豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2
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0001人間七七四年
2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう
次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします
前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/
過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0503人間七七四年
2021/09/16(木) 01:13:06.96ID:hGgpjNwyその後朝廷工作と畿内の制圧のために畿内に留まり、将軍宣下を受けてから関東に帰った
その間に家康を抑えつける手段が豊臣側には皆無だったんだからどうしようもないわな
0504人間七七四年
2021/09/16(木) 01:33:07.44ID:1przx3+Mんで別に豊臣を立ててない訳でもなく秀吉の死亡で天下人としての機能を失った豊臣が段々求心力が下がって、その分天下人の機能を成り立たせてた徳川に求心力が上がり、ゆるやかに主従関係が逆転していく感じ
年頭礼見てるとわかりやすいよね
0505人間七七四年
2021/09/16(木) 01:35:42.92ID:xRjjnYUB家康は征夷大将軍に成るという風聞があったことが宣教師の記録などに
見えるので、家康が潜在的な征夷大将軍位の有資格者、という世間的認識は
かなり早くから有ったのだろう。
0506人間七七四年
2021/09/16(木) 01:46:54.34ID:FufWsU2i既に現役関白だった秀次を、秀吉が家父長権を以て
滅ぼした先例があるので、秀頼の舅である秀忠の段階でもう
それを行なう事ができる。
0507人間七七四年
2021/09/16(木) 01:48:32.42ID:1przx3+M勿論源氏だから征夷大将軍になる訳ではないが
0508人間七七四年
2021/09/16(木) 02:06:01.38ID:a5L3kl++0509人間七七四年
2021/09/16(木) 02:14:16.79ID:1przx3+M0510人間七七四年
2021/09/16(木) 08:04:46.05ID:aGH1Ms0R秀吉健在のうちに無理矢理にでも秀頼関白就任させて
実務は徳川内府家独占で関白はお飾りの体制を
確立させちゃうしかないんでは?
>>502>>507
むしろ関白になってしまっていたら
武家関白と幕府の二重政権状態で衝突不可避
幕府体制下の一大名として残る可能性も失う
0511人間七七四年
2021/09/16(木) 08:41:27.13ID:e12GcoAp後世でも徳川政権と呼ばれることになるだろう
0512人間七七四年
2021/09/16(木) 08:56:06.27ID:aGH1Ms0R鎌倉幕府室町幕府でしょ
徳川時代も一般的には江戸幕府江戸時代で
将軍独裁なんて続いてない
というか豊臣政権だけそう言われてんのって
短命だからで軌道に乗って何十年と経てば
伏見政権とか大阪時代になってたんじゃね?
0513人間七七四年
2021/09/16(木) 09:54:32.46ID:CwklY50i権威と武力が両輪揃って天下人にはなるけど、基本武力に従って権威がついてくる感じじゃね?武力というと聞こえはあれだけど言ってしまえば裁定の執行力な訳で
諸侯も執行する力がないのに権威だけの人間に裁定されても納得しないし、そんなのに付いていこうとはならない
0514人間七七四年
2021/09/16(木) 11:23:04.87ID:PwOFOjeBだから半端に大坂城という城塞に籠もってないで武力を放棄して公家になる
道はあったんじゃないかと思うね
家康が保護した他の元名門武家たちの中のトップクラスの待遇は受けられたんじゃないか
まああそこから天下を取り返すのは絶対無理だわ
0515人間七七四年
2021/09/16(木) 12:28:15.08ID:1tUbDeMcそれには豊臣内部が「もうウチは天下人じゃないし、これ以降天下人の家であり続ける必要も無いんだ」と一致して割りきらないと無理だろなぁと。
それが出来なかったから大坂の陣が起きた訳で。
かなり豊臣家自体が内的変化を遂げないと難しいかと思う。
昨夜のBSで秀吉が最
晩年建てた京都新城の話があったけど、公家屋敷も兼ねていたというこの城が関ヶ原前に破却されたのは
公家として生きる道すら喪っていく豊臣の将来を表すようだなと思ったよ。
0516人間七七四年
2021/09/16(木) 12:31:56.96ID:CeArTaJbもう時代に取り残されてる感があるのにいまだに前時代の意識で居座っていて
結果的には秀頼自身をも滅ぼすほど政治的に中途半端で危険な存在になってた
政宗だけでなく全ての大名が思ってたろうけど
0517人間七七四年
2021/09/16(木) 13:07:01.64ID:l2XWKTrU宣教師とかキリシタンの武将があつまるからでしょ
伊達家でも北の留守とか白石とか亘理の領地にはキリシタンの残党とか多くいて
伊達宗家も黙認していたけど仙台とか岩沼とか亘理とか伊達宗家と近いところの領地には
いなかったわけで、わざと領地の辺境にキリシタン置いていたわけだし
政宗は領内でのキリシタンの不穏な動きに対応してたからな。
キリシタンとかいない大名はキリシタンの恐ろしさを身に感じていないし
西国には秀頼のシンパが多いから、そいつらとは違うよと秀忠にアピールしていたんじゃないかな
(あと100万石のお墨付きを反古されているからチャンスがあれば貰う気満々だったし)
0518人間七七四年
2021/09/16(木) 13:13:34.66ID:/bt10gbVあと西国の秀頼のシンパとかキリシタンとかって何の話よ?
0519人間七七四年
2021/09/16(木) 14:17:33.10ID:elXvGWp1まず、江戸時代の先例云々はあんまり関係無い。
仮に昭和版公卿補任の編纂者が徳川家先例に熟知していたとしても、公卿補任に「秀忠の位階は従二位」と記されているんだから。
昭和版の編纂者は「秀忠が正二位を慶長十年に貰っていたら、その後はずっと正二位と記録される筈だ、つまり慶長十年では秀忠は従二位だったんだ」と考えた。だが、徳川実記等慶長十年に秀忠が正二位に昇った事を記録してる史料があるのも事実。
だから昭和版編纂者は、附記でこの点も記した。
それが「従二位(正カ)」って事。昭和版では慶長十年に秀忠が貰ったのは従二位としてる訳。
もし、徳川の先例から正二位だと思っていたら「正二位(従カ)」と書くだろう?だって正二位になってるはずなんだから。
勿論、これが朝廷のささやかな嫌がらせって可能性も無いわけじゃ無いよ?東侍に正二位なんか与えられん!っていうね。
…まぁそもそも、徳川家康が征夷大将軍になった時は「従一位・右大臣・源氏長者」だった筈なんだけどね。
秀忠が正二位を貰っていたら、その後に従二位とは記載されないだろう。つまり、公卿補任の記録は混乱してる事になる。その混乱の原因は編纂者が考える事でもない。
だが、慶長十年時点では秀頼が正二位である事を踏まえれば、大体の事情は見えてくる。
0520人間七七四年
2021/09/16(木) 16:03:22.04ID:l2XWKTrU仙台市博物館にあるものをちゃんと読みなさいよw
これでもみたら?
https://www.youtube.com/watch?v=GovLgFe5n6k
0521人間七七四年
2021/09/16(木) 16:06:42.11ID:l2XWKTrU覚
一、苅田 一、伊達 一、信夫 一、二本松 一、藍松
一、田村 一、長井
右七ヶ所御本領之事候間、御家老衆中へ為可被宛行進之候、仍如件、
慶長五年八月廿二日 家康(花押)
大崎少将殿
(『伊達政宗卿伝記史料』596頁)
どこに切り取り次第と書いているのかな?
0522人間七七四年
2021/09/16(木) 16:45:46.06ID:/bt10gbVあとその史料のどこに100万石がうんたらと書かれてると主張してる訳?
0523人間七七四年
2021/09/16(木) 17:00:06.71ID:/bt10gbV当時の常識としてその書状が同心しただけで必ずあげますなのか自力で切り取ったらなのかが知りたいな
この辺りの研究をしてる研究者は誰かいない?
0524人間七七四年
2021/09/16(木) 18:37:26.49ID:l69RSQmJ関ヶ原の翌年春頃まで軍事行動続けてないんじゃないか
別に攻め落とす必要ないんだし
0525人間七七四年
2021/09/16(木) 19:39:40.86ID:m5QnuC06一次史料だと前田は北陸切り取り次第もらってて黒田は九州切り取り次第を要請してる等
本戦組はともかく地方組で東北だけ「味方しただけで差し上げます」は、まず考えられない
0526人間七七四年
2021/09/16(木) 20:26:57.83ID:g8ZiYwL8だから誰も正カを根拠に話してないよ
あなた以外はな
あなたはそれと「事情は見えてくる」とか
濁すだけの適当な思わせぶりだけで
朝廷の陰謀とか任官拒否事件とかその隠蔽とか
無理のある主張を繰り返してる
でもその根拠は何も示せずにいる
ただそれだけ
0527人間七七四年
2021/09/16(木) 20:57:15.35ID:aGH1Ms0R関白として残るにはさらに領土を削らないと
幕府にとって脅威を残しすぎて通らないだろう
そして65万石の召し上げを前提に考えるのは
「豊臣家」という集団にとっては自殺に等しいので
かなり難しいと思う
自分とその家臣家族が露頭に迷っても主家を残す
という奇特な集団である必要がある
0529人間七七四年
2021/09/16(木) 21:06:22.12ID:aGH1Ms0Rこの時点で朝廷、幕府ともに武家関白制は
今後の予定には入れてないと見るべきかと
(だから滅殺を狙ってるとまでは言えない)
そこで残るは一大名として残るという道で
それは豊臣家臣として家を残すには現実的な妥協案
片桐且元が提案したのもまあ頷ける
結局は主流派に拒否されて追放された訳だが
一応は豊臣家内部にもその道を模索した者がいて
派閥政治を勝ち抜いてたらあり得た未来だと思う
0530人間七七四年
2021/09/16(木) 21:13:59.76ID:aGH1Ms0R体制を確立させるしかないと思うわ
当初の秀次への政権移譲路線を堅持して
実質的な武力に裏打ちされた政権として残る
というのが一つ(秀頼は出家させるとかな)
秀次横死後ならむしろ徳川に権力集中させて
秀頼はお飾りにする方がまだ可能性ある
0531人間七七四年
2021/09/17(金) 12:29:05.50ID:9EMUrmLE計算できない可哀想な子なんだなw
>>523
じゃあ結城秀康は上杉領に45万石位切り取ったわけなんだw
0532人間七七四年
2021/09/17(金) 13:14:49.89ID:7XTJHeshとりあえず出典のない動画を見せてきた時点でもちょっとアレな人だなーと思ってたけども
0533人間七七四年
2021/09/17(金) 15:38:56.34ID:9EMUrmLE逃げないで答えて下さい。切り取り次第前提であれば、例え子供だろうが他人だろうが(でも息子の嫁の父親だけど)
条件は同じになるはずだけど
残念な返ししか出来ないのかな?
0534人間七七四年
2021/09/17(金) 15:47:42.60ID:7XTJHesh織田政権において家臣たちに切り取り次第が出たからって息子にも同条件が課されたことなんてあった?
逃げるとかじゃなく勝手な脳内ルールを持ち出してこないでもらえる?
0535人間七七四年
2021/09/17(金) 16:25:50.45ID:Uuwv4W/+こんな当然の事も分からんのに人様に噛み付くんじゃあないよ
0536人間七七四年
2021/09/17(金) 16:35:56.42ID:3di08Q9dそれをさせない為に守りを固めてる結城秀康と
むしろ積極的に攻撃しなくちゃ上杉が南下始めた場合牽制にならない位置取りの伊達
一緒くたに語るのはどう考えてもダメな例でしょ
0537人間七七四年
2021/09/17(金) 16:57:53.15ID:nQqB1YAS黒田も要請のお伺いを立てた後に井伊直政通して家康から
九州切り取り勝手の許可の返事(慶長5年8月25日付黒田長政宛井伊直政書状)もらってたな
まあ普通に考えて何もせずに加増なんかしてもらえるはずないわな
0538人間七七四年
2021/09/17(金) 19:48:33.35ID:xB/RJVmf最上も伊達同様関が原の後も上杉と戦って得た庄内地方を丸々貰ってる
0539人間七七四年
2021/09/17(金) 20:26:23.23ID:YwIdib8Pttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20210917/k10013263731000.html
>石田三成の書状では、秀吉から受け取った金の使いみちについて
>忠興に「自分たちは恵まれているのだから、金をため込むのではなく周りに配るよう」説いていて、
>専門家は押しつけがましいともとれるほど生真面目な三成の性格や人間性がよく表れているとしています。
>また、古田織部の書状は、織部を名乗る前の「左助」という名前で「刀を貸してほしい」という趣旨が記されていて、
>専門家はほとんど残っていない織部の若い頃の書状だとしています。
書状を裏紙に使っているので金をため込むと思われても仕方ない気がする
0540人間七七四年
2021/09/17(金) 20:28:24.16ID:jWvq4BOh実際に切り取れた小松領・大聖寺領だけ加増+弟領
黒田如水は九州切り取り次第を要求したが(九月一五日付藤堂高虎宛黒田如水書状)
本戦で決着済みと受け入れられず森領のみ切り取り次第
加藤清正は肥後筑後切り取り次第を許可されて(八月一二日付加藤清正宛徳川家康書状 )
切り取った宇土領を加増
遠藤慶隆は旧領切り取り次第を得て(七月二九日付遠藤慶隆・胤直宛徳川家康書)
切り取った旧領復帰
最上義光は切り取った庄内領を加増
伊達政宗は切り取った白石領を加増
ざっと有名なの並べると関ヶ原の地方組には切り取り次第の原則が分かりやすく出てることが多く
政宗だけ特別扱いする理由が見い出せないし俗にいう百万石のお墨付きは成立しにくいね
8月22日付伊達知行宛行状もまぁ出された意図が不明瞭だし上杉征伐のあかつきには旧領に戻してあげるよくらいの話じゃないのかな
0541人間七七四年
2021/09/18(土) 10:49:06.09ID:1560V2v0紙自体の価値が現在と桁違いなんで
機密性高かったり残す必要あるあったりしなきゃ
忠興に限らず結構使い回してたみたいよ
書状を自著に使ってたなんてまだ上等で
屏風の裏から出てきたりする
0542人間七七四年
2021/09/18(土) 17:35:48.87ID:jg7rlLh20543人間七七四年
2021/09/18(土) 18:21:17.74ID:iwDTxuAA0545人間七七四年
2021/09/18(土) 20:11:13.30ID:Y7Yr55+I最上勢は下秀久を先手とした最上義康の軍が庄内地方の尾浦城を1600年、翌年3月に酒田東禅寺城を攻略したとなってるね
0546人間七七四年
2021/09/19(日) 00:37:38.76ID:SIFznKUm元々尾浦城主だったが最上方として尾浦城を攻め落として、尾浦城主に復帰したとか
0547人間七七四年
2021/09/19(日) 10:51:54.13ID:fe99dDKF奥州仕置時の秀次の補佐として動いてる家康の報告書であると
浅野弾正からの情報を秀次に上げてるみたいで、関係の把握に便利そうね
0548人間七七四年
2021/09/19(日) 11:43:17.43ID:vf+cpQLH新出の書状とは言え、同じ日付(天正18年12月8日付)で伊達家文書で既に知られている
津田盛月・富田一白宛家康書状と全く同じ内容なんだよな
伊達家文書の方は秀吉に報告したものだから文末に「此旨可然様可預御披露候」と付け加えてるが内容は一緒
0549人間七七四年
2021/09/20(月) 10:29:29.98ID:n9NbmPOt公卿補任は平安時代から続く官位任命の記録書なので「江戸時代の慣例」がなんで出てくるのさ?
記録者が未来の慣例を予測して書いたとか?
あるとしたら「征夷大将軍の官位相当は正二位」って事じゃ無いの?でも征夷大将軍って従三位、若しくは従二位あれば足りるらしいけど。
公卿補任は重要史料だから何回か調査・編集がされてるけど(明治版と昭和版)
仮に思想的偏見があったとしても、公卿補任の内容を勝手に変更はしないと思うぞ。
明治版は秀忠の官位変遷が妙だと思ったけど、史料に忠実に編集した。
昭和版は朝廷の常識(位階は安易に上下しない)を重視して慶長十年の秀忠位階は従二位としつつ、
史料も鑑みて附記で(正カ)とした。
0551人間七七四年
2021/09/22(水) 01:45:36.33ID:6zEEAOuwhttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1632220456/1
0552人間七七四年
2021/09/22(水) 09:29:57.55ID:DZiy2xwo秀次事件のシーンでは出演者全員「・・ないわーこれで崩壊したろ」
みたいな感じで草だった
0554人間七七四年
2021/09/22(水) 12:09:04.72ID:sRuQOyjnよほどの豊臣びいきでない限りわかりそうなものだけどな
豊臣家単独で政権を担当できなくなり他家大名に依存もしくは寄生しなきゃやってけなくなったってことなんだから
0555人間七七四年
2021/09/22(水) 12:21:40.09ID:lxh/AYyaそりゃ当然ながら現代の我々は学者一般人問わず後世の人間だから「後知恵」ってフィルターがあるからだけど、秀吉没直前の時点で豊臣政権後継者が幼少の秀頼のみしか想定されてなくて小早川秀秋始め他家に入った親族に後継の目が無い状態では、スペアも無いのにメインの部品がもうすぐ無くなるって状態な訳で
当時でもマズい状態なのは明らかだもの。
秀吉が秀頼成年まで元気に後見するのが大前提の継承策って、どう考えても当時の人間の寿命を思えば相当困難。
0556人間七七四年
2021/09/22(水) 12:31:55.33ID:sRuQOyjn秀次事件以後の徳川への傾斜っぷりでわかる
0557人間七七四年
2021/09/22(水) 18:37:38.28ID:b+Ks3Ui40558人間七七四年
2021/09/22(水) 19:46:29.15ID:PSf0Id/h武家のトップ張りたかったらここぞという時には身体張らないとな
0559人間七七四年
2021/09/22(水) 20:15:07.87ID:qpqx3u0t仮に決戦に勝てたとして、一回でも担ぎ出されれば他勢力に利用される恐れもある
0560人間七七四年
2021/09/22(水) 20:20:40.82ID:K0afEccf0561人間七七四年
2021/09/22(水) 20:29:53.50ID:a2GmGOs60562人間七七四年
2021/09/22(水) 20:53:32.51ID:qpqx3u0tそれはそれで道中の不慮やら従軍しない将の反発がありそうな気もするが
仮に政権のトップが出陣するなら小田原征伐などと同規模の動員が必要になってくるのでは
0563人間七七四年
2021/09/22(水) 21:14:19.14ID:lxh/AYya政務を代務する大老格の家康が軍を率いて上杉に直接糾問する体裁だから、ここで秀頼出陣となると糾問でなく
0564人間七七四年
2021/09/22(水) 21:25:32.90ID:lxh/AYyaとてもじゃないが状況としても大仰に過ぎるし、以前の前田なんか秀頼が出張る兆しすら無かったんだもの。
それに征伐となったら必ず秀頼出陣というのもどうなんだと。
でも本当に秀頼に将来政権を託す、特に「武家」関白という公家・文官でない関白の有り様の実地経験を積ませるなら
例え幼少からでも戦場に出すのは有りと云えば有りでもあるけどね。
0565人間七七四年
2021/09/22(水) 21:34:48.91ID:YRYvGTH9> 上杉を完全に征伐する事になる。
え。
徳川羽柴に上杉も加わって反転して石田を征伐するのかと思った。
そうなったらもちろん毛利も島津も東軍になって石田を。
0566人間七七四年
2021/09/22(水) 21:49:20.73ID:AdDv0Zas西軍は家康らが会津へ行ってる留守に乱起こして、しかも秀頼を錦の御旗にしたくて軟禁してるんだから
たとえ西軍の大軍詰めてる大坂城脱出できたとしても関東まで逃げ切れないでしょ、伏見の城に鳥居らと一緒にこもるの?
0567人間七七四年
2021/09/22(水) 21:56:45.86ID:K0afEccf0568人間七七四年
2021/09/22(水) 22:02:28.91ID:YRYvGTH9ついでに石田も一喝して東軍に。
0569人間七七四年
2021/09/22(水) 23:28:48.11ID:E2uA/x5Jって約束を「やっぱなし物心付いてない幼児がトップです」
「この子何の役にも立たんけどお前ら盛り立てて」
ってなった訳だからね
そりゃ皆んなバカバカしいと思うし
好き勝手やらせてもらうわって思うやつは多いわな
0570人間七七四年
2021/09/23(木) 09:46:07.90ID:vBIiEHTo公卿補任は朝廷の公的な記録なので何らかの改竄をする時には徹底的に改竄する。
つまり、秀忠が慶長十年に正二位になった事が「正史」になったのなら従二位の記録は存在する筈がない。
それに、秀忠を将軍にするのは家康の意向なので位階を拒否しても騒ぎにはならないよ。
家康が正二位を辞退したのは秀頼が正二位だからだろう。
だとすると、朝廷が秀忠に正二位を与えようとしたのは徳川と豊臣を争わせるため、はっきり言うと豊臣を暴走させて徳川に始末させるため。
だからこそ、家康が断ったにも関わらず公家にも武家にも秀忠正二位の話が残ってるんだろう。
0571人間七七四年
2021/09/23(木) 12:10:26.71ID:WUblfZ3+天下人が昇官拒否しても何の痕跡も残らないとか
どっちも独自解釈すぎてお前の中ではそうなんだろなとしか
0572人間七七四年
2021/09/27(月) 06:52:45.66ID:Mw6EESmJそりゃあ、成人した当主も居なければ後見人にふさわしい親族も、譜代の家老も居ないって
形になったんだもん。
冷静に考えればその後見人の立場に一番ふさわしいのは秀次なんだけど。
普通に秀次の娘が秀頼の正室で済みそうなのに、何故あそこまでこじれたのかね?
そして一番得したのは誰が考えても家康「小牧長久手で秀次惨敗してるし」なんだよな
0573人間七七四年
2021/09/27(月) 07:20:58.37ID:EpwOsaeA秀次が完全に排除された事で秀次側近も事実上排除されたことを考えると、
秀吉側近も充分得をしたとは言えるけどね
秀吉死後に秀次が健在で後見人になった場合、当然政権中枢は秀次側近が占めるから
そこに先代側近の居場所があるとは思えん、まあ肩身が狭くなるのは確定だろう
秀頼は秀頼で当然自分の側近を取り立てたいだろうし
あの時点で秀次を排除すると、秀吉死亡時に秀頼幼少のままの可能性が高くなるから
(実際そうなった)先代、つまり秀吉側近が引き続き権限を持ち続けられるからな
0574人間七七四年
2021/09/27(月) 07:40:55.56ID:Pf2hnPKq秀吉奉行衆だからな
0575人間七七四年
2021/09/27(月) 08:31:59.63ID:ZDFW3Xi9つか一戦の一勝一敗をそんな根に持つもんでもないし、見方が雑にすぎる
0576人間七七四年
2021/09/28(火) 12:45:26.83ID:4uBG2jKh0577人間七七四年
2021/09/28(火) 17:36:58.75ID:T3X9FrLVお飾りという年齢ではないが
百戦錬磨の徳川勢相手に総大将務めるにはいかにも不安という微妙な年代
0578人間七七四年
2021/09/28(火) 18:21:07.69ID:EwxKXiAg0579人間七七四年
2021/09/28(火) 18:50:46.61ID:hpegDJ+A幾ら公卿補任の記録者がうっかりさんでも正二位を賜った人を従二位で記録はしないだろう。
下手すると朝廷人事への批判になるんだから。
それに、秀忠への任官を家康が辞退してもそんなに騒ぎにはならないぞ。
朝廷が秀忠に宣下してそれを土壇場で拒否したら確かに騒ぎになるけどそういうケースじゃない。
現将軍・家康が息子に禅譲すると朝廷に打診(拒否される筈もないし実質宣言)しただけ。
おそらくその返答として朝廷は正二位・内大臣・征夷大将軍を提案したんだろう。でも家康は正二位のみ辞退した。先例上従二位でも将軍には足りる筈だし何の問題も無い。交渉段階だから騒ぎにもならない(ついでにいうとここで秀忠は従三位から従二位に昇官は果たしてる)
公卿補任で慶長十年に正二位としてるのは朝廷で人事担当から情報を受けてたからだろう。
ところが実際は従二位だったから妙な混乱を招いてしまった。
0580人間七七四年
2021/09/28(火) 20:12:40.29ID:Dcv6IZ4Eもはや何を言いたいのかわからん
従二位を正二位と書くのも同様に
人事批判と取られかねない間違いだ
土壇場で覆ったわけでもなく宣下されてないなら
公卿補任に記載されるのはやはりおかしい
結局朝廷の陰謀なる結論ありきで見る理由はないが
そんなおかしな見方してるから
これしかありえないと考えてしまうんだよ
0581人間七七四年
2021/09/29(水) 18:29:57.42ID:xkzmeW+l前に、熱く猶子で実子と同じと力説してる人がいたけど。そのわりには、秀頼の後見となるわけでもなく、参加した西軍の総大将になるわけでもない。西軍の有力大名として、参加し、善戦したに留まっている。
0582人間七七四年
2021/09/29(水) 20:08:22.02ID:5oucSHpA猶子はどこまで行っても家を継がせる養子とは違うしで、あくまでも大名宇喜多家への後援なのよねあれ
0583人間七七四年
2021/09/29(水) 20:23:18.25ID:KK4GJd2f秀吉がいたから秀家が継いで成立したようなもんだし
0584人間七七四年
2021/09/29(水) 21:04:28.93ID:jp4YM/D9それ以上でもそれ以下でもない
0585人間七七四年
2021/09/29(水) 21:27:49.34ID:2ixUuhgW正二位を貰うという確定情報が公卿補任の著者に入ってたんだろう。事実、徳川の史料では正二位になってる(公卿補任では慶長十五年では従二位)
武家である徳川には位階なんて興味薄だろうが、それでも実際に宣下を受けた徳川が正二位を記録してるのは何故か?朝廷の人事権者からリークがあったから。家康が辞退したのに広がってるから朝廷は意図的にリークしたんだろう。
そして故に、公卿補任も秀忠を正二位で記録した(これは当然、江戸時代の慣例とは無関係)
どうして朝廷の人事権者を疑うだろうか?
勿論、騒ごうと思えば騒げるが朝廷からすると秀忠を秀頼と同じ正二位にして豊臣を刺激するってのはちょっとしたイタズラに過ぎない。
本命は秀忠将軍就任によって、秀頼を関白の座から叩き落とす事。
尚更、騒ぎには出来ない。ま、仕込みはしておくに越したことは無かったんだろうけど。
0586人間七七四年
2021/09/29(水) 21:29:10.65ID:aJtxjGnBただ娘婿として秀吉の身内扱いはされてた
0588人間七七四年
2021/10/01(金) 01:22:27.68ID:J13LHDfFあまり毛利が西国の取次やら西国事情の報告なんかしてる様子があるってのを聞いたことがないけど
0589人間七七四年
2021/10/01(金) 17:14:40.80ID:Uio0KYOe0590人間七七四年
2021/10/01(金) 21:49:07.72ID:23MjuwJF東北仕置きは秀次-家康ラインで処理された
けど西国遠征における毛利家の役割は
案内役先陣としてけして小さなものではないものの
そこまでのものだったとも言い難いのではないかな
西国を毛利に任せたというのが毛利独自の主張か
晩年の秀吉が実際にそう言ったのかは定かでないが
後者だとしたら耄碌してたんかなという印象
0591人間七七四年
2021/10/01(金) 21:52:34.98ID:k3jXIa3b輝元個人に対しては、秀吉は尊重はしているものの決して重用も信頼もしていない。
0592人間七七四年
2021/10/01(金) 23:50:34.98ID:J13LHDfFありがとう
0593人間七七四年
2021/10/02(土) 01:11:56.51ID:Zs/QW5FY0594人間七七四年
2021/10/02(土) 04:40:09.46ID:S9zv9/tX秀吉から西国惣無事として任じられての行動かどうか判じられないのよねぇ
0595人間七七四年
2021/10/02(土) 05:55:15.44ID:HFh41SI+諸々指導してる三成は西国惣無事みたいな
変な話になってきちゃわね?
まあ関ヶ原で多方面侵略してんのも
惣無事らしいといえばらしいのかもしれんし
割と真面目にやる気だったんじゃね?
西国における政権権力の奪取を
0596人間七七四年
2021/10/02(土) 06:32:32.77ID:HEdeYimu2.上杉家に勝手に軍事道路を建設された最上が、豊臣公儀に上杉を告発
3.豊臣公儀としての召喚を、上杉がガン無視
4.放っておけないので、家康が豊臣公儀として上杉討伐軍を興す
(ただ、進軍が遅いのを見ると、上杉がごめんなさいしてくるの待ってたんじゃないかな)
5.毛利が家康主導の政権に反発する奉行衆を抱きこんで、大坂を武装占拠
豊臣公儀の名前で家康を告発。西国各地に侵攻を開始
6.東軍は家康支持でがっちり固まる。上杉は東軍の進軍を妨害せず、
清州城が速攻で落ちて、防衛ライン構想が瓦解。
毛利家及び擁立した旧領主の軍勢、西国各地で敗れる。
7.輝元、三成をスケープゴートにして停戦交渉を開始。
ぶっちゃけ、関ヶ原なんてなくても、この時点でクーデターは終わってる。
8.関ヶ原
9.大老は家康以外権威を失い、奉行は浅野以外免職。
豊臣公儀体制が崩壊し、徳川家の家内機関による公儀運営を開始。
豊臣の家内機関も崩壊したが、本来秀吉の代行をすべき高台院が隠居
しているため、淀殿が表に出ざるを得なくなる。
大体、毛利が悪いと思う
0597人間七七四年
2021/10/02(土) 07:27:46.02ID:2ndKVS7m元の位置が高かったから目立たないだけで織田信雄レベルのアレだったのでは
0598人間七七四年
2021/10/02(土) 08:19:10.93ID:Fo6LzMuR豊臣惣無事体制のような固定された世界で生きたくない、普通に所領や勢力は増やしたい
そんな人物だったんだろう。
三成なんかは本人にもそれなりに問題があったにせよ、西軍成立期には
到底反徳川の諸侯を糾合出来る立場になく、毛利などの動きこそ真の主体だろうから
体よく安国寺らと共にスケープゴートにした訳で。
でも結局権力抗争に敗れたので能力はアレ呼ばわりになるが
普通に戦国大名のメンタリティーを持ったままの人だったのだろう。
0599人間七七四年
2021/10/02(土) 08:30:58.14ID:oXABoVIb家康が関東管領なら輝元は九州探題ぐらいの意気込みだったんじゃないの?
0600人間七七四年
2021/10/02(土) 09:27:09.84ID:2ndKVS7m0601人間七七四年
2021/10/02(土) 09:30:21.91ID:S9zv9/tXあんな大乱起こせる状態に持ち込んだだけ能力あると思うよ、二の丸殿事件とか小西行長の息子への扱いとか性格面がちょっと腰軽い癖に尻尾の切り捨て方があけすけで嫌われやすくてろくな書かれ方がされにくいってだけじゃないかな
0602人間七七四年
2021/10/02(土) 09:36:59.73ID:HFh41SI+三成みたく華々しく散ったわけでもなく
最後矢面に立つのを避けたから仕方ないとは思う
が大国の君主として不利な戦をしないのは
むしろ必要な資質なんじゃないかと
同じ五大老の上杉宇喜多と比べて
妙に辛く見られてる気がすることはある
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