>>442
重要な点は慶長十年時点だと秀頼が正二位っていうこと。
家康>秀頼なのはまぁ堪忍出来る(家康は秀頼の義理の祖父な訳で)としても、ここで秀忠と秀吉の官位が同じになるってことは豊臣にとって面白くないことなのは確か。
しかも秀忠は将軍になってる訳で何の職も無い秀頼よりも上位という事になりかねない。
つまり朝廷としては、秀頼と豊臣を滅殺する作戦の一環として秀忠を正二位にしたかった。
そんな中、秀頼は慶長十二年右大臣を辞任することになる…