トップページsengoku
1002コメント434KB

豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO
豊臣(羽柴)秀吉が一代で築き上げた豊臣政権は秀長や利休などの
身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう

次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします

前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/

過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0202人間七七四年2021/08/22(日) 13:20:08.34ID:lMbOne4C
白峰氏は三成を贔屓にしとる節があるしね。
彼がこの書状を1600年とするのには、
一つは関ヶ原は毛利が主体となってるという主張。
それよりも大きいのは、関ヶ原の西軍挙兵は徳川の策謀の結果であるって言うことか。
何しろ東軍の寺沢が三成らと行動してたんだ。
だから上杉討伐は家康の陰謀だと。
このスレでもそういう主張の人が多いってことなんかなぁ。
0203人間七七四年2021/08/22(日) 13:28:52.86ID:3vnVdW6B
>>201

> >>199
> この書状(46号書状か)を慶長五年とするのは白峰氏なんだろうが、無理がある。
> 一つ目は、この書状が西軍蹶起の挙兵だとすると毛利が主導者だった証になる。そんな危険な書状を毛利が残すだろうか。
> 二つ目に、当該書状では三成が小西と寺澤を輝元に送っている。佐和山で謹慎していた三成がどうしてこの二人を送れたのか。
> 仮に友情が三成を助けたとしても、問題がある。
> ここにある寺澤は寺沢正成の事だろうが、彼は確かに小西の友人ではあるが慶長四年四月から徳川派に転向してる(関ヶ原では東軍に与する)
> そんな男を急使に立てるだろうか。三成らが見抜けてなかったとすると要は西軍の挙兵は徳川の周知だった事の証拠にはなるので確かに小説の題材にはなるが…
> 三つ目は、この書状では「増田長盛が昨日、徳川と上杉の縁辺が整ったと言ってきた」とある。
> 慶長五年六月だとすると上杉討伐が決定されていた筈でこんな話がくる筈が無い。長盛が嘘を言ったとしてもそんな嘘を言う理由は相当難しい(敢えて考えると、西軍蹶起を止めようとしたのだろうか)
> この様な点から、慶長五年ではなく慶長四年に書かれたものであろう。
> 伏見に逃げた三成からの挙兵要請を受諾していてもそこまで問題は無いからである。何しろ敵の七将は武力行使をしてるんだからね。

こういう反論を本来は>>202が自分で出さないから揉めた訳でしょ
0204人間七七四年2021/08/22(日) 13:57:07.96ID:2OqX2u1h
>>201>>202は自演
...の人ね
0205人間七七四年2021/08/22(日) 14:44:52.00ID:Vv0N6yKH
>>198
一連の事件それを含めて三成襲撃事件だろうよ
だからあったと主張する意見も通るだろうよ
0206人間七七四年2021/08/22(日) 15:05:35.22ID:Vv0N6yKH
>>196
伊達政宗除いて残りは7将候補だからな
十分に間接的な関与はあるだろうな
頭に血が上るとまともな判断ができなくなるよ
0207人間七七四年2021/08/22(日) 15:23:32.00ID:4C/tKuem
間接的に指示しましたなんてわかる史料もなければ、七将以外とも普通に交流もしてるな
それをわざわざ七将のみ書き立ててほら関係してるでしょは通らないと言っている
頭に血が登るではなく、ろくな証拠にもならないもので断言するアホに憤ってるだけ
0208人間七七四年2021/08/22(日) 15:28:56.48ID:4C/tKuem
七将に指示してたなり言いたいならまさに七将に三成襲撃指示出してる史料なりを出さなきゃだめだろ
それも出さないで自分の主張に都合の宜しい部分だけ書き出してるののどこが客観的な書き方なの?
それとも都合の悪い文書は全部家康が消したんだ!だから証拠ないけど俺ならわかるとか例え話みたいなこと言い出す気か?
0209人間七七四年2021/08/22(日) 15:37:57.51ID:Vv0N6yKH
ダメだこりゃ(いかりや風)
0210人間七七四年2021/08/22(日) 15:56:39.83ID:4C/tKuem
呆れてるようで悪いが、このスレは前からこの手の話してるし毎回そこで間接的に関わってたとか言い出すアホはろくな史料も研究も出してこないんだわ、少しは遡って読んだら?
0211人間七七四年2021/08/22(日) 15:57:48.46ID:cA3dA6Tf
>>209
研究者の著書や論文の名前出して、自分に都合の良い嘘ばっかり言ってる人もいるけど、あなたの場合はそもそもそういった書籍すら読んでないでしょ?
0212人間七七四年2021/08/22(日) 18:31:46.26ID:sCArQQmT
研究やら論文も読まないで、なんならその手法も知らないで何か語れると自惚れるバカが毎回湧くのはなんなのかね
0213人間七七四年2021/08/22(日) 21:12:50.44ID:AipCPV8Y
>>212
ゲームやらマンガやら、低俗なメディアの影響だろうよ。
0214人間七七四年2021/08/23(月) 08:32:42.59ID:txERweLv
>>212
でもここ5ちゃんねるだぞ
何で君は研究室で勉強してないの?
どこ大学のどこの研究室やゼミなの?
0215人間七七四年2021/08/23(月) 09:35:48.29ID:EEluWxxU
5chを言い訳にしようとするやついるけど、自分がそれなりに興味のあるもんろくに調べることすらしないで何なら調べるんだよ、興味あるもん調べるくらい遊びの範疇だろ
つかせめて窘められたら素直に引っ込めよ
0216人間七七四年2021/08/23(月) 09:38:06.99ID:EEluWxxU
自由に語ると無責任に語るは全然違う行為だし、少なくともこのスレはそれなりに調べた上で語ろうって人間のが多いな
0217人間七七四年2021/08/23(月) 09:59:47.70ID:6i7lUYrd
>>214
いや、マンガとか小説とかゲームの武将キャラの話がしたいなら別板で好きなだけどうぞ、って話だよ。
少なくとも、史実に基づいた話をしたい人が、あーでもないこーでもないと楽しんでるわけだから。
0218人間七七四年2021/08/23(月) 12:54:53.03ID:Yyafiic2
>>198
そんな理由で三成襲撃事件がなかったと主張する事はできないだろうよ
書き直しを命じる
0219人間七七四年2021/08/23(月) 13:02:50.19ID:Yyafiic2
>>207
交流はともかく合議による合意を得ない大名家同士の婚姻は伊達政宗除いて七将だけだからな
その反論は普通に通らないぞ
0220人間七七四年2021/08/23(月) 14:20:49.67ID:X36Q9D4/
>>219
そもそも「七将」なるものが誰7日固定化出来ない、架空の存在でしか無い
0221人間七七四年2021/08/23(月) 14:21:12.66ID:qypYfosQ
>>219
合議による合意を得た大名家同士の婚姻(もちろん一方は徳川家縁故)て、どこがあるの?
0222人間七七四年2021/08/23(月) 14:33:31.40ID:yrQSmrX3
唐入りの件で騒動起こしそうなのを予め止めるために婚姻しようとしたかもしらんし
婚姻止められたのを遺恨に思って自発的にしたかもしらんし
それだけだと因果関係の証明になってねーよ

直接仕組んだとわかる史料はないんだろ?
0223人間七七四年2021/08/23(月) 21:36:45.06ID:WzDgOQzt
>>220
わけわからん、誤字なのか?
もう一度書き直せ
0224人間七七四年2021/08/23(月) 21:46:11.06ID:WzDgOQzt
>>222
史料にこだわるね
そんなに都合よく何もかもが資料になるかよ
俺は家康が七将に三成襲撃を命じたとは一言も書いていないからな
誤解はするなよ
ただこの時期に反三成派の七将らと家康が接近して理解を示していると言いたいだけだ
0225人間七七四年2021/08/23(月) 21:48:26.63ID:txERweLv
>>217
いや研究とかだったら大学でしろよここは5ちゃんねる
別の板も何もここでやる板なんだからw

お前ひとり浮いてるんだよ
0226人間七七四年2021/08/23(月) 21:50:50.85ID:EEluWxxU
別に接近してると言いたいならそれでいいよ、そこ否定する気はないがな
この話は元々七将襲撃を家康が仕組んだとか言い出したのから始まってるんだから
あと史料にこだわるのが研究の基本やから、なんでもかんでも都合よく史料になるかよじゃなくそういう史料がない限り断定しないのが研究の常道よ
0227人間七七四年2021/08/23(月) 21:53:09.89ID:EEluWxxU
研究を読んだり研究に沿って話すのは大学以外の趣味でも匿名でもできるしここでそれなりにやってることだぞ
なんで研究は大学だけとか研究は趣味にならないとか勝手に思い込んでるかしらんが
0228人間七七四年2021/08/23(月) 21:57:58.56ID:znLjw2kS
>>225
自分が知識・情報がないだけの話じゃん
なんでレベルの低い奴に話を合わせなきゃならんの?(笑
0229人間七七四年2021/08/23(月) 22:07:24.39ID:aKufHPs7
ここは5chなんだから、俺のわからない話はしないでくれよ、って言われてもなぁ(笑
0230人間七七四年2021/08/23(月) 22:09:43.96ID:txERweLv
>>228
何でレベルの高い人間が研究室ではなく5ちゃんねるでマウントとっているんだw

>>229
他人の言葉じゃなくて自分の思考で述べることできない雑魚に何言われてもなぁw
0231人間七七四年2021/08/23(月) 22:17:17.60ID:VeaKmJJb
>>230
この話自体が不毛だよね?
そもそもこの議論いる?
議論してるのなら、要求されたものを出せば問題ないのでは?
出せないなら引っ込むべきだし、『5chなんだから難しい事いうな』というのはおかしいと思うよ。
0232人間七七四年2021/08/23(月) 22:30:15.55ID:eVj2fSGh
>>225
全くだな
学問カテゴリの歴史板と違って、なぜここが趣味カテゴリの板なのか判ってない奴が多すぎるわ

あと研究の常道というのも全然違う、日本の歴史学者(日本限定ね)がそれに凝り固まってそう思い込んでるだけ
これには理由があって明治時代のお雇い外国人で歴史学者のリースがたまたまランケの弟子だったため極端な文献史料至上主義者だったから
このリースに教わって、この手法こそ唯一絶対正義だと刷り込まれた者がまた別の場所で歴史学を教えるという感じでこの手法だけが広まり
それが一旦権威となって固まってしまうと外圧無しには覆せなくなる日本人の悪癖もあってずっと続いてるだけ
日本史ってのはそれ自体が当然ながら日本だけのガラパゴス分野なので130年前の呪縛が未だ溶けてない

この点世界史はだいぶマシなんだけどね、世界の歴史という分野の性質上、他国の歴史学者の研究も無視できないわけで
実はランケ学派が欧州ではかなり批判されてることや、その批判的な立場の学者の研究も入ってきて、
本当にリースのこの手法でだけ良いのだろうか?他の方法もあるんじゃないか?と問い直すことも出来た

一番馬鹿馬鹿しいのが
仮に明治に最初に来日したのがリースじゃなくて他の学派の学者だったら、ここの奴等も今頃別の事言ってるだろうってことw
なんなんだろうね、自分が学生時代に教わった手法が唯一無二の絶対正義で絶対ここから動かないぞみたいな発想
権威主義なのかね?130年前の欧州でも実は権威のひとつにすぎないのにね、たまたま日本に伝わったのがそれだったというだけの話でさ
0233人間七七四年2021/08/23(月) 22:37:11.29ID:fCtn31p+
>>232
一番馬鹿馬鹿しいのは、キミだと思うよ
これは満場一致だと思う
0234人間七七四年2021/08/23(月) 22:44:51.99ID:EEluWxxU
史料で担保もしない証明でどんだけアホなこと言い出すのか見ものやね
0235人間七七四年2021/08/23(月) 22:48:59.26ID:VeaKmJJb
そんな難しい話じゃないと思うんだよ。
このスレに書き込んでる人は、程度の差こそあれ、基本的には史実に基づいた話をしたいのは確かでしょ?
で、その根拠は何なの?って話。
原文を文法通り口語訳を付して説明できればいいんだろうけど、それは流石に難しい。
次が、研究者の著書や論文を引用するケースだよね。
これ以外に、史実に近づけた議論はできないと思うんだけど、どうだろうね?
そもそも『史実とかどうでもいいです』って話なら、入口から噛み合ってない。
『5chなんだからさ』という不毛な話が始まっちゃうわけ。
0236人間七七四年2021/08/23(月) 22:56:02.95ID:1N42QgA6
>>201
三成が小西・寺澤を使者として輝元に遣わしたではなく「自治少・小西・寺澤被越候ハ」だから
三成・小西・寺澤方より輝元に使者もしくは書状が遣わされたになるんじゃないか

時代は少し遡るが
(文禄4年)5月24日付島津忠恒宛石田三成書状では
「小西摂津守・寺澤志广守両人ニ、諸事可有御相談候、此両人拙子別而無等閑候、御隔心有之間敷候」
と三成は小西・寺澤とは特に仲良くしているから、忠恒もこの二人には何でも
相談して隔心なく付き合ってほしいと述べており、両者とは特に親密な様子が伺える
三成自身も寺澤とは相当親密に交流していたようだ

寺澤が東軍に与したのは周知の事実だが、通説の秀吉死後すぐに家康に近づき取り入ったというよりは、
寺澤が家康から命じられていた庄内の乱の収拾の際に、同じ解決のため奔走していた山口直友を通じて
徐々に家康と昵懇になっていき、状況を見極めた末に関ヶ原合戦の数ヶ月前に
旗幟を鮮明にして家康に与したという見方もできるんじゃないかな
まあこれに関しては根拠となる史料がないから個人的な推論になってしまうけど
この辺り白峰氏は慶長5年6月上旬の時点で寺澤は反家康のスタンスだとだけ述べており、特に深堀りはしてないね

あと「上様被仰置之由候而、昨日内府・景勝縁邊之使、互ニ増右案内者にて調候」は
上様(秀頼)の仰せで家康と景勝の使者が互いに増田の仲介にて話を調えた
つまり両者の衝突を危惧した秀頼&淀殿が和睦目的で両者に縁辺之儀を勧めた
と見れば別に筋が通らない話ではないな
すぐ後に続く文でこれは不調に終わりそうだと輝元は言ってるが
0237人間七七四年2021/08/23(月) 23:13:13.61ID:JEm7eDEh
ここ暫く続く石田三成と内訳未確定の「七将」との確執に関する詳細議論、
それはそれで興味深く拝読してるんだが根本的な疑問がある。

その件が
「豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件」
なんだろうか。

当たり前だとお叱りを受けそうだが、どうも焦点がぼやけているように思われてならない。
仮令それが直接の契機になった事象だとしても(そうは見えないが)、
コトの本質はそんなことが崩壊に繋がってしまう豊臣政権の構造、更にその構造を生んだものの方に在るんじゃないだろうか。
0238人間七七四年2021/08/24(火) 08:41:12.89ID:J+DRAJDm
光成氏だとかも
文禄四年の時点では寺沢正成を「文治派」に置いてるから、毛利輝元書状(46号書状)が七将襲撃事件の際に、三成から挙兵の依頼人として送られてもおかしい話じゃ無い。
問題は文禄五年、しかも六月という上杉征伐が決定したタイミングだとすると
寺沢は裏切りでは無く最初から東軍として働いているから、
要は西軍の決起計画は全て家康に筒抜けだったという事になる。
のみならず、寺沢は奉行職に才能ある人物で朝鮮出兵で兵站維持等で賞賛されたとか逸話のある人物なので
西軍の戦力や物資、戦略を正確に掴んでいた可能性が高い。当然これは徳川に報告されて徳川はこれを基にシュミレーションしていた事になる。
0239人間七七四年2021/08/24(火) 09:39:05.40ID:t/vMg0M8
決起計画に寺澤がどの程度関与してたかはわからんでしょ、首脳じゃないんだから
三成ですらいつから計画に加わったのかも不明瞭なのに
0240人間七七四年2021/08/24(火) 09:42:47.47ID:Hz2euEzM
三好長慶が将軍抜きで天下を数年支配してから天下は血統ではなく実力者が仕切ることになった
武士のトップの証明は戦争に勝つことと知行割り当てを仕切ること。それを満たしたことで秀吉も家康も主家を超えて天下を支配することになった
なので家康に天下人の要件を満たさせないように誘導しないとどうしようもない
0241人間七七四年2021/08/24(火) 10:08:18.18ID:t/vMg0M8
ならそもそも豊臣政権は秀吉没後に必ず滅びる形になるね
結局のところ家が殆ど形成されておらず秀吉個人の力だけで支えてた政権だし
豊臣家、として残すなら徳川の力を借りる形、つまり縁戚として実効力は徳川に任せて名目上その上にいる存在としていれば良かった
まあそれも西軍挙兵で崩れたけど
0242人間七七四年2021/08/24(火) 11:09:12.68ID:QelDMJvh
結局秀次とその一族を消したことに尽きるんだよな
せっかく豊臣政権の存続に不可欠な「家」の形成を秀次の代でやれそうだったのに台無しにしてしまった
何度も言ってるけど幼い秀頼たった1人にした時点で政権を担う存在としての豊臣家は終了
主家として統制の機能を喪失したんだから
後はもう豊臣家は完全に蚊帳の外でアレクサンドロス三世の遺言「最強の者が継承せよ」の通り
実力者同士での主導権争いになるしかなかった
場合によっては戦国に逆戻りも十分あり得た
0243人間七七四年2021/08/24(火) 11:57:17.88ID:DoJcIeS+
秀次が承継したところで、変わらんと思うね
巨頭家康主導の秀吉遺言体制ですら、史実の有様だからね
秀吉死亡でヒャッハーを目論む潜在的反豊臣勢力(上杉や毛利など)に徳川も加わるだけ
0244人間七七四年2021/08/24(火) 12:22:56.89ID:uGXEZCrt
三好以来の流れを徳川が断ち切ってまた血統主義に戻ったんだから秀吉も徳川と同じ事をやればよかっただけだよね。というか秀次に譲った所までは一緒なんだよな
後は関白秀次が全国の大名の任官と知行割りを進めていけばよかっただけ
0245人間七七四年2021/08/24(火) 13:25:26.57ID:EWH4qjTd
ちょっと注意しておきたいこと
ここは5chだからいろいろな人間が書き込む
当然常連みたいな人間もいるわけだが
IDが固定化しておらず文や支持している説で相手を判断している人間もいるみたいだが、時々異なる人間にも関わらずに勘違いで同一人物とみなして口撃してくる人間もいる

一応不特定多数のいろいろな人間が書き込んでいる以上、あまり勘違いしないようにした方がいいと思う
0246人間七七四年2021/08/24(火) 15:41:47.30ID:fmTebkWQ
>>244
戦国大名家を、巨大な外様大名として残している時点で、全然違うでしょ
0247人間七七四年2021/08/24(火) 18:55:19.56ID:J+DRAJDm
>>239
白峰氏が主張する、毛利家46号書状が西軍決起計画に関係するものだとしたら三成・行長と共に来てる正成(光成氏の解釈だと三成からの使者だけど)が西軍の計画に関わってないとする方が難しい(使者の中で正成だけ外す、なんて出来ない)
白峰氏は時を1600年6月とするけど、16日には家康は天皇と秀頼からの援助を受けて出撃してる訳だからね。
寺沢正成は裏切りとかではなく最初から東軍だったって話なので、使者になった時点で徳川派。
なら己がアクセス出来る情報は全て家康に伝えてる。間違い無く46号書状の会合は筒抜け。
しかも正成は奉行職だったから兵站等の情報も流してたろう。
正成が情報を流してなかったとすると
「正成は元々西軍になる予定だったが、16日までに突然考えを改めた。でも友を売るには忍びないので黙ってました」
という話になる。流石に支離滅裂過ぎる。
白峰説を採るなら、西軍の挙兵は徳川の知るところ(というか挙兵されるから上杉征伐を強行した)ことになる(更に言うと戦後の毛利との和睦も徳川の茶番劇となる)
光成説を採ると、この書状は七将に襲撃された三成の救援要請。正成はこの時期文治派なのでいてもおかしくない。
七将の武力攻撃に反撃を試みる事は流石に非難出来ないので捨て置かれてた、となる。
0248人間七七四年2021/08/24(火) 19:07:35.43ID:PNvnOGL6
関ヶ原直前だとすると
一 e増右被申事ニ、とかく治少より身を引候ハてハ、すミ候ましく候、と被申たる由候、

この一文が個人的には納得できない
 
白峰氏は論文で
「下線eは、増田長盛が言うには、「とにかく石田三成が身を引かなければ、(この反家康の決起
 はこのままでは)決して済まない(=もっと拡大する)だろう」(25)と述べた、としている。この
 ことは、反家康の決起の中心人物が石田三成であったことを示している。」
と述べているが家康が会津に向けて出発していないうちから隠居の三成が行動するのは流石に
0249人間七七四年2021/08/24(火) 20:29:06.05ID:5WQ4qZI7
白峰説だと挙兵聞いて家康が慌ててるのの説明にもならないし、普通に白峰訳が無理ありそうよな
つか挙兵させずにタレコミで謀反の証拠ありで処罰すりゃいいし
0250人間七七四年2021/08/24(火) 22:02:18.01ID:HJtLU8sI
>>231
ふむふむ

要するに高卒って事かな?
自分で思考する能力が無いから他人の研究に頼り
仮説を立てる人達を全否定するわけだね。
よくある高卒脳の典型だねw
0251人間七七四年2021/08/24(火) 22:06:28.68ID:HJtLU8sI
>>232
ごもっとも他人のふんどしを借りてマウントとって自分の意見を述べることができない
アカデミックな考えとして糞みたいな仮説でも1000立てて1当たればいいという
大学における学問の研究をしていない奴が、凝り固まった古い文献でああだこうだ言うのに似ている。
これは上杉鷹山が米沢城内で見た家臣団が古い文献をみてああだこうだとつまらない議論をしていて
無駄に時間を過ごしていたのに似ている。権威主義の塊の奴がここでマウントとっているのが受ける。

またどこの研究室出身なのか誰ゼミかも言えないレベルでどこの大学と聞かれても答えられない。
多分、他社の引用しか出来ないところを見るとせいぜいFランク出てるかどうかの人間だと思う。
0252人間七七四年2021/08/24(火) 22:30:00.53ID:tF+Zzabu
薄い内容をだらだらした長文で書き、たった5行の文章中に2つもの矛盾を仕込むお馬鹿さん
日本語の勉強をしなさい
0253人間七七四年2021/08/24(火) 22:35:00.88ID:vv69Dj+t
>>250
その仮説の根拠を示せ、って話でしょ
不毛な話に落とし所を作ってくれた空気を読めないかな?
0254人間七七四年2021/08/24(火) 23:11:04.52ID:t/vMg0M8
学問を主としてる大学出てたらまず根拠となる出典書けってイヤほど教わるし、それを他人の褌だなんていいだしたら指導教員にしこたま叱られると思うが
一体どこの大学で根拠となる出典や研究もなしに論文やらレポート書けと言われるんだ?
0255人間七七四年2021/08/24(火) 23:16:49.67ID:t/vMg0M8
普通は匿名でも社会的なリスクを考えて出身大学がどんなに良かろうと書かないのが普通だし、その煽りをするならぜひともご自分がどちらの大学のどこのゼミ出たバカたれなのか率先垂範して頂きたいな
書けないようなら程度が相当に悪いということらしいので楽しみだ
0256人間七七四年2021/08/24(火) 23:25:52.83ID:HJtLU8sI
>>255
質問に質問で返した時点で君の負けだよw
0257人間七七四年2021/08/24(火) 23:43:07.80ID:IazX+yKC
>>256
という事は、>>250で質問に質問で返したお前の負けだなw
0258人間七七四年2021/08/24(火) 23:47:14.75ID:t/vMg0M8
あまりにもバカげたことを言うと程度が知れる好例ってやつだね
結局大学名も上げないし、彼の言うとおりなら彼は自分でご自分がよくてかなり程度の低い大学の出だと示した訳だ

根拠もなしにこういう決めつけが起きないよう、根拠が必要なのもついでによくわかるね
0259人間七七四年2021/08/25(水) 02:16:41.99ID:IabJOldS
大学とか以前に、あまりにも幼稚すぎる主張や言動からして中学生ぐらいだろうよ
ちょっと齧った知識で背伸びしてみたが、引くに引けなくなっちゃったんだろう?
0260人間七七四年2021/08/25(水) 07:30:00.34ID:muz9QeY5
反論できなくなると人格攻撃か
立派だね
0261人間七七四年2021/08/25(水) 11:58:20.58ID:oeE5g7hY
学歴ネタって、完全な勝ち組と完全な負け組は、自分もしっかり自覚してるから、まぁ触れないもんなんだよ
なので、学歴でワーワー言ってるのは、MARCH〜日東駒専のレンジで間違いないと思って良い
0262人間七七四年2021/08/25(水) 12:00:01.97ID:L9Atcw7j
結局214の質問に誰も答えられていない事と
最後は人格攻撃で終わる
レベルの低い人が他人の論文を有難がっているだけの権威主義のスレと言う事だな。
0263人間七七四年2021/08/25(水) 12:10:42.87ID:7/+WtMNX
>>262
いや、>>214は、持論の根拠を示せないお前の『負け犬の遠吠えレス』でしょw
0264人間七七四年2021/08/25(水) 12:25:27.74ID:GdDS5q3M
人格否定もなぜか学歴の問題持ち出し始めた根拠持ってこない君が言い出したことを玩具にしてる訳で、それでマウント取ろうとするのはブーメラン投げてるのよな
んで、名前の言えないならFランク以下の人ってのも自分で決めたルールなのにやっぱり言わないし
自分で勝手に言い出したことを自分にまず適用されたら被害者面するの、厚かましいにも程があるな
0265人間七七四年2021/08/25(水) 13:06:25.42ID:L9Atcw7j
>>264
学歴どうこうじゃなくて論文や研究というのであればそれは大学や学会、研究室やゼミでやればいいのでは?
単にここで論文論文いっている人は自分の意見を述べない権威主義なんじゃないかと言いたい。
そもそも論文や研究をする立場の人って他人の論文を引用するけどその論文に自分なりの考えを乗せるわけであって
ここにいる論文の人はただ単に他人の研究におんぶにだっこなので基本的に研究とかしている人なのかと疑問に思っただけ

多分君に何言ってもオウム返しで議論にならないと思うけどね。
あと上の奴の様に単発の煽り屋が多いけど、多分、君の事を支持してる人っていないんじゃないか?
研究研究言う割に他人とのコミュニケーションを遮断している傾向がある
(これはあなたに対する個人攻撃ではなく率直な分析)それでここで大多数の2ちゃんというか5ちゃんという
気楽に楽しく歴史を語りたい人が去って、君個人のスレになっているとしか思えないんだけどね。
0266人間七七四年2021/08/25(水) 13:09:27.39ID:L9Atcw7j
265の3行目が所謂高卒脳の典型という意味

論文引用した上で自分の意見を書かないと言う事
そもそも高卒脳の定義自体理解できないからマウント取られたのだと怒っちゃたんだろうね。
説明不足だった点は謝罪するよw
0267人間七七四年2021/08/25(水) 13:15:04.21ID:Ovy1bACp
>>260
褒めてくれてありがとね
0268人間七七四年2021/08/25(水) 13:23:44.74ID:GdDS5q3M
史料や研究以外で客観的に根拠となりうるもの提示できるならやってみてね
人様と議論、をするにおいてはやはり客観的な根拠が必要になる訳、上で235さんが非常にわかりやすーく説明してくれてたんだけど、それでも君の頭では理解できなかったか
君の脳内妄想がソースだったら、それこそここじゃなくチラシの裏に書くといいよ、1つ賢くなれたね
0269人間七七四年2021/08/25(水) 13:26:57.53ID:GdDS5q3M
単発煽りが多いのもそれだけ君の言説がまるで的を射てなくて不特定多数から君が玩具にされてるだけ、とも推測してあげよう
君の的外れで一切根拠のない分析よりは当たってると思うよ?
0270人間七七四年2021/08/25(水) 14:29:39.99ID:IabJOldS
>>266
そもそもこのスレは史料や研究を重視し、可能な限り俗説等の不確実性を排除する事で議論の精度を深めていったのよね
君はこのスレにおいてはただの荒らしだよ
0271人間七七四年2021/08/25(水) 14:50:32.36ID:+JrVBJoU
>>265
権威主義というより、あえて言うなら実証主義なのでは?
キミも史実に基づいた話をしたいのは間違いないでしょ?
繰り返すけど、原文を引っ張り出してイチから現代語訳することは誰にでも出来ることではない。
であれば次段として、研究者の著書や論文を引用することに違和感はないよ。
もちろん、それを要求する事も。
私的には、主張者が根拠を示す事については、100%支持だね。
0272人間七七四年2021/08/25(水) 14:52:32.08ID:L9Atcw7j
>>268
仮説も立てられなくて、既存の事しか語れないのであれば
ここで書き込まないで普通に研究資料見てればいいって事でしょ
ここは5ちゃん掲示板なんだから掲示板として機能しないとね

>>269
単発煽りは同一人物としか言いようがないのだけどね

>>270
だったら研究と史料を重視したらこのスレこれにて終了って事でいいですよね?

じゃあ以後スレは立てない事でOK?
0273人間七七四年2021/08/25(水) 14:56:23.05ID:L9Atcw7j
>>271
ごめんこれ以上史料だけで話すならここは掲示板として機能しないと思うんだ
君の意見と270の意見が支持されるなら
ここのスレはこのスレで終了でいいって事だね。

史料と研究だけの話であればこれ以上の発展性はない。
仮説をだしたところで事実に基づかない妄想
荒らし行為認定なんだろ

だったらもうこのスレは終わりでいい。
最後にどの資料とどの資料を目を通してねリストを作って終了でいいのでは?
0274人間七七四年2021/08/25(水) 14:58:49.78ID:L9Atcw7j
歴史と言うのは結局のところその時代に生きてみた人はいないし
その資料だって伝聞で100%正しいわけでもないまた権力者による改竄等あるので
史料が100%正しいなどはないし、どんな些細な仮説でも真摯に受け止めるべきなのに
ここのスレの住民はそれは完全シャットアウトしている

と、いう事はもうここはスレとして成立しないのだから次スレは立てない方針でいいと思う。
270と271の史料に目を通せでここのスレは成立するのだから。
0275人間七七四年2021/08/25(水) 15:00:07.85ID:+JrVBJoU
>>273
でもさ、著書や論文を出しても、それが必ず正解とも思ってないよ。
根拠を示す、という事以上の意味はないと思ってる。
0276人間七七四年2021/08/25(水) 15:04:20.37ID:L9Atcw7j
>>275
でも、ここは完全に終わりでいいよ。発展性が無い。
0277人間七七四年2021/08/25(水) 15:07:11.08ID:XiR6N7Wc
お前が退場すればいいだけでは?
0278人間七七四年2021/08/25(水) 15:08:28.60ID:GdDS5q3M
ここは史料と研究を重視して、この研究者ならこの説を出してる、俺はこの説を支持するって話もしてるんだわ、他人と話してれば知らない説の話もできるしね
お前がそれを無駄だと思うのは勝手だが、それをこっちに押し付けてくるな
IDちがうのに勝手に同一人物だと思い込まないようにねーって注意もこないだ誰かが書いてくれてたな、また思い込みだけで的外れ批判だ
そして誰もその研究や史料が百パー正しいなんて話もしてない、蓋然性が現状高いのはこれじゃねって話をしてる、新史料で信憑性が高いと判断されればああだこうだいいながらその説の話をするんだよ
お前にとってはつまんなくて意味なく見えるかもしらんが、俺たちはこういうので遊んでんだよ、他人の遊びが理解できないからって邪魔しにくるな、躾がなってないぞ
0279人間七七四年2021/08/25(水) 15:20:16.51ID:L9Atcw7j
>>277
君が退場したらするよw
>>278
いやもうその時点でここで語り合う必要はないこのスレは終了でいいと思う。
0280人間七七四年2021/08/25(水) 15:22:57.84ID:JtyyWEsC
自分の意見が通らない、受容されないと発狂とかガキかよ
終わりでいいかどうかはお前が決めることじゃないし嫌ならお前が消えればいいだけ
0281人間七七四年2021/08/25(水) 15:29:52.19ID:xU8WNI7i
無視すればいいんじゃねー?(ハナホジ)
0282人間七七四年2021/08/25(水) 15:33:05.91ID:GdDS5q3M
他にも言ってる人いるが、君はこのスレの性格にあってないんだから来なくていいよ、誰も強制すらしてないしつか来られるとこのスレの大多数に迷惑
このスレはこのまま史料と研究を軸に据えて話してくよ、君にそれを勝手に止める権利はない、続けるかどうかはまた都度みんなで考えることだわ
まともな人として扱ってほしいなら分別くらいつけな、大変みっともない
0283人間七七四年2021/08/25(水) 15:39:03.44ID:GdDS5q3M
いくら研究が日進月歩とはいえ毎日十も二十も書くことがあるもんでもなく、本来は一週間に数度書き込みあるレベルでもおかしくはないんだわ、つかこないだそうだったし
そういう所にこういう声だけ大きいバカが来ると、そういうのがぱっと見のさばってるように見えちゃうのよ
0284人間七七四年2021/08/25(水) 18:18:53.37ID:1xjCtUMV
白峰氏は他にも、関ヶ原の布陣がはっきりしないことから寺沢正成は関ヶ原に居なかった、
なんて説を発表してるけど
これも氏の思想が垣間見える。
寺沢正成が戦後頂戴した天草四万石が、関ヶ原で小西行長と大谷吉継を押し潰した功績によるものでないとしたら一体何の恩賞なんだ?
寺沢が毛利・石田の戦争計画を正確に報告したから。こう繋がることになる。
とどのつまりは総て徳川の陰謀だった、というのが白峰氏の主張な訳だが…
0285人間七七四年2021/08/25(水) 18:46:54.00ID:9WXRkP3U
>>284
君も要求された史料は出すべきだし、嘘をつくのもやめた方が良い。
0286人間七七四年2021/08/26(木) 08:53:18.51ID:zLRB1pIb
海外への興味から家康に最初から野心ありと言ってるのは
「関ヶ原への道」出した水野氏だっけ
ただ室町時代だって大内氏みたいに幕府とは別に貿易やっていた家はあったしな
0287人間七七四年2021/08/26(木) 12:43:58.92ID:o610iqEM
>>286
その論は全く成り立たないようにも思えるが、本文読んだら納得できる内容なのかな
0288人間七七四年2021/08/26(木) 12:45:56.08ID:eM/IGjLd
軍目付の位置付けって少し変わって行ったのかな?
今話題に上がった寺沢なんかは慶長の役では中央寄りで指示を中継していたようだけど

文禄の役
石田三成、増田長盛、大谷吉継、長谷川秀一、前野長康、木村重政茲、加藤光泰

慶長の役
太田一吉、毛利重政、竹中隆重、垣見一直、毛利高政、早川長政、熊谷直盛、
0289人間七七四年2021/08/26(木) 17:22:36.64ID:gkLxYnqS
文禄の軍目付は秀吉の命令を待たずに行動出来たけど
慶長の軍目付は秀吉の命令に支配されていたって話はあった気がする
まぁ距離的な問題かもしらんが(文禄では秀吉は名護屋にいて十日くらいで命令が往復出来るけど慶長では二十日くらい掛かる)
0290人間七七四年2021/08/27(金) 07:33:46.02ID:TXnmi8tB
>>284
どちらの妄想の粋だな
0291人間七七四年2021/08/27(金) 08:09:45.02ID:NTWnfMYA
「輝元家臣の内藤隆春が八月十九日付で出した書状は、死を目前にした秀吉が大名たちと最期の別れをした九日の様子を克明に伝えている。(『荻藩閥閲録遺漏』)。
この中で、毛利輝元が秀吉から西国の儀を任せ置かれると言われたとあるらしいけど、本当のことは不明だよな。真実としても、こっそり言われたのか皆の前で言われたのか不明だし。
0292人間七七四年2021/08/27(金) 08:54:35.46ID:mux/UOWq
>>291
下記のようにそれ以前から言われてることだから
秀吉にそういう構想があったってのは間違いないと思うよ

(文禄4年)7月徳川家康・毛利輝元・小早川隆景連署起請文案
「坂東法度置目公事篇、順路憲法之上をもつて、家康可申付候、坂西之儀者、輝元并隆景可申付候事」
東国の法度・置目・公事については、公平・公正を以て家康に申し付ける。西国については輝元と隆景に申し付ける。

(文禄4年)8月3日付児玉元次宛毛利輝元書状
「東ハ家康、西ハ我々へまかせ被置之由候、面目此事候、大慶不可過之候」
東は家康へ、西は我々にお任せくださるとのことだそうだ。面目躍如たることで、大慶これに過ぎるものはない。
0293人間七七四年2021/08/27(金) 09:08:53.60ID:YMxRuYfu
秀吉ってやっぱり本気で大陸に進出して豊臣の本拠地にするつもりだったのかな
日本は徳川と毛利で分割統治させときゃいいくらいの認識だったのか
0294人間七七四年2021/08/27(金) 09:30:51.67ID:NTWnfMYA
とすると、関ヶ原で毛利勢が四国に出兵も多少説明つくのか。
0295人間七七四年2021/08/27(金) 09:50:38.26ID:Wnv/97V/
隆景がいる前提なのかどうかだよなぁ
隆景死後は小早川家を秀秋が家臣も引き継がずにまるまる名字だけ一緒の全く別の家にしてるし、毛利本家とは別に秀元に毛利領から知行差し引いて家を立てさせようとしてるしで
毛利本家から勢力削ごうとしてるようにも見える
0296人間七七四年2021/08/27(金) 12:23:20.50ID:NNgDU/n7
「徳川四天王」、「東三河筆頭」としても有名な酒井忠次の家臣に。
石原ずんと右衛門と言う人がいた。

…ずんと右衛門である。なんだそりゃと思われても、そう記録されているんだから仕方がない。
とにかく石原ずんと右衛門と言う人がいたのだ。

このずんと右衛門、姉川の戦いの時酒井帯の先鋒を指揮し、300の備を酒井本隊の筋違い、
丁度酒井本隊の脇に置いていた。

さて合戦が始まる。織田軍は浅井軍の猛攻に本陣まで攻め寄せられた。
この時ずんと右衛門の部隊が浅井に攻撃を仕掛けた!
実は彼らが最初位置どった場所が丁度、浅井軍の横を付く形になっており、これに
浅井はたまらず攻勢の足が止まった。

この頃徳川軍が、ついに朝倉軍への反撃に成功していたが、守勢に立った朝倉軍は
浅井の足が止まったのを見て撤退を開始、浅井もこれにつられ軍を返し、ここに姉川合戦は
織田徳川連合軍の勝利に終わった。

合戦の後信長は、この酒井隊の働きを激賞し、忠次に従四位下「左衛門督」の官位を与えた。
が、忠次の方は「こっちのほうが言いやすいから」と言う理由で後々まで、本来従五位の官位である
「左衛門尉」と呼ばせていたそうだ。

ずんと右衛門のこの時の働き、人々は長く称えたとのことである。
0297人間七七四年2021/08/27(金) 12:25:07.96ID:NNgDU/n7
上杉憲政の老臣・長尾意玄は北条氏康の勢力が日に日に強大になるのを
憂いて、本間近江と井俣左近を氏康に仕えさせてその内情を視察させた。

やがて平井に戻って来た二人によると、
「氏康の人となりを熟視したところ、沈着剛毅にして測られず、剛にして
柔であり、書を読んだり刀槍の訓練をし、礼節は正しく、威厳があります。

また下賤であっても功を賞し、士を用いる時には老少問わずその器量に
適した用い方をしています。その子弟は嫡子でなくとも皆俸禄を与えて
仕事をさせ、功があればすぐに昇進しています。

そうした理由から配下は畏怖しつつも氏康を愛し、人々は奮い立って
死を致す覚悟です。しかも上杉の将士は皆密かによしみを通じています。
通じていない者はわずかに九人しかおりません」とのことであった。

意玄は二人の報告を引き合いにして憲政の非を諫言した。
これを聞いて憲政はようやくその非を改めた。ところが程なくすると、
菅野信方と上原兵庫の言葉を用いて、また大いに政事を怠るようになった。

――『名将言行録』
0298人間七七四年2021/08/27(金) 12:27:56.95ID:NNgDU/n7
長谷堂城の戦いから、直江兼続軍の撤退の時、最上領谷地の城に下次右衛門(秀久)が残し置かれており、
周辺の仕置を申し付けられていたが、彼は石田三成が滅亡した以上、行く末上杉家頼りなしと思い、
最上に従い、最上衆を庄内に引き入れ切り取らせた。
そうなれば、直江さえ会津に呼び返される程であったので、庄内に置かれた城持ち衆も留守居を
少々残して皆会津に召喚されており、そのためやすやすと、何の手間取ることもなく庄内三郡は
最上義光の手に入った。

この次右衛門は謙信公の下男であったのを、御眼力を以て御取り立てになり、騎馬の列になさて、
その御推察の如く数度武功を顕したことで次第に立身した。この者は隠れなき算術の上手であった。

景勝公の御代に、四人御領分として、勘定奉行の下次右衛門は庄内を、川村彦左衛門は佐渡国、
窪田源右衛門は信州川中島、山田喜右衛門は越後国旗本に有り、その様子、御仕置の作法は
武道の助けとされた。

今度、最上へ直江が出陣した折、谷地、寒川江の領城を乗っ取れたのは、この下次右衛門の分別
宜しき故であった。しかし武道は良しと雖も、元来下臈であるため義理を知らぬため逆心した。
然れば、その原因は直江が谷地城に次右衛門を残し置いた為であり、直江の誤りと見るのが
正道である。

(管窺武鑑)
0299人間七七四年2021/08/27(金) 12:30:21.47ID:NNgDU/n7
「石田三成が上方に於いて逆謀の色を顕せば、諸国より三成と内通していた者達が打って出て、
徳川家康と取合いを始めるだろう。私はそれを聞いて兵を発し、奥羽筋を打って上方と首尾を
あわせるべきか。であれば、仙台の(伊達)政宗(筆者注・この頃は岩出山城)、出羽の最上(義光)、
越後の堀(秀治)、この三人は燐競にて大身であると雖も、三人共にこの景勝の、物の敵とは思われない。
何故ならば、

一に、堀久太郎(秀治)は昨今の若将であり、弓矢の術を知らず、家法正しからずして家中は
二、三に割れ、殊に上方風であり。押し掛けには強いが後道に弱く、領民は堀家の新仕置に飽きはて、
古主である上杉家を慕っている。
また堀家を取り立てた太閤の御厚恩を忘れて家康に従う不義の兵であるから、これを踏み潰すに
手間はいらないだろう。

二に、伊達政宗は久しき家では有るが、その父である輝宗より二代に渡って境争い、坪弓箭をも
賢く取り、政宗一身の覚悟も無類で、能き大将である。
しかし家中は前代の悪風儀に慣れ、我儘を仕る士共は、現代の新仕置を迷惑がり、それを実行しようとすと、
手荒き政宗であるとし、心で疎み身を虚しくして。家中は意志が一致していない。

また大敵であると言っても上杉家と比べれば小身である。七手組の頭が、一両備えで押し向かえば、
政宗が手を出すことは出来ないだろう。
殊に政宗の心の有り様は、弓箭の正道について誠の吟味も入れようとせず、ただその時節に任せて
敵にも成り味方にも成り、自分の家を恙無く相続する事こそ至高であるとの奥意であるから、
我が方に少しでも強みがあると判断すれば、すぐに手のひらを返し当方に頼み従うだろう。

三に、出羽の最上(義光)は数代相続の家であるが、弓箭について然りとするような誉れが無く、
身にかかる火を払うばかりにて、他国遠国へ取り掛かるような武道のこだわりも無く、
家中の者共は事毎に居丈高にばかり仕り、武功誉れの者が有っても、新参譜代筋どちらでも、
小身であれば家老や出頭人の前では頭を挙げさせぬ故に、彼らが十考えている内三、四を言ってすら、
家老や出頭人の威に押され、一言を躓いただけでも善悪の批判を受ける。

そのため言葉少なく手短に計り言おうとして、その理屈が伝わらず、四つ言ったとしてもその内三つは
みな戯言となり、残った一つの理も、相手には生聞こえとなり、それを言った人物が不合点者と
取りなされる。故に以後は控えて物も言わなくなる。或いは、いかほど能き者であっても、口が
不調法であっては面出しも成らぬ。故に下の理が上に達しない。

最上家中では新参であっても大身であれば、譜代を押しのけ上座に在り、我意を振る舞う。
元より古参にて大身であれば、心は鈍くても我儘に口をきく。
執権に於いてこのような国法なのだから、軍法も未練なものであろう。であれば、上杉家に対せば
手に立つような事はない。

三家については以上の通りであり、であれば、石田が上方にて兵を起こせば、私は奥北国を
討ち靡かせるか、でなければこの大身の三家には押さえを置いて、家康の持つ関東へ働き出れば、
常陸の佐竹を始め当方への志の衆、東国にも多いのだから、攻め上がり家康を取り挟んで
一戦を遂げれば勝利を得るだろう。」

(管窺武鑑)
0300人間七七四年2021/08/27(金) 12:31:25.92ID:NNgDU/n7
(慶長四年二月、徳川家康は石田三成等による伏見の家康屋敷襲撃の風聞などにより、伏見城の支城である
向島城へと移ったが)
「向島に御座されるのは如何か、伏見の城を明けるのでお移り然るべし」と、三奉行(長束正家、
増田長盛、前田玄以)が頻りに申してきた。大谷刑部少輔(吉継)が内々の使いとして肝煎と成り、
雅楽頭(酒井忠世)、帯刀(安藤直次)、式部少輔(榊原康政)が表の使いとしてこれに合意し、
四月六日、伏見城にお移りと成った。(創業記に閏三月十三日午の刻伏見の城お移りとあり)

鑓五十本持たせ、御先の小姓、その他の詰衆五十余輩が歩行にて御供をした。御乗物、鑓二本、
長刀一、挟箱二、御跡に三河守殿(結城秀康)が馬に御乗りになり、白き袷袴にて、供の衆二十人ばかり
お連れに成った。御家人については、いつであっても罷り出て御目に掛かるべしとの事で、
この日は上記の人々のみで、他には誰も御供には罷り出なかった。

(慶長年中卜齋記)
0301人間七七四年2021/08/27(金) 12:32:01.96ID:NNgDU/n7
伏見の島津屋敷に於いて、伊集院幸侃(忠棟)を島津中将(忠恒)が茶湯に呼び、そこで成敗した。
(慶長四年三月九日)

俄のことであり家康公も殊の外ご不審遊ばした。伊集院幸侃の息子たち五人は、薩摩に於いて領分に
立て籠もったが、家康公はこの扱い(和解)のため、山口官兵衛(直友)を二度、伊奈図書(昭綱)を
一度薩摩へ遣わした。その時、治部少(石田三成)と争いになった。落着については薩摩の者が
存じている。(伊集院成敗は、根本は治部の計らいであると後に人々言い合った)

家康公は、兵庫頭(島津義弘)に殊の外御懇情であり、彼に借金がある旨を聞かれると、それを
完済するように、その借金七百枚を遣わした。

慶長五年、家康公が会津征伐のため大阪をお立ちになる頃、伏見城松の丸を兵庫頭に御預けになるのでは、
との沙汰があったが、御預けは無く、若狭少将(木下勝俊)殿へお預けに成った。少将殿は
武田万千代(家康息:武田信吉)殿の舅であった。そして伏見の城は難しい沙汰(西軍による攻撃)
出来て、少将殿は松の丸を明けて若狭国へ引き退かれた。

乱後に万千代殿御内がどのように成ったのかは詳しく知らない。

(慶長年中卜齋記)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています