたように思うし、
徳川勢が後退して、武田勢が攻めてくる時には鉄砲衆の援護射撃が有効だったろうし、それでも武田勢が接近してきたら、迎撃して、
撃退された武田勢が後退したら、それを徳川勢が攻めかかって、武田勢がまた体勢を立て直して攻めてきたら、徳川勢が後退して、
みたいな感じもあったんじゃないかと思うけど。
0523人間七七四年
2021/11/10(水) 23:49:44.34ID:p6utm2Pu>>521にも似たような事を書いたように、軍鑑の品第十四で言うなら、武田勢は織田徳川の軍勢を7万くらいはいると思ってたように思うし、
同じく品第十四で言うなら、軍勢数の差に加えて、織田徳川の野戦陣地に注目してると思うけど。
武田側としては、軍勢数の圧倒的な差と、織田徳川が野戦陣地を作って守っていた事、の二つを敗北の理由として十分理解してるように思うけど。
>>455に書いたような感じで、武田勢が織田徳川の陣地に攻めかかって撃退されても、その撃退された軍勢は全滅したわけじゃないと思うので、
後退して戻ってきた軍勢や武将は結構いたと思うよ。だから、織田徳川勢の陣地の様子はその後ろにいる武田勢の部隊に伝わってたと思うけど。
0524人間七七四年
2021/11/10(水) 23:52:41.54ID:p6utm2Pu素直に、馬場美濃がよく戦ったっていうだけの話じゃないかな。
その理屈なら、もっと多くの武田の武将を同じように褒めていいでしょ。
0525人間七七四年
2021/11/11(木) 00:13:15.67ID:Q+T0wpS20526人間七七四年
2021/11/11(木) 00:24:34.21ID:QGkFfg/6それをどう使ったか、本当にそれで決着がついたのか、という論点はハッキリ云ってどうでもいい。
もっと踏み込むならどっちが勝ったか負けたかも大した問題じゃない。
結果がどうあれ織田方の然るべき担当者がこの戦を空前の規模の鉄砲運用事業として計画・準備したことは明白。
鉄砲が國産であれ舶来であれ非常に裾野の広い事業だから、その大量調達が広範な関連産業分野に大きな革新を促したことは疑いを容れない。
そのインパクトこそが長篠合戦の歴史的意義だろう。
0527人間七七四年
2021/11/11(木) 01:38:17.89ID:49TayAxY10間なら、双方有効射程距離「守備側の攻撃有効にしたい場合」で18間だと無効って
あるんだよ「鎧来てる場合やね」。
で火縄銃の場合、鎧来てたら精々30間だね有効射程距離。
だけど、ライフリングして無い火縄銃だとこの距離で平気で一メートルとかぶれそうだし。
弾幕張らないと、有効射程距離でも当たらないよね。
つまり、この辺の認識の差かと思うんだな。
当時の火縄銃に付いては「人間みたいな小さな的に当たる物か」とか「当たらなければどうという事は」と
言うシャーの言い分が正しいんだよね
只、多数の鉄砲で弾幕張れば飛躍的に命中率が。
0528人間七七四年
2021/11/11(木) 07:02:55.12ID:mp7iQVp30529人間七七四年
2021/11/11(木) 08:27:28.06ID:vSqRDtqEだから第一陣を突破した時点で武田は勝機を確信したはず。甲陽軍鑑にもそれっぽい記述がある。
ところが信長は、第一柵はオトリにして柵内に敢えて呼び込み、そこを第二柵から射撃するという策を採っていた。数で勝る方が取る作戦じゃ無い
だから武田軍は無駄な犠牲を出し続けてしまった
もし第一柵から射撃を加えられていたら、設楽原から有海原の間に死体が山と築かれただろう。
ならばもっと早く武田司令官は不利を悟れたはずだ。それが出来ず剰え指揮官クラスまで死者を出したのは、戦況がわからなかったからだろう。
0530人間七七四年
2021/11/11(木) 08:43:29.25ID:mp7iQVp3武田は鳶ノ巣山に3000残して1万2000
徳川軍は8000
織田軍は3000から4000とでも考えていたのかな?
三方ヶ原が3000だったから
0531人間七七四年
2021/11/11(木) 09:32:27.67ID:vSqRDtqEこれは関西で三善康長が降伏して織田軍が全力を出せる様になった事からの推測だと思われる(約一万人を本願寺の抑えにして他の軍勢を全て連れてきたという推測)
現実で見ると設楽原は狭いから大軍が展開出来ない、仮に展開したら遠目に見ても判る(何しろ幅3キロしかないのだ)
また、急所の鳶ヶ巣山は徳川のテリトリーである別所街道が通る。ここは今でこそ廃れたけど昔は結構整備されていたらしく武田軍もここを警戒してる。
だから最悪徳川一万・織田二万として、武田軍が前進すれば別所街道攻撃隊が5000-10000人となるのではないか?なら最大でも二万人、しかも縦長の布陣になる公算大…
とでも考えていたんだろう。勿論、武田には信長の殺意が見えてない。だからこの甘々の予想が更に甘く推定して織田徳川一万なんて見ててもおかしくは無い。
0532人間七七四年
2021/11/11(木) 09:37:34.53ID:mp7iQVp3武田の武将や物見の目は節穴なのかな
どんなに信長が優秀で緻密でも、数万も誤認するなんて
あるいは、織田兵なんか弱っちいと舐めていた?
0533人間七七四年
2021/11/11(木) 09:56:49.99ID:vSqRDtqE武田が長篠城包囲した時点で徳川は長篠を封鎖していたと思われる。長篠は陸の孤島なので怪しい奴はすぐわかる。街道を使わないとなると急流(しかも梅雨で増水)の川を逆上するか登山をしないといかん。
残る兵数観測は軍勢の出す砂埃で経験則から割り出す、って方法だろうけど時は梅雨。
路面は最低でも濡れていたろうし下手すると雨も降っていたかもしれない。
観測の機会が無かった以上、設楽原の形状と有海原からの観測で推測するしかない。
織田は三方ヶ原でも二千、高天神では来ても居ないから武田が軽視した可能性は確かにある。
…でも三方ヶ原は信長包囲網が、高天神は勝頼の特攻隊の影響があったからで(しかも実際には助けに来てる)、それで織田の兵力を低く見たなら少し甘い気もするが…
0534人間七七四年
2021/11/11(木) 11:28:26.81ID:ZO9ZWD7P0535人間七七四年
2021/11/11(木) 11:34:41.59ID:ZO9ZWD7Pこれが何を意味するかというと信長公記だと徳川・滝川の前には「馬防のため」柵を立てたとされてる。しかし柵自体はおそらく設楽原全線に張られてる。つまり徳川・滝川の陣だけは特に厳重な柵を立てたと言う事だろう。おそらく、道が広く騎馬隊が容易に攻撃可能な場所だった。
だから武田軍は裏をかいて、守りの薄そうな佐久間陣を集中攻撃したんじゃなかろうか。
ところが信長の構築陣が凄まじかった事、徳川隊に山県が討ち取られた事で戦況が一気に悪化してしまった。
0536人間七七四年
2021/11/11(木) 12:22:19.01ID:WC/znZn7山県が討死した時刻は武田が撤退開始したあたりの午後2時前後
山県は徳川の最右翼の柵がない所を回り込んで柵から出た徳川軍と激戦になった
設楽が原の連子川付近は水田が多く、南北全線に渡って柵は立てられない
織田徳川の陣地は台地でそれ自体が連子川を見下ろす立地にありその台地に沿って柵や逆茂木を立てた可能性が高い
陣城を攻めるときは竹束を立てたり、匍匐前進して熊手のようなもので柵を引き倒す(屏風絵等で確認できる)
陣城や柵自体は全国どこでも見られる
0537人間七七四年
2021/11/11(木) 12:25:22.87ID:WC/znZn7朝からその時間までは飛び道具で打ち合いや小競り合い
鳶ノ巣山が落ちてからは本格的に攻撃開始
0538人間七七四年
2021/11/11(木) 12:45:44.05ID:Cs1XdC0q五月二十一日、今の六月だと3時には明るくなって8時には完全に明るかったはず。
そんな中四千五百という大人数の接近に気付けないってのは武田兵は何見てたん?って話になる。
しかも鳶ヶ巣山砦が攻撃される可能性は非常に高い。別所街道が徳川支配だからね。故に医王寺山に陣を張ってたわけで。
武田本隊が動けば、敵は絶対鳶ヶ巣山を攻撃してくる。なればこそ三千人も割り振ってた訳で。
砦という防衛施設もあるのに、鎧袖一触に粉砕されて全滅してる。朝の8時にそんな無様を晒す程武田軍が落ちぶれていたとは思いたく無いんだが…
0539人間七七四年
2021/11/11(木) 12:48:34.56ID:UmRDvxLbあと徳川側の史料だとすぐ落とされたわけではなく、それなりに一進一退の攻防はあったと書いてある
0540人間七七四年
2021/11/11(木) 13:00:20.12ID:Cs1XdC0qこいつらは襲撃があったら即座に対応せんといかん。
三河物語だと鳶ヶ巣山砦を攻撃→即時陥落、荷駄を強奪し長篠城を救援→同時に掃討戦を開始、長篠城周辺の武田兵は壊滅し全滅する
みたいな流れだった気がするけど、どのみち朝8時だと完全に明るかったはず。しかも襲撃部隊は鉄砲を使ってるから鳶ヶ巣山だけ雨、なんて事も無かったろう。
0541人間七七四年
2021/11/11(木) 13:30:50.57ID:We84x4Qt0542人間七七四年
2021/11/11(木) 13:52:29.40ID:mp7iQVp3織田徳川は、兵を失っても再起はできそう
0543人間七七四年
2021/11/11(木) 14:24:54.51ID:tzaKdEEP日の出から設楽原本戦が始まってたからむしろ本戦より先に鳶ノ巣山襲撃はしないだろう
設楽原本戦で武田本隊を釘付けにしないと鳶ノ巣山に援軍送られちゃうし
0544人間七七四年
2021/11/11(木) 15:03:16.08ID:ot1qlb1b武田軍がそれをする可能性は限り無く低いと思う
二十日設楽原の近く、有海原に布陣してた訳で鳶ヶ巣山砦を救援する為にはまた長篠城に向かって戻らないといけない。そんな事をするのは自殺行為になる。織田徳川軍が追撃戦をしてくればもう助からないからね。
もしマジで備えておくなら豊川に橋を架けておくべきだったのかもしれないけど…
0545人間七七四年
2021/11/11(木) 15:39:41.93ID:PCd/DfzI指揮官狙撃するならともかく、
数削るためなら、この時代じゃ集団形成して突っ込んで来るから、
多少逸れても誰かしらに当たる可能性はそれなりにあるだろ。
0546人間七七四年
2021/11/11(木) 15:54:30.65ID:vSqRDtqE有効射程が100メートル、ってことはウスノロでも20秒くらいで走ってくる。
火縄銃は30-180秒装填に掛かるからこれはもう間に合わない。
しかも弾丸の貫通性能が高くないから一石二鳥とはいかん。つまり鉄砲の数までしか殺せん。
だからこそ、鉄砲陣地は突撃して潰せるのよ。
0547人間七七四年
2021/11/11(木) 16:14:59.07ID:mp7iQVp3織田軍みたいに鉄砲に関する訓練や経験を積んでいても、装填にそれだけ時間はかかるのでしょうか?
0548人間七七四年
2021/11/11(木) 16:26:11.06ID:qZCAfOTw鉄砲兵は技術が優れてるだけじゃなくてメンタルが強くないとダメなんだと。敵が突っ込んでくる中、冷静に装填して構えて発砲せんといけない。
それで熟達しても30秒は必要。
ちなみに一番怖いのは不発だった時で、これまた冷静に火を遠ざけて水で濡らした布で銃身を覆って…と作法が大変らしい。
0549人間七七四年
2021/11/11(木) 16:35:12.69ID:3QEMq2dt鉛のように硬度・融点の低いほど鉄砲の装填・威力が高く、鉄・銅のように硬度・融点が高くなるほど不適になる
0550人間七七四年
2021/11/11(木) 16:36:20.30ID:iP0fkdJlその100メートルってのは鎧なしなのでは?
鎧が有れば精々50メートルみたいだぞ、貫通するのは。
だけど、ライフリングなしの火縄銃は標準がぶれ捲るんで、一体一で当てるなら更に
近くないと駄目という事で当時の武将が鉄砲舐めるのも当然ですが
そこを解決したのが弾幕戦法。狙うんじゃなくて大勢で機械的に前方に打つ。
欧州だと30年戦争のスウェーデン軍が採用した戦法。
只この方法だと、最低でも1000ぐらいはいるけど
0551人間七七四年
2021/11/11(木) 16:39:41.77ID:iP0fkdJl「やつらは音で敵を倒す気なのか」とかね。
でも弾幕張りは有効なんですよね、狙わないの前提戦法は
0552人間七七四年
2021/11/11(木) 16:45:19.76ID:qZCAfOTwだから設楽原で鉄砲が活躍したんじゃないか。
柵を間断なく立てて、敢えて敵に突破口を作らせる。そうしたら鉄砲隊はその突破口に向かって撃ちまくれば良い。複数人で装填すればかなり短時間で装填出来るみたいだし。
敵は入るにも出るにも突破口、つまり鉄砲の標的を通らないとならないから二度死線を潜る事になる。
敵を狙うんじゃなくて、場所を狙う。
0553人間七七四年
2021/11/11(木) 16:57:45.03ID:JvXEJtFk夜のうちに船着山などを迂回して鳶ノ巣山から見えない所に距離を取って隠れて休息、 夜明けと共に行動するならその時間になるだろう。
0554人間七七四年
2021/11/11(木) 16:59:10.17ID:VyuDyErl0555人間七七四年
2021/11/11(木) 17:03:53.27ID:mp7iQVp3物見はそれを見抜くのが仕事なのでは?
というか、陣馬奉行原昌胤の失態では?
0556人間七七四年
2021/11/11(木) 17:15:03.31ID:VyuDyErl0557人間七七四年
2021/11/11(木) 17:44:31.89ID:UmRDvxLb原さんも反対してるじゃん
0558人間七七四年
2021/11/11(木) 17:45:55.76ID:zolVG8Tm豊川と南北の山は抑えられてるだろうし戦のために巧妙に布陣された敵陣地なら尚更だな
0560人間七七四年
2021/11/11(木) 18:04:56.81ID:VyuDyErlしかも敵布陣がわからんって事は織田が連れてきた大軍がどっかにいるかも知れんってことだし
0561人間七七四年
2021/11/11(木) 18:19:26.33ID:UmRDvxLbそのてんこ盛りの軍鑑の引用してる奴ばっかじゃん
0562人間七七四年
2021/11/11(木) 18:24:36.13ID:VyuDyErl本当に重臣衆が反対してたかはわからん。
だって反対意見が馬場のしか伝わって無いし。
しかも長坂の反論が鋭過ぎる。
0563人間七七四年
2021/11/11(木) 18:31:24.55ID:WrKsgTH2平山でさえ武田が諜報不足と言っている
0564人間七七四年
2021/11/11(木) 18:38:22.87ID:HSvo0mIt当代記も確か重臣反対だったような
0565人間七七四年
2021/11/11(木) 18:44:18.11ID:VyuDyErl他の連中は何で反対したのか。
そんで長坂の鋭い指摘(信長が攻めてきたらどうするのか?)に何故沈黙しちまうのか。
0566人間七七四年
2021/11/11(木) 18:44:33.60ID:VyuDyErl他の連中は何で反対したのか。
そんで長坂の鋭い指摘(信長が攻めてきたらどうするのか?)に何故沈黙しちまうのか。
0567人間七七四年
2021/11/11(木) 18:55:02.82ID:ByQD0iR1重臣達は馬場も含めて皆撤退を進言したんだぞ
それでもどうしても戦うならと、川を盾にして戦った方がマシって馬場に主張させてるのに長坂のどこが鋭い指摘なのか
むしろ出来すぎていて疑われているのに
0569人間七七四年
2021/11/11(木) 19:05:13.03ID:VyuDyErl長坂の「信長程の大将がこのまま退くだろうか?もし押し寄せてきたらどうするのか?」
って指摘に馬場は沈黙してるけどこれは長坂の言う通り。
信長が大軍を連れてきてるなら武田軍を只で帰す筈がない。しかも信長には逃走する敵軍を殲滅した刀根坂の伝説がある。
長篠の戦死者が殆ど追撃戦のものだった説もあるし、設楽原から長篠城まではそれなりの軍勢が通ってこれるのだ(実際武田も行軍してる)
無事に逃走できないなら闘うしかない。
0570人間七七四年
2021/11/11(木) 19:11:54.01ID:7HktqjkS有海村から鳶ノ巣山の間の川は長走りと呼ばれる渡河ポイント
鳶ノ巣山は酒井の奇襲ルート、別所街道、長走りと三方向から攻撃される
長篠城のある医王寺山は川を前にできるが鳶ノ巣山は不可能
むしろ有海村を押さえられると医王寺山と鳶ノ巣山は断崖絶壁の川でそれぞれ分断される
前に出るしかなかったのでは?
0571人間七七四年
2021/11/11(木) 19:14:52.76ID:ByQD0iR1>馬場以外の連中はなんで反対したのか?何故それを記さないのか?
軍議の様子がこんなに記録に残ってることに関しては長篠の戦いは戦国時代随一であるのに無理言うなよ
>長坂の「信長程の大将がこのまま退くだろうか?もし押し寄せてきたらどうするのか?」
>って指摘に馬場は沈黙してるけど
沈黙してねーよ
ちゃんと反論してるだろ
どんだけ読んでないのか
>長篠の戦死者が殆ど追撃戦のものだった説もあるし、設楽原から長篠城まではそれなりの軍勢が通ってこれるのだ(実際武田も行軍してる)
>無事に逃走できないなら
長篠城から設楽が原は一騎しか通れない道が一里半(三河物語)
川も小さい橋一つしかない(だから溺死者が出た)
だから追撃戦で被害が大きく出た
逆にいうと川を渡らなければ撤退は容易だろう
0572人間七七四年
2021/11/11(木) 19:24:38.80ID:d15hKAIq有海村は水田だらけで大軍の行軍や陣には向いてなさそう
有海村の北は武田の渡河ポイントだし
それに有海村だけ抑えても長篠城への渡河ルートはもっと東の鳶ヶ巣山の方からじゃないのか
有海村攻撃は得策じゃない(進撃がままならない?)と判断したから設楽が原に陣構えたんだし
長走りと別所街道は合流するから一つだろ
それもクソ狭い道の
0573人間七七四年
2021/11/11(木) 19:28:56.43ID:HSvo0mIt狭いのは織田徳川も同じじゃ?
0574人間七七四年
2021/11/11(木) 19:31:13.86ID:qZCAfOTwそれがまず有り得ん。
実際やってみれば解るけど、夜間に山道を行くってのは自殺行為に近しい。
しかも無灯火とかもしやり遂げたならとんでもないバケモノを送り込んだ事になる。
出発が夕方で、一時間くらいで襲撃位置についた…とかならわかるが。
唯一有り得るのは、家康がこの展開を読んでいた場合。家康が密かに、長篠周辺を調べさせて鳶ヶ巣山を夜間に安全に移動出来る道を設楽氏に作らせていた…とかなら不可能じゃない。
0575人間七七四年
2021/11/11(木) 19:39:48.58ID:qZCAfOTw甲陽軍鑑には色んなバージョンがあるけど中には
長坂「信長程の大将が簡単に退くと思うか。もし押し攻めてきたらどうするつもりだ」
馬場「…その時には合戦するしかない」
長坂「敵に仕掛けられて合戦するのも此方から仕掛けるのも同じではないか!」
勝頼「長坂の言う通りだ。合戦しよう」
こういうバージョンもある。で、重要なのは長坂の言う事は至極常識的ということ。
信長は幾らかはわからないが大軍を動員した。
何の戦果も得られませんでしたで下がる男じゃない。しかも信長は三万で二万の朝倉軍を粉砕した刀根坂の伝説を持つ。二匹目の泥鰌役を武田に求めてるかもしれない。
長期戦は論外だ。信長の方が体力が上の以上勝ち目は無いからね。
しかも場所も無いときてる。
0576人間七七四年
2021/11/11(木) 19:41:44.27ID:WMnhiR9Uだがそんな事をしたという話は地元でも聞いた事が無い
0577人間七七四年
2021/11/11(木) 19:46:27.09ID:7HktqjkS>有海村の北は武田の渡河ポイントだし
川を越えてくるのか?
>それに有海村だけ抑えても長篠城への渡河ルートはもっと東の鳶ヶ巣山の方からじゃないのか
それ現代に作られた橋だろ
>有海村攻撃は得策じゃない(進撃がままならない?)と判断したから設楽が原に陣構えたんだし
信長は兵を隠すために設楽原に布陣した
>長走りと別所街道は合流するから一つだろ
川を前にするんだろ?川を渡られちゃうじゃない
>それもクソ狭い道の
断崖絶壁の川を越えるのは困難だけど、あのへん酒井が奇襲ルートで四千の部隊で夜に道なき道を行軍してるのに不可能とは?
0578人間七七四年
2021/11/11(木) 19:52:30.82ID:lrP5VLuO軍鑑を引用するにしてもせめて正確に引用しようよ?
そのやりとりは前提として城を無理攻めして落としてその後勝頼を本丸に移して川の前後で戦うという話があり、そこで信長が攻めてきたら迎え討てばいいって当たり前の話
(陣城のある設楽が原へ)進んで戦うのも、(寒狭川を利用して)迎え討つのも同じだと馬鹿なことを言ってるのが長坂
勿論、長坂が無能なのを強調しているからこそ信用できないとも思えるが
0579人間七七四年
2021/11/11(木) 20:00:31.31ID:OSUXWETG有海村を連合軍が取ったら、対岸は長篠城で味方だから、
浅瀬でなくても舟橋かけるなり綱を張るなりして渡河して長篠城入れるようになるんじゃ。
>>574
>実際やってみれば解るけど、夜間に山道を行くってのは自殺行為に近しい。
現代人の感覚で書くなよ。
0580人間七七四年
2021/11/11(木) 20:04:07.85ID:d15hKAIq軍鑑は長期戦のことを書いているが、これは長篠城攻略を前提としていて長篠城さえ落とせば鳶ノ巣山も有海村もあまり重要ではない
0581人間七七四年
2021/11/11(木) 20:04:10.76ID:qZCAfOTw城を落として、っていうがまず長篠城は二週間も攻撃に耐え続けている。それを今更落とせるって馬場よお前は二週間何してたの?教えて?
更に、長篠城主奥平は絶望的戦況にも関わらず徹底抗戦の構えを解かない。理由は単純で奥平の人質を殺してるから。降伏すりゃ、殺される。だから死ぬまで戦い抜く。子供でも読める。
読めるが故に、城は開城しない。おそらくもうダメとなれば奥平は城に火を放って自爆する。つまり落城する。焼け跡にどんな防御能力が?
更に更に、長坂の懸念は信長の殺意。
信長が長篠城が攻撃されてるのを黙って見てる?どうして?当然、数に物を合わせた攻撃がある。
伊奈街道と別所街道、この二つを狙われる。しかも何方か一方を取られただけで武田は絶体絶命だ
つまりその解釈だと、馬場はとんでもない非現実的な夢物語を言ってるのよ。ノーセンス過ぎる。
0582人間七七四年
2021/11/11(木) 20:06:12.91ID:qZCAfOTw人間の性能はそんなに変わってないぞ。
それとも1600年代の人間は超音波でも使えたのか?
田舎の夜道とか歩いてみ?真っ暗だぞ。
しかも山道となると樹木が光を隠すから完全な闇にもなる。どんなプロも夜は登山しない。日の入りまでにキャンプするさ。
0583人間七七四年
2021/11/11(木) 20:09:35.06ID:lrP5VLuO>それを今更落とせるって馬場よお前は二週間何してたの?教えて?
犠牲を覚悟で、って感じでわざわざ書いてある
それに馬場はそもそも撤退を進言している
君さ、間違った引用し続ける姿勢はどうなの?天然?
>読めるが故に、城は開城しない。おそらくもうダメとなれば奥平は城に火を放って自爆する。つまり落城する。焼け跡にどんな防御能力が?
長篠城の防御機能は北は土塁や塀だが、川を挟むなら川が防御機能だからだろう
0584人間七七四年
2021/11/11(木) 20:11:46.74ID:lrP5VLuO菅沼家譜だったか闇夜の行軍だったみたいな記録があったはず
子孫がわざわざその道進んでみたとか
0585人間七七四年
2021/11/11(木) 20:13:30.43ID:7HktqjkS全方位から一斉かかる強攻ならともかく、断崖絶壁の川で囲まれ
長篠城の空堀などがある北面しか攻める所がないのに500丁の鉄砲で代わる代わる撃たれたら設楽原と同じ結果になるだけでは?
0586人間七七四年
2021/11/11(木) 20:20:54.32ID:HSvo0mIt鳶ノ巣山側が3000なんだからほぼ同数としても、それだけの数の移動が察知できないものかな
0587人間七七四年
2021/11/11(木) 20:32:47.88ID:OSUXWETG過去スレでもあったが、それじゃ夜戦大好きな戦前の陸軍とか、
敵に気づかれないようにかがり火消して山越えした毛利軍はどうなる?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています