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豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2

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0001人間七七四年2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO
豊臣(羽柴)秀吉が一代で築き上げた豊臣政権は秀長や利休などの
身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう

次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします

前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/

過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0423人間七七四年2021/09/09(木) 04:52:44.23ID:29w7IpX9
>>405
文禄3年(1594年)、秀次の正室の若政所が、秀次の娘である八百姫
(豊臣秀頼の許嫁だったとされる)の平癒祈祷のため、書状を送った
記録が残っている。なお、両名とも秀次事件で刑死している。
0424人間七七四年2021/09/09(木) 04:54:52.40ID:29w7IpX9
>>416
これに関しては、池田輝政を始末し損ねた秀吉も同様。
池田輝政は姫路城に封じられ(当然わざと)、大坂の陣直前に
死ぬまで秀頼と敵対している。
0425人間七七四年2021/09/09(木) 07:06:48.74ID:m7hJlREX
>>422
なお二代目は実母に洗脳教育された模様
0426人間七七四年2021/09/09(木) 08:16:19.08ID:trBtoIZj
家綱までの一門と家臣団の充実ぶりは日本史上でもちょっと壮観じゃないの
ただそんな徳川幕府でも完全に安定するまでに4〜5代かかってることからも
大事な創業期に家も家臣もすっからかんにして秀頼1人にした秀吉の行為がいかに自殺行為だったかわかるし
秀吉個人の権勢に従っていたに過ぎない外様大名の相互牽制で秀頼成人までもたせられるなんて発想がいかにお花畑かわかる
0427人間七七四年2021/09/09(木) 10:47:26.02ID:Y/9McohO
いまだに池田がわざと姫路に封じられて豊臣本家と対立してたとか言ってるのがいるのか
0428人間七七四年2021/09/09(木) 16:47:48.81ID:bT+uMV6d
>>426
秀頼への継承について晩年の秀吉は試行錯誤を続けているうちに時間切れになっただけで万全だなんて考えていなかったと思う
0429人間七七四年2021/09/10(金) 02:20:49.49ID:N6W2VQ8y
小なりとも、どこかの地方領主とか豪族とかだったら違ったんだろうけどなぁ
0430人間七七四年2021/09/10(金) 09:23:32.86ID:hKX/phdu
まあ秀頼の生まれついて置かれた状況って凄まじいな
秀吉のような独裁者になれる確率は万に一つもなく
人の傀儡になるか殺されるかどちらかしかない人生だった
0431人間七七四年2021/09/10(金) 09:36:52.95ID:SMImtyKa
そんな中、畿内で大大名として残れたんだから割と万々歳な着地点してたのにな
そっから滅亡までは秀吉関係なく完全に秀頼の器量の問題
0432人間七七四年2021/09/10(金) 10:14:20.97ID:OUUkKnPT
>>431
大名棄てて公卿の道もあったけど、結局無理だったしな。
多分摂関職は奪回した五摂家が絶対手放さないだろうし。
0433人間七七四年2021/09/10(金) 11:30:37.73ID:aJcMSJNB
朝廷が徳川に豊臣を処分させようとしてたフシがあるもんなぁ。
生き残ることすらさせないだろうし。
0434人間七七四年2021/09/10(金) 12:12:50.27ID:dqjia4oT
>>433
朝敵認定する?って徳川に打診したことを指してるの?
0435人間七七四年2021/09/11(土) 07:12:03.72ID:Ctrl6azL
>>432
後知恵ではあるけど、摂関家側に関白に代わりうる地位と立場、権威のある
役職を用意する事で、関白を豊臣が独占できるようにしておくべきだったのかね
まあ正直、何を用意しても伝統が足りないから無駄な気もするけど
0436人間七七四年2021/09/11(土) 08:23:30.13ID:eihQW7St
摂関家として残るには武家としての領土が過剰
関ヶ原後の65万石でも有数の動員力だもの

武家として残るなら征夷大将軍への服属は
むしろ当然で服属拒んだ武家を放置するのは
幕府として無理でしょう

大阪の役開戦直前に示された和解案のうち
秀頼の参勤と淀の江戸在住は
当時まだ明文化はされた法ではないが
全国の大名に進められてた政策

拒否って軍拡進めてるんだから
そりゃもう討つしかなくなるわなって話で
普通に武家として残るのはあり得た
0437人間七七四年2021/09/11(土) 09:04:17.46ID:l0gs86as
>>436
そ、公卿として生き残るには「大名を棄てて」が絶対の前提条件。
でも豊臣が棄てられる訳がないんよ、激減したとはいえ65万石とそれの支配を。普通に考えてもあり得ない。
それが出来るなら秀頼の江戸参勤や淀殿の江戸在府なんてムチャクチャハードルが低い。

まあそれに例え公卿の道を選んでも所領ゼロでは無いが皇室・五摂家の所領を越えない程度のショボい数千石でそれから堪えられるのか
若しくは少しでも越えてたら公卿としてやっていくのは軋轢キツだろなぁと。
もし豊臣が朝廷内で最大の所領を安堵されたりするなら、家康が余程秀頼を信頼して「豊臣に朝廷の管理監督を委任する」って危険かつトンでもない事を意味しかねない。
五摂家が朝廷内で最大の所領を安堵されてたのは五摂家に朝廷の監督を任すって意味だったんだし。
0438人間七七四年2021/09/11(土) 09:38:40.41ID:eihQW7St
そう
秀頼個人の処遇問題じゃないからね

65万石にはそこから扶持を受ける家臣がいる訳で
それぞれが家族を養い自分の家(と禄)を守りながら
そのためにこそ主家を盛り立ててる

その豊臣家の舵取りなんで65万石をむざむざ
手放すなんて結論は出ようがないのよ
(相談するのも家中の人間なんだから)

江戸に参勤する、母を人質(江戸住み)にする
(京都から離れた)地方への転封を受け入れる
というのが開戦前の妥協案だけど
それってつまり普通の武家として
家を守ってくって選択なのよね

その案を出したのは片桐且元だけど
豊臣家の禄を食む家臣団の代表としては
時流を鑑みたら至極真っ当な選択
逆言えば幕閣とやり取りする中で
それは可能と観てたということでもある

その提案に追放でもって報いてる時点で
そりゃもう戦争なんよね
徳川方が無理矢理戦争に持っていったと
言われることが多いけどその辺感覚おかしい
0439人間七七四年2021/09/11(土) 09:47:55.98ID:N+r3YNjg
しっかしループするけどなんであんな秀次一族を残虐にぶち殺したのかねぇ
0440人間七七四年2021/09/11(土) 09:53:59.18ID:tEA9EitD
>>434
秀忠の官位で怪しい点があるからね。
公卿補任だと秀忠は慶長十年に正二位に上がってる。この時点で秀頼も正二位ってことを踏まえるとかなり怪しい動きといえる(しかも慶長十五年には秀忠は従二位となってるし)
0441人間七七四年2021/09/11(土) 09:56:46.90ID:tEA9EitD
>>439
1 秀頼を確実に豊臣宗家にする方法は秀次とその一族を処分する他ない
2 秀吉と秀次は仲が悪い
この二つが合体してヤバい事になったんだろうなぁ。
0442人間七七四年2021/09/11(土) 10:52:42.29ID:1vWdSRsg
慶長10年の秀忠の昇官は続く
征夷大将軍任官に繋がる一連の流れよ

その時点で幕府も朝廷も天下は徳川が回し
家康から秀忠に継承される方針が固まってたが
それと豊臣断絶はイコールではない

むしろこの期に及んでまだ秀頼に
秀忠より上席の右大臣与える遠慮がある
という点がおもしろい
0443人間七七四年2021/09/11(土) 11:29:22.93ID:jROBQgzV
65万石の領地すら自前で治められず徳川に助けてもらってたほど一大名としても実力がなかったんだから
実力がなきゃやってけない大名を捨てて官位と虚飾だけの公家になるのはむしろ身の丈に合ってたと言えるな
秀吉死後の豊臣家は「家」と言えるほどの実質を持たずただ過去の栄光にあぐらをかいてるだけで主体性も何もない
0444人間七七四年2021/09/11(土) 11:44:32.88ID:makcv46y
戦争に勝って子分の領土の保証と新しい領土の分配をすることで武家の棟梁になれる。肩書きはその後についてくるものなんだな

関ヶ原は豊臣の内紛だっていう意見が強いけど、関ヶ原で勝った家康はその後独断で領土の保証と分配をやっているからその時点で徳川の天下にもう変わってしまったと言える

そこで家康の戦後処理に何も出来なかった時点で豊臣はもう終わってる
0445人間七七四年2021/09/11(土) 11:55:04.70ID:T4HlhVhs
秀頼自身の性格として、朝廷儀礼を殆ど覚えようとせずにいたんで公家も難しい
てか公家は公家で大変だしね
0446人間七七四年2021/09/11(土) 11:57:48.63ID:AecndAT0
戦後処理によりも、関ヶ原というか西軍決起に豊臣家として対処出来なかったのが痛いよな。出来ないのだけど。
0447人間七七四年2021/09/11(土) 12:23:54.99ID:1vWdSRsg
>>443
65万石の家禄があればそれで生活してる
万単位の人間がいてその政治によむて成り立つのが
「豊臣家」という武家なんだよ

現代の個人の転職のように考えたらちょっと違う
0448人間七七四年2021/09/11(土) 13:23:56.02ID:Af64Y6ga
>>447
>>443ばかりじゃないが、
「戦国大名」を個人のことと勘違いしてる人が多過ぎる。
「戦国大名」とは地域独立権力体そのもののことであって、
羽柴秀頼だの徳川家康だのというのはその構造内の一つの装置に与えられた呼称、謂わば記号に過ぎない。
そんな立派な名前じゃなくて「引き籠りのデブ」でも「狸」でも構わないわけだ。
当然、デブも狸も構造に規定された機能を果たしているだけであって個性などという要素はノイズ程度の影響さえ無い。
その辺を理解できないから大名権力体の行動の動機を個人の意志や性格などに帰する講談的俗論が跡を絶たないんだろう。
0449人間七七四年2021/09/11(土) 14:48:41.52ID:T4HlhVhs
いや、意思決定は大名個人が最終的にするものだし個人の性質はわりと寄与するよ、まあ正確には大名近習含めての性格だろうが
現代の大きな組織一つ取っても長が誰かで方針ごろっと変わるでしょ
理想で言えば大名は装置たるべきだが実際は個々人の性格に思いっきり引っ張られるよ
0450人間七七四年2021/09/11(土) 14:52:01.23ID:ieq8N4Rh
個人の資質が関係ないのなら
長尾は謙信の兄でよかったし
今川は氏真でも滅亡しなかっただろう
0451人間七七四年2021/09/11(土) 15:32:04.52ID:j6s/BrQI
他にも立派な名前はむしろ権力構造を
機能させるため必要とか
講談はその辺の構造踏まえてた時代からあるから
お家の為の忠義とか主題になるんだとかあるが
まあ言わんとすることはわかるよ

戦国大名権力に限らないのだが
家というものが当時の社会を構成する
重要な法人格であって
個人の果たす役割も決断も
それと切り離して考えられないてことやね
0452人間七七四年2021/09/11(土) 15:37:25.06ID:l0gs86as
豊臣に即して言えば、家督を継がせた秀次が自害したのを切欠に秀次一族を断絶させ家督相続人を事実上幼少の秀頼のみにして
候補を単一化させ得たが豊臣存続の不安定要素をも作ったのは秀吉個人の意向だし
片桐且元の当時としては御家存続のため状況に応じたといえる和解策を蹴って、逆に追放処分にしたのは豊臣こそ天下人の家との認識に固執した秀頼や淀殿を始めとした豊臣首脳陣。
その本来権力体たる御家の「顔」のみの筈の当主の意向が、よくも悪くもノイズを越えて権力体そのものの意志となり行動に繋がってしまうことはままある。
勿論顔たる当主の意向はノイズのまま、御家自体は御家存続のため機能的にちゃんと現実に即した行動となるのも当たり前にある事であるけど
戦国大名の面倒な所はそれらが綯交ぜになって現出し、結構個人の意向により権力体たる御家も存続を危ぶむ形で振り回される事例も多い事。
それ故多くの大名家で御家存続のために不才や幼少の継承者を嫌って家督争いがよく起こるのだし、後世の人間もそれを見て誤解しついつい顔たる当主のみで毎度安易に論じる現象が絶えない。
0453人間七七四年2021/09/11(土) 15:45:32.62ID:Af64Y6ga
>>449
それはヒトという生物に対する過大評価だと思う。

意志決定の前提となる環境、状況、与件、要件を解析していくと選択肢の幅は極めて狭いものになる場合が殆どだろう。
例えば武田勝頼は何故あんな無茶な外征を?と云ったって甲斐國は一国で成り立って行ける国ではない以上それは不可避の選択でしかない。
現に信縄信虎信玄と無茶を続けてきていた。
仮に甲斐國主なる装置が「上杉謙信」や「織田信長」と呼ばれるものだったとしても、
権力体が動員できる資源が甲斐國レベルでは判断からその結果まで史実と変わることは無いだろう。

そもそも「戦国大名」なる存在自体が気候変動や地殻変動等の抗し難い与件に強要されて生まれたものでしかないしな。
0454人間七七四年2021/09/11(土) 15:52:09.28ID:Af64Y6ga
>>450
> 今川は氏真でも滅亡しなかっただろう

逆。
駿河國主が「松平元康」でも「北条氏康」でも没落(念の為に云うと滅亡はしていない)していただろう。
氏真もまた、あの状況の中で不可避・不可抗の選択をしただけに見える。
0455人間七七四年2021/09/11(土) 16:31:19.62ID:T4HlhVhs
んー、詭弁的かな
そらそのレベルのマクロさで見れば大概のものは個人の資質とか関係ないように見えるだけ
0456人間七七四年2021/09/11(土) 16:31:22.00ID:j6s/BrQI
すまんやっぱ俺の意見とはちょっと違うわ

俺はトップ個人の決断といえど家という
組織の論理を無視しては成立しないという考えで
歴史の動きが全て自然環境に導かれたもので
人意の介在する余地がないとまでは思わんわ
0457人間七七四年2021/09/11(土) 16:39:02.60ID:Af64Y6ga
>>456
それぞれ考えが違うのは当たり前で、すまんとかいうようなことじゃないよ。
こうやって違う意見を交換(本来の意味のinter-view)できること自体に意味があるわけで。
0458人間七七四年2021/09/11(土) 18:27:33.47ID:z/y46K1I
武家の頭がまずやらなきゃいけないのは戦うことなんだよ
秀頼にしろ氏真にしろボンボンだったせいかその辺わかってなかったんじゃねーの?戦って勝たなきゃいけない局面で動けない奴は子分に示しがつかないってわけ
逆に信長なんかはここで劣勢のまま終わると周囲に対して示しがつかないって時は損害も自分の身も度外視で命がけで戦ってたからな
0459人間七七四年2021/09/11(土) 18:58:49.43ID:O3wG3/9H
>>458
三方ヶ原の家康とか
0460人間七七四年2021/09/11(土) 19:22:36.89ID:wbboYFx5
戦に強いと味方が集まる

戦争に勝った後負けた相手から分捕った土地を集まった味方に配る

武家の親分の完成。肩書きは後からついてくる
0461人間七七四年2021/09/11(土) 19:24:51.70ID:Af64Y6ga
>>458
違うと思う。
最初にやらなきゃいけないのは「喰わせること」。
それは何を措いても果たすべき至上命題。
戦争をすること、勝つことはその為の手段。
特に飢饉地獄の中世では喰わせることのできない國主や屋形は追放されるか殺されるか。
0462人間七七四年2021/09/11(土) 20:21:51.75ID:j6s/BrQI
むしろ戦って食わせられる時代じゃ
ないってのが分かってない悲劇よな

単純な話秀頼が個人的に思い立って
「よし65万石捨てて公家として生きよう」
と決断してもそれは通らん

何故ならその意思を外部に表明するにも
65万石によって生きているたくさんの
家臣の手を経て行われるから

100%止められるしそもそも
そんな破滅的なことを主君に吹き込む
阿呆も現れないだろう
0463人間七七四年2021/09/11(土) 21:13:22.45ID:4dcHIZct
家を捨てて出奔した大名家当主って結構いる気がするけどな。
上杉謙信とか、足利尊氏とか

千姫連れて京都所司代に出頭して、「もうあの家無理です。助けてください」
っていえば、高家扱いぐらいで残してもらえると思う。
0464人間七七四年2021/09/11(土) 21:37:46.13ID:l0gs86as
>>463
でもそんなタイミングって秀頼にあったんだろうか?
大坂の陣終盤まで奥には強硬派のオカン、表には大野兄弟などの家臣が詰め
城中全体は片桐が屋敷から逃げる前から既にやってきだした大量の有象無象の浪人衆。
方広寺事件前までは秀頼も安閑としていたから、逃げようなんて万一にも思いもしないからあり得んし
浪人衆が集まり血の気の増え出す頃にマズいと感付く時には、もう城中から逃げられないという。
大坂夏の陣で表の家臣が出払って浪人衆を城外出陣と騙しても、まず京都所か近くの徳川の陣へも辿り着けないだろう。浪人衆が秀頼様守護と称しくっついて離れないから。
封禄と所領安堵に飢えた浪人衆なんか集めた時点で、もう色々秀頼個人の運命は完全に詰んでいたとしか。
0465人間七七四年2021/09/11(土) 21:45:03.54ID:T4HlhVhs
強硬派はむしろ秀頼の近習だね
淀君は融和派
大坂の陣は秀頼がやる気満々と考えるべきだよ
0466人間七七四年2021/09/11(土) 21:57:18.50ID:ACCcZVfS
>>442
重要な点は慶長十年時点だと秀頼が正二位っていうこと。
家康>秀頼なのはまぁ堪忍出来る(家康は秀頼の義理の祖父な訳で)としても、ここで秀忠と秀吉の官位が同じになるってことは豊臣にとって面白くないことなのは確か。
しかも秀忠は将軍になってる訳で何の職も無い秀頼よりも上位という事になりかねない。
つまり朝廷としては、秀頼と豊臣を滅殺する作戦の一環として秀忠を正二位にしたかった。
そんな中、秀頼は慶長十二年右大臣を辞任することになる…
0467人間七七四年2021/09/12(日) 00:47:57.51ID:EtaFN+i8
>>466
いやだからその時点で朝廷的にはもはや
天下人は征夷大将軍である家康で
秀忠が継ぐ前提での昇官でしょ

もちろん摂関家としては秀吉に騙し取られた
関白位を取り戻したかったし
朝廷としても秀次の死後に空位が続いてたのは
当然解消したいという思惑はあった

だがそれは関ヶ原の翌年に九条兼孝が関白就任し
天正10年にはとっくに解消済みだった

豊臣がおもしろくなかろうと秀忠の昇官は
けして豊臣滅殺に直接繋がる話ではないし
それを朝廷が主導したというのも飛躍してる
実力は完全に逆転してる秀頼をわざわざ
右大臣に昇官させるのは秀頼の政治生命を
抹殺したいなら全くちぐはぐだしね
0468人間七七四年2021/09/12(日) 03:41:59.92ID:jspmu7KY
徳川も朝廷も大坂の陣で一線越えられるまでは豊臣家を前天下人の家として敬意払った対応してるよね
その敬意を履き違えたのか知らんがとんでもない事をしでかす訳だけど
0469人間七七四年2021/09/12(日) 03:50:08.90ID:/yYF6ZzI
どう考えても幼君抱えて家臣団も分裂してドンパチやって崩壊してんだから
名誉だけを糧にして黙って捲土重来狙ってけばよかった

って後世の俺ならおもっちゃうけどそうはいかんかったんだろかなー
0470人間七七四年2021/09/12(日) 03:52:51.59ID:ofsTfoaa
つか大阪の陣の起こった理由は、本質的には反幕府云々以前の
豊臣家内部のお家騒動だからなあ。
それを自分たちで収拾できなかったという話で
0471人間七七四年2021/09/12(日) 05:52:22.79ID:MUWebpUJ
一応家康は関ヶ原後も何度か秀頼の所に出仕してるからね
0472人間七七四年2021/09/12(日) 07:39:43.44ID:A7AkaNp6
>>466
そもそも秀忠、秀頼の舅なんだから秀頼は敬意を払わなくては駄目だろ
0473人間七七四年2021/09/12(日) 09:32:36.37ID:ek+B4oz4
>>467
事はそんなに単純じゃない。何故なら、秀忠が何年に正二位に上がったかが分かってないから。
公卿補任では慶長十年から十八年まで秀忠の位階は正二位と従二位で混乱している。で、改訂版では編者もわからなかったらしく従二位(正カ)として判断を保留している。
この事から秀忠の位階は正当な昇進ではなく何者かがゴリ押しした結果と見られる。
ただ、徳川がゴリ押ししたとは思えない。
徳川が朝廷を強迫したなら、秀忠の位階は正二位から変わらないはず(朝廷の密かな反抗とも思えない)
ならゴリ押したのは朝廷ということになる。
おそらく、秀忠の将軍任命と同時に正二位の話もされたんだろう。
だが家康はこれを断って従二位で妥当とした。
ところが、朝廷は正二位を与える旨を通知していたので彼方此方で混乱が起きた。
ではこのゴリ押しの真意は?秀頼の位階が正二位である事と全く無関係なのだろうか?
0474人間七七四年2021/09/12(日) 13:57:48.79ID:s7w3IaN6
想像力豊かで陰謀論が好きな人おるな
0475人間七七四年2021/09/12(日) 15:45:00.91ID:i0+SZ3U3
>>471
最期の出仕はいつだった?
0476人間七七四年2021/09/13(月) 08:28:03.17ID:eEYO1vA9
>>473
無理矢理難しく考えすぎ
天正10年に正二位でないなら秀頼との
位階の差の問題自体が存在しないことになる

1.朝廷が徳川に豊臣を始末させようとした
2.そのために秀忠を昇官させた
というロジックそのものが成り立たず
1.の根拠は何も示されてないということでいいか?

家康が秀忠の昇官を断ったというのも根拠不明だ
将軍宣下の段階であわただしくそんなやりとりあって
それが残らないのは謎すぎる

また家康から天下人を継ぐ秀忠の位階を
一大名に成り行く秀頼より上にするという発想は
むしろ自然なものだろう
豊臣滅殺の陰謀と結びつくものではない

むしろ天下人以上の位階の大名なんてもの
いるだけで治世の障りになるので
秀忠昇官がなかった(根拠は薄い)とする方が
衝突に繋がる蓋然性はまだ高い

はっきり言って「朝廷の陰謀」という
結果ありきで考えすぎだろ
0477人間七七四年2021/09/13(月) 09:42:56.35ID:AEZ9ogFV
すまん天正10年じゃない慶長10年

秀忠の官位の混乱についてはふと思ったが
その後の徳川将軍との兼ね合いもあると思う
家光以降、正二位、内大臣
征夷大将軍・源氏長者宣下
がセットで受けるのが通例化する

この通例化は江戸初期に確立したと考えるべきだが
秀忠の時点ではもちろんそんな前例もない
でも仮に慶長10年の将軍宣下の段階では
従二位だったとして後世から観たら
「これおかしくない?」てなるわな
0478人間七七四年2021/09/13(月) 10:56:59.13ID:6xvkL3VZ
問題なのは公卿補任で何故秀忠の位階が混乱しているのか、と言う点。
朝廷が官位を指令する以上そこに間違いがある筈がない。更に、もし秀忠が正二位を授与されていたなら何故それ以後従二位としてる記録もあるのかが説明出来ない(かなり失礼な記録になるから)
そしてこの混乱には原因があるだろう。
つまり朝廷は秀忠を正二位にするつもりだったしその通知もしたが、徳川はそれを断った。
だから誰もが秀忠が正二位か従二位かわからなかった(その上、徳川は武家政権なので正直位階はどうでもよかったんだろう)
だが、豊臣からするとどうか?家康が秀頼より上なのはまだ我慢出来る。
だが秀忠が秀頼と同じ位階に着くとなると…
当然、豊臣からすると面白くないし面白くないとなれば徳川との軋轢にもなろう。
朝廷からするとそれを期待して一連の動きをしていて、そして徳川はそれを避ける為に正二位授与は辞退したんだろう。
朝廷からするとアテが外れてしまったが、その代わり戦法を変えて秀頼を右大臣からクビにした。
0479人間七七四年2021/09/13(月) 12:41:36.58ID:Hhj5eg7D
荒らされてるね・・・
0480人間七七四年2021/09/13(月) 20:55:36.23ID:nTH+yL3m
秀頼が関白になったところで、全てが解決するとも思えないけど、どうなんだろうか。秀吉は他者を圧倒する武力、経済力があったが。
0481人間七七四年2021/09/13(月) 21:01:44.97ID:mazs0ERa
いつの時代も、権威は大切だけど権威だけじゃ何にも出来ない
0482人間七七四年2021/09/13(月) 21:57:43.82ID:tLHf6uoN
よくて関白持ち回り組に豊臣が入るだけな気がする
0483人間七七四年2021/09/13(月) 22:01:58.65ID:eEYO1vA9
>>478
断ったならその経緯は何故完全に
誰の記録からも抹消されてんの?
そこまで徹底した情報統制が可能なのに
何故公卿補任には残ってんの?

全く説明できてないのだけど
0484人間七七四年2021/09/13(月) 22:02:04.56ID:1PikWFaK
持ち回りで戻ってきた関白位じゃあ意味は薄いよな
むしろ豊臣家の復権を完全に否定する結果になりかねない
0485人間七七四年2021/09/13(月) 22:29:55.15ID:3VDKiKy1
根本的な疑問たが、
豊臣政権は本当に 崩 壊 したのかな。
崩壊したのは豊臣政権から切断された羽柴家だろう。
その辺を混同してやしないだろうか。

豊臣政権二代目主宰者徳川家康はやがて自前の幕府を立てて政権機能を漸次移行していった、
という方が事実に近いように見える。
その過程は漸進的なもので、崩壊などという断層的なものじゃなかったと思うんだが。
敢えて言うなら豊臣政権は役割を終えてフェードアウトしていった、と。

茶々や羽柴秀頼の主観はどうだか知らないけれど。
0486人間七七四年2021/09/14(火) 11:16:44.24ID:G7XNP87m
>>483
史実と逆のパターン、つまり朝廷が正二位を与えたく無いのに徳川がゴリ押しして正二位を奪い取ったなら記録に残ってるだろうね。
公卿補任では秀忠が慶長十年に正二位になったのか従二位になったのかが定かでは無い。だから昭和に改訂版を出した時に従二位(正カ)としている
つまり、朝廷としては秀忠に正二位を与えるつもりだった。というか決定していた。
これはとても名誉な事なので断る事は有り得ないから誰もが「秀忠さまは正二位になったらしい」と思った。
だけど公卿補任で従二位の記録があるからこれは流れた事になる。それはつまり徳川が断った事に他ならない。
朝廷がこの様な動きをしたのは、同じく正二位の秀頼の存在が大きいだろうさ。
そうでなければ、正二位を徳川が断る道理が無いからね。
0487人間七七四年2021/09/14(火) 13:47:16.06ID:LcQCJUM0
思い込みを入れすぎ
他ならないって言ってる部分は何故そうなったのかわからないであるべきでそこに想像をいれるべきでない
0488人間七七四年2021/09/14(火) 22:15:17.08ID:EG6gVxfg
>>482
天皇の即位灌頂の本読んでたんだが、東山天皇の時に関白の一条家は伝授の実績が無く
伝授をよく行っていた二条家の当主も難があって天皇に伝授出来ない可能性が出てきて
五摂家内でああでもないこうでもないと霊元上皇も絡んで色々あったのだという。
それまでは五摂家全てにそれぞれ伝承があり、理屈としては何処でも天皇に伝授出来たらしいのだがこの争論以降は即位灌頂の伝授は二条家が占有する儀礼とする流れになったという。
さて、こんな状況下に豊臣がいたとするならどんなだろうと考えたんだが
豊臣って一切の有職故実を有しない、単に二代関白を出しただけの家でしかなく
朝廷を運営するのに必要な物が色々欠けていたのを秀吉の権力と武力でゴリ押ししてただけなのに気付いた。
即位灌頂は天照大神と藤原氏の祖神天児屋根命との君臣の繋りに基づくという伝承が室町までに成立していて、神同士の聖なる盟約のようなものとされてたという。
いわば皇室と藤原氏のみの儀礼たいなもので、他家の関わる事が出来ない性格の儀礼だった。
こんな事態になった時に豊臣が関白していたとするなら、朝廷最高位の筈の関白が全く役立たずな上に蚊帳の外になるのは必定な訳で
公卿の道もあると過去レスに書いたんだが、実際豊臣は朝廷に入れたとしても関白としての業務出来ないんじゃねえかと思った。
0489人間七七四年2021/09/14(火) 22:29:53.26ID:LcQCJUM0
>>488
秀頼当人もその辺りの勉強を短期間でやめてるしね
ゆえに良くてと書かせてもらった
0490人間七七四年2021/09/14(火) 22:31:46.44ID:Od/YSvrC
>>467
五摂家が、九条が関白になっただけで関白が摂家に戻ってきたとは思ってなかったろう。
慶長五年、太政大臣は廃位となったから大臣職は左右内大臣のみ。そして左大臣が関白も兼ねる体制となってる。
仮にこの状況下で関白=左大臣が死去すると、
朝廷のトップは右大臣の豊臣秀頼ということになる。
関白は基本的には未経験者優遇という先例があるらしいので関白就任レースから秀頼を排除するのはかなり難しい。
朝廷、というか五摂家としては豊臣の勢力を朝廷から追い出す為に秀頼とその一族の死を願っただろうし、最低でも京から追い出すくらいは考えていただろうさ。
0491人間七七四年2021/09/14(火) 23:09:55.71ID:BxFcMb4U
尾張生まれの成金百姓一家だもんなー
関白てなんのジョークだよって話
0492人間七七四年2021/09/15(水) 08:30:09.25ID:mmnCD6w6
>>491
百姓? 農民ってこと?
別のスレで農民出は否定されてたぞ
0493人間七七四年2021/09/15(水) 08:33:20.32ID:mmnCD6w6
詳しくはこのスレで

秀吉の出自を徹底議論
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1610667352/
0494人間七七四年2021/09/15(水) 08:46:10.73ID:ZBb6j9M7
>>486
1行目から理解不能
朝廷が働きかけて拒否されても
働きかけた記録拒否された記録が
残らないというのが謎すぎる
0495人間七七四年2021/09/15(水) 08:48:41.34ID:ZBb6j9M7
>>486
昭和から見たら正二位と征夷大将軍が
セットなのが既に慣例化してて
何故従二位とされてるかわからないので
「正二位カ」になるのはわかるべ

なんでその昭和の記述から
当時の状況がわかるのか飛躍してるが
多分あなた自身が自説を信じ込んで
そこが見えなくなってる
0496人間七七四年2021/09/15(水) 08:53:10.60ID:ZBb6j9M7
通常起こり得ないとしてる昇官を断る例だが
織田信長の際には当たり前に記録されてる

実際に昇官する際には勅使が来る
それがないのに「昇官した」と認識されてた
というのは話がおかしいし
勅使が出たのに断ったならそれこそ
大騒ぎになって記録されないのはおかしい
0497人間七七四年2021/09/15(水) 09:09:57.57ID:g9JN9aDw
>>493
そこは秀吉の出自をなにがなんでも高貴の出としたい
キチガイが一匹いるから論外
0498人間七七四年2021/09/15(水) 09:42:21.92ID:71W+csMZ
諸々の記録が江戸時代の慣例に沿って
「訂正」された結果記録が混乱するってのは
ありそう(「正カ」もそれっぽい)

当時の秀忠への官位の決定権を握ってたのは
最終的には家康なのはまず間違いない
が、それと対立する「朝廷」の意思を
想定する理由は薄いかなあ

新たな天下人を昇官させようという意向は
官位の大盤振る舞いをした豊臣政権の経緯から
朝廷、武家両方にあったと思うよ
0499人間七七四年2021/09/15(水) 09:57:46.39ID:skE8lHmZ
>>495
だとしたら「正二位(従カ)」と書くと思うよ。
公卿補任における秀忠の位階はある年は正二位、ある年は従二位になってたはず。
具体的には慶長十一、十二は正二位(十一年は散位で従二位)、慶長十六年以降は従二位と記載される。
何の意味も無く位階は上がったり下がったりする事は有り得ない。
明治期に改訂版の編纂者も困ったろうが正二位を与えたと意味も無く記録はしないという点と、
徳川実記等の資料を照らし合わして正二位としたんだろう。
昭和期新訂版の編纂者も困ったろう。
彼は「本当に正二位を賜ったならそれ以後に従二位とは書かない。なら慶長十年時点では従二位の可能性が高い」として「慶長十年内大臣従二位(正カ)」としたんだろう。
0500人間七七四年2021/09/15(水) 20:43:58.04ID:ZBb6j9M7
>>499
悪いが1行目何が言いたいかわからない
元レスで書いてるのは2点

・江戸時代の慣例が将軍宣下時に正二位なので
 そこから正二位が正しいと考えるのは自然
・後世の註釈者は当時の細かい事情がわからない
 なのにそこから陰謀論を導くのはおかしい

その何が「従カ」と書くと思う理由になるんだ?

その後長々書いたことは基本的に同意
言うまでもないと思ってあえて書かなかったが
上がるのはともかく下がるのはおかしい
勅使が派遣されて断るのと同様大事件だ

だからどちらも記録にない以上
そんなことは起きてない
0501人間七七四年2021/09/16(木) 00:08:07.79ID:OutKi1zw
重箱の隅を突っつく議論も嫌いじゃないし結構面白く拝読してるんだが、
徳川秀忠の官位が豊臣政権崩壊にどう繋がって行くのか、そろそろ考察の展開を頼む。
0502人間七七四年2021/09/16(木) 01:01:26.46ID:xRjjnYUB
つか大坂の陣の前に秀頼が関白になってたとしても、豊臣家は滅んでいたよなあ。
官位、権威は豊臣家の滅亡と関係ない。
0503人間七七四年2021/09/16(木) 01:13:06.96ID:hGgpjNwy
関ヶ原で勝った家康は独断で知行の分配をした。この時点で実質家康の天下
その後朝廷工作と畿内の制圧のために畿内に留まり、将軍宣下を受けてから関東に帰った
その間に家康を抑えつける手段が豊臣側には皆無だったんだからどうしようもないわな
0504人間七七四年2021/09/16(木) 01:33:07.44ID:1przx3+M
元々秀吉死後、政権の政務任されてるしな、家康
んで別に豊臣を立ててない訳でもなく秀吉の死亡で天下人としての機能を失った豊臣が段々求心力が下がって、その分天下人の機能を成り立たせてた徳川に求心力が上がり、ゆるやかに主従関係が逆転していく感じ

年頭礼見てるとわかりやすいよね
0505人間七七四年2021/09/16(木) 01:35:42.92ID:xRjjnYUB
そもそも家康が秀吉への臣従のため上洛した時点で既に、
家康は征夷大将軍に成るという風聞があったことが宣教師の記録などに
見えるので、家康が潜在的な征夷大将軍位の有資格者、という世間的認識は
かなり早くから有ったのだろう。
0506人間七七四年2021/09/16(木) 01:46:54.34ID:FufWsU2i
仮に秀頼が関白に就任していたとしても、
既に現役関白だった秀次を、秀吉が家父長権を以て
滅ぼした先例があるので、秀頼の舅である秀忠の段階でもう
それを行なう事ができる。
0507人間七七四年2021/09/16(木) 01:48:32.42ID:1przx3+M
秀吉自身が源氏の家康ってのをかなりプロパガンダしてた節があるって話もあるね
勿論源氏だから征夷大将軍になる訳ではないが
0508人間七七四年2021/09/16(木) 02:06:01.38ID:a5L3kl++
でも秀吉に臣従した段階だとまだ藤原じゃないっけ?家康
0509人間七七四年2021/09/16(木) 02:14:16.79ID:1przx3+M
秀吉が源氏姓を家康に与えるのをお膳立てしたね
0510人間七七四年2021/09/16(木) 08:04:46.05ID:aGH1Ms0R
「豊臣政権」の存続で言ったら

秀吉健在のうちに無理矢理にでも秀頼関白就任させて
実務は徳川内府家独占で関白はお飾りの体制を
確立させちゃうしかないんでは?

>>502>>507
むしろ関白になってしまっていたら
武家関白と幕府の二重政権状態で衝突不可避
幕府体制下の一大名として残る可能性も失う
0511人間七七四年2021/09/16(木) 08:41:27.13ID:e12GcoAp
豊臣が傀儡でしかなくなったらそれはもう徳川政権やし
後世でも徳川政権と呼ばれることになるだろう
0512人間七七四年2021/09/16(木) 08:56:06.27ID:aGH1Ms0R
北条執権や室町管領家がしきってても
鎌倉幕府室町幕府でしょ
徳川時代も一般的には江戸幕府江戸時代で
将軍独裁なんて続いてない

というか豊臣政権だけそう言われてんのって
短命だからで軌道に乗って何十年と経てば
伏見政権とか大阪時代になってたんじゃね?
0513人間七七四年2021/09/16(木) 09:54:32.46ID:CwklY50i
これまでの関白は別に天下人だった訳でもなく、関白になることと政務を徳川が行うことは普通に並立しないか?
権威と武力が両輪揃って天下人にはなるけど、基本武力に従って権威がついてくる感じじゃね?武力というと聞こえはあれだけど言ってしまえば裁定の執行力な訳で
諸侯も執行する力がないのに権威だけの人間に裁定されても納得しないし、そんなのに付いていこうとはならない
0514人間七七四年2021/09/16(木) 11:23:04.87ID:PwOFOjeB
>>513
だから半端に大坂城という城塞に籠もってないで武力を放棄して公家になる
道はあったんじゃないかと思うね
家康が保護した他の元名門武家たちの中のトップクラスの待遇は受けられたんじゃないか
まああそこから天下を取り返すのは絶対無理だわ
0515人間七七四年2021/09/16(木) 12:28:15.08ID:1tUbDeMc
>>513
それには豊臣内部が「もうウチは天下人じゃないし、これ以降天下人の家であり続ける必要も無いんだ」と一致して割りきらないと無理だろなぁと。
それが出来なかったから大坂の陣が起きた訳で。
かなり豊臣家自体が内的変化を遂げないと難しいかと思う。
昨夜のBSで秀吉が最
晩年建てた京都新城の話があったけど、公家屋敷も兼ねていたというこの城が関ヶ原前に破却されたのは
公家として生きる道すら喪っていく豊臣の将来を表すようだなと思ったよ。
0516人間七七四年2021/09/16(木) 12:31:56.96ID:CeArTaJb
関ヶ原後の秀頼は伊達政宗もあのまま大坂に置いてたら危ないと忠告したくらいだからな
もう時代に取り残されてる感があるのにいまだに前時代の意識で居座っていて
結果的には秀頼自身をも滅ぼすほど政治的に中途半端で危険な存在になってた
政宗だけでなく全ての大名が思ってたろうけど
0517人間七七四年2021/09/16(木) 13:07:01.64ID:l2XWKTrU
>>516
宣教師とかキリシタンの武将があつまるからでしょ
伊達家でも北の留守とか白石とか亘理の領地にはキリシタンの残党とか多くいて
伊達宗家も黙認していたけど仙台とか岩沼とか亘理とか伊達宗家と近いところの領地には
いなかったわけで、わざと領地の辺境にキリシタン置いていたわけだし
政宗は領内でのキリシタンの不穏な動きに対応してたからな。
キリシタンとかいない大名はキリシタンの恐ろしさを身に感じていないし
西国には秀頼のシンパが多いから、そいつらとは違うよと秀忠にアピールしていたんじゃないかな
(あと100万石のお墨付きを反古されているからチャンスがあれば貰う気満々だったし)
0518人間七七四年2021/09/16(木) 13:13:34.66ID:/bt10gbV
100万石のお墨付きってあれ自分で切り取れたらって話じゃねーの
あと西国の秀頼のシンパとかキリシタンとかって何の話よ?
0519人間七七四年2021/09/16(木) 14:17:33.10ID:elXvGWp1
>>500
まず、江戸時代の先例云々はあんまり関係無い。
仮に昭和版公卿補任の編纂者が徳川家先例に熟知していたとしても、公卿補任に「秀忠の位階は従二位」と記されているんだから。
昭和版の編纂者は「秀忠が正二位を慶長十年に貰っていたら、その後はずっと正二位と記録される筈だ、つまり慶長十年では秀忠は従二位だったんだ」と考えた。だが、徳川実記等慶長十年に秀忠が正二位に昇った事を記録してる史料があるのも事実。
だから昭和版編纂者は、附記でこの点も記した。
それが「従二位(正カ)」って事。昭和版では慶長十年に秀忠が貰ったのは従二位としてる訳。
もし、徳川の先例から正二位だと思っていたら「正二位(従カ)」と書くだろう?だって正二位になってるはずなんだから。
勿論、これが朝廷のささやかな嫌がらせって可能性も無いわけじゃ無いよ?東侍に正二位なんか与えられん!っていうね。
…まぁそもそも、徳川家康が征夷大将軍になった時は「従一位・右大臣・源氏長者」だった筈なんだけどね。
秀忠が正二位を貰っていたら、その後に従二位とは記載されないだろう。つまり、公卿補任の記録は混乱してる事になる。その混乱の原因は編纂者が考える事でもない。
だが、慶長十年時点では秀頼が正二位である事を踏まえれば、大体の事情は見えてくる。
0520人間七七四年2021/09/16(木) 16:03:22.04ID:l2XWKTrU
>>518
仙台市博物館にあるものをちゃんと読みなさいよw

これでもみたら?
https://www.youtube.com/watch?v=GovLgFe5n6k
0521人間七七四年2021/09/16(木) 16:06:42.11ID:l2XWKTrU
>>518
     覚

  一、苅田 一、伊達 一、信夫 一、二本松 一、藍松 
  一、田村 一、長井

   右七ヶ所御本領之事候間、御家老衆中へ為可被宛行進之候、仍如件、

 慶長五年八月廿二日            家康(花押)

                    大崎少将殿
             (『伊達政宗卿伝記史料』596頁)

どこに切り取り次第と書いているのかな?
0522人間七七四年2021/09/16(木) 16:45:46.06ID:/bt10gbV
出典史料も出してない動画とか、あんまり人に勧めない方がいいぞ?
あとその史料のどこに100万石がうんたらと書かれてると主張してる訳?
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