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豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2

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0001人間七七四年2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO
豊臣(羽柴)秀吉が一代で築き上げた豊臣政権は秀長や利休などの
身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう

次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします

前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/

過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0484人間七七四年2021/09/13(月) 22:02:04.56ID:1PikWFaK
持ち回りで戻ってきた関白位じゃあ意味は薄いよな
むしろ豊臣家の復権を完全に否定する結果になりかねない
0485人間七七四年2021/09/13(月) 22:29:55.15ID:3VDKiKy1
根本的な疑問たが、
豊臣政権は本当に 崩 壊 したのかな。
崩壊したのは豊臣政権から切断された羽柴家だろう。
その辺を混同してやしないだろうか。

豊臣政権二代目主宰者徳川家康はやがて自前の幕府を立てて政権機能を漸次移行していった、
という方が事実に近いように見える。
その過程は漸進的なもので、崩壊などという断層的なものじゃなかったと思うんだが。
敢えて言うなら豊臣政権は役割を終えてフェードアウトしていった、と。

茶々や羽柴秀頼の主観はどうだか知らないけれど。
0486人間七七四年2021/09/14(火) 11:16:44.24ID:G7XNP87m
>>483
史実と逆のパターン、つまり朝廷が正二位を与えたく無いのに徳川がゴリ押しして正二位を奪い取ったなら記録に残ってるだろうね。
公卿補任では秀忠が慶長十年に正二位になったのか従二位になったのかが定かでは無い。だから昭和に改訂版を出した時に従二位(正カ)としている
つまり、朝廷としては秀忠に正二位を与えるつもりだった。というか決定していた。
これはとても名誉な事なので断る事は有り得ないから誰もが「秀忠さまは正二位になったらしい」と思った。
だけど公卿補任で従二位の記録があるからこれは流れた事になる。それはつまり徳川が断った事に他ならない。
朝廷がこの様な動きをしたのは、同じく正二位の秀頼の存在が大きいだろうさ。
そうでなければ、正二位を徳川が断る道理が無いからね。
0487人間七七四年2021/09/14(火) 13:47:16.06ID:LcQCJUM0
思い込みを入れすぎ
他ならないって言ってる部分は何故そうなったのかわからないであるべきでそこに想像をいれるべきでない
0488人間七七四年2021/09/14(火) 22:15:17.08ID:EG6gVxfg
>>482
天皇の即位灌頂の本読んでたんだが、東山天皇の時に関白の一条家は伝授の実績が無く
伝授をよく行っていた二条家の当主も難があって天皇に伝授出来ない可能性が出てきて
五摂家内でああでもないこうでもないと霊元上皇も絡んで色々あったのだという。
それまでは五摂家全てにそれぞれ伝承があり、理屈としては何処でも天皇に伝授出来たらしいのだがこの争論以降は即位灌頂の伝授は二条家が占有する儀礼とする流れになったという。
さて、こんな状況下に豊臣がいたとするならどんなだろうと考えたんだが
豊臣って一切の有職故実を有しない、単に二代関白を出しただけの家でしかなく
朝廷を運営するのに必要な物が色々欠けていたのを秀吉の権力と武力でゴリ押ししてただけなのに気付いた。
即位灌頂は天照大神と藤原氏の祖神天児屋根命との君臣の繋りに基づくという伝承が室町までに成立していて、神同士の聖なる盟約のようなものとされてたという。
いわば皇室と藤原氏のみの儀礼たいなもので、他家の関わる事が出来ない性格の儀礼だった。
こんな事態になった時に豊臣が関白していたとするなら、朝廷最高位の筈の関白が全く役立たずな上に蚊帳の外になるのは必定な訳で
公卿の道もあると過去レスに書いたんだが、実際豊臣は朝廷に入れたとしても関白としての業務出来ないんじゃねえかと思った。
0489人間七七四年2021/09/14(火) 22:29:53.26ID:LcQCJUM0
>>488
秀頼当人もその辺りの勉強を短期間でやめてるしね
ゆえに良くてと書かせてもらった
0490人間七七四年2021/09/14(火) 22:31:46.44ID:Od/YSvrC
>>467
五摂家が、九条が関白になっただけで関白が摂家に戻ってきたとは思ってなかったろう。
慶長五年、太政大臣は廃位となったから大臣職は左右内大臣のみ。そして左大臣が関白も兼ねる体制となってる。
仮にこの状況下で関白=左大臣が死去すると、
朝廷のトップは右大臣の豊臣秀頼ということになる。
関白は基本的には未経験者優遇という先例があるらしいので関白就任レースから秀頼を排除するのはかなり難しい。
朝廷、というか五摂家としては豊臣の勢力を朝廷から追い出す為に秀頼とその一族の死を願っただろうし、最低でも京から追い出すくらいは考えていただろうさ。
0491人間七七四年2021/09/14(火) 23:09:55.71ID:BxFcMb4U
尾張生まれの成金百姓一家だもんなー
関白てなんのジョークだよって話
0492人間七七四年2021/09/15(水) 08:30:09.25ID:mmnCD6w6
>>491
百姓? 農民ってこと?
別のスレで農民出は否定されてたぞ
0493人間七七四年2021/09/15(水) 08:33:20.32ID:mmnCD6w6
詳しくはこのスレで

秀吉の出自を徹底議論
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1610667352/
0494人間七七四年2021/09/15(水) 08:46:10.73ID:ZBb6j9M7
>>486
1行目から理解不能
朝廷が働きかけて拒否されても
働きかけた記録拒否された記録が
残らないというのが謎すぎる
0495人間七七四年2021/09/15(水) 08:48:41.34ID:ZBb6j9M7
>>486
昭和から見たら正二位と征夷大将軍が
セットなのが既に慣例化してて
何故従二位とされてるかわからないので
「正二位カ」になるのはわかるべ

なんでその昭和の記述から
当時の状況がわかるのか飛躍してるが
多分あなた自身が自説を信じ込んで
そこが見えなくなってる
0496人間七七四年2021/09/15(水) 08:53:10.60ID:ZBb6j9M7
通常起こり得ないとしてる昇官を断る例だが
織田信長の際には当たり前に記録されてる

実際に昇官する際には勅使が来る
それがないのに「昇官した」と認識されてた
というのは話がおかしいし
勅使が出たのに断ったならそれこそ
大騒ぎになって記録されないのはおかしい
0497人間七七四年2021/09/15(水) 09:09:57.57ID:g9JN9aDw
>>493
そこは秀吉の出自をなにがなんでも高貴の出としたい
キチガイが一匹いるから論外
0498人間七七四年2021/09/15(水) 09:42:21.92ID:71W+csMZ
諸々の記録が江戸時代の慣例に沿って
「訂正」された結果記録が混乱するってのは
ありそう(「正カ」もそれっぽい)

当時の秀忠への官位の決定権を握ってたのは
最終的には家康なのはまず間違いない
が、それと対立する「朝廷」の意思を
想定する理由は薄いかなあ

新たな天下人を昇官させようという意向は
官位の大盤振る舞いをした豊臣政権の経緯から
朝廷、武家両方にあったと思うよ
0499人間七七四年2021/09/15(水) 09:57:46.39ID:skE8lHmZ
>>495
だとしたら「正二位(従カ)」と書くと思うよ。
公卿補任における秀忠の位階はある年は正二位、ある年は従二位になってたはず。
具体的には慶長十一、十二は正二位(十一年は散位で従二位)、慶長十六年以降は従二位と記載される。
何の意味も無く位階は上がったり下がったりする事は有り得ない。
明治期に改訂版の編纂者も困ったろうが正二位を与えたと意味も無く記録はしないという点と、
徳川実記等の資料を照らし合わして正二位としたんだろう。
昭和期新訂版の編纂者も困ったろう。
彼は「本当に正二位を賜ったならそれ以後に従二位とは書かない。なら慶長十年時点では従二位の可能性が高い」として「慶長十年内大臣従二位(正カ)」としたんだろう。
0500人間七七四年2021/09/15(水) 20:43:58.04ID:ZBb6j9M7
>>499
悪いが1行目何が言いたいかわからない
元レスで書いてるのは2点

・江戸時代の慣例が将軍宣下時に正二位なので
 そこから正二位が正しいと考えるのは自然
・後世の註釈者は当時の細かい事情がわからない
 なのにそこから陰謀論を導くのはおかしい

その何が「従カ」と書くと思う理由になるんだ?

その後長々書いたことは基本的に同意
言うまでもないと思ってあえて書かなかったが
上がるのはともかく下がるのはおかしい
勅使が派遣されて断るのと同様大事件だ

だからどちらも記録にない以上
そんなことは起きてない
0501人間七七四年2021/09/16(木) 00:08:07.79ID:OutKi1zw
重箱の隅を突っつく議論も嫌いじゃないし結構面白く拝読してるんだが、
徳川秀忠の官位が豊臣政権崩壊にどう繋がって行くのか、そろそろ考察の展開を頼む。
0502人間七七四年2021/09/16(木) 01:01:26.46ID:xRjjnYUB
つか大坂の陣の前に秀頼が関白になってたとしても、豊臣家は滅んでいたよなあ。
官位、権威は豊臣家の滅亡と関係ない。
0503人間七七四年2021/09/16(木) 01:13:06.96ID:hGgpjNwy
関ヶ原で勝った家康は独断で知行の分配をした。この時点で実質家康の天下
その後朝廷工作と畿内の制圧のために畿内に留まり、将軍宣下を受けてから関東に帰った
その間に家康を抑えつける手段が豊臣側には皆無だったんだからどうしようもないわな
0504人間七七四年2021/09/16(木) 01:33:07.44ID:1przx3+M
元々秀吉死後、政権の政務任されてるしな、家康
んで別に豊臣を立ててない訳でもなく秀吉の死亡で天下人としての機能を失った豊臣が段々求心力が下がって、その分天下人の機能を成り立たせてた徳川に求心力が上がり、ゆるやかに主従関係が逆転していく感じ

年頭礼見てるとわかりやすいよね
0505人間七七四年2021/09/16(木) 01:35:42.92ID:xRjjnYUB
そもそも家康が秀吉への臣従のため上洛した時点で既に、
家康は征夷大将軍に成るという風聞があったことが宣教師の記録などに
見えるので、家康が潜在的な征夷大将軍位の有資格者、という世間的認識は
かなり早くから有ったのだろう。
0506人間七七四年2021/09/16(木) 01:46:54.34ID:FufWsU2i
仮に秀頼が関白に就任していたとしても、
既に現役関白だった秀次を、秀吉が家父長権を以て
滅ぼした先例があるので、秀頼の舅である秀忠の段階でもう
それを行なう事ができる。
0507人間七七四年2021/09/16(木) 01:48:32.42ID:1przx3+M
秀吉自身が源氏の家康ってのをかなりプロパガンダしてた節があるって話もあるね
勿論源氏だから征夷大将軍になる訳ではないが
0508人間七七四年2021/09/16(木) 02:06:01.38ID:a5L3kl++
でも秀吉に臣従した段階だとまだ藤原じゃないっけ?家康
0509人間七七四年2021/09/16(木) 02:14:16.79ID:1przx3+M
秀吉が源氏姓を家康に与えるのをお膳立てしたね
0510人間七七四年2021/09/16(木) 08:04:46.05ID:aGH1Ms0R
「豊臣政権」の存続で言ったら

秀吉健在のうちに無理矢理にでも秀頼関白就任させて
実務は徳川内府家独占で関白はお飾りの体制を
確立させちゃうしかないんでは?

>>502>>507
むしろ関白になってしまっていたら
武家関白と幕府の二重政権状態で衝突不可避
幕府体制下の一大名として残る可能性も失う
0511人間七七四年2021/09/16(木) 08:41:27.13ID:e12GcoAp
豊臣が傀儡でしかなくなったらそれはもう徳川政権やし
後世でも徳川政権と呼ばれることになるだろう
0512人間七七四年2021/09/16(木) 08:56:06.27ID:aGH1Ms0R
北条執権や室町管領家がしきってても
鎌倉幕府室町幕府でしょ
徳川時代も一般的には江戸幕府江戸時代で
将軍独裁なんて続いてない

というか豊臣政権だけそう言われてんのって
短命だからで軌道に乗って何十年と経てば
伏見政権とか大阪時代になってたんじゃね?
0513人間七七四年2021/09/16(木) 09:54:32.46ID:CwklY50i
これまでの関白は別に天下人だった訳でもなく、関白になることと政務を徳川が行うことは普通に並立しないか?
権威と武力が両輪揃って天下人にはなるけど、基本武力に従って権威がついてくる感じじゃね?武力というと聞こえはあれだけど言ってしまえば裁定の執行力な訳で
諸侯も執行する力がないのに権威だけの人間に裁定されても納得しないし、そんなのに付いていこうとはならない
0514人間七七四年2021/09/16(木) 11:23:04.87ID:PwOFOjeB
>>513
だから半端に大坂城という城塞に籠もってないで武力を放棄して公家になる
道はあったんじゃないかと思うね
家康が保護した他の元名門武家たちの中のトップクラスの待遇は受けられたんじゃないか
まああそこから天下を取り返すのは絶対無理だわ
0515人間七七四年2021/09/16(木) 12:28:15.08ID:1tUbDeMc
>>513
それには豊臣内部が「もうウチは天下人じゃないし、これ以降天下人の家であり続ける必要も無いんだ」と一致して割りきらないと無理だろなぁと。
それが出来なかったから大坂の陣が起きた訳で。
かなり豊臣家自体が内的変化を遂げないと難しいかと思う。
昨夜のBSで秀吉が最
晩年建てた京都新城の話があったけど、公家屋敷も兼ねていたというこの城が関ヶ原前に破却されたのは
公家として生きる道すら喪っていく豊臣の将来を表すようだなと思ったよ。
0516人間七七四年2021/09/16(木) 12:31:56.96ID:CeArTaJb
関ヶ原後の秀頼は伊達政宗もあのまま大坂に置いてたら危ないと忠告したくらいだからな
もう時代に取り残されてる感があるのにいまだに前時代の意識で居座っていて
結果的には秀頼自身をも滅ぼすほど政治的に中途半端で危険な存在になってた
政宗だけでなく全ての大名が思ってたろうけど
0517人間七七四年2021/09/16(木) 13:07:01.64ID:l2XWKTrU
>>516
宣教師とかキリシタンの武将があつまるからでしょ
伊達家でも北の留守とか白石とか亘理の領地にはキリシタンの残党とか多くいて
伊達宗家も黙認していたけど仙台とか岩沼とか亘理とか伊達宗家と近いところの領地には
いなかったわけで、わざと領地の辺境にキリシタン置いていたわけだし
政宗は領内でのキリシタンの不穏な動きに対応してたからな。
キリシタンとかいない大名はキリシタンの恐ろしさを身に感じていないし
西国には秀頼のシンパが多いから、そいつらとは違うよと秀忠にアピールしていたんじゃないかな
(あと100万石のお墨付きを反古されているからチャンスがあれば貰う気満々だったし)
0518人間七七四年2021/09/16(木) 13:13:34.66ID:/bt10gbV
100万石のお墨付きってあれ自分で切り取れたらって話じゃねーの
あと西国の秀頼のシンパとかキリシタンとかって何の話よ?
0519人間七七四年2021/09/16(木) 14:17:33.10ID:elXvGWp1
>>500
まず、江戸時代の先例云々はあんまり関係無い。
仮に昭和版公卿補任の編纂者が徳川家先例に熟知していたとしても、公卿補任に「秀忠の位階は従二位」と記されているんだから。
昭和版の編纂者は「秀忠が正二位を慶長十年に貰っていたら、その後はずっと正二位と記録される筈だ、つまり慶長十年では秀忠は従二位だったんだ」と考えた。だが、徳川実記等慶長十年に秀忠が正二位に昇った事を記録してる史料があるのも事実。
だから昭和版編纂者は、附記でこの点も記した。
それが「従二位(正カ)」って事。昭和版では慶長十年に秀忠が貰ったのは従二位としてる訳。
もし、徳川の先例から正二位だと思っていたら「正二位(従カ)」と書くだろう?だって正二位になってるはずなんだから。
勿論、これが朝廷のささやかな嫌がらせって可能性も無いわけじゃ無いよ?東侍に正二位なんか与えられん!っていうね。
…まぁそもそも、徳川家康が征夷大将軍になった時は「従一位・右大臣・源氏長者」だった筈なんだけどね。
秀忠が正二位を貰っていたら、その後に従二位とは記載されないだろう。つまり、公卿補任の記録は混乱してる事になる。その混乱の原因は編纂者が考える事でもない。
だが、慶長十年時点では秀頼が正二位である事を踏まえれば、大体の事情は見えてくる。
0520人間七七四年2021/09/16(木) 16:03:22.04ID:l2XWKTrU
>>518
仙台市博物館にあるものをちゃんと読みなさいよw

これでもみたら?
https://www.youtube.com/watch?v=GovLgFe5n6k
0521人間七七四年2021/09/16(木) 16:06:42.11ID:l2XWKTrU
>>518
     覚

  一、苅田 一、伊達 一、信夫 一、二本松 一、藍松 
  一、田村 一、長井

   右七ヶ所御本領之事候間、御家老衆中へ為可被宛行進之候、仍如件、

 慶長五年八月廿二日            家康(花押)

                    大崎少将殿
             (『伊達政宗卿伝記史料』596頁)

どこに切り取り次第と書いているのかな?
0522人間七七四年2021/09/16(木) 16:45:46.06ID:/bt10gbV
出典史料も出してない動画とか、あんまり人に勧めない方がいいぞ?
あとその史料のどこに100万石がうんたらと書かれてると主張してる訳?
0523人間七七四年2021/09/16(木) 17:00:06.71ID:/bt10gbV
自分はこの辺りについて詳しくないんだけども、伊達の加増は結局自分で奪った苅田郡のみな訳でしょ?
当時の常識としてその書状が同心しただけで必ずあげますなのか自力で切り取ったらなのかが知りたいな
この辺りの研究をしてる研究者は誰かいない?
0524人間七七四年2021/09/16(木) 18:37:26.49ID:l69RSQmJ
それらの領地がタダで保証されてるなら
関ヶ原の翌年春頃まで軍事行動続けてないんじゃないか
別に攻め落とす必要ないんだし
0525人間七七四年2021/09/16(木) 19:39:40.86ID:m5QnuC06
>>523
一次史料だと前田は北陸切り取り次第もらってて黒田は九州切り取り次第を要請してる等
本戦組はともかく地方組で東北だけ「味方しただけで差し上げます」は、まず考えられない
0526人間七七四年2021/09/16(木) 20:26:57.83ID:g8ZiYwL8
>>519
だから誰も正カを根拠に話してないよ
あなた以外はな

あなたはそれと「事情は見えてくる」とか
濁すだけの適当な思わせぶりだけで
朝廷の陰謀とか任官拒否事件とかその隠蔽とか
無理のある主張を繰り返してる

でもその根拠は何も示せずにいる
ただそれだけ
0527人間七七四年2021/09/16(木) 20:57:15.35ID:aGH1Ms0R
政権ではなく豊臣家の存続についての話になっちゃうが
関白として残るにはさらに領土を削らないと
幕府にとって脅威を残しすぎて通らないだろう

そして65万石の召し上げを前提に考えるのは
「豊臣家」という集団にとっては自殺に等しいので
かなり難しいと思う
自分とその家臣家族が露頭に迷っても主家を残す
という奇特な集団である必要がある
0528人間七七四年2021/09/16(木) 21:00:45.45ID:/xSvI5tL
>>525
ありがとー、やっぱり同心するだけで領地拡張できますなんて甘すぎる話はなさそうなんすね
0529人間七七四年2021/09/16(木) 21:06:22.12ID:aGH1Ms0R
慶長5年には関白位は元の摂関家に戻される
この時点で朝廷、幕府ともに武家関白制は
今後の予定には入れてないと見るべきかと
(だから滅殺を狙ってるとまでは言えない)

そこで残るは一大名として残るという道で
それは豊臣家臣として家を残すには現実的な妥協案
片桐且元が提案したのもまあ頷ける

結局は主流派に拒否されて追放された訳だが
一応は豊臣家内部にもその道を模索した者がいて
派閥政治を勝ち抜いてたらあり得た未来だと思う
0530人間七七四年2021/09/16(木) 21:13:59.76ID:aGH1Ms0R
武家政権として残るにはやっぱ秀吉生前に
体制を確立させるしかないと思うわ

当初の秀次への政権移譲路線を堅持して
実質的な武力に裏打ちされた政権として残る
というのが一つ(秀頼は出家させるとかな)

秀次横死後ならむしろ徳川に権力集中させて
秀頼はお飾りにする方がまだ可能性ある
0531人間七七四年2021/09/17(金) 12:29:05.50ID:9EMUrmLE
>>522
計算できない可哀想な子なんだなw

>>523
じゃあ結城秀康は上杉領に45万石位切り取ったわけなんだw
0532人間七七四年2021/09/17(金) 13:14:49.89ID:7XTJHesh
家康の子で上杉南下の抑えしてた結城と一緒くたに考えるつもり?釣り針としても大きすぎるよ
とりあえず出典のない動画を見せてきた時点でもちょっとアレな人だなーと思ってたけども
0533人間七七四年2021/09/17(金) 15:38:56.34ID:9EMUrmLE
>>532
逃げないで答えて下さい。切り取り次第前提であれば、例え子供だろうが他人だろうが(でも息子の嫁の父親だけど)
条件は同じになるはずだけど

残念な返ししか出来ないのかな?
0534人間七七四年2021/09/17(金) 15:47:42.60ID:7XTJHesh
なんで子供まで同条件になるなんて言い出したの?誰もそんな事言ってないよね
織田政権において家臣たちに切り取り次第が出たからって息子にも同条件が課されたことなんてあった?
逃げるとかじゃなく勝手な脳内ルールを持ち出してこないでもらえる?
0535人間七七四年2021/09/17(金) 16:25:50.45ID:Uuwv4W/+
外様と一門が条件同じなわけがないだろう
こんな当然の事も分からんのに人様に噛み付くんじゃあないよ
0536人間七七四年2021/09/17(金) 16:35:56.42ID:3di08Q9d
東軍にとっての最悪は上杉南下による秀忠隊や家康隊への被害
それをさせない為に守りを固めてる結城秀康と
むしろ積極的に攻撃しなくちゃ上杉が南下始めた場合牽制にならない位置取りの伊達
一緒くたに語るのはどう考えてもダメな例でしょ
0537人間七七四年2021/09/17(金) 16:57:53.15ID:nQqB1YAS
>>525
黒田も要請のお伺いを立てた後に井伊直政通して家康から
九州切り取り勝手の許可の返事(慶長5年8月25日付黒田長政宛井伊直政書状)もらってたな
まあ普通に考えて何もせずに加増なんかしてもらえるはずないわな
0538人間七七四年2021/09/17(金) 19:48:33.35ID:xB/RJVmf
伊達と比べるなら最上がいい例だろう
最上も伊達同様関が原の後も上杉と戦って得た庄内地方を丸々貰ってる
0539人間七七四年2021/09/17(金) 20:26:23.23ID:YwIdib8P
細川忠興が記した書物の裏に石田三成らの自筆書状
ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20210917/k10013263731000.html

>石田三成の書状では、秀吉から受け取った金の使いみちについて
>忠興に「自分たちは恵まれているのだから、金をため込むのではなく周りに配るよう」説いていて、
>専門家は押しつけがましいともとれるほど生真面目な三成の性格や人間性がよく表れているとしています。

>また、古田織部の書状は、織部を名乗る前の「左助」という名前で「刀を貸してほしい」という趣旨が記されていて、
>専門家はほとんど残っていない織部の若い頃の書状だとしています。

書状を裏紙に使っているので金をため込むと思われても仕方ない気がする
0540人間七七四年2021/09/17(金) 20:28:24.16ID:jWvq4BOh
前田利長は北陸切り取り次第を許可されたが(8月26日付村井長頼(芳春院)宛徳川家康直筆書状)
実際に切り取れた小松領・大聖寺領だけ加増+弟領

黒田如水は九州切り取り次第を要求したが(九月一五日付藤堂高虎宛黒田如水書状)
本戦で決着済みと受け入れられず森領のみ切り取り次第

加藤清正は肥後筑後切り取り次第を許可されて(八月一二日付加藤清正宛徳川家康書状 )
切り取った宇土領を加増

遠藤慶隆は旧領切り取り次第を得て(七月二九日付遠藤慶隆・胤直宛徳川家康書)
切り取った旧領復帰

最上義光は切り取った庄内領を加増

伊達政宗は切り取った白石領を加増

ざっと有名なの並べると関ヶ原の地方組には切り取り次第の原則が分かりやすく出てることが多く
政宗だけ特別扱いする理由が見い出せないし俗にいう百万石のお墨付きは成立しにくいね
8月22日付伊達知行宛行状もまぁ出された意図が不明瞭だし上杉征伐のあかつきには旧領に戻してあげるよくらいの話じゃないのかな
0541人間七七四年2021/09/18(土) 10:49:06.09ID:1560V2v0
>>539
紙自体の価値が現在と桁違いなんで
機密性高かったり残す必要あるあったりしなきゃ
忠興に限らず結構使い回してたみたいよ

書状を自著に使ってたなんてまだ上等で
屏風の裏から出てきたりする
0542人間七七四年2021/09/18(土) 17:35:48.87ID:jg7rlLh2
紙の再利用なんて当たり前やでなケチとは違う
0543人間七七四年2021/09/18(土) 18:21:17.74ID:iwDTxuAA
旧家とかでふすなどま再利用されていのは見かけるけど、自分の書物の裏紙にしてたのは初見だ
0544人間七七四年2021/09/18(土) 19:31:39.52ID:NLaYfO11
>>540
最上は庄内切り取ってないのでは?
0545人間七七四年2021/09/18(土) 20:11:13.30ID:Y7Yr55+I
ウィキペディア知識で申し訳ないが
最上勢は下秀久を先手とした最上義康の軍が庄内地方の尾浦城を1600年、翌年3月に酒田東禅寺城を攻略したとなってるね
0546人間七七四年2021/09/19(日) 00:37:38.76ID:SIFznKUm
下秀久って上杉方だったけど直江兼続の撤退を知らされなかったために孤立して、最上に攻められて降伏した人だっけ
元々尾浦城主だったが最上方として尾浦城を攻め落として、尾浦城主に復帰したとか
0547人間七七四年2021/09/19(日) 10:51:54.13ID:fe99dDKF
小和田氏がご自分のyoutubeチャンネルで公開が初となる秀次宛家康文書の軽い解説をなされてたね
奥州仕置時の秀次の補佐として動いてる家康の報告書であると
浅野弾正からの情報を秀次に上げてるみたいで、関係の把握に便利そうね
0548人間七七四年2021/09/19(日) 11:43:17.43ID:vf+cpQLH
浅野の報告で政宗が我々の味方で相違ないって秀次に報告してる書状か
新出の書状とは言え、同じ日付(天正18年12月8日付)で伊達家文書で既に知られている
津田盛月・富田一白宛家康書状と全く同じ内容なんだよな
伊達家文書の方は秀吉に報告したものだから文末に「此旨可然様可預御披露候」と付け加えてるが内容は一緒
0549人間七七四年2021/09/20(月) 10:29:29.98ID:n9NbmPOt
>>500
公卿補任は平安時代から続く官位任命の記録書なので「江戸時代の慣例」がなんで出てくるのさ?
記録者が未来の慣例を予測して書いたとか?
あるとしたら「征夷大将軍の官位相当は正二位」って事じゃ無いの?でも征夷大将軍って従三位、若しくは従二位あれば足りるらしいけど。
公卿補任は重要史料だから何回か調査・編集がされてるけど(明治版と昭和版)
仮に思想的偏見があったとしても、公卿補任の内容を勝手に変更はしないと思うぞ。
明治版は秀忠の官位変遷が妙だと思ったけど、史料に忠実に編集した。
昭和版は朝廷の常識(位階は安易に上下しない)を重視して慶長十年の秀忠位階は従二位としつつ、
史料も鑑みて附記で(正カ)とした。
0550人間七七四年2021/09/20(月) 13:19:11.73ID:AzchdU9K
>>549
注釈は後から入ってるから
0551人間七七四年2021/09/22(水) 01:45:36.33ID:6zEEAOuw
【豊臣】 秀吉の遺影を「宇宙」へ 地球上のどこからでも参拝できます 人工衛星の「寺院」計画 [朝一から閉店までφ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1632220456/1
0552人間七七四年2021/09/22(水) 09:29:57.55ID:DZiy2xwo
NHKBSでやってた秀吉の城跡の特集でも
秀次事件のシーンでは出演者全員「・・ないわーこれで崩壊したろ」
みたいな感じで草だった
0553人間七七四年2021/09/22(水) 12:02:49.54ID:fgRF0xLo
>>552
出演者は何の知識もないからね
そこだけ見せられたらそう思うだろう
0554人間七七四年2021/09/22(水) 12:09:04.72ID:sRuQOyjn
普通に考えれば秀次事件で豊臣政権存続のハードルがかなり上がったのは
よほどの豊臣びいきでない限りわかりそうなものだけどな
豊臣家単独で政権を担当できなくなり他家大名に依存もしくは寄生しなきゃやってけなくなったってことなんだから
0555人間七七四年2021/09/22(水) 12:21:40.09ID:lxh/AYya
>>552
そりゃ当然ながら現代の我々は学者一般人問わず後世の人間だから「後知恵」ってフィルターがあるからだけど、秀吉没直前の時点で豊臣政権後継者が幼少の秀頼のみしか想定されてなくて小早川秀秋始め他家に入った親族に後継の目が無い状態では、スペアも無いのにメインの部品がもうすぐ無くなるって状態な訳で
当時でもマズい状態なのは明らかだもの。
秀吉が秀頼成年まで元気に後見するのが大前提の継承策って、どう考えても当時の人間の寿命を思えば相当困難。
0556人間七七四年2021/09/22(水) 12:31:55.33ID:sRuQOyjn
実際誰よりもやばいと思ったのは秀吉でしょうな
秀次事件以後の徳川への傾斜っぷりでわかる
0557人間七七四年2021/09/22(水) 18:37:38.28ID:b+Ks3Ui4
秀次排除したのもそうだけど、武家関白をトップとする政権の筈なのに、その関白を排除したっていう事実がマズ過ぎる
0558人間七七四年2021/09/22(水) 19:46:29.15ID:PSf0Id/h
それでも関ヶ原に出陣してれば高確率で家康単独の天下にはならなかったよね
武家のトップ張りたかったらここぞという時には身体張らないとな
0559人間七七四年2021/09/22(水) 20:15:07.87ID:qpqx3u0t
戦場まで行ってたら豊臣も担ぎ出したやつも逆に長く続かなかった気がする
仮に決戦に勝てたとして、一回でも担ぎ出されれば他勢力に利用される恐れもある
0560人間七七四年2021/09/22(水) 20:20:40.82ID:K0afEccf
関が原で東軍として戦うってことじゃないの?
0561人間七七四年2021/09/22(水) 20:29:53.50ID:a2GmGOs6
秀吉がそもそも構想として政権と家を分離させてるっぽい遺言だしなぁ
0562人間七七四年2021/09/22(水) 20:53:32.51ID:qpqx3u0t
秀頼を会津征伐に連れて行くの?
それはそれで道中の不慮やら従軍しない将の反発がありそうな気もするが

仮に政権のトップが出陣するなら小田原征伐などと同規模の動員が必要になってくるのでは
0563人間七七四年2021/09/22(水) 21:14:19.14ID:lxh/AYya
>>562
政務を代務する大老格の家康が軍を率いて上杉に直接糾問する体裁だから、ここで秀頼出陣となると糾問でなく
0564人間七七四年2021/09/22(水) 21:25:32.90ID:lxh/AYya
上杉を完全に征伐する事になる。
とてもじゃないが状況としても大仰に過ぎるし、以前の前田なんか秀頼が出張る兆しすら無かったんだもの。
それに征伐となったら必ず秀頼出陣というのもどうなんだと。
でも本当に秀頼に将来政権を託す、特に「武家」関白という公家・文官でない関白の有り様の実地経験を積ませるなら
例え幼少からでも戦場に出すのは有りと云えば有りでもあるけどね。
0565人間七七四年2021/09/22(水) 21:34:48.91ID:YRYvGTH9
>>564
> 上杉を完全に征伐する事になる。

え。
徳川羽柴に上杉も加わって反転して石田を征伐するのかと思った。
そうなったらもちろん毛利も島津も東軍になって石田を。
0566人間七七四年2021/09/22(水) 21:49:20.73ID:AdDv0Zas
西軍が挙兵してからだとそもそも家康との合流が事実上不可能では?
西軍は家康らが会津へ行ってる留守に乱起こして、しかも秀頼を錦の御旗にしたくて軟禁してるんだから
たとえ西軍の大軍詰めてる大坂城脱出できたとしても関東まで逃げ切れないでしょ、伏見の城に鳥居らと一緒にこもるの?
0567人間七七四年2021/09/22(水) 21:56:45.86ID:K0afEccf
秀頼が毛利輝元を一喝し東軍に寝返らせ毛利軍を率いて関が原に向かうんやろ
0568人間七七四年2021/09/22(水) 22:02:28.91ID:YRYvGTH9
>>567
ついでに石田も一喝して東軍に。
0569人間七七四年2021/09/22(水) 23:28:48.11ID:E2uA/x5J
単純な話「今後秀次が政権トップで行きますんで」
って約束を「やっぱなし物心付いてない幼児がトップです」
「この子何の役にも立たんけどお前ら盛り立てて」
ってなった訳だからね

そりゃ皆んなバカバカしいと思うし
好き勝手やらせてもらうわって思うやつは多いわな
0570人間七七四年2021/09/23(木) 09:46:07.90ID:vBIiEHTo
>>550
公卿補任は朝廷の公的な記録なので何らかの改竄をする時には徹底的に改竄する。
つまり、秀忠が慶長十年に正二位になった事が「正史」になったのなら従二位の記録は存在する筈がない。
それに、秀忠を将軍にするのは家康の意向なので位階を拒否しても騒ぎにはならないよ。
家康が正二位を辞退したのは秀頼が正二位だからだろう。
だとすると、朝廷が秀忠に正二位を与えようとしたのは徳川と豊臣を争わせるため、はっきり言うと豊臣を暴走させて徳川に始末させるため。
だからこそ、家康が断ったにも関わらず公家にも武家にも秀忠正二位の話が残ってるんだろう。
0571人間七七四年2021/09/23(木) 12:10:26.71ID:WUblfZ3+
矛盾がある公卿補任に矛盾があるとか
天下人が昇官拒否しても何の痕跡も残らないとか
どっちも独自解釈すぎてお前の中ではそうなんだろなとしか
0572人間七七四年2021/09/27(月) 06:52:45.66ID:Mw6EESmJ
>>554
そりゃあ、成人した当主も居なければ後見人にふさわしい親族も、譜代の家老も居ないって
形になったんだもん。
冷静に考えればその後見人の立場に一番ふさわしいのは秀次なんだけど。

普通に秀次の娘が秀頼の正室で済みそうなのに、何故あそこまでこじれたのかね?

そして一番得したのは誰が考えても家康「小牧長久手で秀次惨敗してるし」なんだよな
0573人間七七四年2021/09/27(月) 07:20:58.37ID:EpwOsaeA
>>572
秀次が完全に排除された事で秀次側近も事実上排除されたことを考えると、
秀吉側近も充分得をしたとは言えるけどね
秀吉死後に秀次が健在で後見人になった場合、当然政権中枢は秀次側近が占めるから
そこに先代側近の居場所があるとは思えん、まあ肩身が狭くなるのは確定だろう
秀頼は秀頼で当然自分の側近を取り立てたいだろうし
あの時点で秀次を排除すると、秀吉死亡時に秀頼幼少のままの可能性が高くなるから
(実際そうなった)先代、つまり秀吉側近が引き続き権限を持ち続けられるからな
0574人間七七四年2021/09/27(月) 07:40:55.56ID:Pf2hnPKq
そもそも秀次の弾劾に実際動いてんのは
秀吉奉行衆だからな
0575人間七七四年2021/09/27(月) 08:31:59.63ID:ZDFW3Xi9
秀次の後見と補佐してる家康は全く得にならんぞ
つか一戦の一勝一敗をそんな根に持つもんでもないし、見方が雑にすぎる
0576人間七七四年2021/09/28(火) 12:45:26.83ID:4uBG2jKh
小牧長久手の秀次ってお飾りやろ?14歳か15歳じゃなかったっけ
0577人間七七四年2021/09/28(火) 17:36:58.75ID:T3X9FrLV
16歳やね
お飾りという年齢ではないが
百戦錬磨の徳川勢相手に総大将務めるにはいかにも不安という微妙な年代
0578人間七七四年2021/09/28(火) 18:21:07.69ID:EwxKXiAg
そこはブレーンをベテラン勢で固めたのでは?
0579人間七七四年2021/09/28(火) 18:50:46.61ID:hpegDJ+A
>>571
幾ら公卿補任の記録者がうっかりさんでも正二位を賜った人を従二位で記録はしないだろう。
下手すると朝廷人事への批判になるんだから。
それに、秀忠への任官を家康が辞退してもそんなに騒ぎにはならないぞ。
朝廷が秀忠に宣下してそれを土壇場で拒否したら確かに騒ぎになるけどそういうケースじゃない。
現将軍・家康が息子に禅譲すると朝廷に打診(拒否される筈もないし実質宣言)しただけ。
おそらくその返答として朝廷は正二位・内大臣・征夷大将軍を提案したんだろう。でも家康は正二位のみ辞退した。先例上従二位でも将軍には足りる筈だし何の問題も無い。交渉段階だから騒ぎにもならない(ついでにいうとここで秀忠は従三位から従二位に昇官は果たしてる)
公卿補任で慶長十年に正二位としてるのは朝廷で人事担当から情報を受けてたからだろう。
ところが実際は従二位だったから妙な混乱を招いてしまった。
0580人間七七四年2021/09/28(火) 20:12:40.29ID:Dcv6IZ4E
>>579
もはや何を言いたいのかわからん

従二位を正二位と書くのも同様に
人事批判と取られかねない間違いだ

土壇場で覆ったわけでもなく宣下されてないなら
公卿補任に記載されるのはやはりおかしい

結局朝廷の陰謀なる結論ありきで見る理由はないが
そんなおかしな見方してるから
これしかありえないと考えてしまうんだよ
0581人間七七四年2021/09/29(水) 18:29:57.42ID:xkzmeW+l
宇喜多秀家の立ち位置ってなんだったのかな。
前に、熱く猶子で実子と同じと力説してる人がいたけど。そのわりには、秀頼の後見となるわけでもなく、参加した西軍の総大将になるわけでもない。西軍の有力大名として、参加し、善戦したに留まっている。
0582人間七七四年2021/09/29(水) 20:08:22.02ID:5oucSHpA
毛利への牽制用なのかねぇ、本来期待された役割は
猶子はどこまで行っても家を継がせる養子とは違うしで、あくまでも大名宇喜多家への後援なのよねあれ
0583人間七七四年2021/09/29(水) 20:23:18.25ID:KK4GJd2f
大名宇喜多家自体が豊臣政権と一心同体だからなー
秀吉がいたから秀家が継いで成立したようなもんだし
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