>>484
お前さん…
武田軍は長篠城への押さえ、鳶ヶ巣山砦防衛用に三千の兵を割いた。残り一万二千。
勝頼は二千か三千の兵を率いてたから残りは約一万人。これが織田徳川一万五千とぶつかった計算になる。
武田軍の陣形は武田史料である甲陽軍鑑品14だと
左翼(佐久間隊と戦闘)/第一手馬場信春、第二手真田兄弟、第三手土屋昌次、第四手穴山信君、第五手一条信竜
中央(滝川隊と戦闘)/内藤昌豊
右翼(徳川隊と戦闘)/山県昌景
と、こうなっている。