これを受けて秀吉の元に出頭しろと言うことになり
7月8日に渋る秀次に正式な使者が立てられる
前田玄以・宮部継潤・中村一氏・堀尾吉晴・山内一豊

彼らは以前秀次付きだった老臣たち(宮部に至っては義父)
彼らが選ばれた理由は
老臣たちに対する踏み絵的な意図があるとか
秀次に彼らも味方ではないという無言の圧力とか
硬化してる秀次を説得するための人選とか
色々言われるけどそのどれもあるんだろう

いずれにしろその説得で秀吉に会いに行った秀次は
門前払いで高野山へ行きそこで切腹となる
妻妾や家臣の捕縛も高野行きとほぼ同時に
始まっていて早い者は秀次より先に切腹してる

切腹の沙汰を伝えた福島正則・池田秀雄・福原長堯
秀吉の甥、信長の代からの近江衆、三成の妹婿
という構成

福原がいるのに三成の意思を感じるという見方もある
福島正則は血縁的に近い秀次の処分に不満だったと
されることが多いが政治的立場としては実はこの頃までは
奉行衆と利害は一致してたという見方もできる