トップページsengoku
1002コメント434KB

豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO
豊臣(羽柴)秀吉が一代で築き上げた豊臣政権は秀長や利休などの
身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう

次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします

前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/

過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0573人間七七四年2021/09/27(月) 07:20:58.37ID:EpwOsaeA
>>572
秀次が完全に排除された事で秀次側近も事実上排除されたことを考えると、
秀吉側近も充分得をしたとは言えるけどね
秀吉死後に秀次が健在で後見人になった場合、当然政権中枢は秀次側近が占めるから
そこに先代側近の居場所があるとは思えん、まあ肩身が狭くなるのは確定だろう
秀頼は秀頼で当然自分の側近を取り立てたいだろうし
あの時点で秀次を排除すると、秀吉死亡時に秀頼幼少のままの可能性が高くなるから
(実際そうなった)先代、つまり秀吉側近が引き続き権限を持ち続けられるからな
0574人間七七四年2021/09/27(月) 07:40:55.56ID:Pf2hnPKq
そもそも秀次の弾劾に実際動いてんのは
秀吉奉行衆だからな
0575人間七七四年2021/09/27(月) 08:31:59.63ID:ZDFW3Xi9
秀次の後見と補佐してる家康は全く得にならんぞ
つか一戦の一勝一敗をそんな根に持つもんでもないし、見方が雑にすぎる
0576人間七七四年2021/09/28(火) 12:45:26.83ID:4uBG2jKh
小牧長久手の秀次ってお飾りやろ?14歳か15歳じゃなかったっけ
0577人間七七四年2021/09/28(火) 17:36:58.75ID:T3X9FrLV
16歳やね
お飾りという年齢ではないが
百戦錬磨の徳川勢相手に総大将務めるにはいかにも不安という微妙な年代
0578人間七七四年2021/09/28(火) 18:21:07.69ID:EwxKXiAg
そこはブレーンをベテラン勢で固めたのでは?
0579人間七七四年2021/09/28(火) 18:50:46.61ID:hpegDJ+A
>>571
幾ら公卿補任の記録者がうっかりさんでも正二位を賜った人を従二位で記録はしないだろう。
下手すると朝廷人事への批判になるんだから。
それに、秀忠への任官を家康が辞退してもそんなに騒ぎにはならないぞ。
朝廷が秀忠に宣下してそれを土壇場で拒否したら確かに騒ぎになるけどそういうケースじゃない。
現将軍・家康が息子に禅譲すると朝廷に打診(拒否される筈もないし実質宣言)しただけ。
おそらくその返答として朝廷は正二位・内大臣・征夷大将軍を提案したんだろう。でも家康は正二位のみ辞退した。先例上従二位でも将軍には足りる筈だし何の問題も無い。交渉段階だから騒ぎにもならない(ついでにいうとここで秀忠は従三位から従二位に昇官は果たしてる)
公卿補任で慶長十年に正二位としてるのは朝廷で人事担当から情報を受けてたからだろう。
ところが実際は従二位だったから妙な混乱を招いてしまった。
0580人間七七四年2021/09/28(火) 20:12:40.29ID:Dcv6IZ4E
>>579
もはや何を言いたいのかわからん

従二位を正二位と書くのも同様に
人事批判と取られかねない間違いだ

土壇場で覆ったわけでもなく宣下されてないなら
公卿補任に記載されるのはやはりおかしい

結局朝廷の陰謀なる結論ありきで見る理由はないが
そんなおかしな見方してるから
これしかありえないと考えてしまうんだよ
0581人間七七四年2021/09/29(水) 18:29:57.42ID:xkzmeW+l
宇喜多秀家の立ち位置ってなんだったのかな。
前に、熱く猶子で実子と同じと力説してる人がいたけど。そのわりには、秀頼の後見となるわけでもなく、参加した西軍の総大将になるわけでもない。西軍の有力大名として、参加し、善戦したに留まっている。
0582人間七七四年2021/09/29(水) 20:08:22.02ID:5oucSHpA
毛利への牽制用なのかねぇ、本来期待された役割は
猶子はどこまで行っても家を継がせる養子とは違うしで、あくまでも大名宇喜多家への後援なのよねあれ
0583人間七七四年2021/09/29(水) 20:23:18.25ID:KK4GJd2f
大名宇喜多家自体が豊臣政権と一心同体だからなー
秀吉がいたから秀家が継いで成立したようなもんだし
0584人間七七四年2021/09/29(水) 21:04:28.93ID:jp4YM/D9
秀吉の時代の秀家の立ち位置は、徹頭徹尾秀吉らが溺愛した豪姫の「婿」であり
それ以上でもそれ以下でもない
0585人間七七四年2021/09/29(水) 21:27:49.34ID:2ixUuhgW
>>580
正二位を貰うという確定情報が公卿補任の著者に入ってたんだろう。事実、徳川の史料では正二位になってる(公卿補任では慶長十五年では従二位)
武家である徳川には位階なんて興味薄だろうが、それでも実際に宣下を受けた徳川が正二位を記録してるのは何故か?朝廷の人事権者からリークがあったから。家康が辞退したのに広がってるから朝廷は意図的にリークしたんだろう。
そして故に、公卿補任も秀忠を正二位で記録した(これは当然、江戸時代の慣例とは無関係)
どうして朝廷の人事権者を疑うだろうか?
勿論、騒ごうと思えば騒げるが朝廷からすると秀忠を秀頼と同じ正二位にして豊臣を刺激するってのはちょっとしたイタズラに過ぎない。
本命は秀忠将軍就任によって、秀頼を関白の座から叩き落とす事。
尚更、騒ぎには出来ない。ま、仕込みはしておくに越したことは無かったんだろうけど。
0586人間七七四年2021/09/29(水) 21:29:10.65ID:aJtxjGnB
秀家が猶子になってたという確かな史料はないはず
ただ娘婿として秀吉の身内扱いはされてた
0587人間七七四年2021/09/30(木) 09:54:35.04ID:zhqS6Pma
>>585
公卿補任は個人の著作物ではなく朝廷の記録
0588人間七七四年2021/10/01(金) 01:22:27.68ID:J13LHDfF
そういえば、毛利方の史料だとどうやら輝元と隆景で西国の惣無事とされてたらしいけど、実際惣無事らしい行動って何かやってたのかわかるものってあるのかな
あまり毛利が西国の取次やら西国事情の報告なんかしてる様子があるってのを聞いたことがないけど
0589人間七七四年2021/10/01(金) 17:14:40.80ID:Uio0KYOe
丹羽を残しとけばまだ何とかなったかも・・・
0590人間七七四年2021/10/01(金) 21:49:07.72ID:23MjuwJF
豊臣政権の関東支配は家康入部で成り
東北仕置きは秀次-家康ラインで処理された

けど西国遠征における毛利家の役割は
案内役先陣としてけして小さなものではないものの
そこまでのものだったとも言い難いのではないかな

西国を毛利に任せたというのが毛利独自の主張か
晩年の秀吉が実際にそう言ったのかは定かでないが
後者だとしたら耄碌してたんかなという印象
0591人間七七四年2021/10/01(金) 21:52:34.98ID:k3jXIa3b
毛利の史料で輝元単独ではなく、あくまで小早川隆景とセットというのが胆だとおもうぞ。
輝元個人に対しては、秀吉は尊重はしているものの決して重用も信頼もしていない。
0592人間七七四年2021/10/01(金) 23:50:34.98ID:J13LHDfF
ふむ、やっぱり毛利は西国惣無事らしい行動取ったっぽい史料はないですか
ありがとう
0593人間七七四年2021/10/02(土) 01:11:56.51ID:Zs/QW5FY
庄内の乱のときに輝元が島津義弘に書状送ってなかったっけ
0594人間七七四年2021/10/02(土) 04:40:09.46ID:S9zv9/tX
庄内の乱まで行くと秀吉没後に政権内で勢力広げたかった行為の一環かもしれんしで
秀吉から西国惣無事として任じられての行動かどうか判じられないのよねぇ
0595人間七七四年2021/10/02(土) 05:55:15.44ID:HFh41SI+
それで惣無事だと島津の書状取り次いだり
諸々指導してる三成は西国惣無事みたいな
変な話になってきちゃわね?

まあ関ヶ原で多方面侵略してんのも
惣無事らしいといえばらしいのかもしれんし
割と真面目にやる気だったんじゃね?
西国における政権権力の奪取を
0596人間七七四年2021/10/02(土) 06:32:32.77ID:HEdeYimu
1.秀吉が死んで、戦国に戻ると思った各大名家が武装強化を開始
2.上杉家に勝手に軍事道路を建設された最上が、豊臣公儀に上杉を告発
3.豊臣公儀としての召喚を、上杉がガン無視
4.放っておけないので、家康が豊臣公儀として上杉討伐軍を興す
 (ただ、進軍が遅いのを見ると、上杉がごめんなさいしてくるの待ってたんじゃないかな)
5.毛利が家康主導の政権に反発する奉行衆を抱きこんで、大坂を武装占拠
  豊臣公儀の名前で家康を告発。西国各地に侵攻を開始
6.東軍は家康支持でがっちり固まる。上杉は東軍の進軍を妨害せず、
  清州城が速攻で落ちて、防衛ライン構想が瓦解。
  毛利家及び擁立した旧領主の軍勢、西国各地で敗れる。
7.輝元、三成をスケープゴートにして停戦交渉を開始。
  ぶっちゃけ、関ヶ原なんてなくても、この時点でクーデターは終わってる。
8.関ヶ原
9.大老は家康以外権威を失い、奉行は浅野以外免職。
  豊臣公儀体制が崩壊し、徳川家の家内機関による公儀運営を開始。
  豊臣の家内機関も崩壊したが、本来秀吉の代行をすべき高台院が隠居
  しているため、淀殿が表に出ざるを得なくなる。

大体、毛利が悪いと思う
0597人間七七四年2021/10/02(土) 07:27:46.02ID:2ndKVS7m
輝元ってどこを見てもろくな書かれ方をしていないよね
元の位置が高かったから目立たないだけで織田信雄レベルのアレだったのでは
0598人間七七四年2021/10/02(土) 08:19:10.93ID:Fo6LzMuR
まぁ戦国大名としては標準的謀略なんか普通にアリな人物で
豊臣惣無事体制のような固定された世界で生きたくない、普通に所領や勢力は増やしたい
そんな人物だったんだろう。
三成なんかは本人にもそれなりに問題があったにせよ、西軍成立期には
到底反徳川の諸侯を糾合出来る立場になく、毛利などの動きこそ真の主体だろうから
体よく安国寺らと共にスケープゴートにした訳で。
でも結局権力抗争に敗れたので能力はアレ呼ばわりになるが
普通に戦国大名のメンタリティーを持ったままの人だったのだろう。
0599人間七七四年2021/10/02(土) 08:30:58.14ID:oXABoVIb
四国や九州に手を出すのは家風だからなあ
家康が関東管領なら輝元は九州探題ぐらいの意気込みだったんじゃないの?
0600人間七七四年2021/10/02(土) 09:27:09.84ID:2ndKVS7m
安国寺なんて毛利家内の政争の生け贄にされたようなもんだしほんとかわいそう
0601人間七七四年2021/10/02(土) 09:30:21.91ID:S9zv9/tX
群雄割拠とはまた違った泳ぎ方が必要だった訳で、仮に毛利元就が同じように豊臣政権下にあったとしても史実ほどの活躍ができたかは怪しいしね
あんな大乱起こせる状態に持ち込んだだけ能力あると思うよ、二の丸殿事件とか小西行長の息子への扱いとか性格面がちょっと腰軽い癖に尻尾の切り捨て方があけすけで嫌われやすくてろくな書かれ方がされにくいってだけじゃないかな
0602人間七七四年2021/10/02(土) 09:36:59.73ID:HFh41SI+
家康みたく最後勝ったてわけでもなく
三成みたく華々しく散ったわけでもなく
最後矢面に立つのを避けたから仕方ないとは思う

が大国の君主として不利な戦をしないのは
むしろ必要な資質なんじゃないかと
同じ五大老の上杉宇喜多と比べて
妙に辛く見られてる気がすることはある
0603人間七七四年2021/10/02(土) 09:40:41.22ID:2ndKVS7m
不利だったのかねえ
石田宇喜多大谷なんかは関ヶ原に秀頼の御座所を用意して輝元と秀頼の出馬を待ってたらしいじゃん
関ヶ原で西軍が敗走した後も西軍最強だった立花宗茂と小早川秀包の軍は健在で輝元に籠城を主張したりもしてた

普通に覚悟を決めて家康と決戦してれば日本の西半分の大将に君臨できたと思うけどなあ
0604人間七七四年2021/10/02(土) 10:01:58.60ID:HEdeYimu
秀頼が輝元を支持していない以上、それやろうと思えば大坂城本丸に攻め込んで
身柄を押さえるしかない。
なんの言い訳もできないほど、毛利家主導のクーデター丸出しだし、
東軍に秀頼を助ける大義名分を与えるだけ。
0605人間七七四年2021/10/02(土) 12:21:25.51ID:+loZ60vA
てか秀頼も良くない。
家康か輝元に討伐命令書状を出して立場をはっきりさせないといけないのに。
0606人間七七四年2021/10/02(土) 13:43:03.68ID:a1u54H6f
当時8歳のこどもの責任を問われても・・・
てのもあるし本人と政権のためを考えても
軽率にどちらかに肩入れして
もっと酷い目にあう可能性もあるでしょ

政権として正式決定した会津征伐中に
突然クーデター起こしたのが西軍な訳で
それに政権賭ける選択普通できないでしょ

かと言って突然兵隊連れて入城されて
居座った連中反乱軍扱いして討てとか言うと
何されるかわからんやん?

西軍挙兵は豊臣御為に立ち上がった義挙
みたいなバイアス排除してみると実は
挙兵された時点でめっちゃ迷惑だし実質詰み
0607人間七七四年2021/10/02(土) 13:48:36.80ID:Zs/QW5FY
秀頼の手足となって動くべきだった側衆も西軍に付きたくなくても
断れば大坂で乱になってしまうしで選択肢はなかったでしょうね

こういうときに先頭に立つべきだった前田はいないし
0608人間七七四年2021/10/02(土) 14:07:28.48ID:e6GUhvOW
>>593
確かに輝元は慶長4年に度々島津とやり取りしてることが確認できるけど
輝元が何か手立てを講じようとしたが家康から島津に使者が遣わされたから
その意を汲んで行動しようと思うって言ってるから主導権は家康にあり、輝元主導では何もできなかったのが実情だな
島津家文書で見ても実際乱の平定に向け動いてたのは家康、山口直友、寺沢正成だしな
0609人間七七四年2021/10/02(土) 14:09:43.38ID:S9zv9/tX
豊臣本家に選択させないためにも毛利は大坂にあの大規模の兵を留め置いたんだろね
0610人間七七四年2021/10/02(土) 16:14:50.55ID:+loZ60vA
秀頼八歳とはいえ、当時は十三には戦争で大将張ってる奴もいる時代なんだ。しかも天下人秀吉の息子なんだから当然ここで将器を見せつけんといかん。
どのみち傍観してたら勝者に天下人は取られてしまうんだし。
0611人間七七四年2021/10/02(土) 16:25:03.07ID:2ndKVS7m
家康が勝っても豊臣家には関係ないとでも思ってたのかな
0612人間七七四年2021/10/02(土) 17:12:21.42ID:zUWazw+w
秀吉が没した時点で天下差配できるだけの器量がもう豊臣家にはなくて、天下人じゃなくなるというならすでにこの時点で天下人じゃない、というか秀吉も遺言で豊臣家と政務を分けた書き方してるしね
あとは政務を血縁の家康に任せて前の天下人の家として敬意払われる名誉的な立ち位置は確立できてるし、わざわざとんでもなく実務の多い天下人をやりたがる意味も必要もないかな
0613人間七七四年2021/10/02(土) 17:24:31.48ID:2ndKVS7m
>>612
豊臣家がそう考えていたなら滅亡してないんじゃないかね
0614人間七七四年2021/10/02(土) 17:27:05.77ID:js4/hLf6
>>610
そういう状況なの分かってて挙兵するなよ西軍、って話ではある
まあ、大坂押さえて伏見落として内府違いの条々バラまけば
諸侯の大半はこっちになびくだろうから、これで徳川に勝利!みたいな
すげえ甘い予測で挙兵してるっぽいからどうしようもねえんだが
0615人間七七四年2021/10/02(土) 17:42:32.50ID:9P0bSx8a
少なくとも秀吉は遺言でもって家と政権を分けたね
淀においても秀頼の当主代行してる間はつつがなく徳川とのゆるやかな上下関係の逆転は認めてるし
あるとするなら秀頼当人が弁えてなかったって感じ
ただこの辺もどちらかといえば淀から秀頼に当主が切り替わるにあたっての派閥の摩擦による御家騒動な性質が強いのよね、大坂の陣に至るまでの片桐追放までの流れ
0616人間七七四年2021/10/02(土) 17:57:00.15ID:iVLUovBH
>>613
羽柴家が政権から切断されることは共通認識として武家政界一般に共有されていた(伊達政宗書状等)にしても、
切断後の羽柴家の具体的な取扱方について
政権継承者=江戸幕府と羽柴家との間に温度差があったということなんじゃないか。
所謂「ボタンの掛け違い」という奴。
0617人間七七四年2021/10/02(土) 18:10:20.41ID:HEdeYimu
>>611
家康が勝っても、輝元が勝っても、豊臣公儀の機構が瓦解して
勝った方が政権をとることになるのはわかってたんじゃね?
だからどっちにも味方したくなかったんだろうし。
0618人間七七四年2021/10/02(土) 18:15:21.07ID:HEdeYimu
>>616
豊臣家「実質的な政権は徳川家がとることになっても、鎌倉幕府の宮将軍のように
     名目的な君主は豊臣家が続ける」
徳川家「豊臣家は官位も官職もないし、儀礼的な君主につく資格がない。
     旧主の子供としての敬意は払うが、君主としては扱わない」
こんな感じ?
0619人間七七四年2021/10/02(土) 18:20:08.15ID:+loZ60vA
せめて家康に討伐命令と恩賞を約束しておけば良かった。
そうすれば家康の出す恩賞はイコールで豊臣が出す恩賞になるから太閤恩顧の連中に少しは効果があったかもしれない(大坂の陣に味方してくれるみたいな事は無かったろうけど)
傍観決め込んだ結果、領土だけ取られて人々の敬意は徳川とかやってられませんよー。
0620人間七七四年2021/10/02(土) 18:23:23.97ID:S9zv9/tX
天領はそもそも政権に帰属するから、豊臣の本領は減ってないんじゃないか
0621人間七七四年2021/10/02(土) 18:31:23.18ID:iVLUovBH
>>618
大体その辺りかな、と。
0622人間七七四年2021/10/02(土) 18:41:40.86ID:0ouNWt64
色々意見があるけど豊臣家がやったことはどっちつかずで中途半端だったよね
0623人間七七四年2021/10/02(土) 18:55:11.37ID:js4/hLf6
>>622
と言うより、豊臣家が天下に大乱や混乱が起きた際に、そういう中途半端な立場を
当主幼少故に取らざるを得ない状況になってたのが、秀吉死亡直後の状況だからな
いっちゃあなんだが、この状況で政権内最大勢力である徳川の支持を
(たとえ専横に近い状態にせざるを得なかったとしても)取り付けた状態にしたのは
老いたりとはいえ、さすが秀吉とは言えると思う
まあ残念ながら2年しかもたなかったけれども
0624人間七七四年2021/10/02(土) 19:04:36.68ID:0ouNWt64
関ヶ原でああいうスタンスだったんだからその後も徳川の天下運営を支持して大人しく言うことを聞いておくべきだったな

伊達政宗が言ってたみたいに家康に養育してもらって一門衆として扱ってもらった方がよかったのかも
0625人間七七四年2021/10/03(日) 12:36:32.72ID:KhUXzgpg
自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則の意味が全くわからなかったんだけど
徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
つまり、敬意だけは失わないでくれ、的な。
0626人間七七四年2021/10/03(日) 13:16:11.50ID:9Zy62rxz
まずその話はほぼ確実に創作
初出が改正三河後風土記でしょ?たしか
0627人間七七四年2021/10/03(日) 13:44:12.24ID:BNTGrHAR
信長の孫だから簡単には命取らんやろ
0628人間七七四年2021/10/03(日) 13:56:51.80ID:KhUXzgpg
主旨があってれば、創作でも良いですね
徳川史が初出なら、徳川家視点の『豊臣家こうあるべきだった』という間接証明と言えますよね
当時から、敬意を払われるだけの存在になるべき、という見方があったと言えます
0629人間七七四年2021/10/03(日) 14:02:57.80ID:BDVYgDQG
>>628
> 旨があってれば、創作でも良いですね
良いわけねーだろアホか。「改正三河風土記」の編纂の時点に於いてでそういう認識があった、ということに過ぎない
0630人間七七四年2021/10/03(日) 15:13:06.71ID:KhUXzgpg
だから、それで良いじゃないですか?
話の主旨があってれば
0631人間七七四年2021/10/03(日) 15:20:28.25ID:Bof3AF3S
つまり秀頼の時は福島のように戦功に代えてでも助命を願った大名武将は一人もいなかったということかな
0632人間七七四年2021/10/03(日) 15:22:46.11ID:cG5EpsTQ
片桐且元が一応助命嘆願してなかった?

だとすると且元さんマジで聖人だが
0633人間七七四年2021/10/03(日) 15:26:46.71ID:BDVYgDQG
>>630
「改正三河風土記」の成立は1837年(天保8)だぞ?関ヶ原から230年後だ
君の言う「当時」っていつのことよ
0634人間七七四年2021/10/03(日) 15:28:42.16ID:Bof3AF3S
まあ秀信は西軍全体で見れば首謀者でもなくさほどの大物でもないし
助けたところで禍根を残すような危険性も無かったろうから
0635人間七七四年2021/10/03(日) 17:13:08.51ID:KhUXzgpg
>>633
1837年で良いのでは?
つまり、初出の時
この話、史実性ではなく解釈の問題なんですけど
0636人間七七四年2021/10/03(日) 17:16:12.38ID:KhUXzgpg
>>625に対して、『いやその解釈はおかしい。正則はこういうつもりだったはずだ』とかの反論ならわかるんですけど…
0637人間七七四年2021/10/03(日) 17:40:06.84ID:9Zy62rxz
いや、福島がそんな事をした事実もないのに625のまるで福島がやったかのように語ってるのは明確におかしいでしょ
0638人間七七四年2021/10/03(日) 17:43:21.71ID:9Zy62rxz
後世出来上がった逸話は精々その成立時にその人物がそういう事してもおかしくねーな、と思われてた程度のものでしかない
変に意図を汲み取ろうとしなさんな
0639人間七七四年2021/10/03(日) 18:13:12.34ID:033057mJ
そもそも西軍に加担した連中が軒並み命を奪われているわけではないからな
秀信が切腹や斬首に相当するようなことをしているというとこから説明しないと
0640人間七七四年2021/10/03(日) 18:55:21.47ID:iHr5wrXN
↓この話に「史実性」が無いなら、それ以降はID:KhUXzgpgの妄想に過ぎず、「そう解釈()したいなら勝手にしろよ」以外の言葉がない
>自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則

つまり、まず一次史料を持ってこい。話はそれからだ。
0641人間七七四年2021/10/03(日) 19:06:07.40ID:KhUXzgpg
そう?
>>625を読んで貰えば、私の想像だとわかると思うけど(『気がする』って書いてるよね)
自分が>>625を読み間違えて、話に乗っかってきたくせに、みっともないよ?

私の勝手な解釈に異論があるならどうぞ、って話でしょ、最初から
史実性の話はしてないんだから、一次史料持ってきてからだ、とか意味不明

話に乗ってこなきゃ良いだけでは?
0642人間七七四年2021/10/03(日) 19:31:25.91ID:UbGPxLxs
やばいですね
0643人間七七四年2021/10/03(日) 19:40:12.07ID:LHAU4X4K
もう触れないでおこう
0644人間七七四年2021/10/03(日) 19:44:49.67ID:9Zy62rxz
アレな頭の人だったか
0645人間七七四年2021/10/03(日) 19:56:06.96ID:9Zy62rxz
>>625
> 自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則の意味が全くわからなかったんだけど
> 徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
> つまり、敬意だけは失わないでくれ、的な。

はい、この書き方の場合読解として常識的な受け取り方は
自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則
を事実として鵜呑みにした上で
徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
と、この事象に関する感想を述べたととるのが普通

少なくともこの事象を創作と思ってる書き方とは読み取れない
意図しない読み取り方されてるー!って言い出す前に、自分の書き方が創作を鵜呑みにしてると取れる書き方をしたことを反省するのが、まともな人のする事だと思うよ
まあここまでの書き込みの時点で相当ヤバい奴だとは思うので、そんな事しないし逆ギレかますのがオチとは思うが
0646人間七七四年2021/10/03(日) 20:25:18.24ID:+08HeQ2i
>>606

226の時に先帝陛下だったと考えたらたらよくわかる話だわ。
0647人間七七四年2021/10/03(日) 20:54:09.19ID:abY4L3QR
>>645
ID変わったけど、625ね。
それについては、>>626でほぼ創作と指摘されたので、>>628で創作でも構わない旨回答してるけど?

キミみたいな人達が噛みついてきたのはその後。
0648人間七七四年2021/10/03(日) 21:04:57.99ID:abY4L3QR
でも、よくこんなくだらない話続けられると感心するよ。
どうあれ、>>625が解釈の問題と認識したわけだし、それに異論があれば回答すればいいだけだし、
史実性に拘りたければ無視すればいいだけ

議論の目的がマウントとる事にズレてて、失笑せざるを得ない
0649人間七七四年2021/10/03(日) 21:18:28.93ID:9Zy62rxz
な?言われてこれなんだからそりゃやばいやつ認定しかされないんだわ
内容以前に反省もろくにできないその態度に怒られたら、うわ噛み付いてきたとか言い出すその性根をなんとかするか、喋らない方がいいよ
他人を不快にさせるだけで、君の発言も全く議論の進展に繋がらないから
0650人間七七四年2021/10/03(日) 21:32:45.43ID:cG5EpsTQ
ただ秀信が許された理由ってなんなんだろうな
東軍に属するつもりが西軍に寝返ったってパターンらしいけど、もう大物でも無いからと哀れまれたのか?
0651人間七七四年2021/10/03(日) 21:37:41.60ID:LHAU4X4K
織田右府の嫡孫って簡単に殺せる相手なのかね
0652人間七七四年2021/10/03(日) 21:40:40.94ID:9Zy62rxz
言っても西軍についたので死罪になったのかなり少なくないか?
大概は改易
0653人間七七四年2021/10/03(日) 21:45:18.68ID:UbGPxLxs
早死しなければ復帰の目はあったかもしれんね
0654人間七七四年2021/10/03(日) 21:46:37.24ID:yz7012eE
そもそも秀信って割とガチな西軍のイメージなんだが
家臣の一部は東軍に味方した方がよいと考えてた節はあるっぽいけど
なんか本人に東軍に味方する気があったって話があるなら教えてほしい
まあ秀信は立場的に相当ズルい立ち回りをしても許されそうではあるけどね
それこそ京極みたいな動きをしてもOKだったとは思う
結構早死にだし、もうちょっと長生きできれば大名復帰、
或いは信雄のように大坂で御伽衆になるパターンもあったんじゃないの
0655人間七七四年2021/10/03(日) 21:51:04.40ID:cG5EpsTQ
長束や福原、九鬼といった連中も自刃して果ててる。西軍諸将でも結構、自刃が命じられてはいるみたい。勝手に刃を呑んだ連中もいるだろうが…
織田秀信は確かに盟友織田信長の孫ではあるんだが所詮は13万石の大名、小西はおろか石田よりも少ないんだ。マジで信長の七光しかない。
織田の名を警戒するならサクッとやられててもおかしくは無さそうではある。
福島の助命嘆願とやらが効いたのか?でも助命されても徳川の邪魔になるなら容赦は無い筈だけど…
0656人間七七四年2021/10/03(日) 22:04:34.46ID:UbGPxLxs
当時の秀信の境遇だと大坂方に取り込まれそうな気もする
元家臣以外、信雄・有楽のように徳川方にコネがある感じでもないし
0657人間七七四年2021/10/03(日) 22:04:43.30ID:abY4L3QR
>>649
な? キミの結論は、>>625とは全く関係ないでしょ?
結局、私に対する人格攻撃なわけ
このスレで、キミはかなり人を不愉快にしてるみたいだけどね
そっくり返しときます
0658人間七七四年2021/10/03(日) 22:06:50.90ID:9Zy62rxz
長束は徳川からの命での切腹か怪しいはず
九鬼も徳川からは許し出てたけど家臣の独断じゃなかったけかな

どちらにせよ腹切らされてる方が珍しいくらいやね
0659人間七七四年2021/10/03(日) 22:09:32.80ID:/ll3j16R
人格攻撃だとか言い出す前にまじでその話の流れも読めなけりゃ話のゴールポストずらしまくって自己内省もしないゴミみたいな性格なんとかしろよ、性格が悪いから性格悪いと言われてんだろ、くどいしみっともない
0660人間七七四年2021/10/03(日) 22:14:50.62ID:cG5EpsTQ
関ヶ原の西軍諸将だと、
処刑者5名、自刃者18名、戦死者8名、暗殺3名…
らしいけど、
本多忠勝が真田を助命した、みたいな話が他にも残ってるのかもね。ここら辺はコネの世界だし。
0661人間七七四年2021/10/03(日) 22:35:51.07ID:abY4L3QR
>>659
自演お疲れさま
0662人間七七四年2021/10/03(日) 23:02:14.39ID:lXdktaP/
コネといえば聞こえが悪いけど信用できる人物からの身柄の保証だものね
逆にいえばここでコネがないのは大名としての普段の外交能力にも疑問符がつくと考えられそう
0663人間七七四年2021/10/04(月) 06:25:56.06ID:sfnHPr24
毛利も広家がコネでなんとか交渉することを期待してるしまぁ人脈って大事

翻っていうと徳川にとっては織田はもう敵では無かっんだろうか…
0664人間七七四年2021/10/04(月) 06:45:28.85ID:k7Vnu3TQ
>>663
織田家全体で見た場合、有楽が東軍だから保険はかかってるし問題ないだろ
最終的には信雄の系統も残ったから信長からの流れも残ったとは言えるし
御家が二家も残ったなら一家絶えても別に…いやそりゃ多い方がいいとは思うけど
0665人間七七四年2021/10/04(月) 08:04:57.51ID:45BIJR4G
家康は律儀者だから信長が死んだ後もずっと織田家の同盟者として振る舞ってるからね
家督だか名代だかになった信雄が秀吉に屈服した時点で織田家への義理立ては終わった
0666人間七七四年2021/10/04(月) 12:13:28.93ID:Ipba3SjN
家康にとってもう織田とか息の根止める必要も無い存在だったのか…

そういや信雄さんも何となく西軍に参加して何となく改易食らってましたね…
0667人間七七四年2021/10/04(月) 13:15:21.46ID:SNnC0mOD
織田弾正忠家自体元が陪臣の出で勢力急拡張の始まった信長時代から仕えだしたのも多いし、譜代は信長の叱責で追放されたり秀吉と対立の末敗死したりだしね
織田の求心力は秀吉の天下の時点で大分なくなってそう
なんか頼長は大坂の陣に託けて織田家でまた一旗上げたがってたみたいだけど
0668人間七七四年2021/10/04(月) 13:35:27.55ID:45BIJR4G
織田政権は尾張美濃政権
羽柴政権は近江政権だからまあ

本能寺で終わっちゃったせいで織田家の時代に活躍した信長の側近とか影薄いからねえ
0669人間七七四年2021/10/04(月) 18:35:10.38ID:Ipba3SjN
>>667
頼長「総大将は私がやりたい!」
秀頼「ダメです」
頼長「は?トップがバカで戦争できんわ」→大坂城最大の弱点南口を預かりながら一切の戦闘行為を禁止にするサボタージュを敢行
これホント酷い。豊臣家を何だと思ってたんだよ…
0670人間七七四年2021/10/04(月) 19:45:40.13ID:SNnC0mOD
豊臣家を自分の踏み台と思ってたんでしょ頼長
研究者にすらこいつかぶき者すぎて意味わからんみたいに言われてるし
0671人間七七四年2021/10/04(月) 19:50:39.22ID:IvfLC70h
そう考えると、天下人確定から一大名に落とされた意趣返しだったのかもしれんな…
0672人間七七四年2021/10/04(月) 20:48:14.98ID:k7Vnu3TQ
いとこにあたる信雄や、父である長益と比べても格落ち感が否めないからな、頼長
確かに大坂の陣時点だとこんなのでも大物の方だろうから
総大将になりたいと希望するのも無理ないが(浪人を総大将にも出来んし)
官位も従四位下・侍従だから地味に高いな、立場違うけど三成より官位上だし
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています