豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう
次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします
前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/
過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0671人間七七四年
2021/10/04(月) 19:50:39.22ID:IvfLC70h0672人間七七四年
2021/10/04(月) 20:48:14.98ID:k7Vnu3TQ確かに大坂の陣時点だとこんなのでも大物の方だろうから
総大将になりたいと希望するのも無理ないが(浪人を総大将にも出来んし)
官位も従四位下・侍従だから地味に高いな、立場違うけど三成より官位上だし
0673人間七七四年
2021/10/04(月) 21:31:29.81ID:J0msf97e> 総大将になりたいと希望するのも無理ないが(浪人を総大将にも出来んし)
いや、総大将って、議論の余地も無く羽柴秀頼さん二十二歳じゃなかったのか。
相手は古稀を過ぎた狸が闘気満々で(実質)総大将をやってるってえのに…。
こりゃあ負けるわけだ。
0674人間七七四年
2021/10/04(月) 21:49:51.85ID:afnK9uZAいや、実戦経験ゼロの若造が血筋だけで総大将なら織田信長の血を引く俺だって…
ってなったんだろうさ。そして配下は牢人衆とかいう地獄。
0676人間七七四年
2021/10/04(月) 22:52:48.96ID:oMkEF168戦国期に初陣で総大将って例はそこそこあったよな、とポツポツ思い出してみると、
実は北條氏康にせよ長尾景虎にせよ「その戦で実働した軍団の総大将」ではあっても一国のそれではなかった(景虎は虚構説もあり)。
正真正銘の初陣総大将は今川氏親と(一応)山内顕定ぐらいしか知らない。
他には例があるかな。
0677人間七七四年
2021/10/05(火) 00:11:09.03ID:zMdGAgBxなんかやっぱり武家より公家として育てられてしまったんだろうな
自分は高貴な血なんだから戦のような荒事は卑しい下々の武士どもにやらせてその戦果にただ乗りするだけみたいな
最期まで自ら出陣しないし落城して蔵に逃げ込んで命乞いするあたりもどうにも公家臭長袖者臭がする
0678人間七七四年
2021/10/05(火) 00:18:43.85ID:FJaA6Us5ただただ生来のもん
0679人間七七四年
2021/10/05(火) 00:26:56.73ID:8pb3Km7g0680人間七七四年
2021/10/05(火) 00:35:44.30ID:7IMjwDdi0681人間七七四年
2021/10/05(火) 00:48:48.77ID:OT5YB6fD(静岡県出身 男性 サッカー選手)
0682人間七七四年
2021/10/05(火) 01:10:12.47ID:9T53zW4+まあアンタん家は元々堂上家じゃなくて、運良く公家仲間になれて堂上に行けても半家止まりだものね。多分。
武家官位や序列だけど高家で公家っぽくなれて良かったんじゃないかなあ。
秀頼クンは、ねぇ、摂関家格だけど多分他の五摂家がマトモにやらせてくれなかったと思う。だって連中ほら生粋のイケズな京都人だしさ(いや待て)。
0683人間七七四年
2021/10/05(火) 07:40:25.81ID:OOPVnBnX「秀頼さまは武家なのか公家なのか」
ってのが答えだよなぁ。
ホント傅役はなにしてたん…
0684人間七七四年
2021/10/05(火) 07:56:31.09ID:FJaA6Us5秀頼が気に入らない女中いたら言いなさい、折檻するからって書状はやっぱり当時としても異質すぎる
0685人間七七四年
2021/10/05(火) 08:17:44.72ID:yyN+LfA7はっきりせん状態で放り出されたのが秀頼だからな
どう育ちゃいいのか誰も正解がわからんかったろ
長益の息子は親父と同時期に退去してるし
サボタージュも和平派の親父の方針じゃねえかな
色々無茶したし仲間には調子いいこと言うけど
家には逆らえない放蕩息子ってイメージ
0686人間七七四年
2021/10/05(火) 08:29:59.98ID:+lyR/KhO信雄とかも散々豊臣の情報を流した挙げ句逃亡したんじゃなかったっけ?
0687人間七七四年
2021/10/05(火) 08:41:52.73ID:FJaA6Us5片桐追放でやばくなった時もいち早く徳川に対しての遺恨じゃないんですって弁明出してるしね
自分が秀吉相手に戦争する契機になったやらかしをまんま目の前でやられただけあってやばさ分かってる
偉大な先代が散々甘やかした相手を厳しく躾けられるのってどんくらいいたんだろな
正直この辺は教育がどうこうじゃなく性格のもんだと思ってるけど
0688人間七七四年
2021/10/05(火) 12:06:17.81ID:fgCxSbnTこう書くと、大名達が自己保身のために味方しなかったように聞こえるよな。
0689人間七七四年
2021/10/05(火) 12:24:09.18ID:+lyR/KhO0690人間七七四年
2021/10/05(火) 12:24:40.37ID:9T53zW4+その躾を没後させようとしてたのが利家だけど、秀吉の後を追うように死んでるから秀頼の教育面ではその時点でアウトになってるんだろう。
後は淀の方位しかマトモに意見出来ないが唯一の息子だから余りいわなかったろう。
片桐すら居られない大坂城で秀頼を制御する役は誰も居ない。秀吉は傅役もだが、師に成り得る人物も決めておく必要があったな。
でも多分それは自分の役だと死を覚悟するまで
0691人間七七四年
2021/10/05(火) 12:26:58.48ID:LFDeABVn可哀想な最後だよな
0692人間七七四年
2021/10/05(火) 12:31:07.39ID:9T53zW4+>>688
いや全くその通りで、各大名家だって自己と家臣の存続の為に色々してるのだから
単なる恩顧のみで大坂の陣のような不利な状態の博打をしはしない。
0693人間七七四年
2021/10/05(火) 13:05:13.80ID:eUkbG15O実務能力がないのに担がれる訳がないし実務能力がないなら弁えなきゃいけないんよな、本来は
0694人間七七四年
2021/10/05(火) 13:08:05.06ID:vmxC2zyQ現実的に幕府に勝てるわけないと
わかってただけだと思うわ
0695人間七七四年
2021/10/05(火) 13:59:20.29ID:zMdGAgBx一門譜代などの運命共同体でもない限り頼み甲斐が無くなれば主をあっさり捨てるなんて当たり前なのに
治世安定期の江戸時代に作られた湿っぽい忠義思想でこの時期を見るからおかしなことになる
秀吉が天下取れたのも家康が天下取れたのも諸侯が自家と所領を安堵してくれる君主盟主として認め推戴したからというのは間違いなくある
織田は信長信忠が、豊臣は秀吉秀次が死んでその機能を失ったから諸侯から見限られた
当たり前だけどみんな自分の利益第一最優先だから
0696人間七七四年
2021/10/05(火) 14:58:03.35ID:+lyR/KhO武家の棟梁の仕事だからね。子分に土地を差配するのって
その時点で豊臣家臣団は徳川家臣団に置き換えられたと言っていい
0697人間七七四年
2021/10/05(火) 15:21:04.82ID:fgCxSbnT0698人間七七四年
2021/10/05(火) 16:04:15.88ID:FJaA6Us5それと豊臣のその論功行賞ができそうな人物が軒並み西軍だった点もね
勝手にというよりはできる人がもう徳川しかいない
0699人間七七四年
2021/10/05(火) 16:09:26.77ID:DqCiYL5r0700人間七七四年
2021/10/05(火) 17:14:10.71ID:Y43yG8Oa0701人間七七四年
2021/10/05(火) 17:14:26.18ID:+lyR/KhO全国が分裂状態になったんじゃないかなあ。そう思って動いてた人もいたみたいだし
0702人間七七四年
2021/10/05(火) 18:31:55.74ID:bN4zoBjqというより、論功行賞しない方がマズイ
ただでさえ、秀吉末期の大プロジェクトであった唐入りにおいて
諸侯への論功行賞等がきちんと行われてたか微妙なのに
これほどはっきりとした大勝利で諸侯に恩賞を渡さない、或いは保留などという
態度を取ったら、本当に豊臣政権は諸侯の支持を失ってしまうよ
0703人間七七四年
2021/10/05(火) 18:42:13.30ID:KaDIylgw関ヶ原後に論功行賞は僕がやる!と秀頼が出て来ても結局秀頼の裁定を保障するものは家康の武力でしかないんだよね
まあ関ヶ原で家康を勝たせてしまった時点で豊臣の天下は終わってる
0704人間七七四年
2021/10/05(火) 18:46:19.59ID:9T53zW4+九州のKさんとかSさんとか東北のDさんとかだな。
西軍呼ばわりされるけど本来は関係無く頭の重しが無くなったから惣無事ひっくり返したかっただけのUさんもそうだろう。
日本国内の平安とか安定は眼中に無く「よっしゃあ、惣無事規制キャンセルのチャンスやで!」な思考ばっかりの。
秀吉という重しがあったから大人しかっただけで、全然牙は抜けてなくったという。
0705人間七七四年
2021/10/05(火) 18:49:55.66ID:KaDIylgw秀吉が速やかに織田勢力をまとめ上げたからならなかったけど
0706人間七七四年
2021/10/05(火) 18:50:13.57ID:OOPVnBnX最終的には形だけのトップにはなるけど、それでも名誉は残ったろう。
でもそれが出来なかったからなぁ…
0707人間七七四年
2021/10/05(火) 19:02:58.40ID:vmstHM8g慶長4年の時点で家康が朝廷から三献の儀を受けて天下人扱いされてることからもね
あとはいかに前の天下人っていうネームバリューと徳川と姻族であることを活かしてうまいこと脛齧ってくかだけだったけど、そこを長じた秀頼だけがわかってなかったってだけの話と思うの
0708人間七七四年
2021/10/05(火) 19:14:05.88ID:32GSuwo60709人間七七四年
2021/10/05(火) 19:22:27.60ID:FJaA6Us5大意には同意なんだけど一点だけ
九州の黒田官兵衛は常に家康と連絡取り合いつつ吉川広家宛にお前から輝元にすぐ家康に詫び入れるよう伝えなさいって書状出すくらいバリッバリの親家康で
惣無事キャンセルよりは公儀に従って美味しい思いしたい方だよ
0710人間七七四年
2021/10/05(火) 22:37:39.11ID:w2ZCPRq9他に何があると云うのか。
0711人間七七四年
2021/10/05(火) 22:40:54.17ID:w2ZCPRq9> 書状出すくらいバリッバリの親家康で
「書状とな。して、その書状はどちらの手で書いた?」
0712人間七七四年
2021/10/05(火) 23:20:56.53ID:K7Wn7WQ/0713人間七七四年
2021/10/06(水) 06:58:05.98ID:d/dWtwou0714人間七七四年
2021/10/06(水) 07:39:59.76ID:d/gRCnQH家康が豊臣政権を仕切った方が秀頼様も安泰って思ってた人が多かったのでは
家康の行動は信長の同盟者だった頃から関ヶ原まで非難するようなところは何もないもんな
0715人間七七四年
2021/10/06(水) 09:00:29.76ID:HKlBPsWt本多作左「とんでもないっ!我が主はいつも不心得で軽率なことばかりなさっておいでじゃっ!!全く世話が焼けてかなわんっ!!!」
0716人間七七四年
2021/10/06(水) 09:06:21.01ID:HKlBPsWt0717人間七七四年
2021/10/06(水) 12:57:50.48ID:zNEeJyUm0718人間七七四年
2021/10/06(水) 13:24:26.51ID:2GNhP0VG豊臣が天下人になれたのは朝廷あっての事なので余程上手くやらないと朝廷と敵対した時打つ手がなくなってしまう。
0719人間七七四年
2021/10/06(水) 15:02:09.64ID:XhdfaMwp争論に割り込んで関白をぶんどって、次は返すからと言っておいて甥に禅譲してしまう
家柄によって決まる官位がすべての貴族共からしたら許し難い行為だよ。秀吉1代限りならあれはノーカンで済ませられるけど危うく関白を取り上げられるところだったわけで
0720人間七七四年
2021/10/06(水) 19:55:21.35ID:cznJ9qLd秀吉が朝廷を利用したように朝廷も秀吉の武威を利用した
秀吉が関白っていう権威を使ってくれたことで朝廷も威信の回復に役立った
0722人間七七四年
2021/10/06(水) 20:15:03.29ID:EBArTBGi秀吉が関白を独占する為に大臣以上を任命しない→権大納言以下に摂家が渋滞する→そこが極官だった連中が出世出来なくなる
この混乱で公家社会の憎悪を買ったっぽいんだよなぁ
0723人間七七四年
2021/10/06(水) 20:21:47.40ID:cznJ9qLd秀吉の構想としては唐入り成功させて秀次に関白として日本まとめさせようとしたんでしょう
鶴松死亡などで唐入りにしか興味がなくなったと思われる
0724人間七七四年
2021/10/06(水) 20:22:06.09ID:d/gRCnQH親が大納言だから子供も大納言
何かやらかして中納言までしかいけなかったりするとそれが子々孫々まで響くのが公家社会
0725人間七七四年
2021/10/06(水) 20:29:25.02ID:EBArTBGi関白って語弊を恐れず言えば何の権威も無い(例えば朝廷軍が使えるとかそんなこともない)訳で
要は秀吉が凄いのであって関白が凄いんじゃない
だからとっとと日本なり中国なりの古例から適当な職を見つけて武家関白と公家関白を分けとけばよかったんじゃなかろうか。
朝廷への権威としては適当な財産をちょこっと貰えば良いし。
そこまで公家関白に拘ったのは何故なんだろう…
0726人間七七四年
2021/10/06(水) 20:34:47.80ID:vqGBZadC将軍はほれ、義昭との兼ね合いが大きいし
0728人間七七四年
2021/10/06(水) 20:39:36.01ID:7r+YlSGL棚ぼたで手に入った極官ってだけだと思う。
けど、自分がその権限を使って武家を官位で統制するシステムを作っちゃった以上、
誰かに関白を譲ると政治上の頂点を譲ることになっちゃう。
やるとしたら、関白より上位の官職、それこそ日本国王とかに天皇から任命してもらうしかないと思う。
武家官位制は秀吉と朝廷のトラブルをみた上で家康が考案したものだから、
それを最初から思いつけって言うのは無理だと思う。
0729人間七七四年
2021/10/06(水) 20:41:30.11ID:d/gRCnQH0730人間七七四年
2021/10/06(水) 20:49:21.08ID:ZCnwnPLg0731人間七七四年
2021/10/06(水) 20:52:50.91ID:cznJ9qLd征夷大将軍は室町のgdgdが最近まで
となると残りは関白になるが関白は常設職なんだよなあ
0732人間七七四年
2021/10/06(水) 20:55:02.60ID:ShGg2qo4羽柴秀次や同鶴松の動向と「唐入り」即ち対外戦争は本質的には関係の無い話。
また羽柴秀吉個人の意志によるものでもない。
惣無事を達成した権力体が次に踏むべき必然の−−というよりも惣無事と表裏一体の不可避な政治段階だから、
何はどうあれ「豊臣」権力体は全力でこれを遂行するしかなかった。
0733人間七七四年
2021/10/06(水) 20:57:31.94ID:tYS2coWk0734人間七七四年
2021/10/06(水) 21:00:43.89ID:EBArTBGiまさかに彼が出自にコンプレックスがあったとかは信じたくはない。
でも秀吉に関白ってそんな重要だとは思えないのよね。関白になったところで何がかわるでもなし
むしろ関白は一家独占出来ないのだから重荷でしかない。
将軍にクラスチェンジするのも嫌ならいっそ新しい役職を作って先例の魁になりゃ…
0735人間七七四年
2021/10/06(水) 21:14:21.58ID:0sZSMaes本人の性格的にもそういうの好きそう
当時の秀吉には権力の誇示が必要だったということでは
その時には自分の死後のことまで考えてなんかいないでしょう
0736人間七七四年
2021/10/06(水) 22:58:05.33ID:ShGg2qo4(京都府[本籍栃木県] 男性 僧職兼太政天皇兼日本国王)
0738人間七七四年
2021/10/06(水) 23:40:24.84ID:EBArTBGi征夷大将軍は源氏長者と深い関係があるから、公家源氏の連中から何らかの突き上げがあったんだろう。
信長は公家源氏筆頭・久我氏の下半身スキャンダルをなんとか穏便に済ませようとしてたからもし養子になれば将軍になれたかもしれない…
秀吉の場合足利義昭と公家源氏と敵が二つもいて割り込む隙が無かったのかもしれん。
…かもしれんが、秀吉のパワーはもう誰の目からしても明らかなんだし関白や将軍といった過去の先例に囚われなくても良かったと思うんだがなぁ…
そうしていれば豊臣政権もワンチャン、なんとかなったかもしれん。
0739人間七七四年
2021/10/06(水) 23:44:03.98ID:LDAMFvF2適当に思ってたんだけどやっぱ駄目だったの?
0740人間七七四年
2021/10/06(水) 23:52:02.97ID:zMVx6l4z超イカした新しい肩書きを作るのはどうだろう(提案)
0741人間七七四年
2021/10/07(木) 00:04:48.97ID:UPAw7fSz不可能じゃなかった筈だけど、
より困難で天下人に相応しく無い関白を無理矢理取りに行った事を考えるとマジで無理だった可能性もあるんだよなぁ…
将軍は無理だとしても正直だから何?なのが秀吉だろうし、関白取った後公家は公家武家は武家で仲良く分けていれば…
まぁ武家関白に幼少の秀頼がなったとしてもどのみち争いが起きて滅んでいたかもしれないけど
0743人間七七四年
2021/10/07(木) 00:22:25.48ID:ISiCFkV/0744人間七七四年
2021/10/07(木) 00:39:28.05ID:LQc7q9N8当時豊臣権力体が発動し得る暴力の規模と強度を考えれば朝廷に対して如何なる恣意的な措置を強要することも可能だった筈。
そして羽柴秀吉こそは「暴力こそ正義」という本質を身を以て知り尽くした権力体主宰者だった筈。
それを敢えてしなかった/できなかったのは何故なのか、
そこを構造的に解かないことには豊臣権力体が目指していた政治形態も、
ひいてはそれが徳川権力体によって簒奪的に承継された理由も見えては来ないと思う。
0746人間七七四年
2021/10/07(木) 06:52:34.92ID:V2vsIV+V信長亡き後の織田家への扱い、秀次への扱い
学や真のプライドのない成り上がりのビジョン無き下品な暴君
0747人間七七四年
2021/10/07(木) 07:20:35.25ID:ISiCFkV/朝廷で関白になれるのは藤氏の五摂家のみ。
だから秀吉は近衛家の養子になってる。
その秀吉に豊臣姓を与えて、つまり秀吉は近衛家の人間じゃないから近衛家は継げない=豊臣は関白になれない、というかなり言っちゃ悪いが陰湿な罠。
まぁ朝廷からすると当然の動きなんだろうけど
0748人間七七四年
2021/10/07(木) 07:24:50.69ID:63B2L01y関白に就任出来る以上、将軍になるメリットが皆無だったってだけだと思うんだがな
ただ、関白が本当に難しいのは権威を維持するのが大変という点だ
別に文書等ではっきり定められてる話じゃないけど、関白は
十六歳未満での就任前例が存在しないので、常に後継に成人男性がいないと
関白を継承できるか分からなくなってしまう
藤原氏でさえ、家を五家に分割して継承者が絶えない工夫をしている
将軍なら後継幼児でもなれるから、この点では便利なんだが(権威を維持しやすい)
0750人間七七四年
2021/10/07(木) 08:06:24.95ID:6snhH0Fb征夷大将軍と源氏長者に何の関係もないよ
両者を初めて兼ねたのは徳川家康
源頼朝も足利尊氏も源氏全体としてみると傍流に過ぎない
0752人間七七四年
2021/10/07(木) 08:20:08.97ID:1NbfuG4K政権の根幹の武家を統制できる実力を保持し続けられることが大前提でしょう
権威だけあっても室町幕府の二の舞になるだけ
豊臣はそもそもが一人親方の属人的な政権で持続可能性が危うかったのに
持続可能な組織を作れるかも知れなかった秀次を潰して自らその芽を絶ってしまった
0753人間七七四年
2021/10/07(木) 08:22:05.28ID:Raazrot2そんな大変じゃなかったと思うぞ
本当摂関家の争いが持ち込まれた棚ぼたで
んで新しい肩書きは「豊臣氏」かと
源平藤橘でない新たな氏の創出なんて
それこそ前代未聞の権力者にしかなし得ない
支配者として最高の権威付だった
それも絶大な兵権を握る秀吉がいなくなったら
意味がなかったというだけの話で
仮に着いたのが征夷大将軍でもウルトラ天皇でも
無理矢理のゴリ押しで幼児関白も不可能ではなかろうが
後継者やその補佐役も兵権を行使できないなら
同じことになってたと思うがね
0755人間七七四年
2021/10/07(木) 08:25:57.65ID:IT5dSxol家康より織田家の扱いはちゃんとしてたと思うけどなあ
秀信には織田家の拠点である岐阜城を与えて若くして中納言の官位も与えているし、信雄はアホだっただけで本来家康と肩を並べ、官位的には家康より上位になる豊臣政権屈指の大大名になるはずだったわけで
0757人間七七四年
2021/10/07(木) 08:29:51.20ID:ISiCFkV/秀吉が不法に譲ったに過ぎない。
だから豊臣は滅ぼされた。
無理が通れば道理が引っ込むとは言うけど、
道理を軽んじるとこうした目に遭うのさ。
0758人間七七四年
2021/10/07(木) 08:30:29.23ID:IT5dSxol0759人間七七四年
2021/10/07(木) 08:42:08.28ID:Raazrot2武力があれば関係なく無視できた
それを継承できなかった時点で
どんな肩書きだろうと意味ないんよ
0760人間七七四年
2021/10/07(木) 08:47:03.88ID:Z+KI1znV0761人間七七四年
2021/10/07(木) 08:53:46.47ID:Raazrot2その徳川幕府で考えると豊臣政権はどうか
秀忠を将軍宣下後に切腹させて
大粛清の果てに幼児後継者に指名した上
幕閣には兵の動員令出す権限認めず
外様の伊達や毛利に後を頼んで死ぬ
くらい無茶な状況
0763人間七七四年
2021/10/07(木) 10:42:01.07ID:SVCKdSdt朝廷の最高位である藤原氏の象徴みたいなもんだから独占なんか許さないし、何より公家社会のルールに精通しないといけないから相当の実力が居る。
将軍は確かに源氏長者が絡むから反対する一族はいるんだけど、そいつらは源氏長者とそこに絡む財産が必要で将軍なんかどーでもいい。
だから武家は武家、公家は公家で棲み分け出来るから天下人には丁度いい。
0764人間七七四年
2021/10/07(木) 13:37:39.27ID:/qbOYgmj0765人間七七四年
2021/10/07(木) 19:19:42.47ID:itTcM0Q8豊臣氏の関白がいたという先例にはなったんじゃないか
秀次が豊臣氏として継いだから言うまでもないが
0766750
2021/10/07(木) 19:23:33.38ID:6snhH0Fbttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E9%95%B7%E8%80%85
ウィキペでごめん。家康が最初の武家の源氏長者は間違いだった。
でも、室町時代には源氏長者と将軍は連動してなかったっぽい。
0767人間七七四年
2021/10/07(木) 20:16:36.94ID:Raazrot2富と権力と武力で無理を通せたからこそ成立した豊臣政権だからな
それを行使する者がいたらまだまだ無理は通ったろうし
今度はその無理が先例になっていく
でもそんな存在秀吉死後にいなかった訳で
0768人間七七四年
2021/10/07(木) 20:32:01.77ID:UWbe+JBWだって徳川が将軍と長者を兼帯するまで、源氏長者は室町頃はほぼ久我家独占の名跡で源氏将軍初代の頼朝自体兼帯してない(大体摂津源氏で公家でもないから源氏諸流内でもそんなに家格が高い訳でない)。
足利も源氏内の家格としてはさして高く無い。将軍になったのは結局家格でなく武威があったからこそ。
対して源氏長者は全ての源氏諸流の長として家格が問われるので、自ずと公家など貴種でなくてはならず久我家など公家が持ち回りしてる名跡だった。
これを本来家格としては新田源氏(それとて無理矢理系譜操作して仮冒)で到底長者に補せられるものでないのに、天下人となり将軍に叙任された事で家格でなく「武威による政治的に実力者」である事が始めて長者に補せられる根拠となった。
0769人間七七四年
2021/10/07(木) 20:35:29.99ID:O+XvFS7O0770人間七七四年
2021/10/07(木) 21:20:56.96ID:UWbe+JBW大名達への御恩は単なる金品石高のみでなく領地安堵と更なる給付でなくては収まらない時代だから、大名潰して与えたり或いは唐入りでフロンティア開拓しないとならない。
戦を続けて大名を消耗、若しくは血の気の多い現役世代には亡くなって頂いて権威に大人しく従う若い世代へ交代してもらうなどして兎に角牙を抜く過程が必須だったもの。
徳川ですら綱吉の代までひたすら些細な事を言いがかりに改易断絶を繰り返し
大名と土地との繋りをシャッフルしまくる事で漸く安定へ辿り着いたが、秀吉一代だけではとてもじゃないが全然足りなかった。
0771人間七七四年
2021/10/07(木) 22:10:10.30ID:kSA1e/9L俺はうるさいけど俺に付いてくればいい思いさせてやるってのから利益はくれないのに出費は強いる政権になってしまったから
長い戦乱期から初統一の政権がお約束で抱える宿痾を、統一した時点ですでに結構な歳の人間が背負う羽目になった
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています