豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2
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0001人間七七四年
2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう
次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします
前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/
過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0612人間七七四年
2021/10/02(土) 17:12:21.42ID:zUWazw+wあとは政務を血縁の家康に任せて前の天下人の家として敬意払われる名誉的な立ち位置は確立できてるし、わざわざとんでもなく実務の多い天下人をやりたがる意味も必要もないかな
0614人間七七四年
2021/10/02(土) 17:27:05.77ID:js4/hLf6そういう状況なの分かってて挙兵するなよ西軍、って話ではある
まあ、大坂押さえて伏見落として内府違いの条々バラまけば
諸侯の大半はこっちになびくだろうから、これで徳川に勝利!みたいな
すげえ甘い予測で挙兵してるっぽいからどうしようもねえんだが
0615人間七七四年
2021/10/02(土) 17:42:32.50ID:9P0bSx8a淀においても秀頼の当主代行してる間はつつがなく徳川とのゆるやかな上下関係の逆転は認めてるし
あるとするなら秀頼当人が弁えてなかったって感じ
ただこの辺もどちらかといえば淀から秀頼に当主が切り替わるにあたっての派閥の摩擦による御家騒動な性質が強いのよね、大坂の陣に至るまでの片桐追放までの流れ
0616人間七七四年
2021/10/02(土) 17:57:00.15ID:iVLUovBH羽柴家が政権から切断されることは共通認識として武家政界一般に共有されていた(伊達政宗書状等)にしても、
切断後の羽柴家の具体的な取扱方について
政権継承者=江戸幕府と羽柴家との間に温度差があったということなんじゃないか。
所謂「ボタンの掛け違い」という奴。
0617人間七七四年
2021/10/02(土) 18:10:20.41ID:HEdeYimu家康が勝っても、輝元が勝っても、豊臣公儀の機構が瓦解して
勝った方が政権をとることになるのはわかってたんじゃね?
だからどっちにも味方したくなかったんだろうし。
0618人間七七四年
2021/10/02(土) 18:15:21.07ID:HEdeYimu豊臣家「実質的な政権は徳川家がとることになっても、鎌倉幕府の宮将軍のように
名目的な君主は豊臣家が続ける」
徳川家「豊臣家は官位も官職もないし、儀礼的な君主につく資格がない。
旧主の子供としての敬意は払うが、君主としては扱わない」
こんな感じ?
0619人間七七四年
2021/10/02(土) 18:20:08.15ID:+loZ60vAそうすれば家康の出す恩賞はイコールで豊臣が出す恩賞になるから太閤恩顧の連中に少しは効果があったかもしれない(大坂の陣に味方してくれるみたいな事は無かったろうけど)
傍観決め込んだ結果、領土だけ取られて人々の敬意は徳川とかやってられませんよー。
0620人間七七四年
2021/10/02(土) 18:23:23.97ID:S9zv9/tX0621人間七七四年
2021/10/02(土) 18:31:23.18ID:iVLUovBH大体その辺りかな、と。
0622人間七七四年
2021/10/02(土) 18:41:40.86ID:0ouNWt640623人間七七四年
2021/10/02(土) 18:55:11.37ID:js4/hLf6と言うより、豊臣家が天下に大乱や混乱が起きた際に、そういう中途半端な立場を
当主幼少故に取らざるを得ない状況になってたのが、秀吉死亡直後の状況だからな
いっちゃあなんだが、この状況で政権内最大勢力である徳川の支持を
(たとえ専横に近い状態にせざるを得なかったとしても)取り付けた状態にしたのは
老いたりとはいえ、さすが秀吉とは言えると思う
まあ残念ながら2年しかもたなかったけれども
0624人間七七四年
2021/10/02(土) 19:04:36.68ID:0ouNWt64伊達政宗が言ってたみたいに家康に養育してもらって一門衆として扱ってもらった方がよかったのかも
0625人間七七四年
2021/10/03(日) 12:36:32.72ID:KhUXzgpg徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
つまり、敬意だけは失わないでくれ、的な。
0626人間七七四年
2021/10/03(日) 13:16:11.50ID:9Zy62rxz初出が改正三河後風土記でしょ?たしか
0627人間七七四年
2021/10/03(日) 13:44:12.24ID:BNTGrHAR0628人間七七四年
2021/10/03(日) 13:56:51.80ID:KhUXzgpg徳川史が初出なら、徳川家視点の『豊臣家こうあるべきだった』という間接証明と言えますよね
当時から、敬意を払われるだけの存在になるべき、という見方があったと言えます
0629人間七七四年
2021/10/03(日) 14:02:57.80ID:BDVYgDQG> 旨があってれば、創作でも良いですね
良いわけねーだろアホか。「改正三河風土記」の編纂の時点に於いてでそういう認識があった、ということに過ぎない
0630人間七七四年
2021/10/03(日) 15:13:06.71ID:KhUXzgpg話の主旨があってれば
0631人間七七四年
2021/10/03(日) 15:20:28.25ID:Bof3AF3S0632人間七七四年
2021/10/03(日) 15:22:46.11ID:cG5EpsTQだとすると且元さんマジで聖人だが
0633人間七七四年
2021/10/03(日) 15:26:46.71ID:BDVYgDQG「改正三河風土記」の成立は1837年(天保8)だぞ?関ヶ原から230年後だ
君の言う「当時」っていつのことよ
0634人間七七四年
2021/10/03(日) 15:28:42.16ID:Bof3AF3S助けたところで禍根を残すような危険性も無かったろうから
0636人間七七四年
2021/10/03(日) 17:16:12.38ID:KhUXzgpg0637人間七七四年
2021/10/03(日) 17:40:06.84ID:9Zy62rxz0638人間七七四年
2021/10/03(日) 17:43:21.71ID:9Zy62rxz変に意図を汲み取ろうとしなさんな
0639人間七七四年
2021/10/03(日) 18:13:12.34ID:033057mJ秀信が切腹や斬首に相当するようなことをしているというとこから説明しないと
0640人間七七四年
2021/10/03(日) 18:55:21.47ID:iHr5wrXN>自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則
つまり、まず一次史料を持ってこい。話はそれからだ。
0641人間七七四年
2021/10/03(日) 19:06:07.40ID:KhUXzgpg>>625を読んで貰えば、私の想像だとわかると思うけど(『気がする』って書いてるよね)
自分が>>625を読み間違えて、話に乗っかってきたくせに、みっともないよ?
私の勝手な解釈に異論があるならどうぞ、って話でしょ、最初から
史実性の話はしてないんだから、一次史料持ってきてからだ、とか意味不明
話に乗ってこなきゃ良いだけでは?
0642人間七七四年
2021/10/03(日) 19:31:25.91ID:UbGPxLxs0643人間七七四年
2021/10/03(日) 19:40:12.07ID:LHAU4X4K0644人間七七四年
2021/10/03(日) 19:44:49.67ID:9Zy62rxz0645人間七七四年
2021/10/03(日) 19:56:06.96ID:9Zy62rxz> 自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則の意味が全くわからなかったんだけど
> 徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
> つまり、敬意だけは失わないでくれ、的な。
はい、この書き方の場合読解として常識的な受け取り方は
自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則
を事実として鵜呑みにした上で
徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
と、この事象に関する感想を述べたととるのが普通
少なくともこの事象を創作と思ってる書き方とは読み取れない
意図しない読み取り方されてるー!って言い出す前に、自分の書き方が創作を鵜呑みにしてると取れる書き方をしたことを反省するのが、まともな人のする事だと思うよ
まあここまでの書き込みの時点で相当ヤバい奴だとは思うので、そんな事しないし逆ギレかますのがオチとは思うが
0647人間七七四年
2021/10/03(日) 20:54:09.19ID:abY4L3QRID変わったけど、625ね。
それについては、>>626でほぼ創作と指摘されたので、>>628で創作でも構わない旨回答してるけど?
キミみたいな人達が噛みついてきたのはその後。
0648人間七七四年
2021/10/03(日) 21:04:57.99ID:abY4L3QRどうあれ、>>625が解釈の問題と認識したわけだし、それに異論があれば回答すればいいだけだし、
史実性に拘りたければ無視すればいいだけ
議論の目的がマウントとる事にズレてて、失笑せざるを得ない
0649人間七七四年
2021/10/03(日) 21:18:28.93ID:9Zy62rxz内容以前に反省もろくにできないその態度に怒られたら、うわ噛み付いてきたとか言い出すその性根をなんとかするか、喋らない方がいいよ
他人を不快にさせるだけで、君の発言も全く議論の進展に繋がらないから
0650人間七七四年
2021/10/03(日) 21:32:45.43ID:cG5EpsTQ東軍に属するつもりが西軍に寝返ったってパターンらしいけど、もう大物でも無いからと哀れまれたのか?
0651人間七七四年
2021/10/03(日) 21:37:41.60ID:LHAU4X4K0652人間七七四年
2021/10/03(日) 21:40:40.94ID:9Zy62rxz大概は改易
0653人間七七四年
2021/10/03(日) 21:45:18.68ID:UbGPxLxs0654人間七七四年
2021/10/03(日) 21:46:37.24ID:yz7012eE家臣の一部は東軍に味方した方がよいと考えてた節はあるっぽいけど
なんか本人に東軍に味方する気があったって話があるなら教えてほしい
まあ秀信は立場的に相当ズルい立ち回りをしても許されそうではあるけどね
それこそ京極みたいな動きをしてもOKだったとは思う
結構早死にだし、もうちょっと長生きできれば大名復帰、
或いは信雄のように大坂で御伽衆になるパターンもあったんじゃないの
0655人間七七四年
2021/10/03(日) 21:51:04.40ID:cG5EpsTQ織田秀信は確かに盟友織田信長の孫ではあるんだが所詮は13万石の大名、小西はおろか石田よりも少ないんだ。マジで信長の七光しかない。
織田の名を警戒するならサクッとやられててもおかしくは無さそうではある。
福島の助命嘆願とやらが効いたのか?でも助命されても徳川の邪魔になるなら容赦は無い筈だけど…
0656人間七七四年
2021/10/03(日) 22:04:34.46ID:UbGPxLxs元家臣以外、信雄・有楽のように徳川方にコネがある感じでもないし
0657人間七七四年
2021/10/03(日) 22:04:43.30ID:abY4L3QRな? キミの結論は、>>625とは全く関係ないでしょ?
結局、私に対する人格攻撃なわけ
このスレで、キミはかなり人を不愉快にしてるみたいだけどね
そっくり返しときます
0658人間七七四年
2021/10/03(日) 22:06:50.90ID:9Zy62rxz九鬼も徳川からは許し出てたけど家臣の独断じゃなかったけかな
どちらにせよ腹切らされてる方が珍しいくらいやね
0659人間七七四年
2021/10/03(日) 22:09:32.80ID:/ll3j16R0660人間七七四年
2021/10/03(日) 22:14:50.62ID:cG5EpsTQ処刑者5名、自刃者18名、戦死者8名、暗殺3名…
らしいけど、
本多忠勝が真田を助命した、みたいな話が他にも残ってるのかもね。ここら辺はコネの世界だし。
0662人間七七四年
2021/10/03(日) 23:02:14.39ID:lXdktaP/逆にいえばここでコネがないのは大名としての普段の外交能力にも疑問符がつくと考えられそう
0663人間七七四年
2021/10/04(月) 06:25:56.06ID:sfnHPr24翻っていうと徳川にとっては織田はもう敵では無かっんだろうか…
0664人間七七四年
2021/10/04(月) 06:45:28.85ID:k7Vnu3TQ織田家全体で見た場合、有楽が東軍だから保険はかかってるし問題ないだろ
最終的には信雄の系統も残ったから信長からの流れも残ったとは言えるし
御家が二家も残ったなら一家絶えても別に…いやそりゃ多い方がいいとは思うけど
0665人間七七四年
2021/10/04(月) 08:04:57.51ID:45BIJR4G家督だか名代だかになった信雄が秀吉に屈服した時点で織田家への義理立ては終わった
0666人間七七四年
2021/10/04(月) 12:13:28.93ID:Ipba3SjNそういや信雄さんも何となく西軍に参加して何となく改易食らってましたね…
0667人間七七四年
2021/10/04(月) 13:15:21.46ID:SNnC0mOD織田の求心力は秀吉の天下の時点で大分なくなってそう
なんか頼長は大坂の陣に託けて織田家でまた一旗上げたがってたみたいだけど
0668人間七七四年
2021/10/04(月) 13:35:27.55ID:45BIJR4G羽柴政権は近江政権だからまあ
本能寺で終わっちゃったせいで織田家の時代に活躍した信長の側近とか影薄いからねえ
0669人間七七四年
2021/10/04(月) 18:35:10.38ID:Ipba3SjN頼長「総大将は私がやりたい!」
秀頼「ダメです」
頼長「は?トップがバカで戦争できんわ」→大坂城最大の弱点南口を預かりながら一切の戦闘行為を禁止にするサボタージュを敢行
これホント酷い。豊臣家を何だと思ってたんだよ…
0670人間七七四年
2021/10/04(月) 19:45:40.13ID:SNnC0mOD研究者にすらこいつかぶき者すぎて意味わからんみたいに言われてるし
0671人間七七四年
2021/10/04(月) 19:50:39.22ID:IvfLC70h0672人間七七四年
2021/10/04(月) 20:48:14.98ID:k7Vnu3TQ確かに大坂の陣時点だとこんなのでも大物の方だろうから
総大将になりたいと希望するのも無理ないが(浪人を総大将にも出来んし)
官位も従四位下・侍従だから地味に高いな、立場違うけど三成より官位上だし
0673人間七七四年
2021/10/04(月) 21:31:29.81ID:J0msf97e> 総大将になりたいと希望するのも無理ないが(浪人を総大将にも出来んし)
いや、総大将って、議論の余地も無く羽柴秀頼さん二十二歳じゃなかったのか。
相手は古稀を過ぎた狸が闘気満々で(実質)総大将をやってるってえのに…。
こりゃあ負けるわけだ。
0674人間七七四年
2021/10/04(月) 21:49:51.85ID:afnK9uZAいや、実戦経験ゼロの若造が血筋だけで総大将なら織田信長の血を引く俺だって…
ってなったんだろうさ。そして配下は牢人衆とかいう地獄。
0676人間七七四年
2021/10/04(月) 22:52:48.96ID:oMkEF168戦国期に初陣で総大将って例はそこそこあったよな、とポツポツ思い出してみると、
実は北條氏康にせよ長尾景虎にせよ「その戦で実働した軍団の総大将」ではあっても一国のそれではなかった(景虎は虚構説もあり)。
正真正銘の初陣総大将は今川氏親と(一応)山内顕定ぐらいしか知らない。
他には例があるかな。
0677人間七七四年
2021/10/05(火) 00:11:09.03ID:zMdGAgBxなんかやっぱり武家より公家として育てられてしまったんだろうな
自分は高貴な血なんだから戦のような荒事は卑しい下々の武士どもにやらせてその戦果にただ乗りするだけみたいな
最期まで自ら出陣しないし落城して蔵に逃げ込んで命乞いするあたりもどうにも公家臭長袖者臭がする
0678人間七七四年
2021/10/05(火) 00:18:43.85ID:FJaA6Us5ただただ生来のもん
0679人間七七四年
2021/10/05(火) 00:26:56.73ID:8pb3Km7g0680人間七七四年
2021/10/05(火) 00:35:44.30ID:7IMjwDdi0681人間七七四年
2021/10/05(火) 00:48:48.77ID:OT5YB6fD(静岡県出身 男性 サッカー選手)
0682人間七七四年
2021/10/05(火) 01:10:12.47ID:9T53zW4+まあアンタん家は元々堂上家じゃなくて、運良く公家仲間になれて堂上に行けても半家止まりだものね。多分。
武家官位や序列だけど高家で公家っぽくなれて良かったんじゃないかなあ。
秀頼クンは、ねぇ、摂関家格だけど多分他の五摂家がマトモにやらせてくれなかったと思う。だって連中ほら生粋のイケズな京都人だしさ(いや待て)。
0683人間七七四年
2021/10/05(火) 07:40:25.81ID:OOPVnBnX「秀頼さまは武家なのか公家なのか」
ってのが答えだよなぁ。
ホント傅役はなにしてたん…
0684人間七七四年
2021/10/05(火) 07:56:31.09ID:FJaA6Us5秀頼が気に入らない女中いたら言いなさい、折檻するからって書状はやっぱり当時としても異質すぎる
0685人間七七四年
2021/10/05(火) 08:17:44.72ID:yyN+LfA7はっきりせん状態で放り出されたのが秀頼だからな
どう育ちゃいいのか誰も正解がわからんかったろ
長益の息子は親父と同時期に退去してるし
サボタージュも和平派の親父の方針じゃねえかな
色々無茶したし仲間には調子いいこと言うけど
家には逆らえない放蕩息子ってイメージ
0686人間七七四年
2021/10/05(火) 08:29:59.98ID:+lyR/KhO信雄とかも散々豊臣の情報を流した挙げ句逃亡したんじゃなかったっけ?
0687人間七七四年
2021/10/05(火) 08:41:52.73ID:FJaA6Us5片桐追放でやばくなった時もいち早く徳川に対しての遺恨じゃないんですって弁明出してるしね
自分が秀吉相手に戦争する契機になったやらかしをまんま目の前でやられただけあってやばさ分かってる
偉大な先代が散々甘やかした相手を厳しく躾けられるのってどんくらいいたんだろな
正直この辺は教育がどうこうじゃなく性格のもんだと思ってるけど
0688人間七七四年
2021/10/05(火) 12:06:17.81ID:fgCxSbnTこう書くと、大名達が自己保身のために味方しなかったように聞こえるよな。
0689人間七七四年
2021/10/05(火) 12:24:09.18ID:+lyR/KhO0690人間七七四年
2021/10/05(火) 12:24:40.37ID:9T53zW4+その躾を没後させようとしてたのが利家だけど、秀吉の後を追うように死んでるから秀頼の教育面ではその時点でアウトになってるんだろう。
後は淀の方位しかマトモに意見出来ないが唯一の息子だから余りいわなかったろう。
片桐すら居られない大坂城で秀頼を制御する役は誰も居ない。秀吉は傅役もだが、師に成り得る人物も決めておく必要があったな。
でも多分それは自分の役だと死を覚悟するまで
0691人間七七四年
2021/10/05(火) 12:26:58.48ID:LFDeABVn可哀想な最後だよな
0692人間七七四年
2021/10/05(火) 12:31:07.39ID:9T53zW4+>>688
いや全くその通りで、各大名家だって自己と家臣の存続の為に色々してるのだから
単なる恩顧のみで大坂の陣のような不利な状態の博打をしはしない。
0693人間七七四年
2021/10/05(火) 13:05:13.80ID:eUkbG15O実務能力がないのに担がれる訳がないし実務能力がないなら弁えなきゃいけないんよな、本来は
0694人間七七四年
2021/10/05(火) 13:08:05.06ID:vmxC2zyQ現実的に幕府に勝てるわけないと
わかってただけだと思うわ
0695人間七七四年
2021/10/05(火) 13:59:20.29ID:zMdGAgBx一門譜代などの運命共同体でもない限り頼み甲斐が無くなれば主をあっさり捨てるなんて当たり前なのに
治世安定期の江戸時代に作られた湿っぽい忠義思想でこの時期を見るからおかしなことになる
秀吉が天下取れたのも家康が天下取れたのも諸侯が自家と所領を安堵してくれる君主盟主として認め推戴したからというのは間違いなくある
織田は信長信忠が、豊臣は秀吉秀次が死んでその機能を失ったから諸侯から見限られた
当たり前だけどみんな自分の利益第一最優先だから
0696人間七七四年
2021/10/05(火) 14:58:03.35ID:+lyR/KhO武家の棟梁の仕事だからね。子分に土地を差配するのって
その時点で豊臣家臣団は徳川家臣団に置き換えられたと言っていい
0697人間七七四年
2021/10/05(火) 15:21:04.82ID:fgCxSbnT0698人間七七四年
2021/10/05(火) 16:04:15.88ID:FJaA6Us5それと豊臣のその論功行賞ができそうな人物が軒並み西軍だった点もね
勝手にというよりはできる人がもう徳川しかいない
0699人間七七四年
2021/10/05(火) 16:09:26.77ID:DqCiYL5r0700人間七七四年
2021/10/05(火) 17:14:10.71ID:Y43yG8Oa0701人間七七四年
2021/10/05(火) 17:14:26.18ID:+lyR/KhO全国が分裂状態になったんじゃないかなあ。そう思って動いてた人もいたみたいだし
0702人間七七四年
2021/10/05(火) 18:31:55.74ID:bN4zoBjqというより、論功行賞しない方がマズイ
ただでさえ、秀吉末期の大プロジェクトであった唐入りにおいて
諸侯への論功行賞等がきちんと行われてたか微妙なのに
これほどはっきりとした大勝利で諸侯に恩賞を渡さない、或いは保留などという
態度を取ったら、本当に豊臣政権は諸侯の支持を失ってしまうよ
0703人間七七四年
2021/10/05(火) 18:42:13.30ID:KaDIylgw関ヶ原後に論功行賞は僕がやる!と秀頼が出て来ても結局秀頼の裁定を保障するものは家康の武力でしかないんだよね
まあ関ヶ原で家康を勝たせてしまった時点で豊臣の天下は終わってる
0704人間七七四年
2021/10/05(火) 18:46:19.59ID:9T53zW4+九州のKさんとかSさんとか東北のDさんとかだな。
西軍呼ばわりされるけど本来は関係無く頭の重しが無くなったから惣無事ひっくり返したかっただけのUさんもそうだろう。
日本国内の平安とか安定は眼中に無く「よっしゃあ、惣無事規制キャンセルのチャンスやで!」な思考ばっかりの。
秀吉という重しがあったから大人しかっただけで、全然牙は抜けてなくったという。
0705人間七七四年
2021/10/05(火) 18:49:55.66ID:KaDIylgw秀吉が速やかに織田勢力をまとめ上げたからならなかったけど
0706人間七七四年
2021/10/05(火) 18:50:13.57ID:OOPVnBnX最終的には形だけのトップにはなるけど、それでも名誉は残ったろう。
でもそれが出来なかったからなぁ…
0707人間七七四年
2021/10/05(火) 19:02:58.40ID:vmstHM8g慶長4年の時点で家康が朝廷から三献の儀を受けて天下人扱いされてることからもね
あとはいかに前の天下人っていうネームバリューと徳川と姻族であることを活かしてうまいこと脛齧ってくかだけだったけど、そこを長じた秀頼だけがわかってなかったってだけの話と思うの
0708人間七七四年
2021/10/05(火) 19:14:05.88ID:32GSuwo60709人間七七四年
2021/10/05(火) 19:22:27.60ID:FJaA6Us5大意には同意なんだけど一点だけ
九州の黒田官兵衛は常に家康と連絡取り合いつつ吉川広家宛にお前から輝元にすぐ家康に詫び入れるよう伝えなさいって書状出すくらいバリッバリの親家康で
惣無事キャンセルよりは公儀に従って美味しい思いしたい方だよ
0710人間七七四年
2021/10/05(火) 22:37:39.11ID:w2ZCPRq9他に何があると云うのか。
0711人間七七四年
2021/10/05(火) 22:40:54.17ID:w2ZCPRq9> 書状出すくらいバリッバリの親家康で
「書状とな。して、その書状はどちらの手で書いた?」
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